ダブルオー (中編) 〜死〜



 エザリアとの時間はあっという間に過ぎた。

 「今日のピアノ、とても素敵だったわ。また弾いて頂戴ね」
 「はい、エザリア様」
 返事をすると、エザリアが頬に優しいキスを落としてくれる。
 それに答えるように僅かに首を寄せた。
 次に彼女はイザークの方へと歩み寄る。
 「次に来る時はまた髪が伸びているかしら」
 「え・・・?」
 思わぬことを言われ、イザークが瞳を見開いた。
 「あなたが髪を伸ばすなんて一体何年ぶりかしらね。何があったの?」
 からかうような口調で言う母に、イザークは視線を泳がせる。
 「暇がなかっただけです。・・・そのうち切りますよ」
 「切るんですか!?」
 思わず声を上げるレイ。
 「あらあら」
 イザークはこの馬鹿・・・と額を押さえ、エザリアはころころ笑う。
 我が母ながら人が悪い。
 「二人で話し合って決めなさいな」
 「・・・切ります。こいつがなんと言おうと」
 「喧嘩しちゃ駄目よ」
 「・・・話を聞いてください」


 「もしかして怒ってますか?」
 「別に」
 エアポートに着いた二人は横に並んで歩く。
 コンパスの長さが違うので、レイはやや急ぎ足だ。
 いつもはさりげなくスピードを合わせてくれるのに、今のイザークは心持ち大股歩き。
 怒ってるじゃないか・・・。
 いや、怒っているというよりは照れ隠しなのかもしれない。
 たまに見せる彼の子供っぽい態度、レイは嫌いではなかった。
 「切るぞ、髪」
 「せめて休みが終わるまで待ってください」
 「・・・あのなあ」
 どうしてそんなことを指図されねばならない。
 そう言いかけてイザークはやめる。
 レイは髪を伸ばしてほしいという「希望」を口にしただけで、その通りにしたのは自分の意志だ。

 「もういい・・・。帰ろう。リリィも待ってるしな」
 「あ、はい」
 アカデミーから直接このプラントに来たので、まだジュール邸には戻っていない。
 子猫が留守番をしているはずだ。
 「そこに座って待ってろ。チケットの照合をしてくる」
 「分かりました」
 イザークが鞄をごそごそやりながらカウンターに向かうと、レイは言われた通りに待ち椅子に腰を下ろそうとした。

 しかし、その時。
 「?」
 ひじに・・・何かがぶつかった?
 「きゃっ」
 女性の小さな悲鳴と共に手鞄が床に落ち、ばらばらと中身が床にばら撒かれた。
 「す、すみません!」
 体の向きを変えた際に、たまたま近くを通り過ぎようとした女性にぶつかってしまったらしい。
 レイは謝罪しながら、女性と一緒に慌てて落ちたものを拾った。

 「本当に、すみません」
 「いいのよ。私もよく周りを見ていなかったし・・・それにこんなに人通りが多いんですもの。無理ないわ」
 女性は大して気にした様子もない。
 全てを拾い終え鞄にしまうと、女性はありがとう、と言って微笑んだ。
 そしてレイの隣の椅子に腰を下ろす。
 20代前半くらいの、小柄な女性だ。
 美人ではない・・・ごくごく平凡な顔立ち。
 だが、笑ったときに見える彼女のえくぼがかわいらしいとレイは思った。
 「どこかに旅行に行くの?」
 「いいえ。家族がここに住んでいるので・・・。これから帰るところです」
 「そうなの。どこの市?」
 「マティウスです」
 「あら、私、マティウスだけは行ったことがないのよ。素敵なところかしら?」
 「ええ」
 初めこそ戸惑ったが、話しているうちにレイの顔にも笑顔が浮かぶ。
 彼女の態度は親しげではあっても馴れ馴れしくはなく、好感が持てるものだった。

 イザークはなかなか戻ってこない。
 週末だということもあり、カウンターが混み合っているのだろう。
 あの目立つ銀髪が人ごみに埋もれている。
 その間にもレイと女性の他愛ない会話は続いていた。
 名前も素性も知らぬ人間と、ここまで親しくできたのは初めてだ。
 話の内容はやがて、女性のことへと移っていた。
 「私ね、もうすぐ旅行に行くのよ。マティウスにも行ってみたいわ」
 「旅行?」
 首をかしげて聞き返すと、彼女は目を細めた。
 とても、幸せそうに。
 「結婚するの」
 左の薬指に、ダイアの指輪が光っている。
 「彼がね・・・兵士だったんだけど、怪我をして除隊したの。これから会いに行くのよ」
 彼女はパイロットだった婚約者が怪我によって腕に多少の障害が残ったこと、
 そのことで彼に一度別れを告げられたこと、
 そして先日、再びやり直そうと、あらためてプロポーズされたこと、
 結婚したら二人で旅行しようと話していることなどを話してくれた。
 なるほど、幸せそうにしているわけだ。
 
 こぼれんばかりの笑顔の女性。
 レイはその幸福を分けてもらったような気がして、何だか気持ちが良かった。






 ・・・一方のイザークは、実に機嫌が悪かった。

 もともと人酔いしやすいのに、週末で混み合うこのエアポートは気が重い。
 しかもようやくあと一人でカウンター窓口、というときに、窓口のPCがトラブルを起こしてしまった。
 散々待たされて用を済まし、時計を見てみれば、シャトルの出航まで20分をきっている。
 急がねばと連れの金髪の少年の姿を捜した。
 幸いに彼はすぐに見つかった。
 待ち椅子に座り、隣に座っている女性となにやら話しているようだ。
 イザークは足を踏み出し、彼の名前を呼ぼうと・・・。


 白。

 「レイ・・・!」

 イザークは、レイの名前をちゃんと呼べたのか、
 そもそも自分は声を出せていたのかすら分からなかった。
 ただ、声を出そうとした瞬間。
 視界が白く染まった。

 白い闇、無音の空間。

 イザークは。
 それが何であるのか、肌で知っていた。
 




 
 
 「・・・イ、・・・・・・レイッ、しっかりしろ!!」


 「・・・っ」
 「レイ!」
 「イ、イザーク?」
 レイは重いまぶたを引き上げる。
 視界が、とても暗い。
 どうして?
 さっきまであんなに明るかったのに。
 一度瞳を閉じ、また開く。
 やはり、暗い。
 目の前にもやがかかっているようではっきりしない。
 しかも体が鉛のように重くていうことを効かなかった。
 あげくに耳鳴りがして頭蓋骨をじんじんと刺激している。
 あまりの痛みに叫びだしたい気分だったが、それさえかなわず唸るばかりだ。
 「レイ・・・大丈夫か?俺が分かるな?」
 「は、い・・・」
 知っている声。
 愛しい人の声、だ。
 分からないはずなどない。
 背中に柔らかく暖かな熱がある。
 僅かに感じる息遣い。
 声の主、イザークが倒れている自分を抱きとめてくれているらしい。

 だが・・・。

 ようやくレイの頭に記憶がよみがえってきた。
 そうだ。
 自分はイザークと一緒にエアポートに来て。
 イザークを待っている間、えくぼがかわいい女性に幸せを分けてもらって。
 他愛ない話をして・・・。
 それから。
 ・・・それから?

 どうして自分はここにいるのだ?
 暗い、この場所に。
 痛い。
 体が痛い。
 苦しい。
 息が荒くなる。
 
 何か、良くないことが起こった。
 

 残酷なことに。

 視界が戻り出した。
 クリアになっていく目の前の光景。
 まず目に入ったのは、言わずもがな心配そうに覗き込むイザークのアイスブルー。
 そのイザークの服や髪は汚れていて、血のあとまである。
 でも、たいした怪我ではないようだ。

 二人の周りは、まるで廃墟。
 綺麗に整備されていたはずのエアポートが、一瞬にしてコンクリートの残骸へと変わっていた。
 ところどころ細い煙が立ち込め、炎もちらちら揺れている。
 何か、爆発が起きたのだ。

 「大丈夫だ。すぐに救援が来るから」
 イザークの言葉はしかし、レイには届かなかった。

 あの女の人は?
 隣に座って、結婚するのだと、幸せそうにしていたあの人は?

 「体を強くうっただけだ。運が良かったな」

 彼女は、結婚するのだ。
 幸せになるのだ。

 ゆっくりと。
 首をめぐらせる。
 「・・・レイ?」
 見てはならない。
 でも・・・。

 レイの視線が、ある一点で止まった。
 目的のものは、すぐに見つかってしまった。
 大きな瞳を張り裂けんばかりに見開き、それを凝視するレイ。
 イザークも、ようやくレイが何を見ているのかに気が付いた。
 「レイ、駄目だ」
 肩を軽く揺さぶるが、レイは反応しない。
 
 ―――マティウスだけは行ったことがないのよ。素敵なところかしら?
 ―――結婚するの

 幸せそうだった。
 幸せになるはずだった。
 笑顔が素敵だった彼女。
 レイの隣に座っていて、間は1センチも離れていなかったのに。

 彼女は。
 割れたコンクリートに体を挟まれ、地面に仰向けていた。
 一見顔は綺麗で外傷がないように見える。
 しかし、僅かに開く瞳にすでに光はなく、肌は生き人の色ではなかった。
 そして倒れている地面には血だまり。
 
 死。

 ただ、左の薬指にはめられた指輪のダイアだけが。
 同じ輝きをむなしく放っていた。






 「・・・ああ、そうだ。俺もレイもたいした怪我はしていない。ホテルの名前は・・・」
 ぼそぼそと話し声が遠くから聞こえてくる。

 レイは自分が覚えのないベッドの上で膝を抱えていることに気が付いた。
 着ているのは鞄の中に入っていた替えのTシャツと短パン。
 着替えた覚えは、ない。
 いや、そもそもここはどこだろう。
 あれは。
 あの残酷な光景は、夢?

 「・・・それじゃあ頼むぞ。また電話する」
 声が途切れる。
 顔を上げると、ドアの開閉音とともにイザークが現れた。
 彼も先程とは服装が違うような気がする。
 「イザーク・・・」
 「レイ、大丈夫か?」
 名前を呼ぶと、イザークがベッドの脇に腰を下ろして髪をなでてくれる。
 そうして、レイはようやく自分が震えていることに気付いた。
 よく見れば、体のところどころに小さな切り傷や包帯がある。
 「俺は・・・」
 「覚えてるか?ここはディゼンベルのホテルだ」
 「・・・」
 「あのエアポートで爆破テロがあった。俺たちは巻き込まれたんだ。
 二、三日あそこは使えないから家に戻れない。
 アカデミーやデュランダル様への連絡はディアッカに頼んだ。
 携帯があればすぐだったんだが、あの時に壊れ・・・レイ?」
 レイの様子がおかしいことに気付き、イザークが顔を覗き込む。
 心なしか、呼吸が荒い。

 「・・・」
 あの光景は、夢ではなかったのか。
 では、あの女の人は?
 彼女は、死んだ?
 コンクリートに挟まれ、血まみれて・・・。
 「・・・っ!」
 苦しい。
 心臓がやけに大きな音をたてて気管を圧迫する。
 「っは、はあっ・・・は・・・っ」
 苦しい。
 苦しい。

 怖い。

 
 「大丈夫だ」
 言葉と共に、熱が降りてきた。
 背中に手を回され、あやすようになでられる。
 「大丈夫」
 「・・・」
 「怖かったか?でももう心配ない」
 「・・・あ、あの人」
 「・・・」
 「あの人・・・死んで・・・」

 死んでしまった。
 一瞬で。
 幸せなのだと、微笑んだまま。

 涙が溢れてきた。
 今日知り合ったばかりの人だったのに。
 少し話しただけ。
 それなのに。
 痛くてたまらない。


 レイはイザークの体にしがみつき。
 ただ、嗚咽していた。
 
 

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2005/03/23