セイレーン・セイレーン 03
傷
「一応調べたけど、何も出てこなかった」
「何も?」
「なぁんにも」
念を押すように聞き返せば、フェイは大袈裟に肩をすくめる。
さすがに疲れた顔をしていた。
「それじゃあやっぱりメイズだけが狙われたのか」
「らしいな」
「犯人の目星は・・・つくわけないよな」
「まあなぁ・・・外部の人間は出入りし放題って言うか、ザフトの人間の方が少ないくらいだったし。
メイズがハッキングしていることは、ここに入り込めばそんなに難しくなく知れる」
フェイがぼやきながらキーボードをいじり、艦の出入者記録を取り出す。
ほとんどがラリッサの技術者のものだ。
この中に今回の事件の犯人がいると考えるのが普通だが・・・。
「全員尋問するか?」
フェイに問われ、イザークはすぐには返答できなかった。
このコロニーに艦を任せている以上、うかつなことはできない。
「俺の一存では・・・本部に事態を報告して、指示を仰げばあるいは・・・」
「あー、それね・・・」
イザークの言葉を遮るように口を開いたフェイに、イザークとマニが怪訝な顔をする。
フェイは軍帽をいじりながら視線を彷徨わせた。
「どうした?」
「いや、言いにくいんだけどさ」
「いいからさっさと言え」
「通信が使えないんだよ」
その一言を理解するのに、たっぷり1分は要した。
「はあ!?なんだって?」
「だから、向こうと連絡が取れないんだ」
「あんたさっき、調べたけど何も出てこなかったって言ったじゃないですか!」
「だから、落ち着けよ」
イザークとマニに詰め寄られ、フェイは盛大なため息を吐いた。
どうやらイザークたち以上に参っているらしい。
「爆発があったあと、すぐにプラントと連絡取ろうとしたんだ。そうしたら妨害電波みたいのが出て通じなかった。
この港の本部に確認してみたけど、ラリッサの通信全部が駄目になってるらしい」
「・・・コロニー全部ってことか?」
「そう言ってる。確かめようもないけど」
イザークもマニも黙り込む。
あまりのことにどうしたらいいのか分からなかった。
「とりあえず、ザフトの人間以外の出入りは禁止しておいた」
「・・・ああ、そうだな」
フェイの静かな声に、イザークも何とか頭を回転させようと努力する。
通信が使えないということに一瞬呆然となったが、そうとなれば逆にプラントの方も異変に気付くだろう。
定期報告の時刻はそろそろだ。
それにこのコロニーに閉じ込められたというわけではない。
「誰かを直接プラントにやってくれ。時間がかかるが、いつ回復するか分からない通信を期待しない方がいい」
フェイは頷くと、すぐに内線を開いて指示を与える。
それを見ながら考え込むイザークに、マニが声をかけた。
「隊長・・・尋問ならさっきの兵士はどうですか?」
「ん、ああ。そっちもあまり期待しない方がいいような気がするが」
「でも子供でしょ。案外しゃべるかもしれませんよ」
「しゃべる内容があればの話だ」
すると、指示を終えたフェイが会話に割り込んできた。
「何、子供って?」
「ああ、すまない。報告するのを忘れていた。捕虜を医務室に運んだんだ」
「捕虜?」
「俺たちを襲った連中の一人で、13,4歳くらいの女だ」
「そりゃ確かに子供だな」
イザークはマニとフェイに、工場地区に向かう途中での出来事を話した。
ますます怪しくなってきたこのコロニーに、二人の顔はさらに険しくなる。
「子供だっていってもこっちの命を狙ってきたわけだろ。
尋問する必要はあるんじゃないか?」
「・・・そうだな」
あんな小さな子供を尋問する、ということに戸惑いを感じていたイザークだが、
軍人である以上放置するわけにも行かない。
歯切れ悪くも同意すると、イザークの心情を察したのか、フェイが提案を口にする。
「今その子供は医務室なんだろう?皆疲れてるし、尋問はメイズを移動させてからの方が良くないか?」
「ああ、その方がいい」
マニも異論は口にしなかった。
確かにメイズが治療を受けている横で尋問などしたくないし、
かといってあんな小さな少女を狭い部屋に隔離するのも気が引ける。
日付が変わろうとしていたが、結局その日にできた措置は、プラントに直接使者を送るということだけだった。
マックスの様子を見ようと部屋の前まで来た所で、シホと鉢合わせした。
「マックスは?」
「たった今、寝付いたところです」
「そうか・・・」
眠っているのをわざわざ起こす必要はないと、部屋に入るのは断念する。
「隊長もお休みになっては?」
「ああ」
生返事をすれば、シホが苦笑いを浮かべた。
そのままイザークの軍服の袖をひっぱる。
「私の部屋に行きましょう。お茶煎れますから」
シホはコーヒーがあまり好きではないらしい。
飲まないわけではないが、彼女にとってお茶と言うと東洋で好まれる緑茶やほうじ茶の類だ。
こちらの方が気分が落ち着くのだという。
イザークも彼女が煎れる茶は気に入っている。
ただ茶の種類の違いがいまいち分からなかったりするのだ。
差し出された、透明感のある褐色の茶。
なんて名前だと聞けば、呆れた顔でほうじ茶だと言われた。
「烏龍茶と区別がつかん」
「香りも味も全然違います」
「そうか?」
一口飲んで、少し舌先で転がしてみる。
まあ烏龍茶の方が多少苦かったような気もする。
シホも自分のベッドの端にイザークと向かい合うようにして座り、自分の茶を口にした。
「どうなってるんでしょうね」
「・・・」
「この任務、降りることはできないんですか?」
「命令だからな・・・それに今は動けない」
通信が途絶えていることはシホも聞いている。
「これからどうするんですか?」
「あの捕虜を尋問することになった。あまり成果があるとも思えないが・・・あとは上層の指示待ちだな」
「そう、ですか」
青白い顔で昏々と眠り続けるメイズ、
泣きじゃくっていたマックスの顔を思い出すといたたまれない気持ちになる。
顔をふせて茶飲みのふちをいじっていると、僅かにイザークの声の感じが変わった。
「・・・シホ、メイズを病院に移動させたらお前とマックスはしばらくここに戻ってくるな」
「えぇ?」
「いいな?二人に付いているんだ」
「ちょっと、待ってください・・・!メイズの護衛なら他の兵に任せればいいじゃないですか。大体連中だって病院まで入り込めな・・・」
「命令だ!」
シホの言葉を遮るように言い放つと、イザークは茶を飲み干してテーブルに置く。
そのまま目も合わせずに立ち去ろうとする。
シホも慌てて立ち上がった。
「待って!!」
気が付いた時、後ろからイザークにしがみついていた。
自分がしでかしたことに一瞬呆然とするシホだが、腕は緩められない。
このまま行かれてしまっては、本当にルソーから・・・イザークから離れるしかなくなる。
そんなこと、心細くてできなかった。
「待って・・・イザーク」
振り払われるのも覚悟したが、イザークは立ち止まっていた。
かと言ってこちらを向こうともせず、シホに抱きつかれたまま直立している。
「どうして?」
「・・・」
「そんな命令聞けません」
「・・・」
しばらく沈黙が続いた。
「・・・ぃんだ」
「え?」
「怖い・・・」
イザークが消え入りそうな声でつぶやいた一言に、シホは耳を疑う。
怖い?
イザークが?
「メイズをあんな目に合わせて・・・お前たちまでと思うと・・・」
「メイズの怪我はイザークのせいじゃない」
「俺のせいだ」
「違う・・・」
目を合わせぬまま、静かに互いの言葉を否定する。
オンにしたままのパソコンの電子音が、酷く耳についた。
「お前たちを守れる自信がない」
「守ってもらいたくてそばにいるわけじゃないわ」
「分かってる」
「分かってない!私たちは・・・私は、あなたを守るためにいるのに!!」
イザークの背中が揺れた。
シホが腕を緩めれば、体をこちらに向ける。
ようやく彼のアイス・ブルーを見ることができた。
しかし、視界はすぐに涙でにじむ。
「しっかりしてよ!こんなの・・・あなたらしくない!私たちのイザーク・ジュールじゃないわ」
「シホ・・・」
「私たちに背中を預けて、堂々としていればいいの!
私たちを信じてくれているから軍に戻ってきてくれたんでしょう!?」
泣き顔を見られたくなくて下を向く。
これ以上は、嗚咽しか漏れてこなかった。
「・・・」
一通り泣いたところで、これからどうしたものかとシホは戸惑った。
イザークはただ黙って自分に向き合っている。
シホが下を向いているため、彼がどんな顔をしてこちらを見ているのか分からない。
いっそ見てくれなければと思った。
すごいことを言ってしまった気がする。
どう取り繕えばよいのだろうか。
そんなことを考えていると、ふっと左肩に重みを感じた。
「?」
戻した視界の端に銀髪が映る。
イザークが肩口に頭を押し付けていると理解した瞬間、傾けられた彼の重みを支えきれず、後ろに重心を取られた。
「きゃっ」
短く悲鳴を上げる。
受身を取ろうにも、イザークがいるのでままならない。
床に後頭部を打ち付けるのを覚悟した。
ばふっというくぐもった音。
「・・・」
落ちたのは自分のベッドの上だった。
シホが仰向けになり、イザークがその上に覆いかぶさっている。
イザークは完全にシホの首筋に顔をうずめており、その表情を読み取ることはできなかった。
「イザーク・・・」
視線を横にずらし、名前を呼べは、少しだけ頭が動いた気がした。
合わせて銀の髪が数本、さらりと重力に従って滑る。
「イザーク・・・」
「少しだけ・・・」
「・・・」
「少しだけ、このままでいろ」
「・・・」
返事の変わりに、体の力を抜く。
怪我でメイズが苦しんでいるというのに、これ以上のことはお互い望まなかった。
ただ、黙って抱き合う。
イザークが甘えてくることなどめったにない。
それほど弱気になっているのだ。
でも。
また、彼は一人で立てる。
眠りに落ちる直前の、意識が浮遊するような心地よい感覚。
柔らかなその感触を楽しんでいた二人だったが、それは耳障りな電子音に打ち破られた。
「・・・はい、ハーネンフースです」
ぼんやりとした頭で、通信を音声のみオンにする。
ベッドではやはり惰眠を邪魔されたイザークが顔をしかめていた。
『シホ、そっちに隊長いる!?』
「は・・・?え、ええと・・・」
キキの声だ。
酷くあわてた様子に逆にシホが言葉をつまらせてしまう。
『いたらすぐ医務室に来るように・・・ぅわっ!!あの捕虜が・・・』
そこで通信は終わった。
いや、まだ繋がってはいるのだが、
何かが壊れるような音や「やめろ」だの「大人しくしろ」だとかいう声が遠くで聞こえるだけ。
すぐに異変を感じ取ったイザークとシホは、慌てて廊下に飛び出した。
医務室は酷い有様だった。
器具や医療具が散乱し、足の踏み場がない。
入り口の近くに看護師が倒れており、さらに奥ではキキとあの金髪の少女が取っ組み合いをしていた。
少女の手首には手錠がはめられたままなのに、キキの方が押されている。
「キキ・・・!」
僅かな隙をつかれ、小さな手がキキの首に伸びる。
細い指が爪まで皮膚に食い込み、キキが痛みに呻いた。
明らかに少女の方が小柄であるのに、キキの体は易々と宙に浮く。
「やめろ!」
かけよったイザークが少女を後ろから羽交い絞めにした。
それでもキキを離そうとしないので、横に思い切り振り切る。
ようやく解放され、キキが床に倒れこんだ。
「うううぅ・・・うわぁあぁああああ!!」
少女はわめきながら髪を振り乱し、抵抗を続ける。
ものすごい力だった。
工場で拘束された時の力とは比べ物にならない。
「く・・・ッ、こ、この!!」
狂気じみた様子で滅茶苦茶に暴れられ、イザークも拘束するだけで精一杯だ。
「イザーク!」
「シホ、麻酔を・・・!!」
駆け寄ろうとしたシホに、麻酔を取るよう促そうと後ろを振り返る。
しかし、それがいけなかった。
僅かにイザークの腕が緩み、少女が素早くそこから抜け出す。
はっとして視線を元に戻した時には、少女の顔が間近だった。
そして・・・。
「きゃあああああぁぁぁ!!!!」
「隊長!!」
次の瞬間。
目の前の光景に、シホとキキが悲鳴を上げた。
少女が、イザークの喉に噛み付いていた。
軍服はまとっていたのだが、部屋から慌てて出てきたため、首がむき出しだったのだ。
そこに少女が獣のように歯を立てている。
あまりに現実離れした光景だった。
当のイザークも、自分の身に起こったことがすぐさま理解できない。
のしかかる少女の重みと、焼け付くような首の痛み、そしてぬるりとした血の感触。
それらを感じ、ようやく状況を把握した。
「ぐ・・・ッ、この・・・」
「た、隊長!」
キキがおろおろと視線を彷徨わせる。
無理に少女を引き剥がそうとすれば、それこそイザークの喉が食い破られそうだ。
一方のシホは我に返ると銃を取り出す。
麻酔を探している余裕などなかった。
しかし。
「撃つな!」
シホの動きに気付いたイザークが制止する。
「でも・・・」
「い、いから・・・麻酔を・・・はや、く、探せ・・・」
イザークは少女の髪を掴んで引き剥がそうとするが、力は緩まない。
相手が離すつもりがないことを悟ると、逆にその体を抱き寄せた。
華奢な体を残った力をこめて圧迫する。
「!!」
鈍い音。
次いで少女の頭が後ろにのけぞった。
そのまま重力に従ってがくりと床に倒れる。
・・・白目をむいている。
ようやく気絶してくれたらしい。
「・・・」
「・・・うそ」
キキとシホはあまりのことに呆然とする。
そしてイザークは、力尽きたように座り込んだ。
「一応麻酔打て・・・また暴れられるのはごめんだ」
キキの話によると、
メイズを送り届けるために軍医が見張りの兵士と共に部屋を出てからしばらくして、
急に少女が苦しみ出したのだという。
手錠をベッドに繋げているだけではまずいと思い、すぐに看護師と共に足も拘束しようとした。
しかし少女は苦しみながらも酷く暴れてままならない。
そこでイザークに連絡を取ろうとするが、部屋にいない。
ならばシホの部屋だろうと通信を繋いだ所で少女が看護師を蹴り倒し、気絶させてしまった。
しかもどういう筋力をしているのか、手錠とベッドを繋いでいる紐を引きちぎり、
そのままキキと取っ組み合いに突入したというわけだ。
「この紐ちぎったのか?すげー怪力・・・」
騒ぎを聞きつけて医務室に到着したフェイが呆れたように言う。
「しかもイザークに噛み付いたって?まるで野犬だな」
「野犬の方がまだいい・・・」
シホに手当てをしてもらいながらイザークが渋面をする。
来るのが遅いと責めてやりたいところだが、あいにくそんな気力は残っていない。
首には少女の歯型がくっきりと残っており、肉がはぜていた。
場所が悪ければこの程度の出血ではすまなかっただろう。
太い血管に当たっていたらと思うとぞっとする。
一方の少女は麻酔を打たれ、今は眠っていた。
今度は全身をベッドに固定しているので、もう自力では抜け出せないだろう。
「でも・・・どうして急に苦しみだしたんでしょう?」
「何だか麻薬中毒者がするような暴れ方でしたね」
「・・・」
確かに、そうだ。
散々に暴れてくれたが、その時の少女に正常な思考があったとは思えなかった。
今から考えれば、こちらを襲うというより、苦しみから逃れるようと必死だったような感がある。
眠っている今も顔が青白く、呼吸が浅い。
まるで病人のようだ。
「おい、これ」
少女に近寄ったフェイが何かに気付いたらしく、その右腕を指差す。
見れば注射の跡が残っていた。
しかも一つや二つではない。
注射のしすぎでそこだけ皮膚がぼろぼろになっていた。
「・・・やっぱり中毒者?」
「どうかな?こっち利き腕だろう」
「ああ、右手で銃を構えていた」
その時を思い出しながらイザークが答える。
「ってことは誰に薬を打たれてたってこと?」
「・・・」
「・・・」
あまり良くないところに思考が辿り着き、全員が沈黙する。
そばにいる軍医と看護師だけが怪訝な顔をして首をひねった。
「イザーク・・・」
窺うように言ったフェイに、イザークはため息を吐いた。
「もう一度プラントに使者を・・・それから」
軍医に向き直る。
「この娘の身体検査を徹底的にしろ。できる限り詳しく」