パペット





 ルナマリアの指は綺麗だ。
 爪の形も良い。
 きっと爪やすりをかけて、丁寧に整えているのだろう。
 彼女の妹のようにマニキュアを塗って、今流行りのデコレーションをしたりすればきっと似合う。
 でも彼女の爪は決して長いとは言えなくて、飾りっけもなかった。
 そのしなりと伸びた指先は糸を通した針を持ち、シンのブレザーの上を滑らかに行き交っていた。
 
 器用なものだと思う。
 ルナマリアは活発でスポーツが好きな典型的行動派少女だ。
 だからシンは、彼女が裁縫を得意とするなんて知らなかった。
 彼女の指の動きは全く迷いがない。
 無理矢理引き千切られたシンのブレザーのボタンを次々と縫いつけていく。
 そうこうしているうちに、二つ目のボタンが縫い終わった。
 くるくると針を回して玉を結び、端をハサミでぱちんと切る。
 何がどうなっているのか分からないが、ボタンは綺麗に縫いつけられたようだ。
 「ルナは器用だねぇ」
 「そう?」
 ルナマリアはシンの賛辞に対して喜んだ様子もなく、最後のボタンをつまんで糸を通し始めた。
 再びブレザーにせわしなく綺麗な指が行き来する。
 「もうやめなさいよ、喧嘩なんて」
 ルナマリアの視線は針と糸に向けられたままだ。
 睨まれているわけでもないのにシンは思わず視線をそらしてしまう。
 「したくてしてるわけじゃないよ」
 「この間もボタン縫いしてあげたばかりじゃない。今日は三つ全部飛ばしちゃって…」
 もう予備のボタンはないんじゃないの、と彼女はぼやく。
 その通りだ。
 次からはクラスメートの誰かか、あるいは部活の友達に譲ってもらう事態になるだろう。
 「しょうがないだろ。あっちからふっかけてくるんだもの」
 「それにいちいち応えてる方も問題よ」
 「舐められたまま引き下がれない」
 「シン、あんたは特待生なのよ。そのうち先生方も見て見ぬふりできなくなるわ」
 「…うるさいなぁ、ルナは」
 彼女は親切で言ってくれていると分かっている。
 でも結局自分の口から出てくるのは悪態ばかりだ。
 ルナマリアが黙り込んだ。
 シンは早くなる鼓動を感じながら、彼女の方へと視線を戻す。
 ブルーバイオレットの瞳は相変わらず手元に向けられたまま。
 「…ごめん」
 短く謝った。
 彼女はそれには応えず指を動かし続けている。
 シンも再びその様子に見入った。
 くるくる。
 また針が回り、糸が玉結びになる。
 ルナマリアはハサミを手に取ると、最後のボタンの糸を切ろうとした。
 
 ぱちん。

 音がする。
 同時にシンは彼女の手をハサミごとぐっ、と掴んだ。
 「なに…」
 ルナマリアの驚いた瞳を良く見たい。
 けれども勢いのままに身体を近づけたせいで、すぐに視界がぼやけた。
 唇が触れ合う。
 子供の戯れのようなキス。
 シンはもっと濃厚なやり方を知っているが、この学園マドンナは案外奥手だったりした。
 何せ初めてのキスの時は息を止めてがちがちに固まっていたのだから。
 今だってこれまでの先輩風はどこへやら、目をぱちくりさせて体を強張らせている。
 シンは唇の端を上げた。
 「喧嘩して良いこともある。…ルナがボタンつけてくれるから」
 「あたしはあんたのお母さんじゃないわよ」
 「当たり前だろ」
 シンはルナマリアの手からブレザーを取ると、広げて手を通した。
 「お母さんにキスしようなんて思わないもの」
 ルナマリアの頬が紅潮する。
 その顔を視界の端に捕えながら、シンはボタンを止めていく。
 と、ルナマリアが椅子から勢いよく立ち上がった。
 やばい、怒ったか?と思った時にはもう目の前に彼女の顔がある。
 …相変わらず怒った顔も可愛い。
 「調子に乗ってるんじゃないわよ」
 彼女の白くて綺麗な指は、今度はシンのネクタイを掴んでいた。
 これはマジに険悪な雰囲気だ。
 謝った方がいいだろうか。
 そんなことを思った時、ぐいっとネクタイが前に引かれた。 
 あれ?
 訳の分からないままに、彼女の顔が近づく。

 本日二度目のキス。
 唇と一緒に前歯がかつんとぶつかった。
 




 
2010/09/26


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