サーカス

 



 まだ薄暗い窓の外から礼拝の詠唱が聞こえる。
 ムスリム特有の朗々とした調べは、異教徒のシホの耳にはどこかミステリアスな音色だった。
 ぼんやりとした意識が冷たい外気で覚まされていく。
 シーツからはみ出たむき出しの肩が冷えていた。
 けれども先ほどまでの激しい熱に貪られ続けた体は冷たい空気を望んでいる。
 闇に慣れてきた視界に小机の上の水差しが映り、シホはそれを手にしようとベッドから身を乗り出そうとした。

 「…ッ!」

 しかし途端に足の間に痛みに近い違和感が走る。
 そのまま目の前が反転し、重力に従った上半身が床に向かって落下する。
 「シホ」
 「あ…」
 間一髪、背後から伸びてきた腕がシホを抱きとめた。
 そのまま引き寄せられて背中にぴたりと熱い肌を感じる。
 「畜生」と悪態をつこうとしたが、先程の行為で焼けた喉からは掠れた吐息しか出てこなかった。
 するとイザークは何を勘違いしたのか、シホの黒髪の間から首筋へと噛みつくようなキスをしてきた。
 「シホ、…シホ」
 「ん、んぅ」
 後ろから回された手が胸のふくらみを弄り、一晩中慣れない熱を受け止めていた場所にまで手が伸びる気配を感じる。
 シホは反射的に竦み上がり、何度かむせ込んだ後ようやく言葉らしい言葉を口にのせた。
 「イザーク、もう…無理よ!」
 「触れているだけだ」
 「じゃあこの手をどけろーーー!」
 
 肉が薄いために骨が張って尖ったシホの肘がイザークの脇腹に食い込んだ。




 「どこにも逃げたりしない…どこにも行かないわ」
 そう呟けば、シホの痩躯を膝抱きにしてなお肩に絡ませていたイザークの腕がようやく強張りを解いた。
 「体はどうだ?痛くないか?」
 「それほどでも…でも、すぐに動き回るのは無理ね」
 そっけなく言いながらも、肌が擦れ合い相手の吐息を近くに感じる度に昨夜の熱がぶり返しそうでシホは隠すのに必死だった。
 …どうかしている。
 行為に至る前はあれほど緊張していた体も、今は嘘だったかのように相手の肌に馴染んでいた。
 どうにか気分を逸らそうと「礼拝には行かないの?」と質問してみた。
 「ここで祈ればいい」
 「罰あたりね」
 腰に回された手を軽く叩く。
 だがその瞬間、腕に骨まで響くような痛みを感じて眉をひそめた。
 セックスの後の鈍痛とは全く違うそれに、ようやく銃傷を受けていたことを思い出す。
 「傷が痛むのか?」
 イザークもすぐにシホの異変に気づいて腕の包帯へと手を伸ばしてきた。
 巻かれた包帯は寸分も乱れていない。
 シホは行為の最中は気にしている余裕はなかったが、彼はちゃんと腕の傷を気遣って抱いてくれたようだ。
 ただ腕を曲げ伸ばしすれば傷口に障るのは当然で、白い布地に赤い血が滲んでいる。
 ボディガードを了承したシホから言わせればこの程度で済んだと喜ぶところなのだが、守られたイザークとしてはそうもいかないらしい。
 謝罪の言葉こそ口にしなかったが、しばらく沈痛な面持ちで包帯を染める赤を眺めていた。
 「巻き直した方がいいな」
 そう言うなり、小机に置きっ放しになっていた新しい包帯と医者が置いていった軟膏に手を伸ばす。
 器用にもシホを抱いたまま手当てを始めた。

 ぱらりと包帯と抑えられていたガーゼが解かれ、負ったばかりの傷口が露わになる。
 縫う必要はないと判断されたが、改めて見ると塞がるには時間がかかりそうだと思われた。
 皮膚はきざきざに破れてところどころ火傷の痕が残っているし、中から覗く肉はまだ血に濡れている。
 訓練に支障があるなら痛み止めをもらう必要があるかもしれない。
 「ずいぶんと大人しいな」
 ぼんやりしていると、新しいガーゼに軟膏を塗りながらイザークが意外そうな顔を作っていた。
 てっきり自分で手当てすると意地を張ると思ったのだろう。
 先程まで傷ついたような顔をしていたくせにとシホは顔を彼が覗き込んでくる方とは逆方向へ背けた。
 と、再び傷口に刺すような痛みが走る。
 同時にぬるりとした感触を感じてシホはぎょっと振り返った。
 「な、何してんのよ!」
 見ればイザークが熟れた傷口に舌を這わせている。
 これまで突拍子もない行動を取る男だとは思っていたが、やっぱりこいつはおかしい。
 この予想外の行為から逃れようとするが、腕はがっちりと抑えられていてしまっていた。
 「ん…ん…」
 「ふっ」
 熱い舌が傷口やその周囲を滑り、痛みと痺れが交互に襲う。
 と、シホは背中にぞわりとしたものを感じて戸惑った。
 なぶられているのは腕だというのに…。
 昨夜男を知ったばかりなのに、これでは自分が痴女のようではないか。
 でも不可解な感覚は覚める気配もなく、太腿も勝手にもぞもぞと動きだす。
 相手にばれはしないかと冷や汗をかいていると、ようやく傷への悪戯を止めたイザークはガーゼを腕に当てて慣れた手つきで包帯を巻いた。
 
 その様子にほっと安堵の息を吐いたのもつかの間、ぐらりと視界が回ってシーツの上にあおむけに倒された。
 「は?」
 とっさに反応するより早く、イザークが馬乗りになる。
 そのまま唇をぺろりと舐められれば、己の血の味がした。
 「もう一度したい。いいだろう?」
 「…やだ」
 「優しくするから」
 絶対嘘だ、と思った。
 自分の乳房を押しつぶしてのしかかってくるイザークの双眸は欲に濡れている。
 「いいか?」
 「…」
 もうシホは嫌だとも駄目だとも言わなかった。
 間違いない。
 この男はおかしいが、自分もおかしい。
 あるいは病気だ。
 そうでなければ、触れられてもいない場所が濡れるはずもないのだから。
 イザークも気づいているだろう。
 だが彼はシホを貶めるようなことを口にはせず、了承の意を口にしない女の首筋に歯を立てただけだった。




 イザークは慎重に腰を推し進めてきた。
 「ふう、…ああ、あ」
 シホはくぐもった声を上げながらその剛直を受け入れる。
 昨夜ほどではなかったが、蕩けていた体には一気に苦痛が走り、思わず唇を噛みしめた。
 「い、た…っ」
 やはり狭いのか、イザークもつらそうだ。
 体が痛みと恐怖で竦み、先端を飲み込んだ内部は拒んで締め付けている。
 「力を抜け…っ、狭い…」
 イザークはそういう間にもじわじわとシホを犯していた。
 動きがゆっくりなため、改めて入り込んでくる男の形を生々しく感じてしまう。
 シホは力を抜くどころかますます体を固くするばかりだ。
 するとイザークは一度動きを止め、上体を下へとずらした。
 
 「あ、ちょ…っと!」
 急に変わった体勢に驚く間もなく、胸の双丘を鷲掴みされる。
 「やっ…うん…ぁ…ああ!」
 両手で大きく揉まれ、歯まで立てられて悲鳴を上げる。
 そのうちに下肢からは力が抜けてしまったらしい。
 ぐっと内臓を押し上げられるような感覚と同時に、シホの体は貫かれていた。
 根元まで咥えさせられて苦しい。
 「う…やだ、…ぁ」
 「まだ、辛いか?」
 こくこく頷いて必死に苦しさを訴えるが、彼が行為を中断するはずもない。
 胸や鎖骨に華を散らし、ひたすらシホの緊張が解けるのを待った。
 「あ、いや…」
 口ではまだ拒絶の言葉を吐いているが、シホの体は溶け始めていた。
 無意識に腰が揺れ、密着したまま動かない男を挑発する。
 「いいか」
 「ふあっ…?」
 目じりを赤く染めたシホが戸惑った表情で見上げてくる。
 吐息に甘いものが混じっているのを確かめ、イザークは細い腰を掴んでこれまでののろくさした動きとは比べ物にならないほど激しく腰を打ち付けてきた。
 「うあっ、あっ…、ああ、やぁっ…」
 敏感な部分を擦られ、指先まで火花が散る。
 楔が引き抜かれていくのに眩暈がするほどの愉悦を感じたかと思えば、次には内壁を絡めながら押し入られて声にならない絶叫を上げた。
 強引過ぎる動きに、それでも開かれた肉体は慣れていく。
 いつの間にかシホの柔肉は己の意思とは無関係に雄を締め付け、誘うように吸いついていた。
 「シホッ」
 見下ろすイザークの表情にも余裕がない。
 いつの間にか額に汗の玉を浮かべ、乱れた銀髪を数本貼り付かせていた。
 シホがその顔に見とれていると、ぐっと奥深くに付き入れられ動きが止まる。
 黒い瞳に涙を滲ませたシホの中に、熱い欲情を吐き出された。
 「ああっ!!」
 ひときわ高い悲鳴を上げ、そのあとは声にはならなかった。
 乾いた唇がはくはくと動き、太腿が痙攣している。
 「ん、…シホ」
 イザークは達した後の気だるさを感じながら、汗と涙でぐしゃぐしゃになっているシホの顔を指で拭ってやった。

 しばらくだらだらと余韻を貪り息を整えていたが、まだ熱は冷めない。
 まだ繋がったままの腰を動かせば、シホも色を含んだ声で啼いた。
 イザークは欲望に従おうとする己を抑え、しばし逡巡する。
 行為を再開したいのは山々だが、後でシホに怒られるだろうし何より傷に障るかもしれない。
 かといってこのまま体を話すのは名残惜しいと思っていると、投げ出されたままだった白い足がイザークの腰に絡んできた。
 まだ固さを取り戻していない雄を煽りたてるように、けれどもどこか拙い動きで腰を回している。
 足りないのかと意地悪を言いそうになった口を慌てて押えた。
 ここでシホの機嫌を損ねるより、その気になった体を楽しむべきだろう。
 彼女が正気に戻った時の反応も興味をそそられる。

 イザークはシホの傷を心配していたことなどすっかり意識の隅に追いやり、彼女の赤い舌に噛みついた。






 次に目を覚ました時、今度こそイザークはいなかった。
 体中に疲労が絡みつき、思うように動くことができない。
 「何時だろ…」
 のろのろと起き上がり、置かれていたミネラルウォーターを手に取って喉を湿らせた。
 …ひりひりする。

 窓の向こうからまた礼拝の声が聞こえる。
 今度こそあの男は行ってしまったんだろう。
 日はすっかり高くなっていて、どれだけの間この部屋で惰眠を貪っていたのかをシホに知らしめた。
 ふと視線を落とせばシーツがぐしゃぐしゃに乱れて床にずり落ちそうになっている。
 昨夜から朝にかけて散々に乱れた自分が恥ずかしいというよりも、どこか遠い他人事のような心持ちだった。

 思えば流されるだけだった母親の生き方を拒否し、決して男に翻弄されるまいと気を張り続けて生きてきた。
 それが風変りな砂漠の皇子に捕まり、求愛を受け、身まで任せてしまうとは。
 けれども胸には嫌悪ではない…どこか安堵のようなものが生まれている。
 ただひたすら前だけを見てきた。
 自分だけを守ってきた。
 進むことに必死過ぎて、これまではどこか地に足がちゃんと付いていなかったような気がする。
 
 
 気がつけば祈りの声は止んでいた。
 ゆっくりと日常の喧騒が戻っていく。
 廊下の向こうで召使たちが行きかう足音や話し声。
 静止していた時間が動き出す。
 
 そのうちの一つは、この部屋の持ち主のものだろう。
 自信家で、傲慢で、無茶ばかりする気位の塊みたいなあの男…。
 シホの一番嫌いなタイプだ。
 …でも。

 ―――彼を守ろうか。

 シホをこの国まで攫い、翻弄し、女にした。
 それまでのシホ・ハーネンフースとは違う存在にした。
 砂礫の果てに居続けるためには彼が必要だ…今のシホには必要だ。
 

 
 かちゃり、とドアノブが回る音。
 次にキスを仕掛けてきたら、噛みついてやろうと思った。



 


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2009/06/25