ライトアップ



 そのプラントへと降り立った途端、イザークとシホは背中を丸め、絶句した。
 「寒・・・っ」
 気のせいではない。
 とにかく猛烈に寒い。
 二人とも決して薄着ではなかったのだが、
 クーラーをがんがんきかせた部屋にいるようで指先がじんと冷えた。

 「なんなんだこのプラントは・・・空調管理がちゃんと出来ていないのか?」
 イザークが震えながら言うと、シホも頷く。
 「ウェザーシステムが故障でもしてるんでしょうか・・・」
 両手で己を抱きながらエアポートを出る・・・が、外の空気はさらに冷たかった。
 肌が刺されるようだ。
 「・・・ッ、一体どうなってるんだ?」
 「ここの人たち皆厚着してますね・・・。やっぱりシステムの故障かもしれません」
 言われてみればなるほど、行きかう人々は皆コートを羽織りマフラーを巻いて完全防備だ。
 それを認めたイザークが忌々しげに吐き捨てる。
 「くそう、どれもこれもフェイのせいだ!」
 その理屈はどうかと思うが。
 「さっさと奴の言う『買い物』とやらを終わらせて帰るぞ」
 「え?は、はい」


 その『買い物』の目的は、あるディスクを受け取ることだった。
 イザークの部下であるフェイ・フォルミュラーからの依頼だ。
 受け取り場所は今シホたちが降り立ったばかりのプラント。
 指定された店に行ってフェイの名前を出せばディスクが手に入るという。
 そのディスクの内容をしつこく聞いたイザークに対し、フェイは適当なことを言って結局明かさなかった。
 ただ一言、イザークとシホでないと頼めない、と。
 
 生憎イザークはフェイに借りがあった。
 従兄弟である元議長アイリーン・カナーバと仲の悪いフェイだなのだが、
 終戦直後の微妙な立場のイザークの処遇に関して彼女を説得してくれたことがある。
 彼がいなかったらイザークは軍復帰どころか一生軟禁ということもありえたのだ。
 普段不遜に振舞っているものの、いざ彼の頼みとなれば無碍にはできないイザークだった。
 さらに指定の日というのが休日と重なったこともあって引き受けたのだが・・・。

 なんだったんだろう。
 タクシーを待ちながら、シホは出掛ける直前、フェイにこっそり耳元で言われたことが頭に引っかかっていた。

 「日暮れまで粘れよ」

 粘る・・・?
 何を? 
 
 
 
 指定された店。
 それは花屋だった。
 間違いではないだろうかと思わず地図と店の看板を確認してしまった。
 「この店、だな」
 「この店、ですね」
 しばらくその前で立ち尽くす。
 すると店員らしい男が中から出て来た。
 いらっしゃいませ、と愛想よく挨拶する若い男にどうしたものかと顔を見合わせる。
 いきなりフェイの名前やディスクのことを切り出して大丈夫だろうか。
 ところが、若い男は二人の様子を見てすぐに何をしにきたのか分かったらしい。
 ちょっと待って、と言うと、店の奥へ引っ込み、そしてすぐに戻ってきた。
 「どうぞ」
 「・・・あ、どうも」
 間の抜けた返事をしながら差し出されたものを受け取る。
 手に収まるほどの紙袋だったが、確かにディスクらしいものが入っているようだ。
 「フェイからの伝言です。すぐ中を確認するように、と」
 「俺たちが見ていいのか?」
 「というか・・・あなたは彼の知り合い、ですか?」
 「ええ。同期です。とっくに退役しましたけど」
 彼は笑顔で答え、ついでに花をどうですかと勧めてくる。
 ますますフェイの意図が分からず、二人は顔を見合わせたのだった。



 人気があまりない広場の一角を見つけ、ノートパソコンににディスクを差し込む。
 それは映像データだった。
 固唾を呑んでそれを見守る二人。
 ・・・だったが、すぐに赤面し、ウィンドウから視線をそらしてしまった。
 なぜならそれは、二人の男女が裸体をさらして・・・まあつまり、公共の場での鑑賞は遠慮すべき映像だったからだ。

 「な・・・な・・・」
 「・・・っ」
 慌てて停止ボタンを押し、きょろきょろと人目を確認する。
 誰にも気付かれていないことに安心、している場合ではなく。
 「何のつもりだ、フェイのやろう!!」
 「最っ低・・・」
 イザークは吠え、シホは頭を抱える。
 「重要機密がどうだとかありもしないことを・・・騙しやがった!!」
 「もしかしてあの店員の人がディスクを間違えたとか?」
 「・・・返しに戻るか?」
 「絶対嫌です」
 「俺だってそうだ」
 「・・・あ、中にまだ何か入ってますよ」
 「ん?」
 紙袋の中に残っていたものに気付いたシホがそれを取り出す。
 それはカードのようなものだった。
 フェイの字だ・・・と認識する余裕もなく、二人はその内容に固まった。
 たっぷり5分はフリーズしていただろう。
 なにせ・・・。

 『それを見て勉強しなさい  by フェイ』

 やがて金縛りから解けた二人は頷き合う。
 イザークはディスクを、シホはメッセージカードを。
 無表情のまま原形をとどめぬまでに破壊したのだった。

 
 
 「さっさと帰るぞ。せっかくの休日を一日無駄にした」
 「はい・・・」
 どすどすと地響きでもしそうな足取りで歩き出したイザークに、シホも早足で従う。
 顔は見えないがおそらくいつもより眉間のしわは3本確実に増えているだろう。
 まあ無理もない。
 それにしても一体フェイはどういうつもりなのだろう。
 自分たちをただからかいたかったからにしても、まさかこんな方法で満足するとは思えないが・・・。

 ―――日暮れまで粘れよ

 「・・・日暮れ」
 腕時計に目をやれば、15時半を回ったところだ。
 歩きながらしばらく考え込んでいると、振り返ったイザークがそれに気づいて声をかけてきた。
 「何だシホ、どうかしたのか?」
 「あ、あの・・・」
 「ん?」
 「せっかくだから食事でもしていきませんか?」
 「お前、こんな寒いプラントにまだいたいのか?」
 「あ・・・いえ」
 言われてようやくシホは冷えた体に気付く。
 確かにここは居心地が悪い。
 「その、何か暖かいものが飲みたくて」
 つい口を出て来た言い訳に、イザークは案外簡単に納得した。

 「それもそうだな」



 目の前にそびえる鮮やかな塔。
 シホは困惑した顔で、その塔と向かいに座るイザークの顔を交互に見比べた。
 それに気付いたイザークがきょとんとした顔をする。
 「どうした?お前にもパフェ頼んでやろうか?」
 「いえ・・・その・・・隊長、甘党だったんですね」
 「まあ嫌いではないな」
 イザークの目の前にあるのは、フルーツがグラスからこぼれそうなほど盛られているパフェ。
 カフェテリアに入ったイザークがコーヒーと一緒に注文したのがこれだった。
 はっきり言って・・・見ているだけで胸焼けを起こしそうだ。
 シホだって甘いものは好きなのだが、このボリュームは遠慮したい。
 一方のイザークは慣れた手つきで頂上のアイスクリームをつつき始めている。
 「お前はそんなものだけでいいのか?」
 シホが頼んだのはホットココア一杯。
 腹の足しにならないだろうと言うと、憮然とした顔が返ってくる。
 「太ります」
 「充分細いだろ」
 「隊長はそれだけ食べてどうして細いんですか」
 「・・・体質じゃないか?」
 「うらやましい」
 「だからお前だって細いだろ。っていうか、俺はがりがりの女なんて好きじゃないぞ」
 そう言うと、イザークはクリームをスプーンですくってシホの口へ差し出す。
 「食べろ」
 「食べろ、ってこのまま?」
 「口を開けばいい」
 「・・・」
 できるわけがない。
 恥ずかしすぎる。
 しかし遠慮のないイザークはさらにスプーン先を突き出してきた。
 周りの視線が気になり耳まで赤くなる。
 かと言って断るわけにも行かない。
 結局、覚悟を決めて口を開いた。
 スプーンを押し込まれ、甘く濃厚な味が口の中に一気に広がる。
 「うまいか?」
 こくん、と頷けば珍しく白皙がほころぶ。
 先程までのフェイへの怒りは何処へやら、すっかり機嫌がいいらしい。
 ・・・甘いもののせいだろうか。
 猛烈に顔が火照っているのを感じていると、
 テーブルを一つ挟んだ女学生風の一団からのひそひそ声が耳に届いてしまった。

 ―――ラブラブじゃない?
 ―――いいなあ、あんな綺麗な彼氏。
 ―――うらやましい。アタシも「あーん」ってしてほしい
 ―――あんたじゃ無理よ。釣り合わないもん

 ココアのカップを口にする直前で固まってしまった。
 ラブラブ?
 彼氏?
 うらやましい?
 あんたじゃ、釣り合わない・・・。
 それでは・・・自分は。

 「どうした?」
 声をかけられはっと我に返る。
 ぼんやりしていたらしい。
 「あ、いえ・・・」
 「もう一口食べろ」
 再びスプーンを差し出される。
 ご丁寧にクリームの上にパイナップルとオレンジが乗せられていた。
 仕方なく口を開けば、またあの一団から羨望とも嫉みともつかないため息が聞こえる。

 自分は・・・目の前の彼と「釣り合っている」のだろうか。
 



 「さむッ・・・寒い、寒い!!」
 イザークが周りの目などおかまいなしに大声を上げ、身を震わせた。
 アイスクリームを乗せたパフェなど胃に放り込めばそれは寒いに決まっているだろう。
 そう思ったシホだが、歯の根が合わないため口に出すことは出来ない。
 あれからさらに外の空気は冷え込み、冷凍庫に放り込まれた錯覚すらしてきた。
 少し時間が経てばウェザーシステムも回復するかと思ったのに。
 本当に故障、なのだろうか?
 違和感を感じるシホだが、それ以上は寒すぎて頭すら回らない。
 真っ青になって震えていると、イザークが心配そうに顔を覗き込んできた。
 「大丈夫か、シホ」
 「はい・・・」
 返事をするのがやっとだ。
 すると体をぐいっと引き寄せられる。
 背中に心地よいぬくもりを感じた。
 後から抱きしめられている。
 「え、ちょッ・・・たいちょ・・・」
 「名前で呼べ」
 「で、でも」
 いくらなんでも、こんな道のど真ん中で・・・。
 行き交う人が皆自分たちを見ている気がして顔が上げられない。
 「あの、隊長」
 「イザークだ」
 「・・・・・・・・・イザーク」
 「いいじゃないか。恋人に見えるだろう」
 期待に応えてやろうじゃないか、と続けられ、
 ようやく先程の女学生の会話がイザークの耳にも届いていたことを悟る。
 ちなみにその彼女たちは、未だにあのカフェテリアの席から外にいる自分たちを見学していた。


 「しかし、妙なプラントだな、ここは」
 全くです、と応えると、今度は敬語もやめろと釘を刺された。
 「この異常な寒さのことじゃない」
 「・・・じゃあ、何が?」
 この猛烈な寒さ以上に妙なこととはなんだ。
 するとイザークはくいっと顎を上げて正面を見ろ、と促した。
 言われた通りにすると、何人かの男女が目に入る。
 一組、二組、三・・・四・・・。
 「な、・・・ここ、カップル多すぎません?」
 ベンチの上や街頭の下に限らず店の中、車の中。
 腕を組んでいちゃついているカップルが結構・・・いや、かなりいる。
 どうして今まで気が付かなかったんだろう。
 見渡しているうちに濃厚なキスをしている場面まで目にしてしまい、シホは慌てて視線をそらした。
 「み、妙・・・ですね」
 やはりその中に自分たちも含まれるのだろうか。
 今更のように心臓が早鐘を打った。
 
 背中から伝わる熱が高くなったような気がする。
 「シホ?」
 耳元でささやかれ、寒さとは違う震えが体を駆け抜けた。
 上がりそうになった声を辛うじて抑える。
 
 ―――ど、どうしよう。

 イザークも黙り込んでしまい、決まりの悪い沈黙が流れる。
 振り返って、にっこり笑って、帰りましょうか・・・と、そうだ、そう言えばいい。
 そう言えばいいのに、それが出来なかった。
 手を離されたらこのまま腰が砕けて座り込んでしまいそうだ。
 それほど、今の熱が心地よすぎて・・・。
 


 ひらり。

 目の前を、白いものがかすめた。
 はっとする。
 それはイザークも同じだったらしく、彼が僅かに顔を上げたのが分かった。
 「・・・ゆき」
 ひらり。
 ひらり。
 踊るように空から降ってくるのは、雪のかけら。
 地球からの映像でしか見たことはなかったが、見間違えるようなものでもない。
 呆然としている二人をよそに、周りから歓声が上がった。
 皆驚いている様子はなく、むしろ待ちかねていたという感じだ。
 「まさか・・・」
 「ウェザーシステムか?」
 唐突に二人はこの寒さの理由を理解する。

 そういえば、12月の数日間だけ特別に雪を降らせるプラントがあり、
 デートスポットになっているという雑誌の記事をシホは見かけたことがあった。
 これがそのプラント?
 そしてクリスマス・・・だったか。
 イザークと違って宗教に興味のないシホにはその何とやらの時に雪を降らせなければならない理由までは分からなかったが。
 プラントのウェザーシステムはかなり発達しているものの雪を降らせるとなるとそう簡単なことではないと聞いた。
 朝からのあの寒さは雪が地面に落ちるまで溶けて消えないための下準備だったのだろう。

 ―――日暮れまで粘れよ

 ようやくフェイの言葉と今回の不可思議な依頼の納得がいった。
 彼なりの心遣い・・・だろう。
 半分はひやかしに違いないけれども。
 
 「綺麗、ね」
 「ああ」
 人工の太陽は沈み、街頭が雪の結晶を反射させている。
 とても幻想的だ。
 確かにこういう場面なら、カップルは盛り上がるのかもしれない。
 そんなことを思っていると、後から伸びたイザークの手がシホの顎を軽く掴んだ。
 「・・・イザーク?」
 「フェイの奴がここまで用意したんだ。期待に応えないわけにはいかないだろう」
 後から抱きしめた時と同じ理由を口にし、イザークはシホの顔を自分の方へ向けた。
 大きく見開かれた黒い瞳をしばらく見つめ返す。
 
 どれくらい見詰め合っていただろうか。


 やがて二人は。
 キスをした。
 
 
 
 

 「おはよう」
 「・・・ぉはようございま、す」
 挨拶をし終えた所で激しくむせこんだシホにイザークが苦笑する。
 「大丈夫か?酷い声だな」
 「・・・ぃちょうは・・・」
 「ん?」
 「平気、なんですか?」
 「あれくらいで風邪なんかひくほどやわじゃない」

 次の日、シホは見事に風邪をひいていた。
 あの恰好で長時間あんなところにいて、
 それで喉が腫れただけで済んだのだから日頃の体力づくりの賜物だと思っていたのに。
 同じ条件だったはずのイザークはけろりとしているのだ。
 それが何だかくやしい。
 違和感のある喉のせいもあいまって、少々沈んだ面持ちで仕事場に入った。
 昨日の甘ったるい気分は何処へやら、である。


 「これは一体どういうことだ?」


 たっぷり5分は固まった後、イザークはただそれだけつぶやいた。
 声が出たならシホも同じ言葉を口にしていただろう。
 なぜなら。
 ジュール隊のいつものメンバーが集まる職場には、彼らのほかにはキキ・ウォーターハウスしかいなかったのだから。

 「フェイは?」
 「風邪で熱を出したって連絡が」
 「マニは?」
 「やっぱり風邪で休むって」
 「ディアッカ・・・」
 「風邪で熱・・・」
 「おいおい、まさか」
 声を低くしたイザークに、キキも苦い顔で首を縦に振った。
 「マックスとメイズもです」
 
 「たるんでる!」

 どんっ、とデスクを拳でたたくイザーク。
 「このプラントで雪が降ったわけではなかろう!
 俺とシホはあんな寒い思いをしてそれでも仕事に出ているのにあいつらは・・・ああ、情けない!」
 頭を抱えて唸り出す。
 別にイザークが情けなく思うことはないだろう。
 そうは思っても、喉が痛いのでシホは余計なことは言わなかったけれど。

 イザークがぶつぶつ言っている間、シホはそっとキキを手招きする。
 「え・・・昨日?」
 「そう。皆ちゃんと仕事してた?」
 あなたのことは信じてるけど、と掠れた声で付け足して。
 「仕事はしてたけど・・・」
 「してたけど?」
 「定時になった途端、用事があるからって皆帰っちゃったんだ。
 何か急いでたみたいだった」
 「あなたは?」
 「別に用事がなかったから少し残業したよ」
 「・・・」
 
 悪い予感が当たった。
 おそらく風邪をひいた連中は仕事の後、あの雪が降ったプラントに急行したのだろう。
 もちろん自分とイザークを見学するために。
 なんだったんだろうねーと平和に首をかしげるキキとまだデスクに八つ当たりをしているイザークを見ながら、
 シホはしばし想像力を働かせる。
 
 自分たちの仲を面白がっているフェイとマニ。
 イザークに対しては保護者気分の(シホにしてみれば思いっきり気に入らないが)ディアッカ。
 そして色恋沙汰には興味深々らしいワイルド姉弟。
 あの連中が舞台づくりをして自分たちは上手いことシナリオ通りに動いた。
 ちゃっかりビデオなり写真なりにその場を収めているかもしれない。
 いや、そうに違いない。
 雪が降ることを分かっていたはずなのに風邪をひくくらいだ。

 ―――全員シめる・・・!
 
 もちろん映像も写真も排除・・・ではなく没収。
 風邪から回復した彼らに痛いお仕置きをしなければ。


 イザークとキキに見えないよう、シホはぐっと拳を握り締めたのだった。


 
2005/11/30

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