ロータスフラワー 〜誰〜
お互いに、しばし無言だった。
直接対面するのはかなり久しぶりだ。
ミネルバの進水式をアーモリー・ワンで迎えるレイをエアポートで送って以来。
それ以後も頻繁に通信やメールをやり取りしていたが、
ブレイク・ザ・ワールド事件の時も会うことはかなわなかった。
画面を介して切なげにイザークの名を呼び、「会いたい」と言っていたレイ。
そのレイが、今目の前に立っている。
「レ・・・」
「議長が」
「は?」
何とか気持ちを落ち着け口を開きかけたのに先を越されてしまい、イザークは言葉を飲み込んだ。
「議長が、あなたに会えと・・・そう言われたので」
「・・・」
つい少し前にギルバートの部屋で言葉を交わしていたのは他ならぬイザークだ。
レイは入れ違いでギルバートに会ったということだろうか。
いや、そんなことより・・・。
イザークは目の前に立つレイに困惑を深めた。
ここにいるのは、本当に自分の知るレイ・ザ・バレルだろうか。
控えめの金髪も、空色の瞳も、臙脂色の軍服も・・・確かにレイのもの。
だというのに、イザークはまるで別人を前にしているような錯覚に陥っていた。
見返してくる整った顔立ち。
間近で見ていて、よく知っていたそれ。
しかし、今はそこに表情と呼べるものが全く見えないのだ。
レイはイザークの前ではいつも素直に感情を表していた。
口には出さない分、よく顔に出ていたものだ。
一方でイザークやギルバート以外の前では無表情が多かったことは知っている。
だが。
これは「無表情」とはどこか性質が違うような気がした。
・・・無機質。
そんな言葉が当てはまる。
大抵無表情の多い人間は、自分の感情を覆い隠すために表情を作るものだ。
しかし、今のレイはイザークを前にしても何も感じていないかのようで。
「レイ、お前・・・どうした?」
「何がです?」
「・・・」
「あなたが私を呼んだわけではないのなら、もう行きます」
「ちょ、ちょっと待て!」
ご丁寧に敬礼までして踵を返そうとするレイに慌てて追いすがる。
家族同然に・・・いや、それ以上の関係だった相手に対してあまりに冷徹な態度に、心が波立った。
「レイ!」
「なんです?用があるなら言ってください!」
「・・・お前」
「大体、貴方は誰です?」
「・・・」
―――期限さえなければ・・・ずっと忘れさせたままでよかったんだ
―――君なら『今の』レイでも救ってくれるかもしれないな
レイは、レイではない。
この時、イザークが大声を上げなかったのは奇跡に近かっただろう。
癇癪を起こさなかったことも、また同じ。
ずっと後になることだが、イザークはこの時の行動について本気で自分を誉めてやりたくなったほどだ。
もしかしたら、その時点で何も取り戻せなくなっていたかもしれなかったから。
イザークは、切れるような瞳でただレイをひとにらみする。
そして、蝋のように白い手を伸ばして相手の腕を取り、黙って歩き出した。
「何を・・・ッ、どこに連れて行くんです?」
レイは一瞬声を高くしたが、生意気にも冷静な口調で尋ねてきた。
それにすら苛立ちを感じながら、イザークはレイの手を引いてずんずん歩みを進める。
こういうとき軍服が示す階級は便利だ。
レイは何とか掴まれた腕を引き離そうとはしているが、派手に騒ぎ立てたりあからさまに嫌がったりはしない。
ほとんど人通りはないというのにわざわざ声を潜めて、抗議し続けていた。
イザークほどの階級の将になると、このメサイアでも部屋を与えられていた。
事実イザークは、今日はここに停泊する予定で隊をディアッカに預けてきたのだ。
寄せ集めのデブリでつくった要塞であるため決して部屋の質は良くない。
作戦会議に専念するつもりで使うことはないだろうと思っていたのに、まさかこんな形で利用することになるとは。
扉を開け、レイを部屋に強引に引き入れる。
そのままロックをかけると、お互い向き合った。
「・・・ッ、なんなんです、一体!?何の権限があってこんなことを!」
さすがにレイの声も荒々しくなってきた。
薄暗い物騒な光が、空色の瞳に宿っている。
ここまできて、ようやくイザークはどうしたものかと呑気に考え込む。
レイが自分を覚えていないのは嘘や冗談ではないようだ。
「レイ・・・」
とりあえず、名前を呼ぶ。
すると意外にも静かな口調で何ですか、と返ってきた。
「俺が分かるか?」
「知りませんよ。あなたに会ったのは初めてです」
淡々とした言葉がかえって心に突き刺さる。
「貴方は誰です?」
感情のない瞳。
抑揚のない声。
無機質な表情。
「・・・ッ」
苦しい。
イザークは苦しかった。
ギルバートの言った通りだ。
ここにいるのはレイではない。
イザークのレイではありえない。
苦しい・・・。
眩暈がした。
空調設備はしっかりしているはずなのに、息のつまる感覚が消えない。
「お前は・・・お前こそ、誰なんだ?」
「え?」
搾り出すように吐き出されたイザークの言葉に、思わぬ質問を投げかけられたレイが目を見張った。
くしゃりと自分の銀髪をかきあげて息を吐くと、イザークはふらりとよろけてドアに背中を預けている。
唖然とした。
強引に自分をここに連れ込んだ横暴な男。
それが、いまや自分が発した何気ない一言に今にも崩れ落ちそうなのだ。
押しのければ、簡単にドアからどくかもしれない。
なのに、レイはそれができなかった。
「誰だ?お前はレイじゃない・・・」
「俺は、レイ・ザ・バレルです」
「違う・・・」
ふるふるとイザークの首が左右に振られ、くせのない銀髪も合わせて揺れる。
そして頭垂れた。
レイは、知らず知らずそんな彼の仕草に見入っていた。
自分はこの銀髪の青年のことを知らない。
だが、青年の方はレイを知っている。
そのくせレイに向かって誰かと問う・・・さきほどからそれを尋ねているのはレイの方なのに。
さらに名前を名乗れば「違う」と否定されるのだから始末に終えない。
どうしろというのだろう。
「あなたは・・・誰ですか」
「・・・『レイ』なら、知っている」
「記憶にありません」
「なら、お前は俺のレイじゃない」
―――俺のレイ。
何て傲慢な言葉だろう。
けれども、それは何故かとても自然にレイの耳を通り過ぎた。
沈黙が降りる。
イザークは動かない。
レイは動けない。
全室に備え付けられたスピーカーも切られていたのか、本当に静かだった。
互いの息遣いしか聞こえない。
「・・・たのに」
「え?」
辛うじて鼓膜に届いた声。
レイは瞳を瞬く。
―――愛したのに。
そう、言わなかっただろうか。
けれど、聞き返す前にイザークがずるずると壁伝いにドアから体をのけた。
うつむいたまま搾り出すように言葉を紡ぐ。
「もう・・・いい」
「・・・」
「もう、行け・・・」
「よろしいんですか?」
イザークが顔を上げる。
泣いているかと思ったのに、そうではなかった。
ただ、顔が紙のように白い。
氷のように冷たく、冴えたものを感じさせていた瞳は、僅かに潤んで澄んだ海を思わせた。
どこまでも透明で、ガラス玉のよう・・・。
ガラス玉・・・?
レイははっとして、ますますイザークの瞳に見入る。
前に・・・ずっと前に・・・この瞳を見たことはあっただろうか。
あの時・・・あの時とは?・・・あの時はガラスが二人の間を隔てていて。
彼はやはり血の気のない顔をして。
そして、レイを見た。
海の蒼。
―――ギル、あの綺麗な人は誰ですか?
「早く行け・・・」
「・・・」
「俺も会議に、出ないと・・・」
「本当に?」
「?」
「本当に、行きますよ・・・?」
「行けばいい。さっきまで嫌がっていたじゃないか」
その通りだ。
なのに何故今になって部屋を出るのがためらわれるのかレイにも分からなかった。
いいや、本当は分かっている。
自分はやはり、この青年を知っているのだ。
記憶にないはずがない。
表面的に無表情を保っているものの、頭の中では覚えのないイメージがめまぐるしく駆け回っている。
しかもそのイメージのどの場面にも、目の前の彼がいた。
「本、当に・・・」
頭が痛み出す。
締め付けられるようなそれに、顔が歪んだ。
「行ってしまって・・・いいんですね?」
痛い。
痛い。
痛い。
この部屋を出れば痛みは治まるかもしれない。
でもそれが出来ない。
ようやくイザークもレイの様子がおかしいことに気が付いた。
いや、自分のことを忘れている時点ですでにおかしいのだが。
「・・・そうだな」
ふと、思いついた。
思い出したのだ。
彼が・・・「イザークのレイ」が、最後に言った言葉。
―――・・・会いたい。
―――あなたを、抱きしめたい。
「最後に、抱きしめていいか?」
「・・・え?」
「お前を、抱きしめたい」