ヨルノオワリ

 

 まともじゃない。
 彼にはそう言われた。 
 酷い人だ。
 別にレイはまともでいたい理由はなかったし、彼のためならいくらでもイレギュラーになるつもりだった。
 日ごと彼に愛の言葉をささやき、それでも心を許そうとしない彼を自分の部屋に引きずり込んだ。
 それでも拒絶する彼。
 結局、一番使いたくなかった言葉を使った。

 「命令だ」と一言。


 ―――相手が体を起こす気配。

 レイは目を開けた。
 まだ薄暗い部屋に、白い肢体が浮かび上がっている。
 その妖艶さに目を細めていると、相手の瞳がこちらを映した。
 やや充血したブルートパーズがレイを映す。
 「起こしたか?」
 「ずっと起きて、イザークを見てました」
 しゃあしゃあと嘘を言った。
 ・・・彼の表情は変わらない。
 「もう行くんですか?」
 「早く戻らないと旦那様に、ばれる」
 「もうばれてますよ」
 レイは苦笑しながらそう言うと、イザークの体を引き寄せた。
 入れ替わりに彼をシーツの上に寝かせ、自分は覆いかぶさるようにその上に馬乗りになる。
 「レイ・・・」
 「もう少しいいでしょう」
 でも、と口ごもる彼のプラチナの髪を優しくすいて、耳朶を軽く噛んだ。



 レイは貴族の名門の家の嫡男として生まれた。
 何の不自由もなく、しかし格式のある貴族に相応しく厳しく育てられた。
 父は王宮に出入りするほどの影響力を持った官僚らしい。
 それゆえ彼は館にあまり帰らず、たまに顔を合わせるだけ。
 父に愛情らしいものを感じたことはあまりなかった。
 母はいない。
 レイを生んですぐに死んだと乳母から聞いた。
 兄弟もいない。
 いない、と思っていた。

 イザークが館に来たのはレイが8歳の時だ。
 7つ歳上の彼は15歳だった。
 初めて会った日のことは今でも鮮明に覚えている。
 その白皙の美貌と銀の髪は、レイにとっては強烈な色だった。
 瞬きも忘れて見つめるレイにイザークは驚き、そして声を立てて笑った。
 ・・・そう、あの頃のイザークはまだよく笑っていた。
 そしてこう言った。
 ―――これからあなたのお世話をさせていただきます。どうぞよろしく。
 自分付きの従者なのだ、と。
 これからこの綺麗な人と一緒に暮らせる。
 幼いレイは、それがただ嬉しかった。


 その感情が変化していったのはいつからだったか。
 とにかく、レイはその綺麗な人に恋をした。
 残念なことにイザークは男だったけれども、レイはあまり大したこととして捉えていなかった。
 レイにしてみれば、イザークに恋をするのは必然のように思えてならなかったから。
 初めてのあの日、あれは運命の日だったと今でも思っている。
 イザークへの「好き」が特別なものと分かってすぐ、レイは告白をした。
 イザークはレイがからかっていると思ったらしい。
 だから、むきになって馬鹿なことをしてしまった。
 召使たちが大勢見ている前で、イザークにキスをしたのだ。

 レイにとってそれは当然で、自然な成り行きであったのに。

 次の日、帰ってきて事態を知った父にレイは殴られた。
 無言で、ただ一発。
 呆然としたレイだが、その後に起こったことの方がもっと衝撃的だった。
 父はイザークも殴ったのだ。
 それも、何度も何度も。
 イザークの白くて綺麗な顔から血が出て体があざだらけになっても、頬を叩き、腹を蹴った。
 そしてあらん限りの罵詈雑言を浴びせた。
 「恥知らず」とか「淫乱」とか「母親そっくりだ」とか。
 レイには訳が分からない責め言葉ばかりだったが、
 とにかく前日の自分の行為のせいだということを悟り、必死でやめるよう訴えた。

 イザークが失神したのが早かったのか父の体力が尽きるのが早かったのか。
 とにかく残酷な行為が終わったかと思えば、彼の手当てをすることも許されず父に自室に連れられた。
 そこで父の口から全てを聞かされたのだ。

 イザークは、レイの腹違いの兄だということを。

 過去に何があったのかまでは分からない。
 とにかくイザークの母と不仲になった父は、幼かったイザークともども母子を追い出した。
 そして母親が死ぬと、イザークを呼び戻して異母弟のレイの従者にしたのだ。
 父への愛情は、その日を限りに完全に冷えた。



 レイは父が与えたものを利用した。
 父はイザークを庶子として貴族の権限を与えず、その上レイの従者とした。
 つまりイザークはレイには逆らえないのだ。
 父に暴行された傷が癒えないままレイを受け入れたイザークは、その日を境に笑顔を失った。
 

 「まともじゃない」
 行為の後、彼は必ずこう口にする。

 「まともなことに何の意味があるんです?」
 二人きりの時はレイの方が敬語を使ってしまう。
 他の召使の前では逆なのに。
 それが何だか滑稽で、レイは内心で苦笑しながらイザークの頬に残った涙のあとをなぞった。
 イザークはそれには何の反応も示さず、視線を泳がせる。
 「こんなつもりでこの屋敷に来たんじゃなかったのに」
 純粋に、ただ異母弟に会いたかった。
 兄として接することは出来なくても、見守り可愛がってやりたかった。
 こんな歪んだ繋がりは求めていなかったのに。
 しかしレイはイザークの言外の叫びを無視する。
 「お前のためにならない・・・」
 「父に服従し、そのうちあんな傲慢な人間になることが俺のためだと?」
 「レイ・・・旦那様はお前のことを」
 「やめてください・・・ッ、あんな奴」
 レイがそうはき捨てると、イザークはもう何も言わない。
 
 全てが明らかになった日からもう何年も経つ。
 レイは成人を控え、父は年老いた。
 レイが見せ付けるように屋敷内でイザークに口付け、
 夜中に声が聞こえるようドアを開けたまま行為に及んでも何も言わなくなった。
 諦めたものと、そう思っていたのに。

 いつもはこのまま惰眠をむさぼるところだが、レイが体に手を回してきた所でイザークが口を開いた。
 「先日、旦那様に呼び出されて話をした」
 「それで?」
 「ザラ邸に行くことが決まった」
 ひくり、と喉が引きつった。
 辛うじて悲鳴を押さえ込む。
 シーツにうつぶせるイザークを、後から抱きしめた。
 「行か、ないで」
 「・・・無理だ」
 「なら、逃げましょう」
 「ダメだ!」
 「じゃあどうしろっていうんです?あなたを失うなんて耐えられない」
 「俺のことは忘れるんだ」
 「それこそ無理な話です」
 「お前のためだ・・・」
 「あなたは酷い」
 「・・・レイ」
 回した腕に、知らずに力が入っていた。

 ザラ家は父と政治的関係が深い。
 当主がこの家に訪ねて来ることはよくあったが、彼に付き添っていた息子の方がイザークを気に入ってしまったようだ。
 彼を従者にしたいという先方の申し出があったことは知っているが、レイは父が断るだろうと思っていた。
 それなのに・・・。
 父は勝手に話をまとめてしまった。
 どうあっても自分とイザークを引き離したいらしい。
 年をとって弱り、表立って自分を咎められないくせに、
 こそこそしてレイとイザークを引き離そうとする父の性根が許せない。



 ベッドの中で、イザークの嬌声が響く。
 声を抑えようとする手を押さえつけ、さらに腰の動きを早めた。
 この体が、声が、心が自分以外のものになることは耐え難い。

 いっそのこと・・・。
 殺してしまおうか?

 闇に浮き出る白磁の首に視線を這わす。
 彼を殺せば、永遠に自分以外のものにはならない。
 胸にどす黒いものが沸き起こった。
 しかし喘ぐイザークの首に手をかける直前、ふとザラの息子の顔を思い浮かべる。
 レイと同じで育ちのいい、しかも当主と違って優しげで性格も良さそうな青年だった。
 イザークは彼といた方が幸せになるかも知れない。
 こんな狂気を宿した自分といるよりは。

 ダメだ。
 今は何も考えられない。
 レイは己を誤魔化すように、いっそう強くイザークを抱いた。
 すると、まるで慈しむように彼の手が背中に回ってくる。
 聖母のように全てを許そうとするそれに、レイは後悔で泣きたくなった。
 こんなに酷く扱っているのに。
 綺麗な笑顔を永遠に奪ってしまったのに。
 たった今、殺そうとすら思っていたのに。
 たまらず顔を引き寄せ、唇を吸った。

 「こんなに、愛しているのに」
 思い通りにならないのは・・・。

 
 彼を失う朝が、間近に迫っている。
 


 
2005/12/04

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