セイレーン・セイレーン 07

最悪の事態



 港を出ると、すでにキキが待っていた。
 ご丁寧に三台のバイクを用意して。

 「僕も行きますからね」

 いささか憮然とした顔でそれだけ口にし、イザークが咎める前にバイクを発進させてしまった。
 「・・・ッ、あの野郎」
 「何かあったのかしら」
 「知るか!」
 ぼやぼやしている場合ではない。
 二人も慌ててバイクにまたがった。
 「隊長!」
 名前を呼ばれて振り返る。
 マニとマックスが不安げな表情で走ってくるところだった。
 「隊長・・・」
 「待機していろ。もうすぐ本国から援軍が来る。それをお前に任せるから」
 マニは何を言っても無駄だと察しているのだろう。
 ただ、責めるような目でイザークとシホを見ている。

 すまない、とぽつりとつぶやくと、イザークはバイクを発進させた。


 
 カタリナは手の中の小瓶を弄んでいた。
 自分にとって命を繋ぐ薬。
 これがないと自分は生きていけない。
 それが分からないほどカタリナは無知ではなかった。

 自分が「ふつう」ではないと気付いたのはいつだったか・・・。
 思い出せない。
 何か決定的なものがあったのかもしれないが、記憶を消されたり差し替えられたりの繰り返しで、
 今となっては自分の中にあるどれが本物の記憶なのかすら分からない。
 でも・・・そうだ。
 研究者の目。
 神経質そうな白衣のあの男たちの目を見るたび、自分と「お仲間」は異常なものなのだと認識させられる。
 モノを見るような・・・それでいて、バケモノを相手にしているように怯えているような。
 カタリナにしてみれば、連中の方がよっぽど感情のないモノのようだ。
 まるで機械のように、「お前たちを生かしてやっているのは自分たちなんだ、感謝しろ」と繰り返す。
 そうしてカタリナたちに妙なものを飲ませ、いらなくなったらメスで切り刻む。
 ああ、やっぱり連中の方がバケモノだったではないか。

 ころん。
 手が滑って小瓶が落ちてしまった。
 でも心配する必要はない。
 中身は全てこの艦の軍医に渡され、定期的にカタリナに投与されている。
 あの軍医は・・・白衣は着ていたけれども、モノともバケモノとも思わなかった。
 カタリナが大人しくなってからは何かと気を使ってくれたし、お菓子もくれた。
 そのくせ研究者たちのように「感謝しろ」なんて言わない。
 ここにいる人たちは、みんな好き。
 「大好き」
 口に出してみた。
 自分で言ったその言葉がとっても嬉しくて、カタリナは笑った。

 イザークは大好き。
 一番好き。
 綺麗で優しくて強い。
 最初はカタリナが悪い子だったから、研究者たちのバケモノだったから怒られたけど。
 でも今はとびきり親切だ。

 フェイも好き。
 軍医みたいにお菓子をくれた。
 それに冗談でカタリナを笑わせてくれる。

 レイも好き。
 イザークみたいに綺麗だし、話をたくさん聞いてくれた。
 自分の国に来ていいよ、と言ってくれた。
 また会いたいな。

 マニは・・・キライじゃないけど好きじゃない。
 たまに睨んでくる。
 カタリナのこと、嫌いなのかな?
 今度聞いて、悪いところがあったら直さなきゃ。

 マックスもあまり好きじゃない。
 泣いていることが多い。
 笑えばいいのに。
 泣く、は好きじゃない。

 シホはキライ。
 だってイザークのこと怒るもの。
 それなのに、イザークはシホのことばかり見てる。
 カタリナに優しくする時だってシホのことを気にしてる。
 だから、シホはキライ。

 キキは・・・。
 キキ、は。
 「好き?」
 この間までキライだったのに。
 でもさっき助けてくれた。
 カタリナをかばって、大丈夫?って言ってくれた。
 自分の方が怪我してるのに。
 そんなこと、誰にもしてもらったことなかった。
 誰にも言ってもらったことがなかった。
 キキの手は、暖かかったな。


 「キキ・・・?」
 ふと、気付く。
 そういえば、キキはどこに行ったのだろう。
 すぐに帰ってくるからね、と言って部屋を出て・・・それきりだ。
 どこ?
 鎖で繋がれているから部屋からは出れない。
 だからカタリナは、ふらふらと窓へ足を向けた。
 港には人気がない。
 そのせいか、動く人影がすぐ視界に入ってきた。
 「キキ?」
 いや、違う。
 軍服ではあったが、キキが着ていた色ではない。
 走って艦をあとにする二つの影。
 白と赤の服。
 「イザーク・・・」
 イザーク、とシホだ。
 慌ててどこに行くのだろう。
 ぼんやりと眺めていたカタリナだが、やがてあることに気付く。
 銃。
 イザークとシホは手に銃を持っている。
 
 何故?

 カタリナのぼうっとした表情は、ゆっくりと険しいものに変わっていった。
 
 



 フェイは泣きたくなった。
 ・・・どうしてこう、自分は貧乏くじを引くのだろうか、と。 

 ノエル・リーマンが使っていた部屋を調べていた部下からの連絡。
 彼らが発見したというものの正体を聞いたとき、もう慌てる気も起きなかった。
 「タイマー式時限爆弾ねぇ・・・」
 つまりは時限爆弾でしょ、と。
 やる気のない声で返答した艦長に、実際爆弾を目の前にしている部下たちは不安げに顔を見合わせた。
 「・・・解体とか、できないの?」
 爆弾処理はアカデミーの授業の一環に入っていたはず。
 「アカデミーで学んだ程度の知識じゃ無理ですよ、これは・・・」
 「専門の人間を呼んだら?」
 「それでも難しいでしょうね」
 「・・・」
 念のためその爆発物の画像を転送させたが、これがなかなか凝った造りだった。
 どちらかといえば劣等生だったノエルにこんな大層なものが造れるとは思えない。
 おそらくはこのコロニーでできた「オトモダチ」のお手製だろう。
 「あの、艦長・・・?」
 貧乏くじの中でも、とびっきりらしい。

 「全員、艦から退避」



 イザークたちを見送ったあと、マックスとマニはラリッサ駐屯局に形ばかりの報告をしていた。
 すでにノエルの所業を聞かされていたらしい主任は、慌てるばかりで全く話にならない。
 ノエルの居場所が掴めそうだという別になくてもいい内容だったのだが、
 何を勘違いしたのか自分は何も知らず、ノエルとは関係ないという言い訳を繰り返していた。
 二人はそれを適当に聞き流し、艦に戻る途中だ。
 
 「そりゃ私は銃の成績酷かったですし」
 「・・・うん」
 「体術もからっきしだし」
 「・・・うん」
 「シホさんに比べれば可愛くないし」
 「そんなことない・・・っていうか、それは全然関係ないと思う」

 何気ない会話。
 でも、周りの空気が心持ち冷え冷えとしているのは気のせいか。
 置いていかれた、という事実がマックスの胸に重苦しくのしかかっていた。
 一番苦しい時を乗り越えてきた。
 それなのに、どうして今この時、自分たちはここに残されたのだろう。
 一緒に戦いたい。
 マックスは、特にそういう思いが強い。
 同じ女性でありながらMSの操縦も、生身の戦闘も完璧にこなすシホにコンプレックスを感じながらも、
 必死でくせのあるジュール隊の仲間に付いていこうと努力してきたのだ。
 そして能力がありながら、隣で気のない返事を続けるマニに苛立った。
 「マニさんは悔しくないんですか!?」
 立ち止まり、背の高いマニをにらみ付ける。
 「置いていかれて・・・!」
 「・・・悔しいに決まってるだろ」
 「じゃあ何で!?」
 「この場所も守んなきゃなんねーからだよ」
 「・・・?」
 マックスは言われた意味が分からず首をかしげる。
 ほんの一瞬、決まりの悪い沈黙が訪れた。
 「まだお前に・・・」
 マニがぽつりと口を開く。
 「はい?」
 「謝って、なかった」
 「何を?」
 「メイズ、怪我させた・・・」
 「それ、は・・・」
 マニのせいではない。
 事故の詳細はマックスも聞いている。
 悪いのはノエルであってマニではない。
 しかしマックスがそれを口に出す前に、マニはうつむいたまま歩みを再開させた。
 慌ててその後を追う。
 「マニ・・・」
 「隊長に、頼まれたのに・・・艦と、お前たちを。だから、ごめん」
 メイズの怪我をずっと気にしていた。
 そして今度こそ、残っている者たちを守ろうと。
 イザークが帰ってくる場所を守ろうと。
 「・・・ごめんなさい」
 「何でお前が謝るの」
 マニが苦笑し、マックスも少し・・・笑った。


 「何か、騒がしいな」
 艦が停泊しているブリッジに近づくと、人だかりができている。
 一時間ほど前の襲撃の調査のせいかと思ったが、自分たちが出るときより物々しくなっている気がした。
 そのなかでマニとマックスは、集団の中で部下となにやら話していたフェイを見つける。
 「フェイさん!」
 その声にこちらを振り返ったフェイは、ものすごい表情で駆け寄ってきた。
 あまりの迫力に後ずさりするマニの目の前まで来ると、その肩をがっしりと掴む。
 「フェ・・・」
 「あの女の子は!!?」
 「は・・・あ、女の子?」
 「あの子だよ・・・カタリナ!」
 「へ、部屋の中でしょ・・・って言うか、これは一体・・・?」
 「部屋にいないんだよ、見かけなかったか?」
 「俺たちが知るわけない・・・って、いなくなったんですか?拘束してたんでしょ?」
 「関節はずして手錠から腕を抜いたらしい」
 「・・・」
 どこの忍者だと絶句するマニに対し、マックスは周りを見渡しながら肝心な問いを口にした。

 「何かあったんですか?どうしてクルーが全員ルソーを降りているんです?」


 5分後にはそれらしい少女がバイクを盗んで街の方に走って行ったという報告があった。
 よほど堂々としていたらしく、多数の目撃者がいたという。
 プラントからの援軍が入港する港の変更を指示したりしていたフェイたちは揃ってそれを聞いた。
 爆弾の次は捕虜脱走か。
 「ああ、もう・・・」
 「本人は盗んだなんて自覚ないでしょうね・・・バイク」
 「逃げた、かな?」
 窺うように言ったマニに、フェイは首を振る。
 「多分、違う」
 精神的に幼い故か、他人に依存する傾向が強い娘だった。
 彼女にとって、頼るべきなのはイザークであり、ジュール隊の面々だ。
 自分の体を薬漬けにしていた科学者たちではないということが分からないほど彼女は馬鹿ではないだろう。
 おそらくは、イザークたちを追いかけていったのだ。

 事態は最悪だった。
 




 看板にこそ製薬会社と書かれているが、もちろんそれは表向きのことだ。
 以前視察する目的で訪れるはずだったその建物。
 あの時はノエルの策略で辿り着くことができなかったのだが、
 迷うほど複雑な場所にあったわけではなかった。
 これまでの怪事件・・・もちろんノエルが起こしたものだが・・・も、いち早くこの場所を割り出したメイズに危機感を抱てのことだろう。
 最初からここに答えがあったのだ。

 入り口でバイクを止め、シホと慎重に門をくぐる。
 ・・・人の気配がなかった。
 機密の建物でなくとも、守衛くらいいてもいいだろう。

 「・・・あ!」
 銃を構えて数歩入った所で、シホがあることに気が付いた。
 「あ、あの、イザ・・・じゃなくて隊長」
 「何だ」
 「キキはどこでしょう?」
 「・・・」

 忘れてた。

 自分たちより先に出発したのだ。
 しかもバイクの限界速度を出していたらしく、さっぱり追いつけなかった。
 ここにも当の昔についているはず。
 「バイクがないってことは、まだ着いていないということか?」
 「迷子になってるのかも」
 「まさか。いや、でも好都ご・・・・・・」
 「?」
 言葉の途中でフリーズしてしまったイザークに、シホは怪訝な顔をする。
 そのまま施設の正面玄関に向けられている彼の視線の先をたどれば・・・。

 「ちゃんと到着してましたね」
 「見りゃ分かる」
 「良かったじゃないですか」
 「どこがだ」
 キキの姿はどこにもないが、彼が乗っていたバイクは玄関の戸の向こう。

 そして立派なそのガラス戸といえば。
 見事に大穴が開いていた。



 「やってくれるじゃないの、バイクで突っ込むなんて・・・っと!」
 ノエルの呆れた声への返事は、容赦ない銃弾。
 距離が離れていた上、こちらは三階、向こうは吹き抜けを隔てた一階のロビー。
 難なくよけながら、ノエルは移動する。
 「本ッ当、めちゃくちゃ・・・」
 視界の端に、止まってしまったエスカレーターを駆け上がる金髪の少年の姿が映った。
 それなりの能力の持ち主だということは知っていたが、もっとおっとりした性格だと思っていた。
 まさかバイクに乗ったまま玄関に突っ込む根性の持ち主とは・・・。
 しかも敵と認識したこちらをにらむ表情が、別人のように凍り付いている。
 あの金の瞳を思い出し、ノエルは少し身震いした。
 

 「キキ、どこだ!?」
 耳に響いたイザークの声に、キキはようやく我に返る。
 エスカレーターの途中で振り返れば、イザークとシホが自分が開けた玄関の穴をくぐって来るところだった。
 僅かな安堵を感じながらも緊張感は緩めない。
 「あいつ、上階です!」
 興奮した口調でそれだけ言うと、キキは再びエスカレーターを上り始めた。
 待てと叫ぶイザークの声も聞こえなかったことにする。

 「あんの野郎ーっ!」
 イザークとシホもエスカレーターを数段飛ばしで上り始めた。
 それが玄関の正面・・・つまり自分たちの目の前にあったこともあるが、
 この建物は最上階の五階まで吹き抜けになっているので相手の位置もつかみ易い。
 エレベーターでは視界が寸断、電気を切られたら終わりだ。
 上階を仰いだ視界の端に、最上階へと消えた人影を辛うじて確認した。
 おそらくはノエルだ。
 それにしても、この人気のなさはどういうことだろう。
 すでに逃げ出してしまったのだろうか。
 だとしたらかなりの逃げ足の速さだが、さすがにデータを全て消す暇はなかったはずだ。
 目的はここで人体実験が行われていたという動かぬ証拠なのだから、
 即席の装備で乗り込んだ甲斐があったのかもしれない。
 必要なものさえ手に入れればノエルのことだってあとでどうにでもできる。
 そんなことを考えながら、最上の五階までエレベーターを一気に駆け上がった。

 「キキ!」
 吹き抜けを臨む形になる一本の廊下。
 エレベーターから少し離れたところに先に到着していたキキが立ち尽くしていた。
 この階にもいくつも部屋があるが、キキの目の前にある部屋のドアだけが開いていた。
 そしてその先を見るキキは銃を握った右手をだらんと下げ、呆然とした表情。
 「キキ!」
 「キキ、どうしたの?」
 イザークたちが駆け寄っても反応しない。
 顔も真っ青だった。
 
 つられるようにその視線の先を追いかけ・・・。
 イザークとシホも、息を呑んだ。

 その部屋には、幾つもの死体が積み重なっていたのだ。
 



 薄暗い部屋に、十数体の死体。
 どれも頭や胸を銃で撃ちぬかれ、ぴくりともしなかった。
 そのうちのいくつかが白衣を着ていることに気付く。
 「・・・ここの研究者たちか」
 むせる血の匂いで胃がおかしくなりそうだ。
 抵抗する間もなく、しかも動けなくなるまで弾を撃ち込まれたのだろう。
 中には若い女性までいる・・・酷いものだ。

 耐え切れなくなったキキがぐうっと喉を鳴らしてかがみこんだ。
 シホも耐えているようだが顔が真っ青だ。
 無理もない・・・。
 だが、今のこの切迫した状況ではいちいち気遣ってやることはできなかった。
 イザークはわざと冷徹に言い放つ。
 「しっかりしろッ」
 「す、みません・・・」
 「キキ、ノエルはここに入っていったんだな」
 その問いに対してキキが首を縦に振ると、イザークは銃を構えて入り口のすぐ横に張り付く。
 突入の体制だ。
 その姿を見てようやく軍人の顔を取り戻し始めた二人に、イザークは潜めた声で命令する。
 「俺が入る。シホはここで援護しろ。続いて中に入るかはお前の判断に任せる」
 シホが頷き、イザークとドアを挟んで同じく壁に張り付いた。
 「キキ、お前は別行動だ」
 「・・・え?で、でも・・・ッ」
 「しっ・・・!」
 思わず声をあげかけたキキを眼光で叱咤する。
 「どこでもいいからここのパソコンからメインコンピューターに繋げ」
 「隊長、ぼ・・・僕は」
 「私情を挟むな」
 「・・・ッ」
 「目的を忘れるな。メインコンピューターに繋いだ後のことは言わなくても分かるな?」
 「・・・はい」
 キキは完全に納得できない様子だったが結局了承した。
 軍人にとって命令は絶対だ。
 キキは自分の立場をちゃんとわきまえているし、
 この場合はイザークの言うことの方が効率的だということも理解できている。
 
 キキはイザークとシホに対して敬礼する。
 二人が頷くことで答えると、彼はもと来た道を戻り始めた。



 シホに目で合図し、イザークは慎重に部屋へ足を踏み入れた。
 部屋は薄暗くて奥まで良く見えない。
 相手が身を潜めていることも考え、注意深く周りを見渡した。
 部屋のほぼ中心まで来たところで一度振り返った。
 ・・・誰もいない。
 この部屋はミーティングルームか何かのようだ。
 教卓替わりの巨大な電子パネルが青い光を鈍く発している。
 椅子は並べられているもののデスクはなく、隠れるような場所はなかった。
 耳を済ませても聞こえるのはパネルの主電源だろうぶーんという低い機械音だけ。

 ノエルはこの部屋からまた何処かへ移動したのだろうか。
 見れば隣の部屋に通じていると思われる扉が左右に一つずつある。
 どちらへ向かおうかと決めかねた。
 すると、敵がいない気配を察したシホが続いて中に入ってくる。 
 ゆっくりと、シホの方を振り返った。

 そして。
 イザークはようやく「それ」に気付いた。

 「!!!」
 気が抜けていたため、一瞬反応が遅れる。
 天井の通気口。
 暗闇に慣れてきたイザークの瞳に、見間違えようのない銃口の先が見えた。
 パネルの青い光に照らされて不気味に光るそれは。

 イザークを撃つ機会は充分にあった。
 認めたくはないが、隙だらけだったはず。
 それなのに。
 そうだったというのに。
 狙ったのは・・・。
 
 「シホ!」

 
 銃声が響き渡った。


 シホはイザークにいきなり押し倒されていた。
 「・・・・・・ッ!!」

 反転した視界に映ったのが天井だと認識するのに時間がかかった。
 しかも仰向けた体が上から何かに圧迫されて、呼吸が上手くできない。
 あと数秒この状態が続いていたらパニックに陥っていただろう。
 「この野郎!!」
 胸の圧迫がなくなると同時に、鼓膜を振るわせる聞き慣れた声。
 イザーク?
 シホが知っている限り、彼はお世辞にも上品とは言えないこんな罵声を口にしたことはない。
 いや、それについてははっきり言ってどうでもいい。
 聞かなかったことにすればいいだけの話だ。
 ただその声があまりに耳の近く・・・しかも大音量で発せられたため、シホは本当に呼吸を止めてしまった。
 時間にしてみれば3秒ほどだっただろうが、情けなくもシホは床上に大の字になっていた。

 と、がんがんっと耳障りな音が上から聞こえる。
 「待て!」
 続いて再びイザークの声。
 少しかすれている。
 がんがんがん・・・ッ。
 天井からのそれは、まるで足音のようだ。
 ・・・天井から、足音?
 シホはようやく理解した。
 敵は通気口から天井に上り、こちらを狙っていたのだ。
 時間は充分あっただろう。
 人ひとりが簡単に入り込め移動できるものだとすると、
 もともと通気口に見せかけた脱走路だったと見るのが妥当だ。

 イザークは真っ先に、おそらくは気配でそれに気付いた。
 狙われた自分をかばいつつ反撃したのだ。
 天井にいくつも銃痕が残っている。

 「イ・・・ッ、ザーク!」
 状況を把握し、シホは跳ねるように体を起こした。
 敵の気配はおろか、イザークすら部屋を出た後だ。
 天井の足音を頼りに追いかけて行ったのだろう。
 ぼんやりしている場合ではない、援護しなければ。
 シホは打ち付けた体に鞭打って立ち上がった。
 「・・・?」
 反射的に銃を持ち直そうとして、違和感に眉をひそめた。
 何だか、手にぬめりとしたものが付いている。
 薄暗いためにすぐには分からなかったが、それは床に手をついたときに付着したものだった。
 金臭い・・・。
 「血!?」
 シホは慌てて自分の身を確認する。
 イザークに押し倒された時にできた頭のこぶ以外、怪我らしい怪我などない。
 例の死体の山のどれかのものかとも一瞬思ったが、距離が離れているし、この血はどう見ても真新しい。
 と、いうことは・・・。



 天井の足音を追いかけるイザークは、そのままドアで繋がった隣の部屋へと移動した。
 そこもやはり薄暗い。
 前の部屋と違うところは、大小さまざまな電子パネルが部屋のいたるところにあるということ。
 まあ、おかげで視界は何とか確保することができる。
 それにしても、この部屋の感じは覚えがある・・・。
 軍事に当てはめるなら、要塞の司令官室といったところだ。
 天井に目をやれば、通気口らしきものが口を開け放しにしている。
 「こっちに来いよ」
 突然声をかけられぎょっとした。
 しかもこれはマイクを通した大音量の声だ。
 間違えようのない、あの男の声。
 「・・・」
 慎重に前に歩き進みながら、相手の姿を探す。
 案外それはすぐに見つかった。
 パソコンの裏など隠れるところはいくらでもあったというのに、
 彼は一番奥にある立体映像用のテーブルに腰掛けていたのだ。

 「・・・ノエル・リーマン」
 「どおも」

 銃を向けながらゆっくりと近づいていく。
 対するノエルは銃を手にとってはいたものの、構えてはいない。
 無防備な状態だ。
 観念した、ということか。
 一瞬頭に過ぎった可能性をすぐに振り払う。
 こいつが、そんなことをするわけがない。

 「シホを・・・狙ったな?」

 シホの名前を出した途端。
 ノエルの瞳が、鈍く光った。
 造ったような笑みも、まるで無邪気な子供のそれに変化する。
 狂気が、見え隠れする。
 イザークは背中に冷たいものを感じた。

 「そおそお、シホちゃんね。可愛いよなぁ」
 「・・・」
 「黒い髪キレーだし、ちっちゃいけどスタイル良いし・・・もう味見したの?」
 「・・・」
 聞いてはいけない。
 けれども。
 自分を挑発する目的だと分かってはいても、胸がざわつく。
 いらいらする。
 まるで・・・目の前で彼女を汚されていくようで。
 「抱いた感想は?どんな顔?どんな声で啼くの?」
 「・・・ッ、何が、言いたいッ」
 「凄く見たかったんだよねー」
 ふっと視線を遠くに飛ばしたノエル。
 そのあまりの無防備さにイザークの方が面食らってしまった。 
 しかし。
 次の瞬間には凍りつく。


 「あの可愛い子の肉が裂けて赤い血が飛び出る様を・・・あんたの目の前で!」


 最後の言葉は。
 銃声にかき消された。
 

 「・・・」
 アイスブルーを冴え冴えとさせたイザークが、煙を吐く銃を構えて立ち尽くす。
 彼がノエルの頭部を狙って発射した弾は。

 当たらなかった。

 「よくできてるでしょ?」
 「・・・何だ、これは」
 「見てわかんない?強化ガラス」
 銃弾は透明な板によって阻まれていた。
 ノエルには届いていない。
 ようやく彼の余裕が理解できた。
 イザークとノエルの間に、肉眼では判別しづらい防護壁が立ちはだかっていたのだ。
 最初から安全な所でイザークをからかっていたわけだ。
 
 「その銃、結構強力だな。ひび入ってら」
 ノエルがくすくす笑う。
 蜘蛛の巣のようにひび割れたガラスの向こう側なので表情を見ることはかなわないが、
 やはり嘲りのそれが浮かんでいるのだろう。
 イザークの胸にどろどろとしたものが沸き起こる。
 「・・・開けろ」
 「冗談」
 低い声ですごむイザークに鼻をならした。
 そんなことをしたら最後、蜂の巣にされる。
 自殺行為だ。

 ―――・・・って、もう死んだも同じか。

 心の中でそうつぶやく。
 そう。
 自分にはもうあとがない。
 だから。
 何でもできるのだ。


 『イザーク!イザーク!!いるの!!?』
 「シホ?」
 ドアを激しく叩く音と、その向こうから聞こえるシホの声。
 イザークははっとして振り向く。
 何があったの?開けて!開けてください!!』
 「・・・な?」
 ドアを叩くどんどんという音とシホの必死な声は続く。
 イザークは訳が分からず一瞬パニックになってしまった。
 ロックをかけた覚えはない・・・シホが中に入れないわけはないのに。
 
 「無駄だよ、シホちゃん」

 マイクを通したノエルの声が、部屋内にうるさいくらい響いた。
 ドアの向こうのシホにも聞こえたらしく、ふと静かになる。
 ノエル、あなた・・・!』
 「俺がロックかけちゃった。ここ以外だと制御室からじゃないと開かないんだよね」
 『いい加減にしなさい!イザークに何かしたら・・・ッ』
 シホはその後も何事か叱責を続けているが、ノエルは無視をした。
 イザークも、注意をノエルへと戻す。
 助けは来ない上に閉じ込められてしまったわけだが、シホの安全は確実だ。
 それにこれまでのノエルの行動を考えると、やはり彼に味方はいないと見ていい。
 この場さえ切り抜ければどうとでもなる。

 「ノエル・・・逃げ切れると思っているのか?」
 「逃げないよ」
 「なら武器を捨ててここを開けろ。殺しはしない」
 「・・・なんか含みのある言い方だな」
 「メイズの怪我は拳30発だ」
 「いや、多い・・・っつーか、中途半端だし」
 「何でもいい。開けろ。俺は気が短いんだ」
 「・・・あんた、交渉には向かないな」

 ノエルは座っていたデスクから降り、ひびの少ないガラスの方へと移動する。
 イザークもそれに従い、再び相手の表情が判別できるほどになった。
 当然ガラスの壁は未だに立ちはだかっている。

 目を合わすなり射殺さんばかりににらみつけてくるイザーク。
 ノエルはもう慣れたとでも言うように、ただ琥珀の瞳を細めた。
 そして、にっこり笑う。
 「・・・?」
 「これなーんだ?」
 「え・・・」
 笑顔のノエルが突き出すように掲げたもの。
 意図が飲み込めず一瞬ぽかんとしたイザークだったが、その左手に収まるものに息を呑んだ。
 黒い・・・リモコンのようなものに見える。
 何かの、スイッチ?
 「ジュール隊には世話になったからさ」
 「ま、さか」
 「ルソーに置き土産してきたんだ」


 爆弾?
 ルソーに?
 


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