こころおと




 深く深く沈み込んでいた意識が、ゆっくりと浮上していく。
 やがて手足には感覚が宿り、肌は外気を感じ始めた。
 しかし。
 それでもまだ、シホは夢見心地だった。
 自分が覚醒していることに気付いたのは、独特の消毒薬の匂いが鼻をかすめたためだ。

 ―――医務室?

 シホはとっさにまぶたを持ち上げようとして、それがかなわないことに気付く。
 その理由が思い当たらないうちに、近くで人の気配がした。
 「気が付いたかい?」
 年配の男の声が頭上から降りてくる。
 どうやら自分はベッドに横になっているようだが・・・なぜか視界は開けない。
 「気分はどうだい?」
 「・・・」
 口を開いたものの、何をしゃべればいいのか思いつかない。
 シホは唇から自分の耳ですら聞き取れない息を吐いただけだった。
 目が見えず、混乱していたせいもある。
 「落ち着いて、包帯はすぐとれるから」
 「ほ、うたい・・・?」
 頭の中で男の声を何度も反芻し、ようやく答えに思い当たる。
 のろのろと右手を動かし、顔まで運んでみた。
 なるほど、指の先が確かに包帯らしいものに触れる。
 それは額から両目をすっぽりと覆うように巻かれていた。
 何も見えないはずだ。
 「私、は・・・?」
 「被弾したそうだよ」
 ・・・そんな説明だけで分かるものか。
 普段のシホならそんな文句の一つでも口にするところだったが、目が見えないという不安がそれをためらわせた。
 視界が確保できない今の状態は、正直心細い。
 声の主・・・もしかしてなくても軍医だろう、の気配があることを確認したシホは、ともあれ懸命に心を落ち着ける。
 そしてこれまでの記憶を掘り起こした。
 確か、昨日はいつも通りにボルテールで軍務をこなしていたはずだ。
 新兵のトレーニングに付き合って、マニと一緒に機体のチェックをして。
 それから最後に週一回の報告書を隊長に・・・した、だろうか?

 ―――被弾したそうだよ。

 ああ、と。
 思わずため息が漏れてしまった。
 そうだ、報告書を提出する直前にコンディション・レッドになったのだ。
 巡回中に連合月艦隊の同じ巡回隊と衝突し、MS戦・・・。


 シホは伊達に赤のパイロットを努めてきたわけではない。
 死線も何度かくぐった。
 乗機を損傷させた上に怪我をして一時戦線を離れなければならなくなった苦い記憶もある。
 それでも。
 MS戦闘中に意識を完全に飛ばしたことは初めてだった。
 ・・・油断していた。
 まさか、組み付いてきた相手が自爆するとは。
 連合の兵士にそんな気概などないと甘く見ていたのかもしれない。
 むしろ捕虜から情報が得られると得意になっていたのだ。
 アラートが鳴るとほぼ同時に確保した連合のダガーが爆散し、体を激しい衝撃が走り抜けた。
 その後のことはまったく覚えていないが、相手との距離からして自分の機体はもう駄目だろう。
 こうして自分が生きているということだけでも驚きだ。
 しかも・・・どうやら五体満足らしい。
 「・・・最悪」
 「え、何だい?」
 「いえ、別に」  
 悔しさと情けなさで穴にでも入りたい気分です・・・何て言うのも馬鹿馬鹿しい。
 大体、両目をふさがれている状態ではそれもかなわない。
 深く息をつき、枕元に投げ出されたままだった右手で再び顔の包帯をいじった。
 大層に巻かれている割にあまり痛みはない。
 一体どういう怪我だったのだろう?

 自分の怪我の程度を傍にいる軍医に聞こうか聞くまいか迷っていると、遠くの方からどやどやと足音が聞こえてきた。
 大人数だ、四人、五人?
 まさか・・・。
 「うわー、すごい包帯。シホー、生きてるー?」
 ・・・悪い予感が、当たった。

 「ホントに痛くないの?」
 キキの声に頷くことで応える。
 ベッドの周りを馴染みの仲間たちが取り囲むようにして座っているようだ。
 あちこちから声が飛び交って、これはこれで落ち着かない。
 「それにしてもシホ、お前らしくない失敗だったじゃん」
 これはマニ。
 やや嬉しそうなキキとは違い、さすがに心配してくれているらしい。
 「私のザクは?」
 「あー、それ駄目。とっくにスクラップ」
 「・・・そ」
 「あ、いじけてるいじけてる」
 「やめろよ、キキ」
 キキをたしなめたのはフェイだ。
 ・・・ということは、ルソーからわざわざ来てくれたということか。
 マックスとメイズの声もする。
 ディアッカと・・・隊長のイザーク以外は全員そろっているようだ。
 少しだけ。
 ほんの少しだけ、胸の奥がちりちりした。
 だからといって、イザークはどこ?と聞くことは気恥ずかしくてできない。
 彼はこの隊を率いる隊長だ。
 仕事で駆けずり回っているに決まっているのだから・・・。
 シホがそんなことを考えていると。 
 「メットのガラスで眼球の表面をまぶたごと切ったんだって?失明しなくてよかったなあ」
 「・・・」
 そうだったのか。
 マニの言葉に、背中が寒くなった。
 自分の怪我の程度は当然気になってはいたが・・・やはり聞かないほうが良かったのかも。
 マックスは何かを想像したのか低くうめき、キキとメイズはうわぁー痛そぉ、と口をそろえた。

  しばらく話して、やがてシホを取り囲んでいた仲間のうち、幾人かが立ち上がった。
  どうやらルソー組のフェイ、ワイルド姉弟のようだ。
  と、フェイが思い出したように口を開く。
  「これからしばらくシホ抜きか。ボルテールのシフト、きつくなるんじゃないのか?」
  「僕は嬉しいけど。隊長が代わりにシフトに入るんでしょ」
  「もう!だからやめなさいって!!」
  相変わらず言葉に棘のあるキキをマックスが叱る。
  しかしシホはその棘にも気づかず、思わず、そうなの?と聞き返した。
  「イザ・・・ジュール隊長が?でも、今でさえ忙しいのに」
  「いや、そうでもないよ。最近ずっとブリッジだったから、結構ストレスたまってたみたいだぜ」
  シホの焦燥を感じ取ったのか、マニが冗談交じりに言う。
  彼としてはシホがイザークに仕事を押し付ける形になったことを気にしていると思ったようだ。
  本当は少し・・・違うのだが。
  その後は黙り込んでしまったシホに、仲間たちはそれぞれ別れを言って去って行く。
  ・・・扉の閉まる音。
  あまりに聞き慣れているはずのそれが、何だか痛かった。




 体が、熱い。
 夢を見ていた。
 炎に焼かれる夢。
 シホは狭いコクピットの中で。
 閉じ込められて灼熱に焼かれていた。
 開閉ボタンを押して、扉を叩いて、助けを呼んで・・・。
 扉は開かない。
 熱い。
 熱い。
 熱い。
 助けて、ここから出して!!
 シホの言葉は闇に消えていく。
 誰にも届かない。
 やがて。
 あとにはただ闇だけが残る。
 夢の中でさえシホを追いかける闇。
 怖い・・・。
 怖い、死にたくない。
 助けて・・・!

 「       」

 誰かの名前を呼んで。
 その自分の声で、目が覚めた。
 相変わらず包帯が巻かれていて瞳は開かないが、
 肌に触れるシーツや消毒液の匂いがシホに現実感を感じさせる。
  ああ、良かった。
 怖い夢が終わった。
 ・・・開放されたと思ったのは一瞬だった。

 体が熱い・・・。
 しかも楽な姿勢で横たわっているはずなのに、息苦しかった。
 「せん・・・せ・・・」
 軍医を呼んでみる。
 出してみた声はかすれていてほとんど音にならなかった。
 が、声が出せたところであまり意味はなかっただろう。
 医務室はしんと静まり返っていて人の気配がまったく感じられないのだ。
 シホが眠ってからどれほどの時間が経過したのか分からないが、軍医は休憩にでも入ったのだろう。
 目が見えない自分を置いていくなんて、医者としてあまりに薄情なんじゃないだろうか。
 看護師の一人くらい残しておくべきだろう!
 その時はそう思ったシホだが、実はボルテールに現在看護師は乗っていない。
 常に最前線にいるジュール隊だが、与えられる軍備はそれ相応とは言いがたかった。
 あちこちの宙域を飛び回っていれば、物資もなかなか順調には与えられない。
 むしろ物資を待つより自分たちの方から取りに行くのが早いと、数日ごとにゴンドワナと戦場を行ったりきたりするのがジュール隊の日常になっている。
 医療面でもそれが言えた。
 この艦に常駐している軍医ももともとは別の隊から派遣されてきた医師で、
 結構長くいてくれている方なのだ。
 同じく入れ替わりの激しい看護師は値を上げて去っていく者が多く、
 つい先日もたった一人いた看護師が降りてしまっていた。
 あの軍医も一人でここにつめているわけだから、艦の誰もがオーバーワークなのである。
 ・・・熱に浮かされたシホに、そこまで考える余裕はなかったが。


 ベッドに呼び出しボタン・・・いわゆるナースコールのようなものは置いてあるのだが、
 妙な意地が邪魔をしてシホは手を伸ばそうとすらしなかった。
 浅い呼吸を繰り返しながら、ひたすら時が過ぎるのを待つ。
 「       」
 無意識に。
 また名前を呼んだ。

 「       」
 
 眠れない。
 眠ったら眠ったでまた夢を見てしまいそうだったが、
 独り熱に浮かされるこの時間もシホにとっては拷問だった。
 何だか、良くないことばかり考えてしまう。
 さっきの、マニの言葉だって。
 
 ―――いや、そうでもないよ。
 ―――最近ずっとブリッジだったから、結構ストレスたまってたみたいだぜ。

 ・・・そんなこと、マニよりシホの方がよく分かっている。
 前大戦時は小隊長ということでMSから隊員たちに指示を与えていたイザークだが、復隊して今の地位を与えられてからは艦のブリッジにつめることがほとんどだった。
 現在の規模の隊となると、やはり全体を見渡す必要があるから。
 それでも、あのユニウス・セブン破砕任務の時のような不測の事態には弾丸のように飛び出す。
 イザークは、己が一人安全なところにいることを良しとしない。
 そういう性分の人だから。
 けれど。

 ―――結構ストレスたまってたみたいだぜ。

 それはつまり・・・。
 「私が怪我して・・・都合が良かったってこと?」
 独りなのをいいことに、不満を声にして口を尖らせる。
 フェイたちのように、見舞いに来てくれないことも不満だった。
 彼が誰より忙しいのは分かっている。
 抱き合い、体を重ね、愛をささやきあう関係だったとしても、
 「戦場」においては彼を独占することはできない。
 分かって、いるのだけれど。
 息が苦しい。
 胸がむかむかする。
 きっと、消毒液の匂いのせいだろう。
 暗闇の中で、シホはどうしようもない焦燥と孤独を感じた。
 感じるのは、ただ・・・熱すぎる自分の体温と、深いな匂いと、闇。
 せめて目が見えたら・・・。

 しゅん、と。
 あの、エアの音がした。
 熱のためにシホの耳に遠く聞こえたそれだが、誰かが入ってくる気配に気づく。
 あの薄情な軍医だろうか?
 いいや、足音が違う気がする。
 かつかつという硬質で規則正しい音。
 それは入り口から数歩中へ進んだところで止まった。
 軍医がいないことに戸惑っているのか。
 一瞬軍医不在を教えるべきかと思ったが、相手が誰とも分からないのにそんなことをしてやるのもおっくうになった。
 狸寝入りを決め込むことにしよう。

 しゃんっ。

 ・・・これは何の音だ?
 随分と自分の近くだった気がするが。
 カーテンの、引かれる音?
 そのことに思い当たったのとほぼ同時にシホの鼻先をかすめたのは、
 あのむかつく消毒液の匂いではなく、覚えのあるコロンの香りだった。
 ―――ああ、これは・・・。
 意識はまだ朦朧としている。
 けれど、来訪者の正体ははっきりと分かった。
 が、相手の正体が分かってもシホは動こうとしない。
 動けなかった、という方が正しかっただろう。
 怪我をして彼に迷惑をかけてしまったという気まずさもあったし、
 寝たふりをしていることがばれたらそれはそれで恥ずかしい。

 しばし、無音の刻が流れた。

 彼はシホが眠っていると思い込んでいるのか、一言も発さない。
 シホも話さない。
 どれくらいそれが続いたのか、やがて床の辺りで金属がこすれるような音がする。
 そして次にぎしり、と重みを感じさせる音。
 椅子を引き寄せて座ったのだとすぐに分かった。
 彼は別段面白くもない自分の寝顔を見学しているようだ。
 相変わらず沈黙の時間は続いている。
 シホは何だかうずうずしてきた。
 このまま寝た振りをし続けるのは・・・やはり卑怯なのではないだろうか。
 しかし、いまさら・・・。
 その時、頬にひやりとした指が触れた。
 わずかに身を硬くする。
 でも・・・気持ちいい。
 発熱した体に彼の体温はちょうど良くて。
 頬に張り付いた髪をやんわりと払ってくれたその手を追いかけるように、無意識に首を傾けた。
 「シホ・・・?」
 彼が名前を呼ぶ。
 ああ、ようやく声が聞けた。
 それだけで大きな安堵感がシホの胸に広がる。
 「シホ、起きているのか?」
 彼の言葉を、シホは理解できなかった。
 その声音の優しさだけが耳に心地よい。
 懐かしい声。
 懐かしい体温。
 懐かしい香り。
 目が見えないからこそはっきりと感じる。
 何だか・・・随分と長い間離れていたみたいだ。
 彼の、名前を呼ぶことも。

 イ ザ ー ク 

 遠のく意識。
 再び眠りに落ちようとするシホの首筋に、優しいキスが降りた。





 「ご迷惑をおかけしました」
 
 赤服を着こなし、何事もなかったように背筋を伸ばして敬礼するシホ。
 イザークは書類から目を離すと、ああ・・・、と気のない返事をした。
 すると隣にいたディアッカがイザークに見えないように笑いを漏らす。
 「シホちゃん、目はどうなの?」
 「・・・『ちゃん』はやめてください。もう問題ありません。今日から軍務に復帰できます」
 「ああ、聞いている」
 全治一週間と診断されたシホは、五日後に復帰した。
 まぶたを切った時の傷もよく見ないと気づかない。
 心配された視力も全く問題なく、軍医の許可も下りた。
 「シホちゃんがいない間、大変だったんだよー。仕事たまっちゃって」
 「・・・すみません」
 「あ、いや・・・ごめん。責めてるわけじゃ・・・」
 「そうだ。ディアッカがサボってばかりいるのが悪い」
 すかさず口を挟んだイザークに、ディアッカは肩をすくめる。
 「へーへー、どうもすみませんね」
 そのまま立ち上がり、ドアに向かう。
 そうしてシホの横を通り過ぎた時、耳打ちする仕草をして、けれどもイザークに聞こえる声でささやいた。
 「誰かさんのことが気になって仕方なかったみたいでさ、デスクワークは全然役に立たなかったの、あの人」
 「・・・は?」
 「おい、ディアッカ!」
 シホは目を丸くし、イザークは赤くなってデスクから立ち上がる。
 「かといって宙域巡回の時も上の空。やっぱり誰かさんがいないと危なっかしいったら・・・」
 「ディー!!」
 投げつけられたマグカップを、ディアッカは難なくキャッチする。
 ごゆっくりー、と手を振りながら、ドアの向こうに消えて行った。
 「・・・」
 「・・・あの」
 「何だ?」
 「いえ、その・・・」
 気まずい空気が流れ、シホは視線を泳がせる。
 椅子から立ち上がったままのイザークだったが、息を吐いてシホの方へ歩み寄った。
 「見舞いに行けなくて悪かったな」
 「え・・・!?あ、いいえっ」
 一瞬どきりとし、そして少し複雑な気分になる。
 イザークはそんなシホの様子に気づいていないのか、淡々と言葉を重ねた。
 「目は・・・本当に大丈夫なんだな」
 「・・・はい」
 「今度からは気を抜くな」
 「・・・はい」
 蒼眸が、シホの顔を覗き込む。
 正確には、まぶたの傷を。
 促されるように顔を上げれば、イザークの指がシホの顔の輪郭をなぞる。
 やや体温の低い、優しい手。
 ああ、やはり夢ではなかった。
 彼は、自分が眠っていたと思い込んでいたようだけれど、自分はちゃんと覚えているから。

 「お前、演技下手だな」
 「・・・・・・・・・は?」
 ふいにイザークが発した言葉を咀嚼し、そして固まる。
 今、何と?
 「演技って・・・」
 「寝たふり」
 「起きてたの知ってたんですか!?」
 「何だ、やっぱりそうなのか」
 「・・・ッッ」
 やられた。
 真っ赤になって恨みがましくにらみつけるシホに、今度はイザークが視線を泳がせる。
 「怒るな」
 「怒ってません」
 「怒ってるだろ」
 「だったらどうだって言うんです?」
 口を尖らせてそう応えれば、イザークが苦笑した。
 笑うな、とまたにらむ。 
 「キスしてやるから」
 「な・・・っ」
 そんなことで誤魔化されるか。
 そう言おうとしたシホだが、鼻孔をかすめた香りにはっとした。
 声と、体温と、香り・・・。
 参った、と。
 力を抜く。
 
 その後は。
 痛いほどの抱擁と。
 熱くて、それでいて優しい口付けを。



 
2010/03/02


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