ウラギリ 04
雑然と人と物が入り乱れる商店街。
中東のこの地域はまだ整備されておらず、昔ながらの市場が多い。
すでに日は高く、トーブやターバンを巻いた買い物客でその通りには人があふれていた。
その中に、黒い布で体をすっぽりと覆った人物が人ごみに紛れるように歩いていた。
背が高く、布で覆われていても姿勢がしゃっきりとしているのが分かる。
この地域では女性が目元以外を除いた全身を黒い布で覆うという風習が残っているため、その人物に違和感はほとんどなかった。
やがてその人物は、ある店の前で立ち止まる。
時計屋だった。
店の前には店番らしき老人が椅子に座っている。
白髪に口ひげを携え、体を小さく折り曲げるようにしているその老人は、訪問客に気付いて顔を少し上げた。
「探し物かね、お客さん?」
「・・・白い置時計がほしい。女神の彫り物があるやつだ」
「ほう・・・」
丸眼鏡の奥から覗く老人の目が光る。
「『セメレ』、『ダフネ』、『ムネモシュネ』の三つがあるが、どれがいい?」
「・・・『エリス』を」
鈴の音を転がすような、それでいてぴんと張り詰めた美しい女の声だった。
三つの中のどれでもない名前を選んだ彼女に、老人の眼光は老いている者には似つかわしくないものになる。
そして、あいも変わらず椅子の上に座したまま。
「入れ」
短く、呟いた。
黒い布をかぶった女が店の奥に入ると、一つのドアが目に入る。
その他は封鎖されているのか入れないようにされていた。
女はためらいなくドアノブに手をかけ、それを開けた。
「時間通りだな」
「・・・」
部屋の中には、屈強な男たちが数人いた。
ほとんどがアラブ系だが、東アジア系や欧米系の顔立ちをした者も一人二人いる。
共通しているのはどいつも人相が悪く、大きくて筋肉質の体つきをしているということだ。
女は素早く頭の中にインプットされた写真と男たちの顔を照合した。
中にいるのは七人。
見張り役のあの老人をいれて八人。
「ターゲット」は、全員・・・いる。
女がそんなことを考えているとは露知らず、リーダーらしき髭面の男が口を開いた。
「いつまでそんなもんかぶってるんだ。顔見せな」
「・・・」
女は言われた通り、黒い布のフードの部分だけをおろす。
途端に。
男たちのため息が聞こえた。
フードの中の女の顔は、絶世の美女だったからだ。
白磁の肌に、控えめに輝く銀糸の髪。
それにサファイアの瞳と珊瑚色の唇がほのかな彩りを添えている。
若く美しい、至高の女。
それが、こんな雑然とした場所に無防備に立っていた。
驚き言葉を失っていた男たちの顔付きが、やがて下卑たものへと変わっていく。
薄ら笑いを浮かべ、女の顔だけではなくまだ隠されたままの体にまで粘ついた視線を這わせ始めた。
リーダーの男がおもむろに立ち上がり、女へと歩み寄る。
そして突然手を伸ばすと腰を掴んで華奢な体を引き寄せた。
「まさか『伝達係』にこんな美人を使わせてくれるなんてなぁ・・・」
布越しに伝わる女の体の感触は柔らかく、繊細だった。
「お楽しみはあるのかい?」
「・・・なくもない」
女の言葉に、周りの男たちがひゅうっ、と口笛を吹いた。
もう股間を押さえているものまでいる。
「随分サービスがいいじゃねぇか」
「ボスはお前たちはよくやってくれたと言っていた」
「へへぇ」
リーダーの男の腰に回されていた手が、背中を張って女の胸へ到達する。
弾力のある、柔らかいそれに吐く息が湿っぽくなった。
「じゃあ、早速・・・」
「ああ。まとめて相手をしてやるよ・・・『仕事』が終わったら」
「『仕事』?あ、ああ。仕事ね」
リーダーは名残惜しそうに銀髪の女から体を離すと、先程まで座っていたソファへと向かった。
そして上に置かれていたノートパソコンを取り出す。
それを見ていた女の瞳が、鋭く光った。
「言われた通り、ベルリンで陣張ってたグループに情報が入ったディスクを渡しといたぜ」
「パスコードは?」
「昨日郵送したところだ」
リーダーの言葉に、女は頷いた。
こいつの役目は終わりだ。
「金は確認したな」
「ああ。全額振り込まれてたよ・・・これで、全部だ」
リーダーは再び立ち上がる。
「楽しませてくれるんだろう?な、やろうぜ?」
他の男たちも獣じみた顔をして、じりじりと女との距離を詰めた。
「・・・ああ」
女は無表情を崩さない。
「楽しもうか」
何度もコールして、ようやく通信画面に現れたギルバートの顔を、レイはものすごい形相で睨み付けた。
握り締めた拳がぶるぶると震え、抑えることができない。
「どういう・・・ことですか?」
口から吐き出された言葉は、今までにないほど低く重かった。
『レイ・・・』
「どういうことだ、説明しろ!!」
初めて会ってから現在に至るまで、
レイはギルバートに対してこんな言葉遣いをしたこともなければこれほど激しい怒りをぶつけたこともなかった。
二人の間では前代未聞の、永久にありえなかった事態。
だが、ギルバートは予測していたのか静かな顔をしていた。
むしろ実験動物を観察するような、興味深げな眼差しでこちらを見返してくる。
レイは吐き気がした。
「イザークをどこに行かせた?・・・いや、そもそも何故彼女が!?」
レイの仕事だったはずだ。
「どうして?」
危険で、汚くて、彼女には似つかわしくない仕事。
「どうして!!?」
欧州への出発を控えた昨日。
イザークが突然ザクで出撃したまま姿を消した。
レイはタリアに詰め寄り、彼女が議長からの『特務』によって艦を離れたことを知らされたのだ。
すぐに思い当たった。
自分がするはずだった仕事だ。
それを何故、イザークが?
『・・・欧州に向かわせる前に、今まで中東で動かしていたグループを消さなければならくなってね』
「それを、イザークに行かせたのか?たった一人で?」
『君だって、今まで一人だっただろう。
ユニウスセブンのテロリストに情報を渡して支持したり、駐屯していたクライン派の将校を暗殺してロゴスに疑いが向くようにしたり・・・』
その通りだ。
レイは、ギルバートの思惑通りの裏工作をしてきた。
でも。
「イザーク・・・イザークに何かあったら・・・」
『彼女が言い出したんだ』
「!」
『君の代わりをしたい、君がこれ以上傷つくのを見ていられない、と。我々が何をしてきたのかを全て承知でね』
「頼んでない!そんなの理由になってない!!」
イザークが、自分のために?
誰も愛さないと誓った彼女が、アスランの言葉に心揺れていた彼女が・・・。
ありえない、ありえない、ありえない!!
『あの夜・・・』
レイは涙に濡れた瞳をギルバートに向ける。
『ディオキアでのあの夜、イザークを抱いた』
「・・・」
『初めて気付いたよ。保護者気分でいたのに、私はイザークにずっと惹かれていたんだ。・・・愛しかった、彼女が』
「・・・」
『だが・・・同時に、とても憎かった』
琥珀色の瞳が眇められる。
『私の腕に抱かれながら、彼女が呼んでいたのは私ではなかった』
「・・・ギル」
『アスランでもなかったよ』
ギルバートの唇が歪み、自嘲の笑みを浮かべた。
『彼女は自分の体を差し出し、そして今は命すら危険に晒している』
「・・・俺の、ために?」
ギルバートは、静かに頷いた。
『それが彼女の愛し方だよ、レイ』
「・・・ッ」
レイは唇を噛む。
嬉しくなかった。
たとえ彼女が自分を一番に思っていてくれるのだとしても、こんなのは意味がない。
こんな思いをするくらいなら、アスランに取られてしまった方がまだ良かった。
・・・イザークを憎まないで済むのだから。
イザークが、憎い。
こんなにも自分を苦しめる。
こんなにも自分を乾かせる。
そうして、何も言わないまま愛だけを示して消えようとしている。
愛しくて、憎い・・・!
うつむいて震えるしかないレイを見ながら、ギルバートは静かに呟いた。
『イザークが君の元に生きて戻ってくるかどうかは・・・それこそ君への愛の深さに左右するのだろうな』
白い刃の一閃。
それは、イザークの肩に手をかけようとしていた男の首を切り裂いた。
仲間の男たちが呆然としているうちに、イザークは同じナイフでさらにもう一人の男に飛び掛る。
相手に悲鳴を上げる暇も与えず、ナイフを左胸に深々と突き刺した。
二人の男が、それぞれの致命傷の傷から血しぶきを上げて崩れ落ちる。
ほんの数秒の間に起こった、鮮やかかつ情け容赦のない殺人だった。
「こ、この・・・ッ」
「おんなぁ!」
ようやく我に返った男たちだったが、その時イザークはすでにローブに隠していたマシンガンを取り出していた。
扉はイザーク自身が背中でふさいでいる。
男たちに逃げ場はなかった。
ガガガガガガガガガガガガッッッ。
マシンガンの銃声。
それに混じり、男たちの悲鳴と肉が避ける音が混じる。
床が赤い海になり、壁や天井にも血痕が跳ねた。
「・・・はあっ、はあっ、はっ」
全ての弾を打ち切ったイザークは、手にしていたマシンガンを取り落とした。
鈍い痛みに顔を歪める。
反撃の暇を与えなかったつもりだが、わき腹に一発掠ってしまった。
これくらいなら死ぬことはないだろうが・・・。
と、その時、後ろからの気配にはっとして飛びのいた。
同時にドアがばんっ、と開かれる。
「おい、どうした!?」
あの見張りの老人だった。
年寄りとは到底思えない勢いで部屋に飛び込んでくる。
武器を持っていなかったイザークは、ほぼ反射的に老人の背後から飛び掛った。
対する老人は・・・老人といっても50代前後でしかも体を鍛えていた兵士だったようだが・・・目の前の参上に肝を潰していた上、
現役ザフト兵のイザークに背後から襲われては逃れようもなかった。
そのまま腕に首を回され締め上げられる。
「ぐ・・・っ、ぐぐぐぐぐ・・・」
老人の口から苦しげな息が漏れる。
イザークは躊躇なく、さらに腕に力を込めて横に振り切った。
ごきり。
鈍い音がして、首の骨が折れる。
「これで、全員・・・」
音もなく床に崩れ落ちる老人の死体を見ながら、イザークはそう呟いた。
外が騒がしい。
もうこの店にはイザーク以外に生きている人間がいないため、外の喧騒が色を変えたことがすぐに分かった。
周囲の人間が銃声に気付き、異変を察したのだろう。
イザークは男たちの死体を飛び越えると、リーダーの男が持っていたノートパソコンを掴んだ。
キーボードを素早く叩き、慣れた手つきで画面を次々に切り替える。
ほんの一分足らずのうちに《デリート》の文字が画面に映し出された。
それを確認し、イザークはノートパソコンを開いたままテーブルの角に叩きつける。
データもパソコンも破壊し、これで万が一自分たちとの繋がりが漏れる恐れはない。
自分に与えられた役目は終わりだ。
後は退散するのみ。
だが、彼女は気付かなかった。
最初に部屋にいた男のうち一人が、虫の息ながらも生きながらえていたことを。
血だらけになった黒い布を脱ぎ去り、立ち去ろうとしたイザークの背中。
そこへ。
震える銃口が向けられた。
2006/12/27