コッペリア (前編) 〜ディオキアで一夜明けて〜




 「そろそろ思い出さないかい?」
 「何をです?」
 「君の大切な人さ」
 「大切な、人?」
 口に出して、思い浮かべた顔。
 しかしギルは首を振った。
 「大切な人」はその人じゃない。
 まるで、自分の心を見透かしたように。
 「誰のことですか?」
 いま自分が思い浮かべた人でないのなら・・・誰?
 ギルは琥珀色の瞳を僅かに細めた。
 レイは少し不安になる。
 こんなギルは見たことがなかった。
 「何も知らないままの方が幸せかもしれないとも思うが・・・」
 「ギル、何を言っているんです?」

 「でも、君はきっと思い出すべきなんだよ。君自身のために」

 ギルの手のひら。
 軍人の自分のものとは違い、整って綺麗な手。
 でも意外にも大きいそれが、ゆっくりとレイの顔に迫り視界を覆い隠した。
 目の前が、暗くなる。

 「すまないね」

 ギルの声。
 聞き慣れたその語尾が、僅かに震えていた。
 レイは何か言おうとして口を開きかけるが、声は空気にまぎれて消える。


 意識が、遠のいていった。 
 


 ―――そこには誰もいなかった。


 レイは探した。
 探す相手は誰でも良かった。
 とにかく独りが耐えられなかった。
 歩き回って大声で叫んだ。
 
 でも、誰も応えない。
 レイひとり。
 独りっきり。

 とても、寂しい。

 どれほど歩いただろうか。
 3歳ほどの小さな子供の足では大した距離ではなかったかもしれない。
 でも見知らぬ場所では距離感も、時間間隔すら曖昧で。
 それがさらに幼い心を困憊させていた。
 疲れたレイは立ち止まる。
 ほぼ同時に、我慢していた涙がこぼれ落ちた。
 止めることはできない。
 うつむいて、泣き出した。

 寂しい。
 どうして自分はこんな所で独りなんだろう。
 どうして誰も自分を迎えに来てくれないんだろう。

 誰か。
 誰か。
 レイを助けて。
 レイを必要だと言って。

 ―――どうしたんだ?
 
 突然頭の上から降ってきた声に、レイはびくりと顔を上げた。
 いつの間に傍にいたのだろう。
 背の高い青年がレイを見下ろしている。
 銀の髪をした、とても綺麗な人だ。
 ぼうっとなってその人を見つめていると、手を差し出された。
 白くて細い手。
 あまりに穢れの見えないそれに気後れしながらも、おずおずと自分の手を差し出して握る。
 ひんやりとした心地よい感覚。
 同時に流れ込んできた安堵感に、レイの顔に自然に笑顔が浮かんだ。

 ―――レイ・・・。

 青年がレイの名前を呼ぶ。
 少し驚いた。
 自分はこの人と知り合いだっただろうか。
 こんなに綺麗な外見なら、忘れようがないのに。
 名前を呼ばれ、レイは・・・返事をした。
 したような気がする。
 そのあとは・・・。



 これは夢?
 それとも、記憶?


 「レイ、顔がにやけてる」
 ルナマリアに指摘され、レイははっとして口元を押さえた。
 「珍しいわねー。いい事でもあった?」
 「・・・別に」
 普段は無愛想で悪かったな、と思いつつデザートのフルーツを口の中に放り込む。
 一方向かいに座っているルナマリアは、すでに食後のコーヒーに口をつけていた。
 レイが食事を取るときは一人のことが多く、今日もこの食堂にそのつもりで来たのだが、
 艦に戻ってきたルナマリアが何を思ったか黙って向かいに座ってきた。
 休暇をもらい、ディオキアのホテルで一夜を過ごした彼女はそのまま街に繰り出すものと思っていたのに。
 別にいて悪いことはないが、アスラン・ザラの後を追いかけてばかりいた彼女のこの行動には色々と勘ぐってしまう。

 「そういうお前は随分と機嫌が悪いじゃないか」
 「余計なお世話よ」
 かしゃん、と耳障りな音を立てて、ルナマリアのコーヒーカップがソーサーに着地。
 ・・・確かに余計なお世話だったらしい。
 こういう時のルナマリアを刺激しない方がいいということはアカデミーですでに学んでいる。
 どうもホテルに泊まった間に何かあったようだ。

 シンとの喧嘩だったのなら仲裁なり相談なりするつもりだったレイだが、
 原因がアスラン・ザラだということを何となく察し、立ち入るのをやめた。
 レイにとってアスラン・ザラの復隊は・・・いや、その存在自体が受け入れ難い。
 かつてザフトを離反した上オーブに亡命していたあの男。
 どうしてそんな奴がザフトに戻り、あまつさえ自分の上司になるのだ?
 議長命令だからどうしようもないのだが・・・。
 彼のことだから何か考えあってのことだとは思うけれど、昨日のうちにギルの真意を聞いておけば良かった。
 まさか早朝のうちに宇宙に帰ってしまうなんて。

 と、そこまで考えてレイは眉を寄せた。
 自分は・・・昨日の会談の後、何をしたのだったか。
 ギルとはそれっきりだったか。
 ・・・いいや。
 艦に戻る前に会いに行った、はずだ。
 そのはず、なのに。
 おかしい。
 昨夜の記憶が全くない。
 あの後、ギルに会いに行ったのか、行かなかったのか。
 どうやって艦に戻り、ベッドについたのかさえ記憶にない。
 自分は、一体・・・?
 
 「ところでレイ、ジュール隊長とは連絡取ってるの?」

 「・・・っ!?」
 突然ルナマリアからイザークの名前を出され、瞳を瞬く。
 慌てて意識を引き戻した。
 「・・・それがどうした?」
 「宇宙でずっと前線に立たれているんでしょう。気になるじゃない」
 反射的に頷く。
 混乱しかけていた頭を必死に整理し、記憶を昨日の夕方まで引き戻した。
 そう・・・議長がミネルバのクルーを集めて行った会談で、宇宙での小競り合いの話が出たのだった。
 ルナマリアはそのことを言っている。
 ようやく頭が冷えて、正常に思考が動き出した。
 
 「・・・開戦直後は1週間くらい連絡が取れなかったが、今はメールをやり取りしてる」
 「1週間も音信不通だったの?」
 そう聞き返したルナマリアの顔には信じらんない、と書いてある。
 イザークにべったりだったレイがよくもったものだとでも思っているのだろう。
 レイはなかなか連絡の取れなかった数日を反芻しながら言葉を紡ぐ。
 毎日のように出し続けていたメールの返事が届いたのはつい数日前だ。
 しかもメールのみで電子通信には応えてくれない。
 「ディアッカにも聞いたが、本国に呼び戻されたりしてたらしい」
 「ふーん・・・まあ開戦して本国はかなりばたばたしてたみたいだしね。
 ジュール隊長って軍でも結構偉い位置にいるし、仕方ないのか」
 コーヒーに砂糖を注ぎ足しながらルナマリアがぼやく。
 そして。
 ふと思いついたように口を開いた。
 「そういえば・・・ジュール隊長もクルーゼ隊だったのよね」

 「・・・クルーゼ、隊?」

 フォークを握る指が、震えた。
 「知ってるでしょ。あたしアカデミーで何回も話したし」
 忘れちゃったの?と呆れたように言うルナマリア。
 それに対し、レイは曖昧な返事しかできなかった。
 「前大戦のエリート部隊よ。ザラ隊長も元クルーゼ隊」
 ザラ隊長、のところで何かを思い出したのか顔を眇めるルナマリア。
 しかしレイはそれすら気付かない。
 クルーゼという一つの名前がぐるぐると頭の中を駆け巡っていた。

 クルーゼ隊。
 アカデミーでも何度も話題に上った隊の名前。
 今までずっと聞き流していたのに。
 どうして今、こんなに頭に響くのだろう。

 クルーゼ。
 クルーゼ・・・。
 知っている。
 彼を、知っている。

 ラウ・ル・クルーゼ。

 それが、君の。
 いや、俺の・・・。
 誰の言葉?


 ―――それが君の運命なんだよ。


 「うん・・・め、い・・・」

 「え、何?」
 レイの異変に気付いたのか、ルナマリアのうわずった声が耳に届く。
 一瞬眩暈がし、気が遠くなる。
 
 「・・・っ!」
 「レイ?・・・だ、大丈夫?」
 「・・・あ、あ」
 心配そうに自分を覗き込むルナマリアの瞳。
 レイはようやく我に返り、取り落としかけていたフォークを握りなおした。
 「あたし、なにか気に障るようなこと・・・言った?ごめんね」
 「いや、そうじゃない。少しぼうっとしていただけだ」
 「本当に?」
 「ああ、俺の方こそ驚かせて悪かった」
 寝不足かもな、と付け足して。
 レイは席を立った。
 
 大丈夫。
 何も恐れることなんかない。

 大丈夫。
 だって、自分には「彼」がいる。



 大丈夫・・・。



後編

BACK

2005/12/08