サイレント・ブルー 〜アカデミー〜



 「忘れ物は?」
 「ありません」
 「学生書は?」
 「持ちました」
 じゃあ大丈夫だな、とイザークはつぶやく。
 そのアイスブルーはレイの胸の辺りを映していた。
 決して自分と目を合わせようとしない彼。

 歯がゆくて、唇を噛み締めた。

 
 とうとうこの家を出る日が来てしまった。
 共に過ごしたのは一ヶ月足らず。
 最初の3週間は夢のようで、そして最後の10日間は最悪だった。
 原因は、レイがイザークにしてしまった行為にある。
 想いを抑えきれず、その唇を奪ってしまったのだ。

 あの直後、レイを平手打ちで吹っ飛ばしたイザークは、そのまま無言で部屋に引きこもってしまった。
 烈火のごとく怒り出すだろうと思い込んでいたレイは意外に感じ、そして途方に暮れた。
 次の日の朝、とにかく話をしなければと早起きしたのだが、イザークの姿はすでになかった。
 さらに彼は外泊をしたため、その日一日中顔を合わせることができなかったのだ。
 レイは完全に謝るタイミングを失ってしまった。

 だが、正直に言うと謝りたくなかった。
 自分の気持ちを否定しなければいけない気がするのだ。
 彼に惹かれ、共に暮らすことになってから、こうなることは決まっていたような気がする。
 男に接吻されて大いに戸惑っているだろうイザークに申し訳なくはあったが、自分の行動を後悔してはいなかった。
 だが、それでもやはりここ数日の空気の重さは耐えがたかった。
 イザークはあれ以来、レイと目を合わせようとしない。
 さらには何事もなかったかのように話しかけてくるようになった。
 まるであの夜のことは記憶にないかのように。
 
 ―――本当に、忘れてしまったのかもしれない。

 自分はいつだってあの瞬間が頭から離れないのに。
 瞳を見開いて驚いていたイザークの表情も。
 頭をくらくらさせる甘い体臭も。
 必死に押し殺してきた誘惑に勝てず、奪ってしまった唇の感触も。



 「一緒に行けなくてすまないな」
 「・・・いいえ」
 レイの表情は暗い。
 このままイザークと別れるのはつらかった。
 親の出席も許可されている入学式だが、多忙なイザークは当然無理だ。
 レイはここからは一人でアカデミーに向かうことになる。
 迎えの車はもう門の所で待っていた。

 うなだれるレイに、イザークは少しとまどったような顔をし、そして口を開いた。
 「週末には、戻って来い」
 「・・・え?」
 レイは目を見張る。
 声音がこれまで聞いた中で一番優しかったことも、そして言われた内容にも驚いた。

 二度と戻ってくるな、と言うなら分かるが・・・。
 
 「いいんですか?」
 「・・・ん」
 もちろん、と言ってくれたのはあの運命の日の夜。

 「その・・・まあ。ディアッカが言うには、俺は鈍い奴らしくて」
 「・・・」
 いつもイザークの尻にひかれているディアッカの顔が思い浮かぶ。
 鈍い奴?
 あのディアッカが本人に直接言ったのか。
 見かけによらず度胸はあるらしい。
 年上の人間に対して何気に酷い判断をしているレイをよそに、イザークは言葉を続ける。
 「まだよく、分からん」
 「はい」
 そうだろう。
 イザークにとって、レイは突然押し付けられた厄介者だ。
 知り合ってから一ヶ月も経たないのに、その厄介者にいきなりキスされて混乱しないわけがない。
 「でもお前のことはとりあえず一年間任されているし・・・。
 この一ヶ月は、結構楽しかったから・・・」

 ふわっ、と。
 甘い香りが鼻孔をかすめる。
 彼の唇を奪ったあの瞬間と、同じ香りだ。
 頬に柔らかい感触。
 さらりと揺れる銀糸の髪。
 そして次に、アイスブルーの瞳。
 今度はその瞳は真っ直ぐレイを見つめていた。
 しかしそれは一瞬だけですぐにそらされる。
 ようやくレイはイザークがキスをしてくれたのだと気付いた。
 イザークからしてくれる、初めてのキスだ。
 
 「気をつけろよ」
 「・・・はい。行って来ます」



 筆記試験で簡単な部屋割りをすると聞かされた。
 そうは言っても、即日の試験結果だけが百パーセントではあるまい。
 おそらく親の身分なども中に含まれるのだろう。
 レイの身元引受人は現在こそギルバートからイザークになったわけだが、
 そう簡単にギルバートの影響は消えないだろうし、
 かつてザフトのエリートパイロットを務めたイザークの存在だけでもかなりのものだ。
 寮でしばらく一緒に過ごすのは、それに見合う身分の親を持つ子供だろう。
 ただでさえ人間関係を形成することに不慣れな自分が、どこぞの金持ちの息子と上手くやっていけるだろうか。

 イザークはそれを心配し、忙しいスケジュールを縫ってはレイを様々な場所に連れ出して知り合いと引き合わせてくれた。
 親友のディアッカ、母親のエザリアをはじめ、軍人時代の部下やエンジニア・・・年齢や身分、職業は様々だった。
 だが、大抵は年上でこぞってレイをかわいがってくれただけだったので、今回のことに役立ったかといえば怪しいものだ。
 それでもイザークが自分のためにしてくれたということだけで嬉しかった。

 別れ際の彼を思い出し、レイは気を引き締める。
 イザークがあそこまでしてくれたのだ。
 たかが寮の部屋割りくらいで怖気づくことなど許されない。
 人一人と上手く付き合えないでどうするのだ。
 
 きっと、大丈夫。
 
 

 寮で同室になったのは、シン・アスカという名前の少年だった。
 レイが想像していた金持ちのお坊ちゃんには程遠い。
 それなりにかわいい顔をしているのだが、どことなく殺伐とした雰囲気が気になった。
 少し警戒するような目つきでレイを見ている。
 その彼の髪は黒かったのだが、肌の色は薄く、瞳の色も血が透けているような赤だ。
 シンがよろしく、と言われて手を差し出してきたとき、レイは思わずその目の色に見入ってしまっていた。
 「・・・あの?」
 レイの大きな瞳にじっと見られ、シンがいたたまれない顔をする。
 レイはようやく我に返って差し出された手を握り返した。
 「すまない。レイ・ザ・バレルだ」
 シンは少しほっとした顔をする。
 自分は上手く笑顔を作ることができたらしい。
 そのまま、二人一緒にあてがわれた部屋へと足を踏み入れた。

 初日のスケジュールは部屋への移動で終了だ。
 レイは持ってきた本のせいでいささか重かった鞄を床に置く。
 「俺はこっちでいいか?」
 「うん」
 シンの了承を得て左側のベッドに腰を下ろした。
 するとシンは、反対側のベッドにレイと向かい合わせるようにして座る。
 そこでようやくレイはシンの荷物が小さな鞄一つしかないことに気が付いた。
 「荷物はそれだけか?・・・ああ、もしかして親が送ってくるのか?」
 確かに面倒なものはあとから届けてしまった方が便利だろう。
 しかし、シンは首を横に振った。
 「ううん。俺、親いないし。レイもだろ?」
 「何で知ってる?」
 「だってアンタ、目立ってたぜ」
 「・・・」

 試験のときも、移動のときも、講堂での説明のときも、どこでもレイは注目を集めていた。
 レイは自分の容姿にはあまり頓着しないのだが、まばゆい金髪と整った容姿が人目を引かないわけはない。
 ギルバートと一緒のときはなんとも思っていなかった他人の視線をうっとうしく思い、そして少々うんざりしていた。
 あのうるさいほどの視線の中に、シンのものも混じっていたということか。

 「じゃあ、荷物は本当にそれだけか?」
 「うん。しばらくホテル暮らしだったから」
 必要なかったんだ、とシンはつぶやく。
 それを聞いたレイはますます困惑した。
 プラント間の移動は大したコストも時間もかからない。
 それなのにホテルで暮らしていたとはどういうことだろう。
 レイの困惑が伝わったのだろう。
 シンは少し顔をうつむけた。
 「俺、移民なんだ。オーブっていう国知ってる?」
 「・・・確か、中立の」
 「政治家の勝手な判断で国が焼けちゃってさ。家族も死んだ」
 「・・・」
 「だからプラントに来たんだ。
 軍人になりたいって言ったら、デュランダルって人がここを紹介してくれて・・・」
 「ギル!?」
 「・・・へ?」
 「あ、いや・・・」
 レイは視線を泳がせる。
 まさかここでギルバートの名前が出てくるとは思わなかった。
 議員の仕事が忙しいと言っていたくせに、移民の世話を焼いていたのか。
 ようやくシンが自分と同室になった説明がついた。
 親がいないというシンのために、ギルバートが彼の身元引受人になったのだろう。
 もちろん、相応の成績も理由の一つだろうが。
 「デュランダルさんのこと、知ってるの?」
 「ああ。少し」
 すると、それまで緊張を保っていたシンの表情がふっと崩れた。
 「よかった。どんな人が同室になるのかと思ってたから」
 「デュランダル議員にはよくしてもらったのか?」
 「うん。すごく親切にしてもらった」
 アカデミーに入ったのはシンだけだが、
 他のオーブからの移民にも仕事を紹介したり住居の手配をしたりしていたらしい。
 シンはギルバートを信頼しきっているようだった。
 もちろん、レイもそうではあるが。
 レイがギルバートの知り合いと知って完全に気を許したのか、シンの雰囲気は子犬のように人懐っこくなった。
 見れば最初は影を帯びていた表情もくるくるとよく変わる。
 こちらが本当の彼なのだろう。
 
 「レイはどこのプラントから来たの?」
 「マティウス・・・」
 「ふうん。ご両親は?」
 「いない」
 さらりと言ったつもりだったが、シンはまずい、という顔をした。
 「ごめん」
 「別にいい。お前と違って何も覚えていないし・・・。今は別の人のところでお世話になっているから」
 そこまで言って、レイはふと考え込む。
 イザークの顔が頭に浮かぶ。
 「今は」とは言ったが、もう過去形かもしれない。
 一応レイの年齢だとコーディネーターは成人したことになっているし。

 ―――週末には帰って来い。

 イザークが、これ以上レイの世話を焼く必要はないのだ。
 レイがそんなことをつらつら考えいることなど夢にも思わず、シンは身を乗り出す。
 「どんな人?」
 「・・・」
 一瞬言葉に詰まった。
 ・・・どんな?
 イザークという人物を言葉で表そうとすると。
 「綺麗な、人だ」
 不覚にも口元が緩んでしまった。
 そう。
 初めて彼に会ったとき、夢のようなあの容姿に見惚れた。
 こうして離れてしまうと、やはり幻だったのではと思ってしまう。

 他には、どうだろう。
 実直だが融通が聞かない。
 すぐに手が出る乱暴者。
 何かあると物に八つ当たりして、同居していた一ヶ月の間に破壊された家具は数知れず。
 それに親友のディアッカに対してはとにかくわがまま。
 ・・・なんだ、結構あるじゃないか。

 でも、レイの中でのイザークはまず第一に「綺麗」だった。


 ふと時計に目をやる。
 そろそろイザークが家に戻る時間。
 休日だったら夕食の支度にキッチンへと向かう時間だ。
 そしてレイはリリィに餌をやって、せがまれれば遊んでやる。
 イザークに言われれば料理の手伝いをする。
 そういえば・・・。
 イザークはリリィの世話をちゃんとしてくれるだろうか。
 きっと、なんだかんだと文句を言いながら面倒を見てくれるだろう。
 その様子を想像し、レイはふっと笑う。
 やっぱり、週末には彼の待つ家に帰ろう。
 別れてからまだ一日も経っていないのに、無性に彼に会いたくてたまらなかった。



 レイはおもむろに鞄を探り、ノートパソコンを取り出した。
 イザークが譲ってくれたもので、少し型が古いが、レイが使うには充分だ。
 イザークがくれたということもあって、宝物でもある。。
 ちなみに部屋にもパソコンが取り付けられているが、それはシンと二人で共有するもの。
 レイはふと思いつき、シンに声をかけた。
 「シン、備え付けのパソコンはお前が使っていいぞ」
 「え、本当?」
 「ああ。俺はこっちを使うから。・・・ああ、でも一応パスワードは入れておけ。」
 「分かった。ありがと!」
 シンは満面の笑顔で礼を言うと、すぐに備え付けのパソコンに飛びついた。
 素直な反応に苦笑しながら、レイも自分のパソコンを立ち上げる。
 週末に帰ることを、イザークに伝えなければ。
 本当なら電話をかけて声を聞きたいところだが、もし仕事中だったら申し訳ない。
 いつ電話をかけたらいいか、とメールで尋ねたら返信してくれるだろうか。
 そんなことを考えながらメールソフトを開いた。

 「・・・ん?」
 ソフトを開いた直後にメール受信の画面が表示される。
 レイのアドレスを知っているのは、まだ一人しかいない。
 慌ててそのメールを開く。
 そして発信者の名前を確認した途端、レイの顔がほころんだ。
 隣でシンがメールアドレスを教えてくれ、と言っているようだが放っておく。

 そのメールを読むことに、夢中になっていた。
 
 

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ようやくのことでアカデミーに入学。イザークとの同居から一ヶ月が経っています。
そしてシン君が登場。彼はわんこです。たとえ本編で暴走しようがここではかわいいわんこなのです。

2005/02/11