レイの手紙
『親愛なるタリアへ
ご無沙汰しております。その後お変わりないですか。
先日のお手紙で私立中学に合格したご子息の写真を拝見しました。
心よりお祝い申し上げます。
早いもので、クライン派との戦闘から一年半の月日が流れました。
貴方が退役されてしまったことはザフトにとっては大きな損失で、私個人も非常に驚きました。
しかし写真での主婦として、母親としての幸せそうな笑顔は充実した生活を送っていることが分かり、
シンやルナマリア、かつてのミネルバクルーたちも自分のことのように喜んでいましたよ。
さて、あの停戦宣言直後のことですが、
シグ・バートリー氏がラクス・クラインを「英雄」としてプラントに向かい入れると宣言したことで、
彼らと浅からぬ因縁があった貴方はかなり気をもんだことだと思います。
さすがの私やイザークも、これまでの努力が全て無に帰してしまったものかと絶望すらしました。
プラントの人間でありながらプラントを攻撃し、
コーディネーターという種を否定することしかしなかった彼らが「英雄」だとは・・・。
しかし氏の本来の目論見は違いました。
今回バートリー氏とイザークから許可を得たことで、貴方にその後の顛末をお知らせしたいと思います。
ラクス・クライン、アスラン・ザラ、テレーズ・ミシュラン、そしてテロに加担した一派・・・。
彼らは特別に設置されたチームによって完全な監視下に置かれ、軟禁状態にあります。
氏は《フリーダム》と《ジャスティス》を失い、弱った彼女を「英雄」という言葉で釣り、牢に繋いだのです。
先月の25日、イザークがアスランと面会をしてきました。
外との連絡手段を一切遮断され、常に監視カメラが置かれている部屋で生活していたそうです。
ちなみにラクス・クラインは再びテロリストの「顔」として担がれる恐れがあるため、さらに厳重な場所で監視され、
イザークですらその所在を知ることは許されていません。
キラ・ヤマトという「力」なき今、彼女がプラントに刃を向けることは二度とないでしょう。
話をアスランへと戻しますが、彼は自分の罪を深く悔い、軍事裁判にかけられることを望んでいるそうです。
そこでの彼の証言が正当なものとして取り上げられれば、
次はラクス・クラインがテロの首謀者として法廷で裁かれる、という可能性が出てきました。
無論、そうなるまでには少なくとも10年の月日は必要だろうというのがイザークの見解です。
ラクス・クラインの人気は未だ根強いものがあり、
すぐに彼女の裁判を起こすとプラントに無用の混乱が起きてしまいます。
こればかりは信者たちの信仰心が薄れるのを伺うしかありません。
どんなに時間がかかろうとも、祖国に二度も弓引いた彼女に正当な裁きが下されることを願うばかりです。
さて、話は変わりますが・・・ 』
「れー、れーっ!」
「ん?」
ぐいぐいとズボンの端を引っ張られ、レイは手紙を書いていた手を止めた。
視線を落とせば、よちよち歩きを始めたばかりのリリアナが父親譲りの蒼い瞳でこちらを見返している。
手にしている絵本を差し出し、「読んで」とせがみに来たようだ。
「仕方ないな・・・艦長への手紙を書いていたのに」
「れぇ!ほんっ!」
「分かった分かった」
レイは苦笑しながらテーブルの上の手紙とペンを止め石で留める。
そしてテーブルから少し体を離して「おいで」とリリアナへと手を広げれば、
彼女は自分から膝の上によじ登ってきた。
ここ半年で一気に体力が落ちてしまったレイが座っているのは、電動式の車椅子だ。
膝の上には柔らかいプラスチック板が敷いてあり、そこに座ってレイと遊んでもらうのがリリアナの楽しみなのである。
そしてそれはレイの楽しみでもあった。
一年半前。
崩れ行くメサイアの中、デュランダルの死体の前で。
「生きたい」と。
イザークに泣いて、すがって。
レイはシンたちの待つ《ミネルバ》へと戻った。
戻ってよかった・・・。
あの時ばかりはレイは心底そう思った。
仲間たちは皆、自分たちを見るなり泣きながら抱きつき、心から喜んでくれたから。
レイは生きる意志を与え、連れ帰ってきてくれたイザークのために残り少ない命を捧げようと誓ったのだ。
だが、現実は非情だった。
異変が起きたのはその三ヵ月後。
戦後処理にまだ追われていた時のことだった。
頭痛やめまいが増え、それでもただの睡眠不足と過労だと軽く見ていたのがいけなかった。
あまりに顔色が悪いとのことでルナマリアに医務室に引っ立てられる途中、
吐血し意識を失ったたレイはそのまま救急車で病院へ運ばれ入院することになってしまったのだ。
同僚たちの前での失態にレイはかなり落ち込んでしまった・・・もう駄目だ、と。
その心境がたたってか入院は長期にわたってしまい、結局周りの勧めもあって一ヵ月後に軍を退役した。
「むかし昔・・・それはそれは美しいお姫様がおりました・・・」
「あーっ、おひめたま!」
リリアナが幾つかの単語を回らない舌で、それでも文字を指差しながら繰り返す。
「もうその綴りも覚えたのか。リリアナは本当に賢いな」
「りりぃーもおひめたまがいい!」
「ああ、そうだな」
何とか退院したものの、すっかり体力が落ちてしまったレイは気が滅入って鬱になりかけていた。
これから死ぬまでの短い間、何をすべきか思いつかない。
考えてみれば、自分はデュランダルの役に立つことに全てを注いできたのだ。
でもそのデュランダルはもういない・・・。
せめて新しい一歩を踏み出したプラントの手伝いをしたかったのに、体がもう言うことを利いてくれない。
そんなレイを見かね、救いの手を差し伸べたのはやはりイザークだった。
退院したレイは、ジュール邸に連れられた。
ここに住まわせてもらう代わり、ほぼ一日の大半をリリアナの子守をしろと言い渡されたのだ。
実は、イザークの愛妻シホ・ハーネンフース・ジュールに技術部からの復帰要請が来ていた。
人手不足はどこも同じなのだ。
リリアナがまだ一歳になったばかりだということでシホは最初は断るつもりだったようだが、
エザリアとレイに子守を一手に引き受けさせるという条件でイザークが説得したらしい。
「ある日お姫様は、王様とお妃様の言いつけを破って城の外へ出てしまいました」
「・・・」
「城の外は真っ暗で、歩いても歩いても闇が続きます」
「・・・」
最初こそ騒いでいたリリアナだったが、レイの丁寧な朗読に黙って聞き入っている。
次のページからは少しペースを上げてもいいかな、とレイは思った。
レイにとって、リリアナは自分と対照的な存在だった。
生命力に満ち溢れ、光り輝いているようにすら見える。
そしてその未来は、新しく生まれ変わったプラントと共にすでに歩み出しているのだ。
・・・先の決められたレイとは違って。
けれど、レイは彼女を妬ましく思うことはなかった。
むしろ限られた時間だからこそ、彼女の傍で過ごせることに喜びを感じた。
何よりレイに生きがいを見出させたのは、リリアナの賢さだった。
二歳に満たないにもかかわらず、彼女はレイが教えたことをどんどん吸収していった。
最近のお気に入りは絵本だが、図鑑を見ながら花の名前や虫の名前を言い当てることも得意だ。
イザークは文学にも深く精通しているし、シホは技術部切っての才媛だ。
彼女にも、その血が受け継がれている。
プラントの未来は・・・レイが選んだ世界は、きっと優しい。
絵本を半分読み終えたところで、窓の方から自分とリリアナを呼ぶ声が聞こえた。
軍人だった頃なら気配で分かったのに、と苦笑しながら振り返る。
軍服姿のイザークとシホが立っていた。
「とーさま、かーさま!」
「お帰りなさい。イザーク、シホ」
それまで絵本に集中していたリリアナが、両親に気付くなり絵本の存在を忘れてレイの膝の上ではしゃいだ。
こういうところはやはり子供だが、慌てて降りようと足をばたつかせる娘にシホが慌てて庭へと駆け下りる。
下は柔らかい芝生なのでリリアナが落ちてしまったところで何てことはないのだが、
彼女が暴れる度に膝抱きしているレイへと負担がかかってしまうのだ。
「ごめんなさいね、レイ。大丈夫?」
リリアナを上手く抱きとめたシホに、「平気です」と微笑む。
「駄目でしょう、リリィ。レイに無理させちゃ」
「あいっ」
「シホ、俺は本当に大丈夫ですから。リリアナの相手をするのは楽しいですし」
「そう?助かるわ。あなたとお義母さまがいてくださって」
「・・・それにしても、今日は随分と帰りが早いですね。何かありましたか?」
レイの問いかけは、イザークにも向けられたものだった。
先程エザリアが作ってくれた昼食を食べたばかりで、日もまだ高い。
時計はここにはないが、14時は回っていないだろう。
夫婦で早退して来たのかとも思ったが、今日は誰かの誕生日だとか特別なイベントはなかったはずだし、
そもそも自宅に帰ってきたというのに軍服姿のままというのはやはりおかしい。
イザークとシホは疑問を予測していたのだろう。
目配せし合い、シホはリリアナと家の中へ、入れ替わりにイザークが庭へと降りてきた。
そしてレイと向かい合うようにテラスの椅子に座る。
しかしすぐに本題に入ろうとはしなかった。
「今日は随分顔色がいいな」
「そうですか?・・・昼間はこんなものだと思いますよ」
「そうか」
イザークは綺麗な指で、レイの金髪を軽くすく。
かつての艶を失い、抜ける一方のそれは見かねたエザリアによって大分短く切られていた。
それでもイザークはよくレイの髪をいじる。
レイはイザークに髪を弄ばれるこのひと時は好きだったが、どうにも顔が赤くなってしまい、すぐに顔を引いた。
第一シホにこんなところを目撃されては、二度と目をあわすことができなくなってしまうだろう。
もしかしたら、リリアナとも・・・。
イザークはレイの心情を知ってか知らずか。
手を引っ込めると、視線をやや上向きに飛ばしてから。
「事情」を話し始めた。
『さて、話は変わりますが・・・実は地球のオーブのことです。
すでにご存知のことと思いますが、オーブは昨年末の地球サミットでテロリスト支援国家として名指しで非難されました。
首相のカガリ・ユラ・アスハ、戦死したとはいえオーブ軍に在籍していたキラ・ヤマトも同様です。
クライン派のテロに加担し、その武力を利用して連合軍を一時制圧したのですから連合側の怒りも最もでしょう。
さらにオーブはその大部分を無理矢理月艦隊へと組み込んでプラント攻撃へと仕向け、
ザフトはもちろんでしたがクライン派の盾替わりにされた連合軍は多大な被害が出ました。
先日アスハ首相は秘密裏にオーブを出国、スカンジナビアへ逃げたということです。
オーブは名前を失い、連合の一部に吸収されることが決定しました。
・・・オーブが、シンの故郷が消えます。
無能な首相はともかく、罪のないオーブ市民が路頭に迷うことがないよう願うしかありません。
一方脱出したアスハですが、スカンジナビア王国にすら邪魔者扱いされているようで、
恥知らずにも・・・いいえ、きっと余裕などないのでしょう・・・プラントに亡命することを申し入れてきました。
彼女を受け入れるか否かで、評議会はもめにもめ、イザークが所属している軍司令部まで巻き込んでいます。
最終的にはバートリー氏の判断に委ねられますが、おそらく氏は彼女の受入れを拒否するでしょう。
彼が率いる新政府はギルバート・デュランダルの手法を用いつつ、地球とは一線を明確に引いています。
アスハが「人道的」支援を求めても、「地球の問題だ」として一蹴しなければならないのが今のプラントなのですから。
暗い政治の話ばかり書き綴ってしまいましたが、実はタリアが喜ぶに違いない報告があるんです。
それは・・・ 』
――― C.E.79 初夏
夏を想定したプラントの気候は、それでも過ごし易いように空気が乾燥している。
心地よい風と心持ち強めの日差しを楽しみながら、タリアは帽子が飛ばないように軽く抑えた。
公園の中で小さな湖を臨むことができる白いベンチ。
そこに誰かが座っているのを見て、タリアはあらあらと口元をほころばせる。
約束の時間までにはまだ30分あるというのに、彼はすでにそこで待っていた。
ただ、居眠りをしながら・・・だったが。
「イザークったら」
タリアはイザークをすぐに起こしたりはせず、彼の隣に腰を下ろす。
小鳥のさえずりの合間から、規則正しい寝息が聞こえてきた。
疲れているのだろう。
退役して家庭に入ったタリアだがそれでも彼の名前は友人やメディアを通して頻繁に耳にする。
評議会にも信頼され、軍をまとめる重要人物の一人だ。
一見華やかに見えるが、若くして名声と地位を得た彼を妬む者、煙たく思う輩は多いだろう・・・気苦労が耐えないはずだ。
タリアがイザークとこうして直接会うのはほぼ一年ぶりくらいだ。
良く見れば目の下にはうっすらとくまが浮き出ているし、
切りそろえられていた銀髪は肩まで伸びて毛先の長さが不揃いになってしまっている。
それでもその寝顔はどこかあどけなかった。
一児の父親で、軍の中心人物になりつつあるイザーク・ジュールではあるが、
それでもタリアより一回りも年下の・・・25歳になったばかりの青年なのだ。
母親譲りの美貌は疲労に霞んではいても決して損なわれはしていない。
《ミネルバ》にやってきた頃のままのイザークだった。
約束の時間まではこのままにしてあげようと思い、タリアは膝に置いたハンドバックから手紙の束を取り出す。
レイとやりとりした時のものだ。
退役後、体力が落ちる一方だったレイは少しでも筋力を維持するために、タリアに文通相手になることを頼んできた。
実はタリアは家事に追われていたとはいっても、
戦中の切羽詰った状況から急に穏やかな「日常」に戻ったことで、少し物足りなさを感じていたのだ。
レイが軍を辞さなければならないほど病状が悪化していることを気にしていたこともあり、文通を承諾したのだった。
タリアは常にこの手紙を手元に置いている。
内容は取り留めのないものばかりだ。
夫と息子にからかわれたことがあるが、タリアとレイはかつては反目すらした仲で・・・恋文とは程遠い。
けれどタリアは、レイと手紙をやり取りする度に心に何かを刻み付けられていくような気がした。
きっとレイもそうだったと思う。
何となく重くて、ちくりと痛くて、息苦しくて・・・でも、甘くて、優しくて、大切なもの。
手紙が途絶えてしまった今でも、暇さえあれば見返すのがタリアの習慣だった。
がさがさっ。
紙のすれる音が触ったのだろうか。
イザークの肩がびくんっ、と揺れ、瞼がゆっくりと開いた。
「ん・・・、っ!?かん・・・ッッ、ぐ・・・グラディス夫人!」
「ごめんなさい。うるさかったわよね?」
「い、いえ・・・っ、は・・・っ、いつから!?」
「たった今よ。時間までは寝てても良かったのに・・・優秀な軍人というのも考えものね」
「・・・」
タリアは僅かな物音ですぐに覚醒したイザークを誉めたつもりだったが、イザークは複雑そうな顔をしていた。
本来なら気配ですぐに目を覚まさなければならないと思っているのだろう。
生真面目なところも変わっていない。
「おひさしぶりね、イザーク。皆は変わりない?」
「あ・・・はい。皆元気です」
イザークはそう言うと、ふと思い出したように持っていた鞄から何かを取り出した。
それが自分がリクエストしていたものだとすぐに分かり、タリアは満面の笑みを浮かべる。
「まあ、本当に持ってきてくれたのね。嬉しいわ」
「ええ・・・。貴方と会うことを話したら、すぐに記念写真大会になりましたよ」
「ふふ、想像できるわ」
タリアはイザークと面会するに当たって、彼の家族やかつての同僚たちの写真を持ってきてくれと頼んでいた。
軍に残っている者については、ルナマリアとアビーが中心になって旧友たちの写真を撮りまくって来たらしい。
すっかり大人びたヴィーノやヨウラン、相変わらずの曖昧な笑顔のくせにどこか頼もしくなったアーサー・・・
一番親しみ深かったブリッジクルーたちもほぼ全員が揃っていた。
「良かった・・・皆、元気にやってるみたいね」
「ええ」
イザークも微笑む。
ジュール隊隊長であった時に部下の半数に離反された彼にとっても、《ミネルバ》の面々は救いに近い存在だった。
ただ軍務に準じただけであっても、それでもイザークを信頼し裏切らないでいてくれたことには変わりないのだから。
「これはあなたの家族ね。・・・まあ、リリアナちゃんはすっかり大きくなったわね」
「ええ。もう5歳になりました」
「早いわね・・・」
イザークの家族の写真は数枚だけだったが、どれもに彼の愛娘のリリアナが映っていた。
父親譲りの髪と瞳の愛くるしい美少女。
一見顔立ちも父親に似ているようで、その笑顔はどことなく母親のシホの方をを思わせる。
おしゃべりでおてんばで、まだまだ手がかかるという。
「シンのところのロゼくらいの控えめさが10分の1でもあればいいんですけどね」
「ロゼ?ロゼッタちゃんの写真はないのかしら」
「ちゃんとありますよ。・・・ええと・・・」
「・・・あ、あったわ。これね」
最後の方に出てきたのはアスカ家族の写真だった。
《ミネルバ》にいた頃はルナマリアという支えがあったとはいえ常に精神的に不安定だったシン。
クライン派との戦闘終了後にイザークの紹介で精神病院にかかり、見る間に以前の明るさを取り戻したという。
もともと「クライン派」という存在そのものが彼のストレス要因であり、
その脅威がなくなったこと、ルナマリアという最愛の女性がいたということで回復は早かった。
五年経った今でも定期的な病院通いと投薬は続いているもののイザークの右腕としてザフトに奉職し、
ザフトの中でも一目置かれる存在になっているらしい。
写真のシンの顔立ちは、すっかり妻と子供を持つ男性のそれになっていた。
隣には大輪のような華やかな笑顔が美しい妻のルナマリア。
そして彼女の腕には、3歳ほどの幼女が抱かれている。
シンとルナマリアの娘、ロゼッタ・・・通称ロゼだ。
彼女もまた色は父親譲りだった。
髪は黒で、瞳は薄い赤色、肌の色みも父親の方に近い。
顔立ちはまだまだどちらに転ぶか分からないが、目元の辺りはルナマリアに似ているようである。
タリアは満足そうに笑い、それらの写真を大切にしまいこんだ。
自分たちが死力をかけて戦い、守り抜いたものが、こうやって根付いている。
今思えばデュランダルの死もその礎に必要なものであったのかもしれない。
そして・・・彼の死も。
『よい報告とは、シンとルナマリアのことです。
二人がイザークの側近としてプラントの復興に助力していることはすでにご存知のことだと思います。
タリアは自分などよりずっと前から二人の仲に気付かれていましたよね?
一昨日の、しかも深夜2時のことです。
シンの携帯で起こされ、何事かと思えば・・・。
そう、ルナマリアのお腹に、新しい命が宿っているんです。
ルナマリアの両親は獄中自殺してしまったメイリンのこともあり、
相変わらずシンとの仲を認めようとしないようですが、二人は子供の為にも近々結婚すると言っていました。
遠からず、タリアの元にも披露宴の招待状が届くと思います。
それにしてもまだ信じられません。
まさかあの二人に子供が出来るなんて・・・つい二、三年前まで一緒にアカデミーに通っていたんですよ?
・・・ああ、忘れていました。
戦後から本格的に精神科に通い始めたシンの状態ですが、ほぼ全快しているとのことです。
投薬はまだまだ続くそうですが、悪夢にうなされることもなくなったとルナマリアも安心していました。
シンなら良い父親になれるでしょう。
自分の寿命はシンたちの子供の顔を見るまでもってはくれないかもしれません。
仮に生き延びられたとしても、老化が進んで外見が醜くなるでしょう。
それでも、自分はイザークから、シンから、ルナマリアから、そしてタリアや《ミネルバ》の皆から命をもらいました。
クローンの命はまがい物だと思っていましたが、今この瞬間は本当に「生きて」いる気がします。
ぎりぎりまでこの生を全うし、選んだ世界を見ていきたいと思っています。
・・・すっかり長い手紙になってしまいました。
シンはルナマリアのお腹が大きくならないうちに式を上げると言っていたので、近いうちにお会いできるでしょう。
それまでどうか、お元気で。
レイ・ザ・バレル 』
タリアは鞄に入れたままになっている左手で、中の手紙の束をなでた。
「もう・・・三年になるのね、レイがいなくなってから」
「・・・」
イザークははっとした顔をしてタリアの横顔を見つめる。
けれども彼女の水色の瞳には悲哀は浮かんでいない。
ただ、遠くに行ってしまった子供を懐かしむ母親のような・・・そんな顔だとイザークは思った。
予感はしていた。
シンとルナマリアのささやかな結婚披露宴で彼に再会した時・・・。
タリアは改めてクローンという禁忌の所業の愚かしさと悲しさを見せ付けられたような気がした。
何故だろうか。
確かにレイは自力歩行が困難な状態で・・・けれども決して不健康には見えなかった。
かつての同僚の幸せを祝福し、久々の仲間たちとの邂逅に始終笑みを絶やさなかった。
でもタリアははっきりと見たのだ。
彼の顔に浮かぶ死相を。
レイが息を引き取ったという知らせを受けたのは、その四ヶ月後だった。
レイを見取ったのはイザークだった。
今から思えば、それも何かのめぐり合わせである気がしてくる。
あの日はエザリアがリリアナを連れて外出し、シホも軍の仕事であちらの宿舎に泊まりこんでいた。
イザークもまた妻と同じ宿舎に泊まり込みだったのだが、会議に必要な書類を取りに自宅に戻ったのだ。
その会議が行われるのは二日後だったし、機密性もないために書類を再発行することも出来た。
わざわざ自宅に戻る必要はなく・・・仮に戻るにしても次の日だって問題なかった。
ただレイは一人でどうしているだろうと・・・少し気になって、様子見がてら書類を取ってこようと思ったのだ。
本当に、気まぐれだった。
だからこそ運命を感じずにはいられないのだと思う。
「レイ、戻ったぞ」
玄関でレイの名前を呼んでみたが、彼の気配は感じられなかった。
家に戻る途中も携帯やメールでレイに呼びかけたのだが、彼がそれに応えることはなかった。
寝ているのだろうか。
あるいは、携帯をどこかに置き忘れたか?
イザークはそう考えて己を納得させようとしたが、言いえぬ不安が胸に広がっていくのを止めることはできなかった。
「レイ!」
イザークは大股で廊下を進み、レイがよく読書をしている中庭へと足を運んだ。
しかしレイの姿はない。
ただ手紙を書こうとしていたのか、備え付けのテーブルには白紙の便箋と蓋を開けたままのペンが置かれていた。
「レイ、何処だ!?」
イザークの声がいよいよ大きくなる。
不安と恐怖で心臓が早鐘を打った。
早く、早く見つけ出さなければ。
「レイ・・・!!」
ダイニングからバスルームへと続く廊下で、イザークはようやくレイを見つけた。
車椅子から崩れ落ち、冷たい床に伏しているレイを慌てて抱き起こす。
「レイ!」
呼びかけて、床に落ちているぬめりとしたものに気付く。
・・・血だ。
見ればレイの口元にも赤いものがこびり付いている。
また吐血したのか・・・?
「イザーク・・・?」
「レイ!!」
血で濡れたレイの唇から、零れるように声が漏れた。
イザークの腕の中のレイが、空色の瞳をいつの間にか開いていた。
意識が戻ったらしい。
しかしその身体からは体温が全く感じられず、顔には血気が失せている。
明らかに尋常ではない状態にイザークは焦った。
「待ってろ、すぐに救急車を・・・!」
とにかく医者に見せなければ。
混乱する思考を何とか押さえ、イザークは救急車を手配するためにポケットの携帯を取ろうとした。
だが。
「待って・・・」
レイの手が伸ばされ、携帯を掴もうとしていたイザークの手を弱々しく捕らえる。
振り払うことは簡単だったのに・・・いや、そうしなければならなかったのに、イザークは動きを止めてしまった。
「イザーク・・・来て、くれたんだ」
「れ、レイ・・・」
「良かった・・・うれしい」
「・・・」
レイは本当に幸せそうに微笑む。
瞬間。
イザークは全身から身体の力が抜けるような気がした。
・・・分かってしまったのだ。
”その時”が、来てしまった。
「イザーク・・・最期くらい、は・・・俺の、気持ち・・・」
レイが必死に言葉を紡いでいる。
イザークは聞き逃すまいと、腕の中のレイを抱き寄せた。
すると、今までどこか焦点が合わなかった空色の瞳がしっかりとイザークを捉えた。
イザークも瞬きを忘れてレイを見返す。
二つの蒼。
その視線が交わり、どれくらいの時間が経っただろうか。
レイの手がイザークの軍服の襟の下を掴んだかと思うと、ぐいっとそれを引き寄せた。
おそらくはさした力ではなかったのだろう。
けれどイザークは抗わなかった。
「俺は、あなたを・・・」
唇と唇が触れ合う。
血の味は、何故か甘く感じた。
レイの墓の前に底の深い碗を置き、その中に鞄にしまっていた手紙を入れる。
迷わずライターに手をかけたタリアに、イザークは「いいんですか?」と小声で尋ねた。
「いいのよ。そろそろあの子に返してあげたいと思ったいたの」
「・・・どうして俺を?」
「あなたが立ち会ってくれなきゃ意味ないもの」
「・・・」
どうして意味がないのか。
その理由について、イザークは追求しなかった。
やはり、とタリアは思う。
イザークは知っていたのだろう・・・レイの気持ちを。
イザークはレイの心を変え、仲間となり、命まで与えた。
最初こそレイはぶつかっていたようだが、だからこそデュランダルに向けたものとは違う感情が芽生えたのかも知れない。
レイの中のイザークに対する思いは、仲間のそれを超えていた。
タリアがそれに気付いたのはレイと文通を始めてからのことだったが・・・。
「レイは・・・」
「・・・」
「あの子は、最期に何か・・・言った?」
「・・・」
あなたが好きだ、と。
愛している、と。
そう重ねようとして、タリアは止めた。
第三者のタリアがそんなことに口を挟むべきではない。
なにより、もうレイはいないのだ。
それにイザークがレイの想いに気付いていた上で応えられなかったにしろ、彼を責めるのはお門違いというものだ。
彼にはすでに妻子がおり、それを裏切ることはレイこそが一番望まないはず。
だからタリアはそこで会話を切ろうとした。
だが。
「・・・言いましたよ」
「!」
不意に口を開いたイザークに、思わず肩が震えた。
ぱちっ。
炎に焼かれて炭になっていく手紙。
視線はそれに釘付けたまま動かせない。
「言いました・・・多分、あなたが思っている通りのことを」
「・・・そう」
「俺は何も応えられなかった」
抱きしめることしかできなかった。
涙を流すことしかできなかった。
腕の中のレイが、最期の吐息を吐き切るその時まで。
でもタリアは知っている。
イザークがその想いを中途半端に受け取らなかったからこそ、迷いなく逝けたのだと。
「・・・それで良かったのよ」
ねえ?
そうでしょう、レイ。
ぱちぱち。
音を立てて火が消えていく。
白い煙がプラントの作り物の空へと上がっては消えていった。
『俺に好きな人がいると言ったら笑いますか?
でもいるんですよ、本当に。
毎日毎日、その人のことばかりを考えています。
でもその人には他に好きな人がいて、守るべきものがあって・・・。
気持ちは一生告げられないでしょう。
俺はその人の家族も大好きですから。
それでもかまわないと思います。
この気持ちを抱き、気付くことができただけで幸せだと思えるんです。
ほら、本当に俺は変わったでしょう?
ああ、でも・・・そうだな。
もし、もし俺が最期を迎えようとしている時・・・。
その場に俺と、その人しかいなかったら。
二人っきりだったら、告げるかもしれません。
そんなドラマみたいなシチュエーションは訪れないでしょうけど。
でも、そんなことを夢見てしまうくらいに好きになっているんです。』
―――愛しています
そう口にすることが許されるのなら・・・。
F i n ...