スペクトル




 デスクの上に詰まれた紙の山に、イザークは顔を引きつらせる。
 隣で噴き出すのを必死にこらえているフェイをにらみつけた。
 「何だこれは」
 「何って・・・志願書」
 「志願?何の?」
 「決まってるじゃん。ジュール隊に入りたいって言う連中の志願書だよ」
 「・・・この世界には電子履歴書というものもあったように記憶しているが」
 「最近手書きがはやってるらしいぜ。熱意が伝わるとか何とか・・・」
 「くだらん」
 
 イザークは紙の山には目もくれず、どかりと椅子に腰を下ろす。
 純白の軍服が、少々豪華な造りの背もたれにぐったりとうずもれた。
 それを見るフェイの顔にも複雑なものが浮かんでいる。
 「まさかこんなことになるとはね」
 「まったくだ」
 マックスが煎れてくれたコーヒーに口をつける。
 おいしかったが、心持ちいつもより苦く感じた。


 ユニウス条約が結ばれ、連合とプラントの間には一応の安定が訪れた。
 イザークが強制的に所属されられていたプラント臨時評議会は解散し、新評議会が召集。
 アイリーン・カナーバに代わり、同じ穏健派のギルバート・デュランダルが議長に選出された。
 イザークも晴れてザフトに戻ることができたわけだが、終戦直後と現在では環境が全く違っていた。

 タカ派の議員の息子として、そして売国奴の部下として散々に蔑まれていたはずの彼は、
 一躍英雄になっていたのだ。
 ―――ヤキン・ドゥーエの英雄。
 そう言われていることを知ったとき、軽い頭痛すら覚えたものだ。
 連合軍の新型MSを撃墜したのは確かに事実だったが、それはイザーク一人の功績ではない。
 それなのに色々と誇張され、伝説と呼ぶのにも言い過ぎではないものになっていた。
 そして議長となったデュランダルに召集され、言い渡されたのは指揮官への昇格。
 さらにはナスカ級の戦艦を二艦も授与され、ジュール隊はエリート部隊に位置づけられたのだ。

 そういうわけで隊員の補充が必要になったわけだが。


 「ま、いい気分じゃないよな。こうなる前は散々言われてたわけだし」
 イザークの気持ちを代弁するようにフェイがつぶやく。
 一時は散り散りになったジュール隊の隊員たち。
 その後もイザークのことを中傷する者は多く、フェイも針を飲む思いをしてきた。
 それは他の面々も同じだったようだ。
 先日、どちらかと言えば冷静なマニが、イザークを愚弄した同僚と殴り合いをしたことがあった。
 イザークとフェイがそろって彼の上司に頭を下げに行ったことは記憶に新しい。
 アカデミーに戻っていたメイズ、マックスも口には出さなかったが、何もなかったことはないだろう。

 それが今では手のひらを返したような破格の扱いなのだ。
 挨拶回りをするたびに見ることになる愛想笑いにはうんざりし、人間不信に陥りそうである。


 「やれやれ。しばらく休めそうにないな」
 イザークはそうひとりごち、また一口コーヒーを口に含む。
 どの道隊員は補充しなければならない。
 もともとの隊員だったシホ、フェイ、マニ、キキ、メイズ、マックスに加え、
 一般兵となったディアッカ、そしてナスカ級二艦の艦長は決定している。
 艦のクルーの補充は艦長に任せるとして、率先力となるパイロットはこちらで選ぶ必要があるだろう。
 ジュール隊は緊急事態には前線に配備されることになっているから、選出にも慎重ならざるをえない。
 「とにかく、実戦経験がないやつははじく」
 「だな」
 まだ完全に安心とはいえないこの状況で、新参者の面倒を見ている余裕はない。
 あとは前大戦の実績、あるいは経験の長さといったところだろうか。
 それで大分絞られるはずだ。

 ため息をつきながらフェイと共にその書類に手をかけようとしたとき、来訪を告げるブザーが鳴る。
 エアの音と共に姿を現したのは、マニ、キキ、メイズ、そしてディアッカだった。
 何気なしにそちらに目をやったイザークたちは、最後に入ってきたディアッカの手にあるものに顔をひくつかせる。
 「ディ、ディアッカ・・・それ」
 ディアッカが手に持っているのは、書類の束。
 まさか・・・。
 「志願書ですよ」
 変わりに答えたキキに、イザーク、フェイ、マックスはがくりと肩を落とす。
 仕事が増えた。
 それに気付いているのか居ないのか、書類をデスクに置くなりディアッカがイザークに訴えた。
 「イザーク、酷いんだぜ。こいつら俺ばっかに荷物持ちさせて・・・」
 「嫌なら別の隊に行けばいいだろ」
 「そうそう。お前なんかお呼びじゃないの」
 「なんだとぉ!」
 マニとキキに冷たくあしらわれ、ディアッカがいきり立つ。
 しかしこれは日常茶飯事になっていた。
 そんな三人は無視し、フェイは書類の山をあらためて見上げる。
 「この分じゃ、まだまだ来るな」
 「そうですね。提出の締め切りは明後日までですし」
 マックスが同意しながらイザークを横目で見る。
 「隊長、どうされます?」
 「どうするも何も・・・」
 まだ志願書が届くと言うのだったら、手の出しようがないだろう。
 しばらく腕を組んで考え込んでいたイザークだが、やがて首を振って息を吐き出す。

 「やめだやめ!明後日まで休暇だ。お前ら!」

 「休暇ぁ?」
 「休暇って・・・」
 「いいねぇ」
 「確かに今は何もすることがありませんしね」
 「ならさ、皆でピクニックにでも行く?」
 「ピクニックって・・・あなたいくつよ、マニ」
 「はいはーい。先生、バナナはおやつですか?」
 「フェイ、悪乗りしすぎ」
 隊員たちの反応は様々だ。

 「でも、皆でどこかに行くのはいいかもしれませんね」
 メイズの言葉に、イザークも頷く。
 勢いで「休暇」などといってみたわけだが、確かに今はぽっかりと仕事が空いてしまい、
 いくらか小細工すればそろって休暇をとっても問題ないと思う。
 「じゃあどこにする?海にでも行く?」
 「遊園地!」
 「フェブラリウスにブランドのショッピングモールできたんだよなー」
 皆がそれぞれの希望を口にする。
 どこにしまっていたのか、マックスが旅行の雑誌を持ってくると、さらに話は盛り上がった。
 やはりこういうところは若者らしい。
 イザークがそんなことを思いながら部下たちを見ていると、それまで黙っていたディアッカが声をかけた。
 「それで?イザークはどうしたいわけ?」
 「俺?」
 「イザークは行きたいところないのか?」
 「行きたいところ、か。特にはないが。そうだな、どこでもいいけど・・・」
 「いいけど?」
 

 「シホと二人っきりでデートがしたい」


 げほっ、とフェイとマニがそろって咳き込んだ。
 メイズとマックスは壁の方へ後ずさり、ディアッカも聞かなきゃ良かったと頭を抱える。

 「・・・隊長」
 黒いものを背負ったキキの、地を這うような声。
 一気に部屋の雰囲気がよどんだのは気のせいではないだろう。
 「したことないんだよな。どこに誘えばいいと思う?」
 そういうのよく分からなくて、と言うイザーク。
 ディアッカたちはもうやめてくれ、と必死に念じるのだが、
 神経が図太いというか鈍いというか、イザークはキキの変貌に気付いていない。
 「やっぱり映画とかか?シホはそういうのに興味あると思うか?」
 「・・・」
 「アクセサリーでも買ってやるかな・・・。この間やった指輪はサイズが合わなかったし」
 「・・・指輪?」
 キキのオーラがさらに黒さを増し、イザーク以外の全員がひいっ、と悲鳴を上げる。
 「シホに・・・指輪買ってあげたんですか?」
 「ああ、そうだが?」
 「イ、イザ・・・イザーク!」
 ディアッカがこれ以上の墓穴を掘らせるまいと口を開く。
 名前を呼ばれたイザークは、きょとんとした顔で振り返った。
 ・・・本当に、「英雄」だろうか。
 このくらいの雰囲気くらい察しても良いだろうに。
 「どうせならさ、皆で一緒に行こうぜ。その方が楽しいって、絶対!」
 「でも・・・」
 「そうですよ、隊長!皆で一緒に!」
 「シホだってそう言いますって!」
 「そうそう。あれで賑やかなのが好きですから」
 フェイたちも必死にディアッカを援護する。
 イザークはそうか?と眉を寄せるも、結局は頷いた。
 「まあ・・・そうだな。こんな機会は二度とないだろうし」
 「そう!そうです!」
 「じゃあ場所は皆で決めてくれ」
 そう言いながら立ち上がったイザークに、キキがいつものごとく抱きついた。
 「隊長ー」
 先程の黒いオーラはどこへやら、猫なで声にうるうるの瞳。
 「僕、隊長とデートしたいです」
 「俺とか?」
 「映画一緒に行きましょう」
 「うーん。まあそれもいいか」
 「本当に!?」
 「ああ。みんな一緒がいいんだろ」
 「・・・ッ」

 もう駄目だ。
 ディアッカは額を押さえる。
 絶対・・・絶対俺が八つ当たりされるんだ。

 硬直してしまっているキキの腕を体からはずしながら、イザークは時計を見る。
 そろそろ昼食の時間だ。
 「あの、隊長・・・どこに行かれるんですか?」
 「開発部にいるシホを迎えに行く約束してるんだ。ついでに食事に行ってくる」
 「・・・」
 それはすでに「デート」というやつではないだろうか、と思ったフェイたちだが、
 またキキの背後から立ち上ったオーラのために口には出せない。
 ただただ目を丸くするしかできなかった。
 「休暇のことも話しておくから」
 コートを羽織ながらそう言うイザークは、すがすがしいくらいの笑顔だった。
 死語が許されるなら、これは・・・ラブラブとかいうやつではないのだろうか。


 またあとでな、と言い残し、部屋をあとにするイザーク。
 その後、ジュール隊の執務室から誰かの悲鳴が聞こえたとか聞こえなかったとか。



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2005/04/16