クロニクル <2>



 
 シホ・ハーネンフースが訪ねてきたのは、シンが部屋で突然失神してから二日後のことだ。
 綺麗な人だ、と思った。
 黒い艶やかな髪にやはり黒い瞳、上品そうな顔立ち。
 やや小柄なことを覗けば、イザークと似合いのカップルだ。

 「このプラントに海はありますか?」
 どこか行きたいところがある?と聞かれ、シンは思わずそう尋ねていた。
 シホは少し驚いたようだが、「湖ならある」と応えた。
 そこに行きたいと言うと、シホはその希望をかなえてくれた。
 エザリアからシンがぼんやりする時間が多く、部屋に閉じこもりがちだということを聞いていたのだろう。
 外に出たいと言い出したのはよい傾向だと思ったに違いない。
 エザリアもシンが出かけたいと言い出したことに、同じように喜んだ。
 サンドイッチを作って二人に持たせると、笑顔で送り出してくれた。

 シホの車でジュール邸を後にして20分ほど走ると、目的の湖が窓の向こうに見える。
 人工の湖とは思えないほど凝った造りになっており、湿地や岩場、森林が本物のそれらしく配置されていた。
 平日のためか人はそれほど多くなかったが、
 波のない静かな湖畔にカップルを乗せたボートがいくつか浮かんでいる。
 人工太陽の光で乱反射する美しい水の光景に、シンは目を細めた。

 「あの」
 「え?」
 湖に着いてからずっと、魂が抜けたように湖を見つめ続けていたシン。
 その彼が突然振り返って話し始めたので、シホは黒い瞳を瞬いた。
 「その、すみません。今日、お休みだったんでしょ?」
 「ああ、いいのよ。どうせ宿舎に帰っても寝るしかないし」
 「・・・イザーク様と、仲直りしましたか?」
 「え、あ・・・なんで、知ってるの?」
 「イザーク様とエザリア様が話しているの聞いちゃって・・・」
 「そ、そう・・・」
 「してないんですか?」
 「・・・」
 していないようだ。
 「わ、私のことより・・・!」
 「?」
 「ルナマリアさん、だったかしら?まだ会ってない?」
 「・・・会ってません」
 シンは再び湖の方を向く。
 涼しい風が吹き、シンの無造作に伸びた黒髪をなぶった。
 「その方が、いいんだと思います」
 「どうして?会いたくないの?」
 「会い、たい」
 うつろな赤い瞳に湖は映らない。
 エターナルで引き離される直前の、彼女の泣き出しそうな顔がこびり付いて離れなかった。
 「会いたいのなら・・・」
 「俺は、彼女の傍にいちゃいけないんです。『守る』なんて偉そうなこと言って・・・
 本当はそんな力、なかったのに・・・周りから誉められて天狗になって・・・ルナを・・・ッ」
 「あなたが『守る』ことを心から望んでいたのなら、それは罪ではないわ」
 「守れなくても?」
 「守れなくてもよ」
 「・・・でも、死んだら終わりだ」
 死んだら終わり。
 それは死地をかいくぐった軍人なら身に染みて知っていることだ。
 シホは連勝続きでエース扱いだったはずの彼がここまで達観していたことに驚き、急に不安になった。
 「シン・・・」
 「俺、今の議会によく思われていないんでしょ?」
 「・・・」
 「ルナと俺が会ったら、彼女まで立場が悪くなる」
 「そんなことには・・・」
 「絶対ならないって言えないでしょう?」
 横に立ったシホへと、シンは顔を向ける。
 それを見たとき、シホははっとした。
 悲しんでいるような、痛みを堪えているような、諦めているような・・・。

 「シン、あなた・・・」
 「もう少し、ここにいていいですか?」
 言いかけたシホの言葉を遮り、シンは再び湖を眺める。
 しばらくシホはその背中へ声をかけるべきか考えていたが、結局彼を残してその場を離れた。


 シホは携帯のディスプレイをじっとにらんだ。
 それにはここ3日ほど使っていない番号が表示されている。
 ・・・確かに、彼にしたことは大人気なかったと思う。
 自分だけでなく、頭の上がらない母親の誕生日を忘れたことのあるイザークだ。
 シホだって誕生日を忘れられただけだったのなら、
 少しだけすねた振りをして彼を許していただろう。
 ただ停戦協定が始められて以来、シホはイザークの命令でずっとラクスの護衛についていた。
 丸投げされた、と言ってもいい。
 ラクス・クラインは精力的で、暫定議会だけでなく軍部の会合にも出席し、
 一日中あちこち移動していた。
 それを護衛するのはかなり大変なことで、実際襲撃されたことが一度だけあった。
 シホが出る幕さえなかったものの、精神的にかなりこたえる。
 先日ようやくのことでその護衛から解放されたと思えば、イザークに人探しを依頼された。
 それが問題の日のこと。
 せめて誕生日くらいは自分のことを見てほしかったのに、
 イザークはシンという少年の方を気にしている。
 仕事のストレスとあいまって、つい乱暴な態度をとってしまったのだった。

 けれども。
 一時は憎らしくすらあったシンの存在が、会ってからのやり取りで完全に拭い去られていた。
 シホを自宅に招待したのはエザリアだ。
 彼女もイザークがシンを気にする理由が分かっていたに違いない。
 シンがあの時見せた表情・・・。
 2年前のイザークにそっくりだった。
 考えてみれば、前大戦直後のイザークと今のシンの危うい立場は似ている。
 今でこそ白服をまとうことを許された身でも、針を飲まされるようなつらい時期もあった。
 だからこそ、あの少年を放っておけなかったのだ。

 シホは意を決する。
 とにかくイザークに謝ろう。
 そして・・・。
 シンにしてあげられることを、彼と一緒に考えよう。
 それはきっと、あの大戦を生き抜いたものの義務だ。

 そうして携帯の発進ボタンを押そうとした、その時。
 シホの耳に、女性の悲鳴が届いた。
 




  「あなた、シン・アスカでしょ?」
  「え?」
  「総合テストの成績発表見たの。凄いじゃない、いきなり二位なんて!
  レイ・ザ・バレルは見るからに優等生だけど・・・人は見かけによらないのねぇ」
  「・・・なんだよ、あんた。失礼な奴だな」
  「あ、あたし?ルナマリアよ。ルナマリア・ホーク。あんたの次の三位だったの」
  「るなまりあ・・・?変な名前」
  「何ですって?」
  「マリアって顔じゃないな。ルナマリアなんて言い難いし」
  「うるさいわね、あんたの方がずっと失礼じゃない!」
  「ルナでいいよな。ルナ」
  「勝手に略すなーーーッ!」


 ここ数日で、ルナマリアは自分を取り巻くほとんど全てのものに絶望していた。 
 アスランによってエターナルへと連れられたシンとルナマリアは、訳も分からぬうちに引き離されてしまった。
 港に入って下船してもシンの姿が見えないことに不安になり、メイリンにそれを訴えると、
 彼女は顔を盛大に歪め、こう言い放った。
 「シンのことは忘れて」
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
 呆然とするルナマリアに対し、メイリンは自分とアスランが彼に殺されかけたことをこと細かく話した。
 シンは、悪意を持って自分たちを殺そうとしたのだと。
 そしてルナマリアが彼と一緒にいるのはよくないことなのだと。
 そのまま銃を持った兵に囲まれ自宅に戻ると、両親に全く同じことを言われた。
 お前は騙されていた。
 悪いことを手伝わされていた。
 だからほとぼりが冷めるまで家にいなさい。
 テレビから流れる報道も、一変した、とまではいかないが、オーブ寄りのものが増えた。
 同時にシンやデュランダルの人格を否定するような報道も増え、ルナマリアを追い詰める。
 皆が口にするシンへの否定は、ルナマリアへの否定だった。
 様々な葛藤があったが、結果的にルナマリアはシンを許した。
 そして「守る」と言って戦いに身を投じる彼を支えようと誓った。
 それが愛なのか、友情なのか、同情なのかは未だに分からない。
 けれども、誰が認めなくても自分だけは認めようと決めたのだ。
 ステラというエクステンデットの少女への不器用な優しさも。
 アスランとメイリンを殺してしまった時に流した涙も。
 短い寿命を持つレイのために銃を手に取った悲しい決意も。 
 
 「・・・」
 ルナマリアは話し終えると、運転席にいる人物へと視線を滑らせた。
 彼はつい一時間ほど前に突然ホーク邸を訪ね、「シンのことで話がある」と言ってルナマリアを連れ出した。
 いや、むしろ誘拐に近い。
 家族やマスコミの心無い言葉を遮断し、電気もつけない部屋の床に横たわっていたルナマリアは、
 現れたその青年に軽々と抱え上げられ、問答無用で車へと乗せられてしまったからだ。

 だが、この傍若無人な青年の名前を聞いてルナマリアは驚いた。
 自分にとっては雲の上にいる人だったのだ。
 イザーク・ジュール。
 ヤキン・ドゥーエの英雄。
 自分とさほど歳が変わらないにもかかわらず、軍の中でもかなり上の地位にいる。
 まあ雲の上の人というのならアスラン・ザラにも言えることだが、
 出会いが出会いだった上、良かったのは見た目だけで今となってはいい印象がほとんどない。
 優しく礼儀正しかったのは確かだが、
 理由はどうあれメイリンを連れて脱走したことで彼に対しては激しく絶望していた。
 だから、正直イザークのことも怖い。
 人形のように綺麗な顔立ちをしているが、アスラン同様見た目だけかもしれない。
 その上、今やラクス・クラインに信用される身だという。
 ところが人間とは不思議なもので、
 怖いという気持ちが一通り収まると、今度は逆にもうどうにでもなれというすれた気持ちがもたげてきた。
 だからこそ、ルナマリアはシンと引き離されてから今までのことを赤裸々に話していたのだ。
 それで危険分子と判断され、どう処分されようとかまわなかった。
 しかしルナマリアが全てを吐露しても、イザークは何も言葉を返さない。
 難しい顔でひたすら運転に専念しているように見える。
 これがアスランだったら、外面だけは優しい、しかし空虚な言葉をかけただろう。
 あの曖昧な笑みを浮かべながら・・・。
 先程の大胆な行動といい、にこりともしない無愛想さといい、
 イザークはアスランとはタイプが全然違うようだ。
 そう・・・どちらかといえば。
 「シン・・・」
 つい口をついた名前に、ルナマリアはぱっと顔を赤らめた。
 最近・・・ずっとこうだ。
 無意識に彼の名前を呼んでいる。
 全てに絶望し、自分の心から切り捨てようと思っても、彼の存在だけは離れない。
 「シンは・・・元気、ですか?」
 心無い言葉に傷ついていないだろうか。
 独りで泣いたりしていないだろうか。

 ・・・会いたい。

 「元気、とは言えないな」
 ルナマリアは瞳を瞬く。
 言葉の内容より、イザークが自分に言葉を返したと言うことの方に驚いた。
 ということは独白のようなあれも、しっかり聞いていたということか。
 「お前と同じだ」
 「・・・?」
 「部屋に閉じこもって、ぼうっとして・・・何を考えているのか分からん」
 「・・・」
 「エターナルを降りたすぐ後のことなんだが・・・俺の家に着くなり熱を出した」
 「え?」
 どきりと胸がざわめいた。
 そんなこと、誰も教えてくれなかった。
 「三日三晩うなされていた・・・」
 「シンが・・・そんな・・・ッ」
 シンが熱を出すなんて、少し前のルナマリアだったら笑い飛ばしていただろう。
 熱など・・・彼がミネルバに配属されていた時はもちろん、アカデミーの頃だってそんなこと一度もなかった。
 つまり、それだけこれまでのことはシンにとって負担だったということだ。
 「うなされている間、ずっとお前を呼んでいた」
 「・・・え?」
 「『ルナ、ルナ・・・』と何度も。お前のことだろう?」
 「私、を?」
 シンが、私を呼んでいた?

 シンが寝込んでいる間、イザークはオーブへ戻る直前のアスランの元へ足を運び、問答無用で締め上げた。
 そしてシンが呼んでいた名前の主・・・ルナマリアのことを聞き出したのだ。
 シホを使って住所を調べ上げたまでは良かったが、
 ルナマリアの両親とその妹はシンを保護しているこちらとの接触を拒否した。
 とうとう最後の手段として、イザークは実力行使に出たのだった。
 紙切れひとつでこうも上手くいくものかと思った。
 権力をあまり振りかざしたくはないのだが、こういう場合なら許される・・・はず。

 それを聞き終えると、ルナマリアは素直に礼を言った。
 「シンに、会えるんですね」
 「ああ」
 ルナマリアの声音から、ささくれ立ったものが消えて僅かに希望が滲んだのが分かる。
 イザークも、シホと喧嘩までして首を突っ込んだ甲斐があったと思う。
 こんなにお互いを望み、心すら壊しかけていたのだ。
 良かった・・・。


 「出かけた?シホとですか!?」
 真剣な顔で詰め寄った息子に、エザリアは思わず後ずさった。
 「え、ええ・・・ほんの、20分くらい前よ。シン君が外に出たいと言い出したから」
 「あいつがですか?」
 「ええ。私もいいことだと思って・・・シホさんに頼んで湖まで」
 「湖!?」
 車の中から聞こえた声に、エザリアは瞳を瞬いた。
 イザークの車の中に、赤い髪をした少女が乗っている。
 「あなた・・・もしかしてルナマリアさん?」
 「どこ?」
 「は?」
 「湖、どこですか?」
 ルナマリアのただならぬ様子に、イザークが眉をしかめた。
 「連れてってください・・・早く!」
 イザークは再び運転席に滑り込むと、アクセルを踏み込む。
 あとには唖然とするエザリアが残された。

 「20分前・・・ってことは、ちょうど今着いてるってところか」
 つぶやきながらちらりとルナマリアの方を見る。
 彼女は細い体を抱きしめ、気の毒なくらい震えていた。
 湖・・・。
 きっと何か、あるのだ。
 免許取り消しを覚悟し、イザークはハンドルを握りなおした。


 10分後。
 道路が空いていたこともあり、警備にも捕まることなくイザークたちは目的の場所へ到着できた。
 車を降りて、すぐに様子がおかしいことに気付く。
 水辺にいる誰も水遊びを楽しんでいる風に見えなかった。
 皆不安げな顔で何やら言葉を交わしている。
 「シホ!」
 見慣れた姿を見つけ、イザークが叫んだ。
 名前を呼ばれたシホがこちらに気付き、泣きそうな顔で駆け寄ってくる。
 「イザーク!」
 「何があった?シンは?」
 「・・・ッ」
 シホは何か言いかけて言葉を飲み、そして湖を振り返った。
 イザークの背中にぞくっとしたものが走る。
 「まさか・・・」
 「ごめ、なさ・・・。目を離した隙に・・・」
 「溺れたのか!?」
 「沈んでいくのを見た人がいて・・・水辺にいたはずなんです!
 レスキュー隊には連絡したんですが・・・」
 「・・・ッ」
 脳裏に陰鬱な顔をしたシンと、「湖」と聞いて動揺したルナマリアが過ぎる。
 ボートに乗っていて落ちたというのならともかく、水辺からではどう考えても、
 自分から湖に沈んだ、としか。
 ―――自殺・・・?
 その二文字に、頭が真っ白になる。
 そのためか周囲で二度目の悲鳴が上がるまで、イザークはすべき行動へと移ることができなかった。

 「女の子が飛び込んだ」と。




 
2006/01/01

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