エンヴィー・ミー (前編) 〜距離〜
「イザーク」
「・・・なんだ」
「そのスーツは似合わない」
「喧嘩を売っているのか?」
車を運転しながら押さえた声で言い返すイザークに、アスランは複雑なものを感じる。
普段の彼なら車を止めて自分に掴みかかってきたかもしれない。
もっとも数時間前には実際に掴みあげられてしまったのだが、
逆にあれは彼らしくなく感じていた。
・・・イザークは、変わったのだ。
オーブの大使としてプラントに渡ってからどれくらい時間が経っただろう。
ユニウス・セブン落下事件を発端に、世界は急速に情勢を変化させていた。
前大戦のような事態になることを防ぐためにと自ら望んでプラントへ足を運んだアスランだったが、
すでに戦端は開かれてしまっていた。
しかもギルバートに安易な戦況の拡大を注意しに来たはずが、逆に彼に復隊を勧められてしまう。
軽い混乱を起こしていた自分のもとに来たのが、かつての戦友だったイザークとディアッカだった。
宇宙で再会した時は相変わらずだと思ってしまったが、実際に目の前にすると彼の纏う空気は微妙に変化していた。
口ぶりも真っ直ぐな気性も変わっていないのに、どこかが違う。
距離を、感じる。
「イザークはもっとはっきりした色が似合うよ」
「俺の勝手だ」
「どうせサイズが合うってだけで適当に選んだんだろう」
「放っておけ!」
ニコルたちの墓参りを終えて滞在先のホテルに戻ろうとしたアスランを、
「会わせたい人がいる」とイザークは呼び止めていた。
その後、車のこの小さな空間の中で、無意味な会話と沈黙を繰り返している。
ディアッカは前々から聞いていたのか、一人で帰ってしまった。
機会があれば以前彼に暴力を振るってしまったことを謝ろうと思っていたアスランだったのだが、
ディアッカがいなくなった後も何となく言い出せないでいる。
イザークが言い出させない雰囲気を造っていたというのもあるが。
「イザーク、そろそろ何処に向かっているのか教えてくれないか?」
二人を乗せた車はディゼンベル市を走っている。
アスランの故郷でもある市だが、このあたりは来たことがない。
目的の場所はさっぱり見当が付かなかった。
「イザー・・・」
「母だ」
「え?」
一瞬何を言われたのか分からず、アスランは瞳を瞬いた。
「母がお前と話をしたがっている。議長からは内々に許可を得ているから問題ない」
「え、・・・あ、ああ」
確かに戦犯となったパトリックの息子である自分と、
彼の右腕だったエザリアが会うというのが公になればいろいろとややこしくなるだろう。
イザーク、エザリアはもちろん、オーブにまで迷惑をかけかねない。
「母はずっとお前のことを心配されていた。会って話したいと・・・」
「でも、どうしてディゼンベルに?」
イザークとエザリアの市はマティウスだ。
自宅もそこでなければおかしい。
「今の母の住まいはここだ」
「は?」
「事実上先の大戦の戦犯だからな。今もあちこちの市を数ヶ月ごとに移動しているんだ。
議長の計らいで今でこそそれなりの処置を受けているが、カナーバの時は監禁に近かった」
強気な彼だが、語尾は沈んでいる。
イザークもまた裁判をうけた。
それを知ったのはついさっき、ニコルたちの墓の前だ。
オーブへ亡命した自分がどれほどカガリたちに守られ安穏としていたのかを思い知り、アスランは唇をかむ。
「父の、せいで・・・」
「やめろ」
「でも」
「過去のことをぐだぐだ言うんじゃない。母上に向かって今と同じことを言ったら張り倒すからな」
「はじめまして、というべきなのかしらね、アスラン」
「いえ、その・・・」
「座って頂戴」
椅子を笑顔で勧めるエザリアは記憶にあるときより柔らかい雰囲気だった。
もっとも過去に彼女に会ったのは父と一緒で、しかもお互いに公人としてだったから、
もともと本当のエザリア・ジュールはこういう人なのかもしれない。
それにしてもエザリアとは挨拶程度に話をしたことがあるだけで、
彼女が議長の許可を得てまで自分と会いたがる理由がアスランには分からなかったが。
「イザークとは話したの?」
「はい。プラントに戻って来いといわれました」
「そうね。あなたがいてくれたら心強いわ」
ティーをアスランに差し出し、エザリアも椅子に腰掛ける。
イザークは「猫を探しに行く」と言って出て行ってしまったのでエザリアとアスランの二人きりだ。
「思ったより元気そうで安心したわ。わざわざ呼び出す必要もなかったかしら」
「え、その・・・」
「お父様のことで、あなたが傷ついているのではないのかと」
「・・・」
「2年前も、あなたは賢そうでとてもしっかりしていたわ。
でもシーゲル様はあなたは繊細なところがあるとおっしゃっておられたし」
「シーゲル様が?」
かつての婚約者だったラクスの父親だ。
他ならぬ、アスランの父に殺された。
「それにね、謝りたかったの。お父様のことで」
「謝る・・・?」
謝るのは自分の方ではないか。
エザリアが見知らぬこの土地で息子と引き離されて暮らしているのは、父の暴走のせい。
そしてそれを止められなかった自分のせいだ。
それなのに、彼女は一体何を謝ると?
疑問が顔に出たのだろうか、エザリアは苦笑交じりに口を開いた。
「あなたは・・・お父様を止めようとしたでしょう?」
ナチュラルを殲滅すると断言したパトリック。
しかしアスランはそんなことをしてはいけない、と。
「私はね、こうなったことを後悔してはいないのよ。
今でもプラントのために最後まで戦ったことに誇りを感じているわ」
でもね、と彼女は沈んだ声で続ける。
「ジェネシスはあれ以上撃ってはいけなかったのね。それに気付くべきだった」
気付いて、パトリックを止めなければならなかった。
実際には、どう考えてもそれは不可能なことだ。
でも止めようとすらしなかった自分をエザリアは責める。
アスランに、父親を失わせて申し訳ない、と。
2年前、ブラウン管で軍人を鼓舞していたきつい印象とはかけ離れたエザリア。
話すうち、包み込むようなものを感じさせる人だということに気付いた。
ああ、やはりこの人は「彼」の母親なのだ。
エザリアと言葉を交わし、しばらくした頃。
アスランはふと、ふくらはぎに違和感を感じた。
「ん?」
視線を下に下ろそうとした時。
もぞもぞっ、と服ごしにその何かが足の所でうごめく。
「うひゃあっ!」
気味悪さに素っ頓狂な声を上げてしまい、さらに椅子から落ちかけた。
手前のエザリアが目を丸くする。
「まあまあ・・・どうしたの?」
「い、今・・・何か・・・」
醜態をさらした気恥ずかしさで顔に血が集まった。
それでも指で地面を指すと、エザリアは何があったのかすぐに理解したようだ。
「リリィ、こんなところにいたのね」
椅子から降りてかがみこみ、何かを拾い上げる。
そして立ち上がった彼女が抱いていたのは・・・。
「猫・・・?」
「リリィお客様を驚かせたらダメでしょう」
エザリアが咎めると、グレーの猫はにゃう、と鳴いて彼女のふくよかな胸に顔を撫で付ける。
ちょっとうらやましいが、名前からしてメスのようだ。
イザークが探しに行くといったのはこの猫のことだろうか。
てっきり自分とエザリアを二人にするための口実だと思っていた。
「エザリア様の猫ですか?」
「いいえ。もともとイザークが飼っていたのを預かってるの。レイが見つけてきたんですって」
「・・・レイ?」
レイ・ザ・バレルのことか?
とっさに頭をよぎったのは、ミネルバでの挑発的な彼の言葉。
「聞いていないかしら?デュランダル議長の親類の子で、しばらくイザークが面倒を見ていたの」
「ミネルバで、会いました・・・」
「そうなの?元気だったかしら?」
「あ・・・はい」
「とっても賢くて良い子なの。ピアノも上手だったわ」
「ピアノ、ですか?」
「ええ。イザークと一緒に訪ねてきては素敵な曲を弾いてくれたのよ」
大人びて冷徹そうなレイの顔を思い起こす。
猫を拾ってくるだのピアノを弾くだの、そんな無邪気な子供のようなことをするようには見えなかった。
・・・二重人格?
そんなことを思っていると、母上、とエザリアを呼ぶイザークの声がする。
振り返ると手にキャットフードの皿を手にしたイザークが部屋の中に入ってくるところだった。
それを目にした途端、エザリアが促す間もなくリリィはイザークに駆け寄り、甘えた声で鳴きながらエサをねだった。
「なーうっ、なーうっ」
「分かった分かった。ほら」
ねだられるままにエサをやるイザークの様子に微笑ましいものを感じる。
すると、エザリアが気が付いたように息子に声をかけた。
「イザーク、あなたは聞いているの?レイのこと・・・」
「は?」
突然。
イザークが弾かれたように顔を上げた。
くせのない髪がさらさらと揺れる。
アスランはそれに何だかどきりとした。
何とも言えない、違和感。
確かにレイのことは話していないが、驚いている・・・わけではないようだ。
「ミネルバでアスランと一緒だったんですって。今は地球ですってね、大丈夫かしら」
「え・・・ええ。大丈夫だと思います。しっかりしていますし」
イザークの視線は宙を彷徨い、アスランに向けられることなく下へと落とされる。
不信感が増した。
「そろそろ時間です」
視線を落としたままそう言う息子に、エザリアは時計を見上げた。
アスランは何も聞いてないが、時間制限があったらしい。
すると彼女は渡すものがあるから、と部屋を出て行った。
そして彼女が戻ってくるまでの数分間。
車の中の時より、もっと重苦しい沈黙が広い部屋にのしかかった。
イザークは変わった。
そして変わらないのは、変われないのは自分。
ああ、距離を感じる。