ダージリン


後編


 
 簡単な挨拶を済ませたあと、イザークは話を切り出した。

 「お前たちは新型のテストパイロットだったな」
 「はい」
 「データを見せてくれ。参考にしたいから」
 「・・・参考、ですか?」
 首をかしげたマニに、イザークは複雑な顔。
 「隊を・・・与えられることになった。そうなったときの・・・部隊のMSの選出に、ちょっとな」
 「え?・・・あ、おめでとうございます!」
 「・・・そういう予定なだけだ。実際にそうなるか分からん」
 形の良い眉が寄せられる。
 どうも、不機嫌なようだ。
 隊を与えられるということは、隊長になるということ。
 一体何が不満だというのだろう。
 「今はかなり高性能のMSが開発されているらしいな。俺が今乗っているGシリーズと比較したいとも思っている」
 「Gは合わないのですか?」
 「・・・さあ?」
 イザークは肩をすくめた。
 本当に分からないらしい。
 自分の、機体のはずなのに。
 「とにかく見せろ。時間はあるだろう?」
 

 パナマ戦を控え、カーペンタリアに配属されているMSはかなりのものになっていた。
 当然格納庫の数も多くなるが、それでもMSの数は飽和状態、中で働く人の数もそれなりに多くなる。
 幸いにもシホのシグーがされている格納庫はイザークのデュエルと同じだった。
 マニのジン・ハイマニューバもその隣の格納庫で、大した距離を移動する必要はない。
 まずはマニのジンを見ることになり、三人は連れ立って目的の格納庫を訪れた。
 
 格納庫には多くのクルーが行き交っていた。
 騒音も激しく、かなり大声を出さないと隣の声も聞き取りにくい。
 マニが手招きしながらイザークたちを自分のジンの元へ案内する。

 「・・・あら?」
 その時、シホは自分たちの斜め後方から誰かがやってくるのに気が付いた。
 作業服を着た若いクルーが、二人。
 自分たちに用があるのかと思ったが、こちらを見もせず、何か言い合いながら小突き合っている。
 ふざけているのだろう。
 しかし一方はむきになっていて、相手に掴みかかろうしている。
 こんなに人が多いのに危ない・・・と思った途端、掴まれそうになった一人が、大きくバランスを崩した。
 その先には・・・。
 「ジュール先輩!」
 シホが叫んだが、その声は周りの騒音でかき消された。
 イザークはクルーたちに気付かず、マニについたままスピードを緩めない。
 シホは近づいて阻止しようとした、が。
  
 一歩遅かった。
 シホがあと少しでイザークに手が触れる位置まで来たとき、あのクルーが後ろからものすごい勢いでイザークにぶつかったのだ。

 「・・・!!」
 イザークがよろける。
 踏みとどまろうとしたが、すぐ後ろにいたらしい誰かの足に躓き、重心が崩れた。
 「うわっ!」
 「きゃっ!!」
 イザークは反射的に資料を持っていた右手を上に、そして空いていた左手の方を床に付く。
 視界が反転し、自分が床に倒れたことを理解した。
 すぐに我に返り、ぶつかってきたクルーをにらみつける。
 イザークの姿を認めたそのクルーは、しまったという顔をしていた。
 どうせ狭いこの場所で余所見をしていたかふざけていたのだろう。
 「おい!」
 怒りのまま、言葉を叩きつけようとした。
 「貴様・・・!一体どこ見て・・・る・・・」
 が、イザークは途中で不自然に言葉を切り、動きを止めてしまう。
 何だか、おかしい。
 自分は床に倒れたはずなのに・・・。
 
 先頭を歩いていたマニが異変に気付いて戻ってくる。
 クルーたちと共に、様子を変えたイザークに注目した。
 イザークはきょとんとして、自分が「床に」付いたはずの左手の先を見る。
 柔らかくて・・・暖かい?
 「・・・」
 振り向けば、イザークのすぐ後ろの位置にシホが座り込んでいた。
 信じられない、と言いたげな・・・しかも泣きそうな顔で視線を下ろしている。
 なぜなら・・・。

 あろうことかイザークの左手は、シホの胸の双球に置かれていた。

 「きゃあああああああーーーーーっっっ!」

 ばちんっ!
 「いっ・・・たぁ・・・!!!」
 悲鳴と共にシホの平手打ちがイザークの頬に炸裂し、小気味良い音を立てた。
 そして・・・。
 イザークがひるんだ間・・・ほんの0.8秒。
 シホはあっという間に走り去り、姿を消してしまった。
 「時速25キロってところか」
 シホが消えていった先を見ながら、マニが相変わらずお気楽な調子で言う。
 そしてイザークの顔を覗き込み、苦笑した。
 「大丈夫・・・じゃなさそうですね」
 イザークの左の頬に、もみじ型の赤いあざがくっきり浮き上がっていた。
 目に涙を浮かべて唸っている。
 マニはしきりに頭を下げるクルーたちを持ち場に戻らせ、イザークをとりあえずベンチに座らせた。
 「氷嚢作ってきましょうか?」
 「うるさい・・・」
 声を出すのもつらそうだ。
 非常に素敵な音がしたのだから、よほど痛かったのだろう。
 「あの・・・シホのこと、悪く思わないでください」
 「・・・何を言っている?」
 「いや、だから・・・」
 まだ少し潤んだ瞳でぎろりとにらみつけられ、マニは冷や汗をかく。
 先輩に平手打ちをしてしまった同僚をフォローしたかっただけなのだが。
 別にあれはどちらが悪いというわけではないだろう。
 というか、どっちも被害者だ。
 「あの女、どこに行った?」
 「え・・・と、どこでしょう?」
 「仲間だろ」
 「そうですけど、あっちの方向は中庭しかないし・・・って、落ち着いたら向こうから謝ってきますから」
 顔をぶたれて文句の一つでも言いたいのだろうか。
 胸を触れてラッキーじゃないか、高慢な人だな、と眉を寄せる。
 と、そんなマニの心を読んだかのように、またしても蒼眸が鋭い視線を突き刺した。
 もとが美人なだけに、顔の傷とあいまってかなりの迫力。
 マニは競り上がりそうになった悲鳴は辛うじて飲み込んだものの、二、三歩よろめいた。
 「なぜ謝られてやらねばならん」
 「へ?」
 「あ、謝るのは俺の方だろうが」
 そう言うイザークの顔は、もみじのあざが分からなくなるほどに赤い。
 「・・・」
 ぶたれたことは面白くないが、シホに対して怒りを感じているという訳ではないらしい。
 痛い目にあっておきながら「自分が謝る」と言っているのだ。
 マニは先程の己の邪推を少し後悔した。
 そうか、こういう人なのだ。
 イザークは手の甲で頬をさすりながら、立っているマニを上目使いでにらんでくる。
 その様子が彼の顔を子供っぽくし、マニは初めてこの少年が歳相応に見えた。
 少しどぎまぎしながらも口を開く。
 「だって・・・不可抗力でしょ?」
 「当たり前だ!!」
 裏返りそうな声で怒鳴る彼の顔に、さらに血が集まった。
 もともと白すぎるほど白い肌なので、ここまで赤くなると高血圧でも起こすのではと心配になってくる。
 やっぱり氷嚢作ってきた方がいいかもしれない、とマニは乾いた笑いを漏らした。
 

 「ど、どうしよう・・・」
 シホは途方に暮れて立ち尽くした。
 今更後悔してももう遅い。
 やってしまったことは取り返しが付かないのだ。
 陸上メダリスト並の脚力で倉庫を疾走したシホは、
 倉庫と居住区の仕切り網の僅かなスペースに作られた中庭にいた。
 何とか気を落ち着かせたあと、自分がしてしまったことを思い出して肝を冷やす。
 今日あったばかりの先輩を殴ってしまうなんて・・・。
 イザークに胸を触られたのは確かだし、あちらがわざとやったならばまだシホにも弁明のしようがある。
 だがふざけあっていたクルーがぶつかった時、
 シホがイザークの死角・・・しかもかなり近い位置にいたことなど彼には知りようもない。
 事実ひっくり返って胸に手を置かれるまで、彼は一度も振り返らなかったのだ。
 どちらかと言えば、近づきすぎていたシホの方が悪い。
 しかもひっぱたいた上に逃げてしまうなんて。
 シホは自己嫌悪に頭を抱える。
 「最低だ、私・・・」
 「まったくだ」
 「え?・・・ひゃあっ!!」
 突然後ろからした声に振り向けば、イザークが腰に手を当てて立っていた。
 シホを見下ろすその顔には、くっきりとあの手形。
 眉間のしわの数が先程より増えている気がする。
 ざーっ、と頭から血の気が引いた。
 「あ、・・・あの、あの・・・ッ」
 とにかく謝らなければ。
 でもうろたえてしまったシホは上手く言葉が紡げない。
 金魚のように口をぱくぱくさせて、それでも何か訴えようとする。

 「・・・」
 不機嫌だったイザークの顔に苦笑が浮かんだ。
 かわいい、かもしれない。
 同じ赤を着ているのに、自分が知っている他の連中とは違う。
 なんというか・・・「普通の」女の子だ。
 いつも取り澄ましたアスランや、皮肉屋のディアッカや、一番年下のくせに大人びたニコルとは違う。
 もちろん、自分とも。
 「悪かった」
 「へ?」
 「いや・・・だから、さっき・・・」
 胸を触った、と口に出すのはさすがにためらわれてイザークは視線をそらす。
 するとシホも何のことか理解したらしく、青ざめていた顔が一気に赤くなった。
 こちらが謝るとは思ってもいなかったらしい。
 「あっ・・・!私が悪いんです!!あんな近くにいたら分かりませんよね。
 わ、私止めようとして・・・。でもその・・・あ、殴ったりして、その・・・」
 シホはどもりながらもなんとかそこまでまくしたて、そしてはっとする。
 そしてぶんっ、と勢いよく頭を下げた。
 突然のそれにイザークは思わず後ずさる。
 「す、すみませんでした!!」
 「・・・ああ」
 イザークは、彼女が自分を殴ったことに対して謝っているのだということにしばらく気が付かなかった。
 別にそこまでかしこまらなくてもいいのに。
 「別にいい。お前が悪いわけじゃない・・・って、俺も悪くないからな!あれは事故だぞ」
 「は、はい」
 「・・・」
 「あ、あの・・・マニ、は?」
 「置いてきた」
 「はあ」
 「・・・データはまた明日でいい。もう遅いしな。帰国は明後日だろう」
 「はい・・・」
 そんな会話をしながらイザークが階段の段差に腰を下ろす。
 シホは何となく立ち去れなくて、そのまま立っていた。
 「お前は・・・」
 「はい?」
 「お前、どうして軍人になった?」
 「・・・」
 驚いてイザークに目をやれば、とても真摯な顔でこちらを見ていた。

 どうして軍人に?
 そうするのが当然だった。
 誰も疑問に思わず、志願したことを誉められさえした。
 自分自身、誇りに思っている。
 戦争なのだから・・・。
 だがシホはふと思い当たる。
 自分が女だから聞いているのだろうか。
 女は軍人になるべきではないと?

 「プラントを守るためです。私にだって、できることはあります」
 確かに女の力は男には及ばない。
 それでも故国のために何かしたい。
 その一心でシホはここまで頑張ってきた。
 赤服はその証だ。
 「女の自分が軍人だとおかしいですか?」
 「・・・」
 思わず口をついて出た言葉にしまった、と思う。
 一方のイザークは、先程の慌てぶりから態度を一変させたシホに驚いている。
 少し挑発的なものを含む口調になってしまったらしい。
 しかし、彼は別段気にした様子もなく、いいや・・・とつぶやいた。
 そして一言。

 「お前は、死ぬなよ」

 ―――クルーゼ隊で残ったのは、ただ一人。
 ―――隊長一人に、隊員が一人。

 シホは、思わずイザークの顔を凝視してしまう。
 女だから、弱いから「死ぬ」という意味ではないということは、何となく分かった。

 とても重くて、痛くて、優しい言葉だと思った。
 



 次の日の朝。
 イザーク・ジュールは、非常に不機嫌だった。

 食堂にいる人間の半分以上の視線が自分に集まっている。
 ひそひそと交わされる話の内容は、おそらく自分に関することだ。
 注目されることには慣れているが、今のこの状況ははっきり言って愉快なものではない。
 その好奇の目の理由・・・昨日のシホとの接触事件だ。
 あの一部始終が、一夜にして基地中に広まっていた。
 シホと仲がいいマニがそんなことをするとは思えない・・・出所は接触の原因となったあのクルーたちに間違いないだろう。
 
 あいつら・・・ブッ殺す。
 幸いにも(?)顔をはっきり覚えている。
 あとで締め上げて足蹴にして土下座させて謝らせなければ。
 ついでに何か驕らせよう。
 うん、それがいい。

 ぶっそうな決心を固めながら、それをさっさと実行に移そうとプレートの料理をかきこむ。
 その時、同じく朝食のプレートを持ったマニが現れ、話しかけてきた。
 「隣、いいですか?」
 「・・・好きにしろ」
 イザークは振り返りもせずに食事に専念している。
 そんなそっけない態度のイザークの隣に腰を下ろし、マニは片頬を上げる。
 何か悪戯を思い浮かべた、子供のような笑みだった。
 「で、どうだったんです?」
 「・・・何が?」
 話す時間も惜しいと、イザークはいかにも嫌そうに返す。
 しかし、マニは大して気にした様子もなく、言葉を次ぐ。
 「シホの胸を触った感想」
 「・・・」

 フォークをミートボールに突き刺したまま、しばしフリーズ。

 「あいつ、結構スタイルいいでしょ?」
 「あ・・・え?」
 瞬時に記憶が甦る。
 ・・・確かに、小さくはなかった。
 豊満なわけでもないがまだ16歳だし、どちらかといえば小柄な方だから、あのくらいが丁度いいのかもしれない。
 何より、泣きそうになったときの顔がかわいかった。
 もちろん笑顔が一番かわいいが、不覚にもあのときは見とれてしまった。
 もう少し背が伸びて大人っぽくなればさぞかし・・・。 

 「・・・って、何言わせる気だぁぁぁぁーーーーーーーーーー!!!」


 「・・・何よそれは」
 格納庫に現れたマニに、シホは眉を寄せる。
 何故か軍服ではなく作業服のマニ。
 そしてその額には何かの赤い痕がくっきりと浮き出ていた。
 どうもプレートのような固いものを押し付けた・・・いや、叩きつけたような。
 「ジュール先輩にやられた」
 「・・・何を言ったのよ」
 「どうして俺のせいだって決め付けるんだよ」
 「どうせあんたのせいでしょ」
 「まあ、そうだけど」
 「・・・」
 シホが冷ややかな目で見つめると、マニはでも、と言葉を続けた。
 「いきなりプレートで殴りつけるんだぜ。後輩に酷いことするんだから。
 おかげで食事が全部ぶちまけられて軍服はクリーニングだし・・・」
 「で?何言ったの?」
 癇癪もちのイザークだが、まさか何もしない相手を殴ることはないだろう。
 どうせ口の軽いこの男が怒らせたのだ。
 「それがさあ・・・」
 そう、この男は口が軽すぎる。

 「お前の胸を触った感想を聞いたんだけど・・・」
 
 
 「・・・何だそれは」
 数十分後。
 イザークは、廊下をふらふら歩いているマニと再会する。
 その額には、自分がつけたはずのプレートの痕・・・
 そして、頬には見覚えのあるもみじ型の赤いあざ。

 怪訝な顔をするイザークに、マニは作り笑いをするしかなかった。
 

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2005/03/19