PHASE-21「堕ちた英雄」
ルナマリアの話によるとこうだった。
5日の17時頃。
イザークが約束の時間にいっこうに現れる気配がない、と議長であるラクスから《ヒュペリオン》に直接連絡があった。
律儀な性格の彼が、黙って約束を反故にするのはおかしいとラクスも思ったのだろう。
イザークはほのかと一緒だった。
携帯も繋がらないことに気付いたルナマリアは不安を抱き、イザークの母エザリアにも連絡してみたのだがそれも空振りしてしまった。
次の日まで待ってもやはり音沙汰なく、艦に戻ったメイデス親子とともに調べたところ、思わぬことが分かった。
イザークが議事堂に向かう途中のに使ったであろう通りの近くで、発砲騒ぎがあったというのだ。
すぐさまリュカが現場に駆けつけたのだが、見つかったのはぼろぼろにされたイザークの車だけ。
イザークとほのからしき二人の姿は目撃されていたが、肝心の行方は知れなかった。
病院にも怪我人が運ばれたという記録はなく、そこで二人の痕跡は途絶えた。
イザークとほのかは忽然と消えてしまったのだ。
「それで私に?」
ディーゼルがそう問えば、画面の向こうのルナマリアは申し訳ありませんと頭を下げた。
厄介事を持ってきてしまったと恐縮しているのだろう。
だがかつてデュランダル派と認識されていた微妙な立場の彼女にとって、それを絶対悪として断罪したラクスを頼るのは難しいことに違いない。
考えた末に旧友のアーサーに相談し、その上司であるディーゼルに助けを求めてきたのだ。
「分かりました。議長には私から上手く説明して、詳しい捜索ができるように手配してもらいます」
『あ、ありがとうございます』
「大丈夫ですよ、心配しないで」
あれでイザークは結構しぶといですから、と冗談めかして言えば、ルナマリアの頬に僅かに赤みが差した。
宜しくお願いしますと再び頭を下げた部下思いの女兵士との通信を終え、ディーゼルは額を押さえる。
「うーん。まさか愛の逃避行なんてことはないだろうし」
もっと状況は最悪かつ深刻なのだろうが、それゆえにありえない願望も抱いてしまう。
現場では、イザークの車以外に目立った被害がなかったらしい
…つまり、狙撃した犯人の標的は車の中の二人、あるいはどちらかだったのだろう。
無事でいてくれればいいのだが。
ともあれ休暇中とはいえ、イザークの不在をいつまでも隠しておけるわけはない。
彼はただの一軍人ではない…「四将」の一人なのだ。
騒ぎ立てるのはまずいが、せめて議長のラクスには状況を説明しておいた方がいいだろう。
そんなことを考えていた時、インターホンが鳴った。
『隊長、アーサー・トラインです』
「ああ、ちょうど良かった。入ってください」
ラクスのいる議事堂にチャンネルを繋げる手続きを頼もうと思って中に呼び入れた。
「どうしました?」
「先程本国から通達がありました。殲滅作戦を成功させた、ヤマト隊、モートン隊が本国に帰還したそうです」
「そうですか」
何人かの残党が逃げたと言う話だが、追撃は諦めたのだろうか。
どちらにしろ、あの謎のテロリスト集団が、謎のまま葬り去られたことに変わりない。
情報は詳細に入っており、本国で騒がれているのも知っていたが、「白夜」に関しては掴み所のない感が拭えないままで終わってしまった。
特にディーゼル隊はL4宙域が管轄だったこともあり、連中とは一度も交戦しなかったこともあるだろう。
そんなことより、自分の被保護者のあの少年は無事だろうか。
「タクト・キサラギは?」
「確認してみましたが、そこまではまだ詳しく分かっていません。
予想以上に被害が出たのと、逃げ出した残党の追撃などで少し混乱しているようです。
あ、少し時間を置いて、また確認を取ってみます」
「そうですね。お願いします」
アーサーなりに気を使ってくれているのだろう。
ディーゼルはラクスへの取次ぎを頼むと彼を下がらせた。
そうして一人になって、ふと考え込む。
イザークとほのかが姿を消した。
ほぼ同時期に『白夜』が消えた。
これは偶然なのか、それとも?
『白夜』という脅威がもたらした暗雲は、さらに広がっているような気がしてならなかった。
C.E.79 4月8日 0950時。 プラント、フェブラリウス市。
「なんだよ、それってどういうこと!?」
ドアの向こうから聞こえてきた夫の大声に、部屋に入ろうとしていたミリアリアは抱えていた洗濯物を取り落とすところだった。
部屋の中でディアッカと義父のタッドが何か言い合っているようだ。
最初はいつもの親子喧嘩かと思ったが、どうも様子が違う。
部屋の中に入ってよいものか迷っていると、突然ディアッカの声が近くなってドアが勢い良く開いた。
「きゃあっ」
「と、ミリィ!悪いっ」
「平気だけど…どうしたのよ、そんなに慌てて」
「これからマティウスに行く」
「マティウスって、はあ?え、これから?」
混乱するミリアリアの腕から綺麗にたたんでいたはずの洗濯物がこぼれ落ちる。
ディアッカはそんな妻の様子にすら気を回している余裕がないのか、大股で廊下を通り過ぎた。
「ちょ、ディアッカ!?」
呼びかけてもディアッカは振り返ることなく…というか、もうミリアリアの声など聞こえていないのだろう。
彼は普段誰にでも気配りができる性分だが、一度かっとなると周りが見えなくなってしまうことがたまにある。
すると同じく部屋から出てきたタッドが、足元に散らばった洗濯物を拾うのを手伝ってくれた。
「ありがとうございます。お義父さま」
「いや、大丈夫かい?」
「あ、はい。…その、何かあったんですか?マティウスって確か」
ディアッカの旧友の出身地だったはず。
タッドはため息を吐きながら頷いた。
「エザリアから連絡があったんだ。…イザークが行方不明だと」
行方不明!?
あのイザーク・ジュールがか?
「せ、戦闘か何かですか?」
「いいや。隊は休暇中で、イザークはクライン議長と面談してからエザリアのところに戻る予定だったらしいんだが」
隊の方にも、自宅にも連絡がないと言う…それも丸三日。
イザークの性格からして、黙って姿を消すなどありえないことだ。
しかも不明になった翌日に銃撃された彼の車が見つかったという。
なるほど、ディアッカが青くなるわけだ。
ようやく状況を理解したミリアリアが階下に降りると、ディアッカはすでに居間で外出の準備をしていた。
「ディアッカ、落ち着いてよ。マティウスに…イザークさんのお母様のところに行って、それでどうするのよ?」
「あいつを探す。戻ってるかもしれないし」
「それなら連絡があるわよ!あんたが行ったところでどうにもならないわ!」
「じゃあどうしろってんだよ!!?」
「だから落ち着けって言ってんでしょ!!」
らしからぬ剣幕のディアッカ。
けれど負けじと言い返すミリアリア。
そこでようやく冷静さを取り戻したのか、ディアッカは僅かに肩の力を抜いた。
「ごめん」
「しょうがないわよ、友達なんだし。でも今のあたしたちはオーブの人間だし」
例のテロリスト騒ぎで、余所者である自分たちは動きづらくなっている。
先日その『白夜』という組織は殲滅されたという報道があったものの、
まだまだ市と市の間をうろつくのは賢い方法とは言えないだろう。
「ねえ、こういう時こそラクスさんの力を借りましょうよ!なんて言ったって、最高評議会議長なんだから」
ぽんっ、と両手を合わせ、さもたった今思いついたかのように提案する。
先日ラクスと会った時の会話から考え合わせても、彼女はイザークに対してかなり好意的だった。
そうでなくとも、「ラクス・クライン」が困っている人を放っておくはずがない。
プラントの最高権力者に頼めば本国で何が起ころうともすぐに調べられると、ミリアリアはそう単純に思っていた。
「ね、いい考えでしょ?これからお願いしてみようよ…ねぇ?」
が、ディアッカはミリアリアのその言葉に全く無反応だった。
「ディアッカぁ?」
まだ怒っているのか?
そう思って一瞬むっとするミリアリアだが、彼のその視線が自分を素通りしてあるものを凝視していることに気付く。
つられるようにしてそれを追えば、オンになったままのテレビモニタへと行き着いた。
一体何なんだろうと眉根を寄せて映像を覗き込む。
そして。
「…うそ」
愕然とした。
『最高評議会議長、ラクス・クラインに逮捕状』
『テロ組織「白夜」を自ら先導した可能性』
『他にも関係したと思われる評議会議員を拘束、事情聴取。議会は混乱』
『クライン氏の行方は知れず。逮捕を察知して雲隠れか』
『臨時議長に急遽ドミトリアス・バルフォア氏が選出』
「なに?何よ、これ…ねえ、ディアッカ?」
「…」
ミリアリアの言葉に、ディアッカは当然返す言葉を持たない。
彼にだって、何が何だか分からないのだから。
けれど。
暴れまわっていたテロリストが突然消えて。
イザークが突然失踪して。
ラクスが突然失脚した。
プラントに何かが起こっているのは確かだった。
C.E.79 4月7日 1245時。 プラントに向けて帰還中の《セラフィム》。
フロンティア・シルベスタの戦いが終了した半日後、
《セラフィム》のキラの元にスチュアート・モートンが訪れていた。
内々の話がある、と言われ、キラは彼を隊長室へと通す。
「どうぞ」
中に入るとキラは彼をソファへと促したが、何故かモートンはすぐには座らなかった。
鋭い目で辺りを見回し、棚の裏やソファの中に手をいれ、何かを探り始めた。
「あの、モートン隊長?」
「すみません。少し待ってください」
「…はあ」
他人の部屋に入るなり検分を始めたことを咎めるべきなのだろうが、あまりに突然のことでキラは途方に暮れてしまった。
そんな彼をよそに、やがてモートンは目的の何かを見つけ出したようだ。
それはローテーブルの足の付け根…屈んで覗き込まないと見えない場所にあった。
親指と人差し指でやっと摘めるほどの大きさの黒い金属のようなもので、モートンが少し力を入れただけでバチッ、と小さな火花を散らしてつぶれてしまった。
思わずキラは目を丸くする。
「それは?」
「盗聴器ですよ」
「とう、ちょう?でも僕は」
「ご心配なく、ヤマト隊長を疑ってはおりません。というか、被害者はむしろ貴方でしょう」
「…」
一瞬キラの脳裏に、ラクスの顔が思い浮かぶ。
いや、彼女ではない。
そう思いたい。
けれど、彼女を崇拝する連中ならそんなこともやりかねないだろう。
たとえば。
「思い辺りがあるようですね」
「いえ」
キラは首を振り、言葉を濁す。
モートンもそれ以上は追及しなかった。
「まあ、とにかくこれで遠慮なく話せます。ヤマト隊長も、思ったことは正直に話していただきたい」
「一体、どういう?」
怪訝な顔で問うたキラに、モートンはにやりと唇の端を吊り上げた。
「ラクス・クラインから、自由になりたくありませんか?」
初めて会ったのは、七年も前のこと。
中立国にいたというのに戦闘に巻き込まれて、無理矢理MSに乗せられて、人殺しをさせられて。
大好きだった親友と殺し合わなくてはならなくなってしまった。
けれど逃げられない状況に絶望し、キラは疲れていた。
16歳の心はぼろぼろだった。
だがその時。
《ストライク》で拾ったポットから現れた、その少女。
彼女は絶望に沈みかけていたキラの心に光を差し入れた。
ラクス・クライン。
桃色の髪とミルク色の肌、そして透き通るような歌声。
天使だと思った。
一度は別れたが、再び会った時には運命を確信した。
彼女はいつでもキラの望む言葉をくれた。
もう二度とキラが迷い苦しむことのないよう、自らが選んだ道を指し示し導いた。
キラが何かしたいと思えばその舞台造りをし、疲れた時は何もしなくて良いと言って甘やかした。
実際彼女の傍は、居心地が良かった。
キラは彼女と手を携えて戦っている時こそ、世界のために貢献していると信じた。
五年前の、デュランダル派との戦いがまさにそうだった。
間違っていると思われたものはキラとラクスの前に破り去り、平伏し、服従した。
全てが思い通りになったのだ。
それはラクスが善で、キラがそのために正しい力を行使しているためだと…そう陶酔した。
けれど、夢は覚める。
優しく甘い言葉は戦いへと駆り立てる脅迫に聞こえ。
与えられた軍服が示す地位の高さには縛り付けられているように感じ。
確固たる信頼と何者にも崩せなかったはずの愛は、本当に存在していたのかすら分からなくなった。
けれど。
キラにはラクスの傍以外の場所を選べただろうか。
親友だったはずのアスランは行方が知れず、オーブの姉ともいつの間にか疎遠になった。
AAの仲間や両親ですら、今更キラが平凡な生活を望んでも眉をひそめるだけだろう。
いつしか、キラはラクスという檻に囚われた鳥のような錯覚を起こしていた。
ラクスがどんなに愛を告げても、それはすでに愛情の冷めているキラに罪悪感を呼び起こし、むしろ責め立てるだけ。
彼女だけが悪いわけではない。
彼女をプラントの最高権力者へと押し上げた時代こそ、最もたる亀裂の原因だと思っている。
けれど、キラは疲れ切っていた。
ラクスさえいなければ。
そう願ってしまうほどに。
―――ラクス・クラインから、自由になりたくありませんか?
自分の愛機となっている《フリーダム》の言葉通り。
自由に羽ばたく、鳥になることができたのなら。
「どういう、意味でしょう?」
開口一番に出たのは、否定の言葉ではなかった。
その時点でモートンはキラとラクスの埋められない溝を確信し、内心ほくそ笑む。
キラ・ヤマトという圧倒的かつ絶対的な力を、こちら側へ引き込むことができる。
「ヤマト隊長さえ協力してくだされば、ラクス・クラインだけでなく、彼女の色に染められた全てから自由になれます」
「!」
「ご存知でしょう?今回我々が始末したテロ組織の黒幕が、彼女だと噂されていることは」
「まさか、本当に彼女が?」
「真実はどうでもいいのです。クライン議長こそがプラントの最大の脅威であることを証明すればいい」
「でっちあげるんですか?」
「でっちあげるなんて…事実を少し脚色して国民に伝えるだけですよ。実際彼女は危険な人物だ」
そう言ってモートンはポケットからデータディスクを取り出した。
それを自分の携帯モデムに差込む。
キラが黙ってそれを見守っていると、モデムから光が乱反射し、緑色の発光粒子が立体映像を映し出した。
鮮明なそれが形作ったものに、キラは思わず息を呑む。
なぜなら、それは。
「ガンダム!?」
キラの《ストライク・フリーダム》やタクト少年の《ガーディアン》と同じ系統のツインアイ。
三体のガンダムのデータだった。
「これも《ガーディアン》と同じです。クライン派の《ファクトリー》で密かに製造されていました」
「…」
「彼女は彼女なりに『歌姫の船団』を強固なものにしたかったのでしょう。ですが、これは火種です」
キラも思わず頷く。
確かにこれが明らかになれば、連合軍やオーブが黙っていないだろう。
かつて起こった二つの大戦も、激化のきっかけとなったのは《ガンダム》だったと言っても過言ではない。
「この三体にも、やはり《オプティマスシステム》が組まれています」
「じゃあラクスはまた僕に…」
これに乗って、自分の理想のために戦え、と?
「僕をまた戦わせる為に作ったの?」
「《オプティマスシステム》は、今度こそ完成しました。あなたでも動かせます…あなたが望むのならばですが」
「でも、《オプティマス》は…」
キラには扱えない。
キラの脳波だけに反応するように作ったはずなのに《オプティマス》がキラに応えることはなかった。
今現在、タクト・キサラギというナチュラルの少年にしか扱えないはず。
だが、モートンはそうではないと首を振る。
「議長の身勝手な意思を知ったバルフォアが細工したのです。ヤマト隊長をこれ以上苦しめたくないと」
「え?」
「SEED因子を持っていても、まだ覚醒に至っていない人間にしか反応しないようにしたのです。
覚醒している者としていない者では、また脳波が大きく異なりますから」
「じゃあタクト・キサラギは…」
「SEED因子の持ち主です…偶然にも。どうもナチュラルの方が潜在的に因子を有していることが多いようです。
覚醒する可能性はコンマゼロパーセント台のようですが」
「…」
キラは映し出された三体のガンダムを睨みつける。
ラクスはまた自分に力を与えようとしていた。
そして自分の理想のために働かせようとしていた。
もしかしたら本当に『白夜』はラクスが造りだした見せ掛けの脅威なのかもしれない。
いや、きっとそうだ。
彼女ならやりかねない。
バルフォアがオプティマスシステムに細工をしてくれなかったら、自分が《ガーディアン》のパイロットになっていたのだ。
そしてラクスは、キラがまたしても自分の思い通りに動いていることに満足し、せせら笑っていたのだろう。
「クラインは明日失脚します」
「!」
「私たちがそういう手はずを整えました。あなたにも協力していただきたい。プラントとコーディネーターの未来のために。そしてあなた自身の自由のために」
「自由…」
自由に、なれるのか。
己を縛る鎖はラクス・クラインだ、と。
そう信じるキラにとって、これほど甘美な言葉はなかった。
―――…。
誰かの名前を、呼んだ気がした。
イザークは、ゆっくりと意識を浮上させる。
アイスブルーの瞳を開くも、視界は暗く不明瞭だった。
ゆえに彼は、自分が覚醒していると認識するまでにしばしの時間を要してしまった。
―――ここは、どこだ?
どこか狭い部屋、病院か?
体を起こそうとするが、腕を動かすどころか指に力を入れることすらままならない。
首をめぐらすことも同様で。
イザークは体を動かすことはひとまず断念し、ここに至るまでの記憶を掘り起こした。
確か、ほのかを連れてラクスの元に向かう途中で。
ああ、そうだ。
襲われて、腹に何発か食らったのだ。
思い出した途端、内蔵という内蔵が軋むような悲鳴を上げた気がした。
一応手当てはされているようだが、この気だるさと居座る痛みから察するに、肝心の輸血等はされていないのかもしれない。
今のところ死なれては困るが、かといって元気になられるのも都合が悪い、ということか。
ほのか。
ほのかはどうしたのだ?
―――イザークを置いて、逃げたりしない。
―――大丈夫。死なせないから。
―――ありがとう。
行ってしまったのか…自分の命と引き換えに?
悔しさがこみ上げた。
自分はまた守れなかったのだ。
今度はシホの時とは違う。
宇宙を隔てて遠く離れているわけではなった…彼女は目の前にいた。
それなのに、助けてやれなかった。
むしろ助けられたのだ。
二年前と全く同じ喪失感が、心に広がっていた。
『ジュールはどうだ?』
通信が繋がって一番のモートンの言葉に、山ほど詰まれた書類を横に押しやりながらバルフォアは肩をすくめた。
「それくらい自分で確かめようとは思わないのか?こっちは新政権の用意でてんてこ舞いだ」
『私が動けば目立つだろう。それに今は臨時でも議長にしてやったんだ。文句を言うな』
「全て自分ひとりでやったような言い方だな。まあいいが」
表向きは議長であるラクス・クラインの逮捕による臨時政府の樹立。
しかしその実は、バルフォアを中心とする勢力とモートンの軍事力によるクーデターだった。
議事堂、放送局、そしてクライン派の《ファクトリー》。
プラント全土におけるそれらの拠点を制圧しクライン派の人間をあらかじめターゲティングして拘束できたのは、ひとえにモートンの軍人としての優れた手腕によるものだ。
さらに議長のラクス・クラインをはじめ、最高評議会議員は親クライン派、反クライン派関係なく拘束している。
宇宙域の警護を主な任務としているジュール、ディーゼル、ヤマトとは違い、モートンの隊は本国内が管轄だ。
彼は己の立場と役職を充分に生かし、先日の『白夜』殲滅作戦の失敗を帳消しにするほどの完璧なクーデターを実現した。
もちろん市民には一人の被害者も出していない。
ラクスが失脚したというメディアの情報で、事態がクーデターだと認識している者など一握りしかいないだろう。
空港も閉鎖しているが、テロリスト騒ぎがまだ冷めやらない今現在はまだそれほど混乱していない。
あらかじめラクス・クラインが『白夜』の黒幕だと言う噂を流していた上、彼女の政策が行き詰まり不満が募っていたこともあってか、市民のラクス逮捕に対する反応は冷ややかだった。
臨時政府としては、市民に良い印象を与えたまま新政権を樹立したい。
そのために軍事力の安定は必須だった。
キラ・ヤマトを懐柔するのにはすでに成功している。
ヤマト隊にはクライン派の人間が多いが、実質隊を取り仕切っているマーチン・ダコスタを抑えれば問題ないだろう。
ヤン・ディーゼルの隊は本国から離れたL4で、すぐにはクーデターを悟ることはできないはず。
問題は本国に戻っていたイザーク・ジュールだったが、思わぬ手土産と共にその身柄を確保することが出来た。
「あの怪我では当分満足に動けまいが、念のために薬を打って、見張りも置いた」
『手際が悪い。人選を間違えたんじゃないか?』
「仕方ないだろう。大体元『赤』を無傷で捕獲しろというのが無理だ。」
『ジュールは軍だけではなく政界にも顔が広い。今回の作戦が終わるまでは生かしていた方が無難だ』
イザークは政治から一歩距離を置いた態度を取っているが、傍目には親クライン派と見なされている。
彼がクーデターの直前に暗殺されたとなれば、拘束していない議員の中にも市民にも不信を抱く者が現れるかもしれない。
そういう意味では、秘かに用意していた病院に運ばれた彼が意識不明の重体だと聞いた時には二人で肝を冷やしたものだ。
幸い傷は致命傷ではなく、かといって浅くもなく、現在は治療と言う名の監禁状態にある。
暴れる可能性は低いため、むしろ怪我は好都合とも取れなくもない。
「しかしホノカ・ウーがジュールの元にいたとはな。てっきり死んだものと思っていた」
バルフォアの言葉に、モートンも頷く。
ホノカ。
今から思えばイザークが彼女の存在をこちらに伝えようとしている場面が何度かあった。
彼がほのかの正体に気付く前に話を聞いていれば、もっと簡単に彼女の身柄を確保できただろう。
ジュール隊のあのリーゼという少年にほのかの話を聞かなければ、危うくラクスの手に渡ってしまうところだった。
『ホノカ・ウーは使えそうか?』
「今のところ大人しくしている。面白いことを言っているぞ」
『面白いこと?』
「ジュールを殺さなければ何でも言うことを聞くと。一人前に惚れているらしい」
『…』
さも愉快そうに口の端を上げるバルフォアに、モートンは眉をひそめた。
研究者である彼にとって、ほのかをはじめ『白夜』のケインたちは「研究体」、「作品」に過ぎない。
その「作品」が異性に興味を持っている、という事実が意外で、そして愉快だというのだ。
モートンも彼らに対しては目標を達成するための道具程度にしか考えていないが、別に感情のない人形だとは思っていない。
先日の『白夜』の殲滅作戦時、連中の感情を読み間違え逃がしてしまったことからもそれを痛感している。
モートンはそれを口に出して言おうとしたが、直前でやめた。
ホノカ・ウーが素直にこちらに従うと言うのならそれは願ったりだ。
『脳波は?』
「適合する。ホノカ・ウー、キラ・ヤマト、それから」
『…』
「タクト・キサラギはまだ使うつもりか?」
バルフォアはそう問いながら、一枚の紙をモニタの前に突き出した。
ラクスの命令で《ファクトリー》が制作していた、新型MSのうちの一機の書類だ。
他の二機のものにはパイロットの欄にホノカとキラの名前が書き込まれていたが、バルフォアが指し示したそれはまだ空欄だった。
モートンは一瞬視線を落として考え込むような仕草をするが、すぐにまた顔を上げた。
『今から適合者を捜している暇はない。それにキラ・ヤマトに命じられればあの子供は従うだろう』
才能が全くないわけではないようだしな、と短く付け足す。
あのナチュラルの少年がコーディネーターの能力に追いつき、さらには追い越そうとする潜在性を秘めていることは認めざるを得なかった。
「それでは」
『ああ』
『タクト・キサラギを、正式に《ディシジョン -DECISION-》のパイロットに任命する』
C.E.79 4月9日 1010時。 プラント宙域巡回中の《ゴンドワナ》。
ラクス・クラインの逮捕・失脚と、ドミトリアス・バルフォアを筆頭とする臨時政権樹立の報。
繰り返し流されるそのニュースを《ゴンドワナ》司令官と眺めながら、最高評議会議員の一人…いや、もう元議員となってしまったコウイチ・アボットは深いため息をついた。
そんな彼に、司令官が伺うように口を開く。
「やはり議員はこれはクーデターとお考えですか?」
「間違いないだろう」
「では他の議員方は…」
「…」
コウイチがこの《ゴンドワナ》を訪問したのは急遽決定したことだった。
先日の謎の集団の襲撃事件を調査する為であるが、当初の予定ではラクスの右腕であるアイリーン・カナーバが来るはずだったのだ。
それが諸々の事情で日程が早まった上、アイリーンの都合が合わなくなってしまったという理由で、出発の半日前にその役がコウイチに回ってきたのである。
そして、《ゴンドワナ》に到着した直後にこの報道だった。
コウイチはすぐにラフィーク・アル・サールやルイーズ・ライトナーに連絡を取ろうとしたが、それは叶わなかった。
メディアが報道している通り、ただラクスが失脚して身を隠しただけなのならそんなことは起こりえない。
おそらく拘束されているのだろう…親クライン派、反クライン派関係なく。
結果導き出される答えは、臨時議長とに収まったバルフォア一派によるクーデター。
そして民衆はまだその事実に気付いていない。
コウイチが難を逃れたのは本当に偶然だった。
用意周到だったバルフォア派も、さすがに変更に変更されたコウイチの予定までは把握し切れなかったのだ。
しかし連中がコウイチの居場所に気付くのにそう時間はかからないはず。
すぐにこのゴンドワナに、自分の身柄を引き渡す要請が来るだろう。
高らかに臨時政府の樹立を宣言する画面の中の男の姿に、コウイチは呪詛のようなその名を吐き捨てた。
「バルフォアめッ」
C.E.79 4月9日 1330時。 ヤマト隊旗艦《セラフィム》
「そこをどいてください、隊長!!」
呼び出しを受けて《セラフィム》のブリッジに向かう廊下を歩いていたタクトは、尋常ならざる声に眉を寄せた。
自分を呼んだ張本人である艦長のダコスタのものだったような気がする。
息を潜め、曲がり角から先を覗くようにして様子を伺う。
好奇心からではなく、不穏な空気に対する無意識の行動だった。
開放されているブリッジの扉の前に、白い軍服をまとったキラ・ヤマトの姿が見えた。
入り口をふさぐようにして立っている。
「どうして邪魔するんです?あなたはラクス様が心配じゃないんですか?」
またダコスタの声だ。
どうやらキラの目線からして、彼の真正面に立って対峙しているらしい。
ブリッジから外へ出ようとしているダコスタを、キラが静止しているのか。
普段は穏やかで理知的な雰囲気のあるダコスタのヒステリックな声音に、タクトは思わず息を呑んだ。
「ラクスには逮捕状が出てるんだよ。しかも逃亡中。自分の罪を認めたってことでしょう?」
興奮しているダコスタに対し、キラは冷徹に、何でもないことのように言い切る。
ここからはっきりと表情まで見えないが、笑っているようだった。
「ラクス様は無実です!何者かの罠にはめられてっ。『白夜』とは、あんな野蛮なテロリストと関係があるはずがありません!!」
ラクス・クライン失脚。
その一件は、タクトの耳にも届いていた。
というか、ラクスの支持者が多い《セラフィム》ではその話で持ちきりになってしまっている。
タクトも信じられない。
五年前、世界中の人々のためにデュランダルに挑み自由を勝ち取った彼女が、たかが低迷する支持率のためにテロリストと通じていたなんて。
そうしているうちに、ダコスタの声に懇願が滲み始めた。
タクトも場所を忘れて二人の会話に聞き入る。
「ヤマト隊長、どうか臨時議長に進言して下さい。今回の事態の再調査を…」
「無駄だよ。黒幕はラクスだ」
「何を!?隊長はラクス様を信じていないんですか?」
「ラクス、様…ねぇ」
「かつては愛し合った仲でしょう?だから」
「無駄だって言ってるでしょ。動かぬ証拠もいくつか上がってる」
「証拠、そんな馬鹿なッ」
「そんなものがあるのなら、自分が知らないはずがない…かな?」
突然。
キラのものでも、ダコスタのものでもない声がした。
聞き覚えがある声だ。
それを耳にした途端ぞっとしたものが背中を這い、タクトは廊下の隅で身をすくませる。
ブリッジにいるクルーたちも同じだったようで、息を呑み緊張する様子がここまで伝わってきた。
「モートン、隊長?」
タクトがいる廊下を逆方向から歩いて来たその声の主は、キラと同じ《四将》のスチュアート・モートンだった。
かすれた声で「どうしてここに?」と呟くダコスタ。
そんな彼に対し、モートンは鷲のように鋭い目をぎらつかせる。
「マーチン・ダコスタ君、君に国家反逆罪の容疑がかけられている」
「!!?」
「すでにクライン前議長の罪状は明らかだ。君もそれに加担していたね?」
「何をおっしゃっているのか分かりませんッ」
「上司であるはずのヤマト隊長の部屋に盗聴器を仕掛け、その様子を事細かに報告していた」
「馬鹿な!!」
タクトも目を剥く。
キラとダコスタの仲があまり良くないことは感じ取っていたがそこまでするだろうか。
「君はクライン議長の忠犬だったからな。『白夜』の存在も知っていたんだろう?」
「ふざけるな!根も葉もないことを!!」
「それはこれから調べればはっきりすることだ。おとなしく付いてきてもらおうか?」
モートンの言葉と同時に、彼の後ろに控えていた武装した衛兵がキラの前を通り抜けてブリッジの扉をくぐる。
中から女性クルーのものと思しき悲鳴や衛兵の怒鳴り声がする。
―――ど、どうしよう。
タクトはうろたえることしかできなかった。
誰かに頼もうにも、この場を納められる者が艦の中にいようはずもない。
キラ、ダコスタ、モートンよりも立場が上の人間など、この《セラフィム》にはいないのだ。
やがてダコスタが衛兵二人に腕を掴まれ、ブリッジから引きずり出された。
そのまま彼は無理矢理連行されそうになる。
が。
「キラ・ヤマトォ!!!」
ダコスタは衛兵たちの腕を振り切るようにしてキラに襲い掛かった。
どこにそんな力があったのかと思えるほどの勢いだったが、衛兵たちは辛うじて彼を押さえ込んで阻止する。
ダコスタの体は床の上に、今度は三人掛かりでうつぶせに押さえつけられた。
それでも彼は懸命にもがき、憎悪に歪む顔をキラに向ける。
「バルフォアとモートンに懐柔されたんだな!?この裏切り者!!」
ものすごい表情だった。
さすがのキラや衛兵たちもひるんでいるようだ。
「ラクス様を裏切るなんて!お前を救い、導き、今の地位に押し上げてくださった恩を忘れたというのか?」
「恩?」
「お前みたいにMSに乗って戦うしか能のない奴に、居場所を与えてくださったんだぞ!?くそぅっ!ラクス様はどうして貴様みたいな化け物なんかをッッ」
化け物。
その言葉に。
一瞬にして、ダコスタの剣幕に圧倒されていたキラの顔つきが変わった。
がちゃり。
オートガンを取り出し、引き金に指をかけてダコスタの鼻先に突きつける。
「今なんて言った?」
「!」
「化け物?僕が化け物だって?何も知らないくせによくもそんなことを!」
「ヤマト隊長」
「うるさい!」
控えめな口調で咎めたモートンを、キラが一喝する。
今度はダコスタが目を丸くする番だった。
「僕だって人間だ!遺伝子をいじられてるから化け物だっていうんなら、お前たちと同じだろう!?それなのにどうして僕だけがッッ!僕は望んでそう生まれたわけじゃない!!」
ぱんっ。
乾いた音が、重い空気を吹き飛ばした。
次にはダコスタが悲痛なうめき声を上げる。
キラの放った銃弾が、彼の右肩を上から撃ち抜いていた。
血が噴き出し、床に赤い血溜りを作る。
それを見下ろすキラの表情は、驚くほど冷徹だった。
「お前がラクスと繋がっていたことくらい知ってた…知ってて見ない振りをしてきた。まだ、ラクスを愛していたから」
「…」
ダコスタがはっとしたようにキラを見る。
タクトも怜悧なキラの声に、ほんの僅か感情の波紋を見たような気がした。
「だがラクス・クラインと彼はあなたを裏切った」
しかし。
それを遮るように言葉を畳み掛けたのはモートンだった。
彼もまた、ダコスタがキラの銃で撃たれたことなど全く意に介していないように見える。
むしろそれを予期していたかのような落ち着きぶりだった。
「裏切り者は、お前たちの方だ」
だからキラは悪くない。
これは許される行為。
キラの銃口が再びダコスタに向けられた…今度は額の真ん中に。
痛みに呻いていたダコスタも、周りにいた者たちも、その気配に気付いて動きを止める。
引き金にかかっているキラの指に力が入る様が、タクトの良すぎる視力にははっきりと映った。
―――駄目だッッ!
タクトはそう叫びたかったが、声は音として喉から出なかった。
駆けつけようにも、足の裏が床に縫いついたように動かない。
お願いです…やめて、キラ様!
やめて!
「やめてぇぇえ!!」
まさに銃の引き金を引かんとしていたキラの前に躍り出たのは。
緑服の女性兵だった。
赤い髪…メイリン・ホークだ。
今のキラの恋人だという。
動きを完全に止めたキラが、愕然とした表情でメイリンを見下ろしている。
そんな彼にメイリンは悲痛な顔をしてすがりついた。
「お願いキラ、こんなことしないで!」
「…」
「こんなのはおかしいわ。キラが艦長を撃つなんて」
「…」
泣きじゃくるメイリンに肩を掴まれ揺さぶられるキラの顔からは、ゆっくりと血の気が引いていく。
「どうしてそんなことするの!?どうしてよぉ?」
どうして。
どうして。
メイリンが繰り返し繰り返しキラに問う。
タクトは知る由もないが。
メイリンは忘れられなかった…ラクスを中心として全てが上手く回っていた五年前のことを。
正義の使者となり、プラントの救世主となり、英雄とあがめられたあの時を。
だからこうして、ラクスの恋人だった男と片腕だった男が口汚く罵り合い、殺し合う様を見るに耐えなかった。
どうしてこうなったの?
何が原因なの?
悪いのは誰?
間違っているのは。
「間違っているのは、あなたよ!!」
瞬間。
全てが赤に染まった。
ブリッジのクルーたちが次々に衛兵たちに連行されていく。
銃を突きつけられ、恐怖に顔を歪ませた彼らはしかし、抵抗の色を微塵も見せなかった。
おそらくはこれからどこかに拘束されるのだろう…いや、もしかしたらこの事態の口封じに殺されてしまうのかもしれない。
やがて全員がブリッジを追われると、衛兵たちは床に転がっている男女の死体を処理し始めた。
布とビニールで無造作にくるみ、担架に乗せる。
その時には続けざまに艦内で響いた銃声にクルーたちが集まりだしていたが、まさか運ばれている遺体が艦長のダコスタとオペレーターのメイリンだとは思いも寄らない。
「一体何があったんだ?」
「銃声、俺も聞いたぜ」
「ブリッジの奴らが全員引っ立てられてたぞ?」
「どうなっちまうんだ、この艦」
「ヤマト隊長はあんなところで何してるんだよ」
隊員たちが疑問を口にするが、その声は潜められていた。
皆、並々ならぬ雰囲気を感じ取っているのだろう。
血だらけの床と壁を前に、幽霊のように立ち尽くしている隊長のキラの存在も彼らを混乱させた。
彼の白い軍服には他人のものと思われる血がべっとりとついており、力を入れすぎて白くなった拳には銃が握られている。
この惨劇の首謀者はまさか…?
そうは思っても、口に出すことはできないのだ。
がしっ。
「ひ…っっ」
突然後ろから肩を強く掴まれ、呆けていたタクトは飛び上がった。
全身から汗が噴き出し、喉の奥がからからに乾く。
気を抜けば、腰が抜けて体がくず折れそうだった。
恐る恐る、後ろを振り返る。
スチュアート・モートンの氷のような目が、タクトを見下ろしていた。
2010/01/01