PHASE-13「《ヒュペリオン》




 C.E.79 3月21日。
 《ゴンドワナ》に向けて航行中の《ヒュペリオン》、シュミレーションルーム。


 4.5秒…。
 たった4.5秒だ。
 目の前の「Game Over」の文字は見慣れているはずなのに、それでもタクトはしばらく固まってしまった。

 ―――この人、強い…。キラ様並だ。

 《セラフィム》でのシュミレーションでも、キラ・ヤマトに似たような時間で秒殺されてしまった。
 その時は相手は「伝説のフリーダム」のパイロットだから、と自分を納得させていたのだが…。
 他にもこんな人がいるなんて。
 いや、単に自分が弱すぎるだけか?
 タクトは立ち上がり、自分を完膚なきまでに叩きのめしてくれた人物のいる方向へと視線を合わせる。
 黒髪に真紅の瞳をしたその人物…シン・アスカは、タクトの視線に気付いて端正な顔をこちらに向けた。

 …が。

 ほぼ同時に、彼の真後ろに二人の男女が仁王立ち。
 タクトが顔を引き攣らせるとほぼ同時に。
 「このオバカ!!!」
 「手加減せんかーーー!!」

 ごんっ。
 ごんっ。

 「…」
 男女の拳がシン・アスカの後頭部に直撃。
 シンは無言のままシュミレーション機に突っ伏した。



 「まったく、これじゃあ訓練にならんだろうが」
 「言われなくったって、それくらい気付きなさいよ」
 「…すみません」
 イザークとルナマリアの見慣れない一面に唖然としているタクトに対し、
 拳骨をくらわされたシンはさほど驚いた様子も怒った様子もなく淡々としている。
 あまり感情を表に出さないタイプのようだ。
 見れば一部始終を見ていたミンシアとエディも慣れた光景だというでもいうように肩をすくめているだけ。

 …なんだ、この隊。

 「仕方ないな。ミンシア、次はお前だ」
 「はい!」
 イザークとルナマリアの手によって引きずり出されたシンに代わり、緑服のミンシア・アボットがシュミレーション機に入り込む。
 よろしくね、と笑顔で挨拶するのも忘れずに。




 一般人にしては驚異的な体力で回復したタクトは、《ゴンドワナ》に着くまでの10時間余りを持て余していた。
 そんな彼に、イザークがシュミレーションでもやらないかと声をかけてきたのだ。
 タクトの腕前を直接確認したかったのもあるだろうし、隊員たちへの刺激になるのではと考えたのだろう。
 タクトとしても、先の《クラフト・カオス》との戦闘が自分の能力によるものなのか、
 あるいは《オプティマスシステム》によるものなのかはっきりさせたいという気持ちがあり、了承したのだった。
 MS部隊のリーダーというシン・アスカは、はっきりさせる暇も与えてくれなかったが。


 シュミレーション画面に現れたミンシアの機体は《ジン》だった。
 《リゲル》を選んでいるタクトと同じ機体では訓練にならないということだろう。
 歳はタクトと同じくらいだが、ジュール隊に配属されるくらいだから能力は高いはずだ。
  
 「始め!」

 イザークの言葉と同時に、小さな箱の中での戦闘がスタートした。
 タクトの《リゲル》がライフルの標準を《ジン》に向ける。
 だがまだ射程に収まる距離ではない。
 するとミンシアの《ジン》の方が前に進み出た。
 
 タクトがライフルを連射する。
 だが、ミンシアはそれを余裕で回避した。
 彼の射撃はまだ「狙う」という意識を有していない。
 「当たればいい」という、初心者に多い適当な撃ち方だ。
 軍服こそ緑だが、パイロットとしては高レベルの戦績を持つミンシアの敵ではない。
 それでも《ガーディアン》にはオートロックシステムがあるのだが、このシュミレーションのリゲルの装備には有されていない。
 「そんな腕で、最新鋭機を任されてたの?」
 「…!」
 ミンシアの挑発に、タクトは唇を噛み締める。
 何としても、一矢報いなければ。
 
 タクトはライフルを撃ちながら、少しずつ相手との距離を詰めていった。
 対するミンシアは、慎重に回避しながら自らもライフルを構える。
 タクトのものより威力は低いが、かなりの精密度を持つ狙撃用だ。
 
 ビビッ!

 耳障りな電子音に、タクトが舌打ちする。
 「着弾」を示す文字。
 撃たれた!…左脚の部分だ。
 この状況でか?
 「くそっ!」
 ミンシアの射撃の腕前は相当だ。
 滅茶苦茶に動き回ったところで相手の攻撃を回避できるとは思えないし、それではこちらからも攻撃が出来ない。
 タクトは遠距離で仕留める方針を変え、一気にスラスターを噴射した。
 接近戦で仕留めるため、右手にビームサーベルを構える。

 「うおおおぉぉぉぉーーーっ!!」

 左手に構えたライフルを撃ちながら距離を詰める。
 そろそろエネルギー切れなのは分かっていた。
 ミンシア機はシールドでビームを受けつつ斜め後ろに後退するが、こちらの方が早い。
 やがてライフルが沈黙した。
 弾切れだ…同時にタクトはライフルを捨て、シールドを構える。
 ミンシア機の懐に飛び込む!

 「当たれぇ!」
 「ふっ!!」
 
 気合と同時にタクト機がサーベルを振り下ろす。
 だがミンシアは冷静だった。
 シールドでサーベルを受けると、そのまま加速して体当たりする。
 
 ドオォォォン!!

 「くあっっ!」
 シュミレーションとはいえ多少の衝撃は再現される。
 まだ万全とはいえない体を揺さぶる振動に、タクトは呻いた。
 実際の戦闘だったら気絶していたかもしれない。
 「言い忘れてたけど…」
 ミンシアがジンのサーベルを抜く。
 ビームコーティングされていないとはいえ、叩きつけられればかなりの威力を持つものだ。
 「あたし、接近戦の方が得意なのよ!!」
 サーベルが横になぎ払われる。
 狙いはコクピット。
 「…んのっ」
 放心しかけていたタクトは、そこでようやく我を取り戻した。
 ほぼ反射的に機体を下に滑らせる。
 
 二度目の衝撃が、タクトを襲った。

 


 「あああーーっん、くやしぃーーい!!」

 Game Over が表示されるなり、ミンシアが頭を抱える。
 「勝ったんだからいいじゃないですか」
 横からエディが言うが、ミンシアは頬を膨らませた。
 「無傷で勝ちたかったの!自信あったのにぃーー」 
 ミンシアは最終的にタクト機のコクピットを攻撃して戦闘不能にしたものの、彼女の機体もまた頭部が半分欠けていた。

 あの攻撃…。
 タクトが機体を下にずらしたことでコクピットを狙っていたサーベルが左の上腕から胸部に食い込み、躊躇したところをタクトが唯一起動可能だった右手のビームサーベルで攻撃したのだ。
 結局その攻撃はミンシア機を戦闘不能にすることはなく、アイカメラの一部を砂嵐にしただけ。
 タクトと違ってライフルの弾を温存していたミンシアは、今度こそコクピットを狙い撃ちして勝利を収めたのだった。

 悶えるミンシアに対し、タクトは半ば放心状態だ。
 シンの時は一瞬だったが、ミンシア戦は10分を超えている。
 初心者の彼的には濃密な内容だっただめ、精神力を使い果たしたのだろう。
 心配したルナマリアが近寄って声をかける。


 「どう思う、シン?」
 「戦術とかが全くないですね。行き当たりばったり」
 シンの応えに、イザークも頷く。
 「でも、ナチュラルにしては反応がいいと思います。もちろんミンシアやエディほどじゃないですけど」
 「連合だったら文句なしでエースパイロットになれるだろうな」
 「攻撃自体は滅茶苦茶ですけど、切り替えは上手いですね。それなりに適格だし」
 「…本当に、軍事訓練受けてないのかよ」
 「本能とか感覚に従ってやってるんだと思いますよ、あれ」
 …じゃあキラ・ヤマトと同類じゃないか。
 という言葉をイザークはとっさに飲み込んだ。
 シンにとって、『キラ・ヤマト』と『フリーダム』は禁句に近い。

 軽く咳払いしたイザークは、20分の休憩を言い渡した。
 
 


 三度目のシュミレーション。
 今度は15分と粘ったものの、やはりエディにも負けた。
 《リゲル》と《ジン》というハンデももらったから、やはり自分はまだまだなのだとタクトは落ち込む。
 それでも素人のナチュラルにしては筋がいいとミンシアに慰められ、タクトの《ヒュペリオン》でのひとときは終わろうとしていた。
 あと三時間ほどで移動要塞の《ゴンドワナ》に到着する。

 余った時間は《ヒュペリオン》の艦内を、ミンシアとエディに案内してもらうことになった。
 《セラフィム》にはミンシアたちのように気さくでなおかつ同年代の兵士がいなかったので、
 タクトは艦の案内よりも彼らとのおしゃべりの方を楽しんだ。
 


 「じゃあ、ヤマト隊長のフリーダムと戦ったことがあるパイロットって、アスカさんのこと?」
 「そうよ。ボーっとしてるように見えて、ジュール隊の中では一番強いんだから」
 タクトは《セラフィム》のヴィーノのことを思い出す。
 彼が心配していた元同僚とはシンのことだったのか。
 凶悪で狡賢そうなのを予想していたのに、あんな天然ボケのニーチャンだったとは。
 「どうしてこの隊に?」
 「ジュール隊長が誘ったって聞いたけど…ルナマリアさんと一緒に」
 「ルナマリアさん?」
 「そ。恋人同士なんだって」
 明るかったミンシアの表情が一気に落ち込む。
 どうもシンの方に気があるらしい。
 「二人とも、《ミネルバ》のパイロットだったんですよ。
 リーダーは《デスティニー》で、ルナマリアさんは《インパルス》。《レジェンド》のパイロットは戦死したって聞きましたけど」
 「ああ、それは知ってる。ヴィーノに聞いたから」
 「ヴィーノ?誰です?」
 「《セラフィム》の整備士で…アスカさんとルナマリアさんのこと少し教えてくれた。
 ああ、そういえばあの人も…オペレーターの人もミネルバにいたって…名前なんだっけ?」
 タクトは腕組みをしてしばし考え込む。

 赤毛のオペレーターの名前は以前に何度か耳にしているはずだ。
 だが浮かぶ名は「お局様」「愛人」「化粧ケバイ」etc.で、
 ヒュペリオンの頼れる姉御、ルナマリア・ホークとの接点があろうなどとはタクトには思いもよらなかった。



 格納庫に着くと、タクトはある人物のところまで連れて行かれた。
 イザークやシンと同じくらい背の高い、緑服の青年兵だ。
 整備士の幾人かと真剣な顔で話し込んでいる。
 「ハァイ、ユーリ!」
 「こんにちは、ユーリ先輩」
 「…ああ」
 ユーリと呼ばれた青年はタクトたちに気付くと、整備士たちに一言二言かわしてこちらにやってきた。
 金髪碧眼で、一見冷たそうな印象を与える容貌だ。
 「ユーリ、この子が…」
 「知ってる。《ガーディアン》のパイロットだろう」
 「そう!タクト・キサラギ君!!」
 「え、え…っと。あのぉ…」
 ぐいぐいと背中を押され、タクトは戸惑う。
 見たところミンシアたちとかなり近い立場のようだが…パイロットか?
 するとタクトの疑問を感じ取ったエディがこっそり耳打ちした。
 「この人、ガーディアンを発見してこのヒュペリオンに収容してくれた人です」
 「あ…」
 つまり。
 タクトの命の恩人。
 「はっ、はじめまして!タクト・キサラギです!」
 「ユリシーズ・キンバリーだ。ユーリでいい」
 ぺこりと頭を下げたタクトに対し、ユーリは無表情ながらも右手を差し出した。
 つられる形で握手を交わす。
 「た、助けていただいて、ありがとうございました」
 「別に」
 ユーリの態度は随分とそっけない。
 というか、シン・アスカ並に口数と感情表現が少ないのだろう。
 それでもナチュラルの自分に嫌悪を感じているとかそういうことはなさそうだ。

 ―――何だか、《セラフィム》と随分感じが違うな。

 ナチュラルの自分にあまり壁を作ることのないクルーたちの態度は嬉しかったが、
 それがもともとヤマト隊に求めていたものだということを考えると何となく複雑だった。
 
 そんなことを考えながらふと視線を泳がせたタクトは、見慣れた機体に気が付いてはっとした。
 ユーリやミンシアたちも様子を違えたタクトに気が付いて視線を滑らせる。
 格納庫の奥の方…「白夜」に撃墜された《ゼロセブン》用のハンガーに、《ガーディアン》が格納されていた。
 「《ガーディアン》…」
 思わずタクトは足を踏み出していた。
 無重力が手伝って、彼の体がやんわりと斜めに跳ねる。
 「タ、タクト!そっちは…」
 「おい、何してる!」
 ミンシアがタクトを引き戻そうとする前に、別の場所から大声がした。
 先程までユーリと話していた整備士の一人だ。
 「そっちは立ち入り禁止だぞ!」
 「あ、あの」
 「あの機体には近づくなってジュール隊長にきつく言われてるんだ。ほら、あっちに行け!」
 少し言い方が尊大なような気もするが、《ガーディアン》が機密だということで彼らなりに神経質になっているのだろう。
 「この子はいいんだ。あれのパイロットだから」
 タクトが弁明に困っていると、ユーリが横から助け舟を出してくれた。
 途端にタクトに向けられていた整備士の視線が好奇心を帯びる。
 「へえ、この子が?」
 「そうだ。隊長には俺から言っておくから少し近くに寄っても?」
 「うーん、まあ…隊長に断りを入れてくれるんだったら」
 「別にいじったりしないよ」
 「そうそう。見るだけです、見るだけ」
 ミンシアとエディも言葉を繋ぐ。
 整備士は子供のおねだりのようなそれに苦笑し、行ってしまえと手を振った。
 やはりそんなに悪い人ではなかったらしい。
 

 ガーディアンは一番奥のハンガーに吊るされていた。
 ハンガーの他、胸部、腰部、脚部の三箇所に横方向の鋼鉄の巨大ロックが施されている。
 コクピット部分にも見慣れない機材がついており、特殊なことをしないと開けられないようになっているのだろう。
 ガーディアンのハンガーとそのすぐ手前のハンガーの中間辺りに兵士が一人立っていて、
 これ以上はタクトでも近づくことは出来ないと念押しされた。
 
 「腕が千切れちゃってますね」
 「装甲も所々溶けてる…でも原型をちゃんととどめてるのはさすがね」
 ガーディアンはエディとミンシアが言った通りの状態だった。
 けれどタクトが考えていたほど酷い状態というわけではない。
 腕のパーツはともかく、後は簡単な修理で直せそうだった。
 「よかった。もっと酷いことになってるのかと思ったよ」
 「何か爆発があったのか?左半分がかなり損傷しているが」
 「ああ、はい。シールド突き出したらいきなり爆発して…」
 「ビームシールド?」
 聞き返したユーリに頷く。
 そうだ、肉薄してきた《クラフト・セイバー》がビーム砲をこちらに向けてきて、反射的に受け止めようとしたのだ。
 「その時、シールドのビーム展開してたのか?」
 「え?さあ?初めての実戦だったし、もう夢中で何がなにやら…」
 タクトは頭をかきながら苦笑いする。

 この様子だと、本当に何が起こってしまったのか理解していないのだろう。
 状況から察するに、敵のビーム砲と展開する寸前のガーディアンのシールドのコーティングビーム粒子が、ぶつかるタイミングと距離、密度等の関係で偶然的に爆発を起こしてしまったということだろうか。
 近くに火器か何か、爆発を促進しやすいものがあったのかもしれない。

 「もういいだろう。そろそろ向こうに着く時の準備をした方がいいんじゃないのか?」
 ユーリの言葉に、タクトは僅かに表情を曇らせた。
 《セラフィム》に戻らなければならないと分かった途端、なんだか名残惜しくなったのだ。
 以前はセラフィムにこそ憧れていたことを考えると矛盾していると自分でも感じた。
 「あーあ、もうタクトとお別れかぁ。せっかく友達になれたのにね」
 残念そうに言うミンシアにエディも頷く。
 まだ一日足らずの付き合いだというのに、特にこの二人には良くしてもらった。
 歳が近かったこともあるだろうが。
 タクトがそんな感傷に浸っていることなど知ってか知らずか、ユーリは三人を入り口の方向へと押しやる。
 「ガーディアンは整備士たちがきちんと引渡しをしてくれる。副リーダーも立ち会うそうだからな。タクトは軍服に着替えてジュール隊長と一緒にブリッジへ。ミンシアたちもだ」
 やや強引なユーリに、ミンシアとエディは「はぁい」と気の抜けた返事をする。
 タクトもそれに続いた。

 と、入り口の前に一人の少年がいることに気付く。
 ザフト・レッドをまとっていたため、その少年は否応なしに目立っていた。
 金髪を乱れさせ、緑の瞳がぎろりとこちらを睨みつけている。
 前を歩いていたミンシアとエディが立ち止まり、タクトもいいとはいえない雰囲気を感じ取った。

 「あーら、ザフト・レッドのリーゼ君。罰当番は終わったのかしら?」
 ミンシアの嫌に明るい声に、リーゼと呼ばれた少年の瞳がさらに険悪身を帯びる。
 「やめないか、ミンシア」
 気付いたユーリが前に進み出てミンシアを嗜める。
 ミンシアが頬を膨らませながらも口を閉ざしたところで、リーゼへと言葉を投げかけた。
 「何か用なのか、リーゼ?」
 「…これ」
 「?」
 リーゼが差し出したのは白い紙袋に入った赤い軍服だった。

 『赤』を着ることを許されているのは毎年好成績を収めた限られた卒業兵だけ。
 ジュール隊ではルナマリアとリュカ・メイデス、そしてこのリーゼだけだ。
 タクトは特別扱いとして『赤』を着ることを許されているが、この艦に来た時はパイロットスーツの状態だった。
 体型等を考慮して、タクトと相応なのはリーゼしかいない、とイザークは判断したのだろう。
 今タクトが来ているのは一般兵の緑服だ。
 これがモートンに知れれば後でどんな小言が来るか分からない。

 リーゼはイザークに命じられ、タクトのために自分の予備の服を持ってきてくれたのだ。
 と、彼は口をへの字に曲げたまま、つかつかとタクトの元へと歩み寄る。
 「あ、あの」
 迫力に圧倒されているタクトに対し、リーゼはぐいっとその紙袋を彼へと押し付けた。
 反射的にそれを受け取る。 
 この艦に来てからは親切にされっ放しで本当に申し訳なかった。
 「あ、ありがとう」
 せめて。
 精一杯の謝辞を。

 「僕になれなれしい口をきくな!ナチュラルのくせに!!!」

 吐き捨てたリーゼがそのまま元来た道を走り出す。
 その背中にミンシアの怒号やユーリの窘めの言葉があったようだが、タクトの耳には遠かった。

 …やはり、現実は甘くない。
 
 

 

 イザークの部屋には、写真立てがいくつか置かれている。
 ボードに手当たり次第にべたべた貼り付ける輩もいるが、
 イザークは選びに選んだものを洒落た細工の施されている写真立てに入れて大切に飾っていた。
 彼が母親と撮ったものや、アカデミーの仲間を映したもの、風景だけのものもある。
 その中で。
 常に伏せられている写真があることに、この部屋の居候となったほのかが気付くのは時間がかからなかった。
 シルバーで出来たそれはデジタル時計の隅に追いやられるように置かれていて…。
 それでも、何故か興味を引いた。
 
 ―――何かの拍子に、写真立てが倒れてしまったのだろうか?

 単純にそう考えたほのかは、軽い気持ちでそれを手に取ってみる。
 和服の女性が映っていた。
 とても綺麗な人だ。
 ほのかは他の写真同様、よく見えるようにそれを立てて置いておいた。
 そして、数時間後。
 ルナマリアと共にほのかの様子を見に来たイザークは、例の写真の変化にすぐ気がついた。
 もしかしたら、常に…無意識でありながらもそれを気にかけていたのかもしれない。
 その写真が鮮やかな色彩を灯りに晒していると知った途端、反比例するようにイザークの顔色はさっと白くなった。
 何が何だか分からないほのかの目の前を彼はずかずかと通り過ぎ、
 無言のまま写真立てを手に取ると手近な引き出しに仕舞い込んでしまう。
 あっという間の出来事だった。
 ほのかは驚いた。
 その後のイザークはいつものようにほのかと口を利くことはなく、目も合わせてくれなかった。
 あの写真が原因でイザークを怒らせてしまったことにはすぐ気がついた。

 謎はすぐに解ける。
 イザークが部屋を出た後、ルナマリアがそっと教えてくれたのだ。
 あの写真は、イザークの亡くなった奥さんを映したものなのだと。

 ―――イザークには、特別な人がいたんだ。

 ほのかではなく…。
 部屋に一人にされてから、またこっそりと引き出しを開けて写真を手に取る。
 長くつややかな黒髪に合う和服に身を包む女性。
 その笑顔は控えめな美しさと、そして儚さを感じさせた。
 
 兵士だったらしい…ルナマリアと同じ、赤服の女パイロット。
 シンとルナマリアがジュール隊にやってきたのとほぼ同時期にイザークと結婚し、退役したそうだ。
 そして、亡くなった。
 お腹の中の、彼の子供と一緒に。




 「タクトとは話さんのか?」
 『別にわざわざ呼び出す必要はありませんよ』
 通信画面の向こうにいるディーゼルは曖昧に笑った。
 『そちらが無事《ゴンドワナ》に到着できそうだと聞いてほっとしてますよ。あなたの隊にも休暇があるかもしれませんね』
 「ああ。そっちの、L4の方はどうだ?」
 『とりわけ変わった動きはありません』
 本国も神出鬼没のテロリストにばかり気を取られてたみたいですからね、とディーゼルは皮肉る。
 『ところで…』
 とディーゼルがきょろきょろと視線を動かし始めた。
 わざとらしくてイザークの眉間に皺がよる。

 『ほのかちゃんはどこですか?』
 「貴様、ここにいないの知ってて聞いてるだろ」

 ちなみにイザークが通信を繋げているこの部屋は艦長室だ。
 検査のために連れ出すことはあっても、
 彼女がここでは半拘束状態(しかもイザークの自室に)だということはすでに彼には伝えてある。
 チャンネルを見れば一目瞭然のはずだというのに。

 『駄目ですよ、ちゃんと捕まえておかなきゃ。この際、年齢は無視して…』
 「おいおい」
 『オトーサンは心配なんですよ!可愛い息子がこのまま独身だなんて』
 「だれがオトーサンだッッ!」
 思わず声を荒げるイザークに対し、ディーゼルはにんまり笑う。
 ああ、来たぞ、とイザークの背中に冷たいものが走った。

 『あの日、酒を酌み交わした仲じゃないですか』
 「一緒に酒飲んだくらいでどうして貴様を父と呼ばねばならん?」
 大体それは、二年も前の話だ。
 そう、二年前。
 急性妊娠中毒症で急死してしまった妻の葬儀の翌日…いや、その日の夜だったか。
 心配して付き合ってくれたディーゼルの前で強くもない酒を飲みまくり、泣いたり叫んだりの醜態を晒してしまった。
 晒してしまった…らしい。
 何をしたのかさっぱり覚えていないため、後に居合わせていたアランに自分が何をやらかしたのかそれとなく尋ねてみたのだ。
 が、そのアランが顔を赤くしたり青くしたりしていたところを見ると(結局はっきりしたことは何も聞き出せなかった)、酔った自分はとてつもなく恥ずかしいことを口にしてしまったようだ。
 
 以来、ディーゼルには頭の上がらないイザークである。

 『本当に、ほのかちゃんとは何もないんですか?』
 「ぶっ殺すぞ、てめぇ」
 『冗談ですよ』
 「…」
 『で、真面目な話、あの子をどうするつもりなんですか?』
 「《ゴンドワナ》でモートンの小隊に引き渡すつもりだったんだが…止めた」
 『可愛らしさゆえに手放せなくなったんですね』
 「…もう切るぞ」
 『ま、まってくださいよぉ。イザーク!』
 これも冗談ですから、とディーゼルは画面にかじりついている。
 勘弁して欲しいとイザークは額を押さえた。
 後で医務室によって胃薬でももらっとこう。



 着替えのために医務室に向かっていたタクトは、ふと窓に映ったものに足を止めた。
 深緑色の、巨大な鉄の塊が浮かんでいたからだ。
 「あれが、《ゴンドワナ》か」

 ザフト軍の大型宇宙空母《ゴンドワナ》。
 ナスカ級戦艦の約五倍もの全長に、多数の火砲や搭載機を有している。
 内部にMSだけでなく戦艦を収容することも可能であり、移動要塞と呼ぶに相応しい。
 五年前のブレイク・ザ・ワールドを発端とする大戦では《メサイア》とともに司令塔として活躍し、多くのMS、艦の空母となった。
 だがラクス・クラインが議長になった現在では、警護のために遠方に派遣されている隊の補給所としての役割が強い。
 かといって《ボアズ》、《ヤキン・ドゥーエ》、《メサイア》に代わる要塞は以降建造されていないため、
 その存在感が薄くなったわけではなかった。

 初めて見るゴンドワナの存在感に、タクトは圧倒される。
 想像以上の大きさだ。
 そしてふと思う。
 ここに収容されれば、タクトはこの艦…《ヒュペリオン》を降りなければならない。
 『彼女』ともお別れだ。
 「せめて、もう一回くらい会えないかなぁ」
 
 「誰と?」

 「!!」
 目の前の金の瞳に、タクトは飛び上がらんばかりに驚いた。
 思わず顔を引き、そしてガツンとガラスに後頭部が激突する。
 目の前に星が散った。
 「だいじょうぶ?」
 「だ、だいじょぶ」
 ぶつけた部分を押さえながらそっと視線を上げる。
 医務室で目を覚ました時と同じように、水色の髪の可憐な少女がこちらを不思議そうに覗きこんでいた。
 「ほ、ほのか?」
 どうしてここに?
 彼女を見たのは医務室での一度だけだ。
 その後ルナマリアに連れられたまま行き先も知らない。
 どうやら、軍とは無関係の人間(しかもナチュラル)ということで、行動が制限されていたらしい。
 それが、こんなところで一人?

 「ルナがいなくなったの」
 「あ、そう。はぐれたってことか」
 タクトは納得すると、無重力に身をまかせっきりのほのかへと手を差し出す。
 すると彼女は大人しくその手を取り、ゆっくりと床に足をつけた。
 「ルナに聞いた。タクト、いなくなっちゃうのね」
 「あ…うん。知り合ったばかりなのに残念だけど」
 「また会える?」
 「あ、会えるよ!…多分」
 「タクトは、これからどこに行くの?」
 「へ?」

 「タクトは何処にでも行けるの?」
 
 ほのかの金色の瞳が、真っ直ぐタクトを見つめている。
 哲学のようなその問いに、思わずタクトは考え込んでしまっていた。
 自分は何処に行くのだろう?
 また、《セラフィム》へ?
 《ガーディアン》のパイロットとして?

 ―――何処にでも行けるの?

 いいや。
 そんな自由は、ない。
 タクトが憧れていた箱庭に、求めていたものはない。

 「何処にも行けないのかも」
 定められた場所にしか。
 何だか矛盾だ。
 ここには…プラントには望んできたはずなのに。
 今更ながら、引きとめようとしたイザークとディーゼルの苦い顔が思い出される。

 「でも、ほのかに会えたよ」
 「…」
 無言のままのほのかが、またトン、と床を蹴る。
 彼女の細い身体は難なく浮き上がった。
 妖精みたいだ。

 「ほのかは何処に行きたいの?」

 同じ問いを返され、金色の瞳が僅かに見開かれた。
 そしてほのかは呟くように応える。
 「『アイツ』がいないところ」
 「アイツ?」
 「逃げても…逃げても…追いかけてくるの」
 「アイツって、誰?」
 タクトの問いに、ほのかは首を振る。
 言いたくないらしい。

 と、廊下の奥から声がする。
 ほのかがルナだ、と呟いて、そちらへと身体を向けた。
 「ほのか」
 せめてさよならだけでも、と名前を呼んだタクトに、ほのかは振り向く。

 「今は、イザークの所にいたいの。イザークは優しいし…『アイツ』みたいなことはしないから」

 タクトは動けない。
 結局、別れの言葉は言えなかった。



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2010/01/01