PHASE-15「ターゲティング




 「キラとは…別れましたの」

 長い沈黙の後、ぽつりと落ちたラクスの言葉に、ミリアリアは持っていたカップを取り落としそうになった。
 「じょ、冗談…ですよね?」
 「…」
 無言で肯定するラクスを、ミリアリアは信じられないといった表情で見つめている。
 一方のディアッカは平静だった。
 納得、とまではいかないが、何かがしっくりしたような感触がある。
 
 五年前のデュランダルという脅威に向かって共に手を取り合っていた頃のキラとラクスは、傍目にはそれは仲睦まじく映った。
 愛し合い、信じ合う、一心同体の関係なのだろうと。
 ミリアリアはそう信じ込んでいたことだろう。
 だがディアッカは違った。
 口には出さなかったが、打算を前提に付き合っているようなカップルだと感じていた。
 確かに二人は必要とし合っているのかもしれなかったが、どちらかというと互いにないものを補うために寄り添っている…恋人になっているのはその手段であるように見えたのだ。

 ラクスは自分の理想を可能にしてくれる圧倒的なキラの『力』を。
 キラはラクスが造ってくれる居心地のいい『居場所』を。
 五年前は、その関係が不自然なほどにしっくりし過ぎていた。
 けれど、今は。

 「分からないのです。彼がどうして別れを切り出してきたのか」
 「ラクスさん」
 「自分に悪いところがあったら直すとキラに言いました。何度も話し合いましょうと…。でも、彼は私から目を背けるだけ」
 ラクスは遠くを見るように宙を仰ぐと、またすぐに顔を伏せてしまった。
 ミリアリアが気遣うように震えるその肩を抱く。
 

 相手を愛するのに見返りを必要とすれば、その関係は案外呆気なく崩れ落ちるもの。
 キラとラクスはその典型だったのではないだろうかと、ディアッカは静かにため息を零した。






 C.E.79 3月22日 0500時。《ゴンドワナ》、インディアドッグ。


 ヒュペリオンから降りたタクト、イザーク、ユーリは、別室へと誘導されていた。
 そこでタクトの身元を引き受けに来るはずのモートンの部下の到着を待つ。

 「今、爆発音みたいなものがしなかったか?」

 眉間に皺を寄せながら言ったイザークに、隣に座っていたタクトとユーリは首をかしげた。
 彼らは特に異変を感じなかったらしい。
 「隕石でもぶつかったんじゃないですか?」
 ユーリはそうフォローするが、イザークの表情は晴れない。
 すると、タクトがあっ、と声を漏らした。
 
 ごごごご。

 地鳴りのようなものがして、足元が揺れる。
 これはティモシーとアントニアたちのMSが外に出るためにドッグの扉を強制的に破壊したためなのだが、当然事情の分からない、しかも離れたドッグにいるイザークたちにそんなことは分かりようもない。
 けれど、異変が起きたことは軍人の勘ですぐに察する。
 ユーリもようやく顔を引き締めた。
 「おい、何かあったのか?」
 部屋のドアを開け、廊下で声を張り上げる。
 しかし通りがかったクルーは困った表情で首を振るだけで、本当に何が起こったのか分からないようだ。
 その様子を見たイザークは舌打ちすると、携帯を取り出して艦長のアランへと繋ぐ。
 相手はツーコールですぐに応答し、まずは安堵した。
 
 『ジュール隊長?』
 「メイデス艦長、爆発音のようなものがした」
 『は、はい。こちらでも感知して管制センターに繋いでいるのですが応答がなくて…』
 アランの応えにイザークは素早く状況を分析する。
 《ヒュペリオン》は無事だ。
 だが爆発らしきものがこのゴンドワナ、おそらくは別のドッグで起こったのは間違いない。
 「補給はどうなっている?」
 『もちろんやっている最中ですよ』
 「《ガーディアン》の件を任せたシンたちは?」
 『まだ艦の中に決まっているじゃないですか。到着してから一時間も経っていないのに…』
 「補給は打ち切れ!シンたちにも引渡しは中止して待機するように伝えろ」
 『はあ?あ、あの』
 「こちらもすぐに戻る。いつでも発進できるようにしておけ」

 イザークは一気にまくし立てると、一方的に携帯を切る。
 顔を上げればタクトとユーリが驚いた顔をしていた。
 だがイザークはそれを一瞥しただけですぐ立ち上がる。
 「戻るぞ」
 「え、で…でも」
 ここでイザークたちとはお別れだと思っていたタクトは突然の展開に困惑する。
 ユーリの言うとおり、爆発音は本当に隕石かもしれないのに。
 だが部屋を出ようとするイザークにユーリが無言で続くのを見て、タクトも従わざるを得ないことを悟った。
 少ない荷物を手にして二人の後を追いかける。
 その時。
 
 どぉおおおぉぉっっん!

 「!」
 「わぁっ!」
 一際激しい音と揺れに、歩いていた三人はよろけた。
 あちこちでクルーたちの悲鳴が聞こえる。
 間違いない、何かが起こっているのだ。

 「走るぞ!」
 「はい!」
 「え?は、はいっ」

 とにかく、一刻も早く《ヒュペリオン》に戻らなければ。
 イザークを先頭に、ユーリがはぐれないようタクトの腕を引っ張る形でもと来た道を戻っていく。
 行きは歩いて15分ほどだったから、全速力で走れば艦まで5分もかからない。
 廊下の突き当りまで行くと、何人かのザフト兵がたむろしていた。
 確かあそこにはエレベーターがある場所だ。
 電気系も異常をきたしているのか。
 イザークはその集団に脇目も降らず、非常階段の方を選んだ。
 五階分ほど降りれば、《ヒュペリオン》が収容されている港に続く遊動道路に出ることができるはずだった。

 



 同時刻。《ヒュペリオン》ブリッジ。


 二度目の揺れには、さすがのアランものっぴきならない状況を覚悟した。
 「艦長!」
 「《ゴンドワナ》管制室への呼びかけは続けろ。補給はすぐに打ち切って、艦の発進準備を!」
 「は、発進するんですか?」
 「そうなるかもしれないだけだ。それからシンを呼び出して《ガーディアン》の引渡しは中止だと伝えろ。艦内放送でも呼びかけ。外に出ているクルーはすぐに呼び戻せ」
 アランはイザークに指示されたことを次々にクルーたちに伝えていく。
 副官始め、緩んでいたブリッジクルーの緊張が一気に高まった。

 「ジュール隊長は?」
 「こちらに向かわれている。タクト・キサラギも一緒だ」
 アランは副長の問いにそう応えると、今度は自分の携帯からイザークを呼び出そうとする。
 無事だとは思うが、今どの辺りに…どのくらいで《ヒュペリオン》に到着するのか。
 だが、発信ボタンを押す寸前。

 ごごぉぉぉぉっっおっ!!

 「―――――ッ!?」
 激しい艦の揺れに、全員が悶絶した。
 先程までの揺れとは違う…この艦に、何かが起こった。
 「何だ、どうした!?」
 「わ、わかりません!…外からロケット弾か何かで攻撃されたようです。左翼前方部分に異常感知!」
 艦を攻撃された、と言っても、ここは友軍の要塞の中。
 本来なら最も安全な場所のはずである。

 《ゴンドワナ》の中に敵がいる!!?

 「アラートを!」
 「ラビとジェイコブの班を武装させろ!攻撃はどこからだったか分かるか?」
 「け、検索中…ですが、な!?」
 「どうした?」
 声を裏返したクルーの一人に、アランと副長が眉を寄せる。
 「7番ドッグの扉から、武装した集団がこちらに向かっています!15、6人ほどで…うわぁっっ!!」
 「!!」
 クルーの最後の言葉は爆音にかき消された。
 再び艦のどこかしらを攻撃されたようだ。
 
 訳の分からないまま絶体絶命の状況に陥り、アランは唇を噛み締めた。 
 
 


 「い、今の爆発音、近くなかったですか?」
 
 息を切らせながら叫んだタクトに、イザークとユーリは応えない。
 言われずともそんなことはタクト以上に分かっているのだろう。
 階段を全速力で下りている最中にも、不可解な爆発は続いていた。
 一番最後のでタクトは足をもつれさせてしまい、ユーリに手を引かれていなければ転げ落ちていたかもしれないほどだ。
 それだけ揺れは激しいものになってきている。
 異変を察知してすぐに引き返したイザークの判断は正しかった。

 ようやく目的の階に着き、イザークが重いドアを開ける。
 非常階段とは真逆の、広い空間が広がった。
 インディアドッグ内の全ての区に通じる場所だ。
 《ヒュペリオン》が収容されているのは8番ドッグ。
 奥に見える扉を開ければすぐだ。
 だが。
 扉を開けて二、三歩歩いたところで動きを止めてしまったイザークに、ユーリとタクトは怪訝な顔をした。
 ここまで急いてきて、どうして立ち止まるのだろう?
 「!」
 「…っ、これは!」
 その理由は、むせるような血の臭いによって理解できた。
 何人かのザフト兵が折り重なるようにして倒れている。
 死んでいる者もいれば、死に切れずに呻いている者も。
 床は血で赤く染まり、地獄のようだった。

 死。

 タクトの胸に恐怖が沸き起こり、がくがくと足が震えた。
 以前プラントの機密工場での時のような、楽観的な無防備さはない。
 人が死ぬと言うのはどういうことか、そして自分がいつ死んでもおかしくない状況にいるということは、
 この一ヶ月で身をもって体験していた。

 「…ッ、上だ!」
 「!」

 イザークの叫びと共に、タクトは横に突き飛ばされた。
 足に全く力が入っていなかったので、タクトの身体は呆気なく転がって壁に激突する。

 ダダダダダ…ッッ!

 鼓膜を銃声が貫いた。
 だがそれもすぐに収まる。
 沈黙が広い空間を支配した。
 恐怖で叫び出しそうになるのを堪え、タクトはおそるおそる顔を上げる。

 サブマシンガンを携えた一人の男が見えた。
 床に転がっている死体や怪我人には目もくれず、真っ直ぐこちらに歩み寄ってくる。
 黒髪の若い男だった。
 イザークほどではないが背が高く、日に焼けた肌に引き締まった体つきをしている。
 そして黒曜石のような瞳の奥に、物騒な黄色の光を見出した時。
 タクトは一瞬で理解した。
 
 この男、自分を殺す気だ!


 「子猫ちゃん、見ぃ〜つけた」

 
  ラクスが落ち着いたところを見計らったディアッカは、ここに来てからずっと聞こうと思っていたことを切り出した。
 「あの…あいつ、元気でやってる?」
 名前は出さなかったが、ラクスは誰のことかすぐに分かったようだ。
 「イザーク様ですか?」
 「ああ」
 「…ええ。この間もお話しましたわ。お忙しそうでしたけれど」
 ラクスの表情が和らいでいく。
 しかし対照的にディアッカの表情は固かった。
 「大変な目に合ったのって、あいつの隊なんだろ?」
 「そう、そうですわ」
 ラクスはため息混じりに応えると、テーブルの上で手を組んで目を伏せる。
 「最初の攻撃の時点ですぐにジュール隊を下がらせるよう勧告したのですが、
 先程も申し上げましたように議会がまとまらなくて…軍の方からも増援で充分だと」
 「今は?」
 「《ゴンドワナ》で補給を受けているはずです。今度こそ本国に帰艦させるよう努力しています」
 
 ラクスは最強評議会議長…すなわちプラントの代表であるが、独裁者ではない。
 パトリック・ザラやギルバート・デュランダルが過去に引き起こした過ちのこともあり、特に軍に関しては権限が弱かった。

 …いや、実を言うと就任当初はそうでもなかった。
 クライン家が資金を提供してきた《ファクトリー》がザフトにそのまま移植されたこともあり、
 最新鋭機の開発や現在の四将の選出もラクスの意に沿うところによるものが大きい。
 ラクスの意思が軍に思うように通用しなくなっているのは、「官」と「軍」の癒着が小さくなっていると好意的に見るべきなのか。
 あるいは。

 彼女の掌握能力自体が低くなっていると見るべきなのか。





 C.E.79 3月22日 0510時。《ゴンドワナ》、《ヒュペリオン》艦内。



 爆発や艦の揺れが酷くなっていき、《ヒュペリオン》のクルーたちはブリッジからの命令にも大いに困惑していた。
 まさか安全なはずの自軍の要塞の中から攻撃されるとは思うはずもないから当然だろう。 
 しかし、そんな中。
 一人だけ冷静な人物がいた。


 ほのかは例の銀細工の写真立てを胸に抱いたまま、ぼんやりとしていた。
 艦内が騒々しくなっても全く意に介さない。
 やがて艦を一際大きな揺れが襲い、ほのかはよろけたままベッドに倒れこんだ。
 「…」
 それでも彼女の表情は変わらない。
 何かトラブルが起きていることは察していたが、それで死ぬかもしれなくても別にかまわなかった。 
 ほのかはそっと抱きしめていた写真立てを上げ、中の女性を見つめる。
 もう何度見たか分からない、優しげな微笑みだった。


 ―――家の中で、誰も見ていないところで…急に倒れて、苦しんで、孤独に死んだらしい。

 ―――俺は仕事でプラントを離れていて…同居していた母もたまたま留守だった。
 ―――妊娠中だから、もっと気をつけてやらなくちゃいけなかったのに。
 ―――帰ってきた母が見つけた時にはもう冷たくなっていたそうだ。

 ―――あいつは…たった独りで逝ってしまったんだ。

 
 ビーッッ!
 ビーッッ!!

 耳を劈くアラート音に、さすがのほのかも眉をひそめて身体を起こした。
 そろそろ本格的にまずい状況になったらしい。
 艦内放送のオペレーターの声も泡を食ったような感じだ。
 『…繰り返します。ザフトとは無関係と思われる集団が侵入した恐れあり。
 ラビ班、ジェイコブ班はMS格納庫へ。クロサキ班は7番ゲートにて待機。整備士は…』
 
 侵入?
 侵入、とは異なるものが入り込んだ時に使う言葉だ。
 ここはイザークの軍の要塞のはず。
 それなのに、一体何が中に入り込んだというのだろう。
 ようやく緊急事態の原因に興味を持ったほのかは、立ち上がって窓へと向かった。

 確かに、外でばらばらと走る武装した男たちが見える。
 何か叫んでいるようだが、声まではここには届かない。
 ほのかはすぐに窓から視線をはずそうとした…が。
 「!」
 武装した連中のうちの一人の姿を見出した時、金の瞳が大きく見開かれた。
 
 彼女の視線はある人物に釘付けになる。
 控えめな金髪に、バイザーのようなもので目の部分を隠している若い男。
 侵入者たちのリーダーのようで、手振り等で部下たちに指示を与えている。
 あいつは!

 「ジェット…ッッ」

 ほのかの背中にぞくりとしたものが這い上がった。
 ジェットが、「白夜」が侵入者?
 彼らがこのヒュペリオンを攻撃しているのか。
 何のために?
 
 ―――ほのかを、連れ戻すため?

 瞬間ほのかの身体はがたがたと震え出す。
 腕から力が抜け、抱いていた写真立てがするりと落ちた。
 そして。
 その写真立てが硬質な音を立てて床に転がるより前に。
 ほのかは部屋の入り口へと走り出していた。

 逃げなきゃ。
 逃げなきゃ。

 死んでもいいと考えていた先程の想いは吹っ飛んでいた。
 ジェットを、『白夜』を目にした途端、そこから逃避することしか頭にない。
 『白夜』がいるということは、「あの男」もいるということだ。

 「…て、助けて!」

 逃げなきゃ。
 逃げなきゃ。
 でも、何処へ?

 「助けて、イザーク!!」




 「っ!」
 息を吸い込んだ瞬間に激痛が走り、遠のきかけていたイザークの意識は一気に覚醒した。
 見れば左腕とわき腹が血に染まり、白い軍服を汚している。
 「いて…」
 そうだ。 
 あの時…こちらを狙う銃口に気付き、傍にいたタクトを突き飛ばすと自分も逆方向へ飛ぼうとしたのだ。

 だが。

 タクトを助けることはできたものの、よけきれずに銃弾を受けてしまったらしい。
 そんな自分は今、ここに到着するまでに使った非常階段の扉の裏にいた。
 怪我をしてもなお、本能的に盾となるものを捜して身体を滑り込ませたのだろう。

 タクトは、ユーリは何処だ?
 ようやくそう思い至るまでに浮上したイザークの耳に。
 その声が聞こえてきた。
 
 「子猫ちゃん、見ぃ〜つけた」

 ぞろりとした声音だった。
 明らかに殺意を含んでいる。
 イザークは音を立てないように立ち上がると、扉の影から様子を伺った。 
 「『例の部屋』にいないもんだから、正直焦ったよ。逃げ足速ぇじゃん」
 声の主は、見慣れぬ黒髪の男だった。
 そしてその男の視線の先で床にへたり込んでいるのはタクト。
 まずい、と思った。
 おそらくは自分に怪我を負わせた先刻の攻撃もこの男だ。
 そして。
 「捜したよ、タクト・キサラギ君」
 タクトを、狙っている。


 イザークは護身用のリボルバーを取り出す。
 まさかこんな事態になるとは想定できようはずもなく、武器はこれ一丁と携帯ナイフしかない。
 ―――殺すか?
 この距離なら、男に命中させる自信はあった。
 まだ《ゴンドワナ》に起こったことを完全に把握したわけではないが、あの男が関わっているのは間違いないだろう。
 そこら辺に転がっている死体も奴の仕業のはずだ。

 イザークは銃口を黒髪の男に向けた。
 ここで殺さなければ。
 だが。
 男の頭に標準を合わせようとしたその時、イザークはちらりと映った別の人影に気付いた。
 そして愕然とする。
 それは自分同様、銃を構えて男を狙っているユーリだった。
 ―――まずい!
 イザークがそう思った時にはもう遅い。
 ユーリは気配を完全に隠しきれてはいなかった。
 そしてユーリの存在を素早く感じ取った黒髪の男が、振り向きざまマシンガンを構える。
 「死んだフリしてればよかったのに」
 「!」
 「ユーリ!!」

 三つの銃から、ほぼ同時に弾が発射された。



 鮮血が飛び散る様は、まるでスローモーションのようだった。
 腰が抜けたまま動けないタクトは、瞬きするのも忘れてそれに見入る。
 もう恐怖は突き抜け、頭の中は真っ白だった。

 どさり。

 血を流しながら床に伏したのは、後ろから男を狙っていたユーリだった。
 床に朱が広がっていく。
 「…うぐっ!!ああっ」
 太股のあたりを撃たれた彼は、そのまま痛みにのたうった。
 だが、死んではいない。
 男は間違いなくユーリを殺す気だった。
 しかし直前で隠れていたイザークが飛び出したため集中力が散漫になり、急所をはずしたのだ。
 そして。
 

 イザークは引き金を引くと同時に走り出していた。
 そのまま男がユーリからこちらへと注意を振り向けた隙を突いて、その懐に飛び込む。
 相手は当然マシンガンの引き金を引こうとするが、イザークの方が速かった。
 素早く上体を低く曲げ、床に片手を付く。
 「なぁッ!?」

 ガギィンッ!

 逆立ちに近い格好になったイザークが、下から突き上げるような蹴りを入れる。
 ナチュラルのタクトからしてみれば、重力に逆らったアクロバットのような動きだった。
 しかし、効果は絶大だったらしい。
 イザークの軍靴の踵がサブマシンガンを弾き飛ばし、それがさらに男の顎を直撃する。
 「ぐっ」
 当然相手はよろけた。
 目の前には星が散っていることだろう。
 「このっ!」
 そして、とどめとばかりにイザークの回し蹴りが首を直撃した。


 どごぉんっっ…!


 黒髪の男の身体は吹っ飛び、数メートル先の壁まで激突した。
 「すご…」
 引きつりまくっているタクトの口から思わずため息が漏れる。
 見かけの痩身に反し、イザークはかなり力が強いらしい。
 目の前で起こったことに唖然とするばかりのタクトに対し、
 イザークは相手の末路を見届けることもなく倒れているユーリへと駆け寄った。
 

 「ユーリ!」
 「…ッ」
 両足の太股を打ち抜かれたユーリはまだ呻いているが、命に別状はないようだ。
 それでも手当てを急がなければ失血死ということもありうる。
 イザークはユーリの肩を抱いて立ち上がると、未だ座り込んでいるタクトを一喝した。
 「タクト、立て!」
 「は、はい!」
 長い間腰を抜かしていたタクトも、男の脅威が消えたことでようやく緊張を緩める。

 足に力を入れ、ふらつきながらも何とか立ち上がった。
 
 

 「イザークさんかぁ、奥さんのお葬式以来よね」

 ミリアリアが出された紅茶に口をつけながらディアッカを横目で見る。
 夫にとっては歴戦を共にした戦友だが、彼女にとっては二、三度すれ違っただけの他人だ。
 ことあるごとにイザークのことを気にかけるディアッカに、内心穏やかとはいえない。
 まあ相手は男なわけだし、今現在自分たちは夫婦なのだからおかしな勘繰りかもしれないが。

 「奥様のことは残念でしたわ。とてもお綺麗な方でしたのに」
 「ええ」

 ディアッカもそのことはよく覚えている。
 彼の妻となったシホは短い間とはいえディアッカの同僚でもあった。
 あの大戦の直後。
 ミリアリアと結婚するため、ディアッカは上司であるイザークの相談無しに勝手に退役してしまった。
 当然イザークは立腹し、二人は丸三年ほど音信不通状態だったのだ。
 だが、ある日。
 突然イザークから連絡が来た。
 シホが死んだ、と。
 二人が結婚したことすら知らなかったディアッカは仰天しつつもプラントに直行し、イザークと再会した。
 そして、物言わぬシホ・ハーネンフース・ジュールとも。
 
 イザークの手には、見た目にも高価そうな花束が握られていた。
 訃報を聞いたラクスがすぐさま贈ってきたのだという。
 ラクスとしては気遣いを示したつもりだったのかもしれないが、突然の喪失に茫然自失だったイザークにはどう映っただろうか。

 
 「イザークさんは、もう結婚する気ないのかしら?」
 「さあ?でも素敵な方ですから、周りが放っておかないでしょうね」
 「ですよねー。まだ若いし、ハンサムだし!」
 「ええ。見惚れてしまいますわ」
 「そうなんですか?イザークさんに気があるってこと?」
 「…」
 どうして話がそっちの方に転換するのだ。
 本人が聞いたら眉をしかめそうな会話をする女二人に呆れつつ、ディアッカが空を仰いだ。

 「今頃なにやってんだろうな、あいつ」




 C.E.79 3月22日 0520時。《ゴンドワナ》、《インディアドッグ》遊動区域。


 最初こそタクトと二人でユーリを運ぼうとしていたイザークだったが、急に何かを感じ取ったように動きを止めた。
 「ジュール隊長?」
 イザークはユーリの身体を抱えなおすと、そのままタクトの肩ではなく背中へと押し付ける。
 「ちょ、ちょっとジュール隊長!僕一人じゃ無理ですよ!」
 一人でユーリを運べというイザークの無言の命令にタクトは慌てる。
 ユーリはかなり背が高い。
 タクトとは15センチ近く差がある上、怪我をしている大人を運ぶのは骨が折れる。
 そう抗議するつもりだったタクトだったが。

 「隊長?」
 イザークの視線は全く別のところにあった。
 つられるように顔を向けたタクトだが、次には見たことを後悔する。
 なぜなら。

 「あ、あいつ…」
 あの黒髪の男が、なんでもないような顔をして起き上がるところだった。

 うそだろう?
 イザークの回し蹴りが首にまともに入っていたはずだ。
 それで五メートル以上吹っ飛ばされていたのだから、首の骨が折れていたとしても不思議ではない。
 だというのに、男はしっかりとした足取りで立ち上がり、さらにこちらに歩いてくる。
 うすら笑みもそのままで、むしろ前より元気に見えた。

 男の非常識な丈夫さに凍り付いていたタクトだったが、手のひらに硬い感触を感じて視線を落とす。
 イザークが男を睨んだまま、自分のリボルバーをタクトの手のひらに押し付けていた。
 「ジュール隊長」
 まさか、とタクトの唇がわななく。
 「まだ五発残っている。ユーリを連れて逃げろ」
 「…ッ」
 低い声で告げられ、愕然とする。
 つまり、自分の力で何とかしろということだ。
 イザークもユーリも、誰も守ってくれない。
 「で、でも、僕…」
 「死にたいか!?あいつはお前を狙っているんだぞ?」
 「僕が、ターゲット?」
 「そうだ」
 
 その間にも男は近づいてくる。
 右手にはいつの間にか大振りのナイフが握られていた。

 「行け!ユーリを頼んだぞ」
 「…!!」
 地面に吸い付いたように動かなかった足が、ようやく動いた。
 タクトはぐったりしたユーリの身体を背負い、「8」のナンバーがペイントされているドアへと歩き出す。

 怖い。
 死ぬほど怖い。
 重いはずの背中のユーリの存在が気にならないほど歩みは急いた。

 怖い。
 怖い。
 怖い!!

 この恐怖をどうにかするには、一刻も早くあの扉の向こうに行くしかない。
 恐怖で失神しそうになるのを必死に堪えた。
 強く握り締めたせいで拳が蝋のように白くなっている。

 その中で、託されたリボルバーが鈍い金属光を発していた。
 
 


 仲間の身体を引きずるようにして出口へと向かうターゲットの少年を、ケインは冷めた表情で一瞥した。
 するとそれを遮るようにして銀髪の男が立ちはだかる。
 まずはこいつを殺さなければならないらしい。
 「なんだよ、てめぇ?何で邪魔すんの?」
 無意識に唇の端が歪んだ。

 「貴様こそ何だ、何故タクトを狙う?」
 「《ガーディアン》のパイロットだからだよ。殺せって言われたんだ」
 「『言われた』、だと?誰からの命令だ!?」
 銀髪が隠していたらしいナイフを構える。
 先程の体術といい、一筋縄では行かない相手のようだ。
 義体でなかったらあの一撃で動けなくなっていたか、下手をすれば死んでいただろう。
 「応えろ!誰からの命令でタクトを狙った!?」
 「ムカつく」
 「ああ?」
 「お前こそ質問に答えろよ、何で…何で俺の邪魔するんだよ!!?」
 「!!!」
 語尾の叫びと同時に、ケインの足が地を蹴った。

 キィンッ!

 澄んだ音とともに二つの白刃がぶつかり合い、離れた。
 ケインは両刃のダガー、対するイザークはダガーより刃の長さが短く幅の広いファイティングナイフだ。
 「くっ!!」
 ケインの一撃を受け止めたイザークは、そのまま身体のバランスを崩して床に倒れこんだ。
 ―――攻撃が重過ぎる!
 すかさず追いすがったケインに刃を突き立てられそうになり、ぎりぎりで身を滑らせた。
 その勢いを利用し、距離をとりつつ体勢を立て直す。
 「随分身軽みたいじゃねぇか、オニーサン」
 「…」
 まずい、とイザークは思った。
 どういうわけか分からないが一番最初の一撃は相手にはほとんど利いていないらしい。
 逆に左腕とわき腹に銃弾を受けた自分の体力は確実に削られている。
 このまま長引けば、いざという時に逃げる体力すらなくなってしまう。
 「でも、早いだけじゃッ」
 「ッ!」
  
 ギィィィンー!

 甲高い刃物と刃物がぶつかり合う音。
 「ぶっ殺してやる!」
 「馬鹿にするな!」
 力負けしていると悟っているイザークは、そのまま一撃を受け流す。
 一秒でも早く次の一撃を繰り出せるように。
 だがケインもイザークの疾風のような瞬撃を切り裂かれる寸前で受ける。
 斬り伏せようとする白刃が、迎え撃つ白刃に阻まれ火花が散った。
 何度も、何度も。
 息が上がる。

 「死んじまえーー!」

 ケインの上方からの、激しい攻撃。
 激しい衝突の衝撃に、イザークの腕に痺れが走った。
 「くうッ!」

 イザークは焦った。
 やはり妙だ。
 確かにこいつは丈夫な身体をしているようだが、それにしてもこれだけ動けば消耗するだろう。
 それなのに、目の前のケインは疲れどころか息一つ乱している様子がない。
 このままでは確実に怪我ではすまない事態になる。
 ―――逃げるしかッ。
 背中を向けるのは不本意だが、かつてほど無鉄砲ではないイザークは必死に相手の隙を探る。
 こんな所で死ぬのはごめんだった。
 
 ばしッ!

 「!」
 「ちッ」 
 蹴りか!
 ケインは予期せぬ行動に攻撃を中断し、相手の蹴りを腕を交差することで受け止めた。
 イザークは軽やかに宙返りをして足を振り上げる。
 そしてその身体はその反動で大きく距離を取ることに成功した。
 イザークは姿勢を整え、出口により近い床に降り立つ。

 ―――よし、このまま…。
 刹那。
 
 ガギッッ!!

 「ーーーーーッッ!」
 衝撃が身体を駆け抜け、イザークは一瞬息を止めた。
 ケインが、先程とは比べ物にならない俊足で懐に踏み込んでいたのだ。
 そのままダガーが突き立てられたことによる衝撃だった。
 イザークはほぼ反射的にナイフの刃で受け止めたものの、衝撃までは殺しきれない。
 滑ったダガーの刃が腹を浅く割いた。
 「ぐあっ!」
 次は背中に鈍い痛みが走る。
 自分は倒れたのだ、と認識すると同時に、視界が闇に落ちかける。

 駄目だ、このまま意識を失っては!
 このままでは…。



 
 一方、何とか目的の8番ドアに辿り着いたタクトは一度ユーリを背中から下ろす。
 「ここをくぐれば…」
 もう《ヒュペリオン》はすぐだ。
 後ろであの黒い男とイザークが、未だに戦っている。
 相手もコーディネーターなのだろう。
 とても援護など出来ない。

 一度ヒュペリオンに戻り、援護を頼んだ方がいい。
 そう判断したタクトは振り返ることなくドアの開閉ボタンを押す。
 幸いにこちらの電気系統は生きていたのか、ドアはエア音と共に横にスライドした。
 それに安堵し、タクトは再びユーリの身体を起こそうとする。
 「ユーリさん、もうちょっと頑張って」
 「…ッ、タクト、隊長は?」
 「だ、大丈夫です。だから早く」
 タクトはイザークを見捨てる気がして後ろめたかった…彼の部下であるユーリはもっとそうだろう。
 かといって、自分にも怪我をしている彼にも何かできるわけではない。
 とにかく、せめて足手まといにならないようにしなければ。
 タクトは意識が戻って自力で立とうとしているユーリの肩を支える。
 そしてドアをくぐろうとした時。
 ひゅうっ、と。
 風のように何かが通り抜けた。

 「え?」

 何か、ではない。
 人だ。
 しかも、タクトのよく知っている…。
 水色の髪がなびき遠のく様を見つめながら、タクトは思わず叫んでいた。
 

 「ほのか!!」


 ほのかが飛び出してきたのと、イザークが倒れこんだのはほぼ同時だった。
 振り返ったタクトはほのかを目で追いかけて思わず振り返る。
 そして血だらけで倒れるイザークに愕然とした。
 「隊長!」
 大声で呼んでもイザークは動く気配がない。
 まさか、死んだなんてことは。

 いや、今はそんなことより…!
 「ほのか、駄目だよ!逃げて!!」
 思わずタクトはほのかの背中に向かって叫んでいた。
 他人のことに気をかける余裕があったのかと自分でも不思議だった。
 「ほのか!」
 だが、呼びかけてもほのかは動かない。
 自分のように、恐怖にすくみあがっているのだろうか。

 タクトは舌打ちすると、ドアの向こう側に強制的にユーリを押し込む。
 そしてイザークに手渡されたリボルバーを握り締め、「戦場」に向き直った。
 とにかくほのかだけでも連れ帰さなければ。

 自分が狙われているということはすっかり失念していた。



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2010/01/01