もう一人のシン




 「一体これは、どういうことなんだ!?」
 カガリは画面の向こう側にいるピンクの姫に、苛立ちをぶつけた。
 相手はいかにも傷ついたという顔をしている・・・が、腹の底はどうなのか分かったものではない。
 『全ては議長の陰謀です。まんまとはまってしまいましたわ』


 プラントが発表したそのニュースに、世界は驚愕した。
 ラクス・クラインが射殺された・・・。
 しかも犯人はザフトの脱走兵であり、ロゴスのスパイだったメイリン・ホーク。
 彼女が一時期オーブに滞在していたことまで調べ上げられ、オーブはますます追い詰められている。
 プラントから流された音の無い映像には、議長のラクス・・・ミーアが撃たれる様子がはっきりと映し出されていた。
 ザフト側に、あの時カメラを回していた者がいたらしい。
 これでもう、どちらが本物のラクスか、という問題の重大性は薄れてしまった。
 カメラにはデストロイによるベルリンの大虐殺を指揮したネオ・ロアノークや、
 メイリンと同じ脱走兵で、カガリの側近だったアスラン・ザラの姿も捉えられている。
 プラントは彼らが「自分たちの」ラクス・クラインを正当化するためにミーアを射殺したのだと主張した。
 無論デュランダルが作ったシナリオなのだろうが、メイリンがミーアを撃ち殺してしまったという事実は曲げようが無い。
 連合を脱却してから必死に奔走し、同盟を結んだ国たちもオーブを敬遠し始めている。
 

 『カガリさん、今は耐えなければ。負けてはなりません』
 「・・・ッ」
 『今オーブが屈すれば、世界は議長が造ったものに飲み込まれてしまいます。
 わたくしたちではなく、オーブこそが最後の砦なのです』
 「・・・ラクス」
 『カガリさんはカガリさんのなすべきことをしてください。わたくし達は信じておりますわ』
 ラクスの真摯な訴えに、カガリは言葉を飲み込む。
 精神的に未熟な彼女は、上辺が綺麗なその言葉に逆らう術を知らなかった。



 
 「仕方なかったんだ、ステラのことは・・・」
 拳を握り締めて肩を落とすネオに、マリューは言葉をかけようとはしない。
 人助けをしにいくと出かけたはずの彼らが、一人の少女の命を奪って帰ってきた。
 否定したくとも、繰り返し流される放送が残酷にそれをあざ笑う。
 「ステラ・・・ステラは・・・、俺のせいじゃない!」

 ステラ。
 アスランによると、連合のガイアガンダムに乗っていたパイロットだという。
 ネオは記憶を次々に塗り替えられる彼女たちを操り、テロ行為を続けていたのだ。
 今回の発端となったアーモリー・ワンの事件もネオが主導したらしい。
 
 「命令だったんだ。俺がそれに逆らえるわけないだろう?」
 マリューは、それならば何故ここにいるのだ、という問いを飲み込んだ。
 ここは軍ではない。
 今この艦に乗っていること事態が、彼にとってのイレギュラーのはず。
 逆らえないことなど無いのに・・・あの時は命令されるままステラをデストロイに乗せて見殺しにした。
 「あの坊主がステラを返しに来たから・・・ッ、坊主のせいなんだ!」
 「・・・」
 「なあ、そうだろう?」

 マリューは初めて、ここにいる男がムウ・ラ・フラガではないことを祈った。




 逃げるようにコペルニクスを後にしたアークエンジェルは、デブリ帯に潜んでいたエターナルと合流していた。
 寄せ集めの兵たち・・・ザフト、連合問わず機体があちこちうろついている。
 何だか、自分たち自身がデブリみたいだなとアスランは自嘲気味に笑った。
 エターナルで何人かの兵たちとすれ違ったが、かつての敵同士だということで喧嘩をしている者までいる。
 血の気が多いといえばそれまでだが・・・。
 何だか、都合のいい言葉につられて集まったごろつきばかりに見えた。
 無論、自分も同類なのだが。


 アスランの目的の人物は、こちらを見るなり肩をすくめて笑いかけてきた。

 いつもどおり接してくれる彼に嬉しくなる。
 「やあ、ディアッカ・・・」
 「よお。久しぶり」
 ディアッカは当然ながらザフトの軍服を着たままだった。
 彼のことだから、こだわっているとかそういうわけではないだろうが・・・。
 アスランがそんなことを思っていると、逆にディアッカにはオーブの軍服が似合わないとからかわれた。
 適当に相槌を打ちながら、人でごった返すエターナルの通路を進む。

 「それにしても、派手なことしてくれたみたいじゃないの」
 ディアッカの部屋につれられると、早速コペルニクスでの失態を話題にされた。
 他の者は避けようとするのに、やはりこういうところはディアッカだ。
 「彼女を、助けられなかったよ。むしろ、追い詰めて・・・」
 「何でお前の連れ・・・名前なんだっけ?撃ち殺しちゃったわけ?」
 「メイリンは、ミーア・・・偽者の名前だが、彼女を撃とうとした訳じゃないんだ。ミーアはかばって・・・」
 「誰?」
 「シン・アスカ。デスティニーのパイロットだ」
 ディアッカは、なるほどと頷いた。
 アスランとメイリンが脱走した時は、まだザフトにいたはずだ。
 デスティニーが自分たちを殺そうとしたことは知っているのだろう。
 「シンも、助けたかった・・・俺は」
 「アスラン」
 「あいつだけのせいじゃないんだ・・・こんなことになったのは」
 
 ―――俺、死にたくない・・・ッ、ステラみたいに死にたくないよ!!!

 シンの悲鳴が頭にこびり付いている。
 明らかに、アスランに対して怯えていた。
 死にたくない、と。

 
 「シンを助けられるのは、あいつを誰よりも理解しているのは自分だと思い込んでいた」
 シンは理不尽に家族を奪われた。
 その思いは母を奪われ、ニコルを死なせてしまったアスランも知っている。
 自分の無力を嘆き、力を手に入れたいと願った。
 思いは同じ・・・だったはずだ。
 そのはずだったのに。


 優しくて暖かい世界・・・。
 それを誰よりも何よりも望んでいたのはシンだった。
 そしてそれは戦わなければ手に入らないもの。
 けれど、戦っても戦ってもシンが望む世界はその手から遠ざかる。
 家族を目の前で失い、14歳のまま時を止めたシン。
 誰も彼を助けてくれない。
 誰も彼を気にかけてくれない。
 彼の悲しみを忘れていく。
 千切れた妹の腕を目の前に、慟哭する少年に、差し伸べられる腕はない。

 そんな時、シンはステラと出会った。
 可哀想なステラ。
 戦争で怖い思いをして生きてきたステラ。
 死ぬのが怖いステラ。
 愛しいステラ・・・。

 アスランは、今までシンがステラに恋心を抱いているのだと思っていた。
 いや、きっとそうなっていただろう。
 もしステラが命を長らえていれば・・・間違いなく、恋人同士になっていたはずだ。
 しかし、二人にそういった感情が芽生えるにはあまりに時間は少なく、周囲の状況は残酷過ぎた。
 シンは。
 シンは、ただ・・・。




 「ステラは、もう一人の俺だったんだ」

 シンは天井をぼんやりと見つめながら、探るように言葉を紡ぐ。
 「二年前の俺は無力だった。そんな自分を・・・14歳の自分自身を、俺はステラに重ねたんだ」
 熱に浮かされているのが一目で分かるほど、ベッドに寝かされたシンの瞳は潤んでいる。
 けれど、隣で見守るルナマリアは彼の独白を遮ろうとはしなかった。
 「ステラを守ることができれば、あの時の自分も救われると思ったんだ。
 ステラを、守り切れればって・・・でも・・・」
 彼女は死んでしまった・・・。
 シンが殺したのだ。
 自分で自分自身を殺してしまった。
 揺らぎ続けるアイデンティティを保つ方法は一つ、全てを他人のせいにすることだけ。
 「俺は・・・俺が・・・ミーアまで」
 「シン」
 ルナマリアの手が、シンの顔を覆う。
 こつん、と額と額がくっつけられた。
 「ステラも、ミーアも、帰してあげましょう」
 彼女たちの魂は、彼女たち自身のもの。
 シンになることはありえない。
 自由にしてあげなくては。
 そして。

 「あなたはあなたよ」

 家族を亡くした14歳のシンも、ステラを守れなかったシンも、ミーアに命を与えられたシンもここにいる。
 彼も、もう戻っていいのだ・・・彼自身に。
 失った命に責任を感じ、とらわれなくてもいい。
 自分の命だけに貪欲であってもいい・・・それこそが人の姿なのだから。

 「ルナ・・・」
 シンの赤い瞳から、とうとう涙がこぼれた。
 「俺、生きていいの?悪いこと、たくさんしたのに」
 「いいわ」
 「ほん、とに?」
 「言ったでしょ。『全部許してあげる』って」
 ルナマリアは、唇でシンの涙をすくう。
 腕の中の存在が、とても愛しかった。
 「ルナ・・・好き」
 「ええ」
 
 「ルナと、生きたいよ」




 「どうして部屋に戻ってはいけないんですか!?」

 レイはロックのかかったドアを、拳で叩いた。
 無論そんなことではミネルバのドアはびくともしない。
 ロックも何とか解除しようとしたが、それも10分ほど前にさじを投げた。
 ぎりぎりと睨みつけるレイに対し、部屋の主であるイザークは涼しい顔だ。
 「ジュール隊長!」
 「少しは落ち着いたらどうだ?傷にさわるぞ」
 「いらだたせているのは貴方でしょう!!」
 一際大きいレイの声が響き渡る。
 さすがにイザークは不快そうに眉を寄せたが、
 対するレイはアスランに片足を撃ち抜かれ、しかも麻酔も無しに痛みに耐えているのだ。
 それで医務室から連れ出されてイザークの個室に閉じ込められては怒りもするだろう。
 「今ここを出れば、シンとルナマリアの邪魔をしにいくだろう。だから駄目」
 「そんなの、あなたには関係ない!」
 「あるさ。同じ艦に乗るパイロットだからな」
 「・・・どうせっ、アスランと同じでそのうち俺たちを捨てるくせに」
 「・・・そんなことはしないさ」
 イザークはレイの視線を受け止める。
 その静かな蒼眸に、レイは僅かにひるんだ。
 「シンはルナマリアに預けてやれ。お前じゃシンを、そのうち壊してしまう」
 「何だと?」
 「それとも、仲間はずれにされた気がしてさびしいか?」
 「・・・ッ!」
 「図星か」
 「貴様ッ!!」
 レイが片足で地面を蹴ると、その手でイザークの襟首を掴む。
 それでもイザークの表情は動かなかった。
 「何が預けろだ、壊すだ、さびしいだっっ!?兵士にそんな感情は必要ない」
 「・・・」
 「貴方がそれを一番よく知っているはずだ!そのせいで地位も名誉も失ってここに来たくせにっ!!」
 レイの手がイザークの首を揺さぶるたび、銀糸の髪が激しく揺れる。
 それでも、アイスブルーの双眸は相手を捕らえて放さなかった。
 「あなたに何が・・・ッッ、どうせ、何も・・・!」
 「・・・」
 「綺麗事、だけ・・・ッ、俺たちのことな・・・ど、何も・・・ッッ!」
 「・・・レイ?」
 言葉を詰まらせ始めたレイに、イザークは怪訝な顔をする。
 興奮し過ぎたためかと思ったが、どうも様子がおかしい。


 「・・・ぐっ!・・・っうぅ」
 「レイ!?おい、どうした?」

 レイの手がイザークから離れ、そのまま身体を折り曲げる。
 肩が大きく上下していて酷く苦しそうな彼に、イザークは仰天した。
 「待ってろ、いま医務室に・・・」
 「駄目だ!!」
 肩を抱いて部屋から連れ出そうとしたイザークだが、レイの悲鳴じみた声に動きを止めた。
 レイは荒い息を吐きながら、必死にポケットをまさぐっている。
 そして何かを取り出したが、それは彼の手を滑って床に転がった。
 「くすり・・・」
 「薬、ピルケース?これが欲しいのか?」
 ブルーのカプセルが詰まっている、ピルケースだ。
 どうやら彼の今の症状を抑えるにはこれが必要らしい。
 イザークは手を伸ばし、ピルケースを手に取る。
 「いくついる・・・、レイ?おいっ、しっかりしろ!!」
 見れば、レイは力尽きたように床にうずくまっていた。
 「レイ!」
 イザークはおろおろとピルケースから薬を幾つか取り出す。
 どういった効果があるか分からない。
 一体いくつ飲ませればいいのだ?・・・が、迷っている暇もなさそうだ。。
 レイの肩を掴むと、カプセルを飲ませるためにぐいっとひっぱって彼の顔を上向けさせた。
 だが。
 空色の瞳は開いているものの、焦点は遥か遠く定まらない。
 意識が落ちようとしているのは明白だ。
 この状態でカプセルを口に入れれば、器官に詰まらせてしまうかもしれない。
 「ちっ」
 イザークはひとまずレイの体を床に置いて冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。
 そしてレイのところに戻り、カプセルを割って中身の薬剤のみを彼の口に入れると、
 すかさずミネラルウォーターをレイの口に流し込んだ。
 唇の端から水がこぼれて床に落ちる。
 本当に薬を飲んでいるのかどうか判断できず、気が急いた。
 「レイ、おいしっかりしろ!本当に医者を呼んじまうぞ!?」
 「・・・ッ、ッッ!」
 薬が効いたのか、それとも口に流し込まれた水の冷たさに驚いたのか・・・おそらく後者だろう、
 レイの体がびくりと痙攣し、イザークの声に反応を示した。
 空になってしまったミネラルウォーターのボトルを置き、イザークが固唾を呑んでその様子を見守る。
 空色の瞳が何度か瞬かれ、そしてイザークを映した。
 恍惚とした・・・いや、冷静な彼が見せたことのない、幼い表情だった。
 「レ・・・」

 「ラウ」

 「!」
 レイが呟いた思わぬ名前に、イザークは息を止めた。
 そんなイザークにかまうことなく、レイは熱を帯びた瞳のまま手を彷徨わせる。
 「ラウ・・・薬、くるし・・・」
 「え?あ・・・!」
 イザークは意識を取り戻すと、手の中に残っていた二粒のカプセルをレイに差し出す。
 するとレイは二粒とも引っつかむと口の中に放り込み、無言のまま嚥下した。
 そしてもっと、とねだる。
 まるで麻薬中毒者がクスリをねだるようなそれに、イザークは背筋が寒くなった。
 いや、もしかしたら・・・本当にこれは麻薬か何かではないのか?
 「もっと・・・」
 「レイ」
 「・・・」
 「レイ、今日はもうこれで終わりだ」
 「おわ、り?」
 「そうだ」
 決して叱咤する風ではなく、しかしぴしゃりとレイの欲求を切り捨てる。
 しばしレイはイザークの顔を不思議そうに見つめていたが、「分かりました」と消え入りそうな声で呟いた。
 そして再び目を閉じる。

 やや呆然としているイザークの腕の中で。
 今度こそ、安らかな寝息が聞こえてきた。
 
 

 
 その僅か15時間後、レイは通信機を挟んでデュランダルと向かい合っていた。
 

 「レイ、連絡が遅くなってしまってすまなかったね。怪我の具合はどうだい?」 
 画面の向こうのレイはやや顔色が悪い。
 命に別状はないとはいえ、アスランの放った銃弾によって負傷した彼は、しばらく療養が必要だと聞いていた。
 『特に問題ありません』
 「そうか、薬は足りているかね?」
 薬・・・。
 その単語に、レイの瞳が一瞬宙を泳いだ。
 しかしそれは本当に一瞬で、彼はすぐにもとの怜悧な表情を取り戻す。
 『はい・・・あ、いえその・・・。いつ戻れるか分からないので、できればまた・・・』
 「ああ、分かっているよ。次の分をすぐに送らせよう」
 『・・・ありがとうございます』
 いつになく落ち着かないレイの様子が気になったが、
 アスラン・ザラに手傷を負わされ、ミーアを死なせてしまったことを気にしているのだろうと勝手に納得する。
 予測していなかった事態だが、あれはオーブとクライン派を追い詰めるのに非常に役に立ってくれた。
 デュランダルとしては誰も罰するつもりはない。

 「ところで・・・」
 声音を変えたデュランダルに、レイは僅かに表情を険しくする。
 「シン・アスカのことだが・・・」
 『は、はい』
 「どう思う?」
 どう、とは。
 「やや情緒不安定のようだね。このままミネルバに置いたままでよいものだろうか。
 タリアは手放したくないようだが」
 『・・・』
 「メイリン・ホークの姉と恋仲だと聞いているが、それは本当かい?本当なら・・・」
 『自分は・・・ッ』
 「うん?」
 デュランダルは驚いて言葉を飲み込んだ。
 レイが自分の言葉を途中で遮るなど、覚えた限りではなかったからだ。
 『自分は、メイリン・ホークの姉であるルナマリアとシンが傍にいることは良くないと感じていましたが・・・。
 今回の事件ではっきり分かりました。彼女は妹を見限っています』
 「ほう」
 確かに、レイの言葉は否定できない。
 サラが持ち帰ったコペルニクスの一件のビデオには、
 妹が向けた銃から必死に恋人を守ろうとするルナマリアの姿が映し出されていた。
 最終的にメイリンは錯乱した挙句ミーアを射殺、見限ったという可能性は充分ありうる。
 『シンはルナマリアと一緒にいるからこそ安定しているようにも見えます。・・・しばらく様子を見た方がいいかもしれません』
 「タリアと同じことを言うね」
 『・・・は?』
 思わず漏れた呟きに、レイが怪訝な顔をする。
 だが部下のはずのタリアに一方的に押し切られる形になったあの話の内容を聞かせる気にもならず、
 何でもないよ、とデュランダルは笑顔で誤魔化した。
 
 「では、イザークはどうかな?」
 『・・・どう、とは?』
 幸か不幸か。
 デュランダルはレイの頬が僅かに引き攣っていることには気付かなかった。
 「これから気が違った歌姫が率いるテロリストと戦うのに、先陣率いるミネルバのパイロットが三人というのは心もとなかったからね。
 いや、君たちの力を疑っているわけじゃない。ただ、前大戦の英雄が加わってくれれば士気がさらに上がると思ったんだ」
 『は・・・はい』
 「不安がないわけではない。前にも言ったが、イザーク・ジュールはラクス・クラインと全く面識がないというわけでもない。
 アスラン・ザラ、ディアッカ・エルスマンと懇意にしていたという不安要素もある」
 デュランダルは琥珀色の瞳を鋭くレイへと向ける。
 彼に求める答えは一つ、イザークの造反の可能性だ。
 現在彼にはシホ・ハーネンフースという婚約者がいる。
 唯一の肉親である母親もプラントで健在だ。
 ありとあらゆるものを考慮し、その上でミネルバに送り込んだのだが、それでも手綱はしっかり握っておかなくてはなるまい。
 『造反の可能性は・・・ありません』
 レイは静かに言葉を紡ぐ。
 声の震えは彼自身の震えなのか無線の乱れによるものなのか判別できなかった。
 「言い切るね」
 『いえ、その・・・アスラン・ザラよりはマシな人だと思いました。シンの不安定を察して、それとなく気を使っているようですし』
 「ふむ」
 『それに彼がクライン派の人間なら、コペルニクスで自分は死んでいたはずです』
 「そうか、分かった」
 デュランダルは息をつくと、椅子にかけ直した。
 「タリアもイザークのことは気に入っているようだ。だがシンのことと合わせて、注意して様子を見ていてくれ」
 『了解しました』




 通信を終わらせたレイは、深い息を吐き出した。
 デュランダルとの会話で、こんなに緊張したのは初めてだった。
 何だか、いたたまれない。
 言ったことは全て虚偽ではなかったが、全てが真実というわけではなかった。
 今までこんなことをする必要はなかったのに・・・デュランダルが気付かなかったということだけがせめてもの救いだ。
 「なかなか見事だったじゃないか」
 通信が切れたのを確認したのか、語りかけてくる声。
 画面が向けられてる場所の反対側からのそれの主に、レイは鋭い瞳を向けた。
 「よくまああんな裏腹なことをさらさらと口に乗せられるものだ。そんなに発作のことを議長に知られるのが怖かったのか?」
 「・・・」
 ぎりぎりと相手へ向ける眼光を鋭くする。
 「俺を脅すつもりですか?」
 敬愛するデュランダルに嘘をつく羽目になったのはこの男のせいだ。

 「イザーク・ジュール」

 薄暗い部屋で綺麗な微笑を浮かべるイザークは、ぞっとするような色気を持っていた。
 あまりの迫力にレイは唇を噛む。
 やはり、アスランなどとはレベルが違う。
 直情型で駆け引きなどを苦手とする分、どんな相手もひるませてしまうような独特のオーラがあった。
 そういう意味ではデュランダルやラクス・クラインに引けをとらない。
 「俺の弱みを握って・・・どうしようというのですか?」
 もう一度、同じ問いを繰り返す。
 今度は声に力がないことが自分でも分かった。
 この男に逆らうことはできない・・・そう思ったのだ。
 だが、イザークの口から出たのは意外な言葉だった。
 「別に貴様を脅すつもりなどない」
 「・・・」
 「貴様の望みをかなえてやっただけだ」
 「望み・・・だと?」
 「望んだだろう?シンと、ルナマリアと、この艦と共に行きたいと」
 「・・・俺は」
 そんなはずは、なかった。
 考えたこともない。
 それなのに、イザークはそうだと言い切った。
 「お前が、お前などが・・・俺の何を知っているというんだ!?」
 「・・・」
 思わず声を荒げたレイを、イザークはこともなげに見つめていた。
 しばらく彼は腕を組んでレイを見つめていたが、やがてライトのスイッチへと手を伸ばす。
 ぱっと天井のライトが白い光を発し、レイは眩しさに瞳を眇めた。
 「見てれば分かるさ」
 「・・・」
 「お前は冷静なようで、意外と顔に出てる。この俺が見破れるくらいだから相当だ」
 「何を・・・」
 「シンとルナマリアのこと、一番気にしていたのはお前だ」
 「違う」
 「あの二人のこと、好きなんだろう」
 「違う」
 「自分から進んで憎まれ役になっている」
 「違う!!」
 レイは首を振った。
 伸ばしすぎた髪が鬱陶しく揺れる。
 それにすら腹立たしさを感じた。
 「俺は・・・」
 「議長の望むことと、お前の望むことの終着点は同じかもしれないな」
 「・・・」
 いつの間にかレイはしゃがみこんでいた。
 傍にイザークが跪いているのが視界の端に映る。
 「でも、その過程まで同じとは限らないだろう。彼は政治家で、お前は軍人。
 立場も、歳も、周りの環境も、何もかも違う」
 「・・・」
 「ラウ・ル・クルーゼとも」
 「・・・ッ」
 何か言い返そうとして。
 でも、開いた口からはかすれた空気しか出てこなかった。
 「お前は、ラウ・ル・クルーゼじゃない」
 「・・・クローンです。発作を見たでしょう」

 イザークの部屋で、発作を起こして倒れてしまった。
 それまでも何度か起こしていたが、自分なりに周期や体調を見てコントロールしているつもりだったのに・・・。
 だからこそ、先の発作のことはデュランダルに言えなかった。
 役立たずだと思われるのが怖かったのだ。
 ラウを失い、友人であるシンやルナマリアも遠ざかろうとしている今、
 レイにとってデュランダルに見限られることほど恐ろしいことはなかった。
 意識を失っている間、イザークは空だった自分とシンの部屋に入り込み、
 荷物や隠していたデータをあさってラウ・ル・クルーゼとの関係を調べ上げたらしい。
 ラウこそがクローンだということをディアッカを通して聞いていたため、レイの正体にもすぐ気が付いたのだろう。
 悔しかったがデュランダルに告発することはできないし、元はといえば自分の失言が原因だ。
 ここまで来たら、諦めるという以外の選択肢がレイには見当たらなかった。

 「俺は、ラウです。そうあらなければならない・・・」
 「議長のために?」
 「俺のためにです」
 「・・・ふん」
 二人揃って床に座り込んでいた。
 周りからは貴公子のように持てはやされるザフト・レッドと救国の英雄が・・・何だか滑稽だ。
 「貴様は貴様だ。大体、クルーゼ隊長とは似ても似つかん」
 「なっ・・・」
 「貴様、本当に隊長を知っているのか?」
 「あ、あたりまえです。俺はラウに育ててもらったんですよ?・・・に、二年間くらいですけど」
 「・・・どこまで知ってるんだ」
 「どこまでって・・・」
 「何を見て、何を望んで、どんな最期を迎えたか」

 「知っています」
 きっぱりと、応えた。
 「お前、馬鹿だな」
 すっぱりと、捨てられた・・・。
 
 「お前がラウ・ル・クルーゼなら、どうしてここにいる?議長に従って、新しい世界を作ろうとする?」
 「俺は・・・」
 「議長が目指している世界がどんなものなのか俺には知ったことじゃない。
 でも、どっちにしろ・・・お前は彼の作る世界を望んでいる。全ての破滅を願ったあの人とは違って」
 「・・・」
 「そして、その世界は・・・未来は、お前のためのものではないだろう」
 シンと、ルナマリア。
 彼らの未来が明るいものになるかどうかは分からない。
 レイが望んだのは、ただひたすら「存続」だ。
 それでも。

 「あの人は、クルーゼ隊長は誰も見なかった。ずっと傍にいた俺のことも・・・」
 クルーゼは全てを呪っていた。
 全てを葬り去ろうとしていた。
 イザークも、デュランダルも、レイすらも。
 「でもお前は違う」
 レイは未来を望んでいる。
 新世界を望んでいる。
 彼ではありえない。
 
 「お前の命は、お前のものだ」



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2007/02/28(ブログより移行)