セイレーン・セイレーン 09

最善の終わり



 キキは星を眺めるのはあまり好きではなかった。
 ・・・別に嫌いというわけでもない。
 ただキキにとって星とは常にそばにあるもので、意識して観察するものではなかった。
 
 『AP-03、収納完了しました』

 通信機からの声に、キキは意識を引き戻す。
 機密を積んだシャトルの最後の一つをプラントからの派遣艦に収納し終えた。
 今日の仕事は終わりだ。
 そして。
 このコロニー・ラリッサでの最後の仕事が終わったということでもある。

 「APシリーズは全て移譲完了しました。ケーブルを回収します」
 『了解しました。ご苦労様です』
 「・・・ありがとう」
 気遣う女性の声に、少し心が和らぐ。
 きっと心の優しい人が通信席に座っているのだろう。
 そうこうしているうちにキキのゲイツに装備していたケーブルが全て巻き戻り、
 今度こそ本当にキキの任務は完了した。

 「任務完了。ジュール隊ウォーターハウス機、これよりルソーへ帰還します」


 ルソーへと機体を返そうとして、キキはふと手を止めた。
 コクピットハッチを開く。
 溢れるような星が視界に広がった。
 あの艦がその星の洪水の中へと突き進んで行く。
 その先にあるのはプラントだ。
 ・・・自分たちの故郷。
 「連れて行って、やりたかったな」
 キキは別れを告げることもかなわなかった少女へと思いをはせる。
 コクピットの隅にオレンジのリボンとともに結び付けられているのは、プラチナに輝く一房の髪。
 ・・・カタリナの髪だった。
 彼女を「回収」したレイという金髪の青年が、無言でキキに手渡してくれたものだった。
 彼もまたカタリナに良くしてくれたらしく、これも無情面な彼なりの心遣いなんだろうとディアッカが言っていた。
 キキはカタリナの遺髪を手に取り、それをかざした。
 星の弱い光に照らされ、それは青みや緑みを帯びた不思議な銀色に輝く。
 とても綺麗だった。

 カタリナの身体はすでにプラント本国へ送られている。
 おそらく実験と称して解剖が行われるのだろう。
 不条理でも、仕方のないことだとキキは諦めに近い納得をしていた。
 あの施設に閉じ込められていたエクステンデットたちは、瓦礫に押しつぶされてカタリナ同様皆死んでしまった。
 けれど、彼らのような犠牲者はこれからも後を絶たないだろう。
 カタリナの身体は同じ境遇の子供たちのためにも必要なのだ。
 だから・・・。

 キキは髪をつかんでいた手を星空へと伸ばす。
 そして、ためらうことなくそれを放した。
 リボンをひらひらとなびかせ、カタリナの髪は星空を泳ぐ。

 「・・・さよなら」




 病室に入るなり、シホは盛大に眉を寄せて口をへの字に曲げた。
 腰に手を当て、大股でベッドにへと歩み寄る。
 ベッドに座っていた彼女の上官はといえば、いたずらを見咎められた子供のように気まずく視線をそらした。
 患者服をまとっているにもかかわらず、その両手にはダンベルがあったりする。

 「・・・ジュール隊長、何をなさっているんですか?」
 一応、シホは怒鳴らずに抑えた声で聞いてみた。
 そんなシホに対し、イザークはむすっとした顔をする。
 そして開き直ったとばかりに正直に答えた。
 「筋力トレーニング」
 「絶対安静だと先日医師に言われたばかりでは?」
 「じっとしてられないんだ」
 「早く治りたいのなら、トレーニングでなく食事を残さない方が懸命です」
 シホは備え付けの小テーブルに置かれたプレートを指差す。
 出血多量でここに運び込まれたイザークのために用意されたその食事は、半分以上が残されていた。
 「・・・別に、早く治りたいわけじゃない」
 「イザーク」
 「何かしていたいんだ・・・ほうっておけ」
 「・・・」
 シホはうつむく。
 イザークは、いつものように無理をして職場に帰りたがっていた。
 しかしそれは考えることを放棄するためだとシホはじめ彼の部下たちは気づいている。

 結局、今回イザークたちが得たものは何もなかった。
 それどころかそれぞれが傷を負い、失うばかりだった。

 「イザーク、カタリナのことは・・・あなたのせいじゃ・・・」
 「黙れ!!」
 相手の言葉を遮るように、イザークは一喝した。
 目尻を吊り上げたアイスブルーに、シホはびくりと肩を震わせる。
 そして消え入りそうな声でごめんなさい、とつぶやいた。

 
 カタリナは、死んだ。
 イザークは飛び込んできたフェイとシホに何とか助け出されたものの、
 地下に閉じ込められていたエクステンデットたちは助けられず全員死亡した。
 イザークが目を覚まして最初に見たものは、動かなくなったカタリナと、搬送されていく彼女を見送る呆然とした表情のキキ。
 結局、自分は何一つできなかったのだ。
 それがイザークの心に大きな影を落としている。


 しばらくの沈黙のあと、イザークはふうっと長い息を吐いた。
 「怒鳴って悪かった」
 「はい」
 「・・・こっちにこい」
 「・・・」
 一瞬戸惑ったシホだが、彼の軍服の上着を手にとると肩にかけてやった。
 そのまま彼の横に座れば、ごろんとイザークの頭がシホの肩に寄せられる。
 ありがとうも、ごめんもない。
 イザークは、そうやって無言でシホに甘える。
 仕方のない人だと感じると同時に、甘える相手が自分だということにシホも安心する。

 きっとどちらかがいなくなる時まで。





 ドアの前で報告書の確認をしていたフェイは、現れたイザークに眉をひそめた。
 「来なくていいって言っただろ」
 「うるさい」
 にべなく言い返した上司にフェイは肩をすくめる。
 本来なら彼はまだ絶対安静なはずだった。
 周囲の反対を押し切ってここに来たということは勘ぐるまでもない。
 「今回のことを報告するだけだろ。それにあの司令長官の小言を聞いてたら、お前の具合もっと悪くなるぜ」
 「・・・ここで欠席したら、あとでどんなしっぺ返しがくるか分からん」
 「そりゃそうかもしれないけど」

 例の事件が解決してから50時間ほど経っている。
 今回の任務はジュール隊が先遣隊、散々待たせて後から来た援軍が本隊ということになっているらしい。
 そしてその本隊を率いているのが、イザークとは前々からそりが合わない軍長官だった。
 
 「・・・こりゃ手柄横取りされるのは間違いないな」
 「手柄といえるものがあったか?」
 「・・・」
 フェイは口を開きかけ、しかし結局押し黙った。
 収穫なら、あった。
 このコロニー・ラリッサの所有国である「セダン」が連合に繋がっていたという証拠、
 そしてその指導の下に強化人間の研究が行われていた証拠はキキが集めたデータに入っている。
 生きた者はいなかったといえ、強化人間のサンプルも手に入れたわけだから、セダンは言い訳できないだろう。
 連合に対しても今後の交渉のカードにできる。
 だが、それだけだ。
 「救えたものは、あったはずなんだ」
 憐れなエクステンデットたちも。
 研究員たちも。
 ノエルも。
 カタリナも・・・。


 「ジュール隊長。君の任務はこのコロニーで行われている強化人間の研究について、調査することだったはずだが」
 「・・・は」
 ほらきたぞ、とフェイはこっそりため息をついた。
 「研究室は爆発で半壊、研究員・実験体が全て死亡とは・・・これは一体どういうことかね?」
 「ノエル・リーマンが間諜だったことを特定できなかった自分のミスです」
 「リーマンは本当に間諜だったのか?」
 「間違いありません。彼が研究員を殺害し、研究施設を破壊しました」
 「・・・だがその彼も死亡、か」
 長官の細い目がさらに細められる。
 フェイはこの男が大嫌いだった。
 「随分と都合がいいな。これで死人に罪をなすり付けられる」
 「・・・!」
 思わず身を乗り出したフェイを制したのはイザークだった。
 袖を掴む彼の手のひらがいやに熱い。
 イザークはちらりとフェイに視線を向けた後、また長官へと向き直る。
 「長官、自分たちが報告できることは以上です・・・」
 「ふむ。しかしジュール隊長、このままでは君は査問委員会に出席することになるな」
 「・・・ッ、お言葉ですがッッ」
 「フェイ」
 イザークの制止を無視し、フェイは口を開く。
 それを見ていた長官の口元が嘲笑に歪んだ。
 ・・・この野郎!
 「我々は初めから今回の任務を聞かされていたわけではありません。詳細な情報があったならもっと・・・」
 「言い訳を聞くつもりはない」
 「言い訳も何も、我々は初めは麻薬の調査だと・・・!」
 「フォルミュラー艦長、やめるんだ」
 静かではあったが苛立ちを含んだイザークの声に、フェイはかろうじて次の言葉を押さえ込んだ。
 
 「処分は追って支持する。それまでジュール隊は私の監視下に置かれるからそのつもりでいたまえ」
 


 「これってもしかして、ジュール隊解散の危機ってやつなんじゃないの?」
 「かもな」
 「〜〜〜ッッ、かもな、じゃねーっつの!どうしてそんな投げやりなの、あんたは!?」
 「騒ぐな。うるさい」
 ルソーへと戻った二人はシホたち隊員の待つ部屋へ向かっていた。
 イザークは不気味なほど静かで、逆にそれがフェイの神経を逆立てる。
 「あのねイザーク、お前あの糸目長官の話聞いてた?変な疑いかけられてる・・・じゃなくて、はめられてるんだぜ」
 「・・・」
 「このまま査問に送られるようなことになったら、
 不利な証拠ばっかり集められてお前こそが間諜にされかねない・・・って、聞いてんのかよ!!?」
 「・・・」
 無言のイザークの肩にフェイが手を置く。
 そのまま掴んで振り向かせようとしたが・・・。
 「・・・って、あれ!?」
 フェイが力を入れる直前に、かくんとイザークのひざが落ちた。
 そのまま倒れこみそうになった彼をフェイは慌てて支える。
 「な、なになに?どうしたんだ!?」
 突然のことに驚きながら、フェイは何とかイザークの体が床に沈むのを阻止した。
 「イザーク!?」
 「・・・暑い」
 「は?」
 「・・・あつい」
 「暑いって、熱あるってこと?だから、どうしてお前はそう無理を・・・」
 「黙れ。そして早く肩を貸せ」
 「・・・はいはい。それにしてもお前、よく熱出すね」
 フェイは大きく息を吐く。
 じたばたしても、確かに意味はない。
 今必要なのは、この無茶が好きな上司の体を気遣うこと。

 怪我による発熱だということは分かりきっている。
 が、「案外知恵熱だったりして?」というフェイの言葉に、イザークは彼の腕を軽くつねった。





 「どうもお疲れ様でーす!」

 「・・・」
 「・・・」
 「・・・」

 全く疲れていない様子で隊長室に飛び込んできたのはメイズだった。
 病院で順調に回復し、事件が収束すると同時に元気に退院した彼は、
 今までの分を取り戻すかのように通常の事務に加え事件の後処理を精力的にこなしている。
 一方、報告を終えて隊長室にいたイザーク、シホ、フェイの三人は、例の軍長官の態度に気分が沈んでいた。
 「あれ?元気ありませんね」
 「お前はげんきはつらつだね・・・うらやましいよ」
 「そろって何やってたんです?」
 「ジュール隊長は熱でぐでんぐでんになってて、シホはその看病、俺はオマケ」
 「へー、大変ですね」
 いつものフェイの皮肉に気付いているのかいないのか、メイズはさらりと流す。
 そんな二人のやり取りにシホは無視を決め込み、
 『ぐでんぐでんになっている』イザークも口を開く気力すらなく貝になることにした。
 
 「・・・で?なんか用?」
 「艦長にはありません。隊長に・・・」
 「だから、あんなになってるんだってば」
 フェイは親指でくいっと自分たちの隊長を指差す。
 ちなみにイザークはソファーの上で仰向けになり、シホに膝枕してもらっていた。
 シホとの仲は公認といっても、あまりこういう場面を他人に見せたがらないイザークだ。
 こちらの話は聞いているようだが、額に乗せた保冷剤を動かす気配すらないことに、メイズもイザークが重症だということを認識したようだった。
 「じゃあ、艦長でいいや」
 「・・・」
 取ってつけたような言い方だが、他ならぬ自分が自分を『オマケ』といった直後だったため、フェイはただ黙って言葉の先を促した。
 
 「じゃーんっ!見てくださいよ、これ。デュランダル議長直々のお手紙!」
 「な、なんだって?」
 フェイは椅子からずり落ちかけ、声を上ずらせる。
 シホも身を乗り出し、さすがのイザークも体を起こそうとしていた。
 「正確には、レイ・ザ・バレル経由できた議長のメールをプリントアウトしたんですけど」
 「ちょっ・・・、よこせ!」
 メイズが指し示した紙を、フェイが荒々しくひったくる。
 日時はちょうどイザークとフェイが報告書を提出しに長官の艦を訪れていた時だった。
 今回の任務に対するジュール隊へのねぎらいと賞賛、相応の見返りはするという内容だ。
 「新しい配属先・・・ゴンドワナ?」
 「ほら、今建設中の大型宇宙空母ですよ」
 「あー、そういえば・・・」
 「それって・・・ものすごい出世じゃない?」
 伺うように言うシホに、イザークは黙り込んだままだった。
 別に貝を貫いているわけではなく、この状況に頭がついていかないだけなのだが。
 「なあ、これって本物だろうな?」
 イザークの同様素直に受け入れられないフェイが、不審げにメイズをにらむ。
 それはそうだろう。
 査問委員会行きだったはずが、一転して新型空母配属の上級隊だ。
 「なんです、疑うんですか?」
 「っつーか、どうしてあのレイ君がここにメールなんか」
 「ああ、爆発騒ぎの後の電波障害はとっくに解決してますよ」
 「知ってるよ」
 「あの人、優秀なのに全然気取ったところがなくていいですよね。まめに報告くれますし・・・」
 「・・・」
 「・・・」
 「・・・ソウダッタッケ?」
 「あのエクステンデットの女の子を引き取りに来た時、キキが回収したデータをダイレクトで議長に送ってましたよ。
 さすが赤だけあって仕事が早・・・」
 「ストップ!!」
 「うごっ」
 上機嫌でまくし立てるメイズの顎を、フェイが鷲掴んで上向かせた。
 突然のそれにメイズは目を丸くして天井を仰ぐ。
 「ななななな・・・何それ!?バレルにデータ渡したぁ・・・?
 お、俺はそんなの聞いてねぇぞ!!」
 「俺も」
 「私も」
 「うご・・・ぅ・・・っ、何すんですか、艦長!」
 「メイズ、どういうことだよ!?」
 「どういうことも何も、あの人が今回の指令を持ってきたんでしょ。
 あの人にデータ渡すのが道理じゃないですか」
 「イザークや俺の許可無しに勝手に決めんな!!糸目に嘘の報告したことになるじゃねぇかぁぁああーー」
 「そう?結果オーライのような気がするけど」
 「・・・はあ?何で?」
 意外にもメイズの援護射撃をしたのはシホだった。
 「だって、あの長官は私たちのしてきたことを不味い部分だけ押し付けて、逆に手柄は自分のものにしようとしたんでしょ。
 でも報告書を細工される前に議長にダイレクトに伝わっているわけだから・・・」
 「そうそう。だからこその、これですよ!」
 メイズがあのプリントアウトされたメール文書をひらつかせる。
 そこでようやくフェイも肩の力を抜いた。
 とりあえず査問だけは回避されるような気配だ。
 逆にあの長官は、手柄を得るつもりが虚偽の報告の言い訳に四苦八苦することになるだろう。
 今の議長は抜け目がないようだから弱みを握られる形になるかもしれない。
 自業自得といえばそうだが、気の毒な気もした。

 「あの金髪君に感謝した方がいいのかね。・・・なあ、イザーク?」
 「・・・」
 「イザークさん?」
 「・・・」
 「おい、まだ貝になってんの?」
 一度は起き上がろうとしていたイザークは、今度はシホの膝に突っ伏して微動だにしない。
 無視されていると思って口をへの字に曲げたフェイに対し、メイズが「隊長寝てるの?」とジェスチャーでシホに尋ねた。
 が、シホは苦笑しながら首を振る。
 「怒涛の展開に、目を回したみたい」

 発熱を起こしている頭では、処理しきれなかった・・・らしい。

 「かっこわるぅ・・・」

 



 ルソーは当初の予定を大幅に遅らせながらも、無事本国に帰艦した。

 「ともあれ、全員無事だったことはなによりだよ、な」
 ぎこちないディアッカの言葉に応えたものは・・・誰もいなかった。
 それでもディアッカは軽く肩をすくめただけで、足りないブリッジの補助に戻る。
 再会するなり問答無言で殴ってきた隊長の仕打ちに比べれば、フェイたちの存在感ゼロ扱いなど大したことではないのだろう。
 ちなみに頬が赤く腫れねばならない理由は分からないし、分かりたくもないらしい。

 「にしても、この艦は厄災続きだなぁ・・・」
 「え、どうしてですか?」
 「だって、二度も爆弾仕掛けられただろう。普通ないぜ、こんなこと」
 「その二度も死人無しで失敗に終わったんだから、幸運の艦なんじゃないですか」
 「・・・そんなもんかね」
 その爆弾で唯一負傷したメイズがけろりと言ってのけるものだから、フェイも物は言い様なのかもしれないと思った。
 フェイとメイズのやり取りを聞きながら、通信席のマックスとその傍らに立つマニも微笑を浮かべている。
 二人は仕掛けられていた爆弾を解除した、いわばこの艦の恩人だ。
 ・・・まあ、マニはただ突っ立っていただけのようだが。
 それにしても、この二人は最近やたらに仲がいい気がする。
 メイズの笑みがここにいない誰かさん並みに黒さを帯びているので、ほどほどにしてもらいたいのだが・・・。
 
 「ディアッカ、隊長はどうしたの?」

 後ろからの声に、まさにその持ち主のことを考えていたフェイはぎょっとする。
 「キキ!・・・いたのか」
 「ねえ、隊長は?」
 キキはフェイを完全に無視するが、逆にフェイはほっとしていた。
 カタリナの一件以来、彼がすっかりおとなしくなってしまったので心配していたのだ。
 やはりキキは「隊長、隊長」と多少うるさいくらいが似合っている。
 「もう艦降りちゃったの?」
 「ああ。レイが呼びに来て、シホと一緒に」
 「レイー?」
 キキの声が不機嫌を帯びる。
 てっきり「シホと一緒」に反応するのかと思ったのだが・・・。
 「何しに?」
 「知らねぇよ。でもレイ君が出てきたってことは・・・」
 「議長絡み?」
 「艦長、言葉に気をつけてください」
 「うげー、また厄介な仕事請け負わないだろうな」
 こんな難儀な極秘指令はもうこれっきりにしてもらいたい。
 命がいくつあっても足りないと肩を落とせば、唯一その苦難を知らないディアッカだけが首を傾げる。
 ・・・確かにこの平和そうな面を見たら、一発くらい殴りたくなるものなのかもしれないとフェイは思った。



 ブリッジを出たキキは、ぶらぶらと艦内を歩き回っていた。
 コロニー・ラリッサでのめまぐるしく変わっていたあの時が嘘のようで、プラントに到着した現在は暇でしょうがない。
 今回ラリッサに赴いたクルーには、イザークが半休暇に近いシフトを組んだためだ。
 だがその隊長の温情も、今のキキには全くありがたくなかった。
 あまり考え事をしたくないのだ。
 誰かと話して気を紛らわせたくとも、皆キキを腫れ物のように扱うのでなおのこと気が重くなる。
 「・・・はあ」
 艦内を三周したところで、大きなため息を吐き出した。
 ・・・部屋に帰ろう。

 その時。
 ポケットに入れていた携帯が着信を告げた。
 キキはぼんやりしたまま、無意識にそれを取り出す。
 ディスプレイの文字は・・・。
 「シホ?」
 イザークと一緒に艦を出たはずだが・・・。
 「もしもし?」
 『キキ?シホよ。今どこにいるの?』
 「艦の中に決まってるじゃん」
 『今ジュール隊長と一緒にいるの。港のC-A区にある貴賓室よ』
 「きひんしつ?」

 きひん 【貴賓】 名誉・地位のある客人の意。

 ・・・つまり、ものすごく偉い人のために用意される部屋。
 イザークはプラントにとっては英雄だが、あくまで一軍人なのだから、
 この場合の貴賓とは政治家と考えるのが妥当だろう。
 ということは、また危険な極秘任務受領かというフェイの心配が現実になったのかと、キキは不安になる。
 キキだって、今回のような思いをするのは絶対に嫌だった。
 「ねえシホ、それって・・・」
 『待ってるから!早く来てね!!』
 「え?ちょっとま・・・ッッ、・・・切れた」
 キキは不通となった携帯を、まるで奇妙なものでも見るように睨んだ。
 ・・・「来てね!!」とはなんだ、「来てね!!」とは。
 明らかにシホのキャラじゃないだろう。
 いつものような年上ぶった口調でも、それはそれで腹が立つけれど。
 何やらはしゃいでるようだったが、極秘任務の発令者からご褒美でも賜ったのかもしれない。
 それにしても・・・。

 「どうして僕が行かなきゃいけないの?」



 
 艦を降りて、徒歩でC-A地区に向かった。
 さてどこのビルだろう、シホのやつそこまで説明しておけよと見回せば、
 外に出ていたそのシホの姿を苦もなく発見する。
 あのハイテンションな電話の後、ずっと自分を待っていてくれたのだろうか。
 ・・・ますますキャラじゃない。
 するとこちらに気付いたシホが手を振ってきた。
 「キキ!こっちよ!」
 「・・・」
 何なんだろう。
 これ以上彼女の態度について考えを巡らすのは正直怖かったので、
 キキは敢えて無心で近づいた・・・のだが。

 がばっ。

 「・・・へ?」
 がば?
 何だか自分、シホに抱きつかれていないか?
 「ああああああ、あの?」
 「良かったわね、キキ!本当に良かった!」
 「あ?な・・・なに?」
 一方的に抱きつかれ目を白黒させるキキに対し、シホはさらに腕に力をこめる。
 キキはあまりのことに振り払うことすらできない。
 というか、腕に胸が当たっていることにようやく気付き、一気に頬に血が集まった。
 思っていたより大きくて柔らかい・・・じゃなくて!
 「何、何なの?どうなってんの?」
 何がどうなって自分とシホが抱き合って・・・いやいや、自分が一方的に抱きつかれているのだ。
 いい気がしないとまで言うつもりはないが。

 「訳わかんないよ・・・ッ」
 「そうだぞ」
 「ぐえっ!・・・たいちょお?」
 いつからそこにいたのか、イザークがシホとは対照的に機嫌の悪そうな顔をして立っていた。
 キキの襟首を後ろから掴み、シホの体から難なく引き剥がす。
 「ちょ・・・っ、隊長?」
 「黙れ。貴様が抱きつくのはあいつじゃないだろうが」
 「い、言いがかりですよ!シホの方から・・・!」
 「言い訳は聞かん」
 「・・・」
 あんまりだ。
 イザークはそのまま問答無用でキキを目の前にあったビルの中へと連れ込む。
 やはりシホは生涯の敵なのだと、改めて認識したキキだった。
 
 すれ違う兵士たちが何事かと振り返るが、イザークは気にする様子もない。
 さすがにふてくされたキキも、なるようになれと黙って引きずられた。
 シホはというと、何が嬉しいのか相変わらずにこにこしている。
 ・・・むかついた。

 エレベーターで最上階に到着し、長い回廊を抜けると、そこは一階とは違って静かだった。
 携帯でシホが言っていた「貴賓室」に向かっているのだということを感じ取り、さすがのキキも落ち着かなくなる。
 自分は誰に会わせられるのだろう。
 エレベーターから一番離れた奥の部屋。
 そこでようやくイザークの足は止まり、キキは数分ぶりに直立することができた。
 「ここだ」
 「はあ・・・」
 部屋のドアは開かれていた。
 中に誰がいるのか認識する間もなく。
 どんっ、と背中を押されて部屋に押し込まれる。
 「ほら!お前が抱きつく相手はあっち」
 「おわっ!」
 キキの体は勢いを抑えきれず、床に手を付いた。

 「・・・」
 まず視界に飛び込んできたのは自転車のタイヤのようなものだった。
 いや、少し違和感がある。
 これは何だか・・・そう、あれだ。
 車椅子。
 ゆっくりと、顔を上げた。
 やはりキキの目の前にあったのは車椅子で、そこには少女が座っていた。
 こちらを見つめる大きな瞳とかち合う。
 部屋に入るなり床に伏したキキに驚いているのか、それはぱちぱちと瞬きを繰り返していた。
 目の色と、髪の色と、少しぼんやりした表情。
 それらを認め・・・。
 キキは、がばっ、と勢いよく立ち上がった。

 「カタリナ!!?」

 「うん。カタリナだよ」
 にこり、と。
 首を傾げて笑う。
 「う、うん、じゃなくて・・・!どうしてこんな、ところ・・・ッ」

 思わず舌が絡まってしまった。
 数日前の、あの暗いコンピュータールームでの記憶が蘇る。
 幻影だ・・・ここにカタリナがいるはずがない。
 残酷なことにこの幻影は、自分の問いに対してあの時の彼女と全く同じ返事をするのだ。
 「キキ、どうしたの?泣いてるの?どこか、いたい?」
 「え・・・ううん」
 「よかったぁ」
 「・・・」
 笑った顔まで、同じ・・・。

 「カタリナが死んだと思っていたそうだな」
 キキの混乱する頭に割り込んできたのは、腹が立つほど静かな声だった。
 ぼんやりと顔を向ければ、見知った金髪の青年が立ってこちらを見下ろしている。
 「レイ?」
 レイ・ザ・バレルだった。
 「彼女はこの通り、生きてる」
 「い・・・きてって・・・!?」
 「まあ確かに一時期心肺機能が停止したがな。・・・だがプラントの技術をもってすれば・・・」
 「ちょ、ちょっと待て!」
 キキは慌てて立ち上がり、レイにつかみかかった。
 「何で!?た、確かにカタリナは・・・」
 「確かに何だ?」
 「ど、どんどん冷たくなって・・・ッ!お前だって僕にカタリナの髪くれたろ!!」
 「別れるのが名残惜しそうだったからな。迷惑だったか?」
 「あったりまえだ!紛らわしいことするな!!」
 「お前が勝手に勘違いしていただけだろう。彼女が死んだなんて俺は一言も言ってない」
 「ぼ、僕の涙は!?僕のあの数日間は何!?」
 「気にするな。俺は気にしない」
 「気にするわぁ!!!」

 「キキとレイ、楽しそうだね」
 言い合う二人を見てのカタリナの感想に、シホはそうね、と相槌を打った。
 一方のイザークは、カタリナとの感動の再会をおざなりしてレイに掴みかかっているキキに苦笑いする。
 キキの奴、抱きつく相手はカタリナだと言っているのに。
 まあ混乱しているのはもちろん、照れ隠しもあるだろうが。
 「カタリナ、イザークとキキに会いたかったよ。どうして来てくれなかったの?」
 「ん?・・・仕事が忙しくてな。さびしかったか?」
 「レイがいてくれたからさびしくなかった」
 「そ、そうか」
 「良かったじゃない」
 「またイザークたちのお船に行きたい」
 「え?・・・あ〜」
 「そうね。フェイたちもカタリナに会いたいっていってたわ」
 シホが笑顔で答えながら、イザークをひじで小突く。
 しっかりしろ、ということだろう。
 ラリッサではカタリナと少し口をきくだけでへそを曲げてしまったというのに・・・どういう心境の変化なのか。
 やはり女というものはよく分からない。
 
 視線を戻せば、キキの怒鳴り声は続いていた。
 付き合っているレイは、冷たそうに見えて案外人がいいのかもしれない。
 まあキキのあの反応は無理なからぬことだ。
 イザークだって、この部屋でカタリナを見たときは腰を抜かすかと思った。
 シホが止めなかったら、レイを締め上げていたことは間違いない。
 死んだものと信じ込んでいた。
 実際彼女が回復する見込みはほとんどなく、レイが引き取りに来た時は心臓も数分間止まっていたそうだ。
 キキに渡した彼女の髪は、本当に遺髪のつもりだったのだろう。
 本国から派遣された医療チームの手当てで息を吹き返したカタリナは、その後奇跡的な回復を遂げた。
 あの施設の中で唯一生きたまま保護できた強化人間のサンプルということで、彼女はそれなりに丁寧に扱われたようだ。
 レイは何も言わないが、彼の手心もあったはずだ。
 ここに運ばれてイザークに引き合わされたのも、彼女に対する機密の程度が薄れたからだといえる。
 プラントに到着した当初は絶望一色に染まっていただけに、この事態は嬉しい限りだった。
 
 犠牲が、何もないわけではなかったが。




 「・・・で、本当に妹にするわけですね」
 「その研究機関とやらは保護者が必要だといっている。キキじゃまだ無理だしな」
 「エザリア様のお屋敷に?」
 「さっき連絡した。母上は世話する気満々だ。キキもセットで」
 「いきなり子供が二人も増えるんですか。お母様、目を回してしまいますよ」
 「心配するな。そんなに柔な人じゃない・・・それに」
 「はい?」
 「お前も嬉しいだろう?未来の弟と妹だ」


 
 カタリナは、もう二度と自分の足で立つことはできない。
 右腕にも麻痺があり、回復はやはり見込めない。
 さらに根本的な治療法が見つからない限りは例の薬物を投与してでしか生命を維持できず、
 死と隣り合わせだという状況はラリッサのときと同じ。
 それでも。
 たとえ僅かでも、ひとときでも。
 自分たちが彼女に与えることができるものがある。
 




 ジュール邸の広い中庭を、キキが押す車椅子が駆ける。
 それに乗るカタリナは、もっと早くとはしゃいだ。

 そこには笑顔があって。
 幸せがあった。
 確実に。
 揺るぎなく。

 見守るイザークが、傍らにいるシホの手を握る。
 自分たちはまたいつか戦場に戻り、この小さな幸せを守るために戦うだろう。

 愛しい人と。
 愛しい日々と。
 愛しい世界へ。


 ここに在る意味は、今はまだそれだけでいい。




top

2006/08/10再