ナイフエッジ 〜危うい〜



 「はあ・・・」
 大きく漏れたため息に、ディアッカは視線を滑らせる。
 イザークが、だらしなく机に突っ伏していた。
 いくらこの部屋に彼と自分しかいないからと言って、あまりにもらしくない。
 「大丈夫か、イザーク?」
 「・・・ああ」
 そう答えたものの、その声に覇気はなかった。
 全く血の気がないと言っていいほど顔色が悪い。
 それに・・・また痩せたのではないだろうか。
 顎や肩のラインが前より尖っているような気がする。
 昼休みも食事には行かず、ずっとこの部屋で仕事を続けていたようだったし。
 「具合でも悪いのか?」
 「・・・いや」
 イザークは額を押さえ、また長い息を吐き出す。
 そして「大丈夫だ」とつぶやくと、またパソコンに向かい出した。




 「レイ、これ読む?」
 差し出された雑誌。
 中身を読むまでもなかった。
 きわどいビキニを着て微笑んでいる女性の表紙に、レイは呆れた顔をする。
 「ち、違うって!ヨウランのだよ。無理矢理押し付けられて」
 「で、何で俺に渡すんだ?」
 「い、いや・・・その・・・」
 口ごもるシンにため息をつき、レイは雑誌を受け取ってパラパラとめくる。
 「ヨウランのやつ・・・こんなものどこから手に入れてるんだ?」
 まさかアカデミーの売店に大人向けの雑誌が堂々と売られているはずもあるまい。
 シンも「さあ?」と首をかしげた。
 「レイ、そういうのに興味ないの?」
 「はあ?」
 「だって、あんなに綺麗な彼女がいるじゃん」
 レイの、銀髪の恋人。
 ヨウランたちの間ではタブーとされているのだが、シンは怖いもの知らずというか空気が読めないというか、
 とにかく気にせずにずばずばと質問してくる。
 いつもその話題を振られる度ににらみつけて牽制してやっているのだが、懲りる様子もない。
 レイは雑誌を思い切りシンの顔に投げつけた。
 ばしり、とシンの顔に雑誌の表紙が直撃する。
 「い・・・ッたぁ!何すんだよ、レイ!」
 「うるさい!あの人は、こんなことしない!」
 「え?・・・あ」
 シンはようやく自分の失言に気付いたらしい。
 上目遣いにレイを見て、「ごめん」とつぶやく。
 「ねえ、レイ」
 「何だ」
 「紹介してよ、彼女」
 まだ言うか、とシンをにらみつける。
 だがおねだりする子犬のようなシンの顔に、それ以上怒る気が失せてため息をついた。
 「駄目だ」
 「なんでぇ?」
 「なんでも」
 「いじわる!エゴイスト!」
 「な、何だと!?」
 「じゃあ紹介してよ!」
 「嫌だ!イザークは・・・」
 そこまで言いかけ、レイははっと口を押さえる。
 しかしシンにはしっかり聞こえていたようで。
 「あの人、イザークって名前なの?」
 「な・・・、違っ!!」
 「ヨウランたちに言っちゃおうかなー」
 「シン・・・貴様・・・」
 「じゃあ教えて」
 にっこりと微笑まれ、レイはぎりぎりと歯噛みするしかなかった。




 目を開けたとき、見えたのは天井。
 ・・・体が重い。
 すぐに起き上がりたくなくて、寝返りをうつ。
 すると、額の上にあったものがずるりとずれ、視界を半分覆った。
 「?」
 「イザーク、目が覚めたのか?」
 「・・・ディー」
 聞きなれた声。
 名前を呼ぶと、ディアッカの心配そうな顔がのぞきこんできた。
 そこでようやくイザークは自分がソファーに横になっていることに気付いた。
 ワイシャツのボタンは胸元まで開けられ、体には薄い毛布がかけてある。
 さっき額から落ちたのは、濡らしたタオルだ。
 ここは・・・自分の、執務室。
 自分はここで仕事をしていて・・・いや、会議に出たのだったか。
 記憶がはっきりしない。
 
 「どうしてお前はぎりぎりまで我慢するの」
 珍しく咎めるような口調でディアッカが言う。
 そしてソファの前で跪き、ドリンクのボトルを差し出した。
 受け取ろうとするが、ディアッカはそのままストローを口元に持ってくる。
 みっともないと文句を言おうとしたが、何だかそんな気力も沸かなくて大人しく従った。
 ボトルの中身は、甘いスポーツドリンクだった。
 想像以上に喉が渇いていて、夢中でむさぼる。
 ようやく満足して顔を上げると、ディアッカの怒った顔が見下ろしていた。
 「俺、さっき具合が悪いのか?って聞いたよな」
 「ああ」
 「お前は大丈夫だって言った」
 「ああ」
 「どうしてぶっ倒れるわけ?」
 「・・・」
 怒ってるな、とイザークは内心頭を抱えた。
 いつもひょうひょうとしているだけに一度怒ると結構厄介なのがディアッカという男だ。
 アカデミー時代・・・理由は忘れたが彼の逆鱗に触れてしまったことがあった。
 それで本気の取っ組み合いをしたことがある。
 負けはしなかったが、勝つこともできず・・・かなり酷い、いや怖い目にあった。
 そんな経験があるだけに、イザークは今は素直になった方がいいと判断する。
 「熱があるんだったら言えよ!
 部屋の中で倒れたからいいものの、会議中だったらどうするんだ!?」
 全くその通りだ。
 頷くしかない。
 「別に一日や二日くらい休んだって調整できるんだよ。
 それとも何?俺のこと信用してないわけ!?」
 「ディー・・・」
 「何?」
 「悪かった」
 「・・・」
 「言い訳をさせてもらえるんだったら、熱があるなんて気がつかなかった。
 体調が悪いのは分かってたが・・・お前を信用してないわけじゃない」
 「・・・」
 「ディアッカ?」
 「送ってやるから、帰って寝ろ」
 「分かった」
 残りの仕事はどうしよう、と一瞬思ったが、口に出したらまた怒られそうなのでやめておく。
 ソファの背にかけてあったスーツを手に取り、重い体を持ち上げた。




 「嘘だ」

 話を全て聞き終えたシンは、開口一番そう言った。
 「嘘などついていない」
 「嘘!あんな綺麗な人が男なはずないじゃん!レイの嘘つき!!」
 「・・・」
 そっちか。
 シンたちの間で噂されているレイの銀髪の恋人について、
 恋人ではなく・・・つまり女性ではなく男性で、
 ギルバートに引き合わされた辺りから説明したのだが、シンは全く信じなかった。
 相手が女だと決め付けているようだ。
 無理もないが。
 「ホントのこと言えよ!」
 「・・・そんなこと言われても」
 レイは考え込んで腕を組む。
 嘘は言っていない。
 「とにかく、ヨウランたちには言うなよ」
 「そのうち会わせてくれる?」
 「・・・」
 片眉を上げてにらみ付ける。
 どうものせられている気がする。
 しかし、ふと思いついてレイは口を開く。
 「有能なら・・・」
 「?」
 「お前がいい成績を残したら会って下さるかもな。優秀なパイロットでらしたから・・・」
 「ホント!?」
 喜色満面の笑みで聞き返され、レイは自身ありげにああ、と頷く。
 「でも成績が悪かったら・・・て、おい!」
 次にシンに視線を向けたとき、彼は着替えのバックを背負ってドアに向かうところだった。
 「トレーニング行って来る!」
 「・・・」
 単純・・・。

 レイは片手を上げた不自然な格好のまま、固まってしまった。





 アパートの前でエレカを止めると、ドアを開けて降りようとするイザークの手を取った。
 「・・・そこまでしなくていい」
 「ふらついてるくせに何言ってるんだ」
 そう言って抱き寄せる。
 甘い香りがした。

 ―――香水、まだ変えてないのか。

 アカデミーのときにミゲルか誰かに勧められて使い始めた香水を、
 イザークは戦中もずっと使っていた。
 付けすぎは好まないので、今のようにほぼ密着しないと種類は判別しにくいが、覚えのある香りだ。
 肩を抱いて玄関をくぐりながらそんなことを考えていると、ふと傾げられた首から真っ白なうなじが見えた。
 「やば・・・」
 「は?何か言ったか?」
 「いや・・・別に」
 ぎこちなく視線をそらし、彼を運ぶことだけに専念する。
 同室だった頃、何度も同性のはずの彼にあらぬ感情を抱き、夢にまで見てしまったという人には言えない過去がある。
 それにしてもよく手を出さなかったよなぁ、さすが俺、などと思いながらイザークの部屋に足を踏み入れた。
 「ここでいい・・・」
 「駄目だ」
 居間のソファに腰を下ろそうとするイザークを制し、ディアッカはそのまま部屋の奥へと向かった。
 どうせこのままソファで寝入ってしまうに違いない。
 風邪などひいてこれ以上体調を酷くされてはたまらない。
 つけはこちらにも回ってくるのだ。

 このアプリリウス市のアパートは、最近借りたばかりだ。
 ほとんど休みのないイザークのスケジュールでは、わざわざマティウスの自宅に帰ることは難しい。
 必然的に本部からさほど離れていないこういうアパートを借りることになった。
 ちなみにイザークの自宅で飼っていた猫はディアッカの母親が預かっている。

 イザークと一緒にこの部屋を探し出したのはディアッカで、その後も何度か訪れている。
 周りが薄暗くなっているので少し視界が悪かったが、迷うことなく彼の寝室へと辿り着いた。
 イザークをベッドに座らせる。
 「着替えるか?」
 「いい・・・もう、寝る」
 そう言ってイザークはベッドに横になる。
 強がってはいてもやはりつらかったらしい。
 ディアッカはイザークの火照った頬に手の甲を当てた。
 気持ちが良かったらしく、幾分険しかった白皙の顔が和らぐ。
 「汗かいてるだろ?やっぱり・・・」
 そう言いながら胸元にちらりと目をやったとき、ディアッカは硬直した。
 
 ここに来る前、少しでも楽なようにと開いたシャツのボタンから覗く肌。
 本当に、色が白い。
 熱のために呼吸が苦しいのか、僅かに上下している。
 僅かに開いた唇から浅い呼吸と共に赤い舌がちろちろと見えた。
 同性だと分かってはいても、ぞくりとする色気がある。
 日が落ちようとしているこの薄暗さで、その艶が倍増しているように思えた。
 動きを止めたディアッカを不審に思ったのだろう。
 薄く瞳を開けたイザークがこちらに視線を動かした。
 「ディアッカ?」
 いつも冷たい印象を与えるアイスブルーが熱っぽく潤んでいる。
 まずい。
 非常にまずい。

 ―――いやいや、待て俺!アカデミーの間ずっと我慢してたんだぞ。
 ―――ここで足を踏み外したら全てが水の泡。
 ―――それどころか後でイザークに殺される・・・。

 心の中で何度も自分に平静を呼びかけてみるのだが、いかんせん体というものは正直で・・・。
 いつの間にかイザークの顔の両脇に手を突き、押し倒すような状態になっていた。
 「イザー・・・」

 「あああああああっっっーーーーーーー!!」

 突然響いた大声。
 それが鼓膜に直撃したかと思うと、ディアッカの首にイザークの手が伸びて締め上げた。
 「ぐ、・・・ぐえっ!イザー・・・」
 「レ、レイ・・・どうしよう、忘れてた!」
 「は?」
 突拍子もなく出された名前にディアッカの頭は完全に混乱状態になる。
 イザークはといえば、どこにそんな余力が残っていたのかがくがくとディアッカを揺さぶった。
 「ど、どうしよう、ディアッカ」
 「だから何?」
 「レイ・・・!」
 「レイがどうしたんだよ!最初から話・・・まず手を離せ!」
 ディアッカはようやくのことで首からイザークの手を引き離した。
 イザークはといえばまだおろおろと取り乱している。
 熱のせいもあいまってか言っていることが支離滅裂だ。
 「で、・・・レイが何?」
 「約束してたんだ。夕食の・・・もう時間が過ぎてる。待たせてるんだ」
 そういえば今日の夕食は約束があると言っていた。
 相手はレイだったのか。
 「じゃあ『行けない』ってメールでも電話でもすればいいだろ」
 「あいつ、携帯持ってない」
 「はい?」
 「この間のテロで・・・」
 「あ、そうか」
 2週間前、イザークとレイはエザリアの元を訪問した帰りに爆破テロに巻き込まれるというハプニングにあった。
 そのときイザークは携帯を壊してしまったのだが、あまり必要ないと本人はそのままにしていた。
 連絡が取れなくて不便で仕方ないと先日ようやくディアッカが新しいものを持たせたのだが、
 イザークがこの様子では、レイのものまで気を回していないだろう。
 合点がいったディアッカだったが、ベッドから起き上がろうとするイザークにぎょっとする。
 「ま、待てって!レイだってもう諦めてるだろ」
 「あいつは待てといわれたら朝まで待つ奴なんだ。風邪でもひいたらどうする!?」
 お前が言うな・・・と頭を抱える。
 「分かった、分かったから!待ち合わせの場所教えろよ。俺が行くから」
 
 俺ってやっぱり苦労性・・・などと思いつつも、道を踏み外さずに済んだことをこっそりと安堵するディアッカだった。


 
 
 部屋でごろごろとしていたシンだったが、ドアが開くなり中に飛び込んできたレイにぎょっとする。
 怒っているような・・・とにかく神妙な顔つきだった。
 確か、誰かと夕食の約束があると言っていたはず。
 「レイ?」
 気持ち肩をすぼめて相手の様子を伺う。
 無理矢理恋人のことを聞き出したのを怒っているのだろうか。
 しかしレイはシンには目もくれずに鞄を取り出すと財布や下着などを詰め始めた。
 「レ、レイ!どうしたの?」
 「出かけてくる」
 「はあ?・・・な、何で?どこに?」
 「外出届は出してあるが・・・でももしかしたら明日の授業は間に合わないかもしれない。
 教官には適当に言っといてくれ」
 「適当って・・・ま、待ってよ、レイ!!」
 シンが状況を呑み込めないでいるうちに、レイは言いたいことだけを言って部屋を出て行く。
 今度はシンが片手を上げた格好で固まってしまった。
 
 
 「お前さぁ、本気?」
 呆れたように言うディアッカに、レイはむっとする。
 「本気だったらあなたに不都合なことがあるんですか?」
 「でも、ただ熱出しただけだぜ?あんまり大袈裟にするとあいつが怒るだろうし」
 「いいんです。俺がそうしたいんですから」
 乱暴にエレカのドアを閉めた。
 ディアッカのため息が聞こえる。
 やがてエレカが滑るように走り出した。
 「念のため聞くけど、外出届は?」
 「出しました。・・・閉寮時間までのですけど」
 「それまでに帰るつもりは・・・ないんだな」
 「ルームメイトにアリバイを頼みましたから」
 「・・・あのね、外出届け出してるんだったら閉寮の時に確認があるんだよ。ばれるに決まってるだろ」
 「何とかなります」
 「何とかって・・・イザークに何言われても知らないぞ」
 「かまいませんよ。大体あなたには関係ないでしょう」
 「お前・・・性格悪くなったな」
 「そうですか?」
 「そうだ。つい2ヶ月前までは素直でかわいかったぞ。アカデミーで悪いダチでもできたのか?」
 「ディアッカに言われたらおしまいですね」
 「・・・」
 

 丁寧に礼を述べてエレカから降りるレイの背中を、ディアッカはしばらく見送っていた。
 そして寮の入り口でイザークを待っていたレイの、自分の姿を認めたときの表情を思い出す。
 露骨に残念そうな顔をしていた。
 ディアッカも加わった三人での外食になるものだと思ったらしい。
 自分は嫌われているのかと疑いもしたが、どうも違うようだ。
 この少年は、イザークに依存しすぎているのではないのか。
 イザークが来れなくなってしまった理由を聞くなりアパートに戻って看病すると言い出した彼に対し、
 ディアッカはそんな感想を抱いてしまった。
 無表情無感動だったレイにとって感情の塊のようなイザークが与えた影響は確かに大きいだろう。
 それにしても、このごろ見せるようになった表情の変化や気持ちの起伏が、
 全てイザークだけに向かっているような気がしてならないのだ。

 ―――っていうか、それって・・・。

 恋、をしてるみたいな。
 いや、まさか。
 瞬時に思い起こされるのは、熱に苦しむ、いつもにも増して艶めいていた上司。

 そんなはずは・・・。

 イザークの部屋のドアへと消えていくレイを見ながら、
 ディアッカは慌てて己の頭に浮かんだ考えを打ち消していた。


back

2005/03/31