アウェイ 〜彼の素顔〜




 いつものごとく居間で読書に夢中になっていたレイだったが、玄関からの物音に現実に引き戻された。

 ごとんっ、と何かがひっくり返るような音。
 次いでこの家の主の声が聞こえてきた。

 「いたたたっ、くそ・・・!」
 「イザークさん!何やってるんです?大丈夫ですか?」
 玄関のドアにもたれかかるようにして座り込んでいるのはレイの同居人。
 この家の主でもある、イザーク・ジュールだ。

 そのイザークの周りには、彼が持っていただろう書類の束がばら撒かれていた。
 見れば、午前のうちにレイが整理して置いたはずの二人の靴も乱れている。
 レイはとりあえずイザークに手を差し伸べる。
 「いらん」
 「また転びますよ」
 「うるさい」
 イザークはふてくされた顔でそう言い、立ち上がる。

 そして足元にあった書類に足を滑らせ。
 またこけた。
 

 そのイザークの顔には、右半分を覆うように包帯が巻かれていた。
 だから遠近感がつかめないのだ。
 後で聞くと、仕事場でもあちこちにぶつかったり転んだりで笑われてばかりだったという。

 包帯を巻いているのは、別に怪我をしたわけではない。
 というか、もともとあった傷跡を手術で消したのだ。
 中性的で怜悧な美貌を斜めに割る傷跡を初めて見たとき、
 レイはかなり驚いたが同時にやはり彼は軍人なのだと妙に納得した気分にもなった。
 そしてその傷が、ようやく消える。


 「包帯はいつ取れるんですか?」
 「明日だ。全く、シャワーが浴びれないから気持ちが悪い」
 イザークはぶつぶついいながらレイが煎れたコーヒーを口に運ぶ。
 玄関で腰をしたたかに打ちつけたイザークは、結局レイに書類の山から助け出されていた。
 仕事で恥をかき、レイにも醜態をさらし、情けないことこの上ない。
 物にあたりたくても腰が痛いのでやりたくないし、レイに八つ当たりしても自分が惨めになるだけだ。
 これも全てストライクのせいだ、と顔を見たこともないパイロットを呪うことしかできなかった。
 
 「どこで取るんです?」
 「は?」
 イザークは怪訝な顔をしてレイを見た。
 「だから、包帯」
 「・・・」
 今度は一体何にこだわっているんだろう。
 「病院に決まっているだろう」
 「そうですか」
 レイはうつむき、黙り込む。
 表情の乏しさゆえに何を考えているのか分からないのだが、それでも何かに残念がっているのは分かった。
 「おい貴様」
 「はい?」
 「まさか俺がずっとこれつけたままの方がいいだなんて言わないよな?」
 言うかもしれない。
 レイだから。
 だが、予想に反してレイは首を振った。
 「早く、傷のないイザークさんの顔が見たいです」
 「・・・そのわりに随分と包帯にこだわってるじゃないか」
 「ああ、だって・・・」
 「だって?」
 「イザークさんの傷のない顔、一番に見られないのは残念だな、って」
 「・・・」
 「すごく、綺麗だと思うから」

 レイは顔に傷のあるイザークしか知らない。
 それでも初めて会ったとき、彼の容姿の美しさに惹かれた。
 何にも興味を持たなかった自分が、初めて心を奪われた。
 だからこそ。
 あの傷がなかったら・・・。
 そう思ってしまうのは自然のことだろう。
 だからイザークが整形手術を受けると知ったとき、嬉しくてたまらなかった。
 顔には出さなかったが。


 「取ってもいいぞ」

 「え?」
 「巻き直せばいい」
 レイは空色の瞳を見開く。
 イザークはコーヒーのカップを置き、からかうような笑みを浮かべていた。
 「本当に、いいんですか?」
 「ああ」
 あくまで真剣に聞いてくるレイに、イザークの笑みは苦笑にかわる。
 手を軽く組み、歩み寄ってくるレイに少しあごをしゃくった。
 自分でやれ。

 レイはその意図を汲み取り。
 そっとイザークの顔を覆う包帯に手を伸ばした。

 ゆっくりと包帯をといていく。
 レイは妙に緊張している自分に気付いた。
 それを表に出すまいと唇をきゅっと結ぶ。


 やがて、包帯が全て取り払われた。
 それを感じ取ったイザークが少し顔を上げ、瞳を開く。
 意識せず、ため息が漏れた。

 見慣れたあの傷痕。
 全くとはいかなかったが傍目では分からないほど薄くなっていた。
 そのうち膜が張って、本当に跡形もなくなってしまうだろう。
 傷のないイザークの顔は、心なしか穏やかになったように感じた。
 どきどきとうるさい鼓動を感じながら、レイは初めてイザークに会ったときのことを思い出す。
 あの時と、同じ感情だ。
 
 ―――ギル、あの綺麗な人は誰ですか?

 イザークを見て、開口一番に言ったのがこの言葉だ。
 
 「やっぱり・・・綺麗だ」
 「『綺麗』といわれて喜ぶ男はあまりいないな」
 「でも、綺麗です」
 レイはそのまま身をかがめる。
 張り付いた銀糸の髪を払い。

 額に、キスを落とした。
 


 「貴様、キス魔だろう」
 包帯を巻きながら言うイザークに、レイは首をかしげる。
 「好きな人に、キスしませんか?」
 イザークだって、母親と挨拶代わりにキスをするのは当たり前だ。
 そういえばレイがキス云々を言い始めたのはエザリアの所に連れて行ってからだな、とイザークは思い起こす。
 「まあ、かもしれんが・・・お前、アカデミーにいったらあたりかまわずキスするなよ」
 「しません。イザークさんだけです」
 「は?」
 「イザークさんが好きですから」
 「・・・」
 イザークは困った表情でしばし考え込む。
 「デュランダル議員とはするのか?その、キス」
 「いいえ。ギルのことは好きですけど、そういう好きじゃないです」
 「・・・???」
 「イザークさんとだけ、したいんです」
 「・・・そ、そうか」
 「はい」
 一瞬納得しかけるイザークだが、やっぱりおかしい、と口を開きかける。
 ところが、その時イザークの足元でにゃあっ、と鳴き声が聞こえた。
 視線を落とすと、グレーの毛並みの子猫がイザークの足にじゃれ付いている。
 レイが見つけ、イザークが同居を許可した猫だ。
 「あ、そういえばエサがまだだった」
 レイはそうつぶやくと、猫を抱き上げて行ってしまった。

 「・・・」

 


 
 「イザーク、さっきから何ぶつぶつ言ってんの?気になるんだけど」
 次の日の朝。
 仕事前に病院に行くイザークを迎えに来たディアッカは、
 車に乗るなり神妙な顔で何かつぶやいているイザークに怪訝な顔をする。
 「ディアッカ・・・」
 「何?」
 「キスをしたい好きっていうのは別にしなくていい好きと比べてどういうもんだ?」
 「はい?」
 「だからその・・・キスは普通恋人や家族とするもんで、でも俺とあいつは・・・家族・・・だよな。
 でも議員とは違うわけで・・・」
 「イザーク?」
 「でもそれじゃあ家族じゃなくて恋人?・・・なわけあるかぁ!」

 ・・・またレイと何かあったな、とディアッカは苦笑する。
 ぶつぶつ独り言を続けるイザークをそのまま放っておくことにした。


 イザークの自問自答はしばらく続いたという。
 
 

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2005/01/31