セイレーン・セイレーン 04

カタリナ



 「強化人間?」
 耳慣れぬ言葉にマニは眉をひそめた。
 そんな彼にイザークがデータのような紙を渡す。
 先程言っていた、少女の検査の結果のようだ。
 「いろいろ投薬とかしているようだな。普通の人間の体から随分変化しているらしい」
 「変化・・・?」
 あの少女は見た目だけなら別段おかしいところはない。
 ということは、中身・・・ということになるが。
 「それって、連合軍が俺たちコーディネーターに対応するためにしていた人体実験のことですか」

 戦時中、連合軍はコーディネーターの優れた身体能力に対応するため、
 秘かに人体実験を行い、コーディネーター並みの能力を持つ人間を『造り出して』いたことは、
 連合内でもザフトでもまことしやかにささやかれていた。
 それは確かに敵を倒すには有効で、ザフトもかなり苦しめられた。
 しかし、その事実を連合は否定しており、ザフトも有益な情報を得られなかったため、
 戦争が終結した今となってはほぼ立ち消えた話となっている。

 「・・・その可能性が高いな」
 「でも戦争はもう終わって・・・」
 「だから上層も表立って調査できなかったんだろう」
 「表立ってって・・・まさか」
 「麻薬のなんとやらはどうでもいいらしいな。きっと本命はこっちだ」
 「・・・」
 しばし言葉を失う。
 ここに軍上層の人間がいたなら、間違いなく張り倒していただろう。
 「・・・なんでまた」
 自分たちに何も知らせずここに送り込んだのか。
 「確証がなかったんだろうな。
 最初から強化人間のことを調べるために軍を派遣するより、
 末端の・・・俺たちみたいのが『偶然』それに出くわした、
 というのがいろいろ都合がつけやすいと思ったのかもしれない」
 「・・・サイテー」
 「言うなよ」

 イザークの長いため息を聞きながら、マニは渡されたデータを見る。
 医療については真面目にやっていなかったので良く分からないが、
 どうやらあの少女の体には本来人間の体には含まれない成分が入ったりしているらしい。
 しかもその原因となっている投薬を続けていかないと、生命を維持できない、というのが医師の見立てだ。
 投与されていた薬の中には極度の興奮状態を促し、さらには禁断症状を引き起こすものも入っていた。
 実際、数時間前に少女は禁断症状を起こして暴れ、ひと騒動あったという。
 マニは自室で休憩していたので詳しいことは分からないが、
 向かいに座っているイザークはどこをどうされたのか首に包帯を巻きつけ、少々顔色も悪かった。

 「で、その子はいまどうしてるんです?」
 「麻酔で眠らせてるが・・・衰弱が激しいようだ。
 次に目が覚めたときには暴れる気力も残ってないだろうと医者が・・・」

 「隊長!」

 入室の許可も得ず、部屋に飛び込んできたのはシホだった。
 彼女はイザークの手当てをした後、そのまま医務室に残っていた。
 「どうした?」
 「あの子が目を覚ました途端暴れて・・・とにかく大変なんです。来て下さい!」
 「・・・」

 「暴れる気力は残ってないんじゃないでしたっけ?」


 医務室に入った途端、シホが「大変」と言った理由が分かった。
 二度と人を襲わないよう体中を布状のベルトのようなもので固定された少女だが、
 手首と足首の四箇所は鉄製の手錠がはめられていた。
 ベッドに仰向けに横たわる少女は、わめきながらそれを懸命に引きちぎろうとしている。
 鉄でできたそれがはずれるはずもなく、少女の白い肌に傷がつき、血がにじんでいた。
 「ダメだよ、やめろって!」
 近くにいるキキが少女の体を押さえようとしているのだが、唯一自由になる指で引っかかれ、呻いて体を離した。
 イザークも色をなしてそばによる。
 このままでは、手錠ではなく腕や足の方を引きちぎってしまう。
 また麻酔をうたせようかと考えるが、薬びたりの小さな体にこれ以上多用するのは良くない。
 「やめろ!落ち着け!!」
 「離せ、離せぇ!!」
 手首を押さえつければ、少女の爪が器用に伸びてこちらの手を引っ掻く。
 それにもかまわず体重をかけた。
 「嫌だ、離せぇぇーーー!」
 「大丈夫だ。何もしない!」
 一度ならず二度までも気絶させておいては説得力もないが、そんなことを気にしてもいられない。
 見かねてマニとシホも足首の方を押さえた。
 それでも少女は抵抗をやめない。
 どこにそんな力が残っているのか、叫び声も大きくなるばかりだ。
 やむをえないと判断したのか、軍医が麻酔の注射器を手に取る。
 その様子を目にした少女の顔に恐怖が浮かんだ。
 「嫌だ、嫌だ!何するんだよ、ここから出せぇーーーー!」

 「いい加減にしろ!!」

 「・・・っ」
 少女の叫び声が、一瞬にして掻き消えた。
 自分のものの二倍はあっただろう声のトーンが鼓膜を直撃し、涙に濡れた目を白黒させている。
 いや、少女だけでなく部屋にいた全員が巨大な一喝に硬直してしまった。
 その怒号の主は、周りの反応など気にせずそのまままくしたてた。
 「何もしないと言っているだろう!大人しく治療を待っていればいいんだ。
 大体貴様、女だろう!自分の体を簡単に傷つけるんじゃない!嫁の貰い手がなくなるだろうが!!!
 何とかしてやるから大人しくしていろ!分かったなッッ?」
 「・・・」
 「返事ッッ!」
 「・・・はい」
 




 例の一喝がよほどこたえたのか、少女はイザークだけには従順になった。
 本人が着ていた服に必要な薬を隠し持っていたことも分かり、
 それを薄めて投与してみたところ、嘘のように顔色が良くなり、元気を取り戻した。
 今ではお腹がすいたと言い出し、イザークに粥を食べさせてもらっている。
 もちろん少女からのご指名だ。
 当然シホとキキは渋い顔をしたものの、また暴れられてもやっかいなので黙っていた。
 一方のイザークは別段気を悪くした様子もなく、四肢が固定されたままの少女に粥を食べさせてやる。

 「名前は?」
 「カタリナ」
 「カタリナ・・・?」
 「うん。カタリナ」
 「そうか。いい名前だな」
 優しく微笑んだイザークに、カタリナもご満悦のようだ。
 端整な顔立ちのイザークを見ながら瞳をきらきらさせている。

 それを遠巻きに眺めながら、シホたちは唖然としていた。
 自分勝手でどちらかといえば世話を焼かれる方のイザークが子供の世話をしていることはもちろん、
 あんな風に柔らかく微笑むところなんて一度も拝んだことがない。

 「なあ、隊長ってもしかしてロリコ・・・・・・ぶっ!」
 マニの言葉は最後まで続かず、シホとキキの裏拳に沈められた。


 「歳は?」
 「とし?」
 「何歳だ?・・・分かるか?」
 「知らない。数えてない」
 「今までどこにいた?」
 「・・・?」
 「仲間はどこいいる?」
 「仲間?」
 「一緒にいただろう、あの工場で」
 「私みたいにクスリ一緒にもらう人たち?」
 「そうだ」
 「場所は知らない。いつも大きい車の中」
 「・・・」
 
 車で移動していた、ということだろうか。
 嘘をついている様子はない。
 やはり大した情報が得られなかったことに多少失望していると、フェイに手招きされた。
 頷き、再度カタリナに向き直る。
 「もうちょっとそのまままで我慢できるか?」
 「行っちゃうの?」
 「すぐ戻ってくる。大人しくしてたらそれもはずしてやるから」
 髪をなでてなるべく優しい声で言う。
 カタリナは驚くほど素直に頷いた。
 「またお話してね」 

 
 医務室から別の部屋に移動する。
 ワイルド姉弟以外は全員そろっていた。
 「ノエルは?」
 「そろそろ来るはずだ」
 そうか、と頷いてから、イザークはようやく自分に向けられる視線に気が付いた。
 シホとキキが口をへの字に曲げ、そろってにらみつけてきている。
 「・・・なんだ?」
 別ににらまれるようなことをした覚えはない。
 「別に」
 「何でもありません」
 憮然とした表情のまま、二人は視線をそらす。
 それに首を傾げれば、フェイとマニが小さくため息をついた。

 「・・・で、これからどうする?」
 「とりあえずは爆発物を仕掛けられたことについて徹底的に調査する。
 あとはカタリナのような薬で強化されている人間を作り出す工場か研究所を探す。上層もどうせそれを調べろというはずだしな」
 「でも調べるったって・・・。メイズはいないぞ」
 「何とかするしかない。・・・シホ」
 「何ですか?」
 「カタリナのことを頼む。俺はノエルと一緒に例の工場をもう一度・・・」
 「いいえ。それは私が行きます」
 「は?」
 シホの言葉に、全員が目を丸くした。
 しかしシホはお構いなしといった態度でイザークの横を通り抜け、ドアに向かう。
 「おいシホ・・・」
 「あの子は隊長が面倒見ればいいじゃないですか。本当はそうしたいんでしょ。私のことなんてお構いなく!!」
 「・・・」
 いつものシホらしからぬ剣幕に呆然としている間に、彼女は部屋を出て行ってしまった。
 むなしくドアがエアの音と共に閉まると、キキも冷めた表情で同じくドアに向かう。
 「僕もシホと一緒に行きます。もしまたさっきみたいな連中が現れたら、隊長のために女の子を連れて帰ってあげますから」
 「・・・」
 もはや絶句するしかないイザーク。
 キキが出て行くと、部屋にはイザーク、フェイ、マニが取り残された。
 「・・・なんだ?俺は何かしたのか?」
 「・・・気づけよ」

 フェイのツッコミが意味を成すはずもなく、やはりイザークは首をかしげるだけだった。
 

 
 勢いにまかせて隊長室をあとにしたシホは、廊下をずんずん歩いていた。
 顔にははっきりと「不機嫌」と書かれており、口もへの字に曲がっている。
 「何よ・・・イザークったら。どうせ私はあんにかわいくありませんよ!!
 いたければずっとそばにいればいいじゃない・・・なんだって言うのよ、もうっ!」
 あまり意味のなさない文句をぶちぶち口ごもる。
 今この艦に人員が少なく、廊下をすれ違うものがいなかったのは幸いだったろう。
 
 と、居住区にさしかかろうとした所でシホは視界の端の人影に気付いた。
 すぐに見えなくなってしまったそれを無意識に目で追いかける。
 黒い軍服のように見えた・・・誰だ?
 この艦で黒の軍服を来ているのはフェイとマニだけ。
 まさか・・・。
 メイズの血のうせた顔が浮かぶ。
 慌ててシホは、その人影の消えた方へと駆け出した。
 
 
 辿り着いたのは医務室だった。
 一瞬あの捕虜の少女に危害を加えるつもりではと思ったシホだったが、
 医務室の扉の前に立つ人物を認め、ようやくのことで緊張を解く。
 「ノエルさん」
 名前を呼ばれ、シルバーグレーの髪をした青年が驚いたように振り返った。
 それほど大きな声を出したつもりはないのだが・・・。
 「あ・・・その・・・」
 「どうかしたんですか?隊長室で皆待ってますよ」
 「・・・ああ、うん。迷っちゃってさ。ここを通りかかったらあの捕虜のこと思い出したから」
 「そうですか」
 すぐに違和感は取り払われ、シホは笑顔を向ける。
 ご案内します、とノエルを促した。

 歩きながら隊長室に向かう途中、ノエルが話しかける。
 「あの捕虜の子、調子どうよ?」
 「薬物を使ってたみたいで一時は危険だったんですけど、今は落ち着いてます」
 「生きてるの?」
 「当たり前じゃないですか。ナチュラルだからってむざむざ死なせたりしませんよ」
 「そう・・・そうだよな」
 「そんなに気になるんですか、あの女の子」
 「へ?・・・・・・あ、ああ。だって結構かわいかったじゃん」
 「・・・男って」
 「は?」
 「いいえ、何でもありませんっ!」
 




 その部屋には先客がいた。
 
 例の爆発事件のために崩壊したPCルームの代わりに急遽造られた部屋。
 ・・・と言ってもPCを運びこんだだけだったが。

 ドアがスライドする音にも気付かず、その人物は身を乗り出すようにしてPCの画面を覗き込んでいる。
 マニが近づくと、砂色の髪が見えた。
 「メイズ・・・?」
 「・・・、マニ」
 「何だ、マックスかよ」
 双子なだけあって髪の色も質も全く同じだ。
 病院に護送されたはずのメイズが戻ってきたのかと一瞬面食らったマニだが、
 椅子に座ってPCをいじっていたのは姉のマックスだった。
 「何やってんの?」
 「何って・・・仕事」
 「仕事?」
 聞き返したマニに、マックスはばつの悪そうな顔をする。
 「メイズが・・・いないから。代わりに・・・。あの子ほどこういうのに強いわけじゃないけど何もしないよりマシだと思って」
 「・・・」
 つまり、倒れたメイズの代わりにハッキングで情報収集をしていたということだ。
 マニはマックスがどれほどの腕前を持っているのか知らないが、
 ハッキングという行為をやろうと試みること事態、結構なスペシャリストのようだ。
 どうやら当人は優秀すぎる弟のせいで自分を過小評価しているようだが。
 まじまじと見つめ返すマニに、マックスが口を尖らせる。
 どうやら馬鹿にされていると思ったらしい。
 「何よ・・・どうせメイズと比べたら・・・」
 「手伝うよ」
 「は?」
 「だから、ほら」
 マニは手に持っていた資料をマックスの横に積み上げる。
 PCに関する専門書や、コロニー・ラリッサに関する地図やデータなどだ。
 マックスは、ようやく彼が自分と同じ目的でこの部屋に来たことを知った。

 「ハッキングしたことあるの?」
 「いいや、ぜぇんぜん」
 「・・・」
 一人でどうするつもりだったのかとマックスが冷ややかな視線を返す。
 それをものともせず、マニは歯を見せて笑った。

 「だから好きなだけこき使ってください、女王様」





 人様の部屋に勝手に入り込みソファを占領しているその人物に、シホはどう言葉をかけるべきか迷った。
 自分を・・・おそらくは待っていてくれたのだろう。
 腕を組んでソファに腰掛けた格好のまま、蒼い双眸は閉じられていた。
 寝息は聞こえない。
 眠りは浅いようだ。
 一声かければすぐに目を開けるだろう。
 それでもシホは戸惑った。
 先刻、感情にまかせて口走ってしまった自分の台詞がぐるぐると頭を駆け巡る。

 ―――あの子は隊長が面倒見ればいいじゃないですか。本当はそうしたいんでしょ。
 ―――私のことなんてお構いなく!!

 思い出しただけで顔から火が出そうだった。
 周りにはヒステリーを起こしているように見えただろう・・・というか、ヒステリーだった。
 自分があんなに薄っぺらな人間だったとは。
 でも心の隅ではイザークだって悪い、と思ってしまう自分がいる。
 下心がないのは分かっているが、あんなに楽しそうにカタリナの世話をしたら、
 自分がどう思ってしまうかくらい考えるべきだ。

 「ッていうか・・・やっぱりあの子といる方が楽しいのかしら」
 
 すごく優しい顔をしていた。
 自分には絶対に向けてくれない顔。
 イザークのそばにいることに急激に自信をなくし、シホの心は沈んだ。

 「・・・ん、シホ?」
 気配に気付いたのかイザークが身じろぎする。
 短く漏れた声に、不自然なまでに身をすくめてしまった。
 蒼い双眸を瞬いた彼が、ゆっくりとこちらに意識を向けてくる。
 「あ・・・あの・・・」
 「悪い・・・寝てた」
 「・・・はい」
 傍から見ればなんとも間の抜けた会話だ。
 気まずくなり、多少ぼんやりした表情で見返してくるイザークにそっぽを向いた。
 「あの女の子のところにいなくていいんですか?」
 どうしても声が刺々しいものになってしまう。
 言ってから少し後悔するが、言ってしまったものを取り返すことはできない。
 ちらりと視線を戻すと、さすがに不機嫌そうに眉をひそめていた。
 「何怒ってるんだ?」
 「怒ってません」
 「怒ってるだろう」
 「怒ってないです!」
 「・・・なら付き合え」
 「は?」
 ソファから立ち上がりながら軍服を脱ぎ出すイザークに目を剥く。
 
 「街に出るぞ」




 イザークは私服と呼べるものをほとんど持っていない。
 まあ「私服」という言葉に語弊があるのかもしれない。
 イザークはいわゆる名家の出というやつで、外に出るときは仕事のあるなしに関わらずシックな服装をするよう教育されていた。
 休暇の時に家に篭っていた彼を訪ねたとき、ジーパンをはいているのを一度だけ見たことがあるが、
 家の中でさえあんなラフな格好をするのは珍しいらしい。

 まあそんなわけで、イザークが着替えると言い出した以上はスーツを着るものだと思っていた。
 釣り合うようにとあまり短すぎないワンピースと地味な色合いのカーディガンを引っ張り出したのだが、
 すぐにそれを後悔した。

 「・・・どうしたんですか、その服?」
 「変か?」
 「いえ・・・というか、そんなの持ってました?」
 先に着替えて軍から借りたエレカの前で待っていたイザークは、紺色のジャケット姿だった。
 ネクタイも締めていないし、ジャケットも軽く羽織っただけだ。
 らしくなくスカートをはいている自分が何だか恥ずかしくなってしまう。
 しかしここまでくれば着替えることもできないと諦め、助手席に乗り込んだ。
 「フェイのを借りたんだ。街に買出しに行くのにスーツはやめといた方がいいだろう」
 「買出し・・・一体何を買うんです?」
 「カタリナの服」
 「・・・」
 一気に顔が強張ったのが自分でも分かった。
 「女の子の服の一つや二つ・・・隊長一人で充分でしょ。私なんか」
 「・・・おい、いい加減にしろよ」
 イザークは視線も合わせずにそう言うと、エレカを発進させた。
 「言いたいことがあるならちゃんと言え」
 「・・・」
 「何を怒っている?」
 「怒って・・・ません」
 「じゃあなんなんだ・・・」

 低い声音にははっきりと苛立ちが含まれていた。
 それが責められているようでいたたまれなくなる。
 ずんっ、と胸に何かがのしかかっているようで、手の中に嫌な汗がにじんだ。
 たまらない。
 「イ・・・イザークが悪いんです!」
 気が付くと、搾り出すように声を吐き出していた。

 「あ?・・・何だって?」
 様子を違えたシホに、イザークが驚いたように振り向いた。
 エレカを止め、自分の膝の辺りをにらみ付けるシホを窺う。
 「おい・・・」
 声をかけようとすると、きっとにらみつけられた。
 涙までにじんでいる。
 ・・・自分が、泣かしたということになるのか。
 「イザークが・・・あの子を可愛がり過ぎるからよ!」
 あの子、とはカタリナのことだろう。
 しかしカタリナは捕虜ではあるがまだ12,3の子供だ。
 「・・・いけなかったか?」
 「いけなくないわよ!いけなくないけど・・・でも」
 「俺がカタリナを可愛がるのは嫌か?」
 「嫌です!!」
 「・・・そうか」
 イザークは苦笑する。
 鈍い彼にもようやくシホがやきもちを焼いているということに気付いたようだ。
 イザークからしてみればカタリナのような子供は恋愛の対象としてはちょっとありえないのだが・・・。
 「それは・・・困ったな」
 「え?」
 「すごく可愛がりたい」
 悪戯っぽい笑みでそう言われ、シホの顔に朱が差す。
 これ以上からかったらしばらく口をきいてもらえないかもしれないな、とのん気なことを思った。


 「お前、確か兄貴がいたな」
 「いいえ。従兄弟です。父が後見人ですけど・・・」
 「ふうん。じゃあ一人っ子なのか」
 「ええ、まあ・・・」
 いきなり兄弟の話を出され、シホは怪訝な顔をする。
 しかしイザークはそれに気付いていないかのように言葉をゆっくり紡いだ。
 
 「俺は・・・妹がいるはずだった」

 「え?」
 その言い回しに頭が付いていかなかった。
 「いるはずだった」・・・とはどういうことだ?
 しかし、聞き返すよりも早くイザークは淡々と話を進める。
 「5歳くらい・・・もっと小さかったかな。母が妊娠して・・・
 女の子だっていうことも分かって、名前まで勝手に決めてた」
 「・・・」

 「生まれてこれなかったんだ・・・」

 その言葉に、悲哀は含まれていなかった。
 すでに乗り越えたことなのか、イザークはただ追憶するように、淡々とつぶやいた。
 「かなりがっかりしたな。妹ができるってすごくはしゃいでたから。悲しんでいる暇もなかったが」
 「?どういう・・・」
 「そのことが原因で両親の仲がこじれてな。もともと・・・ほら、あれだ。婚姻制がひかれたばっかりでそれで結婚した夫婦だったから。
 父は自分より仕事ができる母が気に入らなかったらしいな。流産も仕事ばかりしてたせいだって・・・離婚するまで喧嘩ばっかりだった」

 シホは瞠目する。
 母子家庭だということは知っていたけれども、イザークは家族についてはあまり語りたがらなかったので今まで聞かなかった。
 そんな事情があったとは。
 名門ジュール家のエザリアが息子に婚約者をあてがおうとしないのがずっと不思議だったが、
 子供につらい思いをさせた自身の失敗を繰り返さないようにということだったのだろう。
 それにしても、やはりイザークは淡々としていた。
 両親の離婚も、もはやなんとも思っていないような素振りだ。
 まじまじとその横顔を見つめてしまう。
 と、何だと視線を返され、慌てて話を元に戻した。
 「それで、あの子・・・カタリナを妹さんの代わりにしたんですか?」
 「言葉を選べよ」
 物じゃないんだぞ、と咎められる。
 「でもまあ・・・生きてたら歳もあれくらいだったし、髪や目の色が似てたからな。
 おまけに名前がそのままで・・・」
 「は・・・?名前?」
 聞き返したシホに、イザークは頬を少し赤く染めた。
 ばつが悪そうにぷいっと横を向く。

 「妹の名前・・・カタリナにするつもりだったんだ」
 


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