レモネード・トラップ 03
デュランダル大戦後、プラントでは英雄として向かい入れられたラクス・クラインが最高評議会議長に任命された。
元アイドルだった彼女は市民に熱狂的に受け入れられ、その政局は順風満帆に思われた。
地球とも和平を結び、国際連合の議長国でもあるオーブとは堅い同盟が結ばれている。
しかし一方で、彼女の存在そのものを批判する者たちもいた。
結局のところ戦力を持って前政権をねじ伏せたクライン派の矛盾は簡単に正当化できるものではない。
彼らはラクス・クラインこそが危険分子であり、プラントを窮地に立たせると攻撃し続けた。
最高評議会議員の中にさえ…いいや、ラクスにもっとも近い議員だからこそだったのかもしれない。
同じ議員の一人が主導したクーデターによって拘束されたラクスは、現在自宅軟禁の状態だというのがニュースからの主だった情報だ。
オーブの首長室では数人の男女が額を寄せ合っていた。
いずれも歳若い。
「ラクスとは全く連絡がつかない状態なのか?」
その中で首長デスクに腰掛けていた女が顔を上げる。
オーブの首長、カガリ・ユラ・アスハだ。
デュランダル大戦の最中、無理矢理結婚させられそうになったり国外逃亡を強いられたりと苦労が続いたせいか、
首長になった当初よりは貫禄のある顔つきになったように見える。
「心配だな、大丈夫だろうか」
そう言いながら目の前で手を組み直すカガリだが、どちらかというと後ろ盾を失った己の状況に不安を感じているようだ。
無意識に周囲に甘える本質はまだ修正されていない。
「クーデターを起こした首謀者はジェレミー・マクスウェル議員だったよね?」
確認するように言ったのはザフトの軍服に身を包んだキラ・ヤマト。
カガリの肩に手を置き、宥めるように摩っている。
「そうです。かつてはパトリック・ザラの熱狂的なシンパでした。ザラ元議長よりもずっと短慮で過激な人ですよ」
そう応えたマーチン・ダコスタは、オーブの軍服を身につけている。
彼はデュランダル大戦の直後からラクスの仲介でオーブの国籍を取り、カガリの側近の一人になっていた。
ダコスタは手元にあるジェレミー・マクスウェルの資料をキラへと手渡す。
パトリック・ザラの政権時代に最高評議会議員を務めていたマクスウェルは、ザラが失脚し穏健派時代にはなりを潜めていた。
しかしデュランダルが倒れラクス・クラインが新たな議長に向かいいれられると再び議員職に復帰している。
「アスラン、会ったことあるんでしょ?」
それまでずっと黙していたアスラン・ザラは、キラの問いかけに顔を上げた。
ダコスタ同様オーブの軍服に身を包んでいる。
「確かに、父の存命中に何度か会ったことはあるが…」
「やっぱり過激な人?」
問いかけというより、確認といった色合いのキラの言葉に、アスランの眉間の皺が深くなる。
「挨拶程度しか交わさなかったからそんなことまでは…」
実を言うとアスランはこの展開に違和感を感じていた。
顔見知りのマクスウェルの大儀無き突然のクーデターはもちろん、タイミングが良すぎる気がする。
キラがプラントを留守にした時を狙ったと思えなくもないが、今のオーブの情勢は関係してはいまいか…。
しかしマクスウェルがパトリックのシンパならば、キラたちはラクスのシンパだ。
口に出してもやり込められるだけだとアスランは心のうちを口に出そうとしない。
嫌なこと面倒なことから目を逸らす、彼の処世術だった。
「大したことないんじゃないの?だってラクス・クラインだもの」
そう言い切ったシホは、三つ目の菓子の袋を開けた。
今度は油せんべいだ。
その食欲に呆れながら、エイブスは勝手に袋に手を突っ込む。
シホが文句を口にする前に「そうだな」と先程の会話を引き継いだ。
「ほとぼりが冷めた頃に、彼女のファンの方々がお救い申し上げるだろうな」
「そうそう。そしてラクス・クライン議長の再々降臨よ。それでめでたしじゃない」
これまでラクスは何度も命を狙われてきた。
しかしその度に彼女を女神のように慕い敬う者たちによって暗殺は失敗し続け、今やプラントの最高権力者だ。
それを奇跡、はたまたラクスの信念の強さゆえと讃える声もあるが、
一部の者はクライン派がラクスにあだなす者を排除していった結果と見ている。
どちらにしろ、ラクスがその時代の一権力者であるとしか見ていないシホやエイブスには関係のない話だ。
「シン君も油せんべいどうぞ」
ちょうど部屋に入ってきたシンに、シホは菓子の袋を差し出した。
シンは申し訳程度に小さく欠けたせんべいを手に取り、シホの隣のソファに腰掛ける。
「どこ行ってたの?」
「プラントに電話をしに…」
「ってことはルナマリアか」
「へ、誰?」
電話と聞いて悪戯っぽく笑ったエイブスにシホも身を乗り出す。
「ルナマリアってだぁれ?」
「…」
「教えてやれよ、シン」
「…」
シンは小さなせんべいしか取らなかったことを今更後悔した。
懸命に二人から目を逸らしながら口に易々と収まる欠片をちまちまと噛んでいる。
「分かった、ガールフレンドでしょ。どんな子なの?」
「シホと同じ赤服の女パイロットだよ。シンより一つ年上」
「あら、じゃあ私と同い年ね」
赤服はアカデミーで上位の成績を収めた生徒に与えられるものだが、
シホは当時開発に携わっていた最新鋭試作機のテストパイロットに任命された際に特例として着ることを許された。
元々プログラミングを専攻していたシホは、同じ歳のパイロットとは交流がない。
「どんな子?」
「美人だぞー。スタイルも良くて性格も明るいから男からも女からももててたな。今はアーモリー・ワンで事務に移ってる」
「へー…」
シホはせんべいを口に放り込みながら隣のシンを盗み見た。
何となくだが、彼は大人しい感じの子が好みではないかと思っていた…快活な、しかも年上とは意外だ。
「ねえねえ、写真か何かある?見せて」
「…、あの」
せんべいを食べ終えてしまったシンはしつこく小突いてくるシホにしどろもどろだ。
エイブスも面白がって助けてくれる気配はない…ルナマリアとの関係が何処までいっているのか気になっているのかもしれない。
諦めて携帯の画像を見せてしまおうかと思っていた矢先。
ドォォ…ン…。
「?」
「…!」
「これは…」
軍人である三人は、足元から伝わった衝撃が何かを経験的に察する。
もちろんそれは彼らだけでなく、他の隊員たちの表情にも不安と緊張が入り混じった。
そして。
それまでじゃれあっていたシホとシンそしてエイブスは、無言のまま休憩室を後にする。
何が起こったのかをすぐに知ろうとは思わなかった。
ザフトの軍人として、求められたことを求められた時に精一杯するだけなのだから。
「困ったな、キラを通してラクスを説得したかったのに」
「説得って?」
キラはとぼけた振りをするが、姉からの応えは分かっていた。
「ファーレンの件だ。和平での解決にあたり、プラントからも協力を要請したい」
「…ラクスは断ったはずでしょ」
そう、ファーレン内戦の和平調停に乗り出すことを決めたカガリがその意思を伝えた時、ラクスはそれを諌めていた。
カガリとしてはとんだ裏切りに思えた。
「かの国では毎日のように血で血を洗う隣人殺しが行われ、罪のない命が奪われている。
…戦争は全てなくさなければならないんだ。でなければこれがいつまた全世界を巻き込んだ大戦に発展するかもしれない。
なのにデュランダルが倒れプラントの議長の座についた途端にこういった問題を無視するなんて…」
「カガリ、やめないか!」
ラクスに対する批判をぶちまけたカガリを、アスランが厳しい口調で制する。
彼女の言い分は、捉えようによっては戦争を止める為なら他国の問題に無理矢理介入するのもやむなしと言っているようなものだ。
そんな騎士道精神で、しかも武力をちらつかせてしまったら国際社会は成り立たない。
「首長、あなたは少々勘違いなさっているようです」
「何だと?」
静かに口を開いたダコスタをカガリはねめつける。
彼の存在は常にラクスに監視されているようで面白く思っていない。
「ラクスの平和への願いは、一部の大国のみに限定されるものだったというのか」
「ラクスさまではありません。このオーブの理念ですよ」
「新参者に何が分かる!!?」
「オーブに関しては新参かもしれませんが、《中立》という言葉の意味は首長より理解していると思いますよ」
「…ッッッ」
さらに罵倒の言葉を続けようとしたカガリの肩を、キラの手がより強い力で掴んだ。
「カガリ、僕もラクスやダコスタさんと同意見だよ」
「キラ…ッ」
いつも甘やかしてくれるキラまでに否定され、カガリは一気に目に涙を溜める。
「オーブの…ウズミさまの理念は《中立》…いざ戦争が始まっても、どちらの味方もせず、戦闘にも参加しないということだ」
「で、でも…っ」
「確かに前の大戦は連合軍が、そしてザフト軍がオーブを攻めた。だからウズミ様は自衛のために兵を挙げたんだ。
デュランダル前議長を野望を砕く為にプラントに遠征したのも、デスティニープランが実行されれば結果的にオーブという国が損なわれるから。
僕たちが全世界を救っただなんて…救えるなんて考えるのはちょっと傲慢じゃない?」
「では、このまま見てみぬ振りをしろと?」
「それしかないだろう」
穏やかに諭すキラに対し、アスランの口調は吐き捨てるようなものだった。
カガリはきっと相手を睨みつける。
「オーブが和平調停に乗り出したとして、成功する見込みがどこにある?
あの国で行われているのはナチュラルとコーディネーターの人種抗争じゃない、宗教問題なんだ。
失敗するだけならばともかく、より悪化させ他の隣国にまで飛び火しないとは言えないんだぞ!」
「それは…、」
カガリはぽろぽろと涙を零しながら押し黙る。
アスランはここで議論をしてつくづく良いと思った。
彼女をオーブの英雄と思っている民にこんな姿を見せるわけにはいかない。
「オーブはファーレンに介入すべきでないというのがラクスや俺たちの意見だ。分かってくれるな?」
「…」
意見が受け入れられなかったカガリは唇を噛み締めている。
しかしこの件でカガリはすでに自らの政党内でも孤立していた。
そのうえプラントの支援がなければファーレン介入の可能性はゼロだ。
リリリリリリリリリ…。
その時デスクの内戦がけたたましい音を出した。
「アスハだ…!」
カガリは悔しさを振り切るように、乱暴にそれを取る。
「……なに?そ、それで場所は?」
先程から止まらなかったカガリの涙が一気に引っ込んだ。
単なる事務報告ではないと感じた他の三人も電話に注意を向ける。
ダコスタが歩み寄り、勝手に音声をオープンにした。
『…アンノウンは10から20機と思われます。進入経路は不明、街中に乱入し発砲を確認』
「何だと!!?」
叫んだのはアスランだった。
キラとダコスタに至ってはすでに駆け足で扉へと向かっている。
「被害状況は?」
『確認できませんが、民間人に負傷者が多数出ていると思われます。BT-2地区から10地区と連絡が付きません。
…いかがされますか?』
「え、…あ」
言いよどんだカガリからアスランが受話器を奪い取る。
「住民に非難を呼びかけろ。MSが相手ならばルートは11、避難場所は防弾シェルターだ!」
2010/05/17