リディア 〜イザーク〜




 負けた。
 もう勝てない。
 
 崩れゆくメサイアで司令室を目指しながら、レイは銃を強く握り締めた。
 悔しくなかった。
 ・・・あれほど憎んでいたはずなのに。
 ただ、ただとても悲しかった。

 レイには守るものがあった。
 シンやルナマリアと同じように、守りたいものがあった。
 だから力を求めた。
 けれど。
 レイは負けた。
 彼らの圧倒的な力の前では、レイの存在など、これまでの苦しみなど。
 ないに等しかったのだ。

 何も守れない。
 守ると言ったのに。
 あの人のプラントを守ると、そう言ったのに。
 レイの望む世界では、守ることができないのだ。


 ―――戻ってきてもいいんだよ。
 ―――いつもあなたを待っているから。
 ―――あなたの居場所はここにあるから。

 ごめんなさい、イザーク。
 俺は戻れない。
 俺が望んでいた世界は、夢のまま終わる・・・。
 調停された、完璧な世界は訪れない。
 今までどおり、混沌とした世界が続く。
 
 ―――あなたを愛しているから。
 ―――だから。

 俺も愛しています、イザーク。
 でも、駄目なんです。
 この世界に必要なのはあなた。
 未来に必要とされているのはあなた。

 ―――戻っておいで。

 戻れない。
 あなたの望む場所には・・・。

 この世界は・・・この世界の最も醜い部分が俺を生み出した。
 そして生みの親であるこの世界こそが俺の存在を憎んでいる。
 この世界にこれから生きていく、あなたの元には帰れない。


 ―――必ずあなたの元に帰ります。
 
 あなたは悲しむかもしれないけれど。

 ―――帰れます、俺は。

 大丈夫。
 必ずまた会える。

 ―――もう帰り道は知っているから
 
 そして今度は。
 俺があなたを待つから。

 いつまでも。
 待ちますから。


 それを為すためには・・・。
 引き金を引かなくては。
 あの傲慢な男が、最後の最後でためらうというのなら。

 自分が。




     フェブラリウス市、ノイマイヤー病院
     ○月○日、17歳から20歳のザフト兵(男)を収容
     両足骨折、左肩脱臼、脳波検査での異常は確認できず


 案内された病室。
 整えられたベッドの上に、彼はいた。
 イザークは数歩前で立ち止まり、彼を見る。
 対して彼は視線を落としたまま、イザークに顔を向けようともしなかった。

    
 白人系
     髪の色 ― 肩までのブロンド
     瞳の色 ― やや薄いブルー
     身長 ― 170cm弱

 主治医だという医師が、発見された時の状況や現在の状態などを説明し始めたが、
 それは全てイザークと彼の間を通り過ぎる。
 無言で、ただ食い入るように彼を見つめるイザークに、
 医師の方もさすがに口を閉ざして様子を伺った。
 やがてイザークは。
 静かな口調で、二人にして欲しいという旨を伝えた。
 
 二人きりになると、イザークはゆっくりした足取りで彼のベッドに近づく。
 上半身を起こしていた彼は、ようやくイザークの存在に気付いたのか顔を上げた。
 空色の瞳に、イザークが映る。
 まるで・・・珍しいものを見るかのような顔だった。

     記憶障害を起こしている模様、言語不明瞭
     名前、年齢、出身地、すべて不明

 「怖い目に、合ったのか?」
 イザークは、頬を緩めて笑顔を作った。
 なるべく優しい声音で問いかける。
 「あ・・・ぁ、う」
 「ん?」
 「・・・ぅ」
 彼の言葉は不明瞭で要領を得ない。
 いや、おそらくは意味のある言葉を言っているのではないのだろう。
 データにあった通り、精神にダメージを受けているのだ。
 痛ましい思いで青年を見つめる。
 と、何を思ったか彼の手がイザークの頬へと伸びた。
 ひやりと冷たい手のひら。
 イザークも、頬に当たるその手に自分の手を上から重ねた。 
 「お前も、迷子なんだな」


 彼は、レイではなかった。


 ―――どんなに時間がかかっても・・・
 ―――その間にあなたが他の人を好きになっても

 「そうか。もう帰っていたのか」
 イザークは、青年の手を取ったままゆっくりと立ち上がった。
 いつの間にか、その頬は涙で濡れている。
 「馬鹿なレイ・・・」

 ―――少しだけ・・・ほんの少しだけ
 ―――あなたの心に俺の居場所を残して置いてください

 レイによく似た青年。
 静かに涙を流し続けるイザークを、不思議そうに見つめている。
 そっと。
 イザークは、名も知らぬその彼を抱きしめた。
 「お前は待っている人のところに・・・その人の望む場所に、ちゃんと帰れるといいな」

 ―――愛してる、イザーク




 自宅の門をくぐろうとIDカードをスキャンしようとした時、
 イザークはロックが解除されていることに気付いた。
 一瞬出る前にロックをかけ忘れたのかと思ったが、それならオートで修正されるはずだ。
 よく見れば何らかの機材で解除された形跡があり、イザークの肌が泡立った。
 シンがそんなことをするはずがない。
 外部の人間の仕業としか思えない。
 「シン・・・ッ!」
 イザークはキーを挿しっぱなしの車をそのままに、玄関へと駆け出した。
 ザフト最強と謳われたシンのパイロットとしての能力を狙うものは多い。
 それ以外にも、外交や政治絡みのカードとしての価値が彼にはある。
 前にもそれで連れ去られそうになったことがあったのだ。
 この家のシステムはそう簡単にハックできるものではない。
 そんな危険を冒してまでこの家に入り込むとなれば、やはり狙いは・・・。

 玄関に近づくと、言い争う声が耳に届いた。
 一方はシンのものだ。
 最悪の場合を考え、イザークは銃を取り出す。
 やがて二つの人影が視界に飛び込んできた。
 「動くな!手を上げろ!!」
 夜の闇に、イザークの声が響く。
 すると、玄関の丁度入り口に立っていたシンがイザークの姿を認めた。
 「た、隊長・・・」
 「シン、無事か?」
 「はい・・・でも・・・」
 言った通り、シンは何もされていないようだった。
 ただ戸惑ったようにイザークとそしてもう一人・・・例のロックをハックしただろう人物へと視線を交互に移す。
 イザークも振り返ったその顔を見て、銃を持つ手の緊張を少しだけ緩めた。
 「アスラン・・・」
 「やあ」
 「まだここをうろうろしていたのか」
 イザークの皮肉にも、アスランは堪えた様子を見せなかった。
 「銃を下ろしてくれないか?俺がシンに何かするはずないだろう」
 「・・・どうだかな」
 心はずたずたにしたくせに、よくもそんな台詞が吐けたものだ。
 そのくせ本人は自分の方が一方的な被害者だと思っているのだろうから恐れ入る。

 ところが。
 イザークがどうしたものかと唇を噛み締めた時。
 アスランが、ふっと視線を落とした。
 笑われたように見えて。
 イザークは。

 唇をそのまま噛み切るところだった。


 「・・・違っただろう?」
 蒼眸が大きく見開かれる。
 反対に、表情は硬く凍り付いた。
 「レイは、死んだ」
 イザークは応えない。
 シンだけが訳が分からず二人の顔を見比べている。

 「いないんだ!レイはいない!
 お前じゃなく議長を選んだ!議長と・・・グラディス艦長と一緒にメサイアで死んだんだ!!」

 がくり、と。
 イザークの右手が下りた。
 銃が滑り落ち、芝生の上に音もなく転がる。
 それには目もくれず、イザークはふらふらと玄関へ歩き出した。
 「イザーク・・・」
 呼びかけるアスラン。
 しかし。
 イザークは彼には目もくれずに脇を通り過ぎる。
 「イザーク!!」
 アスランの、悲鳴のような声。
 どうして・・・。
 どうして今なお自分を拒むのだ、と。
 拒み続けるのだ、と。

 アスランの叫びを無視したイザークは、ようやくその危うい足取りを止めた。
 シンの目の前。
 うつむいたまま。
 黙ったまま。
 「たい・・・ちょう・・・」
 シンの指が、ゆるゆると白い頬に寄せられる。
 硬く凍り付いていたその顔。
 暖かい指が触れたとき。
 まるで水が波紋を描いたように、感情が灯る。
 くしゃり、と端整な顔が歪んだ。

 「ーーーーーーーーーッッ!!!!」
 
 イザークがシンの痩身にしがみつく。
 同時に膝の力が抜け、ずるずるとタイルの上に二人で座り込んだ。
 「う・・・うぅっ、う・・・うわぁあああぁぁっーーーッ!!」
 シンの腕の中で。
 イザークは、声をあげて泣いた。
 赤ん坊のように泣くイザークに最初こそ驚くシンだったが、すぐにその理由を察した。
 シンも震える肩を抱き返し、涙を流す。
 
 「イザーク・・・シン・・・」
 アスランが、戸惑った表情で泣き続ける二人に声をかけた。
 イザークは反応すらしなかったが、シンは濡れた瞳を静かに上げる。
 「行ってください・・・」
 「シン、俺は・・・」
 「お願いです、アスラン。今日だけは、行って下さい」
 それだけ言うと、もうシンはアスランを見ようとしなかった。

 しばらくは立ち尽くしていたアスランも。
 やがて、静かにジュール邸を後にした。
 



←BACK  MENU→



2006/03/18