ジュゲム (前編)


 「シホ、父だ」 
 そっけなく紹介され、シホの方が戸惑ってしまった。

 プラントに来てから約二週間、シホ・ハーネンフースはプラントの王族と引き合わされていた。
 国王を始め、イザークの兄にあたる第一皇子のムウ、弟の第三皇子アスランと第四皇子レイ。
 彼らに紹介された以上、おいそれと母国に帰りたいとは言えなくなる。
 何もかもイザークの思いのままかとため息を禁じえなかった。 


 プラント王パトリックは線の細いイザークとは似ても似つかず、肩幅の広い堂々とした体躯の持ち主だった。
 それでもやはり王族の気品というか、優雅さも持ち合わせている。
 ただ息子であるイザークとは極力目を合わせないようにしていることからも、やはり関係は良くないのだろうと察しがついた。
 差し伸べた手を握り返そうとすると、それを取って甲に軽く口づけられる。
 「ハーネンフース嬢、よく来てくださった。あなたの働きに期待している」
 「光栄ですわ。陛下」
 どうやら気に入らない息子が連れてきたからと言って、シホをのっけから排除するような石頭でもないらしい。
 辛辣な言葉をかけられることも覚悟していたシホは心底ほっとした。
 「隣はキラ・ヤマト。父の側近を務めている…」
 次に紹介されたのは皇子たちの誰でもなく、シホと同じ東洋系の色を持った若者だった。
 歳もシホと同じくらいだろう。
 中肉中背で顔立ちは整っているが、かといって特別目立つような部分があるわけでもない。
 しかし他の皇子たちより先に紹介されるからにはかなり重要なポストに食い込んでいるのだろう。
 と、キラの黒い瞳が体を舐め回すように見ていることに気づき、油断ならないとシホは気を引き締めた。
 
 
 
 「疲れたか?」
 こぶりのカップに入ったチャイを手渡しながら、イザークが気遣うように言う。
 ディアッカとの猛特訓のおかげで聞き取るだけなら問題なくなったとはいえ、慣れないアラブ語から解放されてほっとしていたシホはありがたくそれを受け取った。
 「分らないことがあったら遠慮なくディアッカに聞け」
 「そうするわ」
 「まあ、俺のベッドの中で覚える方がもっと早いが」
 「断るわ」
 ぴしゃりと言い放っても、イザークは何故だか嬉しそうだ。
 そういえば、ここ数日二人きりになる機会はなかった。
 
 ふと思い立ち、シホは気になっていたことを聞いてみる。
 「あなたのお兄様は随分年嵩のようだけど、王位を継ぐことに問題でもあるの?」
 「ほう、俺の家族に興味を持つなんていい傾向だな」
 「知らざるを得ないでしょう」
 「まあ…な」
 先日イザークを狙ったテロの首謀者がもしかしたらあの中にいるのかもしれない…。
 それを示唆したのはイザーク自身だった。
 先程の面会でも感じた事だが、王族たちは誰も互いを牽制し合っているように感じる。
 イザークの懸念が現実である可能性は十分ありえた。


 「…国王は、これまでに三人の妻を娶っている」
 プラントでは族長が多くの妻を娶る風習がまだ残っていた。
 「第一夫人のレノア妃は、さっき紹介したアスランの母親だ…。正妃の中で皇子を生んだのは彼女しかいない」
 アスランはイザークと数ヶ月しか生まれが変わらない第三皇子だ。
 黒い髪に透き通った翡翠色の瞳をしていて、皇子たちの中では一番物腰の柔らかそうな好青年だった。
 王位継承権がある「ザラ」の称号を持つのもパトリックの他には彼しかいない。
 しかし、レノア妃は三年前にテロに巻き込まれて亡くなっていた。
 「第二夫人のタリアは別宮に住んでいる…今度紹介しよう。第三夫人のラクスは…夕食の席で国王が紹介するはずだ」
 途端にイザークが渋面になる。
 どうやら現在国王の寵愛を受ける継母との折り合いはよくないらしい。

 「父には五人の子供がいるが、アスラン以外は全員ハーレムに囲われた妾の子だ」
 「あなたのお母様は?」
 「…すでに亡くなっている。俺は第二夫人に育てられた」
 
 幼い頃はもっぱらタリア妃の宮殿で、第一皇女のナタルと末弟のレイと共に過ごしていたらしい。
 ナタルは外国人と結婚していて現在プラントにはいない。
 レイ皇子とは面会の席で顔を合わせたが、短い挨拶を交わしただけだった。
 昔はともかく、今はイザークとの仲は良くないのかもしれない。
 「あなたは…独りなの?」
 
 こんな広い宮殿の中で孤独なのではないか。
 シホがそう思うのは、彼女もまた家族の愛に飢えた幼少期を送ってきたからかもしれない。
 いいや、シホの孤独などイザークのそれの前ではさほどのものではないのかもしれなかった。
 見捨てられるだけならばともかく、肉親に命を狙われるという状況はどんなものだろう。

 「一人じゃない…お前がいる。ディアッカも」

 イザークの白い手が伸ばされる。
 なんとなく、その手を振り払うことができなかった。
 イザークはシホの手首を優しく持ち上げ、その甲に口づける。
 …先ほど、パトリックがした場所と同じ位置。
 それが彼にとってどういう意味を持つのかは、今のシホには読み取れない。

 「ねえイザーク、私を抱きたいというのは本気なの?」
 「当たり前だ」
 「どうして私がいいの?他にもお相手はたくさんいるでしょうに」
 「他の女には興味ない。シホを初めて見た時から、一人も抱いてない」
 「…」
 「嘘じゃないぞ」
 「私があなたと初めて会ったのはほんの二週間前よ」
 「俺はもっと前から知ってた」
 イザークは、シホに対する己の気持ちを恋情だと信じて疑っていない。
 その点についてはこれ以上論議しても無駄だろう。
 「俺に抱かれるのは…嫌か?」
 逆に質問されて戸惑った。
 「私は、あなたの傍であなたを守る…。それだけじゃ駄目?他の人では本当に駄目なの?」
 「だめだ」
 「…それ、病気じゃないわよね」
 この台詞にはさすがのイザークもむっとしたらしい。
 自分の想いを欠片も理解しようとしない相手の耳たぶに、仕返しとばかりに噛みついた。
 
 

 
 宮殿に入った翌日からシホは本格的に仕事を開始していた。
 まだ子供のような顔立ちの兵士たちに、対テロ対策の基本的な知識を説くのはさほど難しいことではなかった。
 通訳はディアッカがしてくれたし、何より彼らは勉強熱心だったからだ。
 そういう国柄なのだろう。
 通信技術や武器の知識を積極的に得ようとする姿勢は貪欲にすら見えたくらいだ。
 しかし、それも実技訓練に移行すると反発を受けた。
 彼らは自分たちなりに王宮を守ってきたという自負心があるのか、これまでの流儀を通そうとする。
 そんな者たちとしばしば衝突し、その度にディアッカが間に入って仲裁してくれた。
 
 どいつもこいつも石頭で可愛げがない。
 憂鬱な気分で石畳に座り込んで休憩していると、近づく気配があった。
 「ご苦労様です。どうぞ」
 てっきりディアッカかと思ったが、ミネラルウォーターのボトルを差し出してきたのはルナマリアだった。
 シホが礼を言ってボトルを受け取ると、彼女は隣に座り込む。
 「それにしても意外だわ。あなたも訓練兵だったなんて」
 「リストにはちゃんと名前があったと思いますけど」
 「年齢しか気にしてなかったもの」
 シホは自分と同じアーミージャケットにパンツ姿のルナマリアをちらりと見やる。
 訓練の初日にルナマリアの姿を見たときは、さすがのシホも仰天した。
 初対面の印象からてっきり宮殿の女中だと思い込んでいたのだが、軍人として配属されたディアッカ直属の部下なのだという。
 「皆頑固でしょう?」
 上手くいかない訓練にうんざりしているシホを、同情半分興味半分の表情で見ている。
 シホはそんな視線から逃れるように、ごろんと石畳の上に横になった。
 「私たちは、異教徒や侵略者から一族を守ってきた歴史があります。特に男の人はそれを誇りにしているみたい」
 「そうね・・・どいつもこいつも頭が固くって嫌になるわ」
 「焦っては駄目ですよ」
 「プラントでは何事も急がず、慌てず・・・」
 「そうそう」
 そういうお国柄なのだとイザークについていた時に会った外交官が言っていた。
 欧州では逆に即断即決が美化されているから、プラントとの交渉はやり辛いものがあるらしい。
 「・・・まあ、やるしかないわよね」
 ため息をつきながらだらしない格好を正したシホを、ルナマリアのブルーバイオレットの瞳が未だに見つめている。
 なあに?と聞けば、ふっくらとした唇が笑みを造った。
 「ハーネンフースさんが・・・こんなに熱心に取り組んでくれるとは思わなかったんです」
 「雇われた以上、給料分の仕事はするわ」
 「どうして引き受けたんですか?あなたが断れば、イザーク様も無理強いはなさらなかったはずです」
 「・・・」
 そりゃどうだろうと思ったが、イザークは紳士だと本気で信じているルナマリアが可哀相だったので口には出さなかった。
 果たして彼女には自分とイザークの関係はどう見えているのだろう。
 そう思うと憂鬱さが増すような気がしてくる。
 「ただ飯食らいにはなりたくないのよ」
 「《一宿一飯の義理》ですか?」
 「そんなところね。・・・それに、テロリストは放ってはおけないもの」
 視線をずらしたシホにルナマリアが倣うと、ひょろりとした人影がこちらの様子を伺っていることに気付く。
 「シン様・・・」
 「訓練中、ずっと見てたのよね」
 シンを手招きしながらのシホの言葉に、ルナマリアが驚いた顔をする。
 両親を目の前でなくして以来、ちょっとした銃弾音にすら飛び上がる少年がまさかと思ったのだろう。
 自分たちが戦争ごっこをやっているのではないということくらいは分かっているはずだ。
 歩み寄ってきたシンの両手にはナイフが握られていた。
 美しい細工が施され、守り刀か親の形見なのだろうとすぐに察しがつく。
 「そのナイフは血に汚さない方がいいわ。・・・私のこのナイフをあげる」
 シホは腰のベルトに下げていた実践向きのナイフを手渡す。
 シンは素直に守り刀をしまうと、シホのナイフを受け取った。
 「持ち方はそうじゃないわ。・・・こうよ。力は入れすぎないで」
 邪魔にならない場所を探しながら、少年にナイフの使い方を教示し始める。
 髪の色が同じためか、並んだその影は仲睦まじい姉弟のようだった。






 シャワーを浴びて着替えを済ませると、ちょうどイザークが部屋に入ってきた。
 また妙なことを言ってくるのかと身構えるシホだが、彼の地味な服装に気付いて眉をひそめる。
 「・・・出かけるの?」
 「ああ。旧市街に住んでいる知り合いに会いに行く。付いてくるか?」
 「ディアッカは?」
 「使いに出している」
 「他には誰かいないの?」
 「人をぞろぞろ連れて歩くような場所じゃないんだ」
 どうやらお忍びらしい。
 かと言って何が起こるか分からない場所にイザークを一人で行かせるのは危険極まりなかった。
 彼に何かあれば、またシンが庇護者を失ってしまうのだ
 「・・・行くわ」



 旧市街の手前までは車で移動したが、そこから先は歩かざるを得なくなる。
 まだこの辺りは公道と呼べるものがなく、出店が雑多に並んでいるうえ人通りも多い。
 慣れた者でなければすぐに迷ってしまうような狭い路地と不恰好な大通りが複雑に入り組んでいるのだ。
 雑然とした路地を、トーブ姿の男や裸足の子供達、チャドルで全身をすっぽり覆った女性などが行き交う。
 まるでアリババと盗賊やアラジンの世界に迷い込んでしまった気がしてくるが、浸っている余裕はシホにはなかった。
 何が潜んでいるか分からないこの人ごみの中を、イザークはずんずん先に歩いていってしまうのだ。
 小柄なシホは彼を守るどころか見失わないようにするのに必死だった。
 この混乱の中では誰が近づいてきても見分けが付かなくなりそうで内心冷や冷やものだ。

 市場には物乞いがたくさん座り込んでいた。
 骨ばかりで棒のような手足の子供を見ると、つい先日までの自分の境遇を思い出して複雑な気分になる。
 イザークは急ぎ足で歩きながらも、身につけていたブレスレットや指輪などを彼らに気前よく渡していた。
 年の頃はシンと同じくらいか、やや下だろうか。
 歓声を上げながら走っていく子供たちについ気を取られてしまい、シホはイザークに近づくチャドル姿の人影に気付くのが遅れてしまった。

 「イザーク!!!」

 危険を直感した途端、無意識に警告の声を上げていた。
 イザークはこちらに振り向きつつも、異常を察したのかむしろ足を速める。
 チャドルの人影がそれを追う。
 しかしその黒衣の中からマシンガンが現れる前に、シホが二人の間に体を滑り込ませることに成功していた。
 
 ガ、ガ、ガッ!!!

 銃声と共に、シホは腕と脇腹に鋭い痛みを感じた。
 熱い血がジャケットの中で滴るのが分かる。
 周りの人影も一斉に逃げ惑っていた。
 これだけ密集していればとばっちりを受けた人もいるかと思ったが、見渡す限り自分以外に怪我を負った者はいないようだ。
 それにほっとする間もなく、離れていくチャドル姿のテロリストを追いかけようとする。
 思った通り、チャドルを被っていたのは女ではなく小柄な男だったようだ。
 しかし相手の背中を追おうとしたシホの体は、後ろからの腕に絡め取られてつんのめってしまった。
 「イザーク・・・」
 「この、馬鹿!!!」
 助けたのに馬鹿はないだろうと思ったが、シホは無理をしてその腕を振り払おうとしなかった。
 力を抜くと、イザークはあっという間にシホを横抱きにしてしまう。
 さすがに恥ずかしくてシホは抗議の声を上げた。
 「ちょ・・・、イザーク!!?」
 「走るぞ」
 「う、うそッ。私、一人で・・・」
 「黙れ」
 イザークは低い声で一括すると、そのまま早足に通りを後にした。




 イザークの友人だというラウ・ル・クルーゼの屋敷は居住区と市場の中間に当たる一角にあった。
 やや窮屈な玄関を抜けた奥は思いのほか広々としていて、いくつか部屋があるようだった。
 中庭は手入れが行き届いていて、噴水まで備え付けられている。
 砂漠の中にあるこの国では水は貴重なものだから、クルーゼという男は相当な金持ちなのだろう。
 
 階段を上がって客間らしい部屋に通されると、まずは傷の手当てを受けることになった。
 「・・・イザーク」
 「何だ?」
 「服を脱ぎたいんだけど?」
 「なら脱げ」
 「・・・」
 言外に出て行ってほしい意を示すが、イザークはそ知らぬふりをしている。
 ・・・というか、先程から明らかに怒っていた。
 手当てに訪れた屋敷の女性が困った顔をしているので、仕方なくイザークに背中を向けてジャケットを脱ぎ始める。
 その下に着ていた防弾チョッキは着弾のショックで繊維が露出していた。
 チョッキの脇腹の部分に当たった弾は全て肌に至る前に止まっていたが、腕の傷からはだらだらと赤い血が流れている。
 脇腹も痣ができてしまったのか少し痛かった。
 女性はシホの傷口を消毒してガーゼを当てて包帯を巻きつけていく。
 その様子をイザークがじっと見ているのでシホは落ち着かない。
 「貴様がこんな目に合う必要はないだろう」
 「あのね、私はあなたのボディガード・・・って、こっち見るな!!」
 「うるさい、ちゃんと傷を見せろ」
 「見てどうするのよ、こんなもん!!セクハラで訴えるわよ」
 二人の問答をよそに、屋敷の女性は手際よく手当てを終えると一礼して部屋を出て行く。
 シホも慌ててジャケットを羽織り直した。

 しばらく居心地の悪い沈黙が降りる。
 「・・・死んだと思っただろうが」
 「防弾チョッキくらい、当然の用意よ」
 「お前は冷たい奴だな」
 シホを睨んでいたアイスブルーが逸らされる。
 一瞬、彼が泣いているのではとシホはどきりとしてしまった。
 無駄死にするつもりはないが、ボディガードを引き受けた以上は彼の弾除けになって死んでも構わないと感じている。
 だがイザークの蒼白な顔が自分の無茶のせいだと思うと少し後悔した。
 「・・・死なないわよ、これくらいで」

 思えばシホは、これほどまでに他人に求められたことはなかった。
 幼い頃に親族に見捨てられ、特殊部隊の任務では上司に切り捨てられた。
 シホ自身、自分をぞんざいに扱っていたのは、誰も気に留めないだろうというすさんだ気持ちがあったからだ。
 だがここにいる男はシホの痛みを自分のことのように感じて苦しみ悲しんでいる。
 こんな風に情を求め縋るやり方をシホは知らなかった・・・誰も教えてくれなかった。

 「もう二度と、俺の前で撃たれたりなんかするな。俺をおいて何処にも行くな」
 シホの前で跪いて見上げてくる男の顔に涙の跡はなかったが、その瞳はやや潤んでいた。
 その真摯さから逃れきれず、思わず頷いてしまう。

 「どこにも行かないわ。あなたが、求めてくれるなら」
 

後編

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2009/04/12


リーフノベルズの「冷たい砂」シリーズパロ。
後編はエロが入ります(汗)。