PHASE-16「ノーネーム」




 まず、意識が先に浮上した。
 耳にピッ、ピッ、という電子音が規則的に響く。
 次に強い消毒液の匂いが鼻孔を霞めた。
 
 知っているけど、知らない場所。

 こんな経験は、一度や二度ではなかった。
 瞳を開く。
 白い天井に、無機質な蛍光灯の光。
 どこかの研究所だということ以外は知らない。

 知る前に、記憶を消されてしまう。

 彼女は何度も何度も脳波をいじられ、記憶を操作されているということに薄々ながら感づいていた。
 自分の身体が何らかの研究に利用されているということも。
 そして。
 自分と同じ目に合わされているのは他にもいるらしいということも。


 「名前は?」
 「ほのか…ホノカ・ウー」
 「生年月日は?」
 「C.E.65 3月3日…」
 「出身地は?」
 「地球…」
 
 この名前も、歳も、全部「用意された」もの。
 ぼそぼそと質問に応えるほのかに、目の前の白衣の男はやや不満そうな顔をした。
 だが、すぐに「まあ、いいだろう」と呟いて何やら書き込んでいたファイルを仕舞い込む。
 そして白い錠剤を手渡した。
 何のための薬かということは聞かない…聞いてはいけない。
 けれど手渡される量が、手のひらに残る僅かな記憶の一端が違和感を感じさせる。
 日に日に薬の量が少なくなっている。
 それが、ほのかと他の研究対象の子供たちの違いだった。


 ―――心肺移植の適合率は良好だな。
 ―――SEED因子が義体処理を施す前に見つかったのは幸運でしたね。
 ―――性格に少し問題があるな。シュミレーションにも他の訓練にも、積極性が見られない。
 ―――かといって、他の「研究材料」のように手荒なマネはできませんし。
 ―――まあ、いいだろう。命令には従順だ。
 ―――彼女の脳波だけ利用できれば、後は何も問題ない。


 「見つけた!」
 押しつぶされるような息苦しさに、急激に意識が浮上した。
 こんな不快な目覚めは初めてで、表情が歪むのが自分でも分かる。
 しかも。

 「だ…れ?」
 目の前に、見知らぬ男がいた。
 いつもの白衣の連中ではない。
 強く肩を掴まれ、痛みに呻く。
 逃げようとしたが、それは無為に終わった。
 「いたい、離して!!」
 「駄目だよ、やっと見つけたんだから」
 男の顔が、近づいてくる。
 長い黒髪を後ろで束ねた、鋭い目つきの青年だった。
 見つけた、といわれた。
 けれど自分はこんな男は知らない。
 消された記憶の中にもいないはず…こんな、怖気を感じさせる存在など。
 「知らない!知らない!」
 あなたなんて知らない。
 だから離して。
 あっちに行って。
 だが懇願は届かない。

 狂気に歪んだ笑みが、脳裏に焼きついた。






 鮮明に焼きついている記憶がある。
 
 彼女の顔だけは片時も忘れたことがない。
 その他の記憶は全て不確かなのに。
 
 ―――これはお守りよ。
 ―――また会えるからね。

 柔らかくて暖かくて優しい。
 自分はそんな彼女と、いつだったか別れた。
 またすぐ会える。
 その笑顔を信じて。
 
 それからの自分は宇宙にいた…と思う。
 ジャンク屋で生計を立てていたはずだ、その時のことはよく思い出せないが。
 銃もナイフも扱えるしMSも扱える、何回か人も殺した。
 義体の手術もその頃したのだろう。
 だって、気が付いたらもう生身ではなかった。
 いつだったか。
 爆発物に触れて右腕を吹き飛ばされ、肩からごっそりとなくなったことがあった。
 それなのに、次の仕事の際には新しい腕がすでに付いていた。
 替えがきく身体なのだ。

 記憶が曖昧なのは、「彼女」がいないせいだ。
 「彼女」が近くにいてくれなくてつまらないから、自分に起こったことに興味が持てないのだ。
 そう理解していた。
 

 ―――これはお守りよ。
 ―――また会えるからね。いい子にしててね。


 「ケイン・アークライトだろ?」

 そう呼びかけられて。
 頷いたのは反射だった。
 自分はそんな名前だっただろうか?
 目の前には洒落た眼鏡をかけた青年と、オレンジ色の髪をした色っぽい女がいる。
 俺の名前…ケイン?
 そうだ、そうだったはず。
 流れ者のジャンク屋同士、これから新しい仕事でチームを組むのだ。
 それで金が入る。
 そう、「誰か」に言われた。
 「俺はティモシー、よろしく!それからあっちのグラマーボインがアントニアね」
 「ああ」
 ケインは無意識に胸元のペンダントをいじっていた。
 
 ―――これはお守りよ。

 ここにも「彼女」はいないのか。
 じゃあきっと、今回の「仕事」が終わればまた自分は忘れていくのだろう、この二人のことも。
 「俺たちのMSはもう用意してあるんだってさ」
 ティモシーはよくしゃべる。
 逆にアントニアは無口だ。
 「あと一機、プランとからかっぱらってくるらしいよ。本格的な『お仕事』はそれから」
 その時。
 ふと視界の端に映った人影があった。
 
 ―――また会えるからね。いい子にしててね。
 ―――私の…
 
 「しかも!その最新鋭機に乗るのがちっちゃな女の子らしいんだ」
 ケインの耳に、もうティモシーの言葉は聞こえてこなかった。
 …いた。
 捜し求めていた人がいた。

 
 ―――私の…可愛い坊や。


 「見つけた」

 そう言って抱きしめたケインを、「彼女」は振り払おうとした。
 「あなたなんか知らない」
 そんなはずないだろう?
 俺にこのお守りのペンダントをくれたのはあんただ。
 また会えると言って抱きしめてくれたのも。

 ちゃんと覚えているんだ。
 この顔だ。

 ああ、そういえば自分をすっぽりと包めるほどだった身体が酷く小さいのは何故だろう。
 俺がデカくなったからか?
 名前は何だ?ホノカ?
 そんな名前だったか?
 別れる時、幼い俺が叫んだのはその名前だったか?
 そうじゃなかった気がする。
 
 いいや、お前は「あの人」だ。
 だから俺のもの。
 ホノカ、俺のものだ。



 「ほのか!」

 

 目の前に現れた水色の髪の少女を見たケインは、ダガーを構えていた腕を下ろした。
 「見つけた」
 とどめを刺そうとしていたイザークの存在はすでに頭から消え去っている。
 「見つけた、ほのか。捜したんだぜ」
 「…ッ、ケイン」
 金色の瞳が張り裂けんばかりに見開かれていた。
 

 《ヒュペリオン》を抜け出すのは簡単だった。
 もともとほのかがヒュペリオンに乗っていることを知っているのが限られていたのに加え、ジェットを先頭としたテロリストの攻撃で混乱状態だったからだ。
 すれ違う兵士の中に、見るからに部外者である彼女が出て行くのを咎める者はいなかった。
 艦を出たほのかは武装した連中…「白夜」に気付かれぬよう、大きなドアの前へと一気に駆け込んだ。
 ヒュペリオンが入港した《インディア-8ドック》と他を繋ぐドアは三つしかない。
 両隣の《インディア-7ドック》と《インディア-9ドック》、そしてインディアドッグ全てに通ずる遊動道路。
 そのうちの一つのドアが僅かに開いているのを見たほのかは、とっさに中へと駆け込んだのだった。
 
 ドアをくぐると同時に、タクトとすれ違った。
 「ほのか!」
 自分の名前を呼んでいる。
 タクト…イザークと一緒にいたはず。
 この先にイザークがいる!
 自分を助けてくれる、ただ一人の人が。

 だが。
 次の瞬間見たのは。
 床に倒れこんでいるイザークとそれにとどめを刺そうとしている「あの男」。
 どうしてこんな所にいる?
 どうしてイザークが倒れている?
 白い軍服が血だらけだ。
 怪我をさせたのか?
 こいつが?

 「ケイン…ッッ」 

 ほのかはとっさに床に落ちていたナイフ、イザークが落としたもの、を拾った。
 殺さなければ、と思った。
 ヒュペリオンに拾われてからずっと忘れていた「殺意」。
 全部こいつのせいだ。
 こいつがほのかの大切なものを全部壊していく。
 邪魔をする。
 殺してやる。

 殺さなければ!!
 
 


 C.E.79 3月22日 0530時。《ゴンドワナ》、《インディアドッグ》遊動区域。


 「…ッ、嘘、だろ」
 ほのかを守るために遊動区に戻ったタクトだが、そこで見たのはナイフを振りかざして敵に飛び掛る少女の姿だった。
 
 ほのかの小さな身体は小鹿のように跳ねている…明らかに訓練された戦士の動きだった。
 それがケインの周囲を飛び回るため、リボルバーしか持っていないタクトは応戦したくても出来ない。
 出来たところで当てられる可能性は低かったが。

 ケインの目付きが鋭くなる。
 「あああっ!!」
 ほのかが手の中のナイフを振り上げながら飛び掛る。
 ケインの首と肩の付け根を狙っていることは明らかだった。
 だがケインは慌てる様子もなくダガーを構える。
 
 がぎぃんっ。

 刃と刃がぶつかり、火花が散った。
 「あうっ」
 「ほのか!」
 ほのかの掌からナイフが弾け飛ぶ。
 同時に彼女の身体も勢いよく弧を描くようにして落ちた。
 最後にかきぃん、とケインのダガーの刃が床に突き刺さる。
 ちょうど真ん中あたりからぼっきりと折れていた。
 だがケインは気にした様子もない。

 「いくら薬でいじられてるからって、義体の俺に生身のお前がかなうはずないだろ」
 「…」
 「なあ、ほのか?」
 床に伏すほのかを、ケインの黒い瞳が見下ろす。
 ほのかはその狂気を宿した瞳におののきながらも、じりじりと床に手を付いて後ずさりした。
 そしてその先にいた、倒れたままのイザークへと寄り添う。
 
 「離れろよ」
 ほのかはいやいやと首を横に振り、動かないイザークの身体にしがみ付いた。

 「離れろ!」
 「いや!!」

 ケインの顔が、かつてないほど凶悪なものになる。
 憎悪に歪んだそれを見た時、タクトは思わず走り出していた。
 「!」
 どうしてケインとほのかが知り合いなのだとか。
 二人がどういう関係なのかとか。
 そんなことを考えていられる余裕なんてなかった。
 むしろ自分自身が取った行動の方にびっくりしていた。

 「ほのかから離れろ!」
 ケインから五メートルほど離れたところで仁王立ちし、リボルバーを構える。
 相手は完全にこちらのことを失念していたらしく、強張った表情のままこちらを振り向いた。
 黒い瞳がこちらに向く直前、タクトの背中に冷たいものが這った。
 殺される!?
 瞬時に恐怖が身体を突き抜ける。
 
 ガゥン!

 気が付いた時、タクトの指は引き金を引いていた。
 しっかり構えていたためよろけるようなことはなかったものの、タクトは鼓膜を劈いた銃声の方に驚く。
 そして。
 「ああ、忘れてた」
 先程の憤怒の形相は何処へやら、ケインは涼しげな様子を取り戻す。
 「お前を殺さなきゃいけないんだった」

 銃弾は外れ、危機からは微塵も脱していなかった。



 「ナチュラルの民間人だったはずだけど…軍服着てるだけあって銃の撃ち方くらいは知ってたみたいだな」
 ケインの足が、こちらに一歩踏み出される。
 気圧されるようにタクトも一歩後ろに下がった。
 眼光だけで射殺されそうだ。
 「でも狙いは駄目駄目だな。せめて頭を狙えよ」
 タクトが撃った銃弾は、ケインより少し後ろの床の辺りにめり込んでいた。
 素人だと物語っているようなそれを彼は嘲笑う。
 「根性は褒めてやるよ。それにあのまま逃げられてたら、俺またボスに怒られるし」
 「…」
 「感謝しなきゃな」
 怖い。
 この男の殺気がはっきりと感じ取れる。
 何とかしなくては…自分自身で。
 イザークもユーリも、ほのかも助けてくれない。
 助けれられない!


 「ありがとうよ。わざわざ…俺に殺されに戻って来てくれて!!」
 「!!」


 ガウンッ!
 ガウンッ!
 ガウンッ!
 
 腰を低くしたケインに飛び込まれることを本能で察し、タクトはリボルバーを連射する。
 頼む、当たってくれ!
 いや、当たらなくていい。
 せめて牽制にっ。

 「がッ!」
 
 そこまで思考していた頭が一瞬真っ白になる。
 何をされたのか分からなかった。
 上下感覚が不明瞭になり、見開いたままの視界に天井、壁、床が順番に映る。
 そして。
 最後には暗転した。

 「タクト!」

 「がっ、ふっ…」
 甲高い声…ほのかのものだ…に、辛うじて意識を保つ。
 いつの間にか身体が冷たい床に伏していた。
 腹の辺りがしびれて感覚がない…それが殴打のためだと理解するまでに時間がかかった。
 瞼を僅かに開けば、ほんの二、三メートル向こうに未だイザークにしがみついたままのほのかが見える。
 さらにその向こうには、ケインの姿も。
 いくら腕が悪いからといって、相手は続けざまに撃ったタクトの銃弾をものともせずに飛び込み、腹を殴打したのだ。
 情けなくもタクトはイザークたちを飛び越えた上、壁に入り口側の壁に激突してしまったらしい。
 どうりで痛いはずだ。
 「タクト、大丈夫?」
 「…」
 ほのか、と呼びたかったが声が出なかった。
 身体全体が麻痺してしまったように動かない。

 ―――ちくしょうっ!

 威勢よく出ていった結果がこれか。
 このまま殺されるのか?
 自分がターゲットだといわれた。
 イザークもユーリも、ヒュペリオンの皆も。
 自分の巻き添えになって殺されるのか?
 こんな奴に、この狂った男に。
 
 と、その時。
 タクトはようやく気が付いた。
 自分の両手には、まだイザークのリボルバーが握られていた。
 偶然か、死にたくないという本能か。
 あの強烈な殴打で飛ばされてもなお、それは引き金に指をかけた状態で握り締められていた。
 回転式のリボルバーの装弾数は、大抵六発だったはず。
 まずイザークが一発撃った。
 そしてタクトが一発。
 続いて三発。

 と、いうことは。
 同時に、タクトはこちらに語りかける双眸に気付いた。
 


 「ほのか、行こうぜ。終わりだよ」
 ケインの言葉に、ほのかは無言で首を振る。
 「《バサラ》に戻ろう。俺がいるから大丈夫」
 ケインの右手が差し伸べられる。
 ほのかはさらに強く首を振った。
 嫌だ。
 この男に支配されるのは、もう。
 ケインは嫌。
 薬も嫌。
 人殺しも嫌。
 ここでイザークと一緒に死んだ方がマシだ。
 大好きな人と。
 「ああ、そう」
 涙目で睨むほのかの真意をどう取ったのか、ケインは納得したように笑った。
 清々しいそれが逆に薄気味悪い。
 
 「その銀髪ニーチャン、形が分からなくなるくらいばらばらに切り刻めばいいのか」
 
 ひくっ、とほのかの喉が震えた。
 声が出ない。
 動くことさえ出来なかった。
 抵抗しようにももう武器はない。
 あったとしても、全身義体のケインには到底及ばない。
 殺される。
 かつかつというケインの足音が、嫌に強く鼓膜に響いた。
 折れたダガーはとっくに床に捨てられ、どこかに仕込んであっただろう別のナイフが光っている。

 ―――形が分からなくなるくらいばらばらに…。

 逃げ場はない。
 もう駄目ッ。
 

 瞬間。

 白刃が舞った。
 下から上へ、縦一閃。

 刹那にそれを描いた人物を認識して。
 ようやく、ほのかは自分の手に掴んでいたはずのぬくもりがないことに気付いた。
 意識を失っていたはずのイザークが、起き上がると同時に敵を切りつけていたのだ。
 手には先程ケインとほのかの衝突で折れたダガーの刃。
 ケインですら、あまりのことに瞳を見開いている。
 完全に油断していたのだろう。
 イザークの動きがあまりに俊敏で鮮やかだったこともあるが。
 そして。

 「ーーーーーーーーッッ!!」

 顔の左側…顎から目のぎりぎり真下にかけて、彼のその顔に赤い線が走った。
 「ちぃっ」
 イザークが舌打ちする。
 喉元を斜めに切り裂くつもりが、当てが外れてしまった。
 まあ相手に完全に背を向けていた上での攻撃だったのだから、当たっただけ上等だろう。
 気絶した振りをして隙をうかがい続けていたのだ。
 だまし討ちをするのは流儀には反するが、この状況でそんなことは言っていられない。
 自分だけでなく、部下の命もかかっているのだから。

 「ぐあっ!」
 「さすがにツラの皮まで強化されてないみたいだなッ!」
 ケインの傷口は思ったより深かったのか、勢いよく血が噴き出す。
 相手がひるんだのを見逃さず、イザークは足を振り上げた。
 「ッッ」
 追い討ちをかけるように相手の顎を蹴りつける。
 今度はケインの身体が飛ぶ番だった。

 イザークはまだ唖然としているほのかを抱え上げると、そのまま目的の扉へと走り出す。
 「タクト!!!」
 名前を呼ばれ、タクトは弾かれるように腰を上げた。
 痛みで麻痺していた身体に鞭打つ。
 残り一発となったリボルバーを構えた。
 イザークの声が畳み掛ける。
 「照明を撃て…上だ!!」
 「はいっ!」
 無我夢中だった。
 言われるまま、銃口を上に向け。
 撃った。

 銃声。
 同時にがしゃーーんっ、というガラスの破裂音。
 そして。


 闇が訪れた。
 
 



 「《ガーディアン》のパイロット殺しを、ケインだけに任せるのはどうかと思うわよ」
 
 作戦前、そう不平を漏らしたのはアントニアだった。
 やっぱり来たか、とジェットは内心でため息をつく。
 「せめてもう一人くらい付けた方が確実じゃないの?」
 「ターゲットは『あらかじめ指定されたポイント』に誘導される手はずになっている。ケイン一人の方が効率的だ」
 「そうかしら?」
 「ならお前がやるか?タイマンでケインに勝てる自身があればの話だが」
 「…」
 口を尖らせたアントニアが横目でこちらをにらんでくる。
 こういう時だけは顔半分を隠しているバイザーに感謝しつつ、その下でさりげなく彼女から視線をそらした。
 「仕方ないだろう。戦闘続きで予定以上に人手が足りなくなっているんだ。《ヒュペリオン》から引き渡されるはずの《ガーディアン》破壊作業もあるんだぞ」
 「もう《ガーディアン》なんて放っておけばいいじゃない」
 「そうもいかないらしい。ボスはあれをクライン派の手に戻すのはやはり惜しいようだし、また新しいパイロットが現れないとも限らないからな。それにこういう時くらい《ヒュペリオン》にダメージを与えておかなければ、死んだ仲間に顔向けできない」
 「じゃあそっちをケインにやらせなさいよ。あんたがタクトとかいう子供を殺しに行けばいいでしょ」
 「簡単に言うな。そりゃ護衛で大層に守られてるとは思わないが、周りはコーディネーターだらけだ。俺もお前と同じナチュラルなんだぞ?」
 
 『ナチュラル』だという部分を強調してやると、ようやくアントニアは異議申し立てを諦めたらしい。
 不満そうな顔をしながらも、口を閉ざした。
 そう、ジェットはナチュラルだ。
 そのうえ強化を施されていない分、アントニアよりも肉体的には劣ることになる。
 だから、このゴンドワナ襲撃作戦の人選はこれ以上ないもののはずだった。
 
 
 
 まず、内通者が用意したコードでMS三機と民間用に偽装したポッドで《ゴンドワナ》に侵入する。
 出入り口となるドッグもあらかじめ決められていた。
 《ヒュペリオン》が停泊したインディアドッグの二つ隣の《エックスレイドッグ》だ。
 ここでヒュペリオンが収容されたのと同じドッグを選ばなかったのは、あまり近くだと行動を起こした途端にジュール隊が異変にすぐ気付いて逃げる恐れがあったから。
 さらにこのドッグには稼動可能なMS《リゲル》が多く搬入されており、
 脱出のために利用できるうえ今後使える機体を拝借できるという一石二鳥の目的もあった。
 アントニアとティモシーはポッドを潜入させた後、《グフ》一機を残してすぐに《ゴンドワナ》から脱出。
 外からも攻撃をして司令をなるべく混乱させ、仕事を終えた仲間が脱出し易くする工作をする。
 ケインとジェットはすぐに《インディアドッグ》に直行。
 そのままケインだけがターゲット暗殺に向かい、残りの二十数名はヒュペリオンを強襲。
 《ガーディアン》を破壊する。
 これが作戦の全容だった。

 しかし。
 ジュール隊の対応は思ったより迅速だった。
 最初こそ多少混乱していたようだが、武装して攻撃してきた自分たちに対し、護衛の兵がしつこく反撃してきたのだ。
 さらに悪いことに、ここで引き渡されるはずだった最新鋭機《ガーディアン》も自分たちがドッグに突入した時にはなかった。
 引渡し作業が遅れていたか、異変を感じ取ってすぐに艦の格納庫に仕舞い込んだか。
 どちらにしても、ジェットたちが目的を果たすには、艦の中まで進入しなければならない。
 それでも。
 まだこちらは有利なはずだったのだ。
 武装は完璧だったし、何より先手を打った。
 仲間たちも前対戦の雪辱を晴らそうと、士気だって高かった。
 それなのに…。



 C.E.79 3月22日 0520時。《インディア・8ドッグ》、《ヒュペリオン》停泊港。


 「馬鹿にしてんじゃないわよーッッ!」
 怒声とともに、ルナマリアは侵入者を蹴り飛ばし投げ飛ばす。
 自慢ではないが、白兵戦ではシンにもレイにも負けたことがない彼女だ。
 護身用の拳銃も一応持ってはいるのだが、そんなもの必要ないとばかりに素手で武装した男どもの中へと突っ込む。
 鬼神のごとき勢いに、侵入者は気迫だけでかなり圧倒されていた。
 戦闘に参加せず、物陰に隠れている整備士までも目を丸くして彼女の勇姿を目に焼き付けている。
 …今頃頭の中で、ルナマリアの聖母のような理想像が瓦解している最中だろう。
 「何だってんのよ!」
 目の前でライフルを構えていた男の腕を蹴り飛ばす。
 「ぐわっ」
 「他人んちで銃ぶっ放すんじゃないっての、どういう躾受けてんのよ!?」
 今の蹴りで運よく(?)彼女のスカートの中を目撃してしまった者たちは、あんたが言えた台詞かよと内心で突っ込みを入れた。

 ジェットはこめかみを押さえて唸りたくなる衝動を抑える。
 護衛の兵に加え、武装した兵士まで艦の入り口を固め始め、数の上ではこちらが圧倒されてきていた。
 限界だ。
 もうこれ以上仲間から犠牲者を出さないよう、撤収の命令を下さなければならない。
 任務の遂行はもう無理だった。
 
 「撤退だ。動けるものはポイントBへ。…繰り返す。動けるものはポイントBへ。《ガーディアン》破砕任務は失敗だ、撤退する」
 
 ジェットは無線で全員に撤退を告げる。
 艦の入り口でここまで足止めを食らっては、もう中に入ることすら困難だ。
 ガーディアンの破壊なんてとんでもない。
 まったく…何なんだ、あの無茶苦茶な赤毛の女は。
 今回の任務失敗の原因の一つは、あの女兵士が立ちふさがってくれたおかげだった。
 仲間の三分の一は彼女にのされたと言っていい…しかも素手で。
 赤服を着ていたということはザフトの中でも優秀なのだろうが。
 それともザフトレッドは皆あんなトンデモな人間ばかりなのか?
 まあ今更そんなことを言っても始まらない。
 せめて別行動のケインの任務だけでも上手くいってくれればと祈るばかりだ。

 「撤退しろ!これは命令だ!!」

 最後通告だとばかりのジェットの声から焦りが滲んでいたのか、「白夜」の仲間たちはようやく艦から離れ始めた。
 一人、また一人とジェットの横を通り過ぎて7番ゲートのドアへと戻っていく。
 最初の人数の半分が戻ったところで、ジェットも踵を返した。
 残りの仲間は切り捨てなければなるまい。
 自分の身まで危うくなる。

 「ジェット、待ってくれ!」
 後ろからの声に、ドアを通り抜けようとしていたジェットは反射的に振り向いてしまった。
 仲間の一人…確かジェットより年下だった…が階段を昇りながらこちらへ駆けてくるところだった。
 さほど距離がなかったのであと一人だけでも、と立ち止まったのがいけなかった。
 「ちっ」
 その彼のさらに後ろに、追いすがる人影があったことに後から気付く。
 黒い軍服…敵!!
 ジェットは舌打ちすると、銃を構えて撃つ。

 カンッ、カンッッ!

 放った弾が階段の鉄の手すりに当たって乾いた音を立てる。
 狙ったはずのザフト兵には当たらなかった。
 ジェットの銃の存在になど気にも止めていないかのように手すりに足をかけると、そのまま跳躍したからだ。
 こちらに逃げてきていたジェットの仲間の頭上を飛び越え、一気に目の前に降り立つ。
 「ひっ!」
 仲間の青年は驚いて足を止めた。
 もちろん驚いたのはジェットも同じだ。
 後ろにいたはずの敵が、一瞬にして仲間の眼前に現れたのだから。
 ザフト兵はそのまま青年のみぞおちに踵を落とす。
 対して力が入っていない蹴りだったのだろうが、
 ただでさえ動揺していた上に慣れない重力に逆らえず、青年は悲鳴を上げながら階段を転げ落ちていった。
 
 ―――もう助けられないっ。

 打ち所が悪ければもう死んでしまっている。
 運が良くても骨折は免れないだろう。
 自分の命も危ない。
 そう思った瞬間、相手と目が合った。
 「!」

 あかい…。

 それが相手を見た、最初の感想だった。
 瞳の色が、血が透けたような鮮やかな赤だったから。
 二十代に差し掛かったばかりの、背の高い黒髪の青年。
 バイザーを通して見た色白の顔立ちは端整だったが、何だか無機質で表情らしいものが感じられない。
 だがそれゆえに、ジェットは悪寒を感じた。
 相手がこちらを見定めている…殺すために。
 無表情なのにそれが分かってしまう。
 恐ろしい。

 バンッ、バンッッ、バンッ!!

 ジェットは続けざまに銃を撃つが、相手は一瞬階段の影に隠れたかと思うと、
 先程と同じように手すりを踏み台にしてジェットがいる鉄廊まで飛び出した。
 こいつといい、あの女兵士といい、コーディネーターだからといって一体どういう運動神経をしているのだ。
 同じコーディネーターのはずのケインやティモシーだってこんな動きをしているのを見たことがない。
 「化け物め!」
 自分の危うい立場を失念し、思わずそう吐き捨てていた。
 もう敵は数メートル先だ。
 このまま背中を見せたら間違いなく仕留められる。
 かといって、真正面から行って勝てるのか?
 しかし。
 思わぬことが起こった。
 
 「…レイ?」

 ジェットの声を耳にした途端。
 青年の殺気が一瞬にして掻き消えた。
 「は?」
 能面のような顔しかできないかと思っていたのに、今の青年は明らかに動揺した表情で自分を見つめている。
 うさぎのような真紅の瞳が大きく見開いていた。
 その変化にジェットまでも困惑する。
 「レイ、レイだろ?」
 「何をッ」
 青年の言葉は自分を動揺させるための作戦だと判断したジェットは、再び銃を構えて撃つ。
 パンッッ。
 青年の方もようやく正気に戻ったのか、それでも弾は彼の太ももを僅かに掠った。
 黒い軍服が裂けて血がじわりと滲む。
 「レイ!」
 「うるさいっ、こっちに来るな!クラインの飼い犬が!」
 そう言いながら、じりじりと後ろに下がる。

 レイ?
 誰かの名前だろうか?
 この青年は自分を知り合いと勘違いしているのか。 
 とにかくこれはチャンスだ。
 ジェットは残りの銃弾を計算すると、再び引き金を引く。

 バァンッ!
 
 「!」
 足元を狙ったそれを、青年は後ろに飛びのいてよける。
 その隙を見逃さず、ジェットは踵を返した。
 隣の部屋に滑り込み、素早くドアを閉める。

 青年は追ってこなかった。
 
 

 いつの間にか隣のドッグへのドアの前にまで移動していたシンを見つけるなり、ルナマリアは階段を駆け上がった。
 逃亡する敵を追いかけるうちにここまで来てしまったのだろう。
 その敵も半分が逃亡し、残りは戦闘不能。
 こちらにも怪我人が出たが、大した被害もなく危機を切り抜けることができたようだ。
 異変をすぐに察知して《ガーディアン》の引渡し作業中止したイザークの判断と、素早く武装を指示した艦長の連帯の賜物だろう。
 
 「シン、大丈夫?」
 息を切らせながら一気に階段を上りきったルナマリアは立ち尽くしたままのシンの顔を覗き込む。
 そして怪訝そうに眉をひそめた。
 シンの顔には久しく見えなかった感情が浮かび上がっていたからだ。
 しかも、「驚き」の。
 「シン、しっかりして!なに、何を見たの?何かされたの?」
 そこまで言って、彼女はようやくシンの太股から血が滲んでいることに気付いた。
 しかし本当にかすり傷程度で、これくらいで彼が動揺するとは思えない。
 「シン」
 もう一度名前を呼べば、赤い瞳がようやくルナマリアを映した。
 それはとても儚く揺れていて、彼女の胸を刺す。
 「シン」
 「ルナ…、レイが」
 「え?」
 「レイがいた。レイの声だった」
 「レイ?」
 レイ、とは。
 レイ・ザ・バレルのことだろうか。
 かつてシンとルナマリアの同期のパイロットで、三年前に戦死したはずの。
 そんなはずはない、と否定しようとして。
 けれどもルナマリアにはそれが出来なかった。
 真紅の瞳に映るのは、五年前の崩れ行くメサイア。
 「レイが…いたんだ」





 「今日はお話できてとてもよかったですわ」

 ラクスはディアッカとミリアリアに笑いかける。
 やや疲れをにじませるものの、それでもまだ人を魅了する美しさ。
 かつて二度もプラントを攻撃しておきながら、なおも「プラントの平和の歌姫」と呼ばれる支配者。
 この作り物の庭で、彼女は笑っている。

 「またいらしてくださいね」
 「ありがとうございます、ラクスさん」
 「お礼を申し上げるのは私の方です。久々に心を和ませることができました」
 「そう言ってもらえると来たかいがあるわ。ねえ、ディアッカ?」
 「ああ」
 ディアッカも斜に構えた考えを無理に振り払うと、ラクスに作り笑いを浮かべる。
 そして妻の肩を抱き、出口へと促した。

 
 C.E.79 3月22日 1430時。プラント・クライン邸。

 エルスマン夫婦との面会を終えたラクス・クラインが、その約10時間ほど前に起こったゴンドワナ襲撃を知るのはこの直後のことである。



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2010/01/01