ジョーカー 〜歪曲〜




 耳の奥で、聞きなれた声がする。

 でも・・・。
 誰だっただろうか。
 よく知っている人。
 それなのに、何故か思い出せない。

 ああ、また声がした。
 自分の名前を呼んでいるのだ。
 イザーク、イザーク、と。


 ―――ごめんな、遅くなって。
 



 「イザーク!」
 大きな声で名前を呼ばれ、ぐいっと意識が浮上した。
 心地よいとは言えない感覚に顔をしかめようとして、ようやく自分の瞳が閉じていることに気付く。
 薄く瞳を開くと蛍光灯の白い光が刺すように飛び込んできた。
 思わず掠れた唸り声を漏らしてしまう。
 「・・・っ」
 「寝るんならベッドで寝ろよ。風邪ひくぞ」
 「ディ・・・アッカ」
 慣れてきた視界に、親友の姿が映る。
 心配そうな顔つきでこちらをのぞきこんでいた。
 ついつい漏れそうになった安堵のため息を呑みこむ。
 「大丈夫だ」
 「うたた寝するほど疲れてる?」
 からかうような口調。
 が、さっさと休めと目で訴えていた。

 ここ連日、ジュール隊は激務だった。
 連合軍の月艦隊との小競り合いに常に気を配らねばならなかったし、
 ゴンドワナに駐留している隊の中でも、ジュール隊は中心的な役割を持っている。
 隊長のイザークにのしかかる負担はかなりのものなのだ。
 その上、彼は時間を作っては部下の教育や自分のトレーニングに当てている。
 机に突っ伏したままうたた寝をしていたって何もおかしいことはない。
 むしろ身体を壊さないようもっと休んでほしいと、ディアッカは本気で心配していた。
 もちろん副官としてではなく、親友として。

 「・・・ディアッカ」
 「ん、何?」
 「その・・・俺は何か変なことを言ったか?」
 「は?」
 「だから寝言、とか」
 「いやぁ、言ってないと思うけど」
 少し考え込むような仕草をしたディアッカに、イザークはそうか、とつぶやいて椅子から立ち上がる。
 そのまま軍服を脱ぎ始めたので、ディアッカは慌てて目をそらした。

 おかしなことだ。
 男同士だというのに。
 しかし自分とルームメイトだった時と比べ、イザークはどこか艶めいた雰囲気を持つようになった。
 白の指揮官服を身にまとい、凛とした表情は清冽で禁欲的なものを感じさせるのに、
 ふとした表情やしぐさにぞくりとさせられることがしばしばで。
 女性的な顔つきも年月が経てば精悍さに変わるかと思っていたのにその気配はなく、
 むしろ何というか・・・誘うような危うさが増した。
 守ってやりたい、同時に壊して暴き立ててやりたい。
 そんな拮抗した感情を掻き立てるほどの、危険な性・・・。

 と、そこまで考えてディアッカは考えることをやめた。
 何のためにもならないことだ。
 ちらりと視線を戻すと、イザークはすでに着替えを終えていた。
 彼らしくない怠慢な動きでベッドへもぐりこもうとしている。
 どうやら大分疲れがたまっているようだ。
 「寝言がどうとか言ってたけど、夢でも見てたわけ?」
 「まあな」
 「どんな?」
 「・・・レイの、夢」
 「へぇ」
 少し意外だった。
 ディアッカがレイのことを持ち出せばイザークは嫌がったり、にらんできたりした。
 もちろん照れ隠しだ。
 だからイザークの方からレイのことを持ち出すのはかなり珍しい・・・いや、初めてなのではないだろうか。

 しかも夢で見た、など。

 「レイは無事なんだろ。えーと・・・今は地球のどこだっけ?」
 「・・・ドイツのベルリンらしい」
 「らしいっ、て・・・メールとか通信とかで連絡取り合ってるんだろ?」
 しかしベッドに腰掛けたイザークは、ゆるゆると首を振った。
 「メールは送っているんだが・・・最近連絡がぱったりなくなって」
 「まさか怪我でもしたんじゃ」
 「いや、確認したがそういうことじゃないらしい」
 わざわざ確認したのか。
 やはりなんだかんだでレイのことが可愛いのだ。
 「忙しいんじゃないのか。あっちじゃいろいろあったらしいし」
 「・・・そうだな」

 ディアッカのフォローの言葉に気のない返事を返すと、イザークはそれっきり黙りこんだ。
 
 


 地球はキライ。
 絡み付く重力がキライ。
 気まぐれな風がキライ。
 独特の匂いがする土がキライ。

 雪が、キライ。


 しんしんと。
 雪が降っている。
 そんな白い空間に自分はいた。
 冷えた体を抱きながら、立ち尽くしている。
 と、誰かの気配。
 自分は振り返り、微笑む。

 ―――ずっと待っていたんですからね。

 「・・・ずっと」
 ぽつりとつぶやいて・・・虚空を見つめた。 
 誰を、待っていたのだっけ?



 「どうしたの、レイ?」

 名前を呼ばれ振り向く。
 バスローブを着たシンが後ろに立っていた。
 シャワールームから戻ってきた彼の気配に気付かないほど自分は呆けていたらしい。
 しかしレイは表情を変えず、ただ「何でもない」とだけ返した。
 シンもさして気にした様子もなく、ベッドに投げ出した軍服をまとい始める。
 その間、二人は無言だった。

 シンは変わった。
 暗い過去を持ち、幼さを純粋に怒りへ添加させていたシンは、
 今では深く混沌とした憎しみを胸に秘めている。
 憤りはあってもその矛先がなかなか定まらなかった彼だったが、
 先日、ようやく明確な『敵』を見出した。
 守りたかった少女を無残に殺した白い機体のパイロットへ・・・。

 レイも変わった。
 冷静さの中に時折見せる、歳相応の子供の表情・・・それが完全に消えた。
 反比例するようにシンやアスランに対する口数が多くなる。
 しかしそれは会話ではなく「説得」や「論議」という類のもので、
 決して相手に心を見せようとはしなくなった。
 シンやルナマリアにさえ・・・。

 変化。
 戦争の中であるのだから、それは必然だったのかもしれない。
 少年の心はもろく、弱い。
 ゆえに、歪む。


 ピピッ。

 電子音。
 レイはスクリーンの端に現れた「You got mail.」のサインに目を留める。
 そしてそのメールの差出人の名前を見て、僅かに瞳を眇めた。
 「またか・・・」
 感慨も無くそう言い捨て、中身を見もせずにデスクトップのダストボックスに放り込む。
 その表情もまた無機質だった。

 「メール?誰から?」
 着替えを終えたシンが後ろから覗き込む。
 「知らない奴だ」
 「いたずら?」
 「どうかな・・・よく、分からない」
 アクセス拒否をするのは簡単だったが、レイは何故かそうしようとしなかった。
 一度そのメールの内容を見たことがある。
 今どこで何をしているのか。
 戦闘で怪我などしていないか。
 仲間とは上手くやっているのか。
 それと自分の近況報告が完結にまとめられていた。

 ―――Yzak Jule.

 「誰、だったかな・・・」
 文章を見る限り自分と親しい人のようなのだが、レイはその人の顔を思い出せなかった。
 思い出そうとすると頭に霞がかかる。
 ただ何か・・・とても暖かかったような、そんな感じ。
 しかし同時にとてもいらいらするのだ。
 だから、今ではメールが届いても内容を見ることなく消去してしまっていた。


 レイは椅子から立ち上がり、無言でシンに座るよう促す。
 シンがそれに従うと、ノートパソコンの画面を切り替えた。
 映し出されたのは白い機体・・・フリーダム。
 口先だけの正義を振りかざし、傲慢に戦場を駆け巡る憎き偽善者。
 その詳細なデータとシュミレーションに必要な記録が次々に映し出される。

 フリーダムを、倒す。
 いいや、殺す。
 消滅させてやる。
 だから今の自分には暖かいものなど、いらない。


 冬のヨーロッパを横断するミネルバの窓の外。
 雪が、降りしきっている。

 空色の瞳に一瞬、銀色の光が過ぎって。



 消えた。





BACK

2006/01/09