ミネルバへ
「びっくりした、シンがレイにあんなこと言うなんて・・・」
「・・・やっぱり、生意気だったかな」
「ううん。カッコよかったよ」
ざざっ、と海が泣いた。
甲板の手すりにもたれるシンとルナマリアは、浮かんでは消える波をひたすら眺めていた。
あの後、騒ぎを聞いて駆けつけたタリアの鶴の一声で事態はひとまず終息した。
フェイスとはいえ明らかに騒動の原因だったレイは同じフェイスであるタリア自身によって艦長室に引っ立てられ、
シンは医務室へ逆戻りをした。
治療はそれほど時間を要しなかったものの、二人はそのまま甲板へと非難したのだ。
今頃シンがフェイスを辞退したということで、艦内は大騒ぎだろうから。
「・・・ねえ、どうしてフェイス辞めちゃったの?」
「・・・」
フェイスバッチを議長から渡されたとき。
議長はシンたちの力を頼りにしていると言った。
そして裏切るな、と言った。
軍で戦績を上げれば当たり前に聞こえる、その言葉。
しかし・・・それは枷ではなかったか。
「フェイスそのものが嫌になったとか、そういうことじゃない。ただ・・・けじめをつけたいと思ったから」
「けじめ?」
「俺さ、力があればなんだってできるって思ってた。
オーブで家族が死んだのは、俺に力がなかったからだって・・・」
「・・・」
「実際そうなんだと思う。力が全てだ。
・・・今のオーブなんかはそういう考えで好き勝手やってるし、アスランも力にすがってる」
「そうね」
「でも、俺には無理なんだ。誰かを守るとか、救うとか・・・そんな器量じゃなかった。
すごく、すごく小さな存在だった」
「・・・それは罪じゃないわ」
「そうかもしれない。そうかもしれないけど・・・もう、何も考えたくない、疲れたよ・・・」
「シン・・・」
「だからフェイスを辞退した。資格がないから。ただの一兵士として、やり直した方がいい」
「やりなおす・・・」
「すごく無責任なのは分かってる。議長もがっかりすると思う。でも俺、ホントに疲れちゃって・・・」
語尾がかすれた。
シンはうつむき、そのまま手すりに額をごりごりと押し付ける。
ルナマリアは黙って、潮風になぶられる黒髪を指ですいた。
波が、止まった。
「・・・ルナ」
「何?」
否、ミネルバが航行を止めたのだ。
白い筋が消え、美しいインゴットの海が浮かび上がる。
「俺は誰かを守る力なんかなくて、人の命を奪うだけだけど・・・またルナを傷つけるかもしれないけど・・・。
それでも、ここにいていいと思う?」
「・・・言ったでしょう」
波のない海は静かだった。
「私があなたを、ずっと・・・許し続けるって」
「シンがフェイスを辞退したいということにも驚いたが・・・タリア、君は本当に面白いことを言うね」
ギルバート・デュランダルは、こちらを真っ直ぐに見つめる水色の瞳に笑いかけようとして・・・失敗してしまった。
衛星通信を挟んで向かい合うタリア・グラディスの表情は、いつにも増して険しい。
「どういうことかな?シンと・・・ルナマリア・ホークを引き離すな、と言うのは」
シン・アスカがオーブ戦で裏切り者、アスラン・ザラの乗る機体に敗北したこと。
その直後にフェイスバッチをタリアに預け、
フェイスの称号を返還したいという意思を示したことはすでに報告されていた。
ちょうどこの間に「議長のラクス」と「オーブのラクス」が世界に同時に披露されるという事件が起こっており、
デュランダルにとっては頭痛の種が一気に増えたことになる。
そんな彼にため息をつかせるまもなく、タリアはデュランダルにシンとルナマリアを引き離すなと切り出したのだ。
「おかしいな。私はあの二人を引き離すと口に乗せた記憶など・・・」
『馬鹿にしないでくださる?』
デュランダルに最後まで言わせず、タリアは冷徹に切り捨てた。
『あなたがレイに命じて色々小細工しているのは知っています』
「そ、そんな。考えすぎだよ、タリア」
『・・・とにかく!』
タリアは作り笑いを浮かべるデュランダルをより強い眼光でにらみつける。
『どうせこの一件はレイに任せるつもりでしょう?あの子は二人を引き離せと必ず口にしますわ』
「い、いや・・・だからだね・・・」
『あなたのために言っているのよ、ギルバート!あなたにとって、シンはまだ必要な「道具」でしょう!?』
「・・・」
『・・・』
デュランダルは目を見張り、タリアも一瞬僅かな動揺を見せた。
口に出して言ってみて、何て最低な言葉なのかと認識したのだろう。
彼女にとって、部下を戦力と言う数字に変換するのは割り切ることはできてもためらいがあるのだ。
それでも彼女は意を決したように、再び口を開いた。
『断言しますわ。ルナマリアが傍にいなければ、あの子は壊れます』
「こわれる・・・か」
『シンに必要なのは、「あなたの」レイではなく、ルナマリアです。
困るでしょう?今シンが壊れたら・・・あなたの大事な「道具」が壊れたら・・・ッッ』
ヴんっ、とくぐもった音がして、画面が僅かに乱れた。
タリアが勢いに任せて机を叩いたらしい。
「落ち着いてくれたまえ、タリア」
『・・・』
「それにしても酷いな。私はシンのことをモノ扱いなどしたことはないよ?」
『・・・口では何とでも言えますわね』
苦笑いして肩をすくめる。
確かに何を言葉にしても、今の彼女には信じてもらえないだろう。
「とにかく・・・君の話は良く分かったよ。シンの気持ちもね。その件に関しては評議会で討議しよう」
『・・・お願いしますわ』
タリアの挑むような水色の瞳は揺らがない。
言葉と裏腹なのはどっちだと言いたくなった。
「そんなに睨まないでくれ。
確かにシンには期待しすぎて重荷を背負わせてしまったのかもしれないな。反省しているよ」
『本心でおっしゃっているのなら、シンに直接伝えてください』
「それはもちろん」
即答する。
・・・が、自分でも顔が引き攣っているのが分かった。
薄暗い執務室で、デュランダルは一人の青年と対峙していた。
真っ直ぐに立ち、こちらの視線を静かに受け止める彼を、値踏みするように見る。
男相手に言うのもなんだが、彼は本当に美しい顔立ちをしていた。
銀糸の髪に、サファイアの瞳。
かつて顔を横切っていた大きな傷跡は消えていて、
あの時に比べると中性的な美貌がいくらか柔らかくなっている。
彼の体つきは華奢な印象があったのだが、
こうして向かい合ってみれば、どちらかというと長身の部類に入ることが分かった。
「座りたまえ、イザーク・ジュール」
イザークが謹慎を言い渡されてから一週間が経っていた。
エリート街道を突き進んでいた彼が査問にかけられ処分を下されればそれなりのダメージがあるものと思っていたが、
一週間前のナイフのような鋭さは全く損なわれていない。
むしろ秘書も同席させない密室で一人で待ち構えていたデュランダルに、挑むような気迫さえ感じられた。
ふとデュランダルはアスラン・ザラに復隊を促した時のことを思い出す。
やはりこの部屋で、彼と一対一で語り合った。
状況は全く同じだったが、イザークは受身だったアスランと全く逆のタイプだとすぐに察する。
父の罪から逃げ、故郷に背を向け、己を他人の正義に依存させようとしていたアスランと違い、
イザークは明確な意思を持って軍に属している。
そしてそれはラクス・クラインやオーブが掲げる理想には微妙なずれがあるはずだ。
・・・かといって、デュランダルの描く未来に彼の意思が馴染むのかと問われれば首を縦に振ることを躊躇してしまう。
イザーク・ジュールがラクスの呼びかけに逆らってまでザフトの戦士であり続けるのは、
今のところデュランダルがプラントのための政策を優先しているからなのだろう。
オーブ戦を跨いだこの一週間、デュランダルは諸々の仕事に追われる一方で彼の処遇をどうすべきか考え続けていた。
イザークはザフト内では人気があり、民衆にとってもヤキン・ドゥーエの英雄だ。
出戻りだったアスランを切り捨てた時と同じようにはいかない。
けれどもこのままお咎め無しにしてしまい、再び隊を率いる立場に戻すのもやはり危険だ。
そんなことを考えていた時、シン・アスカがフェイスを辞退したがっているという話がミネルバからもたらされたのだった。
イザークが言われた通りにソファに座ると、デュランダルはいつもの柔和な笑みを浮かべた。
「イザーク、君には色々と不快な思いをさせたようだね。・・・本当に申し訳なく思っているよ」
いかにもすまなそうに振舞ったのに対し、イザークはただ二、三度瞬きしただけだった。
次の言葉を待つアイスブルーに、デュランダルの気分も僅かに高揚する。
この掛け合いは、デュランダルにとってもイザークにとっても賭けなのだ。
「君の部下を思いやる気持ちは痛いほど分かってはいたのだが、こうせざるを得なかったんだ。
事が事だし、君の立場を考慮するとやはり・・・ね」
「理解しております」
「それはそうと・・・、例の『オーブのラクス・クライン』を見たかね?」
「見ました」
即答したイザークの表情は変わらない。
デュランダルが言ったのは、プラントのラクスとオーブのラクスが全世界にさらされた事態のことだった。
謹慎中といっても許容された通信機器を使うことはできたイザークは、あの奇怪な放送をちゃんと見ていたようだ。
あれからまだ数時間しか経っていない。
二人のラクスの出現に世界は・・・殊にプラントは大きな衝撃を受けていた。
デュランダルもそれを感じ取り、だからこそイザークを呼び寄せたのだった。
彼を試すために・・・。
「どうかな?君の隊に奇天烈な説得をし、部下たちを連れ去ったラクス・クラインと同一人物だったかい?」
「・・・」
「どちらが本物だと思う・・・?」
「興味がありません」
「・・・ほう」
「私はラクス・クラインの命令で戦っていたわけではありません。
まして『オーブのラクス』がプラントでない他国に依存しているのであれば、
本物であろうが偽者であろうが相手にする気もありません。ザフトはプラントを守るためにある・・・違いますか?」
イザークがつんと顎を上げる。
口調は静かだが、内心はかなり苛ついているのか挑発的な態度だ。
しかしデュランダルは気を悪くするどころか満足げな笑みを浮かべた。
どうやら彼の理想とプライドと能力を効率的に使う場所は一つしかないようだ。
オーブ戦での敗戦より37時間後。
一名のパイロットの転属がミネルバに伝えられた。
オーブ戦後の三日目の朝。
ルナマリアに誘われて朝食の席に着いたシンは、アビー・ウィンザーという新任オペレーターと同席した。
メイリンの代わりにオペレーターとなった彼女と初めて言葉を交わすことになったのだが、
同じ年頃の女の子同士ということでルナマリアが上手く話を繋ぐ。
そんな中、その名前が出てきたのだ。
「イザーク・ジュール?」
「それって・・・、もちろんジュール隊隊長のイザーク・ジュールよね」
思わず身を乗り出したシンとルナマリアに、アビーははい、と頷く。
「シンさんたちにはもうすぐ発表があると思いますよ。パイロットとしてこの艦にいらっしゃるみたいですから」
「パイロット?指揮官じゃなくて?」
「あ・・・うーん、どうでしょう?朝の艦長と副長の話をちらっと聞いただけですから。
でも確かにおかしいですよね。大部隊の隊長が・・・こっちに左遷、栄転・・・どっちだろ」
今現在のミネルバは知名度が上がり、エリート艦というイメージがザフトの中では強いのは確かだ。
しかし、ザフトでも若くして隊を率いるイザークがミネルバの一パイロットとは・・・。
その上ここにはタリア、レイという特務隊フェイスが二人もいる。
左遷と断言するにはためらいを覚えるが、やはり厄介払いの感が否めなかった。
「そういえば・・・逃走兵を見逃した指揮官が査問にかけられたってレイが言ってた」
「ああ、それですよ。ジュール隊長のことです」
「テロリストに兵を譲ったんだろうって追求されたのよね。
いくら裏切り者だからって、自分の部下を簡単に撃つなんてことそうそうできないわよ」
「・・・そうだね。俺と逆だね」
「あっ」
自分の失言に、ルナマリアが口を押さえる。
しかしシンは、特に応えた様子もなかった。
「ごめん」
「謝る必要なんてないよ」
シンは笑みさえ浮かべている。
オーブ戦を境に、彼は激しい感情をほとんど表に出さなくなっていた。
落ち着いたといえばそうだが、やや口調が幼くなったと思えなくもない。
「ジュール隊長か・・・。いい人だといいね」
「そうよね。アスランみたいに、仲間・・・って思ってなかったんでしょうけど、
とにかく私たちに必要以上に無関心で、最後には女の子を巻き込んで裏切るような人はごめんだわ」
「あ、でも・・・」
「何?」
何かを思い出したように宙を仰いだアビーに、二人は首を傾げる。
「これも艦長が言ってたんですけど、ジュール隊長ってアスラン・ザラと同じ隊だったって・・・」
「その通り」
アビーの言葉に凍りついた空気を割ったのは・・・。
「レイ」
「隣、いいか?」
「あ、はい。どうぞっ」
レイがアビーの隣の席に座る。
どうでもいいが、一体どこでシンたちの会話を聞いていたのだろう。
明らかに表情を曇らせたルナマリアに対し、シンはいつもの調子でレイに問いかけた。
「アスランとジュール隊長が同じ隊だったって本当?」
「本当だ」
「でも、第二次ヤキン・ドゥーエ戦では隊長だったって・・・」
「そうだ。でも隊長に昇格したのは終戦間際。それまではエリート部隊、クルーゼ隊だった」
「ふーん。じゃあ、アスランのこと良く知ってるんだね」
「不安か?」
「ちょっと・・・」
シンはレイから視線を離すと宙で泳がせる。
それを観察するように眺めているレイに、ルナマリアは口を尖らせた。
「レイ・ザ・バレル特務隊員殿。ジュール隊長について随分お詳しいようですが、お会いになったことでも?」
「・・・いいや、ない」
「あらそうですの」
二人の間の冷え冷えとした空気に、ぼんやりした顔のシンと何も知らないアビーがきょとんとする。
「どちらにしろ、宇宙に上がれば会えるさ」
連合のダイダロス月基地がレクイエムを発射したのは、その僅か二時間後のことだった。
レクイエムの発射は、プラントにかつてない被害をもたらした。
血のバレンタインの時の比ではない。
明らかに大量殺戮のみを想定して開発されたそれは、10ものプラントを焼いた。
そのうちの8はヤヌアリウス市、2はディゼンベル市だ。
プラントの市民ははるか遠くの宇宙から自分たちを狙う兵器を恐れ、逃げ場を求めて彷徨う。
最高評議会議長ギルバート・デュランダルは、月基地の連合軍をテロリストとみなし、
レクイエム破壊をザフト全軍に命じたのは当然の行為だっただろう。
レクイエムの次の発射までの時間は限られていた。
出発直前の、30分間。
ブリーフィングルームで保安兵同席という条件で、イザークは恋人に会うことができた。
こちらの姿を認めるなり抱きついてきた彼女の体を受け止める。
無重力だったため、反動で二人の体は回転した。
「シホ」
「イザークッ」
こちらの息が詰まるほど抱きついてくるシホに苦笑する。
イザークが拘束されている間は外部からの通信は一切遮断されていたため、会うのは十日振りだった。
見張りの保安兵の視線もかまわず口付けを交わせば、さすがに遠慮したのか部屋から出て行く。
それを確認し、二人は窓際の椅子に座った。
そこからはこの港のドックを見下ろすことができる。
「転属のこと、聞きました・・・。あなたほどの人がミネルバとはいえ一パイロットなんて・・・」
「自分で選んだことの結果だ。受け入れるしかない」
「でも、せめて一度マティウスに帰るくらい・・・ッ。エザリア様も心配していらっしゃいました」
「仕方ないさ。こうなった以上、もたもたしていられない」
イザークの転属は、本来ならミネルバが本国に帰艦するのを待って完了する予定だった。
しかし、それをさせなかったのが連合月基地の予期せぬ攻撃、レクイエムだ。
ヤヌアリウス市とディゼンベル市を崩壊させた大災害で、プラントとザフトは現在混乱を極めている。
プラントに住む自分たちが生き抜くためには、早急にあの大量破壊兵器を破棄せねばならないのだ。
イザークも、レクイエム破壊任務に向かったミネルバと月で合流することになったのである。
従ってイザークが解放されてから自由にできた時間は五時間にも満たず、母エザリアにも短い通信しかできなかった。
肩を寄せ合って互いの体温を静かに感じていた二人だが、シホがドックを見下ろしながらふと口を開く。
「あの機体・・・」
「ああ。ご丁寧に、俺用に用意してくれたんだとさ」
イザークの口元が皮肉に歪む。
ドックで整備士たちの最終調整を受けているのは、白色美麗に輝くMSだった。
ZGMF-X1002/K3 『アイスファング』。
ボディのパーツ各々にブースターが取り付けられ、驚異的なスピードを可能にした接近戦重視のMS。
ザクの流れを汲んでいるもののスマートな形状はガンダムに近く、僅かモノアイが名残を残すのみだ。
機体そのものが有する防具は腰部装着のライフルと肘間接部分装備のレーザーナイフ、肩部のシールドだけだが、
接近戦をクリアする別オプションとして、薙刀状ランス『コッカトリス』を装備する。
もちろん一番の特徴は、白く滑らかな光沢の装甲だ。
オーブに現れた金色のMSほどではないが、対ビーム攻撃に効果があり、その防御力はフェイズシフト装甲を上回る。
・・・もちろん目立って的にされる確立は格段に高いだろうが。
型式番号内に「X=未知」が入っていることからも分かる通り、試作段階の機体なのだ。
だからと言って、一日や二日で簡単にこしらえることができる代物ではない。
あの男は前もってこの事態を予測していたような気がしてならなかったが、
監視の目がある以上、シホのためにもイザークはそれを口に出さなかった。
時はあっという間に過ぎ、廊下に控えていた兵が面会の終わりを告げる。
まだ犯罪者扱いなことにうんざりしながらも、イザークはシホの手を取って立ち上がった。
「『約束』がどんどん先送りだな・・・。すまない」
「いいえ・・・」
「母に後のことは全て任せておいた。お前はとにかく、体をいたわれよ」
「はい。イザークも気をつけて」
次の再会はいつになるのか。
はたまたその機会自体が再び訪れるのか。
今の二人には見当もつかなかった。
「ではいいなルナマリア。タイミングを誤るなよ」
いつもの冷淡な口調のレイに、ルナマリアは挑むように頷いた。
「俺達も可能な限り援護をする。だが基本的にはあてにするな。すれば余計な隙が出来る」
「 レイ!」
「分かってるわ。ご心配なく」
動揺を隠して返事をすると、レイもそれ以上は何も言わなかった。
この不可解な雰囲気に、シンだけがきょろきょろと落ち着きない。
「では行こう。今度こそ失敗は許されないぞ」
ヘルメットを手に取り、エレベーターへと向かうレイ。
シンもそれに続こうとしたが、ルナマリアはその手をやんわりと掴んで制した。
「シン・・・」
赤い瞳がきょとっとこちらを映す。
それに軽く微笑み、次いでレイへと視線を滑らせた。
叱責の一つや二つはあるものと覚悟していたが、レイは意外にも「急げよ」と短く言っただけで、
一人でエレベーターに乗り込んで行ってしまった。
二人きりになると、ルナマリアはそっとシンの体を抱き寄せる。
頬に、見かけより柔らかいシンの黒髪が触れるのを感じた。
「気をつけて・・・」
「ルナも」
シンの方も抱き返してくれる。
彼の優しい体温に、ルナマリアはつい先まで感じていた緊張が解けてゆくのを感じていた。
この戦闘で、自分は重大な役割を担うことになった。
今まで以上に危険で、何より責任の重さが半端ではない。
レイの挑発しているとさえ思える態度もそれゆえだろう。
けれど、ルナマリアの不安はすでに消えていた。
シンがいるというだけで・・・。
不思議だった。
もしかしたら、憎んで憎んで・・・永久に分かり合えなかったかもしれないのに。
今こうして自分たちは抱き合っている。
「でもやっぱり駄目だよ」
「え?」
シンがルナマリアの肩を掴んで体を離し、真剣に見つめ返してきた。
「ルナが一人でレクイエムの砲のコントロールを落とすなんて・・・危険すぎる!」
「シン」
「やっぱりそれは俺が・・・」
「シン!」
シンはルナマリアから体を離すとエレベーターに向かおうとする。
今からレイに直談判するつもりなのだ。
ルナマリアは慌ててそれに追いすがった。
「シン、同じことよ・・・。あなたたちの役割だって、充分危険だわ」
「ルナ・・・」
二人の体はエレベーターの手前で止まり、無重力に弄ばれるも、その視線だけは変わらず互いを映し合っていた。
しばらく沈黙が続く。
やがてルナマリアがゆっくりと瞳を伏せ、ふわりと微笑んだ。
シンは思わず息を呑んで見入る。
子供を安心させる時のような、優しい母親のような笑みだった。
「私は大丈夫よ。信じてよ」
「・・・でも」
「私、そんなに頼りない?」
「いや、そういうわけじゃ・・・」
「じゃあ行きましょ。きっとレイがいらいらしながら待ってるわ」
「・・・ル、ルナッ!」
エレベーターのボタンを押そうとしたルナマリアを、今度はシンが止める。
苦しそうな顔をしていた。
覚えている・・・オーブ戦でアスランに叩きのめされた直後、ルナマリアの部屋で見せた時と同じ顔だ。
青ざめた唇が何か言葉を紡ごうと喘いでいる。
「・・・ッ」
「シン?」
「ルナは・・・インパルスは、俺がッ」
「シン・・・」
「俺が、守るから・・・ッ」
「駄目よ」
ルナマリアの言葉に、シンがはっとする。
そう。
地球でもシンはルナマリアに「守る」と言った。
けれど彼女は・・・「守られる」ことを、拒んだ。
「守らなくていいの」
「ルナ・・・」
「私の命は、私が背負うわ」
「背負う・・・」
「そうよ。・・・だから、あなたも」
ルナマリアはシンの顔を引き寄せ、額にちゅっ、とキスをする。
「無事に戻ってきてね」