ノワール 〜止まった時間〜
小さな子供が泣いている。
誰・・・?
近づいて。
呼びかけた。
金色の、ふわふわの髪。
見上げてくる瞳の色はセロリアンブルー。
レイ。
ああ、レイじゃないか。
レイ。
レイ。
どこに行っていたんだ。
探したんだ。
ずっと探していたんだ。
ずっと・・・。
―――帰ります。
―――帰ります、イザーク。
どさっ。
「・・・・・・・・」
白い天井。
太陽の光。
二、三度瞬きし、イザークはカーペットの上にあお向けている自分を認めた。
僅かに身じろぎし、背中の痛みに気が付く。
しかも横たわっている体は前後にねじれ、少々情けない恰好だ。
・・・どうして自分はこんなところにいるのだろう。
無言のまま自問し、辺りを見回した。
いま自分がいる部屋には見覚えがある。
「・・・俺の部屋」
そう。
イザーク自身の部屋ではないか。
それもボルテールの隊長室ではなく、マティウスの自宅。
戦場から遠く離れた・・・。
そうか。
ようやく自分の現在の状況を思い出し、上半身をむくりと起こす。
すると腰に引っかかっていたシーツが、イザークの動きに合わせて床にずり落ちた。
どうやら寝ている最中にベッドから転落してしまったらしい。
寝相はいい方だと思っていたのだが。
と、イザークは自分が酷く汗をかいていたことに気が付いた。
すでに冷えているそれは夜着を肌にべったりくっつけていて気持ち悪い。
らしくなくベッドから落ちてしまったのも、この寝汗も、悪い夢でも見たからだろうか。
夢・・・?
「どんな、夢だったかな・・・」
とても懐かしい感じ。
とても切ない感じ。
それだけは、覚えているのだけれど。
軽くシャワーを浴びて着替えると、イザークは一階のリビングへと降りた。
中庭に面したサンルームに、じゃれつくグレーの猫の相手をしている少年がいる。
彼は気配に気付いてこちらを振り向いた。
「おはようございます、ジュール隊長」
「ああ、おはよう・・・って、もう昼だけどな。食事は摂ったか、シン?」
少年・・・シン・アスカは、イザークの質問に首を横に振った。
その返答と、彼の顔のあまりの白さにイザークは顔をしかめた。
「勝手に食べていいと言っただろう。寝過ごした俺に付き合う必要はないんだぞ」
「食欲が・・・なくて」
もうしわけありません、と小さな声で付け足すシンに、イザークは漏れそうになったため息を飲み込んだ。
すっかり元気をなくしてしまったな、と寂しく思う。
イザークが知っているシンは、良くも悪くも感情の起伏が激しい少年だった。
自分の不幸な境遇も、怒りという感情に転換して懸命にもがいている、そんな生への貪欲さがあった。
アーモリーワンへと向かう彼をエアポートで送り出してからそんなに月日が経ったわけではない。
だというのに・・・。
ルナマリアから彼の身に起こったことは大体聞き及んでいたが、
もともと危うかった心にイザークが想像した以上の深い傷を負ってしまったようだ。
静かに、それでいて何かに怯えたようにして時を過ごしている今のシンは、かつてとは別人だった。
「朝を抜いたならいい加減すいてくるだろう。準備するから手伝ってくれ」
イザークの言葉に、シンは僅かに眉根を寄せる。
おそらくはまだ食欲が沸かないということなのだろうが、しかしそれは表情にはならなかった。
彼は黙って頷くと、膝の上に抱いていた猫のリリィを床に下ろす。
何をすればいいんですか、と訊いてくるその顔。
しかし、それにも感情は透かし見えない。
一瞬メサイアで見た無機質な青い瞳を思い出し、イザークはどきりとしてしまった。
イザークも起きぬけで食欲があるわけではなかったので、
インスタントのスープとサラダ、そしてクロワッサンというメニューになった。
スープをちびちびとすするだけのシンを注意し、クロワッサンを彼の皿に盛る。
一方でおこぼれを頂戴しようと椅子によじ登ろうとしていたリリィをしかりつけた。
和やかとまでは言い難いが、それでもこうしてゆっくりと退屈な時間を過ごしていると、
戦場を駆けていた一ヶ月前がもう遠い昔のようだ。
現在プラントは、ラクス・クラインを筆頭に戦後の立て直しを図っている。
オーブ・・・いや、ラクス一派の勝利という形で戦争が終わった今となっては、
ギルバート・デュランダルが作り出した全てのものが否定されていった。
かと言って万事上手くいっているというわけではない。
ラクス・クラインのカリスマに最初は酔っていたプラント市民だが、
一ヶ月も経つとニュースやネット上などでは彼女に対して厳しい見方が多くなってきた。
ギルバートの行おうとした改革は確かに性急で支配者的なものだったが、
それ以前の彼の政策は良心的でしかもプラントにプラスになることばかりだった。
シンパまでいかなくとも、彼の理想を今なお指示する者は多い。
平和と自由を謳う以上、それらを押さえ込むわけにはいかないラクスの政治生命は前途多難だろう。
まあオーブ軍を巻き込んでまでプラントに勝負を挑み、しかも勝ってしまった以上は二年前のように雲隠れもできまい。
もともとしたたかな一面を持っているラクスのことだから、何とかやっていくかもしれない。
かく言うイザークは暫定政府が発足した当初こそラクスの護衛を務めていたが、現在は休暇中である。
隊を率いる身である以上、護衛は辞退したいと前々からラクスに申し立てていたのが先日ようやく許可されたのだ。
ラクスとしては見栄えのするイザークをそばに置いておきたかったらしいが、
意外にも暫定政府内から一個隊隊長を個人的に護衛につけるというのはどういうことか、と意見されたらしい。
イザークにとっては天の声で、さらに監視が必要とされたシン・アスカを預かることにしたのを理由に、
上手くラクスとその取り巻きを納得させたのだ。
そうして部下たちの待つジュール隊に戻ることのできたイザークだったが、
終戦を機に除隊を申請した者が幾人かいて、隊を編成する必要性が出てきた。
他にもいくつか要因が重なり、結局隊ごと長期休暇という形になってしまったのだった。
おかげさまで自宅でだらだら過ごしている・・・ばかりかというとそうでもない。
イザークはこの休暇を取って以来、プラント中を飛び回っていた。
一日のうち半分以上をシャトルと他市での行動に費やしている。
昨日もセプテンベル市から夜遅くに帰ってきて、結局今朝は寝過ごしだ。
「あの、ジュール隊長」
クロワッサンをようやく一つ食べ終えたシンが、落ち着きなく皿をいじりながらこちらを窺い見ている。
コーヒーを口につけようとしていたイザークは、その彼の様子を見て手を止めた。
シンが何を言おうとしているのか予測がついたからだ。
「何だ?」
「その・・・どうでしたか、セプテンベルの施設は?レイのこと、何か分かりましたか?」
「・・・いいや」
静かに首を振れば、シンは視線だけを力なく下に落とした。
イザークがこの数日プラントを飛び回っている理由。
それはレイの生死の確認だった。
イザークの元同居人であり、シンの同僚だったレイ・ザ・バレルは戦後MIAと認定された。
プラント最後の防衛線だったメサイアが墜ちる際、ギルバートとともにいたという目撃情報があったためだ。
乗機のレジェンドもメサイアの残骸近くで発見され、彼が議長と運命を共にしたのだと決定付けられた。
当然イザークにとってそんな報告が納得できるわけがない。
メサイアに配置されていた兵士は、爆発直前に脱出して助かった人数の方が多いのだ。
とにかくそんな曖昧な理由だけでレイを死人になどできない。
イザークはつてを利用し、重傷の意識不明患者や身元不明の遺体の情報を集めた。
そして休暇に入るなり、施設や病院を渡り歩いてはレイを探していたのだ。
最近ではイザークが何をしているのかに気付いたシンも手伝ってくれるようになっていた。
情報を提供してくれる知り合いからのメールや電話を受けるのは大抵シンだ。
「今日のメールには何も?」
「いいや、今日はまだ見ていない」
「俺、見てきていいですか?」
「クロワッサンをもう一つ食べたらな」
「ありがとうございます!」
シンは皿のクロワッサンをつかむと、頬張りながら階段を上っていく。
行儀が悪いと注意しようとしたイザークだが、結局やめた。
「ったく、俺は母親かよ・・・なあ、リリィ」
苦笑しながら呼びかければ、リリィが瞳を瞬いてにゃう、と鳴いた。
足にじゃれ付くリリィを抱き上げ、膝へとのせる。
するといつもはごろごろと喉を鳴らして勝手に丸くなるリリィが、
イザークの服に頬を寄せながらしきりに鳴いていた。
「お前も、レイがいなくて寂しいか?」
「なーうーっ」
「本当に・・・どこにいるんだろうな、あの馬鹿は」
―――帰ります。
―――帰ります、イザーク。
「なら、早く帰ってこいよ・・・腰抜け」
呟いた言葉は。
窓から吹きこんだ風にのって、消えた。
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2006/03/09