セイレーン・セイレーン 08

ノエル



 ―――どうして自分はこんなところにいるんだろう。

 マニはそう思いながらがしがしと頭をかいた。
 ルソーに爆弾が仕掛けられているとフェイから知らされたのが20分ほど前。
 その直後、保護していたはずの少女が暴走したことが判明した。
 艦長のフェイは踏んだり蹴ったりで気の毒なくらい情けない顔をしていたが、さすが対処は素早かった。

 姿を消したカタリナの行く先は四十八区予測できたので、彼は自分で追いかけると言い出した。
 艦長自らというのはどうかと思ったが何しろ相手は「あの」カタリナだ。
 マニが行っても良かったのだが、どうも彼女には好かれてはいないようだったので、
 フェイもそのあたりのことを考慮して自分で行くと言ったのだろう。
 そして爆弾を抱えたルソーだが、解除する見込みがないのなら放棄するしかない。
 自動操縦でこのコロニーや周辺の艦に被害が及ばないところまで移動させることになった。
 栄えあるジュール隊所属になるはずだったこの艦が木っ端微塵になるところを、指をくわえてみるしかないのだろう。
 口惜しいが仕方ない。
 ・・・と、マニは思っていた。
 思っていたのだ、が。

 ―――どうして自分はこんなところにいるんだろう。

 同じ問いを自分に繰り替えし。
 そして今度はがっくりと肩を落とした。


 「マニは行っていいですよ」
 視線を動かすことなく、マックスはそう言った。
 いつもおとなしい彼女らしくなく、豪快にあぐらをかいている。
 そして爪切りを手に、真剣に例の事件爆弾に挑んでいた。
 ・・・そう、あのおしとやかなマックスが、こんな大層なものを解体しようとしているのである。
 
 「なあ、マックス・・・まだ間に合う。港に戻ろうぜ」
 「だから、マニだけ行けばいいでしょ」
 「そんなことできるわけないだろ・・・」
 マニは涙声だ。
 マックスは無視して続ける。
 「な、マックス・・・」
 「お黙り。気が散るわ」
 「・・・」
 あんまりだ。
 お黙り、なんて・・・犬じゃあるまいし。
 
 安全な区域までのオート設定をフェイに命じられ、マックスと共にブリッジへ向かったのが間違いだった。
 自分ひとりでも充分にできた操作だ。
 やはりここはメカに強いマックスがいてくれた方がいいと考えた自分の弱気に腹が立つ。
 オート設定が完了するなり、マックスは出口ではなく爆弾があるノエルの部屋へ向かってしまったのだ。
 「マニは戻って」と言い残して。
 当然そんなことができるはずがない。
 そしてマニがおろおろしている間に、艦は設定通り港を離れてしまった。
 
 さて、マニュアルに従った場合、この状況ではどう行動すべきか。
 マニは混乱する頭を何とかクールダウンして考える。
 宇宙艦なのだから当然予備の宇宙服はある。
 緊急用ポッドだってある。
 今からマックスを無理矢理引き摺って行けば助かるかもしれない。
 かも、しれない。

 「爆発まであと5分」
 「嘘ーーーッ!!?」
 ・・・マニュアルでは助からないようだった。

 もはやため息すら出す気力もなくなったのか、ぐったりと座り込んだマニ。
 それをマックスは戸惑いがちに眺めた。
 「・・・どうして残ったんですか」
 「お前残して行けないだろー」
 「お人よし」
 「それが俺のいいところなの!」
 「開き直りましたね」
 「おうよ!お前も言いたいことがあるなら今のうちに言っちまえ」
 マニの言葉に、マックスは一瞬手を止める。
 そして再び爆弾に向かいながら口を開いた。
 「ごめんなさい」
 「うん?」
 「本当に、マニを巻き込むつもりじゃなかったんです」
 「それくらい知ってるよ」
 「ルソーをこのまま諦められなくて・・・
 隊長たちや、メイズが戻ってきたときにルソーがなかったら悲しいだろうなぁって」
 「ジュール隊長の場合はその場で憤死すると思う・・・」
 「一緒に戦えないなら、帰る場所くらいは・・・」
 「ああ」

 イザークたちを見送った後、この場所を守ると言ったのはマニだ。
 その気持ちはマックスも同じ。
 たとえイザークがそれを望まなかったとしても、最後までじたばたしてやる、と。

 「よーし。心置きなく爆弾ちゃん解体しちゃってくれ」
 マニはマックスの隣に寄ると、彼女と同じようにどっかり胡坐をかく。
 開き直るどころかどこかはっちゃけてしまったマニに、マックスはきょとんとした。
 「お前の勇士はここで見ててやるから。解体できて、無事生き残れたらご褒美のチューな!」
 「いらない・・・」
 「何?」
 「う、そ。頑張る。それから・・・」
 「?何だよ、言えよ。言いたいことがあるなら今のうちに言えって・・・」
 「ん・・・。マニのこと、大好き」

 残り時間は2分を切っていた。



 「一応ね、これでも遠隔操作できるんだ」
 ノエルがひらひらと手で弄ぶリモコンには、デジタルで数字が刻まれている。
 おそらくは、爆弾が爆発するまでのタイムリミット。
 それはすでに 1:00 に差しかかろうとしていた。
 今からでは明らかに間に合わない。
 「やめろ!それを止めるんだ!!」
 「そうだよねー。この時間じゃ待ってた方が面白いか」
 ノエルは薄ら笑いを浮かべ、対照的にガラスの向こう側にいるイザークは顔面蒼白だ。
 もし・・・もし、逃げ遅れた者がいたら。
 ノエルは解体はできなくてもすぐばれるだろうと踏んでいたが、
 今のイザークはそこまで考えが及ばないようだった。
 「あと30秒」
 「・・・ッ!」
 どうすればいい?
 どうすれば・・・。
 「あと20」
 「・・・」
 「10・9・8・・・」 

 戦後の混乱を抜け出して以来、恵まれた仲間に囲まれて忘れていた「絶望」。
 久しく味わっていなかったそれに、イザークはうちのめされていた。

 「3・・・2・・・1・・・ゼロ!!」
 どっかーん。
 と、両手を広げてみせたノエル。
 イザークは目の前が真っ暗になった。
 この狂いつつある男が望んだとおり、情けない顔をしていたのだろう。
 もう言葉すら出なかった。
 崩れ落ちなかったのだけが最後の意地だ。

 だが。

 「・・・なんだよ、これ!?」
 ここに来て初めて焦りをにじませたノエルの声に、はっと我に返る。
 見ればノエルが例のリモコンをにらみつけながらありとあらゆるボタンを叩きつけるように押していた。
 よほど慌てたのか、上下に振るという意味のない行為までしている。
 ・・・体温計じゃあるまいに。
 しかしそのおかげでデジタル板がこちらに向けられ、イザークも異常の理由を知ることができた。
 時計が、止まっているのだ。
 あと2秒を残して、数字が動こうとしない。

 止まった・・・?



 「止まった」
 
 マックスの高らかな宣言を耳にしても、マニはしばらく固まっていた。
 まじまじと薄い水色の瞳を見つめる。
 「な、何ですか。もっと喜んでください」
 「ホントに・・・?」
 「へ?」
 「ホントに、俺たち助かったのか?」
 「そう言ってるでしょ!」
 「心の底から言えるか?俺の目を真っ直ぐ見て言えるか?」
 「今ここで私とあなたが会話してるってことが何よりの証拠でしょうが!」
 「いやでも・・・俺が夢を見てるってことも・・・」
 マックスは頭を抱えた。
 先程まではいてくれるだけで頼もしい存在だと思っていたのに、
 いざ助かったと判明した途端のこの駄目ッぷりはどうだろう。
 大好き、だなんて言った自分の告白を取り消したくなった。
 「馬鹿言ってないで、港に戻りますよ。
 解体は済んだって言ってもこれが危険であることには変わりないんですから」
 「これ」とはもちろん爆弾のことだ。
 マックスの手によって必要なコードだけを切られ適切な処置をされたそれは、
 何もしなければもう爆発することはありえない。
 遠隔操作も同じ。

 解けたパズルに興味はないかのように部屋を出て行くマックス。
 頬をつねって夢でないことを確認(古典的)したマニも彼女の後を追った。
 「マックス」
 「・・・今度は何ですか?」
 「キスがまだだ」
 「え・・・、〜〜〜〜ッッ!?」

 そんなの別にいらない。 
 抗議の言葉を口にする前に、マックスは唇をふさがれていた。
 
 



 こめかみががんがんする。
 耳に馴染まない振動が鼓膜に響くたびにノエルは顔をしかめた。
 手の中の拳銃を弄びながら、不快の原因に視線をやる。

 彼は銃の柄で、すでにひび割れているガラスの中心部を叩きつけていた。
 そしてある程度までいくと、至近距離で発砲するという行為を繰り返している。
 あの細腕で、銃弾を防ぐ強化ガラスを力任せに突き破ろうとしているのだ。
 科学者たちがこれさえあれば絶対安全だと太鼓判を押していたこの強化ガラスだが、
 このままでは壊れるな、とノエルはぼんやり思った。
 細かいひびのせいでガラスは白く濁り、こちら側へ突き出るように曲がっている。
 いくら特殊なコーティングで強化されていると言っても、このままではガラスの方が擦り切れてしまうだろう。
 大体こういったものは侵入者対策のものなのだ。
 こんなにしつこい「ならず者」には対応していない。

 「・・・傷口、開くぜ?」
 ノエルの忠告に、彼・・・イザークは応えなかった。
 濁ったガラスのせいではっきりは見えないが、白い軍服の左のわき腹から膝の辺りにかけて真っ赤に染まっているのが分かる。
 天井の隠し通路からの銃弾・・・シホをかばった時の傷だろう。
 大したダメージではなかったはずだ。
 撃ったノエルがはずしたと思い込んでいたくらいだから、おそらくはわき腹をかすめる程度だったはず。
 しかし応急処置もせず、さらにこの激しい運動では出血が止まらないのだろう。
 致命傷にならなくても、そのうち貧血で倒れかねない。

 めりっ。

 今までにない、手ごたえのある音がした。
 ―――限界かな。
 そう思ったが、あまり焦りはない。
 そんなことより・・・。

 「どうしてそんなにマジになってんの?」
 「・・・うるさい」
 マイクで話しかければ、向こうのマイクもイザークの低い声をキャッチする。
 怪我と疲労のせいで、大分かすれていた。
 「そんなにマジになるなんて、かっこ悪いなぁ」
 「・・・うるさい」
 「そうまでして・・・死にそうになってまで俺を捕まえたいの?」
 「・・・ッ!ああっ、そうだよ!!」
 白い手に握られた銃の柄。
 それがごりっ、とざらついたガラスの表面を滑る。
 ひび割れの間からのぞいた蒼い瞳が、壮絶な怒りを宿してこちらに向けられていた。
 「貴様がしたことを許さない!絶対に引きずり出してやるからな!!!」
 「それで自分が死んだら意味ないだろ」
 「俺はこれくらいの傷でくたばったりしない!」

 ああ、こいつは・・・。

 「綺麗だな」
 ぽつりと呟く。
 イザークは再びガラスを破るための行為に戻ってしまったが、あの蒼眸は脳裏に鮮やかに焼きついた。
 彼は。
 最初に会ったときに受けた印象を、最後まで裏切らなかった。
 その美しい外見に隠された醜い本性をさらけ出してあざ笑ってやりたかった。
 それなのに、そんなものは見つけられなかった。
 ノエルにできた抵抗は、姑息な手段で彼を出し抜くことだけ。
 真っ直ぐで、綺麗過ぎるこの男を、とうとう侵すことができなかった。 
 このガラスを隔てて向こうにいるイザークは、血だらけでぼろぼろだ。
 みっともないほど必死に、新たな傷を造るのをかまわずにガラスの壁を叩き続ける。
 やはり彼は綺麗だった。

 それでも、だからこそ。
 綺麗過ぎる相手だからこそ。
 それを絶望に叩き込む方法をノエルは知っていた。

 ノエルは立ち上がると、近くにあったパソコンの一つを素早く操作する。
 プログラムはすでに立ち上げておいたから、マウスで数回クリックするだけでよかった。
 画面にアラートが表示される。
 それを確認し、いまだ強化ガラスと奮闘しているイザークへ向き直った。
 「イザーク・ジュール」
 「?」
 イザークも、ノエルの妙な動きと雰囲気の変化に気付いたのか動きを止める。
 今度は何をしようというのだろう。

 と、視界に飛び込んできた光景に目を見張った。
 ノエルがこめかみに銃口を当てている。
 ここまで自分たちを傷つけ苦しめ、笑って楽しんでおきながら、ここに来て・・・。

 ―――自殺?

 「おい、やめろ!!」
 ガラスにかじりつく。
 透明な壁を隔てて立っているノエルは、笑っていた。
 「やめろ!銃を下ろせ!!」
 これも冗談だといって欲しい。
 自分をからかっているのだと。
 だが、帰ってきたのは狂気の笑みだった。

 ノエルは今まで以上に必死になっているイザークを嘲笑った。
 このゲーム、ノエルは負け続けた。
 けれど、最後だけは勝たせてやらない。
 負けではないが、勝たせない。

 どお・・・ん。

 足元の方で地鳴りのようなものを感じる。
 先程起動した自爆装置が上手く作動したらしい。
 これでいい。
 イザークのことだから、果てしなく運のいいこの男のことだからここを上手く脱出できるだろう。
 それはそれで、彼は苦しむことになるはず。
 そうして自分のしたことが無意味だったことを痛感するはずだ。
 苦しんで・・・。
 苦しんで・・・。
 「苦しんで・・・絶望して死ねよ!」
 「やめろーーーー!!」


 銃弾と共に、ノエルの頭が弾け飛んだ。





 ターン・・・。

 「・・・銃声?」
 奥まったように響いたその音に、キキはどきりとした。
 耳を澄ますが、聞こえるのはパソコンの低い電子音だけ。
 そうして初めてキーボードを操作していた自分の手が、無意識に銃へと伸びていたことに気付く。
 息を吐き、再度周りに人気のないことを確認した。
 「大丈夫だ・・・隊長も、シホも」
 自分に言い聞かせながら、画面に向き直った。


 イザークの命令で、例の虐殺のあった部屋の真下にあたる一階のコンピュータールームに入り込んだキキは、
 起動していたパソコンに飛びついてからずっとデータを取り続けていた。
 監視カメラの映像や指導員の名簿、全帳簿などとにかく手当たり次第だ。
 何が証拠になるか分からない。
 とにかく時間の許す限りデータを取り続けるつもりだった。
 また一つファイルをダウンロードし終え、キキは次のファイルアイコンをクリックする。
 それも記録用チップに放り込もうとした所で。
 「・・・ん?」
 そのアイコンの名前に目がいった。

 the experimental stage ――― 実験ステージ

 開いてみると、1から7までの数字のアイコンが並んでいる。
 つい興味を惹かれ、キキはそのうちの一つをクリックしようとした。
 「『ステージ5』、よ」
 「・・・ッッ!?」
 突然の耳元での声。
 キキは飛び上がらんばかりに驚き、椅子から転げ落ちた。
 「・・・くッ!!!だれっ!?」
 汗ばんだ手で銃を構え、そして捕らえた人影に唖然とする。
 硬直してしまったキキを覗き込み、その人物は不思議そうに首をかしげていた。
 「・・・・・・え、あ・・・」
 「キキ、椅子から落ちたね」
 「な・・・あ、カタリナ!?」
 「うん。カタリナだよ」
 「う、うん、じゃなくて・・・!どうしてこんなところにいるんだよ!?」
 「追いかけてきたの」
 「・・・」
 あくまでマイペースなカタリナにキキの頭は真っ白になった。
 ・・・どうしてルソーにいるはずの、いや、それ以前に捕虜であるカタリナが平然とした顔でここに立っている?
 フェイやマニたちは一体何をしていたのだ。
 「カ、カタリナ!早くここから出るんだ!!」
 「どうして?」
 「どうしてって・・・危険だろ。ここはお前を苦しめた連中がいるところなんだぞ」
 「知ってる」
 「だったら・・・ッ」
 キキの声が次第に苛立つ。
 この娘は何を考えているのだ?
 いや、何も考えていないのかもしれないが。
 「ずっと下」
 「・・・は?」
 「下にね、いるの。カタリナと同じ」
 「おな、じ・・・」
 言葉を反芻し、はっとする。
 彼女と同じ、強化人間がこの下・・・つまり地下のどこかにいるということか。
 「ここから出してあげるんでしょ」
 「う・・・ん」
 そうだ。
 強化実験が行われたというデータにばかり気をとられていたが、
 被検体もここにいるのなら保護しなければならない。
 この建物には人の気配が全くないのだからと失念してしまっていたが。

 「場所は詳しく分かるか?」
 「・・・下」
 カタリナは少しだけ顔を歪めてそう応える。
 以前尋ねた時もあまり要領のある応えではなかった。
 任務や実験のあるときだけに外に出されていたために、
 本人も地下だということ以外はっきりとした場所までは分からないのだろう。
 キキはカタリナを手招きして例の「実験ステージ」というアイコンの一つをクリックした。
 顔写真とともに年齢や性別、遺伝子データといった個人情報が出てきた。
 おそらくは実験体とされた少年少女のもの。
 カタリナが言った「ステージ5」をクリックすると、いくつかのデータの中に、カタリナのものもある。
 「『ステージ5』って・・・?」
 「7の子達はすぐ死んじゃうの。薬たくさん飲むから。カタリナももうすぐ7になるはずだっていわれてた」
 「・・・薬の量か、あるいは中毒の進行具合、か」
 とんでもない話だ。
 あくまで子供たちを「実験動物」として扱う研究者たちに激しい嫌悪を覚えた。
 とにかくこれだけあればいいとキキはこのファイルもチップに放り込む。
 ダウンロードを完了させ、キキは三枚になった記憶用チップをポケットに突っ込んだ。
 
 「カタリナ、いい子だから外で待ってて。君の友達、助けに行くから」
 「一緒がいいのに・・・」
 「駄目だ!危険だから・・・・・・?」
 一瞬。
 激しい寒気に襲われ、キキは言葉を飲み込む。
 同じく何かを感じたのかカタリナも瞳を吊り上げた。
 パソコンの電子音も途切れ、無音の空間になる。

 ごおっ。

 激しい轟音と、赤い炎。
 それが二人のいる部屋を襲ったのは、危険を察知した二人が入り口へ向かおうとした直前だった。
 
 



 カタリナを追って目的の研究所に辿り着いたフェイだが、その惨状に唖然としてしまった。
 施設の一部は崩れ落ち、黒い煙がもうもうと立ち込めている。
 やや傾いた建物は、今にも崩壊しそうだ。

 フェイは集まっていた野次馬の中から男を一人捕まえ、問いただした。
 「おい、これは一体どうなってるんだ!?何があった?」
 「四、五分前に爆発音が・・・来たらこうなっていて・・・」
 「爆発ぅ・・・?中にいた連中は!?」
 「知りませんよ。僕は隣の施設に勤務してますけど、ここが本当に製薬会社かもはっきり分かりませんし。
 得体の知れない連中ばかりが出入りしてましたよ」
 「・・・」
 ザフトの軍服を着ているフェイの問いに怪訝な顔をしながら応える男を解放し、
 フェイは野次馬たちをかき分けて崩れかけた施設へ走り出した。
 幸いなことにこのコロニーの治安所の人間は来ていないが、救急車あたりは必要だろう。
 走りながらフェイは携帯を取り出し、港にいるはずのマニへ繋いだ。
 そろそろ爆弾を仕掛けられたルソーを宇宙に送り出し終えたところだ。

 「マニ!聞こえるか!?」
 『え・・・あー、・・・一応まだ生きてますけど』
 「何バカなこと言ってんだ」
 マニとマックスは一番安全な場所にいるはず。
 生きてるも何もないだろう、と。
 爆弾を解体し終えて放心しているマニたちの状況をフェイが知るはずもない。
 「援軍は来たか?」
 『ええ。ようやっと来ましたよ。まだのんびり入港している最中ですけどね』
 ぼんやりとしていたマニの声が次第に不機嫌を帯びてくる。
 どうやらプラントからの友軍の態度はあまりよろしくないらしい。
 『そっちに向かわせますか?』
 「そうしてくれ。施設で爆発が起きた」
 『え・・・!?隊長たちは無事なんですか?』
 「これから確かめてくる。とにかくお前はここの捜査権を取れるよう上手く立ち回ってくれ。それから・・・ここに救急車!」



 「・・・ッ、い・・・てぇ」
 指一本動かしただけで体を痛みが電流のように駆け巡る。
 キキは顔をしかめて唸った。
 爆発が起きたのは地下のあたりだろう。
 入り口をくぐる寸前で、床が轟音と共に盛り上がり、あとはどうなったのか覚えていない。
 激しく体を打ちつけたのか、思うように手足が動かなかった。
 次第に頭がクリアになってきた所で、最初にキキが思い浮かべたのは例のデータを治めたチップのことだった。
 「・・・ッ」
 暗くて自分の手さえどこにあるのか分からない。
 それでも激痛に耐えながら軍服のポケットへ腕を移動させた。
 手の感覚まで曖昧だ。
 それでも苦心のかいあって、ポケットの中のチップを確認できた。
 損傷はしていない。
 「よかった・・・」
 証拠はまだ残っている。
 これでカタリナたちも。
 「!」
 キキはようやく思い出した。
 そうだ。
 カタリナがいた。
 「カ・・・タリナ?」
 名前を呼びながら首をめぐらせる。
 だがあたりは真っ暗で、何も分からなかった。
 「カタリナ、どこ?」
 すぐ近くにいた。
 そんなに離れるわけはない。
 とにかくキキは手当たり次第にあたりをまさぐり始めた。
 ざらついたコンクリートの残骸が倒れていたすぐ右側にあるのを確認する。
 体をうちつけた原因はおそらくこれだろうが、同時に爆発の熱からも守ってくれたようだ。
 キキは何とかしてうつぶせていた体を起こそうとする。
 何かは分からないが、キキの背中に覆いかぶさっているものがあった。
 そのせいで身動きが上手く取れないのだ。
 深呼吸を繰り返し、少しでも元の力が出せるようにする。
 やがて意を決し、両腕と足に力を入れた。
 「・・・!」
 慢心の力をこめて胴を上げる。
 四つんばいの恰好になった所で、自分の上に乗っかっていた何かがどさりと落ちた。
 「え・・・」
 その落ちた時の手ごたえに、キキはどきりとする。
 布のような・・・何かの、生き物のような・・・。
 「カタリナ!」
 暗闇にようやく慣れてきた視界。
 少女の輪郭を認識し、キキは悲鳴を上げた。
 「カタリナ・・・カタリナ・・・!」
 抱き上げれば指にぬめりとしたものが絡みつく。
 血・・・!
 はっきりとは確認できないがかなりの量だ。
 イザークに買ってもらったの、と喜んでいた服も赤く染まっているはず。
 いま自分の腕の中にいる少女に起こっている出来事に、キキは愕然とした。
 「うそだ・・・こんな・・・僕を、かばったのか?」
 だから自分に覆いかぶさっていた。
 あの時、ルソーに入り込んだ侵入者からキキがカタリナをかばったように。
 「・・・ぁ」
 放心していたキキの腕の中で、カタリナの体がびくんっ、と痙攣した。
 「カタリナ・・・ッ」
 「き、き・・・?」
 さらにはっきりしてきた視界に、カタリナの唇が動く様子が映る。
 まだ・・・生きている!
 「カタリナ、どうして・・・」
 「キキ、死ぬのは、ダメ・・・だって」

 ――― 一緒に『いもうと』になろうよ。そしたら家族だよ

 「それでお前が死んだら意味ないだろ!?」
 「キキ・・・泣いてる?」
 「・・・」
 「泣いてる・・・悲しいの?死ぬ?カタリナ、死ぬの?」
 あの小さい部屋以外の場所で自分が死ぬなんて、夢にも思っていなかった。
 彼女の世界はあまりに狭い。
 「・・・ちがうっ」
 キキは唇を噛み締めた。
 なるべく平らな場所を見つけ、カタリナをそっと横たえる。
 そして瓦礫に手をかけた。
 気絶していたため感覚はさっぱりだが、
 幸いにも残っていた床のタイルの配置で入り口の方向は見当がついた。
 「大丈夫・・・助かるから!」
 カタリナに・・・いや、自分自身に言いかけるように言葉を紡ぐ。
 コンクリートの破片が指の皮をはいでも、血が滲んでも瓦礫を崩し続けた。
 「隊長とシホは上にいる・・・。きっと無事だ。
 助けに来てくれる。だから・・・だから、カタリナもすぐ治るから!」

 がらり。
 人の頭ほどの大きさの塊をどけると、白い光が瞳を射る。
 外の光・・・出口だ。
 一瞬眩しさにうめいたものの、自分の勘の正しさにキキは希望を見出す。
 これで出られる。
 「カタリナ!」
 キキはカタリナを振り返った。
 そして、言葉を失う。
 光に照らされるカタリナの顔に、血の気は皆無だった。
 近寄れば弱々しい呼吸も不自然で。
 キキはかける言葉も見つからず、彼女を再び抱きしめた。
 「キ・・・キ・・・」
 「カタリナ・・・」
 「そと・・・でられる、ね・・・」
 「・・・うん」
 キキはカタリナを抱いたまま、差し込む光のほうへ歩み寄る。
 カタリナは焦点の合わないだろうに、それでも眩しい光に目を細めた。
 やがて彼女はゆるゆると視線をキキの方へ動かす。
 石こうのように白い肌と対照的に、青灰色の瞳は熱っぽく潤んでいる。
 キキはどきりとした。
 「キキ・・・」
 「・・・」
 声がかすれている。
 周りはとても静かなのに、それでも耳を澄まさないと聞こえないほど弱々しい。
 「キキ・・・キス、して」

 ―――イザークはね、家族の人とたくさんキスするんだって。大切な人だから

 大切な人。

 ―――この娘には、「思い出」すらない。


 何も考えられなかった。
 キキは、カタリナの唇に自分の唇を重ねていた。
 涙が、こぼれる。

 服ごしに伝わる身体の熱が。
 重なり合っている唇の熱が。
 ゆっくりと。
 ゆっくりと。
 冷たくなっていく。



 「大好きだよ」

 冷えきった唇からの応えは。
 なかった。





 ノエルが自らの頭を打ち抜いた後。

 しばらくは放心していたイザークも、傷口を押さえてじりじりと入り口へ向かう。
 脱出しなければ・・・。
 もう目の前にあるあのガラスを破るのは無理だ。
 そんな体力はどこにも残っていないし、これ以上失血が続いたら動くことすらままならなくなってしまう。
 第一、破ることができた所で先にあるのは物言わぬ死体。
 ・・・無意味だ。
 
 自分が通ってきたドアにぐたりと背中を預けた所で、再びガラスの向こう側を見た。
 こちらに足を向けたノエルの死体が転がっている。
 馬鹿な男だ。
 イザークたちを苦しめるだけ苦しめて、結局招いたのは自滅。
 自分に向かって拳銃の引き金を引く勇気があるのなら、他の道はいくらでもあっただろうに・・・。
 いいや、他人のイザークがそんなことをとやかく言っても仕方ない。
 それよりも、自殺する直前に彼がしたことの方が気になった。
 
 爆発があったのは間違いない。
 この部屋・・・いや、最上階であるこの階付近でないことは確かだ。
 下から突き上げるような衝撃と、床が大きく傾き始めていることから見て、下の階を爆発させたのか。
 「シホ・・・キキ・・・無事か?」
 確かめる術もない。
 とにかく彼らの無事を祈るしかなかった。
 ここから出ないことには助けに行ってやることもできない。

 イザークは壁に手をついて力を振り絞り、何とか立ち上がる。
 今度座り込んだら二度と立ち上がれないだろう。
 「・・・冗談じゃない」
 こんなところで死んでたまるか。
 目の前にそびえるスチール製のドアをにらむ。
 ノエルはロックをかけたと言っていたが、爆発のショックで電子系にトラブルがあるかもしれない、
 と開閉ボタンを押してみる。
 しかしドアは無反応だった。
 停電したというわけではないはずだが・・・。
 開閉ボタンの方は諦め、今度は手動で力任せに開けようとする。
 しかし強化プラスチックで補強されたそれはびくともしなかった。
 おそらく銃弾を撃ち込んでも徒労に終わるだろう。
 「・・・、ちくしょう!」
 がんっ、と扉を拳で叩く。
 自分が余りに小さい存在に思えて、悔しかった。
 
 ―――苦しんで・・・絶望して死ねよ!

 「・・・ッ」
 苦しい・・・。
 こんな所で、たった一人。
 軍人である以上長生きはできないと思っていたが、
 こんな・・・戦場でもないところで、誰にも知られず孤独に死ぬはめになるとは思いも寄らなかった。
 「馬鹿みたいだ・・・」
 いつでも死ぬ覚悟はできていたはずなのに・・・。
 気付けばイザークは再び床に座り込んでいた。
 もう意識が朦朧としている。
 失神したまま眠るように死ぬのが先か、瓦礫の下敷きになるのが先か・・・。

 ―――苦しんで・・・絶望して・・・

 ああ、ノエル、良かったな。
 貴様の望みどおりになった。
 満足だろう。
 このまま自分は独りで・・・絶望して、死んでいくのだから。

 「・・・・・・」

 「?」
 ふと、名前を呼ばれたような気がして。
 イザークは振り返った。

 「・・・ザーク・・・イザーク!!」
 「シ、ホ・・・?」

 いつの間にかドアと壁の間に隙間ができていた。
 目の錯覚かと思ったが、確かにあのドアと壁の間に空間がある。
 唖然としていると、ぎぎぎっ、という耳障りな音と共にまた空間が大きくなった。
 「変形しているのか・・・」
 この階自体が不自然に傾いて、ドアが耐えられずに形を変えたのだろう。
 それでもほんの数ミリのずれだったが。
 「イザーク!」
 「シホ・・・」
 隙間を覗けば、シホの黒い瞳とぶつかった。
 良かった、彼女は無事だったのだ・・・。
 安堵感が広がる。
 「ごめんなさい、制御室がふさがれて・・・行けなくて」
 シホは動揺しているのか、早口でまくしたてる。
 ノエルに制御室から出ないとロックをはずせないと言われ、素直にそこへ向かったのだろう。
 そんな律儀さも彼女らしいと、場違いなことを思った。
 それにしても、爆発が起こった時点でそのまま逃げてしまえばよかったのに・・・。
 「で、でもッ、何とかしてあけますから!ここ!」
 「・・・」
 「待っててください」
 「・・・もう行け」
 「・・・!馬鹿なことをッ」
 「行けと言っている。お前の力じゃここは開かない」
 「嫌ですっ」
 「命令だ!」
 「嫌ッ、そんな命令聞けません!」
 シホはそう叫ぶなり、立ち上がったようだった。
 彼女の黒い瞳を見失い、イザークは視線を彷徨わせる。
 と、ドアが激しい音と共に揺れ始めた。
 シホが体当たりでも始めたのだろうか。
 あんな小さい体で・・・。
 「シホ・・・シホ・・・」
 何度か呼びかける。
 けれどもシホはドアを蹴破ることに夢中なのか反応しない。
 ああ、もう時間がないのに。
 また意識が朦朧としかけた所で、イザーク・・・、とシホの声が耳に届いた。
 より階の傾きが酷くなったのか、それともシホの努力の賜物なのか、
 隙間はさらに大きくなっていた。
 「・・・」
 イザークは、無意識にそちらへ手を伸ばす。
 もう声を出す気力もない・・・。
 指だけが通り抜けた。
 シホもそれを見て手を伸ばしたようだった。
 指先に、ぬくもりが灯る。
 
 ああ、良かった。
 彼女は生きている。

 意識は。
 そこで途切れた。
 
 

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