ダージリン
前編
コクピットに映し出されるアイカメラの映像。
鮮明度をチェックしていたとき、目立つ色を見つけた。
「うわ・・・美人」
思わず感嘆の声が漏れる。
オイルにまみれた作業員が行きかうこのMS用倉庫で、きっちりと軍服をまとった人物がいる。
緋色のその軍服から一瞬自分の同僚かと思ったが、髪の色が違った。
月の光を集めたような銀髪・・・あれほど見事なものも珍しい。
好奇心にかられてカメラをズームアップする。
すると、その綺麗な立ち姿がより大きく、鮮明になって目の前に現れた。
「女の人・・・よね」
北欧系を思わせる石こう色の肌に、アイスブルーの瞳。
怜悧な美貌はどちらかと言えば女性的だったのだが、
顔にある大きな傷跡がその人物を女と断定するのをためらわせた。
額から右目の下にかけて、斜めに大きな傷が横切っている。
ハンガーにあるMSの修理の様子を見ているようだ。
心なしか、うつろな表情。
外に出て近くで見てみようかと一瞬考えるが、行動に移す前にその人は身を翻して倉庫を出て行ってしまった。
コクピットから身を乗り出し、かの人物が見上げていた視線の先を追う。
白と青のカラーリングをベースにした機体が、両足部分の修理を受けていた。
確か、連合から奪取された四機のMSの最後の一体。
思わず、その機体の名前をつぶやいていた。
「X-102デュエル・・・」
かたかたとキーボードの音が鳴る。
一定時間ごとに電子音がクリアを知らせ、その度にシホは満足そうな顔をした。
もう倉庫には一部しか明かりがつけられていない。
ちょうど交代の時間だ。
最後に全体的な調整をしてしまおうと一度手を止めたとき、上に影が落ちる。
「シホ」
コクピットに座っているシホを見下ろしているのは、緋色の軍服に亜麻色の髪をした少年。
マニ・クロイツェル。
地上テストからずっとシホと一緒に行動している赤服の同僚だ。
「やっぱりこんなところにいたのか」
「だって、これを終わらせたかったんだもの」
これ、とはシホが今乗っている機体・・・シグーのビーム兵器試験体だ。
紺青のボディカラーに両肩に付けられたビーム兵器が独特のフォルムを形作っている。
シホはMS開発課からこの機体のテストパイロットに選ばれ、
マニや他の数名のパイロットと一緒にこの地球でテストを重ねていた。
それも今週までだが。
「向こうに戻っちまえばいくらでもそんな時間あるだろ。何焦ってるんだよ」
「・・・今やってしまいたかったのよ」
血のバレンタインをきっかけに始まった地球軍、プラント間の戦争は、刻々と情勢が変化していった。
量で押す地球軍に対し、MSを開発したプラントのザフト軍は激しく抵抗。
一時はザフト優勢であったのだが、オペレーション・スピットブレイクの失敗により、一気に戦局は地球軍側に傾いた。
シホたち新型MSのテストパイロットたちは、まだ機体の能力が保障できないということで、
次に予定されているパナマ戦には参加せず、プラントに戻ることになっている。
アラスカで仲間を幾人も失った同僚たちはその決定に釈然としていない。
シホもそのうちの一人だった。
部屋でじっとしていても落ち着かず、こうして自分の愛機をいじっていたのだ。
「とにかくひと段落させて着替えて来いよ。クルーゼ隊長からお呼びだぜ」
「え?誰?」
「ラウ・ル・クルーゼ隊長。俺たちの配属が決まったから来いってさ」
シホは黒い瞳を瞬く。
ラウ・ル・クルーゼといえば、シホたちの間でも有名なエリート部隊の隊長だ。
パナマ戦を控え、現在このカーペンタリアにいるということは聞いていたが・・・。
「もしかして・・・私たちクルーゼ隊?」
「さあ?」
マニは肩をすくめる。
どうもはっきりしたことは聞かなかったらしい。
「とにかく1800時にブリーフィングルーム。あと15分しかないぞ」
「ええ!?」
早くしろよー、と手をひらひらさせて行ってしまったマニに一瞬呆然とする。
そして慌ててPCにロックをかけると、その後を追った。
緋色の軍服をまとい、髪を結び直して廊下を走る。
ロッカールームで時計を見たときは5分前だったので、本当にぎりぎりだった。
目的の部屋の前の廊下にマニの姿があった。
間に合ったようだ。
「ぎりぎりセーフだな」
「駄目かと思った・・・」
息を整えながらマニと共に部屋に入る。
中には何人かがすでに席について待っていた。
知った顔ぶれもいるが、赤服をまとっているのはシホとマニだけだ。
「全員クルーゼ隊かしら?」
「さあ」
二人はどこに腰を下ろそうかと、ドアの前でしばし立ち止まる。
その時。
「そんな所で止まるな。さっさと中に入れ!」
「え?わ、・・・すみません」
後ろからの、叱責の声。
威圧的なそれに、シホとマニはぎょっと身をすくめ、ドアの前を空けた。
誰だろう、赤服である自分たちにこんな言葉を投げつけるなんて・・・。
自分たちに続いて、その声の主が部屋に入る。
視線を滑らせたシホは、息を止めた。
あの人、だ。
MS格納庫の中で、GシリーズのMSの修理の様子を見ていたあの人・・・。
銀髪にアイスブルーの双眸。
そして顔の大きな傷・・・間違いない。
―――どうして、この人が女性かもしれない、と思ったのだろう。
端整な顔立ちを険しくしてそこから感じさせる殺伐とした雰囲気、
赤服を寸分の隙もなく着こなす堂々とした様子・・・女性らしさなど感じさせない。
見とれるシホの、いや部屋にいる全ての視線を一身に受けても、少年は眉一つ動かさなかった。
あの顔の傷だ、注目されることに慣れているのか。
彼が部屋の中に進んで壇から少し離れた所に立つと、ようやく我に返ったシホとマニは席につく。
やがて、ラウ・ル・クルーゼが入室してきた。
その会合で知らされたのは、集められた全員のクルーゼ隊への入隊だった。
エリート部隊であったクルーゼ隊は、G奪取作戦に始まる激戦の中で隊員が次々に戦死し、
さらにアスラン・ザラの栄転で残ったのはただ一人になっていたのだ。
その一人こそ、そこにいる銀髪の少年、イザーク・ジュールだ。
イザーク・ジュール・・・。
ジュールという名前で、シホは評議会議員のエザリア・ジュールの顔を思い浮かべる。
異性だというのに髪の色も顔立ちもそっくりだ。
血縁関係にあるのか。
隊長が一人、隊員が一人では隊と呼べないからな、と途中クルーゼは皮肉った。
英雄の誉れ高いクルーゼだが、これにはシホたちも苦いものを感じてしまう。
部下を亡くしているのに、この人はなんとも思っていないのだろうか・・・いや、そういうものなのかもしれない。
その時のイザークは僅かに顔を歪めたのだが、またすぐ無表情に戻ってしまった。
クルーゼ隊入隊は、予想内の範囲。
あこがれていたエリート隊だが、シホは何だか素直に喜べない。
何か含みを持たせるようなクルーゼの雰囲気が気に入らなかったのかもしれない。
隣のマニも複雑そうな顔をしていた。
しかし、シホとマニが驚いたのはこの後だった。
会合が終わると、クルーゼは解散を宣言したのだが・・・。
「マニ・クロイツェルと、シホ・・・ハーネンフース?」
「はい」
「あ、はいっ」
突然名前を呼ばれ、二人はそろって椅子から立ち上がる。
あのイザークが、アイスブルーの瞳に二人を映していた。
何か資料のようなものを持ち、こちらに歩み寄ってくる。
先程の威圧的な叱責を思い出し、二人は無意識に背筋を伸ばした。
だが、イザークは先程とはうって変わって静かな口調で語りかけてくる。
「ハーネンフース、か。珍しい名前だな。植物・・・花の名前だったか?」
「は、はい。そうです」
ハーネンフース、とは、金鳳花・・・英語ではバターカップと呼ばれる花のことだ。
ヨーロッパのとある国の言葉だという。
シホ当人ですら親から聞いてうろ覚えしている程度なのに、
どうやらこの少年はかなり博識のようだ。
視線がかち合うと、相手が僅かに目を伏せる。
「綺麗な名前だな」
これが、出会い。