シリウス (前編)





 今年は暖冬だった。
 そうでなければ、いくらコートをまとっているからと言って路上生活には耐えられなかっただろう。
 クリスマスをきらびやかに彩る街のライトコーディネートを眺めながら、シホ・ハーネンフースはぼんやりと思う。

 「おいシホ、聞いているのか?」

 目の前に立っていた長身の男が声を尖らせた。
 厚地のグレーのコートを着込んでいるが、それでも彼が鍛え抜かれた逞しい身体をしていると分かる。
 シホが特殊部隊の訓練生だった時、同じ指導を受けた同期だった。
 どういう伝手を使ったかは知らないが、特殊部隊を辞したのち今のように浮浪者生活を送るシホをわざわざ訪ねてきたのだ。

 「何度も言わせないでよ、ディアッカ。あんたの国に身売りするつもりはないわ」
 「身売りじゃねーよ。再就職!」
 「まっぴらだわ」
 「・・・お前の能力を無駄にしたくないんだ。日本でのことは明らかに上層のミスだって・・・」
 「やめてよ。・・・お願いだから、私を放っておいて」

 シホはがさがさになった黒髪をかき上げた。
 かつて米国の特殊部隊に所属していたシホは、日本に出勤した時に起こったテロ騒動の対処に当たっていた。
 その時に起こってしまった激しい銃撃戦で民間人に多大な被害が出ると、上層はシホの所属していた部隊を切り捨てたのだ。
 命をかけ被害を最小限にとどめた彼らに対し、「裏切り者」という汚名を着せたのだった。
 唯一生き残ったシホは守るべきものも生きる希望もなくし、こうして街を彷徨っている。

 「まだ時間はある。いい返事を期待してる」

 ディアッカはそれだけ言うと、あっさりとその場を後にした。
 昨夜は一時間も説得に専念していたのに、今夜は10分ほどで切り上げてしまう。
 路上生活に入る前のシホならばその違和感に気づいたかもしれないが、
 その時の彼女は年を越してからの長い冬をどう乗り切ろうかということにすでに意識を移してしまい、
 ディアッカが立ち去ったことすら気に止めていなかった。
 




 目を覚ますと、慣れつつあった段ボールの感触が背中になかった。
 起き上がろうとしてそこが今の自分の境遇には釣り合わない、柔らかいベッドの上と分かる。
 「う、ん?」
 高い白い天井。
 どうやらホテルのようだ。
 頭が何だか重たい。
 「・・・くすり?」
 いつの間にそんなものをと考えて、ディアッカと別れた後に酒を口にしたことを思い出す。
 見慣れないホームレスが、挨拶代わりだと陣取る者たちに振る舞っていたのだ。
 今から思えば不自然なことこの上ないが、やさぐれていたシホは進められるままに飲んでしまった。
 その酒に薬が仕込まれていたのか、あるいは酔って前後不覚になったところで嗅がされたのか。
 体に力を入れ今度こそ起き上がろうとしたところで、がちゃりという不快な音が鼓膜に響いた。
 「・・・んなっ」
 シホは思わず言葉を失う。
 なぜなら己の両手には手枷がつき、鎖でつながれているのだ。
 どこぞの奴隷のような格好にしばし呆然とした後、やがてふつふつと怒りが湧き上がってくる。
 こんな真似をする心当たりは一つしかなかった。

 「いい度胸じゃない、オイルダラーのボンボン皇子が・・・!」

 その時。
 シホの怒声と重なるようにしてノックの音がした。
 返事をせずにただ不機嫌な眼差しを向けていると、ドアが開いて一人の少女が現れる。
 赤い髪にブルーバイオレットの瞳をした、かなりの美少女だ。
 歳はシホより一つか二つ下だろう、すんなりと手足が長く、しかも出るところが出ている。
 どこぞのモデルと言われても違和感がない。
 「おはようございます」
 少女は綺麗な英語で挨拶をした。
 「ご気分はいかがですか?」
 「頭が痛いわ」
 「申し訳ありません。医師をお呼びいたしますか?」
 少女が本当に申し訳なさそうに言うので、文句を並べたてようとしていたシホは口を噤んでしまった。
 この娘を叱責したところで意味をなさないと頭を冷やすと、今の状況を把握すべく質問に切り替えた。

 「ここはどこ?」
 「申し訳ありません。今はお教えできません」
 「じゃあ、誰の命令で私は閉じ込められてるの?」
 「某国の王族である、ある方とだけ・・・」
 「ディアッカは?」
 「近くにおります。呼びますか?」
 「顔も見たくないと伝えておいて」

 シホが出す質問にオブラートに包んだような応えを返す少女だが、かといって真実を隠しているという様子もない。
 ディアッカが近くにいると応えたのがその証拠だ。
 今のこの状況が、シホが察している人物の差し金だということを暗に示している。

 「私はルナマリアと申します。ハーネンフース様のお世話をさせていただきます」
 「そう」
 「着替えとお食事を用意しております。まずは浴室の方に・・・」
 「・・・」
 言われて初めてシホはコートを脱がされていることに気がついた。
 路上生活を始めてからずっと着ていたものだったが、冬を越すには薄いしかなり汚れていた。
 相手の言いなりになるつもりはないものの、着替えを用意しているというのならせいぜい良いものをもらってやらねば。
 シホは立ち上がり、ルナマリアに促されるままにシャワーブースへと向かった。
 「一人で入る」
 「でも、その腕では不自由では?」
 「あなたが解いてくれれば問題ないわ」
 「申し訳ありません。それはできません」
 そうでしょうよ、とシホは溜息を吐いた。
 「他人に体を洗わせるなんてごめんなの。済んだら呼ぶから」
 「分りました」
 ルナマリアはそれ以上無理強いすることもなく、あっさりとシホを見送った。

 シホはシャワーブースに入ると、コックをひねって熱い湯を浴びる。
 長い路上生活でごわついていた髪や肌を丁寧に洗っていった。
 ホームレスとしてはまだ小奇麗な方だっただろうが、ルナマリアが顔をしかめていたのでやはり酷い匂いがしていただろう。
 シホも女だ。
 体を洗えるとなれば囚われの身も悪くないと思ってしまった。
 剃刀を使って来ていた服を切り裂く。
 着替えが用意してあるというのだから遠慮は無用だ。
 シャンプーや石鹸をたっぷり使って全身を洗い、ようやくさっぱりした。


 用意してあった着替えは女物のワンピースだった。
 白を基調に赤や黄色の糸で刺しゅうが施してある。
 「これじゃ路上生活には使えないわね」
 男社会の中で育ったシホは、こんな洒落た服にはあまり免疫がなかった。
 そもそもこの服は季節に合わないと思う。
 「思いっきり夏用だわ・・・」
 袖がなく、胸の上で止めるタイプだから枷を外す必要がない。
 ボタンは後ろにあったので、こればかりはルナマリアに手を貸してもらった。
 彼女は服だけでなく、ドライヤーでシホの濡れた長髪を乾かしてくれる。
 
 「ハーネンフース様の髪、とても綺麗です」
 「・・・ありがと」
 「黒い髪の人は何人も知っていますけど、こんなに艶のあるのは初めて・・・黒い絹糸みたい」
 顔は見えないが、ルナマリアがとても楽しそうだということが声からも分かる。
 元来世話好きなのだろう。
 「東洋の人の肌ってこんな色なんですね。綺麗なミルク色」
 「・・・」
 珍獣扱いじゃないかとげんなりするが、「綺麗」と言われて怒るわけにもいかない。
 せいぜい深いため息をつくことしかできなかった。


 髪を結われている間に食事が運ばれてきた。
 結構な御馳走だ。
 「お酒はいりますか?ビールだったらなんとか・・・」
 「結構よ。アルコールは断つつもりだから」
 そもそもこんな不覚を取ったのも、酒のせいだ。
 冗談ではなく、シホは本気でアルコールをやめるつもりだった。
 ここまできたら遠慮することはないだろうと、遠慮なく食事を口の中に放り込む。
 しばらくすると、ルナマリアは一言断ってから退室した。
 かれこれ三時間近く・・・いや、眠らされた時間を含めればもっと長い時間シホの面倒を見ていたのだから疲れたのだろう。
 シホは咀嚼しながらその後ろ姿を見送るが、ドアが開いたときにちらりと見えた見張りの確認は怠らなかった。
 こんなところで享楽人の奴隷になるなんてまっぴらだ。
 絶対に逃げ出してやる。

 ・・・が、事態はシホが思っていたほど簡単なものではなかった。

 ある程度満腹になったところで今度は窓を覗く。
 そして眼前に広がった階下の景色に、シホは今度こそ呆気にとられた。
 「こん、畜生がぁ・・・!!!!」
 窓の外を埋めるのは、なんと一面の砂漠だった。
 米国にも砂漠はあるが、これが故国の景色でないことは明らかだ。
 シホは眩暈を覚えながら、ディアッカやルナマリアへの悪態を口にする。
 まさかアラビアのど真ん中まで拉致するとは・・・。
 まだ見ぬ彼らの上司の執着心が恐ろしくなり、なおさらこの場を逃げ出さねばという焦燥感が強まった。

 シホはバスルームで使った剃刀を取り出すと、ベッドのシーツを引っ張り出して切り裂いていく。
 それを使って部屋の中に設置されていた監視カメラのレンズを塞いだ。
 こうすればすぐに駆けつける者がいるはずだ。
 そうなる前に、シホは慎手首の関節を外しながら慎重に手錠をすり抜けさせた。
 女性の中でもさらに小柄な部類のシホにとっては、さほど難しい作業ではない。
 そうこうしているうちに扉の外で人が叫ぶ声がする。
 シホは扉の脇に身を隠し、開くのを待った。
 最初に入ってきた男を後ろから締め上げ、ひるんだ所に鳩尾に一発喰らわす。
 そのまま彼が手にしていた銃を奪い取り、廊下に飛び出した。
 二人目、三人目を体当たりと威嚇射撃でやり過ごし、猫のように俊敏な動きで階段を駆け降りる。
 しかし入口を目の前にしたところで別の兵士に見つかってしまった。
 肌の色が白だったり黒だったりするが、どの兵士も少年のような顔をしている。
 傷つけたくないシホは威嚇射撃だけして裏口の方に回ろうとした。
 こういった造りの建物には大抵正面玄関の他にいくつかの出入り口があるということは経験上知っている。
 
 ロビーには一般客らしい人間も何人かいて、可愛らしいワンピースと銃というミスマッチな姿のシホを引き攣った顔で見送った。
 シホはそれらの視線には脇目も振らない。
 兵士たちは皆一様にアーミージャケットを着ていたため、それ以外に注意を払っていなかったのだ。

 ・・・そしてそれが、致命的なミスとなった。

 ホールを強引に突っ切ろうとしていたシホの痩身が、突如として宙を舞った。
 そのまま一回転し、背中から床に伏す。
 「・・・へ?」
 己の身に何が起こったのかとっさに把握できず、シホは目を白黒させた。
 誰かに足を引っかけられた?
 誰に?
 近くにいたのは上等なトーブをまとった背の高い男のようだったが・・・まさか彼に?
 そうだとして、こうも上手く背中から床に落ちるものだろうか。
 普通なら顔からダイブするはず・・・。
 「やれやれ、聞いていた以上のお転婆だな」
 「・・・」
 気がついた時、シホは自分を転ばせた男に体を押さえこまれていた。
 銃を持つ手を封じただけでなく、ひじやひざを上手く使ってシホの関節の要点へと体重をかけている。
 苦しくも痛くもなかったが、シホは完全に身動きが取れず呻くだけだ。
 「何すんのよ、離しなさいよ!」
 「冗談。その綺麗な肌を、血に染めさせるつもりか」
 「訳分かんないこと言わないで、この変態!!」
 シホはそこで初めて自分を押さえこんでいる男の顔を見た。
 「・・・」
 思ったよりも若い。
 視界の端で、銀糸の髪が涼やかに揺れている。
 透明なアイスブルーの双眸でシホを見下ろしている青年は、白皙の美貌の持ち主だった。
 そのあまりの美しさに、シホはつい文句の言葉を飲み込んでしまう。
 そして。
 「・・・っっ」

 まるでそのタイミングを狙っていたかのように。
 青年の唇が、シホのそれに食いついた。

 

 

後編

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2009/02/02


リーフノベルズの「冷たい砂」シリーズパロ第二弾。
「ジンジャー」の過去編です。
原作では米国ではなく日本なのですが、シホは帰国子女っぽいという勝手な思い込みで変更してます。
後編に続く・・・。