ルキア (2)

 



 この三ヶ月間、芸能ニュースの主役は見事なほどにラクス・クライン一色だった。
 ゴシップ好きの大衆にとって、彼女の泥沼恋愛事情以上においしい話題はなかっただろう。
 ピンク色の人気アイドルは狙っているのかいないのか、周囲が望むとおりの行動をとった。
 キラに精神的苦痛を与えられたことに対する賠償を求める裁判の手続きをした後、
 テレビ局を綱渡りしてキラ・ヤマトから受けた仕打ちを涙ながらに訴えた。
 この時どこからの情報か彼の派手な女性関係も暴かれたが、
 幸いと言っていいのか私の名前は出てこなかった(もちろんメイリンの名前も)。
 この時は婚約までしていたのによそに子供を作ったからとあっさりラクスを捨てたキラに非難が集中したのだが、
 ここ数日は少々世論が変わってきている。
 キラはラクスからの非難に対して一切の反論をせず、彼女が望んだとおりの額の賠償金を支払い、
 文章ではあるが謝罪もした。
 ラクスが望んだ金と謝罪の言葉は得られたわけだ…心はこもっていないだろうが。
 だがラクスはキラのことに触れられるたびに彼への非難を繰り返した。
 キラがどんな人物だろうが、悪口を聞かされていい気分になるものはいない。
 決定的だったのが、
 キラの子供を身篭ったというフレイ・アルスターという女性の名前をラクス自身が暴露してしまったことだ。
 
 「あれ、シホちゃんってそういう雑誌読むんだね」
 耳に近いところで話しかけられ、悲鳴が出かけた。
 なれなれしいな、このやろう。
 「ラクス・クラインの事件が気になるの?」
 「ええ、まあ…」
 話しかけてくる新しい同僚に作り笑いで返す。
 ジュール隊にいた頃は隊長の気風だったのだろう、あんまりおちゃらけた男はいなかった気がする。
 なのに目の前にいるこの男はことあるごとに私に話しかけ、顔を近づけ、食事に誘ってくる。 
 どうなってんだ、一体…。
 「俺はキラ・ヤマトは嫌いだけどさぁ、ラクスちゃんのやり方もえげつないなぁと思う訳よ、うん」
 私が開いたページには、キラの子供を身篭った
 …つまり私が彼に振られた原因となった女性の情報が詳しく載った記事だった。
 ラクスは興奮するあまり、相手の女性のフルネームを暴露してしまっただけだ。
 それまでキラの相手の女性を匿名としていたゴシップ誌はしかし、
 ラクスの失言に意を得たばかりというように女性の情報を公開し始めたのだ。

 「フレイ・アルスター、18歳。元モデル。現在は実家で静養中…」
 「可愛い子だねー。オッパイ大きいし」
 「…そうですね」
 セクハラだ。
 少なくとも、貧乳の私の前で言うセリフじゃない。
 「かわいそうに、実家にマスコミ押し掛けてるだろうね」
 「ラクス・クラインはつい口を滑らせただけじゃないですか。悪いのは彼女の言葉に便乗するマスコミですよ」
 「あれ、シホちゃんはラクス贔屓なんだ」
 「…そういうわけじゃないですけど」
 どうにもラクスの味方をしたくなる。
 だって同じ振られたもの同士だし…。
 「なになに!?何の話?」
 あ、またうるさいのが増えた。

 
 ジュール隊長から気まず過ぎる告白をされた次の日。
 私は転属願を出した。
 あの日の「ごめんなさい」とその紙切れが私の答えだと受け取ったのだろう、
 隊長は何も言わずにそれを本部に提出してくれた。
 その二週間後に私の移動が隊に伝えられ、さらに二週間後に移動先の隊が決まった。
 仲間たちはささやかなお別れの会を開いてくれたが、さすがに隊長はそれに出席してくれなかった。
 …当然だ。
 そして私が配属された新たな隊が、ザラ隊だった。
 ジュール隊に負けず劣らずのエリート部隊…なにせ隊長のアスラン・ザラは現議長の息子なのだ。
 自分の我儘で逃げるように離隊したというのに、ジュール隊長はちゃんと私の将来も考えてくれた。
 そう気がついた時、本当に彼を振って良かったと思う。

 …いや、だって四つ又男と浮気してた駄目女ですよ?
 貧乳で女っけもない、仕事だけが取り柄のつまんない女なんです。
 それがスーパーセレブのイザーク・ジュールと釣り合う訳もない。
 きっとあの人の気の迷いだったんだ。
 キレーでボインな女の人に囲まれ過ぎてて、貧相な女が新鮮に見えただけなんだ。
 ああ、離れて良かった。
 去年は不毛な恋愛をして散々だったけど今年は初手から良いことをしたんだよ、シホ・ハーネンフース。
 きっと本年は良い年になることでしょう。
 気持ちだけなら出家状態です。

 そして辿りついたこのザラ隊。
 どうにもナンパ男しかいないのです。
 いかにも軽いこの男はハイネ・ヴェステンフルス。
 「シホちゃーん!ねえ、一緒にランチに行こう!美味しいイタリアンの店見つけたんだ」
 えーそうなんですかヴェステンフルス先輩ー、楽しみぃ。
 と口では言ってみるが、内心では「ミスター前髪」で名前が定着している。
 なにせ盛りあがった前髪が特徴的な男なのだ。
 後ろを向いているのに後頭部の向こう側から前髪の盛りが確認できるなんてどういうこったい。
 「俺も俺も!ハイネばっかり女の子とずるい!!」
 こっちはミスター前髪ほど積極的じゃあないラスティ・マッケンジー。
 でもベタベタ体に触ってくるんだよなぁ…。
 肩とか背中とか。
 いっそ胸か太ももに触ってくれたらぶっ飛ばせるのに…うぜぇ。
 
 内心いらいらしながらも、この隊では季節外れの新人だ。
 新しい職場で波風立てたくはないので、大人しく前髪たちの後ろに続く。
 あと一か月もすれば、私が面白みのない女だということに気付いてあからさまな誘いをかけるのもやめるだろう。
 それまでの辛抱だ。
 「…三人で食事に行くのか?」
 突如別方向から声がした。
 あ、たいちょー!というラスティの能天気な声。
 私は目を向けないまま、軽く会釈だけする。
 「お疲れ様です、ザラ隊長」
 
 舐めまわすような、視線を感じた。
 



 アスラン・ザラは、優秀な上司だ。
 ハンサムだし、スポーツ万能らしいし、仕事も早いし、セレブだし。
 いや、ジュール隊長ほどじゃないけどね!

 ザラ隊に転属になってから二ヶ月が経つ。
 仕事には随分馴染んだ。
 ミスター前髪は普段はチャラいけども部下を使うのが上手い。
 こいつは使えるなと思うとぽんぽん仕事を放り投げてきてくれるのでやり易かった。
 ラスティも意外と(失礼)仕事ができる子だったみたいで、
 私の質問に的確なアドバイスをくれるし、逆にはっとするような質問を投げかけたりする。
 二人とも仕事とプライベートはきっちり分けているので、初対面の印象は大分払しょくされていた。
 …それでも一週間に一度は飲みに誘われるけど。
 
 問題は隊長のザラ殿だ。
 先述の通り、彼は優秀セレブ君だ。
 ジュール隊長と違うところがあるとすれば、常に穏やかそうな表情を保っているところか。
 はっきり言って、ジュール隊長は感情が顔に出るタイプだ。
 それが魅力でもあり、弱点でもあった。
 でもザラ隊長は滅多に感情を表に出さない。
 笑っているようで、どこか無表情な気がする。
 そんな曖昧な仮面を向けられると、私はいつもどんな顔をしていいのか困ってしまう。
 同僚の二人とは違い、上司との距離感をつかめずやり難さを感じていた。

 そんな時だ、ジュール隊長からお誘いの電話が入ったのだ。
 



 指定された店は懐石料理の老舗だった。
 さすがセレブ、と感心しながら予約名を確認する。
 奥まった座敷に数人の男女が座っていた。
 「シホちゃーん!久しぶり!!」
 真っ先に声を上げたのはディアッカ・エルスマンだった。
 シホ「ちゃん」なんて歳じゃないんだからやめてよ、恥ずかしい…。
 「ハーネンフースさん、いらっしゃい」
 出た!
 マイ・スウィート・エンジェル!!
 わざわざ駆け寄ってきてくれた金髪天使にきゅんとなる。
 「こんばんは、レイ君。今日はお招きありがとう」
 一番奥の席では、相変わらずクールビューティな元隊長がそっぽを向いていた。

 今夜はレイ君の進級祝いだ。
 父親と同じく優秀な彼は、この三月でいわゆる飛び級が決まった。
 すでに軍隊でもジュール隊長の令息の優秀さに目を付けている人がいるとのこと。
 教師や飛び級先の生徒など、周りはすでにぎすぎすした空気になっているということはディアッカから聞いた。
 レイ君も子供ながらにその空気は感じ取っているようで、
 少しでも気を休めてやりたいと言うジュール隊長からの相談にディアッカがこの席を設けたのだそうだ。
 おなじアプリリウス市でも今の勤め先から少し遠かったため、私の到着が一番遅かった。
 ジュール隊長親子以外で顔見知りなのはディアッカだけかと思ったが、つい最近見知ったばかりの顔を見つけた。
 「え、と…ルナマリアさん」
 「お久しぶりです、ハーネンフースさん」
 キラを訴える!と鼻息荒くジュール隊に駆け込んできたメイリン・ホークの姉、ルナマリアだった。
 だが今日のお連れは妹ではなく、黒髪の青年だ。
 ルナマリアと同い年か、少し下くらいで結構なハンサムだ…彼氏だろうか。
 「夫のシン・アスカです」

 最近の若者めがぁぁぁぁあっぁっっっ!!!!

 内心舌打ちしつつ、「こんばんは」とスマイルを作る。
 上手く笑えたはずだけど、ちょっと瞼のところがぴくぴくしてたね、絶対。
 黒髪ハンサムは「どうも…」と無表情に頭を下げた。
 彼とは真逆ににこにこしているのは緑の髪をしたこれまた美形君だ。
 あれ、知らないけど…どこかで見たことある様な?
 「僕、ニコル・アマルフィです。はじめまして」
 「あ、どうも…あええぇ!?ピアニストのアマルフィさんですか!?」
 変な悲鳴出た。
 そういえば年末にあった「今年のビックニュース100選」で、
 「国際ピアノコンクール、ニコル・アマルフィ氏が最年少で優勝」とかいうのがあった。
 私と歳が近かったから覚えてたんだ、ああ恥かかないで済んだ。
 ジュール隊長、本当に顔が広いなぁ。

 気を取り直して席に座ると、カバンからこの日のために買ったプレゼントを取りだす。
 「レイ君、進級おめでとう。これ私から」
 「ありがとうございます。開けていいですか?」
 「もちろん」
 レイ君ははきはきとお礼を言ってくれるので、聞いてるこっちもなんでもしてあげたくなる。
 「なになに、レイ?何もらった?」
 ディアッカがレイ君を膝に乗せてプレゼントを覗きこむ。
 凄く自然な仕草だから、普段からお兄さん代わりとしてこの子の面倒を見ているんだな。
 「鉛筆?五本も。何か書いてある…?」
 「ニホンゴで《学業成就》で描いてあるの。おまじないだと思って使いきっちゃって」
 「最近の子はシャープペンシルだからな」
 「鉛筆削りも付けておいたわよ」
 地球からの輸入品ではあるが、お祓いもしてある(多分)鉛筆五本セット。
 辞書やランドセルはとっくにお父さんに買ってもらっているだろうし、
 私の給料で買ったものじゃあかえって恥をかかせるかもしれない。
 悩んだ末に選んだのがこれだった。 
 本来は入試試験を迎えた受験生向けのものだが、《学業成就》ならそうこだわることもない。
 最近の子に削って使う鉛筆は逆に新鮮なんじゃないかという狙いは当たり、
 レイ君は顔をきらきらさせてくれた。
 よかったぁ。

 「よーし!あらためて乾杯しよう。シホはビールでいいか?」
 「………オレンジジュース」

 

 一時間くらいすると、シンとルナマリアのカップルが席を立った。
 二人ともMSのテストパイロットで朝が早いらしい。
 人数が減ったことでそろそろお開きという空気になってくる。
 何しろ主役のレイ君がまだ未成年なのだ。
 お祝いとはいえ遅くまで酒の席に置いておくわけにはいかない。
 「つまんねーな。酒飲んでるの俺とニコルだけじゃん」
 「シホさんもかなりいけると聞いたんですけど」
 かなり出来上がっているディアッカが口を尖らせる。
 「今控えてるのよ…」
 「あ、できちまったのか?」
 「………」

 そんなに飲みたいなら漏斗(じょうご)持ってきて流し込むぞ、このガン黒!!!

 「すみません、漏斗ありますか?」
 「は?」
 ニコルさんに呼びとめられた店員さんが目を丸くしている。
 「ニコル…」
 素面の隊長が頭を抱えていた。
 そんなもの店に置いてあるわけないでしょう。
 ニコルさん、綺麗な顔してるくせに酔ってるよ。
 べろべろだよ。
 …あれ、じょうご?
 ニコルさん、漏斗って言った?
 私心の中で思っただけだよね?
 口にしてないよね?

 「こんばんは。随分盛り上がってるな」

 聞き覚えのある声が頭の上でした。
 でもなんでだ。
 なんでか振り返りたくないぞ。
 「は?」
 「アスラン!」
 あすらん?
 アスランってよくある名前だよね。
 かっこいいもんね。
 きっと男の子に命名したい名前トップ10に入ってるんだよ。
 私は絶対つけないけどな!!!
 「久しぶりじゃないのぉ、でこっぱち!」
 あああああ。
 駄目だ。
 デコなら間違いない。
 私の上司に間違いない。
 「ハーネンフース君。いま失礼なこと考えてなかった?」

 

 ザラ隊長は誘われてもいないのに私の隣の座敷に腰かけた。
 帰社前に見かけた軍服姿のままだ。
 しかも手にしていた臙脂色のコートをハンガーにかけてるし。
 …居座る気かよ。
 ほろ酔いのディアッカとニコルは気にしていないようだが、ジュール隊長は若干表情がひきつっている。
 「みんな久しぶりだな」
 「本当ですね。僕は結局入隊しなかったから、アカデミーの卒業式以来かな」
 「俺もしょっちゅう顔合わせてたわけじゃないぞ。…イザークは軍議で良く会ってたんだっけ」
 「…まあな」
 「ディアッカは現場担当だからな」
 「たまたま通りかかったらイザークの車が見えたんだ。まさかと思って入ってみたら懐かしい顔が揃ってて驚いたよ」
 ジュール隊長、ザラ隊長、ディアッカ、ニコルさんの四人はアカデミーの同級生だったらしい。
 何だか昔話が始まりそうな雰囲気だ。
 すごく蚊帳の外にされそう。
 帰りたい。
 超帰りたい。
 たまらず腰を浮かしかける、と。
 「まさかハーネンフース君までいるとは思わなかったけど」
 肩に手を置かれた。
 力を入れられたわけでもないのに体が動かなくなる。
 何だか背骨がちりちりして、二の腕がぞわぞわした。
 「そういやシホは、今はアスランの隊にいるんだったな」
 「ああ。とても優秀で助かってるよ」
 「アスランが積極的に人を褒めるなんて珍しいですね」
 「失礼なこと言うな、ニコル」
 ザラ隊長は機嫌よさそうだ。
 こんなに良くしゃべる人だったろうか。
 「仕事だけじゃない。美人で気がきく人だよ。ハイネたちが夢中になってる」
 「ハイネって、ハイネ・ヴェステンフルス?」
 「ミスター前髪!」
 …ニコルさん、あなたはワタクシの精神的双子ですか?
 「ラスティもだよ。この間もデートに誘われてたよね」
 「え、いえ…、その…」
 デートじゃない。
 飲みに行っただけでほにゃららはしてません!
 「なになに三角関係?」
 べろべろになりつつあるディアッカがしつこく絡んでくる。
 ニコルさんもそれを咎めるわけでもなく…むしろ私のコイバナに興味を示しているようだ。
 「どっちもわりと美形ですよね」
 「家柄もいいんじゃね」
 「シホさん、どっちと付き合ってるんですか?」
 「まさか二股かけてるとか」 
 「そ、そんな…っ」
 あまりの展開に言葉が出てこなかった。
 なんで私が将来勇猛な若者二人をたぶらかしてることになってんの!?
 でも頭に上った血は私の頬を赤くしただけで、唇を潤滑に動かす手助けはしてくれなかった。
 強張ったようにはくはくとするだけで、音らしいものが出てこない。
 私の馬鹿!
 っていうか、アスラン・ザラの馬鹿やろーー!
 生え際後退加速しろ!

 「生え際加速しろ」

 「は?」
 「へ?」
 地を這うような声がした。
 私じゃないよ?
 言ってないよ?
 心の中では思ったけれども!
 ぎぎっ、とぎこちなく声の方に目を向ければ。
 金髪天使が見たこともないどんよりとした瞳をかの生え際に向けていた。
 レイ君…お顔怖いよ。
 
 
 

 座敷の空気が一気に氷点下まで下がった。
 アルコールが入っているわけでもないのにぺらぺらと回っていたアスランの舌も見事に凍りついたようだ。
 べろべろだったディアッカとニコルは笑顔のまま固まっている。
 あー。
 何とかこのダイヤモンドダストを打破しなければ。
 じゃないと別なものがどんどん壊れてく気がする。
 …と思いつつ、私も二の句が繋げないでいた。

 ああ、私のエンジェル…。
 青いおめめからオーロラエクスキューションが出そうだね。

 ぱんっ。
 「レイは明日早い。そろそろお開きにするぞ」
 「…」
 小気味良い音と、涼やかな声。
 ダイヤモンドダストが霧散した。
 かと思えば上座に座っていたジュール隊長がさっさと立ち上がる。
 つぶらな瞳に戻ったレイ君は手を引かれてそのあとに続いていた。
 …あれ?
 「ディアッカ、会計はすませてるのか?」
 「あ、ああ!やっとくよ」
 「レイ君、おやすみなさい」
 ようやく我に返った酔っ払い二人が慌てて立ち上がる。
 私とアスランもつられるように腰を上げた。
 と、まだ野郎の手が肩に置かれてることに気付く。
 どうしてザラ隊は馴れ馴れしいの…。
 「イザークは車?飲まなかったのか」
 アスランの手は私の肩をホールドしたまま、しつこくジュール隊長の背中に声をかけた。
 ぎらり。
 また青い目がどんよりと光る。
 もうやめてアスラン!
 私の中のエンジェルをこれ以上穢さないで!
 「ああ。俺も明日早いから」
 「じゃあ、ハーネンフース君も送ってあげてくれよ。いいだろう?」
 「は?」
 「ええ!?」
 なんでだよ!!
 私の心の中の突っ込みは当然デコには届かない。
 「君の宿舎遠かっただろ?俺は反対方向だし、ニコルとディアッカは飲んでるから」
 「そりゃあ…」
 ジュール隊からザラ隊に移動するにあたって職場も変更になった。
 同じアプリリウス市ではあるが、ジュール隊はいざという出撃に備えるために港に近い支部にある。
 対してザラ隊は中間区にある本部が職場だった。
 私の宿舎はジュール隊の職場だった支部のすぐ下の区画で、未だに引越しをしていない。
 引越しが面倒だったし、本部の始業時間は支部より一時間遅いので遠くても通えると判断したからだ。
 「通り道なんだし、いいだろう?」
 「いえ、私は…」
 「分かった。来い、ハーネンフース」
 「え?」
 いや、ノーサンキューです。
 …なんて言える雰囲気じゃないよ。
 どうなってるんだ。
 恨めしげにデコを見る。
 「お疲れ様。また明日」
 見たことのないイイ笑顔で手を振っていた。


 
 ジュール隊長の車に乗るのは初めてだった。
 運転席はもちろん隊長、助手席にレイ君が座り、私は後部座席の隅に収まった。
 車が発進してしばらくすると、レイ君が寝息をたてはじめる。
 疲れたんだろう。
 …ホントごめんなさい、怖い顔させて。
 ダイヤモンドダストとか出させて。
 ふと窓の外を見て、雨がぱらついていることに気付いた。
 プラントで決まった時間以外に雨が降ることは珍しい。
 システムの故障でなければ、何らかの原因で上がり過ぎたプラント内の温度を下げるための緊急処置だ。
 当然傘なんて携帯していなかったから、車で送ってもらえるのはラッキーだった。
 「あの、ご迷惑かけてすみません」
 「…」
 「送っていただいて、その…助かります」
 「…」
 ジュール隊長は無言だ。
 もしかしたら怒っているのかもしれない。
 隊長のことをフッちゃったし。
 相談なしに転属願は出すし。
 レイ君の進級祝いはぶち壊しっぽいし。
 私なんかが車に乗り込んでくるし。
 …後半はザラのせいだけども。
 
 「…四つ股男の次は、あの軟派な二人組か」
 「はい?」
 地を這うような声だった。
 一瞬誰が発したものか分からなくて顔が引きつる。
 「懲りないな、貴様も」
 「…」
 え、ジュール隊長?
 運転している彼の顔は見えない。
 でも雰囲気が穏やかじゃないことは言うまでもなかった。
 「あんな男、どこがいい」
 「誰のことですか?」
 「キラだ」
 「さあ、分かりません」
 「分からんのに付き合っていたのか。とんだ尻軽だな」
 最後のは明らかな挑発だった。
 「降りた方がいいですね」
 「まだ話は終わってない」
 信号機、赤の信号機はまだか!
 「終わってますよ。私の話、聞くつもりなんかないじゃないですか」
 「聞いてるだろ」
 「聞いてません。ヴェステンフルスとマッケンジーとは付き合った覚えがありません」
 「だが…!」
 「ザラ隊長の言葉を真に受けるのは結構。私なんかよりずっと品性方正で御身分もジュール隊長同様ご立派ですからね」
 「おいっ」
 舌うちが聞こえた。
 百歩譲って前髪やラスティと二股かけてたとしても、ここまで貶められるいわれはない。
 「腹が立つ女だな」
 あ、本音出た。
 「隊長は幸運ですよ。尻軽で平気で二股かける女と付き合わずに済んだんですもの」
 「ふざけるな!」
 「お説教は結構です!」
 「何だと!?」
 「聞こえなかったんなら何度でも言いますよ、あなたに説教されるいわれはありません」
 よっしゃ!
 赤信号来た!
 「俺はな、お前が…」
 「好きなんですか?尻軽女が?キラ・ヤマトと不倫してるって知ってて告白したんでしょ」
 「…っ」
 「メイリン・ホークの一件で同席させたのもわざとでしょう!?随分愉快だったでしょうね」
 「貴様…っ」
 「赤信号!」
 車がブレーキをかける。
 同時に私はドアを開けて道路に躍り出た。
 隊長の声が後ろから聞こえた気がしたが無視する。
 絶対振り向いてやるもんかと思った。
 降りた場所は見覚えのないところだったが、構っている暇はなかった。
 とにかく私は前に進み続けた。
 雨に振られてびしょ濡れだ。
 全然ラッキーじゃなかったよ!
 
 「…どうして」
 ジュール隊長は、あんなこと言うのだろう。
 私はあの人の恋人じゃあない。
 もはや部下でもない。
 元部下で、ただの顔見知りだ。

 尻軽だと言われた。
 二股かけていると思われた。

 それが、悲しい。
 悔しいんじゃなくて、悲しかった。
 苦しかった。
 あの人だけにはそう思われたくなかった。
 私は…ジュール隊長だけには嫌われたくなかった。
 恋とかしてたわけじゃない。
 ただ、…良く思われたかった。
 キラに捨てられたというみじめな部分を見つめられたくなかった。
 フレイ・アルスターに嫉妬していることを悟られたくなかった。
 メイリンに共感している醜い部分に気付かれたくなかった。
 ああ。
 でも、もうみんなばれてるんだ。
 唐突に、気付いた。
 ジュール隊長に駄目な部分を見透かされてる。 
 挙句の果てにハイネたちをたぶらかしていると思われた。

 −−−あの人に、嫌われた。

 それは。
 濡れた地面に崩れ落ちるほどの衝撃だった。


 

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2012/04/30