ラベンダー(後編)
銃声が絶えるのを待っていたかのように、強い風が砂塵を巻き上げた。
ジープで襲撃してきた部隊はあらかた片づけることができたものの、思った以上に激しい抵抗にこちら側にも被害が出ていた。
シホは投降してきたテロリストたちを横目に見ながら、銃弾でぼろぼろになったランドクルーザーの傍にいるルナマリアに近づく。
さすがというべきか彼女には怪我もなく、しかも激しい銃弾戦の直後だというのに落ち着き払っていた。
「こちらの被害状況を把握して。怪我人の収容を急がせて」
「了解しました」
この怪我人の数では離宮の警護に回す人員を削るしかない。
しかしこの事態を憂いてばかりもいられなかった。
すでに離宮でも戦闘が始まっているらしく、銃弾の音がこちらまで届いてくる。
イザークの身が心配だ。
そう思って離宮への入り口に駆け寄ろうとしたとき。
ドォ…、ンッ!!!
裏手の方で一際激しい爆発音が響き渡った。
シホにはそれがロケット弾によるものだとすぐに分かる。
「荒っぽい連中ね」
黒い瞳が細められ、青白い光を含んだ月光を含む。
その輝きを目の当たりにし、ルナマリアは思わず息をのんだ。
獲物を前にしたその華奢な身体は、美しく危険な獣を思わせる。
シホ・ハーネンフースには他のどこでもない、戦場こそが相応しい場所だと認識せざるを得ないほど…危険な艶やかさに見惚れた。
広い砂漠で全てのテロリストを迎え撃つには限界がある。
イザークもそれは覚悟しているはずだったが、やはり火災が起きれば注意力が散漫になるのは必然だった。
混乱に乗じてひそかにイザークに近づくものがいないとも限らない。
「ディアッカ、ここをお願い!ルナマリア、ついてきて!」
捕えたテロリストの連行を信頼できるディアッカに任せ、用意させておいたジープに飛び乗った。
ルナマリアを含めた無傷の兵士たちと共にイザークがいる離宮に急ぎ向う。
近くまで来るとあらかじめ決めておいたライトの明滅による合図で門を開けさせる。
ゴオッッ!
門を潜ると同時に東の塔から黒煙が上がり、立ち上った赤い炎が夜空を照らした。
アサルトライフルを掴むと、ジープから飛び出す。
「皇子はどこに…」
「多分いま燃えてる東の塔の当たりよ」
イザークの性格ならば、安全なところにいるより騒ぎの中心にいるはずだ。
シホは迷わず紅蓮に包まれる東塔へと走る。
闇夜の遠目には派手に見える炎も、近づけばさほどの勢いはなかった。
「これなら本館に燃え移る前に手を打てそうですね」
「ええ。…でもまずイザークを探さないと」
相手がこういった乱暴な手段に及ぶことはあらかじ予測できていた。
シホの手筈に従い、噴水から水を引いた隊員たちが消火活動にあたっている。
「イザーク…殿下はどこ!?」
隊長であるシホの姿に、問いかけられた兵士の顔がくしゃりと歪んだ。
血の気の失せた面で燃え盛る塔を指差す。
「殿下が、あの建物の中に…っ」
「なんですって?」
さすがにシホも色をなした。
思わず兵士の襟首を掴み、本当なのかと乱暴に揺さぶる。
すると他の兵士たちから状況を聞いて回っていたルナマリアが駆け寄ってきた。
「隊長!殿下はシン様を助けようとしてあの中に飛び込んでいかれたそうです」
「シン?」
なぜここに、イザークの宮殿で別れたはずのシンがいるのだろう。
疑問があるが、ここで問いただしている時間はなかった。
東塔はもうほとんどが炎に包まれ、煙も黒っぽくなっている。
テロリストもまだどこかに潜んでいるかもしれない…。
救出は一刻を争った。
「私が行く!消火に兵を回して。でも警戒は怠らないで!!」
ルナマリアにそう怒鳴り、中庭の噴水の水で身体を濡らした。
「シホ!!」
「隊長、気をつけて!」
ようやく追いついたディアッカとシホの声を背中に受けながら、黒煙を吐きだしている建物のドアへと身を躍らせた。
到着してから念入りに見回っていたから建物内部の構造は把握しているが、視界が悪いし何より熱気がすごい。
首に巻いていた砂塵除けのスカーフを鼻と口に当て、体勢を低くして進む。
こういった宮殿は天井が高くできておりシホ自身小柄な体格なので、さほどスピードを落とさなくても前進することができた。
最初の部屋にはイザークもシンもいなかった。
焦燥感に駆られながら、奥にある扉からさらに次の部屋へと進む。
視界の端で、熱風に煽られた布が一瞬のうちに煙に包みこまれるのが移った。
…まずい。
纏っているスーツは燃えにくい素材でできているが完全な耐火性ではない。
それにイザークはともかくシンは普段着のはずだ。
注意を払いながらなおも先に進むと、次のドアの先に僅かに動くものが見えた。
イザークか。
あるいはテロリストか。
息を殺して近づけば、手前に見える影はシンの肩を腕に抱いたイザークの長身らしいと分かる。
無事だったことに一抹の安堵を感じて声をかけようとするが、すんでのところで思いとどまった。
この状況で、イザークが動こうとしないのはなぜだろう。
シホがさらに目を凝らすと、イザークたちに対峙するようにしている数名の影を捕えた。
その手にはライフルを持っているのが分かる。
ガ、ガ、ガガガガ…!!!
シホは状況を見定めると同時に発砲していた。
背後に何人の敵が控えているか分からないが、遅れをとるほどこちらの不利になる。
迷っている暇などなかった。
「イザーク!」
「シホか?」
「早く、こっちよ!」
ガガガガ、ガガ…ッッ!
テロリストたちは背中を見せたイザークを狙うが、シホは手元の銃を狙って攻撃をそらす。
銃声に怯えて縮こまっているシンを抱え込むようにして、イザークがシホの方へと真っ直ぐ駆け寄ってきた。
「早くして!」
首を巡らせて追い立てるように隣の部屋へと促す。
これ以上火災が酷くなれば方向感覚を失い、出口に戻れなくなってしまう。
最悪煙を吸って動けなくなるだろう。
イザークが部屋に駆け込んでくるのを見届けると、背中を守るように回りこむ。
「大丈夫?」
「ああ。シンが少し煙を吸いこんでいるが」
思ったよりずっと元気そうなイザークの声にほっと息を吐く。
どういった強運か、二人とも無傷のようだ。
しかし安堵のため息を吐き切る間もなく、敵の銃弾が追いかけてきた。
「このまま出口に走って、早く!」
応戦しながら次々と部屋を走り抜けていく。
それでもテロリストたちの執拗な攻撃は続き、シホは舌打ちをした。
「しつこい男は嫌いよ!」
手榴弾のピンを歯で抜く。
「急いで!!」
叫ぶと同時に煙の向こうの影に手榴弾を投げつけ、まさに出口をくぐろうとしてたイザークとシンの身体を突き飛ばした。
ドォッ……、ゴゴゴォォッ。
炎に巻かれた建物から走り出ると同時に手榴弾が爆発し、轟音が響く。
爆風が頭をかすめ、シンを抱いたイザークの背中をさらにかばうように覆いかぶさった。
ぱらぱらと細かい破片が降り注ぐ視線の先に、ディアッカとルナマリアが慌てて駆け寄ってくるのが見える。
「荒っぽい女だな」
ゆっくりと上体を起こしたイザークが、シンの髪にかかった埃を払いながら苦情を言う。
それを横目で見ながら、シホも冷ややかな声で返した。
「しとやかな女がお好みだったかしら?」
「まさか!ますます惚れ直したぞ」
戦闘は予想していたより早くに収束した。
ジープ部隊がシホたちによって早々に壊滅させられたことで本隊の支援ができず、力を分散させられたことがテロリストたちの敗因となった。
目的を果たせなかった彼らは夜の砂漠に逃亡するか、あるいは投降することとなる。
中には離宮に立て篭もってあくまで抵抗を試みようとする者もいたが、結局自分たちが起こした火災にあぶり出される結果になった。
その炎も今ではほとんど沈下している。
ルナマリアが見立てた通り燃えたのは東棟一部分だけで、離宮全体からみれば大した損害とはならなかった。
その火災に危うく巻き込まれるところだったイザークはと言えば、隠れて付いてきたというシンをこんこんと叱っていた。
こっそりとヘリの中に潜り込んできたらしい。
シホはそんな二人を横目に、中庭の噴水の淵に座って逃げたテロリスト追撃の指示を与えていた。
投降してきた中に重要人物が何人かいたので、グループの解体も時間の問題のはずだ。
完璧にとはいかないが、これでイザークを狙う過激な活動が幾分か抑制されるかもしれない。
犠牲になった命が帰ってくるわけではないが、シンの両親も少しは浮かばれるのではないかと幼い面に視線を滑らせる。
と、普段は煩わしそうな長い黒髪に隠れている深紅の瞳が目の前のイザークではない方を映していることに気付いた。
「…ルナマリア?」
いつの間にか男物のトーブに着替えたルナマリアが、イザークの背中に向かって歩みを進めている。
違和感を覚えたのは彼女が着替えていたからでも銃を持っていたからでもなく、彼女の顔に表情が垣間見えなかったからだ。
いつも艶やかな笑みを浮かべているルナマリアの白い面が、ぞっとするほど冷たく凍っていた。
「イザーク!!」
彼女の意図に真っ先に気付いたのは、彼女から正面に値する位置にいたシンだった。
ルナマリアの手に握られた銃口が上がっていきイザークの背中にぴたりと向けられるのが、シホの目にスローモーションのように映る。
シンの甲高い声に、イザークは俊敏に反応した。
少年の表情から、背後は見えなくてもどういった危険だったのか戦士としての勘で察したのだろう。
後ろを振り返ることなく、シンを抱えこむと中庭に敷き詰められたタイルの上に身を投げ出した。
ガゥンッ!
ガガ!!!
シホは反射的にイザークを狙うルナマリアの腕を撃ったが、その前にイザークの背中に銃弾が吸い込まれていた。
「イザーク!!!」
シホの悲痛な叫びと同時に、腕から鮮血を流すルナマリアが膝をついた。
それを異変に気付いたディアッカが取り押さえる。
…全てが数秒の間に怒った出来事だった。
「まさか、…そんなっ」
立ちすくんだまま、シホはすぐに動くことができなかった。
タイルにうつぶせたままのイザークの身体は。
動かない。