シリウス (後編)




 ノックの音がして開けられた扉の奥から現れた姿に、シホは露骨に嫌な顔をした。
 「食事だ」
 銀のトレーを持って優雅な仕草で入ってきたのは、シホを投げ飛ばしたあの男だ。
 
 「給仕なんて皇子様の仕事じゃないでしょ」
 「俺がやりたいんだ」
 「どういうつもりよ、イザーク殿下?」
 「…」
 嫌みたらしく「殿下」をつけてやれば、青年はぞくりとするほど綺麗な笑みを作る。


 プラントの第二皇子イザーク。
 ディアッカ、ルナマリアの上司であり、シホをこんな状況に追い込んだ張本人だった。
 オイルダラーで潤う国の皇子と傭兵崩れの自分の接点は、戦闘訓練学校時代に同期だったディアッカだ。
 シホは米国で再会するまで知らなかったが、彼もまたプラントの貴族出身で皇子の幼馴染だという。
 そして友であり主でもあるイザークを護衛するため、一時期シホたちとともに厳しい訓練に身を投じていたのだ。
 イザークはそんな幼馴染の様子を視察と称し、何度か見に行ったことがあるという。
 ディアッカいわく、その時シホを「見染めた」というのだ。
 その時は話半分に聞いていたが、今ではシホは恐怖していた。
 身動きが取れず、しかもここはイザークの国。
 シホの意思に関係なくレイプだってできるのではないだろうか。
 たとえイザークが絵に描いたような美形だとしても、母との確執から男に征服されることに抵抗を持っているシホにとって、
 広いとは言えない部屋に二人きりという状況は艶っぽいものとは程遠い。
 


 「一人で食べれるわ」
 「それじゃ不自由だろう?」
 「誰のせいよ。この…ストーカー!!!」
 「ずいぶんだな」
 シホの手足の枷は鉄製からレザー製の、一回り小さなサイズのものに変えられてしまっていた。
 不快感こそなくなったが、これでもう関節を外して抜け出すことはできない。
 イザークは予想とは反し、二人きりになってもシホを無理矢理組み敷くようなことはしなかった。
 ただ持ってきた食事の皿から埃よけのネットを外し、肉の骨を丁寧に取ってシホの口まで運んでくる。
 21にもなって食事の世話をしてもらうなんて複雑な気分だったが、ホームレス経験から食べ物を粗末にはできなくなっている。
 イザークが梃子でも自分の世話を諦めないことを悟ると、シホはあきらめて口を開いた。

 「この国の皇子様は随分と暇なのね」
 「恋人同士は食べさせ合ったりするんだろう?」
 ぞっとするようなことを言われ、シホは眉間に皺を寄せた。
 「あなた、私を一体どうするつもりなのよ?」
 「俺のものにする」
 「ハーレムにでも入れるつもり?」
 「そっちの方がいいと言うのなら考えるが…」
 「お断りよ」
 ぷいっと顔を背けた視界の端で、イザークが苦笑いをしていた。
 どんどんこの男の真意が分からなくなっていく。

 
 「入ってもらうのはハーレムじゃない。ディアッカも所属する俺の親衛隊だ」
 食事を片付け終わってからのイザークの一言に、シホは瞳を瞬いた。
 てっきりからかわれているものだと思っていたから、ディアッカが持ちかけてきた話が真実とは思わなかったのだ。
 「ボディーガードの話は本当だったの?…でも、あなたの身分だったら適任者をいくらでも雇えるでしょう」
 「訓練施設でお前を見た時から決めていた。ディアッカ一人だと限界があるしな」
 言外に、お前は超一流のボディーガードだ、と言っているようなものだ。
 無論褒められて悪い気はしなかったが、これまでの経緯を考えると素直にOKしづらい。
 「本当はディアッカを使って時間をかけてお前を口説くつもりだった…が、あいつをお前の国に派遣した直後にテロにあってな」
 「腕の怪我も?」
 「気づいてたのか」
 イザークは左の上腕部を軽く押さえる。
 トレーを持ってきた時の仕草などからそこに何かしらの傷があることはシホも感づいていた。
 骨や筋肉に異常はないようだから、軽い傷か火傷程度だろう。
 それでもテロに見舞われた者の心の方の衝撃は、他者が思っているよりもずっと大きい。
 「ディアッカの代わりに雇っていたボディーガード…そいつも幼馴染なんだが、重傷で今も意識不明だ。
 しかも、一緒にいた召使夫婦を巻き込んでしまった」
 「…」
 後者の夫婦のことはそれ以上言わなかったので亡くなったのだろう。
 シホも突っ込んだ質問は控えた。
 「あなたが狙われたの?お決まりの反米テロ?」
 「そうとも限らない。そういう風に装って、俺の存在が邪魔な王族かもしれない」
 「家族でしょう?」
 「本気でそう思ってるのか?」
 シホの言葉に呆れた口調で返すイザークだが、彼が難しい立場に置かれていることは隠しようもなかった。
 ディアッカから簡単に聞いただけだが、第二皇子のイザークは他の皇子たちと折り合いが良くないという。
 特に新しく迎えられた正妃との仲は険悪で、最近は父である国王からも遠ざけられがちなのだそうだ。

 「…ボディーガードの話だったら、報酬次第で考えてもいいわよ」
 「本当に?」
 「まだOKじゃないわ。とりあえず枷を外して頂戴」
 「…そうだな」
 イザークは少し考え込んでいるようだったが、元々仕事の依頼をする相手を縛りあげるというのはナンセンスだ。
 それにシホの表情から、もう逃げ出すことはないだろうと判断したのだろう。
 鍵を取り出し、シホの両手に掛けられている枷を外し始めた。
 「それから服も欲しいわ。これじゃあスースーするもの」
 「似合ってるぞ」
 「持・っ・て・来・て」 
 イザークを睨みつけ、凄む声を出しながら顔を近づける。
 すると、枷がまだ絡まったままの手首を掴まれて引き寄せられる。
 顔がぶつかる…っ。
 そう思った次の瞬間、再び熱い口づけをされていた。
 ロビーの時とは違い今度はすぐに開放されたが、耳に息がかかる。
 「なんなら俺が着替えさせてやろうか?ベッドの上で楽しんだあと…」

 ぱあんっ。

 小気味よい音が響いて。
 イザークの頬に、シホの平手打ちが決まった。




 宮殿に行くことを了承したので枷を外され、シホはとりあえず自由の身になった。
 とりあえず、だ。
 状況はあまり変わっていないように思う。
 今のところはイザークの強引さに流され、仕方なく行動を共にしているという感じだ。
 ただ米国に戻って自堕落な生活を続けるよりは、この国に留まって対テロの訓練をしてもいいような気にはなっていた。
 何しろ自分は仕事が好きなのだ。
 問題は、何かあると自分にセクハラめいたことをするイザークだった。
 イザークは性根はともかく、外見は結構な美形だ。
 身分も財力もある…女など選び放題だろう。
 それなのに女らしさなど欠片もない、みすぼらしい兵士崩れのシホに執着する理由が分からなかった。
 容姿に魅力があるとは思えなかったし、この歳になっても経験がないので男を喜ばすテクニックも持っていない。

 ―――いったい何なのよ…。

 自分はからかわれているのだと納得しようとしたが、あの熱いキスや挑発的な言葉を思い出す度に落ち着かない気分になっていた。




 宮殿の正門は潜らず裏手に回れば、そこは王族が利用する離宮が並んでいた。
 そのうちの一つがイザーク個人のものだ。
 着替えをしてそのまま夕食の席に招待される。
 そこではイザーク以外にもう一人が同席していた。

 質の良いトーブをまとい、行儀よさそうに椅子に腰かけている。
 髪の色はシホと同じ黒だったが、東洋人のものとは明らかに違う真珠色の肌をしていた。
 「あなたの子?」
 「馬鹿言え。結婚もしてないし、してたとしてもこんなデカイ子供がいてたまるか」
 イザークは黒髪の少年にアラブ語で何か言って椅子から立たせた。
 そうして分かったが、思ったよりも背が高い。
 シホとそんなに変わらないだろう。
 10歳そこそこかとおもったが、もう少し上のようだ。
 「シン・アスカだ。例のテロで亡くなった、召使夫婦の子供だ」
 「…」
 「今は俺が面倒を看ている」
 「何歳なの?」
 「12だ」

 手を差し伸べれば、シンは戸惑った様子もなくその手を握り返した。
 《はじめまして、シン》
 記憶にあるアラブ語で挨拶する。
 シンはこくりと頷いただけだった。
 そんな仕草が茜色の大きな瞳と相俟って、この少年をずっと幼く見せている。
 「シンには英語も通じる…ただ、目の前で親を失ったショックで口がきけなくなっているんだ」
 イザークの説明で、シンの瞳の奥にある影を理解することができた。
 こんなに幼いのに理不尽な暴力に見舞われ、しかも目前で肉親を殺されてはトラウマにもなる。
 少年の頼りない姿を見せられては、なおさら帰りたいとは言えなくなってしまうシホだった。





 「…で、結局親衛隊に入ることにしたわけか」
 ディアッカがからかい半分、同情半分の眼でブーツの紐を直しているシホを見返している。
 その顔を殴り飛ばしてやりたい衝撃にかられながらも、シホは努めて冷静に振る舞った。
 「仕方ないでしょ。お金のためよ」
 「あんたが金を欲しがるなんて珍しいな。何かあるのか?」
 「私の勝手よ」
 ホームレス生活のおかげで金の重要性はシホの体に刻みつけられている。
 米国に戻るにしても、一文無しで戻るのはさすがに気が引けた。
 
 結局シホはイザークの要請を受け入れて親衛隊に所属された。
 しかも代理とは言え隊長だ。
 前の隊長はミゲル・アイマンという青年で、彼こそが先日のテロでイザークを庇って治療中の兵士だった。
 シホが仮隊長に任命されるまで、隊は副長のディアッカが預かっていた。
 20人ほどの隊員の名簿をざっと見たが、隊長のミゲルを含め皆歳若い。
 これは鍛え甲斐がありそうだ。
 「期間は三カ月だって?」
 「ええ。やれるだけのことはやるわ」
 「…イザークの奴、相当自信があるんだな」
 「何?」
 ぼやいたディアッカを、シホは横目で睨んだ。
 親衛隊の隊員は基本的な軍事訓練を受けているが、本格的な対テロ指導は受けていない。
 機会はいくらでもあったのだろうが、指導者が皇子の護衛も兼ねるディアッカ一人では無理と思われたのだろう。
 つまり、シホはこの仕事をゼロから始めなくてはならないのだ。
 三カ月という期間は短すぎる。
 シホも腑に落ちなかったが、イザークは自分が期間を過ぎてもこの国を離れることはないと確信しているようだった。


 「…ま、せいぜい食われないように気をつけな」

 
 

 

前編

back

2009/02/27


リーフノベルズの「冷たい砂」シリーズパロ第二弾の後編。
過去編はまだまだ続きますが、とりあえずここで一区切り。