ダイアリー

 

 まあ無駄な経験じゃなかったと思う。
 恋愛ってなんだろう、って考えるきっかけにもなったし。
 そういや誰かが言ってたかな。
 えーと、ほら。
 キスはレモンの味?


 

 ロッカーに佇む人影。
 一時間ほど前に見たのと同じ光景に、俺はため息をついた。
 さっきからずっと、ある人物のロッカーをぼんやりと眺めている。
 穴が開くほど見つめた所で中からその人が出てくるわけでもあるまいし。

 「シホ」

 名前を呼ぶと、ゆるりと顔をめぐらせる。
 心配していたほど呆けていたわけではないようだ。
 こちらを見つめる黒い瞳には、強いものが感じられる。
 「皆は、どうしてるの?」
 聞きたいのはそんなことじゃないだろうに。
 「希望者は家に帰らせたけど、ほとんどは残ってるぜ・・・気になるってさ」
 シホは顔をうつむける。
 それを見ながら、こんなに間近に顔を近づけたことなどなかったなと思った。
 ・・・まつげが長い。
 「お前だけじゃないんだよ、心配してるの」
 言ってから後悔する。
 どうして俺はこうなんだ。
 もっと気の利いたことを言ってやりたいのに。
 周りの連中からは器用な奴だといわれているが、女一人慰められないでどうする。
 しかも戦地をともにくぐり抜けてきた仲間じゃないか。
 「シホ、その・・・」
 黒い瞳が潤みきっていることに気付く。
 ああ、もう・・・!
 泣いちゃうじゃないか。
 違うだろう。
 お前はそれくらいでへこたれる女じゃないだろ?
 頼むから俺を困らせないでくれ。
 「隊長は・・・」
 つい口を出た言葉。
 それがとどめだった。
 シホの瞳から涙がぼろぼろこぼれる。
 ・・・俺だって泣きたいよ。
 「隊長は、きっと大丈夫だから」
 シホは応えない。
 顔を手で覆い、肩を震わせて泣いている。
 MS戦では俺より強いくせに、こんなところで女の子するなんて反則だ。
 これ以上は無理だった。
 俺はシホの細い体を抱きしめる。
 泣きじゃくる、弱いシホなんて見たくない。

 ロッカーの空気が、嫌に冷たく感じた。



 腕の中で嗚咽を漏らすシホのぬくもりを感じながら、
 ほんの半日前のことを思い出す。
 まさに嵐のような出来事だった。

 無線から聞こえた、アイリーン・カナーバの停戦の申し入れ。
 疲弊していた両方の兵士たちにとって、それは女神の言葉に聞こえたことだろう。
 俺だってガッツポーズをとって雄たけびを上げてしまったほどだ・・・内緒だけど。
 悪夢はそれから数時間も経たずに訪れた。
 隊長のイザーク・ジュールが、スパイ容疑で連れ去られてしまったのだ。
 最初は公安部かと思ったが、どうも違うらしいということが分かった。
 しかも隊長がどこに連れられたのかすら分からない。
 それが俺たちの不安を増長させていた。

 「少し休憩したら?」
 シホの気持ちが落ち着いたらしいのを見計らってそう言ってみる。
 彼女は泣き顔を見られたくないのか始終顔を下に向けたまま、ただ無言でそれに従った。
  
 向かったのはブリーフィングルームだ。
 先程まで誰かが使っていたのかライトは点いたままだったが、人気はない。
 前のボードや整列している椅子を通り過ぎ、一番後ろに立っているついたての裏に回った。
 そこには特別にソファが置いてある。
 PCも備え付けられており、ちょっとした調べものに使われるところだった。

 シホをソファに座らせ、俺は別の方のソファに座ろうとした。
 が、それをシホが制する。
 「マニ、こっちに来て」
 「んあ?」
 怪訝に思いながらも言われた通りにする。
 涙を乱暴にぬぐった彼女は慣れた手つきでPCを立ち上げ、自分のポケットからソフトを取り出した。
 「何それ?」
 「レポート」
 「レポート?・・・なんの?」
 「今回のことで役に立つの思ったの。ジュール隊の行動の記録とか、通信記録もあるわ」
 ソフトをインストールしたシホは、浮かび上がった画面を指差す。
 なるほど、確かに彼女が言うとおりのものが文字と数字の羅列で表されていた。
 「これ、隊長がスパイには関係ないっていう証拠にならないかしら?」
 「うーん・・・」
 俺は腕を組んで考え込む。
 見ればそのレポートはよく出来ていた。
 シホはもともと技術者だから、こういうデータをまとめるのが得意なのだろう。
 「これの穴をさらって・・・それから別の詳しい記録・・・」
 「これが限界」
 ジュール隊とイザーク個人に許されている回路・・・通信はもちろんメールや電話なども全て調べたらしい。
 いつの間にやったんだよ、怖ぇ女。

 「まあとにかく、それならこれを信頼できる人物に託すしか・・・」
 「信頼できる人・・・?心当たりあるの?」
 「タッド・エルスマン」
 「・・・それしか、ない?」
 「最後は結局ザラ派の動向を見守るだけの中立派だったけど、下手に穏健派に近づくよりはずっといいだろ」
 カナーバに不信がある今、穏健派は俺たちにとって名ばかりのものだ。
 隊長を連れて行った公安もどきもカナーバの差し金とも限らない。
 シホはしばらく視線を彷徨わせていたが、結局了承した。
 エルスマンは息子が隊長の親友だったとかで、本部で顔を合わせるたびに話し込んでいたのを覚えている。
 彼は、隊長のことに関しては色々と親身だったように見えた。
 隊長は父親がいないらしいし、エルスマンは息子を失っている。
 お互い気遣いあっていたと思う。
 ・・・俺たちはそれにかけた。


 エルスマンに差し出すため、俺たちはレポートを印刷して見直すことにした。

 どれくらい時間が経っただろうか。
 しばらくレポートに無言で目を通していた俺だが、睡眠不足のせいで視界が一瞬ぼやける。
 慌てて目をこすると、同じタイミングでシホの頭がかくんと下に落ちた。
 「おいおい、シホ・・・」
 「・・・ん」
 声が寝ぼけてる。
 寝てたな、この女・・・。
 人を手伝わせておいて文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、
 休憩を取れるいいチャンスだと考え直す。
 なにしろ20時間ほど前に30分だけ仮眠を取ったっきりなのだ。
 「マニ、あたし・・・」
 目がとろんとしている。
 こんなんじゃレポートどころじゃないだろ。
 「寝ちまえよ。1時間くらい寝たらすっきりするぜ?」
 「・・・」
 「な?」
 1時間。
 それくらいなら、と安心したのだろうか。
 「ん、そうね・・・。じゃ、起こして」
 回らない舌でそれだけ言うと、彼女は黒い瞳を閉じる。
 そして頭がゆらゆらと数回揺れ、こてん・・・と落ちた。
 よしよし、無事夢の中の住人になったな。
 これで俺も惰眠がとれ・・・って。

 ちょっと待てぇぇぇぇーーーーーーー!!!!

 寝息を立てるシホの頭は、あろうことかソファの背と俺の肩の境目に入り込んでいた。
 場所的に丁度良かったのだろうが、これじゃあ俺が動けない。
 何でよりによって・・・。
 っつーか狭い隙間とかが好きだろ、この女。
 心臓が騒ぐのを感じながら、俺は途方に暮れた。
 計画ではシホが寝入ったのを見計らって、すぐ隣にあるもう一つのソファに横になるはずだったのだ。
 せっかく眠ったシホを起こすのも気の毒だし・・・彼女は仮眠すらとっていない・・・かといってこんな体勢で眠れるわけない。
 「・・・参ったなぁ」
 無意識にそうつぶやいた時、肩に感じた重みがふと軽くなった。
 あ、ヤバイ・・・起きたか?

 ずるずるずるずる・・・すとんっ。

 ・・・違った。
 相変わらず寝息を立てたまま、シホの頭が俺の肩から胸を伝って膝の上に収まった。
 「・・・」
 膝枕かよ!!
 これって普通女が男にしてやるもんだろ!(偏見)
 さすがにこれはまずいだろ。
 誰かに見られでもしたら変な噂立てられるし。
 「おーい、シホ。起きて」
 「・・・」
 「場所移動しよ?ね?」
 「・・・んんー」
 肩を軽く揺さぶるが、シホは起きるどころか俺の膝にすりっと頬を摺り寄せた。
 子猫みたいで可愛いなぁ・・・って、そうじゃない。
 しかも俺の赤服の端しっかり掴んでくれちゃって。
 しわになったらどうするの。

 色々考えたが、俺は結局腹をくくることにした。
 というか、シホの思わぬ行動のせいで一度は覚醒しかけた頭がまたぼんやりし出してきたのだ。
 考えるのが面倒くさい。
 シホの頭は膝の上に移動しているから、ソファの背を使えば枕代わりに出来そうだ。
 そう思って、ふらりと上半身を斜めにずらした。
 「隊長・・・」
 シホの口から漏れた言葉に、無意識に動きを止める。
 相変わらず寝息は続いているから、寝言か。
 そっと手を伸ばし顔を覆う黒髪を払えば、いつもの彼女とは違う無防備な横顔。
 夢の中でも隊長の心配してるのか、こいつ。
 「ここにイイオトコがいるだろ」
 顔を近づけ、そっと耳元でささやく。
 
 桜色の唇が、目に入る。
 俺はしばらくそれを見つめ・・・。

 自分の唇を、重ねた。
  
 そのキスは、涙の味がした。



 結局。
 俺たちがこさえたレポートはあまり役には立たなかった。
 事態を知るなりタッド・エルスマンは迅速に行動し、隊長を見つけ出してくれたのだ。
 しかも隊長を拘束したトリアという男は何の権限も持たない一仕官ということが判明し、
 言い訳する間もなく左遷された。
 つまりは自分で自分の首を絞めたわけだ。
 それでめでたく万事上手くいった・・・わけもなく。
 隊長が戻ってきたその日のうちに新たな問題が発生した。

 「僕は悪くないもん!隊長が酷いんだもん!」
 「・・・ああ、そうかよ」
 「隊長があんな人だと思わなかったッ」
 「・・・ああ、そうかよ」
 「聞いてよ、隊長なんていったと思う?」
 「・・・」
 何度目か分からないキキの「隊長」コールにノイローゼになりそうだった。
 後輩で同じジュール隊のキキは、隊長のことを昨日からずっと怒っているのだ。
 昨日、不当な拘束から戻ってきたジュール隊長は怪我だらけだった。
 何があったのかを察し憤慨する俺たちに、彼は一言、隊員全員へ脱隊するよう勧めた。
 それから自室にこもったきり、誰とも会おうとしない。
 隊の解散を宣言すればすむことなのにそうしないのは、俺たちを気遣ってのことだろう。
 隊員が自らイザーク・ジュールを見限ったということにしたいのだ。
 俺たちの未来のために・・・。

 「僕は絶対ジュール隊やめないからね!」
 「はいはい」
 「大体隊長は・・・」
 「分かった分かった」
 相槌を打つのもいい加減うんざりなのだが、放っておいたらおいたでキキはまた騒ぎ出す。
 パイロットとしては結構優秀なんだけど・・・。
 たまたま傍にいるマックスとメイズの双子の姉弟も顔が少し引きつっていた。
 ジュール隊に入りたてでこんなキキを見たことなかったんだろうな。
 やっぱこの二人も脱隊しちまうんだろうか・・・。
 ふとそう思ったとき、ドアが開くエアの音がした。

 「あ、シホ」
 「おはようございます、ハーネンフースさん」
 キキがうげぇ、とあからさまに顔を歪め、双子は礼儀正しく挨拶する。
 対してシホは、キキの態度に腹を立てた様子もなくおはよう、と彼らに挨拶を返した。
 「おはよーさん」
 「おはよう、マニ」

 何だかだるそうだ。
 ちゃんと寝ていたのか?
 そのわりに機嫌がいいみたいだ。
 昨日は戻ってきた隊長がぼろぼろだったことに、キキ以上に泣くわ怒るわで大変だったのだ。
 なんだこのギャップは。
 いや、機嫌がいいって言うか・・・満たされてる、みたいな。
 そういや今朝はやけに色っぽいな。
 俺のそんな疑問は、メイズの一言で一挙に解決した。

 「隊長はどうでした?」
 昨夜様子を見に行ったんでしょう、と。
 俺はそんなの聞いてねぇぞバカヤロウ。
 「え・・・と、もうすぐ出てこられるわ。今シャワー浴びてるはずだから」
 なんでそんな些細な行動までこいつが知ってるのか、誰か突っ込んでくれ・・・。
 しかもほんのりと頬を染めて視線を下に落とすシホ。
 そしてその手は神経質に首の襟元をいじっていた。
 
 俺は理解した。
 衝撃、だったかも・・・。

 「・・・もしかして俺、失恋しました?」
 「え、誰が何?」
 「いや・・・なんでも」
 笑おうとして顔が引きつっていることに気付き、慌てて窓の方を向く。
 シホは俺のそんな様子に気付かないほど浮ついているようだ。
 ・・・おめめきらきらだもん。

 部屋の中で誰かが何か言っている。
 シホに言っているのかもしれないし、俺に向けた言葉かもしれないが、
 雑音に帰して頭の中に入ってこなかった。
 「隊長ーー!」
 キキの声に、ようやくのことで俺の意識が戻る。
 ジュール隊長が部屋に入ってきた。
 包帯と絆創膏の酷い顔で入ってきた隊長は、それでも機嫌がいい・・・というか、
 昨日見た殺伐とした雰囲気が抜けていた。
 「何だ、マニ・・・じろじろ見て」
 「いいえ、別に」
 俺はぷいっと視線をそらした。
 少し、腹が立ったから。
 
 やがて、キキの駄々をこねる声が聞こえてくる。
 それを咎めるシホ。
 遠巻きに、でも微笑ましく見守る双子。
 無駄な説得をキキに始める隊長。

 耳だけを傾けていると、やはりキキが興奮し出した。
 ざわつく胸に、それが凄く耳障りで。
 むっとして振り向き、にらみつけようとした。
 それが丁度、隊長が困った顔でシホに助けを求めるところだった。
 シホもやはり困った顔をしていて。

 やがて二人の眼が、合う。

 その瞬間、隊長が優しく笑った。
 ・・・へえ、この人こんな顔もできるんだ。
 あーあ、シホちゃんも幸せそうですこと。

 まあ、いいんじゃないかな。
 平和で。
  
 
 唇には。
 しばらくあの時の柔らかい感触と、涙の味が残ることになるだろうけれど。



 
2005/12/22

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