ラヴァーズ 〜遠い記憶〜
一生の不覚だ。
どろりとした生暖かいものが額から流れるのを感じながら、イザークが感じたのは耐え難い屈辱だった。
目の前にいる憎らしい男の顔が信じられない、という表情を浮かべ、次に申し訳ない、というものになる。
それがさらにイザークの気持ちを波立たせた。
と、左目にぴりっとした痛みが走り、瞬間的に目を閉じてしまった。
憎い顔は消えたが、気持ちが収まることがない。
耳に届くのはざわざわとした雑音と、自分の身を気遣うディアッカとミゲルの声。
しかしそれさえも鬱陶しい。
ぎりっと噛み締めた口の中に、金臭い味が広がった。
本物のナイフで勝負しようと言い出したのはイザークだ。
その前の日、イザークはナイフ授業の対戦でアスランを負かした。
だが授業が終わった後、教官がこっそり漏らした独り言を聞いてしまい、勝利のほろ酔い気分は一気に転落した。
―――ザラは手を抜いていた・・・。
アスランがイザークに負けるはずがない。
そういうことだ。
我慢ならなかった。
ぎりぎりの所で勝負してアスランを負かさなければならない・・・そう思った。
当然本物を使うことに最初アスランは渋ったが、弱虫だの何だの散々なじり、ようやくナイフを持たせることに成功した。
どこからかぎつけたのか勝負を始めると同時にギャラリーが集まり、大勢が真剣勝負を見守った。
そして・・・。
イザークは負けてしまった。
アスランは勝ち負けないだろうと言っていたが、イザークにとっては敗北だった。
傷の手当をした後、二人そろって教官に絞られ、ミゲルたちにはからかわれた。
しかも額を数針縫う派目になったイザークは貧血でひっくり返りそうだった。
「やっちゃったねぇ。ま、イザークらしいけど」
「・・・うるさい」
なれなれしく肩を抱いてくるミゲルから視線をそらせる。
長い教官の説教と怪我の痛みのせいで、振り払う気力も沸いてこなかった。
「でも、イザークは無茶苦茶ですよ。アスランを巻き込んで・・・」
「いいんだよ、ニコル。俺だって結局勝負受けたわけだし」
「そうそ、お互い様。両成敗でしょ」
「でも・・・」
珍しく口調が激しいニコルをなだめるアスランとディアッカ。
なんだか・・・腹立たしい。
「それにしてもさ、イザーク。どれくらい縫ったのよ?」
「・・・三針」
「あーあ。気の毒ー」
「黙れラスティ」
「いいじゃないの。アカデミーのいい思い出になったじゃない」
「ふざけるな。今すぐ忘れたい」
「まあまあ・・・」
いまだ機嫌が急落中のイザークの声音にミゲルが肩をすくめる。
アスランはいたたまれないような顔をしていた。
「その傷、多分一生残るぜ。大切にしろよ、イザーク」
ナイフにはアスランの血がついていた。
イザークの攻撃は一つも当たらなかったから、何かの拍子に指の腹を刃の部分に当ててしまったのだろう。
そしてアスランの血のついた刃は、イザークの額を傷つけた。
そこから血が混じりあい、一つに解け合うのではないかと・・・そんなことを、思った。
アスランもまたそういう風に思っていたと知るのは、それからずっと後。
戦争の中で次々に仲間を失い、地球という故郷から遠く離れた星で
アスランと二人残され、そしてアスランまでも去ると知った夜。
一人にしないでとすがった彼を受け入れ、その腕の中で溶けた。
窓の外が白むまで行為を繰り返し、それでも眠気を感じなかった二人は長く語り合った。
「その傷・・・やっぱり残ったんだね」
「ああ」
額に張り付いた銀髪をすくいながら、翠の瞳がかの印章をとらえる。
「俺の、ものだ」
「アスラン・・・」
指先が額に触れる。
不思議と胸が高鳴った。
「この傷も、君も・・・」
アスランがふと言葉を切る。
そして。
傷に口付けた。
そのまま、舌を這わせる。
アスランのその仕草を感じ取りながらゆっくり閉じられるイザークの双眸。
あまりにも甘いこの時間に、もっと酔っていたかった。