レイニー・デイ
ああ、見つけてしまった。
有閑な夜のパーティ会場で、レイは思わずそうつぶやいていた。
しつこくまとわりつく女たちに適当に相槌を打ってやりながら、無意識に捜していた姿。
求めていたはずのそれを目にした時にレイが感じたのは、純粋な喜びとは言い難いもの。
異質な色を持つ彼は、こんな人ごみの中だからこそ目を引く。
見つけるのは必然だったはずだ。
意味のない笑顔を振りまく女の肩越しに、久しく会っていなかった異母兄の姿を見る。
バトラー用の黒いスーツをまとった彼は、貴族たちと談笑する主人の一歩後ろに控えていた。
けれども。
プラチナブロンドの髪とその美貌はどうあってもその存在を際立たせてしまう。
彼の姿は、鮮やかに瞳に焼きついた。
以前と変わらず、ぴんと伸びた背筋。
けれど、少し・・・肉がついたかもしれない。
顔色も青白かった以前と比べてずっと良くなっている気がする。
表情も心なしか穏やかだ。
そんな彼の分かるか分からないかの変化に、レイの心は大きく揺らいだ。
彼の体調が良くなったのは、自分と離れたからだ、と。
自分こそが彼を苦しめ、傷つけていたのだ、と。
碧の瞳を持つあの男の傍らにいる今この時が、彼にとっての幸せなのだ、と。
そういわれている気がして。
レイの異母兄であるイザークが、家を出てザラ邸に仕えてから三ヶ月の月日が経っていた。
彼が自分の下から去って以来、レイはただがむしゃらに政治の勉強をしていた。
だがそんな半閉鎖的な生活をしていても、噂はいやおうなしに耳に届くものだ。
イザークはレイの予測通り、ザラ家当主の跡取り、アスランの従者になっていた。
アスラン・ザラは若いながらもその有能さを広く認められており、将来を期待されている。
政治に携わる貴族や、王族とも親交を深めつつあるらしい。
だが話題に上がるのはアスランの秀才ぶりだけではなかった。
ザラ家についての話に至る時、秘かに、しかし必ずといっていいほどささやかれるのは、
跡取り息子の傍らに常に付き従っている見目麗しい従者のこと。
イザーク・ジュール。
アスランはどこに行くにもイザークを供につけると聞いた。
イザークは彼の秘書のようなことをしているから、そんなに不思議なことではないのかもしれない。
ただ、イザークが異彩な美しさを持っているだけで・・・。
普通なら従者の方しか印象に残らないのではないかと思ってしまうが、
アスランもまた整った、見たものをはっとさせる容姿を持っている。
ゆえにレイは、アスランがイザークを見せびらかしているというような邪推すらしてしまっていた。
自分だったら、イザークを誰の目にも触れさせない。
憎まれても、蔑まれても、彼を閉じ込めて永遠に自分だけのものとして愛でていたい。
そんな凶暴な気持ちが、イザークと離れてから大きく膨れ上がっていた。
今夜ここで彼を目にしてからは、さらに。
だから、会うのが怖かった。
ザラが主催するこのパーティーに、レイはもともと参加するつもりはなかった。
すでに招待されていた父は、どうせイザークと自分を会わせまいとするだろうと。
しかし。
父は当日になって体調を崩してしまったのだ。
そうして思いがけなくレイが代行としてここに来ることになってしまった。
・・・いや、それでも辞退の言い逃れはできたかもしれない。
やはり会いたかったのだ。
一目でいい。
無視されてもいい。
言葉も要らない。
―――イザーク・・・。
音にはしない。
唇の動きだけで彼への想いを刻む。
遠目でもはっきりと分かる、アイスブルーを瞳に焼き付けて。
次の瞬間。
あるものに気付いたレイの背中に冷たいものが走った。
「レイ様、どうかなさいましたの?」
瞬間的に険しい顔つきをしてしまったのか、例の女が怪訝な顔で自分を伺い見る。
レイは愛想笑いをしようとして、しかし彼女の方に顔を向けることすらできなかった。
碧の双眸。
イザークばかりに意識を向けていて気付かなかった。
アスラン・ザラが、こちらを見ている。
一体いつから・・・?
心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。
レイは硬直したまま、彼の眼光に囚われていた。
どれほどにらみ合っていたのだろうか。
アスランの碧の瞳が、ふと細められる。
息が止まった。
嘲笑われた・・・気がした。
自分の名を呼ぶわずらわしい女の声を振り払いながら、レイは入り口へときびすを返す。
人ごみを掻き分け、大股で半開きになっていた扉をくぐり抜けた。
「レイ様、どうなさったのです?」
レイの従者の声。
退室に気付いて追いかけてきたのだろう。
それにすらいらつき、レイは振り返りもせずに声を張り上げた。
「帰る!!」
「そんな、お戻りください。私がだんな様に怒られます」
「やかましい!俺に指図するな!!」
「レイ様!」
「気分が悪いんだ。ザラ殿にはそうお伝えしておけ・・・俺は一人で帰る!」
「ひ、一人って・・・」
それでも追いすがろうとする従者の言葉を聞き流す。
玄関を出たところで馬車の御者からも声をかけられるが、それもレイは無視した。
うるさい。
放っておいてくれ。
俺を一人にしてくれ。
何も考えたくない。
夜の空は、雨を降らせていた。
雨の街の中をどう歩いたのか、レイは人気のない路地を歩いていた。
この時間でこの天気ならば外を出歩く物好きはそういないのだろう。
あのパーティー会場の喧騒とはうって変わって雨音は優しく鼓膜に届く。
レイはいくばくか心を落ち着けた。
けれどその雨にうたれたせいで髪も服もぐっしょりと濡れている。
春先の気候のため、身体もかなり冷えているようだ。
それでもしばらく歩き続けて・・・ようやく足を止めた。
ふうっと大きく息を吐く。
どうしてあの場を逃げ出してしまったのだろう。
自分でも良く分からなかった。
思わず飛び出してしまったが、もうザラ邸には戻れない。
本当に一人で帰るしかなくなった。
こんなところで、一人・・・。
何だかとても、惨めだった。
その時。
「レイ」
「・・・!」
レイの身体が、大きく揺れた。
背後から差し出された傘と、自分を呼ぶ声。
そんな、馬鹿な。
「イ、ザーク・・・?」
彼がここにいるはずがない。
きっと自分の幻聴だ。
だから、振り返る必要はない。
必要は、なかったのに・・・。
レイは思わず、後ろを振り向いてしまった。
信じられない。
あれほど遠かったのに。
二度と触れられないと思っていたのに。
ほんの少し・・・手を伸ばせば届く距離に、イザークが立っていた。
「イザーク・・・」
「レイ、こんなに濡れて・・・大丈夫か?」
イザークはさらに一歩レイへと歩み寄る。
レイは動けなかった。
頭が上手く働かない。
イザークはかつてのように、仕方がない奴だなと呟きながら苦笑している。
愛しい声で、自分の名前を呼んでくれている・・・。
「どう・・・して?」
「追いかけて来たに決まっているだろう。皆心配しているんだぞ」
「・・・」
「気分が悪いのだったら、すぐに医者を呼んでやったのに・・・」
「違、う」
「・・・レイ?」
ああ、また呼んでくれた。
イザークが自分の目の前にいること。
名前を呼んで、話しかけてくれていること。
美しいアイス・ブルーに、自分を映してくれていること。
その全てが、レイにとっては激しい誘惑だった。
「お前の家の馬車が待っている。さあ、そこまで戻ろう?」
「・・・」
「ほら、ちゃんと傘を持て」
イザークが、レイのためにと差し出している傘。
しばし無言でレイはそれを見つめる。
そして、手を伸ばした。
「・・・ッ!」
身を引こうとしたイザークだったが、レイは傘の骨ごと手を掴む。
さらに乱暴に後頭部を掴むと、ぐいっと顔と顔が近づいた。
イザークの傘が、白い手から滑り落ちる。
それが地面に落ちる音が合図だったかのように。
街灯に照らされた二つの影が、重なった。
沈黙を破ったのは、近づいてくる馬車の車輪の音だった。
イザークがびくりと身体を揺らし、密着していた身体を引き離す。
レイは放すまいと両腕を彼の背中へと回したため、レイの傘までもが地面に落ちた。
降り続く雨に、イザークの髪や服も濡れていく。
「・・・放せ」
「嫌だ」
イザークの濡れた瞳が幾度も瞬く。
身体に点ってしまった熱を必死に冷まそうとしてるのだろう。
二人とも、息が上がっていた。
雨にうたれて冷えていたはずの身体はうずくような熱を持っている。
つい先ほどまで合わさっていた唇は、まだ赤い・・・。
馬車が速度を落とし、こちらへとやってきた。
見ればレイの家の馬車だ。
わざわざ追いかけてきてくれたのか、それともイザークがそう仕向けたのか。
馬車を駆る初老の御者は長年レイの家に仕えているため、レイとイザークの関係にも気づいている。
忠誠心の厚い、そして賢い男だ。
馬車を二人の傍らに止めたものの、何も言わずにただそこに控えていた。
「馬車、来たな・・・」
「・・・」
「屋敷に戻れ。だんな様とアスラン様には俺の方から上手く誤魔化しておくから」
「・・・嫌だ」
「お父様に、よろしく」
「嫌だ!!」
レイはイザークの腕を荒々しく掴む。
そしてそのまま馬車の輿の中へと引きずり込んだ。
「レイ、やめろ!!」
「嫌だ!」
「レイ、だめなんだ!!」
イザークは扉の縁に手をかけて抵抗しつつ、必死にレイに呼びかける。
弟の我侭をたしなめる兄のように・・・。
それに対し、レイはただ「嫌だ、嫌だ」と繰り返し、イザークにがむしゃらに抱きついた。
御者も見かねて何事か言っているようだが、それすらもレイの耳には雑音に帰す。
ついに力負けしたイザークが輿の座席の間に倒れこみ、レイは扉を閉めた。
そして御者に向かって言い放つ。
「走らせろ!!」
その一喝に御者は戸惑いを見せたものの、やがて御者席と輿との仕切りになっているカーテンを閉めた。
この馬車の輿は窓が小さいため、カーテンを閉めてしまえば中の様子は分からない。
二人を幼い頃から知っている彼の心遣いだろう。
やがて、馬車が走り出した。
車輪と馬が走り出す音が決定的な何かになったのか、イザークは抵抗を止めた。
「イザーク!」
レイは泣きながらイザークを抱きしめる。
ただがむしゃらに、闇雲に。
イザークも。
もう、抵抗できなかった。
「・・・ぁっ、ああっ!」
深く繋がったまま揺すり上げられ、イザークが白い首を反らせる。
レイがその無防備な首筋に熱い唇を落とせば、優しくその金の髪をすいてくれた。
「っ、・・・あぁっ」
「・・・イザーク」
三ヶ月ぶりの行為はあまりに強烈な快楽を呼び、頭の芯まで痺れるようだ。
指も、唇も、吐息も熱い。
熱に浮かされるまま求め合う。
言葉もなく貪り合う。
「ひっ・・・あ、あ・・・っ」
突き上げられたイザークの身体が跳ねる。
その熱い内壁が痙攣し、賓欲に締め付ける感覚にレイも息を詰めた。
いっそう激しく突き上げれば締め付けはいっそう強くなる。
「・・・ッ、イザーク」
「・・・ぁっ!」
イザークの喘ぎ声が、高い嬌声に変わった。
最奥にレイの熱い迸りが注がれ、宙に伸ばされた手がさまよう。
レイの身体が倒れこんできた。
「あ・・・ぁ」
二人の間でも、白濁が飛散した。
馬車は走り続けている。
一体どこを走っているのか分からなかった。
闇の中を迷走しているようで、世界に二人だけが隔絶されたような錯覚に陥る。
少しだけ首を傾ければ、隣でレイが荒い呼吸をしている。
イザークが首や肩に汗で張り付いている金髪をそっと払いのけてやれば、空色の瞳が見下ろしてきた。
イザークも、見つめ返す。
「どうしようもないな・・・俺たちは」
自嘲するように呟けば、レイは分かりたくないとでも言うようにただ首を横に振る。
こんなことになった理由とか。
こうやって求め合うことの価値とか。
そんなものは分からないままでかまわない。
意味なんていらない。
再び入り込んできた熱に下から突かれながら、イザークは透明な涙を流していた。
それを拭おうと手を伸ばすレイも涙を浮かべている。
とても甘い、そして残酷な夢を見ている気分だ。
そして夢は、必ず覚めるもの。
だからこそ二人は。
さらに深く、激しく求め合った。
ふと窓の外を見れば、雲の間から星が見える。
白く濁っていく意識の中で、雨が止んだらしいことをぼんやり悟った。
「イザーク!?イザーク、一体どこに行ってたんだ!」
「・・・アスラン」
門をくぐるなり、玄関にいたアスランが駆け寄ってきた。
二人だけの時は呼び捨てにしろ、敬語を使うなという変わった命令をするこの主人は、
レイを追いかけるといって数時間も姿を消してしまったイザークを心底心配してくれたらしい。
途端に申し訳なさが募り、イザークは顔をうつむけた。
アスランの顔をまともに見ることができない。
これまで自分がしていた淫らな行為を口にするなんてもってのほかだった。
「イザーク・・・何かあったのか?」
「いや・・・」
すでにパーティーは終盤を迎えており、帰路に着く客が二人の横を通り過ぎる。
アスランがイザークの手を引き、本道から少しはずれたところへ促した。
「父には上手く誤魔化しておいたけど、君がいないってもう少しで大騒ぎになるところだったんだよ」
「すまない、つい・・・」
「つい?」
「つい、その・・・レイとの話が、長くなって」
「話、か」
痛いほどのアスランの視線を感じる。
イザークはますます顔を上げることができなくなった。
「イザーク・・・」
アスランがイザークの銀髪を一房手に取る。
雨に濡れたそれは、まだ湿り気を帯びていた。
と、アスランのもう一方の手の指が、あらわになった白いうなじをなぞる。
「こんなところに・・・こんなものを作って・・・」
「・・・!」
ぎょっとして、思わず自分の手を導くと、それはわずかに熱をはらんでいた。
赤い鬱血の痕があることを確信し、イザークは身をこわばらせる。
恐る恐る顔を上げれば、アスランの笑顔がそこにあった。
あまりに綺麗なそれに、背中にぞっとしたものが走る。
「悪い子だね、イザーク」
2006/05/04
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