クロニクル <3>



 父さんが笑っていた。
 でも、もういない。
 強くてちょっと厳しくて、でも頼りになる父さんだった。
 母さんも笑っていた。
 でも、もういない。
 すぐに怒って口うるさくて、でも料理が上手で優しい。
 マユが、笑っていた。
 でも・・・もういない。
 皆、いない。

 レイ。
 見覚えのある控えめの金髪が横切り、シンは思わず名前を呼んでいた。
 ふわりと赤い軍服の裾が翻り、レイがこちらを振り返る。
 笑顔の彼の傍で、デュランダルがやはり笑っていた。
 自分の正義のために戦ったデュランダル。
 それが間違いだったのかはもうシンには分からない。
 そしてレイは。
 シンを利用してまでデュランダルに尽くした。
 ある意味、誰よりも純粋だった。 
 彼らの想いは、それほどの罪だったのだろうか。

 ふわり、ふわり。
 白いドレスが風に踊る。
 乱雑なステップを踏みながら、ステラがダンスを踊っていた。
 可哀相なステラ。
 これも嘘だ。
 彼女も死んだ。
 暗い湖の底で、静かに眠り続けている。

 父さん、母さん、マユ、デュランダル、レイ、ステラ・・・。
 守りたかった命。
 皆の命が、手のひらから砂がこぼれ落ちるかのように消えていく。
 もうシンは、それを嘆くことにすら疲れてしまった。

 ―――そんなことをしてていいのか?

 ふいに聞こえた声に、シンは心の底から震えた。
 おそるおそる声のした方を振り返ると、そこにはルナマリアが立っている。
 彼女は悲しげな顔で、シンを見つめていた。
 シンは動けない。
 走っていって、彼女を抱きしめたいのに。
 「大丈夫だよ」と、そう言ってあげたいのに。

 ―――ぼんやりしていると、彼女も死んでしまうよ。

 はっとする。
 周りの風景が一変していた。
 銃弾とビームが飛び交う宇宙。
 ・・・戦場。
 ルナ!
 インパルスが、戦っている。
 乗っているのはルナマリアだ。
 その時、シンはインパルスの後方から近づく影に気付いた。
 白い機体・・・フリーダム!
 フリーダムが、インパルスへと襲い掛かる。
 駄目だ、駄目だ!
 逃げるんだ、ルナ!
 そいつは全てをめちゃくちゃにする。
 ルナを殺してしまう!
 そう叫びたくても、何故かそれは声にならなかった。
 気づいた時、シンは見慣れたコクピットの中にいた。
 そして・・・。

 インパルスのコクピットが、貫かれた。

 同時にルナマリアの幻影が、粉々に砕け散る。
 まるで、ガラス細工が床に叩きつけられたかのように・・・。
 ―――ほら、死んでしまった。
 違う。
 ―――力がないからいけないんだよ。
 違う。
 違う。
 違う!
 インパルスを貫いたのは、フリーダムではない。
 デスティニー・・・シンだ。

 アスランのジャスティスと戦っていて、彼の言葉に何が何だか分からなくなった。
 ふいにジャスティスとの間に割り込んできた機体。
 決まっている、インパルスだ。
 分かっていたはずなのに。
 攻撃した。
 他の誰でもない。

 ルナマリアを守るといった、シンが。
 

 
 「うわああああぁぁぁぁぁ・・・ッ!!!」

 「シン!」
 悲痛な叫び声をあげて瞳を見開いたシンに、ルナマリアはベッドから飛び起きた。
 慌てて寄り添い、ベッドから落ちそうなシンの身体を押さえようとする。
 だが覚醒したばかりのはずの彼は、腕につけられた点滴のチューブを引きちぎらんばかりに暴れまくった。
 「あぁぁぁああぁっ!!!」
 「シン、落ち着いて!」
 押さえ込もうとしても、シンの力は緩まない。
 湖で溺れ、先程まで意識不明だった人間のものとは思えない力だ。
 錯乱しているシンは、呼吸も不規則でただ叫び続けている。
 ちょうど医師が席をはずしたばかりで、シンとルナマリアが運ばれたこの病室には二人以外誰もいなかった。
 ルナマリアはコールボタンを押す余裕もなく、とにかくシンが落ち着くまで奮戦する。
 「あ、・・・っう!」
 「シン!」
 「ル・・・ナぁ!」
 ふいに自分の名前を呼ばれ、ルナマリアは驚いて顔を上げた。
 しかしシンの瞳はまだ虚空を彷徨っている。
 正気・・・ではない?
 「ルナ・・・守るって・・・俺・・・ッ!」
 「シン・・・ッ」
 「守るって言っ・・・ルナ!」
 シンの力は弱まり始めた。
 しかしまだ呼吸が浅く、赤い瞳は揺れ続けている。

 それを見たルナマリアは、急に何かを決意したように表情を引き締めた。
 一度身体を離すと、再びシンの背中へ手を回した。
 びくんっ、とシンの身体が跳ねる。
 それをあやすように背中をなで、彼の頭を自分の胸の位置に置いた。
 まるで赤ん坊を抱く母のように。
 暖かい体温と柔らかい肌の感触。
 シンの緊張がゆっくりほぐれていく。
 「シン」
 呼びかける。
 ずっと、ずっと呼んでいた。
 「ルナ・・・?」
 「そうよ、私よ。・・・ちゃんとここにいるわ」
 死んでいない。
 死んでいないの。
 生きているの。
 分かるでしょう。
 
 初めて、シンの瞳がルナマリアを映した。
 信じられない、とでも言うような顔をしている。
 その顔はルナマリアが今まで見たどれよりも儚く、あどけなかった。
 しかし、それもすぐに悲しみに歪む。
 ぼろぼろと涙がこぼれた。
 「ルナ・・・ルナ・・・ッ、ごめっ・・・」
 「どうしたの、シン。何を謝るの?」
 「だって俺、インパルスを・・・攻撃・・・分かんないけど、でも・・・ッ」
 「シン」
 「ルナを、殺すとこ、だった・・・っ、でもそんなことするつもりじゃ・・・ッッ」
 許して、と。
 そんなことは言えない。
 ルナマリアも当時の記憶がよみがえる。
 でも、それは意図された攻撃ではなかった。
 他の誰でもない、ルナマリアが知っている。
 「大丈夫よ」
 ルナマリアの包み込むような言葉に、シンははっとする。
 細い指先が、頬の涙をぬぐった。
 「だって、私は生きてる」
 「い・・・きて」
 「ここにいる。生きてあなたの傍にいる」

 守る。
 その言葉は。
 生きてそばにいて欲しいからこそ。

 「あなたが守ってくれたから、私はここにいるの」
 「守る・・・おれ、守れ・・・た?」
 「守ってくれたわ。皆を、私を」
 ぼろぼろになりながら。
 血だらけになりながら。
 立てなくなるまで、地面に伏されるまで守ることを諦めなかった。

 「だから、今度は・・・私があなたを守るわ」

 ずっと、言いたかった言葉。
 そしてきっと、もっとずっと前に言ってあげなければならなかった言葉。
 「まもる・・・ルナが?」
 「そうよ」
 どうして今まで気付かなかったのだろう。
 本当に守られるべきだったのは、傷つき踏みつけられてきた彼の心。
 「守るわ、シン・・・」
 まるで聖母のようにシンを抱き寄せるルナマリア。
 シンは、その暖かさに安堵の表情を浮かべた。
 先程の錯乱ぶりが嘘のように、静かに瞳を閉じる。

 「好き、だよ・・・」
 「ん・・・」
 寄り添った二つの体は、いつまでも離れなかった。




 「・・・っ、くしゅんっ」
 「可愛いくしゃみ」
 「うるさい・・・」
 病院の廊下で、バスタオルに包まったイザークとそれに寄り添うシホがベンチに座っていた。
 もう深夜のため、人通りはほとんどない。
 病院へ搬送されたシンとルナマリアに同行した二人は、そのまま病院にとどまっていた。

 湖で溺れたシンを助けに真っ先に飛び込んだルナマリアだったのだが、
 結局揃って水の中で失神し、イザークが助け出すはめになった。
 意識がなく暴れなかったとはいえ、二人も引き上げるのは大変なことだ。
 危うくイザークまで溺れ死ぬところだった。
 タイミングよく現れたレスキュー隊が今でも恨めしい。
 ルナマリアはすぐに意識を取り戻したが、シンは病院に担ぎ込まれても眠ったままだった。
 ただ、溺れてすぐ意識を失ったためか水はほとんど飲んでおらず、命に別状もないとのこと。
 事態を知り血相を変えて現れたエザリアとディアッカも、
 全員助かったことに安堵して先程帰路に着いたばかりだ。

 「あの二人、大丈夫でしょうか」
 「・・・だと思うぞ」
 意識を取り戻したシンが暴れる様子は、部屋のすぐ外にいたイザークたちも気付いていた。
 ルナマリア一人でどうしようもない時は手伝うなり医師を呼ぶなりするつもりだったのだが。
 「ルナマリアさん・・・思っていたよりしっかりした子ですね」
 「そうだな」
 ルナマリアとシンのやり取りを、二人はしっかり聞いていた。
 彼女は強い。
 言葉通り、シンに寄り添い、彼の心を守るだろう。
 そしてそのために、彼らはこれからたくさん話をするはずだ。
 どんなに時間がかかっても。
 どんなに困難が多くても。
 二人で乗り越えていくに違いない。
 自分たちはそれを見守り、支えていけばいい。

 「あの・・・」
 「ん?」
 「申し訳ありませんでした・・・シンのこと」
 「・・・ああ」
 「それと・・・その、この間の、あれは・・・」
 「・・・」
 「い、痛かった・・・ですよね」
 「見りゃ分かるだろ」
 「・・・」
 シホはそっと、イザークの前髪をはらった。
 髪で隠しているが、まだ額のあざは残っている。
 やたら肌の色素が薄いので、痕がなかなか消えないのだ。
 「・・・ごめんなさい」
 「もういい。俺も悪かった」
 そう言ってイザークはポケットから何かを取り出す。
 ぐいっとシホの目の前に突き出した。
 「?」
 「誕生日の・・・その、これはちゃんと後でラッピングするつもりで・・・」
 「ネックレス?」
 銀の鎖の先に小さな銀のクロスのネックレスだ。
 選んで買ったはいいが、ずっとポケットに入れたまま忘れていたのだろう。
 そこがまたイザークらしくて、シホは小さく笑った。
 「濡れたけど」
 「かまいません。・・・素敵」
 受け取り、手にとって眺める。
 そして胸の所で握り締めると、イザークに寄り添った。
 彼の冷えた体を暖めようかというように、その体温を預ける。
 「ありがとう」
 「ああ」
 そうして、口付けをひとつ。
 
 
 
 二組の男女が寄り添い。
 静かな夜が過ぎ、新しい朝がやってくる。


 
2006/01/01

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