レモネード・トラップ 05



 ―――プラント本国、ディゼンベル駐屯地。

 イザークは手渡された一枚のレポートの内容に顔をしかめていた。
 「情報に間違いはないのか?」
 「は、はい…っ」
 レポートを持ってきた部下のアイザック・マウが、起立の姿勢のまま肩に不自然な力を入れている。
 命令通りにした彼が悪いわけでないと分かっていても、ついつい睨みつけてしまうのがイザークの悪い癖だ。
 「オーブでの無差別テロはファーレンの王党派(レジスタンス)の仕業だと…」
 「使用されたMSのうち、確認された二機の番号が、連合がファーレン内戦に介入した際に盗まれたものと一致したそうです。
 それに自爆を試みたMSから発見された遺体は、指名手配されていたファーレン王党派の幹部でした」
 「…確かな情報というわけか」
 「調査に当たったのがオーブ、プラント、そして連合加盟五カ国からなる調査団ですから」
 「分かった、マウ。もう下がっていい」
 アイザックは何か言いたそうな顔をしていたが、結局無言のまま退出した。
 エアドアが閉まると、イザークはレポートをもう一度隅々まで読み直す。
 一週間前、オーブで起こった大規模な無差別テロを調査した各国の共同公式発表の下書きのコピーだ。
 自らのコネとアイザックのやや特殊な経歴を利用して、非公式に取り寄せたものだった。

 オーブの被害は甚大だった。
 ニュースで伝えられた限りでも、軍とは無関係の民間人の被害が大半を占めている。
 最も大きな被害が出たのが、最初に爆撃された郊外のテーマパークだ。
 休日だったこともあって人でごった返しており、
 爆撃の激しさのみならずパニックで人に押しつぶされるなど二次被害による犠牲者も多かったと言う。
 オーブの首都も激しい攻撃を受けていたが、逆にこちらは休日のおかげで人の被害は少なかった。
 最初の爆撃を受けて素早く緊急避難命令を出した軍の動きも功を奏したようだ。
 それでも主要なビルや多くの住宅街、学校などの建物が攻撃され、経済面での被害は計り知れない。
 「…」
 ここまで読んで、イザークは天井を仰いだ。
 キラ・ヤマトに率いられたザフト兵からの被害は出ていない。
 出撃はしたようだが、その記録はこの簡潔なレポートには載っていなかった。
 実は当日のヤマト隊の動きの詳細が、ザフトの上層部にも届いていない。
 《パワーズ》から出撃があったという情報も現地からのニュースによるもので、
 出撃自体が事実なのか、出撃したとしたら何機だったのか、実際どんな働きをしたのかが全く伝わってこなかった。
 先刻のアイザックの顔が頭を過ぎる。
 ヤマト隊に同行したジュール隊隊員シホ・ハーネンフースの情報も、当然ゼロのままだった。



 「そんな馬鹿なこと、あるわけがないわ!」
 レイは初めて聞くシーシーの金切り声に眉をひそめた。
 耳がきんきんする…。
 しかし取り乱す彼女を宥める者も咎める者も今はいなかった。
 レイたち王党派レジスタンスは、リーダーに呼び出されて集まっていた。
 先日のオーブ無差別テロ事件において、彼が極秘に調査団の公式見解の資料を手に入れたという。
 オーブがこのファーレンの内戦に関わることを決めた直後の事件だっただけに、国内でも調査団の動向に注目が集まっていた。
 一部のメディアはオーブの介入を恐れたファーレン軍部の仕業ではないかという記事を載せ、先走った加熱をしている。
 レジスタンスの面々も自分たちに心当たりがないだけに、オーブの力を恐れた軍部が愚かな行為をしたのではと疑っていた。
 もしそうであったのなら、敵対するこちらにオーブが味方をする可能性も出てくるという期待も膨らんでいたのだ。
 ところが蓋を開けてみれば…。
 
 「撃墜されたMAから収容された遺体が、ルブランのものと断定されたらしい」
 「…知らない名だな」
 黙って聞いているつもりが、レイは思わず口を出してしまった。
 シーシーが涙を溜めた目をこちらに向ける。
 「ルブランはレイ、あんたがここに来る少し前に行方不明になってしまったの」
 「てっきり軍の連中に捕まって死んだと思っていた」
 シーシーのように小グループの先頭に立って活動をする、幹部クラスの男だったという。
 「そいつがどうして…」
 「もしかしてあいつ、スパイだったんじゃあ」
 「まさか!ルブランに限って」
 皆が疑心暗鬼に陥っている。
 新参者の自分を見る目も厳しくなるだろうな、とレイはぼんやり思った。
 「MA、MSの何機かの番号が、俺たちが強奪されたと連合が報告したものと一致したらしい」
 「本当なのか?」
 「その番号までは分からないからな…。そのまま使っているのもあれば、削り取ってしまったものもある」
 淡々と口にするリーダーだが、その背中は明らかに気落ちしていると物語っていた。
 状況は厳しいのだ。
 「大変だ、みんな!!」
 その時、外にいたカミーユが集会のために設けられたテントに駆け込んできた。
 皆が沈鬱な面持ちでカミーユの次の言葉を待つ。
 そして誰も驚きはしなかった。
 次に自分たちにどんな災厄がふりかかるか、容易に想像できたからだ。

 「プラントの最高評議会が、我々レジスタンスを世界的なテロ組織として攻撃対象とすることを発表した!」





 臨時議長ジェレミー・マクスウェルが演説を行うにあたり、シホ・ハーネンフースは隊長室へと通されていた。
 シンを含む下士官やエイブスのような整備士はホールや休憩室にある画面で演説を聞くことになっているが、
 隊長や艦長、さらに一部の上等仕官には個室に大型パネルが取り付けられていた。
 元は義勇軍として組織されたザフトも、プラントが正式に国として認められてからは軍の階級化が明瞭になっている。
 「どうぞ」
 キラがにこやかに椅子を勧めてくる。
 シホは思わずその柔和な顔を睨みつけてしまった。
 「ここまで特別扱いしていただかなくても…」
 「そういうわけじゃありません。あなたとは、一度ゆっくり話をしてみたかったんです」
 「…はあ」
 短い間の態度で、こちらが下心を疑っていることを感知したのだろう、
 キラはパソコン用の椅子をシホの斜め前に移動してから腰を下ろした。
 ここまでされてはシホもこの部屋で演説を聞かないわけにはいかない。
 …まあ、仮に後ろから襲われたとしても投げ飛ばしてやるが。
 「それに姉…アスハ代表のことで相談もしたかったんです。
 この隊の人たちは何というか、僕や姉に好意的過ぎる人ばかりで…ありがたいことなんですけど」
 「ええ」
 随分しおらしいことを言う。
 シホはキラへの印象に勝手な先入観があったかもしれないと反省した。
 二年前、プラントで彼らの「戦争を止める」という名目の活動を耳にした時は神経を疑ったものだが、
 案外周りが騒ぎ立てていただけでテロまがいの乱入は誇張されたのかもしれない。
 最終的にはイザークも彼らを信頼して協力したのだ。
 もう少し歩み寄ってもいいかもしれないと思っていると、パネルで記事を読み上げていたレポーターが臨時議長の到着を告げた。

 マクスウェルはラクスが評議会議員としての身分を剥奪されたこと、
 自分を中心とする臨時議会が他国に認められた正当なものであることを短く告げると、この演説の本筋に入った。
 『先日理不尽に行われたオーブへの暴力は、実に許しがたいものです。あれは世界への挑戦です』
 「いきなり雲行きが怪しいわ」
 顔をしかめたシホにキラも頷く。
 『我々はこの悲劇を繰り返さないために、迅速かつ的確な決断を求められています』
 どこかで聞いたような台詞だ。
 パトリック・ザラのシンパだというのは間違いないらしい。
 …ラクス・クラインのように歯の浮いたような奇麗事を並べられても寒気がするが。
 『先日我々プラント臨時評議会はオーブ首長カガリ・ユラ・アスハ氏と通信会談を設けました』
 シホは思わずキラの顔を凝視する。
 「知っておられたんですか?」
 「いいえ。…でも、テロの日以来カガリに避けられていたのでそうじゃないかとは思っていました」
 キラは沈鬱な表情をしている。
 復讐に駆られる姉の行動を諌められなかったと悔やんでいるのだろうか。
 『協議の結果、ファーレン王党派を支持するレジスタンス組織は危険なテロリスト集団であると認識し、
 ファーレンの罪なき国民を救済するために、そして先日のオーブのような被害を出さないために、
 プラント・ザフト軍、オーブ軍によるファーレン派遣をそれぞれ議会に提出します』

 やってしまった…、とシホは天井を仰いだ。
 オーブは二つに割れているファーレンの勢力の和平協定に乗り出すはずだったのに、
 一転して片方を敵と見なして徹底攻撃する方針に変えてしまった。
 「また戦争が始まる…今度こそ、未然に止めたかったのに」
 キラが苦しげに心中を吐露する。
 「カガリは何を考えて…、ウズミ様の中立の意思をやっと分かってくれたと思っていたのに」
 「でも今回オーブが受けた被害と、国民感情を考えれば無理なからぬことかもしれないとも思います」
 「分かってます。いまや国民の大半がファーレンのレジスタンス組織に怒りを向け、それが滅ぶことを望んでいるから」
 カガリのファーレン介入を冷めた目で見ていた国民は、一転して王党派レジスタンスへの報復を望んでいた。
 この声に応えなければ今の地位を追われてしまう、とカガリは思ったのかもしれない。
 あるいは逆に、この機を利用すれば今後の政局を上手く乗り切れると踏んだのか。
 どちらにしろ問題はプラント臨時評議会の方だ。
 「どう思います?」
 「どう…って、マクスウェル臨時議長のことですか?」
 シホは前髪をぐしゃぐしゃとかき回す。
 イザークにはみっともないから止めろと言われているのだが、別にキラにならがさつな女と思われても構わない。
 というか、そんなことを考えるのが面倒だった。
 「パトリック・ザラ議長そのままね」
 「そしてラクスは拘束されたまま」
 四年前、O.スピットブレイクの前後に状況があまりに酷似している。

 永遠に終わらない闇の輪廻の中にいるような気がした。




 建物を出たところで鼻先に水滴が落ちた。
 そういえばスコールの時間だったかとイザークは数歩下がって屋根の下へと戻る。
 傘は持ってきていなかった。
 足を止めたところでタイミング良く携帯がポケットの中で震えて着信を示す。
 画面には部下のディアッカ・エルスマンの名前があった。
 「…俺だ」
 『イザーク、終わったか?』
 「ああ。行くだけ無駄だったようだが」
 通話をしながら後ろを振り返る。
 ロビーでは十数人の下院議員たちが険しい顔で右往左往していた。
 『ま、説得できないよなぁ。マクスウェル議員はザラ前議長の熱狂的シンパだったらしいし』
 「説得まで行っていない。門前払いされた」
 『お前の肩書でも評議会ビルの最上階までいけなかったの?』
 「…そういうことになる」
 イザークが立っているのは、アプリリウス市にあるプラント最高評議会ビルだった。
 
 マクスウェル臨時議長がファーレン王党派との抗戦を決めたオーブへの積極的支援を表明してから一週間。
 プラントでは急ピッチで地球降下とテロ殲滅の準備が進められていた。
 すでに物資やそれに必要な兵士はオーブへ派遣済みで、現在は主力となるオーブ支援部隊の選考が行われている最中だ。
 あまり戦力を裂いては地球連合軍に付け入られるため、マクスウェルは少数精鋭を送り込むというのがメディアの見方だった。
 イザークの部隊も候補に含まれている。
 「キラ・ヤマトの部隊がすでにファーレンに向かったというのは間違いないのか?」
 『確認したよ…オーブのコネ使ってね。一昨日の1400時にオーブ港を出発してファーレンに向かったそうだ』
 「…なら、もうあちらに着いているな」
 イザークが臨時評議会が開かれたこのビルに向かったのは、オーブを訪問していたヤマト隊の動向を知るためだった。
 ヤマト隊の旗艦《パワーズ》がファーレンに向かったらしい、という話を聞いたのが昨夜のこと。
 戦争介入を説得するというのは表向きの用件で、説得など焼け石に水にしかならないと分かっていた。
 ただヤマト隊出港の真偽を確かめ、可能ならば自らの隊の隊員シホ・ハーネンフースを取り戻せるよう手配できればと思っていたのだが…。
 「キラ・ヤマトの暴走だと思うか?」
 かたや「戦争を止めたい」とプラントと地球連合軍の一騎打ちに介入し、
 かたや「デスティニープランを止める」と反デュランダルグループをかき集めてザフト正規軍に喧嘩を売った女の相棒だ。
 ラクス・クラインがマクスウェルに拘束され、それに反発して不味いことをなそうとするのではないかという懸念はあった。
 『俺は違うと思うね』
 否定したディアッカの声が少し遠くなる。
 パソコンの前で何か操作をしているようだ。
 『キラは今のところ大人しく臨時政権にしたがっているようだ。ラクスのことで脅されたのかも』
 「ファーレン介入に協力しないと恋人の命はないと?」
 『ありうるさ。ラクスはマクスウェルの手の内にある。キラは心配してるはずだ』
 「ならヤマト隊の先陣は臨時議長の指示だというのか?確かにキラ・ヤマトなら《フリーダム》一機で小テロリストを壊滅出来るだろうが…」
 『そこなんだよな、分からないのは』
 
 確かにキラ・ヤマトと彼の乗機《フリーダム》さえあれば、ファーレン王党派を殲滅するのは赤子の手をひねる様なものだ。
 しかしそうして解決できたとして、マクスウェルが望むものを得るかと言うと違う気がする。
 彼はザフトの兵を大々的に地球に送り込み、圧倒的な技術と戦力を地球側に見せつけたいはずだ。
 目下のターゲットはオーブだろう。
 同等な同盟を提唱していたラクスとは違い、ナチュラル嫌いのマクスウェルは従属的同盟に転換したがっているはずだ。
 派手なパフォーマンスをすることでプラントの影響力をオーブに知らしめることができる。
 イザークが一番恐れているのは、マクスウェルがラクス・クラインの剣たるキラを消すことを目論んでいるのではということだった。
 キラがどうなろうがイザークが知ったことではないし、第一ゴキブリ並みにしぶとい男だ…簡単には死にはしない。
 しかしマクスウェルがキラ一人を葬るために彼の部下も巻き込もうとしていたら…。
 
 『ところでイザーク、良い知らせか悪い知らせか話からねーんだけど』
 「…内容は分かる。というか、貴様いま俺のパソコンの前にいるな」
 ディアッカは当たり、と悪びれる様子もない。
 『臨時評議会執行部から正式に通知が来た。ジュール隊もテロ殲滅のために地球降下決定だ』
 



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2010/10/08