ステラの叫び(後編)
シンは大きな真紅の瞳を見開き、彼を見つめていた。
ネオ・・・。
ステラがずっと呼び続けていた名前。
信頼を寄せていた相手。
だからシンも信用した。
―――約束、するよ。
戦争のない、死ぬことのない、優しくて暖かい世界に・・・。
「・・・死ぬのは嫌だ」
声音は静かで、酷く澄んでいた。
全員が訳の分からないまま、引き込まれる。
「死ぬのは嫌だ・・・怖いッ、死にたくない!!」
語尾は悲鳴に変わった。
赤い瞳は焦点を失って彷徨い続けている。
アスランたちは戸惑うばかりだが、ただ一人、ネオだけは幽霊でも見たかのように真っ青な顔をしていた。
「どう・・・して・・・?約束・・・したのにッ」
「・・・!」
「優しくて・・・あったかい世界に、返すって・・・なのに」
「馬鹿な・・・」
「ムウさん?」
よろめいたネオを、隣にいたキラが怪訝に見やる。
だが、今のネオには自分を案じるその声すら苛立たしい。
今・・・彼の目に映っているのは、シンではなかった。
「どうして、ネオ!?どうしてステラをあんなものに乗せたの!?」
「ステラ・・・!!」
シンではない、別の名前を叫んだネオ。
その場にいた全員がぎょっとする。
その中で、アスランはようやくシンとネオが以前に顔を合わせていたことを気付いた。
ステラ・・・あのエクステンデットの少女の名前だ。
思い当たって舌打ちする。
いくら危険な任務だったからといって、ネオを連れてきたのは失敗だった。
「ステラ・・・仕方なかったんだ、俺は・・・」
「い、いや・・・ッ、怖い・・・!」
シンが後ずさる。
すると、今まで彼にかばわれていたミーアがその背中を支えた。
その手には、いつの間にかシンが落とした銃が握られている。
銃口はアスランへと向けられていた。
彼女は先ほどとは表情が一変し、強くこちらを睨みつけている。
ミーアにまで敵意が滲み出たことにアスランは慌てた。
「シン・・・!落ち着くんだ。ミーアもこっちに・・・さあ」
なるべく二人を怯えさせないよう、優しく語りかける。
しかし、逆にシンの顔はさらなる恐怖で固まった。
「あ・・・ああ・・・」
「シン!」
・・・覚えている。
脳裏に映し出される空。
オーブの海。
青に映える赤い機体・・・ジャスティス。
あの強さ。
受けた痛み。
殺意・・・!!
「嫌だ!殺さないでッッ!」
「シ・・・」
「俺、死にたくない・・・ッ、ステラみたいに死にたくないよ!!!」
アスランは愕然とする。
シンは明らかに自分を認識している。
そして、恐れている・・・。
まるでバケモノでも見るかのように。
「シン、しっかりして。大丈夫よ」
「シン!」
ミーアとレイも、懸命にシンをなだめる。
さすがにこのままではいけないことは二人にも分かった。
「ミーア・・・」
「来ないで!撃つわよ!!」
歩み寄ろうとするアスランに、ミーアが銃を構える。
だが。
「きゃあっ!」
がうんっ、とものすごい音がはじけ、ミーアの手から銃が飛ばされた。
「・・・もうやめろ。君たちは安全なところに、議長の手の届かないところに連れて行く」
「・・・」
ミーアの銃を撃ったアスランが歩み寄る。
丸腰になってしまったミーアとレイは身をこわばらせた。
まだ白い煙を吐いているアスランの銃は、今度はレイに向けられている。
「・・・!」
二度目の銃声が、響き渡った。
レイは死を覚悟した。
アスランは自分を憎んでいるだろう。
殺したくて仕方ないはずだ。
・・・だが。
痛みはいつまでたってもやってこなかった。
「・・・ッ」
「アスラン!」
「ど、どこから?」
撃たれたのはアスランだった。
銃を持っていた手を撃たれて呻いている。
見れば反対側の入り口に、十数人の一団が銃を構えて立っていた。
ミーアの護衛か、あるいはラクスたちを捕らえに来たデュランダルの私兵か・・・。
と、そのうちの一人が飛び出した。
アスランはすかさず銃を拾い反対の手で撃とうとする。
だが、その手は途中で止まった。
「ルナマリア・・・?」
飛び出した少女は、ルナマリアだった。
こちらには目もくれず、一直線にシンたちの下へと駆け寄る。
そして三人の前に、庇うように立った。
「・・・動くなよ、アスラン」
「・・・ッ、イザークか」
名前を呼ばれ、シンたちから再び一団へと視線を動かせば、見知った顔があった。
アスランは唇を噛む。
自分を撃ったのは間違いなくイザークだろう。
・・・こんなところで再会することになるとは。
彼らの登場で、一転して不利になってしまった。
やはりレイを早々に撃ち殺し、シンとミーアを拉致同然でも保護すべきだったのだ。
説得したいというラクスの我侭に付き合うのではなかった。
「・・・逃げるぞ」
仲間にしか聞こえないように呟いたアスランに、全員がはっとするのが分かった。
アスランはイザークの腕前を知っているだけに、怪我をしたこの状況で勝つ自身は無かった。
しかも相手の数の方が多いのだ。
ここは逃げるしかない。
この後ろはそのまま地下のショッピングモールに繋がっているので、追われても逃げ切れる可能性が高い。
まあ、それくらいは計算して張り込んでいたのだが。
「ここまで来て、諦めるというのですか?」
咎めるようなラクスの声にアスランはいらついた。
誰のせいでこんなことになったと思っているのだ、この馬鹿女は。
「俺は逃げる。死にたければ勝手に残ってくれ」
「・・・ッ、仕方ありませんね」
ラクスは渋々ながら承知する。
それを聞いたキラとネオも逃げの体制を取った。
じりじりと後ろに下がる。
するとそれに気付いたらしい相手方のサングラスの女が足を踏み出そうとするが、イザークが何かを言って止めた。
無理に追撃すればこちらがシンたちを傷つけるとでも言っているのだろう。
偽者であるミーアはともかく、パイロットのシンやレイはまだ議長にとって利用価値があるはずだ。
何とかなる・・・。
そう思ったのは、つかの間だった。
「あ・・・ッ、ああ、あ・・・」
「シン、シン・・・しっかりして。どうしちゃったの?」
シンを抱くルナマリアの最後の言葉は、レイへと向けられたものだった。
レイはいまだに血を流し続ける傷口を押さえながら、ミーアに支えられて体を起こす。
「やはり、連中の中にロゴスがいたんだ・・・シンが守りたかった少女を殺した男がそこに・・・」
「え?」
「だから、パニックを・・・」
ルナマリアは顔を上げる。
十歩ほどしか離れていない石畳の上。
数人の男たちと、そして・・・。
「メイリン・・・」
メイリンが立って、こちらを真っ直ぐに見ていた。
アスランたちは逃げようと後ずさっているにもかかわらず、彼女は立ち尽くしたまま微動だにしない。
「メイリンッ、なにぼうっとしてるんだ!早くしろ!」
アスランの咎めの声も、彼女には届いていないようだった。
気味が悪いほど無表情で、光のない瞳でこちらを・・・正確には、シンを抱いているルナマリアを映している。
ルナマリアの背中に冷たいものが走った。
だが、逃げなければと頭が警報を発した時には。
すでに、相手は銃をこちらに突きつけていた。
「メイ・・・」
「離れて!あたしのおねえちゃんよ!!」
「メイリン!」
メイリンが向けている銃口の先は、シンだった。
アスランたちもイザークたちも、突然様子を変えたメイリンにぎょっとする。
ルナマリアが慌ててシンの頭を抱え込み、レイがさらにかばうようにその前に出た。
一触即発の雰囲気に、どちらも下手に手を出せなくなってしまう。
「何でよ・・・!」
「メイリン、やめて」
「おねえちゃん、何で!?何でそんな奴かばうのよ!?」
「・・・ッ」
「あたしを殺そうとしたのよ?そいつは人殺しよ・・・!
なのに何でおねえちゃんとそいつが一緒にいるの?抱き合ってるの!!?」
「メイリン、いい加減にするんだ」
アスランがメイリンの腕を掴もうとするが、彼女触れる前にそれを振り払った。
「許さない・・・。あたしが正しかったのに、否定するなんて・・・・」
「メイリン、違うわ」
ルナマリアは首を振る。
何が違うのかは分からなかったが、それでも他に言葉が見つからなかった。
「許さない・・・レイも、シンも・・・おねえちゃんも!」
言葉とともに、また一つ銃声が響いた。
シンはルナマリアの腕の中で、それを見ていた。
守りたいのに。
傷つけたくないのに。
それなのに・・・。
大切な人は皆。
自分を守り、傷ついていく。
桃色の髪がひるがえる。
鮮血がいくつも花を咲かせて。
少女の細い体が倒れていく。
不思議と音は聞こえなくて。
シンはそれが夢の中の出来事なのかと思った。
「・・・ミーア?」
どさり。
シンたちの目の前で、ミーアの体が地面に仰向けに倒れた。
「メイリン、早く来い!」
アスランの叱咤する声とともに、ラクス一行の足音がばたばたと遠ざかる。
それを追って、シンたちの目の前を通り過ぎるデュランダルの私兵。
そして。
シンとルナマリアとレイと、倒れたミーア・・・そしてイザークが残された。
「ミーア?」
シンはルナマリアの腕の中でもぞもぞと動く。
何がどうしてこうなってしまったのか分からなかった。
さっきまで、シンはミーアを守っていたはずなのに。
アスランたちの銃口から、かばっていたはずなのに・・・。
いつの間にかここにいないはずのルナマリアに抱きかかえられていて、
怪我をしているはずのレイが背中を向けて自分をかばっている?
それに・・・。
「ミーア、どうして?」
どうして、どうして守られるはずのミーアが、倒れているのだ?
シンはこうしてぴんぴんしているのに・・・どうして彼女が血を流して倒れている?
分からない。
分からない。
分からない・・・!!
シンがミーアに辿り着く前に、イザークが彼女の体を抱き起こした。
そして撃たれた部分と床の血溜りに瞳を伏せる。
「隊長・・・、何してるの?ミーアを助けてよ」
「シン」
「ミーアが死んじゃう。・・・早くッッ」
「・・・シン」
イザークの声に含まれる意味を、シンは理解できなかった。
したくもなかった。
ミーアこそが自分を守って、銃弾を浴びたということ。
そして今死に掛けているということ。
それを受け入れれば、今度こそ自分の中の何かが壊れてしまいそうだった。
「シ・・・ン・・・」
震えるミーアの声に、シンは我に返る。
イザークの腕の中でぐったりとしているミーアが、それでも懸命に唇を動かして何かを訴えようとしていた。
「ミーア・・・」
シンはミーアの前で膝をつき、差し伸べられた手を握った。
腕を組んで歩いていた時の、あのぬくもりが今は全く感じられない・・・。
酷く冷たかった。
・・・死。
ミーアが、死ぬ?
「死な・・・ないで」
シンの訴えに、ミーアは何故か笑みを浮かべていた。
どうして笑えるのだろう・・・。
死ぬのは、怖いのに。
「私、ラクス様になりたかった・・・。優しくて、綺麗で、歌が上手くて・・・皆に愛されて・・・。
でも、いざという時は・・・プラント、を、守る・・・ために戦陣に立つ・・・強い・・・人・・・」
「もうしゃべるな」
イザークがそう言うが、彼女は僅かに首を横に振った。
シンに向けられている瞳には透明な涙がつたっている。
「本物のラクス様・・・キレ、イだった・・・。やさしそう、で・・・でも・・・」
「・・・」
「でも・・・女神様じゃ、ない・・・の、ね」
シンは頷く。
美しく、気高く、心に響く声音を持つ歌姫。
けれど、デュランダルの木偶であることを割り切っているシンとミーアを哀れみの瞳で見ていた。
自分はともかく、ミーアに対する同情は傲慢だとシンは思う。
彼女は確かにプラントの民を、兵士を、地球の人々にまで癒しと希望を与えたのだから。
それはラクス・クラインのカリスマを利用したものではあっても、間違いなくミーアの力だった。
そして今、シンの命を救ったのも・・・。
「ミーアは優しいし、綺麗だよ・・・。歌も上手だった・・・。
それに、俺たちを助けてくれただろう?・・・ラクス・クラインにさえできないことをやったんだぞ」
「・・・ん」
「ミーア・・・」
ミーアの体温はさらに冷たくなっていく。
肌の色も生き人のそれではなくなってきた。
「ミーア・・・ごめん、俺・・・守れなくて・・・ッ」
やはり、自分は何も守れないのだ。
「ごめん・・・ッ」
―――シン、ステラのこと、守るって・・・。
守りたい。
守りたいのに。
守らなくてはいけなかったのに・・・!
「・・・いいの」
「・・・ッ」
「守らなくて、いいの・・・。ねえ?」
ミーアはシンの後ろにいる、ルナマリアへと視線を移す。
一瞬身を強張らせたルナマリアだが、ミーアの訴えたいものを感じ取り、頷いた。
ミーアがメイリンの銃弾からシンを守ったのは、ミーアの意思だ。
ラクスであろうとしたからではない。
彼女もまた守られるだけの存在に甘んじるのを、心の奥底で望んでいなかったのかもしれない。
自分の命を自分で背負ったのだ。
「ミーア、でも俺・・・」
「いいのよ。だって、死ぬの、怖いんでしょ?あたしだって・・・」
「・・・」
「守らなくて、いい。あなたはきっとそれでいいんだわ」
「じゃあ俺は、何のためにいるの?」
「理由なんか・・・いらな、い・・・誰にも・・・」
ミーアの瞳には、すでに光が消えていた。
見えていないだろう瞳にシンを映し、「でも・・・」とミーアは呟く。
どんどん小さく細くなる声に、シンは耳を寄せた。
「あたし、死にたく、ない。・・・でも、あなたが、無事で・・・すごく嬉しい、の・・・。
ホント・・・ホントよ・・・」
だから、泣かないで。
地下の駐車場は、相変わらず人気が無くて。
彼女の最期の吐息も、重い空気に凝ったような気がした。