ジンジャー




 乾いた風が吹き込んだ。

 ゆらり。
 絹のカーテンが翻り、部屋の中に太陽の光を誘い込む。
 どこかほの暗かった空間に、その光は強烈だった。
 
 「うう・・・ん」

 窓からやや斜めにずれた位置に、豪奢なベッドがある。
 大人が並んで三人は寝れるだろうそこでシーツに包まっていた人物が寝返りをうった。
 白いシーツに黒いたっぷりとした髪が映える。
 ベッドにいたのは二十代前半かと思われる、華奢な東洋人の女だ。
 「ん・・・んん?」
 女、シホ・ハーネンフースはぼんやりとした表情で、腫れぼったくなった瞼を押し上げた。
 見慣れた天井が見える。
 と、その時。
 再び強い風が吹いてカーテンのすき間から外の明かりが差し込んだ。
 「!!!」
 シホの頭の中が急回転する。
 「ひ、昼!!?」
 がばっ、とベッドから飛び出して床に足を着く・・・が、下半身に力が入らずにへたり込んでしまった。
 見れば自分は全裸だ。
 そして立たない腰・・・。
 昨晩の出来事が否応なく甦り、頬に血が集まる。

 シホは部屋に自分ひとりしかいないのをいいことに、盛大に舌打ちした。



 
 シホ・ハーネンフースは米国で育った。
 母の実家は日本でも一、二位を争う名家だったのだが、
 外国人との結婚に反対した母方の祖父母は、赤ん坊だったシホと父親を日本から追い出した。
 ドイツ人の父は最初は母国で暮らそうとしたが、後に友人を頼ってアメリカに渡った。
 十五歳の時に父が亡くなり、シホは軍隊に入った。
 食べながら勉強ができるというのも理由にあったが、一番の理由に自分と父を捨てた母があった。
 実家に縛られ、誰にも逆らえない弱い女・・・。
 シホは手っ取り早く、しかも目に見える形の力が欲しかったのだ。
 努力の甲斐あってか、シホは女性ながらも米軍の中ではエリートとされる特別部隊に配属された。
 そして十九の時に、奇しくも母がいる日本に派遣されることになる。
 米国に敵意を持つ国々のテロが各国に飛び火し、日本も標的にされたのだ。

 そこでのテロとの交戦で、シホはある裏切りを見た。
 仲間が大勢死んだ。
 自分は何とか生き残った。
 そして・・・仲間と自分は切り捨てられた。
 自分が目指した力は、権力の前では無力過ぎたのだった。

 絶望したまま本国に帰り、すぐに軍を辞した。
 真実を知るシホを危険視した者もいたようだが、
 口封じをしたければすればいいと隠れることはしなかった。
 浮浪者のように街を歩き、路上で寝起きした。
 信じていたものに裏切られ。
 守るべきものをなくし。
 何もかもどうでも良くなっていた・・・己の命さえ。
 そんな時、ある男がシホの前に現れたのだ。



 「私はボディガードとしてこの国に来たのよ!!断じて愛人じゃあないわ!」
 シホは大声で悪態をつきながら、台の上に畳まれていたアーミージャケットとパンツをまとう。
 小柄な彼女には少々不釣合いなライフルもベルトで固定し、無線を掴むと部屋を飛び出した。
 「今日の予定は確か・・・東の塔で会議か。イザークったら、どうして起こしてくれないのよぉ!」
 イザーク、とはシホの雇い主の名前だ。
 この砂礫の果ての国、プラントの皇子で、第四王位継承者である。
 そしてアメリカで抜け殻のようになっていたシホを誘拐同然にプラントに連れて来た張本人でもあった。
 
 シホはイザークの寝室を出ると洗面所に駆け込んで顔を乱暴に洗った。
 本当は髪も何とかしたい所だがこの際仕方がない。
 見苦しくない程度に身なりを整えると中央の本宮に延びる廊下を早足で歩いた。
 イザークが住まいとしている南の離宮は他の王族が利用しておらず、使用人も少ない。
 主が簡素を好むこともあって、イザークが宮を出ると途端にがらんとしてしまう。
 掃除や昼食の準備は昼前に終わるので、シホは途中誰ともすれ違わなかった。

 ようやく長い廊下に終わりが見えたとき、シホは反対側から歩いてくる長身に気がついた。
 「ディアッカ!」
 「あれ、シホじゃん」
 褐色の肌をしたその男は、同僚のディアッカ・エルスマンだった。
 「どうしたんだよ?そんなに慌てて」
 「イ、イザーク・・・殿下、を捜して、るんだけど・・・」
 早口でまくし立てようとしたシホだが、途中で声が尻つぼみになってしまった。
 上目遣いにディアッカを見れば苦笑いをしている・・・ばれた。
 こんな腫れ上がった目をして、しかも声が明らかに掠れている。
 そのうえ寝坊したとなれば、昨夜何があったのか丸分かりだろう。
 「あ、あの・・・」
 「イザークならもうこっちに戻ってるんじゃないのか?会議は30分前に終わってるぜ」
 「え、嘘!?」
 「嘘じゃねぇよ」
 「寝室には・・・知ってる所は取りあえず見たけど・・・いなかった」
 「書斎は?」
 「・・・見た」
 言いながら、シホの顔からどんどん血の気が引いていく。
 30分も前に会議が終わっているのなら、イザークはとっくにこの離宮に戻ってきていいはずだ。
 王位継承のライバルである異母兄弟たちがいる他の離宮に用もなく行くはずがないし、
 ディアッカが本宮から来たということは、そちらにもいないということだ。
 「おい、シホ!お前真っ青だぞ」
 「・・・」
 シホは最悪の事態を想定していた。
 このプラントでは、米国寄りの態度を取るイザークに反感を持つ勢力がある。
 そうでなくても彼は王位継承者だ。
 テロに巻き込まれた、誘拐されたという可能性は充分過ぎるほどあった。

 シホがここまで過剰に心配するには理由がある。
 実はつい十日前、イザークは何者かの襲撃を受けていた。
 ある人物を秘密裏に訪問する際、街中で突然至近距離から発砲されたのだ。
 傍にいたシホが彼を庇い事なきを得たのだが、
 わき腹には防弾チョッキを貫通した弾での傷が生々しく残っている。
 「さ、捜さなきゃ・・・無線でミゲルとラスティに連絡を・・・っ」
 「ちょ、落ち着けって!」
 浮き足立つシホを、ディアッカが静止する。
 まずいことを言ったという顔だ。
 「今日俺は午後非番だし、お前はその・・・寝てたから遠慮したんじゃねぇの?」
 「でも、どこにも・・・」
 「まあ待てって。一つだけ心当たりがあるから」
 「?」

 ディアッカはシホの手を引き、彼女が歩いてきた道を引き返し始めた。
 しばらくしてシホが使ったことがない別の廊下へと曲がり、奥へ奥へと進む。
 王宮は侵入者を混乱させるために複雑な造りになっている。
 プラントに来て日の経っていないシホには、
 ディアッカがどこをどう歩いているのかさっぱり判らなくなった。
 「ほら、ここだ」
 開けた場所に出た。
 広がる空間の美しさに、シホは思わずため息を漏らす。
 吹き抜けのようになっている広いそこに、色とりどりの花を咲かせた花園があった。
 「ここは・・・」
 「エザリア様の花園だ」
 「・・・エザリア様って、イザークの?でも・・・」
 エザリアは国王の第三夫人でイザークの生母だが、二十年近くも前に亡くなっていると聞いた。
 それなのに目の前の花園は手入れが行き届いていることは一目瞭然だ。
 ということは、管理しているのは間違いなくイザークだろう。
 この南の離宮から離れようとしないのも、母親の形見である庭を保つためなのかもしれない。
 「イザークはさ、小さい頃は侍女の目を盗んですぐどっかに消えちゃって・・・よく大騒ぎになった」
 ディアッカがすぐ目の前にあった黄色のバラを撫でながら、視線を遠くに飛ばす。
 シホも黙って聞き入った。
 「俺やミゲルもよくイザークを捜すのに借り出されて、一番見つける確立が高かったのがこの花園だった。
 このバラの花壇の中で泥だらけになってたこともあったっけ」

 どうして幼いイザークは周囲の者を心配させてまで姿を隠すことがあったのか。
 ディアッカはその理由までは口にしなかった。
 聡明なシホ相手には言う必要もないと思ったのだろう。
 国王の第二皇子として生まれ、生みの母親も早くに亡くしたイザークは孤独だったに違いない。
 ディアッカという親友やミゲルという兄貴分もいたが、王位継承権を持つ以上、
 否応なく権力争いに巻き込まれ、肉親たちからの悪意に満ちた眼差しに晒されてきたのだ。
 シホはバラの花壇で泥で顔を汚しながら涙を誤魔化す少年の幻影を見た。
 今もそうだが、あの銀髪の彼は小さい頃からプライドが高かったのだろう。
 ライバルである異母兄弟たちは勿論、親友や侍女たちにさえ涙を見せたくなかったに違いない。
 
 「きたきた、お出ましだ」
 ディアッカの言葉に振り返れば、ミゲルを伴ったイザークがこちらに歩み寄ってくる所だった。
 切りそろえられた銀髪に、この砂漠地方では珍しい白磁の肌は特徴的だ。
 白いトーブに袖のない薄い水色のコートを羽織り、王族に相応しい凛とした風格を漂わせている。
 その美しさに一瞬シホは見とれてしまい、彼の眉間にあった皺にはとっさに気づくことができなかった。
 「どうしてお前らがここにいるんだ?」
 「そんな言い方ないだろ。お前が悪いんだぞ、イザーク」
 「何だと?」
 ディアッカは悪びれる様子もなく肩をすくめる。
 「シホちゃんが真っ青になってお前のこと探し回ってたんだよ。だからここまで連れて来たの。
 会議で国王やキラとやりあったんなら、きっとここに逃げ込んでるだろうと思ってさ」
 「・・・お前、シホに余計なこと言ったんじゃないだろうな?」
 「さあ?シホちゃんに直接聞けば?」
 「ディアッカ!」
 「ミゲル、行こうぜ。正規のボディガードが来たからもうお前はフリーだろ」
 「ああ、そうだな」
 「ミ、ミゲル・・・」
 ディアッカと共に花園から去ろうとするミゲルにシホは縋るような目を向けるが、
 金髪の同僚はまあ頑張って、と手をひらひらさせながら背を向けてしまった。

 「・・・」
 「・・・」
 しばらくはお互い無言だった。
 シホは決まり悪そうにイザークから視線を逸らし、口を尖らせる。
 彼の姿を見るまではその身が案じられてならなかったが、
 いざ無事だとわかると部屋に置いていかれた憤りが甦ってきたのだ。
 「私はボディガードです」
 「・・・ああ、そうだな」
 「分かっているなら・・・っ、私に黙って行かないでください」
 「ミゲルを連れて行った」
 「彼の優秀さは知ってます!でも・・・責任者は私なのに」
 突き上げる感情が怒りなのか悲しみなのか判断できず、腕に爪を立てる。
 イザークにその気がなくても、
 女であることにコンプレックスがあるシホはどうしても軽んじられていると感じてしまう。
 すると爪を立てていた手を、イザークの手がやんわりと包み込んだ。
 「シホ、悪かっ・・・」
 「こんなことで誤魔化さないで!!!」
 シホは逃げるように彼の手を振り払う。
 「あなたなんかに抱かれなきゃ良かった!」
 「・・・」
 「私は女だけど、兵士なのよ。
 あなたに王族としてのプライドがあるように、私にも兵士としてのプライドがあるの。
 愛人扱いするというのなら、今すぐ米国に帰して!!」
 「・・・」
 一気に感情を吐き出したシホを、イザークはしばらく無言で眺めていた。
 そして先ほどまでディアッカが愛でていたバラへと視線を移す。
 「お前を妾にしてハーレムに押し込むつもりはない」
 「・・・」
 「知っていると思うが俺の母は外国人だった。国王に見初められ、無理やりハーレムに押し込められた」
 「・・・」
 「そこで俺を産むと他の妾や正妻のいじめにあって、衰弱して死んだ。
 俺はお前を・・・愛している女をそんな目にあわせる気はない」
 イザークはそこで言葉を一端切ると、立ち尽くすシホの前で跪いた。
 「兵士としてのお前の仕事を軽んじたことは謝る。だから・・・もう少しボディガードとして傍にいて欲しい」
 「ボディガードとして?それ以外なんてありえないわ」
 「愛している」
 「ボディガード兼愛人ってこと?ふざけないでよ」
 「俺が嫌だというのなら、二度と触れない」
 「やめて」
 「俺が嫌か?」
 シホは思わずイザークを睨み付けた。
 自分が「NO」と言えないと分かっていて、この男は・・・!
 だが、見つめ返すアイスブルーは逆にこちらが怯んでしまうほど真っ直ぐで真摯だった。

 「私、わたしは・・・」
 おろおろとし出したシホを真顔のまま見つめていたイザークだが、
 そっと立ち上がると長い腕で彼女を包み込んだ。
 男にしては線の細いイザークも、東洋の血が濃いシホと比べると頭一つ分背が高い。
 両腕を回されれば簡単に動きが制限されてしまう。
 「お前が悪い、シホ」
 「?」
 先ほどのディアッカと同じ口調にきょとんとしたのもつかの間、耳元で息を吹きかけられて両膝が震えた。
 「お前が可愛いから。我慢できない」
 「そ・・・んな、勝手な」
 「お前が欲しくてたまらない」
 やっぱりからかわれてる!
 そうは思っても、この場を逃れるいい方法が思い浮かばない。
 「や、やめて」
 イザークは王族でありながら情に厚い面があり、そのうえ頭脳明晰かつ容姿端麗だ。
 何だかんだでシホは彼に惹かれていた。
 悔しいが肉体関係を持ったことで一気に気持ちを引きずられてしまったことも自覚している。
 だが感情に身を任せ、流されるままでは危険だということも両親の件から思い知っていた。
 かと言って、シホは色恋に関してはどうしようもなく無知だった。
 耳の裏や首筋などの弱い部分を攻められたらどう対処してよいのか分からず、混乱するばかりだ。

 イザークの手がアーミージャケットの中を潜りそうになるのを察して、シホはとうとう降参した。
 「い、イザーク・・・待って、やめて・・・お願い」
 「嫌か?」
 「ここは嫌・・・おねがい、許して・・・」
 もう足が体を支えていられなかった。
 イザークの上質の服に、皺が寄るのをかまわず爪を立てる。
 いたずらをしていた手の動きが止まり、あっという間に華奢な体を抱き上げた。
 きっと、自分を手玉に取ってしてやったりと笑っているのだろう。
 ・・・と思ったが、その瞳は真摯なままだった。
 シホは何だかほっとして、力を抜いてしまった。




 その日のニコル・アマルフィの優雅だったはずの朝は、イザーク皇子によってぶち壊しにされた。
 「日本の花を植えたい」
 開口一番そう言ったイザークを、ニコルは琥珀色の瞳で呆れ気味に見やった。
 「日本の花って・・・エザリア様の庭園にですか?」
 「そうだ」
 「日本の花って言ってもピンからキリまでありますよ。
 まずはここの気候で育てられる花を庭師に選んでもらってください」
 「黄色の花がいい・・・ほら、細い花びらがたくさんある・・・」
 「菊ですか?」
 「そう、それだ!」
 「なんでまた・・・」
 そんなマニアックなものを、と続けようとしたニコルの言葉はドアの音にかき消された。

 「イザーク!!!」
 
 「し、シホ・・・」
 甲高い声を上げながらニコルの部屋に入ってきたのはシホ・ハーネンフースだった。
 アーミージャケットにパンツといういつものスタイルだが、興奮しているのか顔が真っ赤だ。
 そのままイザークに駆け寄り、ニコルには聞き取れない日本語で何かを訴えている。
 シホに対しては物静かな女性だという印象を持っていたニコルはその激昂ぶりにびっくりした。
 ニコルが呆然としている間にも、シホは早口の日本語でイザークに迫っている。
 対するイザークはしどろもどろで、やはり日本語でもごもごと言い訳しているようだ。
 そこでニコルはシホの声が擦れていることに気がついた。
 よく見れば顔だけでなく目も赤い。
 二人の関係を知っているニコルはすぐに何があったかを察した。
 ここに日本語が堪能なディアッカがいたら、赤面すること必至だっただろう。

 とりあえず、イザーク殿下ご所望の「日本菊」を手配しておこう。
 プラントの気候で上手く育ってくれるか分からないが、まずやってみないとこの我儘な皇子は納得しない。
 取り寄せたら後は庭師の仕事なのだ。
 
 そんな他人任せなことを考えながら、
 ニコルは痴話喧嘩を続ける若い二人の喧騒に背を向けた。



 


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2008/12/08


リーフノベルズの「冷たい砂」シリーズパロ。
イザークはエロオヤジですね(苦笑)。29歳くらいじゃないかな。
振り回されているシホは22歳くらい。(←原作とは別に勝手に年齢設定)
歳の差萌え。