PHASE-20「蟷螂兄妹」
C.E.79 4月5日 1100時。 プラント、アプリリウス市。
ラジオから流れるのはどこかで聞いたことのあるような、けれども名前を覚えるほどでもない音楽と女の歌声。
歌詞をところどころ拾う限り、どうやら愛の冷めかけている恋人への距離と未練、もどかしさを歌ったもののようだった。
イザークは車を運転する時は滅多にラジオや音楽をかけない。
しかし同乗しているほのかが例のごとく暇をもてあまし、そこら辺の機能をいじり始めた。
申し訳程度に持っていたラクス・クラインのCD(埃をかぶっていた)を差し出してやったのに興味を示さず、今はラジオのチャンネルを気分によって切り替えたり、流れる音楽を口ずさんだりでようやく落ち着いている。
こんなことならルナマリアも連れてくるんだったなと後悔しつつ、イザークはラクスとの約束の場所へと車を走らせていた。
あと二時間足らずで到着する。
時計を見れば約束の時間に余裕があった。
「少し休憩するか?」
《ゴンドワナ》の一件の後では手錠までかけて閉じ込めたわけで少し甘い気もするが、
車から出しさえしなければ問題ないだろう。
「うん!どこで?」
「身を乗り出すな。危ない」
いちいちモーションが大きいほのかを嗜めれば、すねたように睨んでくる。
それでもほのかはイザークに懸命に構ってもらおうとしているようであった。
イザークは彼女を怒ったり咎めたりすることがほとんどだというのに…。
本当に良く分からない娘だ。
ともあれ、これでこの少女と行動するのは最後かもしれない。
イザークは子守から解放されるという安心感と同時に、少し寂しさを感じていた。
二ヶ月に及んだこの娘とのどたばた生活は、妻を失って以来の心の空虚感を片時でも忘れさせてくれていたことにようやく気付く。
それでも、いやだからこそ彼女を戦地に赴く自分たちの傍らに置くわけにはいかなかった。
どんな理由であれ、プラントに対するテロ組織に関わっていたのは間違いない。
ほんの少し期間が長引いただけで、離れるのは必然だった。
十字路を曲がって少し入ったところに軽食の出店を見つける。
おあつらえ向きに隣に自販機もあり、客はすいていた。
「あそこにするか」
イザークは車を止める適当なスペースはないかと僅かにスピードを緩める。
異変が起こったのはその時だった。
ちかり、と。
何かが視界の端で光った。
「!!!」
それが何か認識するより早く、軍人としての勘が体を動かす。
イザークはブレーキペダルを踏みつつ、助手席のほのかを引き寄せて上半身を伏せた。
がしゃーーーーんっ!!
フロントガラスが音を立てて割れ、破片が上から降り注ぐ。
通りを歩く人の悲鳴に紛れて銃声が聞こえた。
パンッ、パンッ、とだて続けに乾いた音に続いて、ぷしゅーっ、という空気の抜けた音。
車が斜めに傾く。
「…ッ、野郎!」
タイヤをやられた!
明らかにイザークたちを狙っている。
こんな街のど真ん中でか?
「イザーク」
「出るぞ!走れるな!?」
腕の中のほのかは震えていたが、さすがパニックは起こしていない。
こちらの問いかけにこくりと頷いたのを確認し、イザークはオートマチックを掴んだ。
他に身につけているのは護身用のリボルバーとナイフ…これで何とかするしかない。
本当にルナマリアを連れて来ればよかった(もれなくシンも付いていただろうし)。
ぱぁんっ!
何度目かの銃声が響き、サイドミラーが見事に弾け飛ぶ。
それを見たイザークは一瞬違和感を覚えるが、かまっている暇はないとすぐに頭を切り替える。
全ての銃弾は、運転席側の斜め上からのものだ。
敵は少数、狙撃者は銃声のタイミングからして間違いなく一人だろう。
しかもどこかの建物の上にいる…逃げ切れるかもしれない。
ほのかを抱え、助手席側から転げるようにして降りたイザークは身を低くして走り出す。
追いかけてきた銃弾が足元をかすめたが、すぐに細い路地へと身を滑らせた。
通行人の女性のものと思われる金切り声が後ろから聞こえる。
誰も犠牲になっていないことを願い、二人は路地の奥へと突き進んだ。
「携帯、くそっ!繋がらないじゃないか!!」
走りながら携帯で助けを求めようとしたイザークだが、何故かそれは操作不能だった。
有害電波?
そこまでするか?
「きゃっ…」
「!」
かくん、と身体のバランスが崩れ、携帯が滑り落ちて地面に転がった。
手を繋いで一緒に走っていたほのかが足を絡ませたのだ。
最初は彼女も夢中になって走っていたようだが、四ブロックも抜ければやはり疲れが出たようだ。
そこでようやくイザークも減速する。
コンパスが違うのだから、もっと気を使ってやらなければならなかったのにと申し訳ない気分になった。
携帯を落としてしまったのが気になったがここでは役に立たないし、取りに引き返すのは逆に危険だ。
まだこちらを狙ってきた奴から逃げ切ったとは限らない。
さすがに狙撃者は追ってこれないだろうが、仲間がいる可能性は充分に考えられる。
―――狙いは、やはりほのかか?
考えられることだ。
あの狙撃はかなり正確だった。
にも関わらず、銃弾はフロントガラスやミラー、タイヤなどを壊しただけで、イザークとほのかは全く怪我をしていない。
政治的な理由でイザークが狙われるのなら、始めから頭を撃ち抜こうとするだろう。
その素振りすらなかったことを考えると…。
「イザーク、くるし…」
「もう少しだ。大通りに、人の多いところに出れば」
ほのかは緊張で足から力が抜けてしまったのか、ふらふらしていた。
仕方なくイザークは彼女を抱きかかえようとする。
腕力が誉められたものではないことは自覚しているが、小柄なほのかをそこまで運ぶくらいなら大丈夫だろう。
が、その時。
微かな気配を感じて、これまで向かっていた方を振り返る。
逆光に、銃を構えた人影があった。
ガガガガガガッッッ!!
「ーーーーーーーーッ!」
車の中で襲われた時の狙撃とは違う。
今度の銃声はオートマチックによるものだった。
ほのかはイザークに上からのしかかられる形で地面に倒れる。
背中を強かに打ちつけたものの、イザークが腕を回してくれたお陰で頭はぶたずに済んだ。
イザークに呼びかけようとするが、彼はそのままほのかの体を引きずるようにしてまた走り出す。
さっきとは別の、さらに細い路地。
どこを走っているのかイザークにも分からないのだろう。
とにかくこちらを狙ってくる謎の敵を撒くしかない。
「俺の方は死のうがどうなろうが関係ないらしいな」
走りながらイザークが漏らした皮肉交じりの言葉に、ほのかはようやく繋いだ手を伝って滴る、ぬめついたものに気付いた。
血!?
もちろんほのかはどこも怪我をしていない…イザークのものだ。
見ればイザークが右腕を押さえている。
しかも傷はそれだけではなく、腹の辺りもゆっくりとだがじんわりと血の染みが彼の服に広がっていた。
それを見たほのかの背中にぞっとしたものが走る。
あそこは確か《ゴンドワナ》でケインに負わされた傷と同じ場所ではないだろうか。
いくらイザークがコーディネーターといっても、まだ塞がり切ってはいないはずだ。
ほのかのせいだ。
ほのかのせいで、イザークがまた怪我をしている。
「ごめん、なさい」
「どうしてお前が謝る?」
「ほのかが狙われてる。捕まえに来るの」
「…みたいだなっ」
振り向きざまにイザークが発砲する。
僅かに足音が聞こえた。
次にこちらへ向けて、発砲。
イザークが舌打ちをして、また走り出す。
怪我のせいか、相手が手練(てだれ)なのか、ともかく撃ち損じたようだ。
街の喧騒からすっかり遠ざかってしまっていた。
誘導されている可能性大だが、かといって今の状態ではどうしようもない。
やがて寂れた雰囲気の住宅街にたどり着く。
不思議なことに、人気は全く感じ取れなかった。
ほとんどの建物の入り口にロープが張られていた…この周辺ブロックは取り壊し区域だったらしい。
そのうちの一つを潜り抜け、塀の裏へ身を隠した。
ようやく足を止めて一息つけると思ったが。
「…っ、ちくしょう」
イザークは短く悪態をついたかと思うと、そのまましゃがみこんでしまった。
その息が酷く荒いのを感じ、ほのかは青くなる。
「イザーク、血、血が」
彼は腹の辺りを押さえていた。
さらに出血が増えている。
先程の銃撃の傷は、かなり深刻なものだったのだ。
押さえた手をどんどん染めていく赤と、喉の奥を締め付けるような匂い。
ほのかは愕然とする。
早く…早く手当てしなければ。
このままではイザークが死んでしまう!
このままでは。
引き金を引いた次の瞬間。
スズネはしまったな、と思った。
少女の方の足を止めるつもりだった。
バルフォアは死ななければいい、と言っていたし。
だから片足を打ち抜いてやるつもりだっただけ。
死なすつもりなんてなかったのだ。
それなのに、あの銀髪の男が余計なことするから。
「危うく殺すところだったじゃないのぉ」
自分から銃弾を受けに来る奴なんて初めてだった。
そんなにあの薬漬けの小娘が大事なのだろうか。
腹に銃弾を受けてなお少女を連れて走っていく男の後姿を睨みながら、スズネは肩をすくめる。
すると標的の二人が来たのと同じ方向から、スズネのパートナーが走ってきた。
「あ、来た来た。サスケェー!」
「スズネ、どうだった?」
「どうもこうもないわよ。もう少しで殺すとこだったワ」
何でもないように言うスズネに、サスケは目尻を吊り上げた。
「もう少しで殺すとこだったワ、じゃない!俺がどれだけ人目につかないように苦労して狙撃したと思って…。ああ、もうっ。ここまでお膳立てさせといて失敗するなっての!」
サスケは文句を言いながらも、標的を逃すまいと走り出す。
車に乗っている二人をこの区画で待ち伏せし、狙撃したのはサスケだった。
この辺りは大規模な区画整理が進んでおり、ほとんどの住居の取り壊しが決まっている。
つまり、狭い路地の先はほとんど人気がないのだ。
そこへ標的の位置をサスケからの無線で把握したスズネが待ち伏せする、という作戦だった。
何度もシュミレーションをしたというのに仕損じるとは!
だがスズネはサスケを追いかけながら口を尖らせる。
「スズネのせいじゃないもーん。あのオニーサンのせいだもん」
「ああ?」
「多分すぐ動けなくなるよ。ほっとけば死んじゃうかも」
「そりゃマズいだろ」
「マズいねぇ」
「モートン隊長は、ジュールも生け捕りにしろって言ってたのに」
「やっぱり来たか」
積み上げられた石で出来た塀の隙間から様子を伺っていたイザークは、奥で蠢く影に唇を噛み締めた。
夢中で走っていたために気が回らなかったが、自分の血痕の跡が残っているかもしれない。
あるいは足跡を辿ればそう苦もなくここを嗅ぎ付けられる。
一体相手は何人だろう?
場所を把握しながら一気に自分たちを取り囲まない辺り、少人数編成なのは間違いない。
ふと寄り添って震える小さな少女に目をやる。
自分はもう駄目だろうが、彼女だけなら逃がすことができるかもしれない。
今度こそ、護ってやらねば。
そう決心し、イザークがさらに隙間の奥を伺い知ろうとした時。
「そこの二人、おとなしく出てこい!」
「抵抗しなければ、命まではとらないぞ!」
突然向こうの方から呼びかけてきた。
その声音の高さに、イザークは拍子抜けして銃を取り落とすところだった。
「子供、かよ」
十代の少年と少女の声、だ。
間違いない。
一歩一歩、ゆっくりとこちらに歩み寄る姿が見える。
小柄な、やはり身体が完全にできていない二人の子供だった。
黒髪に褐色の瞳の少年と、同じく黒髪に青い瞳の少女。
顔立ちがよく似ている…兄妹だろうか?
「ホノカ・ウー、テロリスト『白夜』に関係あるものとして連行する」
「イザーク・ジュール、あなたにも容疑がかかっている」
「抵抗すれば、射殺もやむなしとの、最高評議会からの決定だ」
「諦めろ。銃を置いてそこから出てこい」
少年と少女は交互に小気味良く呼びかけを分けている。
それが逆にイザークの癪に障った。
アイスブルーの瞳が物騒な光を放つ。
「嘘つけ。何が最高評議会からのお達しだ。餓鬼どもが」
街中で警告もなく発砲し、追い詰めてから説得なんてお粗末なことは、正規兵なら絶対にありえない。
そもそも、こんな子供が二人だけで銃撃してくる時点でおかしい。
確信する。
こいつらは「白夜」に関係のある連中からの手回しだ。
《ゴンドワナ》の、あのケインという男が脳裏を過ぎる。
見た目は可愛い少年少女だが、あのゾンビ男の仲間とも限らない。
この手負いの状態では。
イザークは決心し、ほのかの肩に手をかけた。
「連中を引き止める。ほのか、お前は一人で逃げろ」
「!」
ほのかの金の瞳が見開かれる。
次の瞬間にはそれが潤み始めたが、イザークは見ない振りをした。
「逃げろ。俺じゃあお前を守ってやれない」
ほのかはいやいやと首を横に振る。
「イザークと一緒にいるッ」
「あいつらの仲間に、酷いことをされてきたんだろう?」
「!」
「逃げてくれ」
時間がない。
このままだんまりを続ければ、あの少年たちは襲ってくるだろう。
あるいはイザークが失血で意識を失うのが先かもしれない。
その前に、ほのかを逃がさなくては。
だが。
「やだ」
ほのかはきっぱりと拒否した。
「ほの…」
「イザークを置いて、逃げたりしない」
先程まであれほど怯えて震えていたのに。
今その金の瞳は、不思議なほど確固としていた。
イザークがそれに気圧されていると、ほのかは何を思ったか彼が握っていたオートマチックを手に取る。
そしてそれを己の首の付け根に押し当てて立ち上がる。
「おい、何を…」
「大丈夫。死なせないから」
「…」
「イザークを死なせるくらいなら」
―――そんな存在なら、あの地獄に戻った方がいい。
「ホノカ・ウーはあたしよ。これからそっちに行くわ」
さっさと型を付けてしまおうかと話し合っていたサスケとスズネは、塀の向こうで立ち上がった人影に銃を構えた。
だが、それが目的の少女…しかも銃口を自分に向けているのを見て動きを止める。
「その代わり、ここにいる人を殺さないで」
「おい、ほのか!」
「約束して!じゃないと、ここで死ぬわ。あなたたちの雇い主は分かってるんだから」
ほのかは銃口が首に密着しているのを見せ付けるようにして、けれど撃ち落されないよう右肘を高く上げる。
黒髪の少年と少女は顔を見合わせ、そして自分たちの銃を下げた。
「約束なんてしなくても、お兄さんは助けるよ」
「怪我の手当てもしてあげる。できることなら殺すな、っていう命令だから」
「あんたもお兄さんも死なずに済むんなら、それは願ったりだよ」
「…」
相手の言葉に、ほのかはしばし考え込む。
この二人の言うことは本当だろうか。
イザークにこんなに怪我を負わせ、ここにきて殺すつもりはなかった、なんて。
すると、血まみれの手が、ほのかのスカートの端を掴んだ。
「ほのか、行くな。あんな餓鬼どもの言うことなんて信じられるか!」
「イザーク」
「逃げるんだ。お前みたいな子供がっ」
スカートに血の染みが広がっていく。
紙のように白くなっていくイザークの顔色に、ほのかは心を決めた。
しゃがみこむと、彼の血まみれの手に己の手を重ねる。
焼けるような熱さを感じた気がした。
「こんな酷い怪我をさせて、ごめんなさい」
「馬鹿がっ!行くなって、言って…」
「ありがとう」
生まれて初めて、自分から男の人にキスをした。
恐る恐る目の前の表情を伺えば、イザークが唖然として自分を見返している。
全くの不意打ちだったからというか、一回りも年下のほのかがこんなませたことをするとは思いも寄らなかったのだろう。
結局彼にとっての自分は子供で、保護対象でしかなかったことに軽い失望を覚えるも、これで良かったのかもしれないとも思った。
迷惑しかかけられなかった…こんな自分のことなど、早く忘れてしまえばいい。
もう一度ありがとう、と呟くと、ほのかは足を踏み出した。
ほのかが取った行動に放心していたイザークだが、彼女が敵の方へと歩き出したのを見て我に返る。
「待て、こらっ」
ひき止めようと手を伸ばして、けれど体がぐらりと傾いだ。
同時に視界が暗くなる。
「くそっ」
いつの間にか地面に倒れこんでいた。
それすら己から流れ出た血液で赤くぬめついている。
まだ視界の端にかの少女がいる気がして、イザークは手を伸ばそうとした。
…感覚が、ない。
「ほのかっ」
意識は闇に堕ちていた。
―――ほのか。
意識が急激に浮上した。
タクトは二、三度瞬きし、検査室の天井を睨みつける。
何か悪い夢を見た気がする。
気分がいいとはいえなかった。
ピッ、ピッ、と脳波を測定する装置は動いているが、先程まで傍にいたはずのバルフォアの姿がなかった。
検査が終わったのならタクトをたたき起こすはずだ。
何かの用事で少し席をはずしているだけだろう。
そう思っていると、案の定カーテンの向こう側から話し声が聞こえる。
電子音に紛れて良く聞き取れないが、この声で目が覚めてしまったのだろうか。
「ほのか…」
誰かが、彼女の名前を呼んだ気がする。
いいや、バルフォアがほのかを知っているはずがない。
やはり夢でも見たのだろう。
今頃彼女は何をしているだろうか。
まだジュール隊と行動を共にしているのか。
せっかくプラントで再会できると思っていたのに、今回の急な出兵でその機会を逃してしまった。
しかも搭乗機を大破させてしまう大失態をやらかしてしまった。
いいところを見せたいと思っていたのに。
でもまた、会いたい。
そのささやかな願いが思わぬ形で叶うことになろうとは、タクトは夢にも思わなかった。
2010/01/01