ロータスフラワー 〜おかえり〜
金髪の、小さな子供が泣いている。
迷子になったのだろうか。
歩み寄り、どうしたんだ、と声をかけた。
子供の肩がびくっと震える。
そして、ゆっくり顔を上げた。
飛び込んでくる鮮やかな色彩。
・・・ああ、とても綺麗な色の瞳をしている。
晴れ渡った青空がすぐに思い浮かんだ。
でも、今その瞳は涙で濡れている。
可哀想に。
親とはぐれて、一人で怖かったんだな。
俺は自分の手を、金髪の子供の方へと差し出した。
ふわりと。
目の前を銀の髪が横切った。
同時に鼻腔を甘い香りがかすめ、レイはくらりとする。
そして。
気づいた時には抱きすくめられていた。
背中に回された手は、見た目の印象とは対照的で温かい。
首から胸の辺りに感じる熱も心地よかった。
けれど。
「何だ、お前は・・・!?」
口から漏れたのは、拒絶。
彼を受け入れてはならない。
温かい。
心地良い。
懐かしい。
でも、彼を受け入れることを許してはならない。
思うように動かない体で、それでももがく。
「離せ・・・はな、せ!」
痛い。
頭が痛い。
がんがんする。
思い出してはいけない、そう言っている。
―――誰が。
誰が、そんなことを言っているの?
「嫌なら、思い出さなくていい・・・」
びくり。
体が揺れた。
「・・・ッ」
力をなくしてレイの腕がだらんと落ちる。
優しい言葉に、息がつまった。
違う。
嫌じゃない。
「ただ、少しだけこのままいさせてくれ」
「・・・お、れは」
本当は。
思い出したい。
「ずっと、こうしたかったんだ」
忘れていたんじゃない。
忘れたことにしたかっただけ。
記憶など、そう簡単に消えるものではない。
心に閉じ込めていた。
かつてラウの存在がレイの奥底に眠っていたように。
「お前を、抱きしめたかった」
―――・・・会いたい。
―――あなたを、抱きしめたい。
あの時抱きしめたいと言ったのは、レイ。
でも、それはイザークも同じで。
―――愛してる。
ぶつん。
レイの意識が一瞬ブラックアウトした。
すぐに我を取り戻したものの、膝が抜けてそのまま後ろに倒れこみそうになる。
「レイ!」
驚いたイザークが慌てて体を抱え直した。
「イザーク・・・イザーク・・・・・・イザ・・・」
「レイ・・・?」
レイの口から、泡を吹くようにイザークの名前が漏れた。
ただ抱きしめただけでのこの効果に、イザークの方が面食らう。
思い出した、のか?
「レ、イ・・・」
おそるおそる。
もう一度、名前を呼んだ。
レイの顔がこちらへ向けられる。
迷子になった子供のような、表情。
空色の瞳からはぼろぼろと涙がこぼれていた。
イザークは、思わず口にしていた。
「おかえり」と。
ああ、ここにいるのは、「イザークのレイ」だ。
「イ、ザーク・・・」
レイは涙に濡れた瞳を上げる。
ビー玉のように透き通ったそれは、先程とは比べ物にならないほど儚く揺れ続けていた。
「イザーク、助けて・・・」
「レイ」
イザークはレイの名前を呼び、震える肩を抱いた。
「助け・・・怖い・・・」
「大丈夫だ」
「でも、俺・・・怖・・・ッ」
「大丈夫。怖くないよ」
怖くないよ。
彼はそう言ったように思う。
はっきり覚えてはいないけれど。
どちらにせよ彼を見た途端、恐怖なんて吹き飛んでいた。
彼が手を差し出す。
迷うことなく、それを取った。
大丈夫。
大丈夫。
知らずに笑顔が浮かぶ。
一人じゃない。
もう、大丈夫。
レイは泣いていた。
イザークの腕の中で、嗚咽していた。
自分は一体、何になってしまうんだろう。
何になろうとしていたんだろう。
今まで積み上げてきた心の中の確固としたものが、土台から一気に突き崩された感じだった。
ギルバートへの忠誠心も。
歪み始めてもなお守り続けた仲間との関係も。
フェイスとしての自分の立ち位置も。
完璧に積み上げ塗り固めたと思っていたそれを、いとも簡単に突き崩すことができるのだ。
・・・イザーク・ジュールという存在は。
そんなことをするくらいなら、最初から手を離さないでほしかった。
一瞬でもアスランのものにならないでほしかった。
レイだけのイザークでいてほしかった。
そうだ。
全部・・・全部イザークのせいではないか。
この人は残酷だ。
どうしようもなく愛しくて、そして残酷な人だ。
レイはそう思いながら、その彼に抱かれて泣き続けていた。
ベッドは思った以上に粗末なものだった。
このメサイアができて以来、一度も使われていないのだろう。
何だかかび臭い。
硬いシーツに二人で横になり、無言で見つめ合った。
「アスラン、を」
しばしの沈黙の後、ぽつりと口を開いたレイ。
全て言わなくても、イザークには何を聞きたいのか分かった。
あの独占欲の強いアスランが、隠したままということなどない・・・そう思っていたから。
「そうだ・・・俺は拒めなかった」
静かに、肯定した。
抱かれた。
抗い切れず、その身を許した。
レイの瞳がまたぐらぐらと揺れる。
否定して欲しかったのだろう。
「言い訳はしない。でも・・・」
でも。
「俺が愛しているのはお前だ」
「うそ・・・」
「俺は嘘などつかん」
「う、そ・・・」
口で否定しながらも、レイはイザークから視線を離すことができない。
蒼い瞳・・・海の色。
初めて会った時・・・ガラス越しに見た彼の蒼は、今も変わらず美しい。
ゆっくりと。
顔を寄せた。
蒼い瞳の引力に、吸い寄せられる。
―――抗えない・・・。
だって。
こんなに愛しているんだもの。
愛してる。
忘れていたのではない。
心のずっと奥で眠らせていた感情。
荒んだ戦場の中で擦り切れ、もう少しで失ってしまうところだった。
―――ずっと、待っていたんですからね。