迷走




 『・・・それで君は、離反していく部下たちに対し、何の手立ても講じなかったのだね』
 「説得はしました」
 もう何度目になるのか、同じ応えを口にする。
 上ばかり見上げているので、首が痛かった。
 『まあ、あんな頭の悪い呼びかけにほだされるくらいだ。説得などしたところで無駄だろうね』
 『他に方法は思いつかなかったのかね?』
 「・・・はい」

 イザークを取り囲むようにしている高い壁のようなもの・・・陪審席。
 手錠をかけられたイザークを、何とかいう分野の専門家や数名の評議会議員がそこから見下ろしている。
 ラクス・クラインを名乗る謎の部隊と接触してから数日後。
 部下の離反を許してしまったイザークは隊長職をとかれ、本国で査問にかけられていた。
 覚悟はしていたものの、半日もかけてヒヒジジイどもの嫌味を聞くのは堪える。
 これで処罰を受けるのが自分のみだということがはっきりしていれば、同じく嫌味で返してやるのだが・・・。

 『イザーク・ジュール』
 名前を呼ばれ、声の主へと少し顔を向ける・・・面倒なので、視線までは動かさなかった。
 『君は軍法書を読んだことがあるかね?』
 「無論です」
 『それはおかしいな』
 『脱走者は銃殺刑となっていなかったかな?』
 「存じております」
 『おやおや』
 笑い声が聞こえる。
 ・・・何が面白いというのだろう。
 『ジュール隊長、君の行為はテロリストに貴重な戦力を分け与えたようにしか見えないのだが』
 『それも積極的に』
 『部下とはいえ、テロリストに加担するくらいなら・・・と情けはかけてやれなかったのか?』
 『その場で君がすべきだったことは、武力を行使してでも離反者を止めることだったはずだ』
 『正常な思考の持ち主ならそうするだろう』
 『脱走者の中に君の副官も含まれていたな』
 『彼とは親友だったそうじゃないか』
 『そういえば、アスラン・ザラも君の元同僚だったな・・・』

 その場で脱走者を殺せばよかった、と。
 随分簡単に言ってくれる。
 自分たちは銃を握ったことすらないだろうに。

 『よろしいでしょうか、皆さん』

 その場を制した声に、全員の視線が集まった。
 ようやく締めのようだ。
 イザークは静かに息を吐く。
 たとえどんな処分が下されようとも、せめて見苦しくないよう背筋を伸ばして顔を上げた。
 ちょうどイザークと向かい合うよう場所に座っている人物・・・ギルバート・デュランダルの、琥珀色の瞳とかち合った。
 『ジュール隊長、私が君に聞きたいことは一つだ』
 「・・・」
 『君は部下たちや他の隊の隊員が脱走するのを傍観した。
 止めようとした者たちを制し、発砲を許可しなかった・・・間違いないね?』
 「間違いありません」

 『その判断は、本当に正しかったのかね?』

 琥珀の瞳が、イザークを射る。
 普段のデュランダルが見せるものと同じものとは思えないほど、冷たく鋭いものだった。
 値踏みしている・・・まだ自分にとって価値があるかどうか、見極めようとしているのだ。
 ああ、そうか。
 アスランも、ディアッカも、これに耐えられなかったのか。

 「正しい判断だったと、私は信じます」
 きっぱりと言い切ったイザークに、周囲がどよめいた。
 一方で、デュランダルの冷たい眼光はまだ揺らいでいない。
 臨むところだ、と睨み返した。
 「発砲を命じれば、離反者は反撃するでしょう。コーディネーター同士の争いになります」
 『そうなるくらいなら、テロリストに武力を分け与えると?』
 「いいえ、ザフトに残った良心ある兵士たちのためです。
 脱走者とはいえ昨日まで味方だった者を撃てといわれればためらうでしょう。
 逆に脱走した方は必死でしょうから、こちらに反撃することは厭わなかったと思います」
 『・・・なるほど、筋は通っているね』
 デュランダルが目を伏せる。
 その仕草は優雅で、それでいてどこか毒々しく見えた。


 『イザーク・ジュール。正式な処分が下るまで、自室謹慎とする』




 オーブ戦が終了した直後、ミネルバでは一つの事件が起きていた。
 といっても、「事件」と捉える者は極少だったが・・・それでもルナマリアにとっては事件だった。
 戦闘からまだ数時間。
 負傷し医務室に運ばれたはずのシンが、看護師が目を離した隙にいなくなってしまったのだ。
 命に関わる怪我ではなかったとはいえ全身打撲に肋骨を二本骨折しているから、
 一人で歩き回るのはかなりつらいはずだ。
 それなのに一体どこに行ってしまったのか。
 手分けして艦中を捜すべきだと軍医に訴えたが、艦長への報告以外はすげなく却下されてしまった。
 「今は戦闘の直後で皆忙しいんだよ。彼一人のために迷惑をかけるわけには行かない」
 現在ミネルバは太平洋を航行している。
 医務室は抜け出せてもミネルバから外に出ることはできないし、
 逆に敵が侵入してくることはないと安心しているのか。
 それはまあ・・・そうかもしれないが、
 以前シンが捕虜を連れ去った件で腹を立てているらしく、軍医も看護師たちも我関せずといった態度だ。
 結局ルナマリアは軍医たちの説得を諦め、自分で捜し回った。
 レイはこういうときに限って見当たらなかったし、ヴィーノやヨウランは中破したデスティニーに掛かりきりだったからだ。
 しかし艦中を歩き回っても見つからない。
 敗戦のショックで海に身を投げはしないかと普段なら決してしない危惧を抱いて甲板にまで上がったのだが、
 シンを見たというクルーはいなかった。

 「・・・大体、何で私があいつを捜さなきゃいけないのよ」
 通路を歩きながらぼやく。
 もう放っておこうかとも思ったが、何故かそれはできなかった。
 おそらくは初めて見た、あのシンの涙がちらついて離れない。
 
 泣かないで、と願った。
 あの涙を拭って、抱きしめたいと思った。
 どうしてだろう?
 彼はメイリンを・・・ルナマリアの妹を殺そうとしたのに。


 そうこうしているうちに結局艦を一回りしてしまった。
 やはりタリアに何か手をうってくれと頼んでみようと考えながら居住区に戻ったルナマリアは、
 自分の部屋の前に誰かが立っていることに気付いた。
 一体誰だろうと目を凝らせば、ひょろっとした体つきに赤い軍服、そして髪は黒・・・。
 「シン!?」
 探し回ってた相手がまさか自分の部屋の前にいるとは夢にも思わず、素っ頓狂な声を上げてしまう。
 しかし振り返ったのは、紛れもなくシン・アスカだった。
 一応いつものように軍服はまとっているものの、怪我のせいか顔が蒼白だ。
 「何やってるのよ、あんた!?医務室抜け出して・・・ずっと捜してたのよ?」
 「捜して・・・くれた?」
 「な・・・ッ、だ、だからッッ。私は・・・」
 別にあんたが心配だったわけじゃない。
 ルナマリアはそう言ってやりたかったが、
 どこかうつろで、でも真っ直ぐに見つめてくる赤い瞳に言葉を飲み込んだ。
 「俺、役立たずだから。もう・・・愛想つかして声もかけてくれないかと思った」
 「何馬鹿なこと言ってるのよ、とにかく医務室に戻るのよ」
 ルナマリアはシンの手を掴み、医務室に連れて行こうとする。
 しかし、シンは逆にその手を引いて抗った。
 「シン?」
 ルナマリアは無理に連れて行こうとはせず、立ち止まってシンの様子を伺う。
 シンはうつむき、黙って首を振った。
 「行きたくないの?」
 今度は頷く。
 「なら・・・どこに行きたいの?」
 シンが顔を上げ、またルナマリアを赤い瞳に映す。

 「ルナのいるところ」

 その色は。
 今までに見たことがないほど静かで、澄んでいた。








 シンを部屋に入れると、まずはタリアにシンの所在を報告した。

 『そう、見つかったの。良かったわ・・・。
 少しの間でかまわないから、シンを頼んでいいかしら?』
 絶対に何か言われるかと覚悟ていたのだが、そう切り出したタリアにルナマリアも返答に窮する。
 「・・・はあ」
 『軍医には私から言っておくわ。・・・すまないわね、あなたも疲れてるのに』
 「い、いいえ。別に看病とかするわけじゃ・・・。とにかくこの部屋で寝かせておきます」
 『よろしく頼むわ、ルナマリア。また連絡するから』
 
 「私のベッドでよかったら・・・じゃなくて、私のベッドなんだから光栄に思って横になりなさい」
 部屋に入ってもぼんやり突っ立ったままだったシンの軍服の上着を剥ぎ取り、
 自分のベッドに押し込む。
 シンは素直に従った。
 そのまま彼の額に手を当ててみるが、熱などは特にないようだ。
 「・・・ごめん」
 「別にいいわよ。でもどうしちゃったのよ、医務室抜け出して人に心配かけたと思えば今はやたら素直だし・・・」
 「・・・」
 「まあ、いいわ。とにかく今は休みなさい。艦長から連絡があったら叩き起こすからね」
 「寝たくない」
 「眠れないの?誘眠剤だったら私のやつあげるわよ」
 「ゆうみんざい?」
 とろんとしていたシンの目がせわしなく瞬きを始め、ルナマリアはしまったな、と思った。
 しかし今更誤魔化しても仕方がない。
 「最近眠れなかったから。・・・だからよ」
 ルナマリアはそれしか言わなかったが、理由は明らかだった。
 メイリンのことしかない。
 シンが作り出した悲しみしか・・・。

 「俺は・・・」

 「え、何?」
 冷蔵庫でミネラルウォーターを取り出したところだったルナマリアは、
 聞こえるか聞こえないかのシンのつぶやきに怪訝な顔で振り向いた。
 「俺は・・・俺のすることは全部、人を傷つける」
 「シン?」
 ルナマリアは不安になり、ペットボトルを手にしたままシンの傍らへと戻った。
 するとシンがこちらへ顔を向ける。
 まるで迷子になった子供のような表情だと思った。

 「傷つけることしかできないの?俺は守りたいのに・・・大切な人を守って、幸せになってもらいたいのに」
 シンのせいで、ルナマリアは心に大きな傷を負った。
 彼女だけではないだろう。
 シンが屠った命、それによって傷ついた心は数え切れない。

 「守りたい・・・守る力が欲しいのに、傷つけたくなんか、ない・・・ッッ!」

 シンは誰も守れない。
 それはアスランに負けた時に証明された。
 アスランと彼の国オーブは、シンの大切なものを脅かす。
 ・・・それに屈したのだから。

 「ステラも、守れなかった・・・。守るって言ったのに・・・」

 守りたいと願った。
 それだけのことができる力を持っていると思った。
 だが彼女は死んだ・・・あの高慢な白い機体の刃によって。

 「ステラ、死ぬの怖いって・・・死にたくないって、だから、俺・・・」

 死ぬのは怖い。
 ステラはそう言って泣いた。
 だからシンは、彼女を守ろうと・・・。

 「違う」

 突然声音を変えたシンに、彼の独白に耳を傾けていたルナマリアははっとした。
 シンの体が震えている。
 「シン?・・・どうしたの、震えてるわ。具合が・・・」
 「俺が怖いんだ」
 「え?」

 「死にたくないのは俺だ・・・ステラじゃない!」

 ルナマリアは唖然とする。
 死にたくない。
 進んで戦いに身をおき敵陣に踏み込んでいくシンが、死を恐れている・・・? 
 「死ぬのは嫌だ・・・」
 シンは頭に手を置き、かばうように体を折り曲げる。
 体の震えはさらに酷くなっていた。
 「死ぬのはイヤだ・・・怖い!」
 「シン、落ち着いて・・・ッ」
 「イヤだ・・・死にたくないよ!!」

 そこにいたのはザフトのエースパイロットではなかった。
 死に怯える、あまりに小さくか弱い少年だった。
 ルナマリアは思わず彼の肩を抱こうとして、しかしその手を押しとどめる。
 彼は自分の妹を殺そうとした・・・。
 確かにメイリンは裏切り者だけれど、でも・・・。
 どんな理由であれ、姉である自分がシンを許しても良いのか?
 
 「・・・て」
 「え?」
 「助けて・・・」
 「・・・」
 シンが顔を上げる。
 苦しそうとか、辛そうとか・・・そんな簡単なものでは表せない、
 あまりに悲痛ですがりつくような瞳をしていた。

 「たすけて、ルナ!!」

 シンの悲鳴と同時に、ルナマリアは彼を抱きしめていた。
 ペットボトルが音を立てて転がり、床がこぼれた水に濡れた。
 「たすけ、て・・・」
 ルナマリアの胸にすがりつき、シンが子供のようにすすり泣く。
 優しく抱きとめながら、ルナマリアは決心した。
 シンの乱れた髪を撫でながら、あやすように語り掛ける。
 「大丈夫・・・大丈夫よ」
 守れない彼を、傷つけることしかできない彼を、誰も受け入れようとしないのなら。
 「私が全部許してあげる」
 他の誰が許さなくても、自分だけが許そうと思った。
 それがメイリンとの家族の絆を揺るがすことになってもかまわない。
 
 「私がずっと傍にいてあげる。あなたの傍で・・・あなたを許し続けるわ」
 





 覚醒して、シンが一番最初に感じたのは肌に感じるぬくもりだった。
 体を動かそうとしたが、わき腹に鋭い痛みが走って呻く。
 そこで自分がオーブ戦で怪我をしていたことを思い出した。
 医務室に運ばれて、抜け出して、そして・・・。
 「・・・!」
 一気に顔に血が集まった。
 あろうことか、自分はルナマリアに抱きついたまま眠っていたのだ。
 オーバーヒート寸前の頭を何とか制御し、柔らかい感触に名残惜しさを感じながらもそうっと彼女の腕から抜け出す。
 ルナマリアはシン以上に疲労がたまっていたのか熟睡していた。
 その寝顔を見ながら、シンは彼女の前でさらしてしまった自分の醜態を思い出す。
 死にたくない。
 自分にあんな弱い部分があるなんて信じたくなかった。
 守るために力がなくては、強くなくては駄目だと思っていたから、その心をずっと封印してきたのだ。
 ステラのことだって、何よりもシン自身が死を恐れていたから必死になっていた。
 戦争に巻き込まれたステラは、もう一人のシンだったから。
 衰弱していく彼女を見ていられなくて、だから連合の・・・あの二枚舌の男に返してしまった。
 ・・・ステラを殺したのは、シンの弱い心だ。

 ―――私が全部許してあげる。
 「許して、くれる?」
 ステラを殺したのに。
 アスランを、メイリンを殺そうとしたのに。
 他にも沢山の人を・・・。
 何よりルナマリアを深く傷つけた。
 ―――あなたの傍で・・・あなたを許し続けるわ
 「・・・」
 眠り続けるルナマリアの顔はあどけない。
 シンはシーツを引き寄せ彼女にかけると、赤い髪をない混ぜて軽くキスを落とす。
 そして、何かを決意したように立ち上がった。



 「シン、あなたは本当にそれでいいの?」
 「・・・はい」

 タリアは差し出されたケースを見やり、長い息を吐く。
 傍らにいるアーサーもまた、困惑した顔で視線を泳がせていた。
 艦長室のドアの前で、訪問者であるシンが無表情で立っている。
 タリアもアーサーも、こんなシンの顔は見たことがなかった。
 何だか憑き物が落ちたといっていいのか・・・かといってすっきりしたという表現は適格でないような気がした。
 人形のような、どこか無機質な印象がある。
 感情の塊だった彼が、何かを堺に感情を取り落としてしまったかのようだった。
 「シン・・・考え直した方がいいんじゃないのか?」
 伺うように言ったアーサーに、シンはただ首を横に振る。
 表情はやはり変わらなかった。
 「だけどなシン、せっかく議長が君の功績を称えて・・・」
 「もういいわ、アーサー」
 「か、艦長?」
 さらに説得をしようとしたアーサーをタリアが制した。
 「分かりました。あなたの意思は、私から議長に伝えておくわ」
 「しかし艦長ッ」
 「・・・よろしくお願いします」
 抗議しようとするアーサーを無視し、シンは敬礼をしてさっさと艦長室を出て行ってしまった。
 今までとは別人のような振る舞いの彼に、タリアもアーサーも固まってその背中を見送る。
 しばしの沈黙の後、アーサーがさらに困惑した顔で口を開いた。
 「シンの奴、どういうつもりなんでしょう?
 医務室を抜け出してどこかに行ったかと思えば、突然ここに現れてフェイスの称号を返上してくれなんて・・・」
 頭でも打ったんじゃないですか、と本気とも冗談ともつかないことをぼやくアーサーを、タリアはにらみつける。

 「あの子だって、きっといろいろ考えることがあるのよ。・・・誰かさんと違ってね」



 「シン、どこに行ってたの!?」
 「・・・ルナ」
 部屋に戻る途中でルナマリアに出くわした。
 何も言わずに出て行ってしまったからまた心配させてしまったのだろう。
 ルナマリアはこちらに駆け寄る。
 そして顔色を良く見ようとシンの前髪を軽く払った。
 猫を思わせる、こぼれそうに大きな瞳がシンを映す。
 「急にいなくなるから・・・もう」
 「ごめん。艦長のところに行ってたんだ」
 「そう。ご迷惑をかけたこと、ちゃんと謝った?」
 こくんと頷くと、それならいいわ、とルナマリアは微笑んだ。
 するとルナマリアと一緒だったのか、シンに気付いた軍医もこちらにやってきた。
 さすがに彼が怪我をしたまま丸一日行方不明になっていたことに不安を抱いたらしい。
 「見つかったか・・・。まったく、つくづくしょうがないやつだな、君は」
 「すみませんでした」
 素直に謝ると軍医は機嫌を直したらしく、肩をすくめながらも医務室へと促す。
 「とにかく戻って検査だ。それで何もなかったら部屋に帰っていいから」
 

 
 簡単な問診と視診、そして痛み止めを処方されただけで検査はすぐに終わった。
 ヨウランとヴィーノも心配して訪ねて来て、そのまま四人で食堂に行くことになった。
 「シン、本当に大丈夫なのかよ?」
 「・・・平気。心配かけてごめん」
 「デスティニーはぼろぼろになったけど、大した怪我じゃなくて良かったな」
 「アスランにやられたんだろ。メイリンも・・・許せないよなっ」
 「・・・」
 「あ、ああ!もち俺たちはルナマリアのことは信じてるぜ!!」
 「いいの。気にしないで」
 「そうそう!シンを助けたのだってルナマリアなんだろ?」
 「・・・そうなの?」
 「そうなのって・・・。お前、覚えてないの?」
 「覚えてない」
 「ひでー。命の恩人だぜ?ちゃんと礼言っとけよ」
 ずっと一緒にいたはずなのに、ヨウランたちと面と向かって話すのも久しぶりのような気がする。
 つまり、それだけ自分のことしか考えず、自分のことしか見えていなかったということだろう。

 食堂への廊下を四人で進んでいると、シンと並んで歩いていたヴィーノがおや、という顔をした。
 その視線は廊下の先に立っている人物へと注がれている。
 「レイだ」
 ヴィーノの声に、皆が顔を上げる。
 レイがこちらを見て仁王立ちしていた。

 「シン!!」

 廊下に響き渡った声に、その場にいた全員がぎょっとする。
 それだけ鬼気迫ったような声だったからだ。
 レイがこちらへつかつかと歩み寄る。
 いつも冷静な彼らしくなく、ものすごい形相をしていた。
 「シン、お前どういうつもりだ!!?」
 「な、何!?どうしたの?」
 レイはシンの前で立ち止まったかと思えばその胸倉を掴み上げた。
 ルナマリアたちは訳が分からず呆然とし、周りにいた者たちもどよめき始める。
 「レイ、お前何やってるんだよ!」
 「シンは怪我してるんだぞ。やめろ!」
 ヨウランとヴィーノの制止をものともせず、レイはされるがままのシンの体を激しく揺さぶった。

 「フェイスを辞退しただと!?よくも議長のご好意をッッ!!」

 「・・・え?」
 「な、嘘・・・」
 レイの言葉がにわかには信じられず、その場にいた全員が固まった。
 それはルナマリアも同様で・・・だがシンの胸元にフェイスバッチがないことに気付いて冗談ではないと認識する。
 大体レイがここまで怒っているのだ。
 シンは本当にフェイスの辞退を申し出たのだろう。
 しかし、何故・・・?
 
 「何とか言え、シン!お前一体何を考えている!!?」
 「やめて、レイ!」
 レイはシンを追い詰める手を緩めない。
 シンの表情が明らかに痛みに歪んだのを認め、ルナマリアは間に割って入った。
 「お願い、やめて!どうしたのよ、レイらしくない・・・」
 「・・・お前のせいか」
 「レ、レイ?」
 息のかかる距離で、空色の瞳がこちらに向けられる。
 ありありと浮かんだ怒気の色に、ルナマリアは身がすくんだ。
 「昨夜、シンと一緒にいたそうだな?何を吹き込んだ・・・!?」

 レイの手がシンの首から離れる。
 そしてそれは彼の頭上に上げられ・・・勢いよく振り下ろされた。
 ルナマリアの顔めがけて・・・。
 「・・・!!」
 
 ばしっ。

 レイの前で、細い体が吹っ飛んだ。
 それはそのままよろめいて、床に膝を付く。
 その瞬間、あたりはしんとしていた。
 ヴィーノやヨウランはもちろん、その場にいた誰もが信じられない、という顔で固唾を呑む。
 殴った当人であるレイでさえ。

 凍った空気を氷解させたのは、真っ先に我に帰ったルナマリアだった。
 「シン!!大丈夫!?」
 悲鳴に近い声を上げてシンに寄り添う。
 口内を切ったのか、うつむく彼の唇の端からは血が流れていた。
 ルナマリアが殴られる直前にシンが前に出て、彼女の代わりに殴り飛ばされたのだ。
 あっという間の出来事だったので、レイも手のスピードを緩める余裕などなかった。
 「シン、お前・・・」
 怒りが醒めたのか、単に事実を受け止め切れていないのか、レイはだらんと腕を下ろす。
 困惑した表情で立ち尽くしていると、シンがルナマリアとヨウランに支えられながらゆっくり立ち上がった。
 「シン・・・」
 「心配いらないよ、レイ」
 シンが顔を上げ、レイを真っ直ぐ見返した。
 「フェイスは無理ってだけだ。ちゃんと、戦うよ・・・『議長の』敵と」
 「・・・!」
 「自分で決めたんだ。ルナは関係ない」
 
 赤い瞳がレイを映す。
 今までどこか夢と現を行ったりきたりしていたそれが、静かに相手を見据えていた。

 「自分で決めたんだ・・・」



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2007/02/28(ブログより移行)