セイレーン・セイレーン 06

裏切り



 ドアを思い切り蹴り倒す。
 自動ドアだからそんなことしなくてもいいのにとシホとマニは思ったが黙っておいた。
 普段怒ってばかりいる印象があるこの上司だが、
 本気で怒っている時は逆に無口無表情になることを二人はよく知っている。
 横に立つイザークの蒼い双眸は、いつもにもまして鋭い。
 眼光だけで相手を殺せるのではないかと思えるほどそれは冷たく物騒な光を放っていた。

 イザークがぶち壊したドアの部屋。
 それは、ある人物のためにあてがわれた予備のものだった。
 ジュール隊がこのコロニーに到着し、指令を受けてから行動を共にするようになった人物。
 「ノエル・リーマン!」
 イザークの怒声とともにシホとマニは銃を構える。
 だが・・・。
 「た、隊長!ちょっと・・・ッ」
 本来ならシホとマニが前に出なければいけないのに、イザークは手ぶらのままずんずんと部屋の中に入っていく。
 二人は色をなしてそれを追った。
 

 この艦に、敵と通じている人間がいる。
 それがはっきりとしたとき、イザークたちの脳裏に浮かべ確信を抱かせたのは一人しかいなかった。
 ノエル・リーマン。
 大戦が終了した直後からこのコロニーにいる。
 プラントの上層が調べようとしていた、物騒な連中と彼が何らかの繋がりをもつことは充分に考えられた。
 そうして思い起こせば、カタリナを連れ帰るきっかけになったあの襲撃の案内をしたのも彼だ。
 道に迷う振りをして、イザークたちを暗殺しやすい場所へと誘い出したとしたら・・・。
 さらにルソーの出入りを認められている彼なら爆発物を仕掛けることも、進入者を手招きすることも可能だ。
 決め手は捕虜となったカタリナへの反応だった。
 シホはカタリナのいる医務室をうろついていたノエルを思い出した。
 カタリナが気になると言いながら、シホが現れた途端、会うのを断念した彼。
 おそらくは、自分の顔を覚えているかもしれないカタリナを始末しようとしていたのだろう。
 今回の襲撃も、狙いは間違いなくカタリナだ。


 「・・・逃がしたか」
 忌々しげにつぶやくイザークの言葉に、シホとマニは脱力した。
 ノエルの姿は見当たらない。
 カタリナ暗殺が失敗に終わり、身の危険を感じたのだろう。
 飄々としているようで意外に切れ者だったようだ。
 おそらくはすでに艦を抜け出している・・・元の所属の駐屯局にも戻っていないはずだ。
 僅かな苦さを感じながらも、マニは強い口調で上司の行動を咎めた。 
 「隊長・・・武器も持たずに部屋に入っていかないでくださいよ。向こうが銃構えて待ってたらどうするつもりだったんです?」
 「そうですよ。お怒りなのは良く分かりますけ、ど・・・」

 シホの言葉が終わらないうちに。
 それを打ち消すほどの音が、鼓膜を突き刺した。
 がしゃんっ、というガラスの割れる音とじじっ、という電子音。
 イザークの白い拳の下。
 デスクに置いてあった通信用の電子パネルが無残な姿をさらしていた。
 「・・・」
 とっさにかける言葉も思い浮かばず、シホとマニは唖然としたままそれを見守る。
 当然のことながらパネルをつぶしたイザークの左の拳は赤い血を滴らせていた。
 しばしの沈黙の後、銀の髪にその表情を隠したまま、イザークが声を上げる。
 「・・・マニ」
 「はっ・・・、はイッ!」
 「駐屯局に行け。どんな手を使ってでもいいからノエルが行きそうな場所を掴むんだ。
 向こうが文句を言ってきたら俺の名前を出せ。それでも言うことを聞かなかったら張り倒せ!!」
 「え・・・、あっ・・・はい!」
 後半の部分は聴かなかったことにし、マニは返事をする。
 確かに、ノエルを探し出すことが先決だ。
 シホの方にぽん、と手を置くと、命令を実行するために踵を返した。

 その背中を肩越しに見送り、シホはイザークへと視線をもどす。
 左手から流れる鮮血など気にも留めていないかのように、彼は拳を強く強く握っていた。
 





 「・・・カタリナ、もういいから」
 「だめ」
 「いや、だって・・・これじゃ動けないよ」
 キキは懇願するように目の前の少女に視線をやるが、それは残念ながら通じる気配がなかった。

 あの襲撃の後、軽症を負ったキキとカタリナは別室に移されていた。
 とは言ってもカタリナは頬と指のすり傷、キキも軽い火傷だけで大したことはない。
 手当てもキキの持っている知識で充分補えるものだった。
 そうしてカタリナの傷を消毒して絆創膏を貼ってやったのだが、それを見たカタリナが興味を持ち、キキの手当てをやると言い出したのだ。
 その結果、火傷をしたキキの左腕は包帯をぐるぐる巻きにされて凄い状態だ。
 これではいざというとき動けないし、何より圧迫されて指すら思い通りにならない。 
 仕方ない、カタリナの見ていないところで巻きなおそう、とキキはこっそりため息をついた。

 それにしても、とふと気付く。
 先程まで敵意むき出したっだはずのカタリナが、一転して自分に子犬のように懐いている。
 悪い気がしないのは確かだが、違和感がありすぎてキキは戸惑っていた。
 「お前、随分機嫌いいな」
 「機嫌?いいよ。サイコー」
 そう言ってカタリナはけらけら笑う。
 キキはますます混乱した。
 これは例の薬の影響だろうか。
 それとも自分がかばったから味方だと単純に判断したのか?
 「隊長にしか懐かないのかと思ってた」
 「たいちょう・・・イザーク!イザーク大好き!」
 「うん、俺も好きだけど」
 「好き、同じだね。キキも隊長の『いもうと』になるの?」
 「は・・・え?」
 想像だにしなかったことを言われ、声が裏返る。
 ・・・まあ『妹』になるのかと聞かれることなんて想像できようはずもないのだが。
 「カタリナはイザークの『いもうと』みたいなんだって。『いもうと』になったら家族なの」
 「家族・・・そうだね」
 「キキは?家族いるの?」
 「・・・ううん。いない」

 自分の父と母。
 死んだ。
 崩れていく戦艦とともに、宇宙に消えた。
 キキの目の前で。

 急に沈んだ顔をしたキキに首をかしげるカタリナだが、すぐににこっと微笑む。
 「じゃあ一緒に『いもうと』になろうよ。そしたら家族だよ」
 「家族・・・」
 「家族っていつも一緒なんでしょ。離れないんでしょ」
 「え・・・、うん、多分」
 「イザークはね、家族の人とたくさんキスするんだって。大切な人だから」
 「・・・」
 きらきらと瞳を輝かせるカタリナに、キキはくすっと笑う。
 家族とは何かと問われ、必死に説明していたイザークが目にうかぶ。
 たくさんキス、とは母親のエザリアのことだろう。
 どうもカタリナはいろいろ勘違いしているようだが、かといってあながち的外れなものを思い描いているわけでもないようだ。

 そう、家族は持たないものにとっては憧れだろう。
 自ら捨てる人間もいるが、その精神がキキには理解できない。
 何を手に入れても、何処に進んでも、結局ヒトが帰るのは「家族」なのではないだろうか。
 それが、キキにはない。
 ・・・そうだ。
 自分同様、カタリナにも家族はいない。
 そしてキキはある事実に思い当たって愕然とする。

 ―――この娘には、「思い出」すらない。

 キキが時折脳裏に浮かべる父のたくましい腕や、母のぬくもり。
 それすらもカタリナは知らない。
 
 あらためて目の前の少女を見た。
 白金に近い薄いブロンド。
 そして青灰色の瞳・・・。
 確かにイザークに通じる色をしている。
 彼が親近感を持つのも無理はないだろう。
 「家族」になる。
 いつも一緒で、たくさんキスをする・・・暖かいもの。
 それを彼女は得られるかもしれない。

 穴が開くほど見つめてくる金の瞳に、カタリナは不思議そうに見返してくる。
 しばらく互いの視線は離れなかった。
 
 



 がしゃんっ、と耳障りな音がし、火花が散る。
 はっと息をのみ、後ずさった男たちにノエルは冷めた視線を向けた。
 「そ、それを壊されたら困る・・・まだデータを取っていなくて・・・」
 男の一人が泡を吹くように言葉を紡ぐが・・・。

 ばちんっ。

 見せ付けるようにさらにライフルの柄部分でむき出しのPCをつぶした。
 衝撃で電流がはじけ、一瞬炎が見える。
 男たちはひっと悲鳴を上げ、今度こそ黙りこんだ。
 「データなんざ残しとく必要はねえんだよ。見つかっちまったら後で困るのはてめえらだろうが」
 ノエルはそう言いながらさらに周りのPCを壊しまくる。

 ここはエクステンデットの研究が行われていた研究室の中。
 町工場の中に上手くカモフラージュされていたが、
 このコロニー・ラリッサが出来た当初から人体実験が繰り返されるおぞましい場所だった。
 そして今破壊している機械の中にはこれまでの実験データが蓄積されている。

 ノエルは人体実験を平然と行う目の前の男たちの行為を批判する正義感など持ち合わせていなかった。
 高みへと昇るためならどんな手段も厭わない・・・。
 それは自分も同じだ。
 薬物を投与され、メスで切り刻まれる子供たちを見ても、何の感慨も抱いたことはない。
 むしろこれを足掛けに軍の中枢に入り込めるのなら大歓迎だ。
 エクステンデットの技術・・・特に洗脳に関してはザフトも多大なる興味を示しているのだから。
 ここにノエルが送り込まれたのもそういった考えを持つ一部の高官の差し金だ。
 けれどもその大層な研究も、逆に自分の足を引っ張るとなれば話は別。
 この場所はすでにジュール隊に知れている。
 自分がスパイだったということはとっくにばれているはず。
 証拠探しのために、ここに駆けつけるだろう。
 その前に証拠を消しておかねば、自分の立場は危うい。
 これまで築いてきたものが・・・。

 そこまで思案して、ようやくノエルの動きは止まった。
 
 違う・・・。
 すでに瓦解している。
 カタリナという試験体の少女の暗殺に失敗した時点で、プラントの安全なところにいる上司は自分を切り捨てるだろう。

 「ふっ・・・ふふふふ・・・」
 こみ上げてきたのは怒りでも憎しみでもない。
 自分に対する嘲笑だった。
 「あはははははははっっ!」
 突然笑い出したノエルに、科学者たちはさらに縮こまる。
 この研究施設においてはリーダー的存在だったノエルの変貌に皆どうしたらよいのか分からないのだ。
 それすらノエルはおかしくてたまらなかった。
 命令されなければ何も出来ない無能な連中。
 子供たちの体をいじくり、モルモットにすることすら「命令」であれば躊躇しない。
 しかし自分たちからは何もしないのだ。
 「おい、お前ら」
 笑いやめ、声をかければ皆追い詰められた小動物のような顔でこちらを窺い見る。
 それを見ながらノエルは思った。
 死ねと命令したら・・・こいつらはその通りにするのかな、と。



 ジュール隊がこのコロニーにやってきた時・・・。

 騙し通せる自信が、ノエルにはあった。
 今までだって上手くやってきた。
 それに相手は英雄と祭り上げられているお坊ちゃまだ。
 案外金や権力的地位をちらつかせれば味方に引き込めるかもしれない。

 だが、その期待は見事に打ち砕かれた。
 
 やってきたのは、まるで穢れなど知らないかのような銀髪の麗人。
 すぐにノエルは悟った。
 こいつは、自分とは別の世界の人間だ。
 何より我慢ならなかったのは、独りきりの自分に対し、イザークには仲間に囲まれているということだった。
 しかもそいつらはノエルが思っている以上に優秀な連中ばかりで。
 メイズ、とかいう機械オタクのガキには早々に肝を冷やされた。
 このコロニーでは麻薬売買が内密に行われているというエサで満足させようと思っていたのに、
 あっさりと研究室の場所を掴んでしまったのだから。
 メイズには爆弾を置き土産にし、ついでに気に入らないイザークもまとめて殺すことにした。
 どちらも失敗してしまったが、部下の怪我を知ったときのイザークの顔は今でも忘れない。
 愉快でたまらなかった。
 だからもう少し生かしてやろう。
 彼の大事なものを一つずつ奪ってやろう、と。
 そう思ってしまったのが敗因だった。
 彼に好意を寄せ始めていた被検体の少女。
 自分の顔を覚えていられたら困るということもあったが、殺そうとした一番の理由はイザークを苦しめたいがためだった。
 しかしそれもまたイザークやフェイに阻まれて。
 とっさに逃げ出したのは正解だったはず。
 もはやザフトには戻れない。
 後には引けない。
 そしてこの研究所に駆け込んだのだ。

 ノエルは敗北感にうちのめされていた。
 どうして連中は大人しく死んでくれない。
 どうしてああまで自分と違うのだ。
 苦労などしたことないくせに、あんなに強くて、輝いて。
 悔しかった。

 ―――壊してやりたい。

 今の望みはそれだけだ。
 イザークを、あの綺麗過ぎる青年を苦しめること。
 あの済ました顔が怒りに歪み、苦痛にのたうつのを見てみたい。
 ・・・そうだ。 
 恋人だとかいう黒髪の少女を目の前で殺してやったらどんな顔をするだろう。
 あの可愛いシホを。
 それがいい。

 その時の場面を想像し、ノエルはにたりと笑った。
 もうすぐだ。
 もうすぐイザークたちはここに来る。
 本国からの援軍は間に合わない。
 それでも証拠を消される前にと・・・いや、それ以上に自分への怒りでイザークはここに駆けつけるだろう。
 あいつの気性なら、一人で来るかもしれない。

 「早く、来いよ」

 壊してやる。
 あいつの、全てを。





 ルソーの隊長室では、ノエルの読みどおりイザークが乗り込むための準備を整えていた。
 その様子を入り口でシホと艦長のフェイが見守る。
 22口径の拳銃を軍服に仕込み、腰にはリボルバー。
 銃はこれだけだ。
 「持っていくのはそんなんでいいの?」
 フェイが呆れ気味につぶやくと、イザークがぎろりと鋭い視線を向けた。
 凍るようなそれに、慣れていたはずのシホとフェイは背中に冷たいものを感じる。
 これは怒っているというレベルではない・・・かも。
 「物々しい武装で行ったら目立つだろうが」
 「いまさらじゃん。・・・っていうか、本国の援軍が来るまで待てないの?」
 「そんなもの待ってられるか!」
 ノエルを逃がしはしない。
 いや、ノエルはもちろんだが、人体実験の証拠まで持って行かれるわけにはいかないのだ。
 このコロニーの実体を白日のものにしなければ、連中は再びここで実験を繰り返すだろう。
 そんなことを許すわけには行かない。

 「一人で行く」
 「はあっ!?何言ってんの?」
 「一人で充分だ。お前は艦を守ってろ」
 「馬鹿言うなよ、殺されに行くようなもんだろ。相手は強化人間だぞ」
 向こうがどれだけの武装を携え、どれほどの人数なのかも分からない。
 何をもってこの男は一人で充分だなどと言うのだろう。
 冷静に見えて相当頭に血が上っているようだ。
 「俺は絶対ついていくからな。ノエルの奴ぶん殴らなきゃ気がすまん。あとマニと・・・それから歩兵を何人か・・・」

 「俺は一人でいいと言ったぞ」

 さらに温度を下げた視線と声音。
 フェイは思わず固まってしまった。
 戦時中でさえ、イザークはここまで殺伐としていなかったのに。
 まずい、これは。
 やはり止めなければならない。
 これでは彼が自爆するのは目に見えている。
 しかし、どうやって止める?
 銃においても格闘においても彼にかなう人間はここにはいない。
 静かなにらみ合いの中、口を開いたのはそれまで沈黙を守っていたシホだった。
 「フェイ、出て行って」
 「・・・え、あ」
 「この人と話したいの。あなたは自分の仕事に戻って」
 「・・・」
 しばらくイザークとシホを交互に見つめていたフェイだったが、
 やがて敬礼をすると部屋を出て行く。

 隊長室に、二人が残された。



 「・・・何の用だ」
 先程と変わらぬ冷たい声音。
 しかしシホはものともせずに部屋の奥へと足を運ぶ。
 そしてイザークのベッドに広げられた銃のいくつかを手に取った。
 「シホ!」
 「あなたに用なんかありません」
 「・・・」
 「今のあなたは話す価値があるようには見えませんから」
 「・・・なんだと?」
 「このリボルバーと45口径、お借りしますね。弾はどこですか?」
 「勝手に決めるな、俺は一人で行くといったんだ!!足手まといなんか・・・」
 「悲劇の主人公ぶるのはやめなさい。見苦しいです」
 「・・・なっ!?」
 さらりと言ってのけたシホにイザークは絶句する。
 瞳を見開く彼に、さらにシホは畳み掛けた。
 「悔しいのは自分だけだと思ってるんですか?私たちは何も感じていないと?」
 「そんなことは言っていない」
 「でも思ってる・・・いいえ、忘れていたでしょう」
 「・・・」
 「あなたが一人で突っ込む気なら私だって一人で勝手にやります」
 「命令が聞けないと?」
 「一人で突っ走ろうとしている時点であなたは隊長失格です。命令されるいわれなんかありませんから」
 「・・・」
 イザークが押し黙ると、シホは銃に弾をつめ始める。
 しばらくの間、部屋に沈黙が下りた。
 やがてシホが準備を整え、立ち上がる。
 そして黙りこくっているイザークの脇を通り過ぎた。
 だが。
 ドアの開閉ボタンに手をかけようとしたその時。

 上げた手を、強い力で掴まれた。

 「・・・つぅ」
 痛みに顔を歪める間もなく、荒々しく抱きすくめられ。
 唇を、ふさがれた。
 「ん・・・んぅ」
 噛み付くような、激しいキスだった。
 こんなイザークは知らない。
 いやいやと首を振るシホだが、顎を掴まれ逃れられない。
 二人の体はそのまま床になだれ込んだ。
 それでもイザークはシホを逃さない。
 彼女が抵抗しなくなるまで強く唇を吸い続け、服越しに四肢を絡ませた。
 そしてようやく顔を離したとき。
 二人の息はすっかり上がっていた。
 
 「イ・・・ザ・・・」
 「馬鹿が」
 「・・・」
 「お前は、早死にするな」
 「じゃあ、あなたが守ってよ」
 「言われなくても・・・」
 再び、キスをする。
 今度は触れるだけの。

 
 彼女は止めない。
 今までと同じ、彼の後ろを付いていくだけ。


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