一年後
C.E.74。
レクイエムの悲劇の一周忌セレモニーのニュースを一瞥すると、ヴィーノ・デュプレは休憩室の椅子から立ち上がった。
もう休憩が終わる時間だ。
くたびれた整備服のボタンをはめながら、廊下を歩き、エレベーターへと向かう。
運よくエレベーターはこの階にあった。
足早に乗り込み、目的の階のボタンを押す。
「あ、ヴィーノ!待って!!」
聞き覚えのある声に、ヴィーノは開閉ボタンに伸ばそうとしていた手を止めた。
ほぼ同時に赤色がエレベーターの箱の中に飛び込んでくる。
ふわりと甘い体臭が鼻孔を霞め、どきりとした。
視線を滑らせれば、廊下を駆け抜けてきたにも関わらず息一つ切らしていない赤い髪の少女。
「ありがとう。おはよう、ヴィーノ」
「おはよ、ルナマリア・・・」
階下へと向かうエレベーターでルナマリアと鉢合わせたヴィーノは、少しどきどきしていた。
アカデミーでもずっと一緒だった友達だけれども、
こんな閉鎖した空間に二人きり、しかも女の子となれば緊張してしまうのは当たり前だ。
逆にルナマリアはやや眠そうなものの、特に変わった様子もない。
「今日も新デスティニーの整備なの?」
そう問う彼女に、ヴィーノはまあね、と短く応えた。
ルナマリアは大分印象が変わった。
ほんの一年くらい前ははつらつとした笑顔を振りまいていたのに、今は大人びて柔らかい笑みを浮かべている。
10代の瑞々しさはそのままに、どこか成熟した女の色気が垣間見えるようになった。
そう・・・もともと垢抜けていた綺麗な顔立ちが、さらに引き立ってきた感じだ。
外見を変えたのもあるかもしれない。
かつては改造したコートに短いピンクのプリーツ姿だったのに、いまや正規のコート、ズボンにブーツだ。
髪型もショートカットから肩まで伸ばして軽く結わえている。
眩しい太股こそ堪能できなくなってしまったものの、ちらりと見えるうなじにはついつい視線が行ってしまう。
・・・と、ヴィーノはルナマリアファンの必見ポイントとなったうなじを視界に入れて。
そして固まった。
「・・・」
視線に気付いたルナマリアがこちらを振り向く。
どうしたの?と聞かれ。
ヴィーノは見てしまったものを彼女に報告すべきかどうか・・・。
エレベーターのドアが開くまで心の中で葛藤してしまっていた。
結局「それ」をそっと耳打ちし、
ルナマリアが慌てて髪を結わえていたゴムを外すのを確認したヴィーノは彼女と別れた。
やれやれと頭をかきながら担当する機体へと向かう。
赤い翼を携えた、プラントの蝶。
《デスティニー・セカンドプレート》。
装甲はフェイズシフトに変更され、かつての鈍い色合いから白を基調としたインゴットと水色、赤へ統一されている。
見た目こそヘブンズベースで活躍したデスティニーに類似しているが、そのコンセプトは若干趣を変えていた。
その原因は、オーブ戦での完全敗北だ。
一つの機体に接近戦、中距離戦、遠距離戦全ての機能を備えようという考えを見直すべきだという意見が出たのである。
実際機体はもちろんパイロットへの負担は相当なものだったのだ。
ザフトはデスティニーの役割を小隊にて率先して敵を撃破する、突撃機へとシフトさせることに決定。
その結果がこのセカンドプレートとなっていた。
先に来ていたヨウランに軽く手を振ってから仕事に入ろうとしたところで、リフターに乗っている人影に気付いた。
この機体・・・デスティニーのパイロットだ。
ヴィーノは少し考えてから、自分もリフターに足をかけた。
そして半分まで昇ったところで人影に声をかける。
「シン!」
「・・・」
名前を呼ぶと、シン・アスカは大きな赤い瞳をこちらに向けた。
ヴィーノはリフターを昇りきると、彼の横に並んでコクピットへと手招きする。
特に不平を言うでもなく従うシンを横目で見ながら、随分背が伸びたなと思った。
ミネルバに共に配属された時はさほど変わらなかったのに、今では頭一つ分彼に差をつけられてしまった。
この一年で、シンは手足がぐんぐん伸びた。
さらにフェイスを返上した代わりに黒服を与えられのだが、コートの裾が短いタイプのものだったため、
それがさらに彼の長い脚を引き立てている。
口うるさい新上司の指導で襟のホックもきっちり止めるようになったため、
これで軍帽がつけば「絵に描いたような美青年仕官」の出来上がりだ。
・・・あくまで見た目は、だが。
周囲に人目がないことを確認し、ヴィーノは口を開く。
「シン・・・お前なぁ、キスマークは目立たないところにつけろよ」
「?」
大きな目をさらに大きくしたシンが、無表情のまま顔を傾ける。
ヴィーノはため息を堪えた。
「ルナマリアだよ」
「ルナ・・・」
「そう。あいつの耳のすぐ後ろにキスマークつけただろう?」
それこそ、ヴィーノがエレベーターの中で発見したものだった。
ルナマリアが気付かずミネルバを闊歩していれば、少なからず噂になって艦長のタリアが出動する事態になりかねない。
幸い今日は未然に終わったわけだが・・・。
一方シンもようやくヴィーノの言葉に思い当たったらしい。
「ああ、あれ」
「『ああ、あれ』じゃねーよ!気をつけろ!!」
「だって、おいしそうだったから」
「・・・」
絶句。
「見た目だけ」精悍な美青年仕官に精進した同僚は、中身にかなり天然が入っていた。
ぽやっとしているようで、でも自分のすべきことはきちんとやっているシンと別れると、
ヴィーノは今度こそ自分の仕事に取り掛かろうとした。
いつまでももたもたしていると主任のエイブスに怒鳴られる。
だが。
「ヴィーノ、ここにいたのか」
そこで少々・・・いや、かなり苦手な人物に呼び止められてしまった。
「レイ・・・」
レイ・ザ・バレルを認識した途端、反射的に嫌な顔になってしまったが、もう取り繕えない。
対するレイは、気にした様子もなく大股でこちらに歩み寄ってきた。
そして手にしていたディスクを差し出してくる。
「このデータを、《レジェンド》のドラグーンシステムのBフォルダに組み込んで調整してくれ」
「あ・・・え、また?」
「エイブス主任にもう許可は取ってある。今日は俺の機体を担当してくれ」
「四日前にいじったばっかりじゃん」
「・・・頼む」
ヴィーノは呆れ顔で、でもディスクは受け取る。
レジェンドのドラグーンシステムは、レイの空間認識能力が向上するたびに書き換えられていた。
そしてそういう時は、大抵レイは目の下にくまを作って疲れ切っている。
「お前、またジュール隊長とシュミレーションで徹夜したのか?」
「そういうことだ」
レイの空色の瞳がふっと和らぐ。
それを見て、こいつもまた変わったと思った。
シン同様一年間でやたら背が伸びているのに加え、
髪をショートカットにして以前は分かりにくかった目つきや表情が何となくつかめるようになったからかもしれない。
アスランが脱走事件を起こした際のような傲慢な態度も影をひそめている。
さらにシンに続いてフェイスの権限を返上したため、とっつき難さもなくなったように感じた。
そのままレイとディスクの内容を確認していると、奥の方から「レイ!」と呼ぶ声がした。
声の方を見れば、格納庫の入り口近くに白い隊長服のイザーク・ジュールが立っている。
相変わらず女のような綺麗な顔立ちと、光を反射する銀糸の髪が人目を引く。
シンとレイの急成長で目立たなくなったものの、改めて見ればやはり長身。
モデルのように長い足がうらやましい。
誰にも言ったことがないが、ヴィーノはイザークに感謝していた。
彼が来なければ、ミネルバはばらばらになっていたような気がするのだ。
イザークは一度かんしゃくを起こすと大変だが、わがままでも自分の意思を突き通す性格はクルーたちの雰囲気を変えた。
彼は一度決めたことは決して曲げない。
そして間違っていてもとにかく突き進み、周りの者たちを意識的に巻き込んでしまう性分がある。
アスランとメイリンの背徳行為によって誰が敵か味方かも分からなくなっていたミネルバにこそ、そういう彼が必要だった。
レイは当初こそイザークに反抗していたようだが次第に根負けしたのか大人しくなり、
それをきっかけにパイロットたちを敬遠していたヴィーノたちも先程のような短い会話くらいはかわせるように関係を回復している。
シンとレイが続けてフェイスを辞退したことで正式にミネルバ小隊の隊長に任命されたイザークは、
白い軍服に同じ色の軍帽を欠かさずかぶるようになった。
タリアとほぼ並ぶ立場になったのだ。
もともと上に立つ能力がある上、少々不遜なところがある彼にこそその姿は似合っていた。
ヴィーノはイザークに短く敬礼してレイの後姿をしばらく見送ると、自分はレジェンドのあるハンガーへと向かう。
歩きながら、手の中のディスクをもてあそんだ。
ここ数日、レイがやや神経質に・・・上司のイザークを付き合わせてまで機体性能を上げようとしている理由は分かっていた。
「プラントの」ラクス殺害事件から一年間息を潜めていたクライン派がまた活動を開始したからだ。
数日前。
「本物の」ラクス・クラインを名乗る歌姫とオーブの女首長は、「自由ある平和」の名のもとに、とうとう武力行使を開始した。
まずは地球にあるザフトの基地と、全てのマスドライバーをアークエンジェルをはじめとするオーブの軍隊で制圧。
さらに宇宙ではプラントのステーションを制圧し、さらに月のアルザッヘルへと侵攻した。
これに対し、プラントは巨大殺人兵器《レクイエム》を完全破壊、月基地を放棄した。
プラントは再び宇宙に孤立。
ザフトとクライン派の対立が明確になっていたのである。
ディアッカは缶コーヒーの蓋を開けると、ぐいっとそれを煽った。
やたら甘い味に顔をしかめながら全部飲み干す。
そして息をつくのだが、何だかそれは一転して苦く感じた。
「機嫌が悪そうだな」
声がして、そしてその主が隣に腰掛ける。
ディアッカはわざわざ視線を動かそうとはしなかった。
「あいつら、まだいるのかよ?」
「ああ」
「何?お前まで追い出されたわけ?」
馬っ鹿みたい、と鼻で笑うも、本気で馬鹿にしているようには見えないディアッカに、
アスランも自嘲するくらいしかできなかった。
戦艦エターナル。
ラクス・クライン率いる「クライン派」の象徴となっている艦だ。
ここに優秀なパイロットとして配属されているアスランとディアッカは、同時にラクスに最も信頼される同士でもある。
・・・いや、あった。
もう過去形だとディアッカは思う。
あいつらのせいだ。
あいつらのせいで全てがおかしくなった。
そう言ったディアッカに、アスランはこう返す。
そうじゃない。
もともと歪んでいたのが表面に見えるようになってきただけだよ、と。
あいつら、とは。
地上で活動していたクライン派が見つけてきたラクスの支持者だ。
・・・本当に支持者かどうかは疑わしいが。
「ホワイトリリー」名乗り、白い服を着ているのがどこぞの信者を思わせる。
ディアッカ初め、反感を持つ者たちは勝手に「白鴉(しろがらす)」と呼んでいた。
彼らはラクスに最大限の好意を示し、そして資金面で援助した。
クライン派とオーブの財力だけではプラントに敵対することが危うくなってきた、絶妙のタイミングだった。
ラクスは彼らを信用するようになり、その意見も聞き入れ始めた。
どうやら中には連合軍で教鞭を取った戦略家もいるらしい。
そして、その結果が。
先日の武力行使だった。
確かにこのままでは駄目だ。
ディアッカにだって分かっている。
クライン派は一年の間に空中分解を始めていた。
無理もない。
もともとラクスのカリスマ性に酔って群がっただけの信者が大半だったのだから。
冷めれば現状に危機感を抱く。
それだけクライン派の拠点とされるオーブは孤立を深めていた。
そしてこの状況を打破すべく「ホワイトリリー」が提案したのが、武力による解決だった。
さらに彼らのカネにより、弱小国の幾つかはオーブへの協力要請を飲んでいる。
「出てきた」
潜めた声で告げたアスランに、ディアッカもさりげなく視線を滑らせる。
エターナルのブリッジに繋がる通路から、白いスーツを着た男たちが幾人か出て来た。
一番最後にやはり白いスーツ姿の妙齢の女が姿を現す。
「ホワイトリリー」を牛耳るテレーズ・ミシュランだ。
ディアッカはこの女が大嫌いだった。
と、テレーズがアスランを見つけると、付き人に一言二言ささやいてこちらにやって来た。
ディアッカは逃げようとするが、アスランにすがるような視線を向けられて思いとどまる。
あっという間にテレーズが距離を詰めていた。
「まあ、アスラン様。会議の場にいつの間にかいらっしゃらないので驚きましたわ」
「・・・すみません。少し外の空気を吸いたかったもので」
「そうですの。ご気分でも優れないのかと心配しましたのよ」
テレーズが真っ赤に塗られた唇の端を吊り上げる。
・・・よくもまあ心にもない台詞が吐けるものだ。
ディアッカはブリッジでどんな会議をしていたのか知る由もないが、
この女はアスランの存在など意に介さず一方的に演説を披露していただけだろう。
テレーズは初めこそラクスの元婚約者でカガリの恋人だと噂されていたアスランに取り付いていたが、
彼がカガリと破局した上、クライン派の中では一パイロットとしての存在価値しかないと知るなりその態度は一変した。
アスランがあまり自分に好意を持っていないことを感じ取り、嫌味をわざわざ言いに来るのがお決まりだ。
もちろん、嫌味を言われるのはアスランだけではない。
「それにしてもディアッカさん」
・・・来た。
アスランから自分へ矛先が向けられたことを知り、ディアッカは苦い顔を見られないよう視線を泳がせた。
「いつまでもザフトの服をお召しになっているなんて、ラクス様への忠誠心を疑われますわよ」
忠誠心?
いつの間に自分はラクス・クラインの『部下』になったのだろう。
いや、『信者』かもしれない。
「・・・これしか合うサイズがないんですよ」
「よければ見繕いましょうか?」
「結構です」
にべもなく返したディアッカに、テレーズはさほど気にした様子もない。
鼻を突く香水のきつい匂いが不快だった。
テレーズの後姿を忌々しく見送りながら、ディアッカは持っていた缶をべこりと手で潰した。
文句を言えないのが悔しい。
今の自分はあの女が出した金で飯を食っているのだから。
戦争で金が踊るという醜い舞台裏を大公表してくれたのはプラントのギルバート・デュランダルだが、
まさかラクスが指揮するこの集団の中で見せ付けられるとは思わなかった。
ラクス・クライン・・・。
彼女は気付いていないのだろうか?
あの美しく賢きあの少女が。
いや、おそらくは気付いている。
それでいて、自分は気付いていないと暗示をかけているのだ。
そうでないと、女神のごとき彼女の気高さは保つことが出来ない。
悲しいことだ。
彼女が嘘を身にまとえば、彼女を支持する者たちもそれに倣う。
クライン派と呼ばれるこの場所は、もはや欺瞞に満ちていた。
「アスラン、こんなところにいたの?」
テレーズと入れ替わるようにしてやってきたのは赤毛の少女だった。
「メイリン」
アスランが呼んだ名前に、ディアッカは必死に記憶の糸を手繰り寄せる。
ああ、そうだ。
メイリン・ホーク。
アスランと共に悪に染まったザフトを脱走した勇気ある少女・・・ということにここではなっているらしい。
ディアッカの記憶では緑のザフト服に髪型はツインテールだったはずだが、
今ここにいるメイリンは髪を結んでおらず、しかも服装に至ってはオーブ軍服の上着にミニスカートという驚くべきスタイルだった。
パンツが見えそうな短さだ・・・とディアッカは眩暈がする。
「おそいよー、会議終わったんでしょ?」
「あ、ああ。終わったよ」
アスランの視線が泳いでいる。
それに対し、メイリンは身体をくねらせてアスランの腕にしがみついた。
「テレーズ様がね、またイヤリングくれたのよ。見せてあげる」
「でも・・・」
「いこうよーっ。ね?」
アスランは申し訳なさそうな顔を向けてくるが、ディアッカは早く行けと手を振った。
思い出した。
メイリン・ホーク・・・「偽物」のラクス・クラインを屠った少女だったはずだ。
あの事件の直後から精神状態が瓦解してしまったという。
もちろんこれは、一部の人間しか知らない。
その他大勢のラクスの羨望者たちにとって、メイリンもアスラン、キラと並ぶ英雄の一人だ。
けれども。
メイリンの瞳に映るものは、明らかに狂気の色だった。
アスランが自分の恋人で、この小さな箱庭の中で愛溢れる生活を送っていると夢想しているのだろう。
ラクス・クラインは高く美しい理想にそぐわないものは無意識に切り捨てることで己を守っている。
キラ・ヤマトはラクスの理想に全てを委ね、考えることをしない・・・ただ周りに祭り上げられ、理由なく戦っている。
ネオ・ロアノークはムウ・ラ・フラガだと証明する術もなく、そしてベルリンでの罪を囚われることもなくここにいる。
マリュー・ラミアスはネオに対する興味をすっかりなくし、それでもAAに縋り付いている。
アンドリュー・バルトフェルドは「白鴉」を疑問視しながら、それでもラクスに逆らうことをしない。
カガリ・ユラ・アスハはラクスとキラに言われるままの人形と成り果てた・・・側近の大半が「白鴉」になっているらしい。
アスランとディアッカは、歪みを感じながらも見ているだけ。
「・・・全部、狂っちまった」
一人残されたディアッカは、暗い宇宙を眺める。
思い出すのは、一年前のこと。
イザークを残し、この集団に身を投じた自分。
「最初から、ここは狂ってたのか?」
おかしくなったのではなく、おかしかった。
上辺だけを見て自分は混沌としたこの集団に酔って飛び込んでしまったのかもしれない。
―――イザーク。
真っ直ぐに前を見据えていた、かつての親友のことを回想することが多くなった。
イザークは自分たちが脱走した事件の責任をとらされ、どこぞの部隊に左遷されたと聞いている。
彼はまだ、プラントのために戦っているのだろうか。
―――イザーク。
戻りたい、と言ったら。
彼はまた、受け入れてくれるだろうか。
「ラクス・クラインともあろう女傑が、厄介なものを取り込んでしまったようだな」
側近であるシグ・バートリーの報告を聞き終えたデュランダルは、同情とも嘲りともつかぬ微妙な笑みを浮かべた。
心の底から笑ったわけではないのだろう。
シグも頷きながら、報告のために持ってきたディスクをしまう。
そこには「ホワイトリリー」と名乗る集団の実体が記載されていた。
ホワイトリリー。
その正体は、デュランダルが「ロゴス」と呼んでいた影の商人たちに順ずる一集団だった。
巧みに名を変え、姿を変えて、一年前のロゴス狩りの時も逃げおおせたしたたかな連中なのである。
頭領たるテレーズ・ミシュランも、調査した限りでは七度の改名と三度の整形をしている。
ロゴスの中の位置づけではブルーコスモスとほぼ同等のはずだが、
表立ったテロや狂気じみた殺戮をして自滅を図ったジブリールのように愚かではない。
常に強いものの影に隠れ、なおかつ主導権を握って暗躍し続けているのだ。
「クライン派もオーブも、用済みとなればすぐに見捨てられるでしょう」
「ああ・・・。今は金で釣って連中の技術力を盗んでいる・・・というところか」
「歌姫の『ファクトリー』はかなりの魅力を持っていますからね」
「実際、ホワイトリリーがクラインを見捨てるにはどれくらいかかると思う?」
「今の時点ではまだ・・・」
シグの返答に、デュランダルはふーっ、と長いため息を吐く。
先日のオーブ軍の武力行使がホワイトリリーにそそのかされたことは、シグの調査報告ではっきりしていた。
どちらにしろ、連中はザフトとクライン派をぶつけるつもりらしい。
それでさらにクラインに梃入れするか、あるいはこちらに媚を売るのか決めようというのだろう。
「どちらにしろ、戦うしかないのか」
ホワイトリリーがザフトに歩み寄るのは甚だ不愉快だ。
だが、これ以上クラインに金を投入して戦争を長引かせる事態は何よりも避けねばならなかった。
C.E. 74 10月某日。
オーブ軍は連合軍の一部を従え、プラントへの侵攻を開始した。
「フリーダムとジャスティスも来るんだよね・・・」
ぽつりと呟いたシンに、彼の腕の中でまどろんでいたルナマリアは少しだけ視線を動かした。
「シン」
「怖いな」
「・・・」
「今度こそ殺されるかも。死ぬのは・・・怖いよ」
「そうね・・・」
ルナマリアは体を起こすと、あお向けているシンに覆いかぶさった。
お互いの肌を通して鼓動を感じ取る。
「別に戦う必要はないのよ」
「そうなの?」
「ん・・・ナイショだけどね」
シンの汗ばんだ胸に頬を寄せながら、ルナマリアはここだけの話、と声を潜める。
「いざとなったら逃げちゃえばいいのよ。だって・・・フリーダムみたいなバケモノにかなう人なんてどこにもいないもの」
「・・・うん」
「議長だって、無理言ったりしないわ。艦だけ守ってればいいの・・・生き延びてくれれば・・・」
「ルナ」
「あなたさえいてくれれば・・・私、私は・・・それだけでいいから」
「ルナ」
シンが手を差し伸べ、ルナマリアは素直にそれに従う。
顔を引かれて唇が重なり合ったかと思えば、それは激しい熱に転じた。
互いの名前と甘い愛を囁きあいながら。
死に怯える少年とそれを慈愛で埋めようとする少女に、今の宇宙の静寂は優しかった。
「キラ・・・」
「どうして皆分かってくれないんだろうね。ラクスとカガリはこんなに頑張ってきたのに」
自分の望むとおりの言葉をくれる恋人に、ラクスは微笑を浮かべた。
「また戦わなくちゃいけない・・・。僕たちはそんなことは望んでいないのに」
「その通りですわ。人は、愚かですわね」
デュランダルの言葉ばかりを信じて・・・。
美しく正しいラクス・クラインの言葉を無視するなんて、何と愚かな人間が多いことか!!
「ラクス、本当は戦いたくないけれど僕は行くよ」
キラはラクスの手を握る。
その表情は静かで穏やかだった。
「世界をデュランダルの思い通りにしちゃいけない。そうだよね?」
「はい。その通りですわ」
ラクスの白い手がキラの手を握り返した。
「人類の未来のために、我々は茨の道を選びました。けれど・・・」
ラクスが視線を上げる。
キラもそれに倣った。
「自由と正義を為すため、今は戦わなくては」
「そうだね」
二人が見上げた先には白い機体・・・絶対なる『力』、ストライクフリーダム。
この『力』で、デュランダルの野望を打ち砕く。
その大義のためには多少の犠牲もやむ終えない。
自身にそう暗示をかける二人の瞳には、深く昏い闇が澱んでいた。
鼻歌交じりにロッカールームに入ってきたネオ・ロアノークに、先に着替えていたディアッカはむっとした。
「随分派手にやってるみたいじゃないの、オッサン」
「あれ、分かるー?」
「香水の匂い、ヒデーよ。シャワーくらい浴びて来いっての」
「ははぁん、うらやましいんだろ」
ネオはにやにやと笑いながらディアッカへと視線を滑らせる。
それにぞっとしたものを感じ、ディアッカは慌てて目を逸らした。
「悪いねー。オジサン精力がありあまっちゃってさ」
「・・・みたいだな。ラミアス艦長とはもう駄目なの?」
「ああ?何であの艦長さんが出て来るんだよ」
一気に気分が急降下したらしいネオに、ディアッカはそれ以上言葉を重ねることをやめた。
ムウ・ラ・フラガと同じ容姿を持つネオだが、その内面はムウと比べると奔放かつ擦り切れているところがあった。
マリューはムウではないネオに絶望し、顔を合わせても話をしようともしない。
そして居心地がいいからという理由でこちらに身を投じたネオは、女遊びが激しくなっていた。
だが、アカツキを唯一使いこなすことができる貴重な戦力である彼に意見できるものなどいようはずがない。
中には無理矢理相手をさせられた女性もいて、泣き寝入りをしているということも聞いていた。
パイロットスーツに着替え終わって部屋を出ようとすると、今度はネオが声をかけてきた。
「お前、どの機体に乗るんだっけ?ザク?」
「・・・グフだよ。改良版の」
「へぇ。ま、仲間に撃たれないように気をつけな!」
「なかま、ね」
ディアッカはネオに冷めた一瞥をくれると、今度こそ部屋を出た。
「会わないで済めばいいな・・・」
廊下を歩きながら思い描いたのは、銀髪の元上司。
「仲間」と言われ、瞬時に脳裏に浮かんだのは誰でもない、彼だった。
「ホント俺、馬鹿かも・・・」
こぼれた言葉は、艦のモーター音に紛れて消えた。
コクピットハッチから中を覗き込んできた人物に、最終調整をしていたレイは瞳を瞬かせた。
あまりに意外すぎる人物だったからだ。
「グラディス艦長・・・」
「調子はどう、レイ?」
包み込むように柔らかい笑顔に、レイも自然と表情が緩む。
「随分ぎりぎりまでレジェンドをいじっていたって聞いたからどうしても気になったのよ」
「ご心配をおかけして申し訳ありません」
「謝ることじゃないわ」
レイはコクピットから出ると、タリアに倣ってハッチの端に体を預ける。
彼女はレイとギルバートの関係を知ってはいるものの、これまであまり口を挟んでこなかった。
・・・おそらく少々誤解されていた部分もあっただろう。
レイにしてみれば、タリアほどギルバートに思われている女性はいない。
だからこそ、これまで彼女と打ち解け合おうという気になったことはなかった。
「・・・また連中と戦うのね」
苦々しく呟いたタリアに、レイはうつむく。
かつて彼女がAAやオーブとの戦いにあまり積極的でないのは感じ取っていた。
ギルバートへの不信もあっただろう。
今思えば、彼女こそイザーク以上に造反の可能性を有していた気がする。
だが。
「あいつらは倒します。今度こそ」
挑むような口調はむしろタリアに向けられたものだ。
裏切ることは許さない。
逃げ出すことは許さない。
仕方なくやるのではない。
やらねばならないのだ。
「心配しなくても、もう決意はしているわ」
自分たちには後がない。
生き延びる道はそれしかない。
「でも」
いや、レイは・・・。
「あなたは、別のものに囚われている気がして」
「・・・」
「キラ・ヤマトにこだわることに関係があるの?」
「・・・」
「きっと、私では力になれないのね」
「・・・すみません」
再び謝罪の言葉を口にしたレイに、今日は随分と殊勝なのねとタリアはまた笑う。
そしてレイの肩に軽く手を置いた。
「時間が解決することがあるわ」
「俺には、その時間がない」
「そうみたいね。でも、死んだら本当にその時点で終わり」
「・・・」
「とにかく今は、生き延びることを・・・無事にミネルバに戻ってくることを第一にして」
「艦長・・・」
「約束して。ねえ、お願い」
「・・・」
「レイ、あなたには帰る場所があるのよ」
画面の向こうの赤ん坊が笑っている。
赤ん坊を抱く母親も、共に優しく微笑んでいる。
それを見つめるイザークは、まるで聖母画を見ている気分になって眩しそうに眼を細めた。
「リリアナは随分大きくなったな。俺のこと、ちゃんと覚えてるか?」
イザークがそう言いながら手を振ると、赤ん坊はきゃっきゃと嬉しそうに笑う。
父親譲りの銀髪と蒼眼が、笑うたびに淡い色を含んだように輝いた。
『リリィが父様のこと忘れるはずないですよねー?』
「ああ、そうだな。疑って悪かった」
イザークはくすくす笑う。
かつての彼を知るアスランやディアッカが見たら驚いただろう。
その笑顔は、まさしく父親のそれだった。
『今度の戦闘、AAが出てくるそうですね』
「ああ・・・。激しい戦いになるだろうな」
『・・・無事に戻ってきてくださいね』
「心配するな、シホ。俺が約束を破ったことがあったか?」
イザークがそう問えば、画面の向こうのシホ・ハーネンフース・ジュールは唇を尖らせた。
『イザークは、いつも破ってばっかりです!』
「・・・破らないよ。今度こそは」
『・・・』
「生きて、プラントに戻って・・・また愛しいお前とリリアナを抱きしめに行くから」
『イザーク・・・』
「・・・」
『イザーク・・・イザーク、愛してるわ』
「ああ、俺もだ。愛してる」